夜になればロウソクを。

2006-01-27 17:16:24 | Weblog
 パオロ・マッツァリーノという人の『反社会学講座』という本をこの前本屋で立ち読みして、面白かったので気にしながらもそのまま買わずに帰った。それで、昨日パオロ・マッツァリーノという人を検索してみると、なんと彼のサイトがあって、それにいくらか手を入れて出版されたものが『反社会学講座』だった。

 つまり、そのサイト「スタンダード 反社会学講座」でほとんどそのまま『反社会学講座』が読めるということで、僕は昨日少しそれを読んでいた。
 途中で飽きてきたのと、あとパソコンの画面を読むのは疲れるので7章くらいまで読んでやめたのですが、なかなか面白いです。

 内容に関していくらか思うこともあるけれど、今回は紹介まで。

 社会学者がテレビや本で快刀乱麻のロジックを繰り出すのを見て、「それはそうだけど、でもなんだかなあ」とどこかに引っかかりを感じいた人は多いと思うけれど、パオロさんの主張はそもそも社会学なんてまともじゃない、というものです。マスコミが煽るように少年犯罪は増加なんてしてないし、それを編集したデータとともにあたかも問題であるかのように語るのが彼らの仕事だ、社会問題がなくなれば彼らの存在価値はなくなるのだから、という捻くれた感じで話は展開していきます。

 語り口が独特の人を小ばかにした感じで、ちょっと気をつけて読まないといけないような気もします。テンポがいいので乗せられると自分の思考を停止させていることがあるかもしれません。

 ちょっとだけ引用すると、

(江戸時代はフリーターだらけだった。いい加減に働いていたというデータを提示したあと)

「 明治の詩人、萩原朔太郎の『孤独者の手記から』には、こうあります。

    労働の讃美は、近代に於ける最も悪しき趣味の一つである。

 江戸時代にはほとんど見られなかった労働の讃美が、明治時代に始まっていたことを示す一例です。ご存じの通り、明治政府は富国強兵政策を打ち出し、国の発展を最優先事項にしました。基本的には、工場で製品をどんどん生産し、輸出して儲けるという仕組みです。当時は、内需拡大しろ~などと余計な口出しをしてくる外国人がいなかったので、好きなだけ邁進できたのです。

 しかしこのためには、当然のことながら低賃金の労働力が多量に必要とされます。ここにおいて、江戸的な個人の自由裁量に任せた労働形態が、終止符を打つのです。江戸時代までは有効だった、今日は暑いから休みにしよう、なんて考え方をみんながしていたのでは、生産性ががた落ちしてしまいます。

 アメリカの白人は、この問題を解決するために、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残念ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり、教育です。こどもの頃から、勤勉さこそが美徳であると、叩きこむようになったのです。 」

 僕がさっき「ちょっと気をつけて読まなくてはならない」と言ったのは、この文章からも伺えるように、彼の語り口が社会学者のそれにほとんど同型であるという理由からです。
 反社会学は実は社会学に包含されているように僕には読めます。(「1例です」「ご存じの通り」「基本的には」などのマジックな言葉をこの短い区間にも用いています)

 でも、どちらにしてもとても面白いサイトです。


反社会学講座

イースト・プレス

このアイテムの詳細を見る

ハワイからやってきた魚。

2006-01-26 19:36:33 | Weblog
 火曜日の夜、アルバイトの後にO君の部屋へ行って牡蠣パーティーに参加した。O君が牡蠣を取り寄せたというので、随分と手の込んだことをするものだな、と思っていたらものすごくおいしい牡蠣だった。僕が生まれてから食べたどの牡蠣よりもおいしかったです。ありがとう。

 他にもI君が打った蕎麦やカレイの焼いたのやなんかがあって、僕たちのときどき開く会合は段々とグルメ研究会みたいになってきた(考えてみたら最初の名前はご飯会だったから、当然の成り行きですね)。

 まだ1月だけど、僕たちはそこでなんとなく花見の話を始め、結果的にこの春は、大きな船みたいなものを作り、それを嵐山の川に浮かべて花見をするということになりました。
 船はコンパクトに持ち運びができて、使うときには15人は乗れるようにしたいので、作るのに多少の工夫がいるけれど、それくらいのことならできない訳がない。

 オプショナルに「雅な格好をして雅楽を演奏する」などのへんてこなアイデアも出ているので、これからいくらか付加していくことはありますが、基本的にはまず船を作ります。

 世の中に敷かれている法律というものがどれくらいに僕たちの行動を制限するものなのかは知りませんが、川に船を浮かべてその上で全員が飲酒している、という状況はなんとなく何かの法に触れそうな気もするので、もしも何か心当たりのあるかたは教えていただけると幸いです。
 法律というのはときどきびっくりするくらいに細かいし、なるべくなら途中で誰かにお開きにさせられるという事態は避けたいです。

 あんなに平和なクラブのメトロでも警察によってパーティーを何度か中断されたことがあるけれど、ああいうのは本当に興が冷める。

 Mちゃんに頼まれていた原稿を送ってどきどきしていると、「合格」の返事が来たのでほっとする。
 春には小さな雑誌ができるようなので、楽しみに待つことにします。

春の朝の君の寝相。

2006-01-25 19:45:00 | Weblog
 ムツゴロウこと畑正憲さんは、テレビで見ている限りではただのへんてこな動物おじさんだけど、でも、彼の本を読むとその姿は全くと言っていいくらい異なっている。東大在学中に学生結婚をして、収入はマージャンの稼ぎだけだったり、熊と家族で無人島に住むために小学生の娘を一年間休学させたり(普通、小学校休学ってしないですよね)、インドで象使いに弟子入りしたり、もう目茶苦茶に自分のやりたいことを一生懸命やるという人物像がそこから伺える。持久力が異常にあって、正月には自宅でマージャン大会を開くのですが、ムツゴロウさんは三日三晩、トイレに行く以外は席を外さない。他の人はもちろん入れ替わるのですが、ムツゴロウさんはずっと不眠不休でマージャンを続ける。信じられないことに。

 そして、彼はあるとき野生動物の観察のためには毎日眠っていては駄目で、一日おきに眠るという生活パターンを編み出すのですが、実は僕も高校生のときに同じことを試してすぐに挫折しました。
 高校生のとき、僕は矢鱈と時間が欲しくて、睡眠をいかに減らすかということをよく考えていた。睡眠に関する本もいくらか読んで、なるべく短い眠りで元気に生活できないものかと目論んでいた。もっとも、今となっては考えはほとんど反対で、「なるべく眠りたいだけ眠れる生活を選ぶ」ようにしています。眠っている間、僕たちは別に時間を失っているわけではない。

 睡眠に関してはすでに多くの研究が成されていて、それらの研究の根底には「どうして睡眠が必要なのか? 睡眠時、われわれの体は何をしているのか?」という、いわば睡眠のメカニズムと効用に対する好奇心がある。僕も睡眠関係の本は当然そういったスタイルで読んでいた。「なぜ、何の為に動物は眠るのか」

 だけど、あるとき生物学の本に奇妙な一文が出てきて、僕は吃驚してしまった。

「世界の学者達は、動物はどうして眠るのか、何のために眠るのか、と問うが、果たしてその問いは本当に正しいのか。もしも、生物の目的が自己保存と子孫の繁栄であるという説が正しければ、動物は生殖行動と食物の獲得以外の時間をすべて眠って過ごすのが、無駄なエネルギーを消費しないもっとも自然な姿ではないのか。
 つまり、問わねばならないのは”なぜ眠るのか”ではなくて”なぜ起きているか”ということだ」

 これはとても鋭い物の見方だ。
 僕たちは物事を考えているときは当然目を覚ましているので、どうしても起きている状態を中心にして物事を考えてしまう。だけど、本当は人生の中心は睡眠だという可能性だって否定はできないのだ。




ムツゴロウの青春記

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る

レインボー・ビルディング。

2006-01-23 01:12:37 | Weblog
 今日は京都文化博物館へ、柳宗悦となんとか、という民芸関係の企画展を見に行った。
 実を言うと僕は「民芸」というものがあまり好きではない、どちらかというと嫌いだしほとんど興味もない。では、なぜそのような展覧会を訪れたのかというと、それは正月に実家で柳宗悦の本を見付けたせいです。
 僕は柳宗悦や日本の民芸運動に関して、大学に入るまで何も知らなかった。だけど実家に帰って自分の本棚を物色していると、そこには柳宗悦の本が一冊納まっていた。どうやら僕は彼の本を高校生の頃に読んでいて、でもすっかりとそんなことは忘れていたようなのです。僕はそのあまりにクリアな忘却具合に驚いて、もう一度読んでみようと思いその本を実家からアパートに持って来ました。そうして、街に出ると柳宗悦の展覧会をするとポスターが張ってあったわけです。これはもう行くしかない。僕は偶然にはなるべく乗っかってみることにしている。

 結局、僕はその展覧会ではすぐに目に見える成果を得ることはなかった。やっぱり退屈だった。たぶん全然面白くないだろうと踏んでいたので、誰も誘わずに一人で行って、そのせいで余計に退屈だった。変な顔の鳥を描いた屏風があって、僕は本当は笑いたかったけれど人前で一人で笑い出す訳にもいかない。

 博物館を切り上げて、そのあと僕は電気屋へボイスレコーダーを買いに行った。そうするとボイスレコーダーの値段は大体1、2万円で、隣りに並んでいるMP3プレーヤーも同じ価格帯だった。そしてMP3プレーヤーにはボイスレコーダー機能が大抵付いていた。ならばMP3プレーヤーの方が音楽も聴けて、声も録音できて、ラジオも聞けて、しかも小さくてずっといい。ただ、マイクがどれくらい音を拾うのか心配だったので、絶対に知らないだろうなと思いつつ店員に聞くと、やっぱり知らないということで、僕は似たような機械を持っているMに電話をしてみた。やっぱり頼りになる彼は「まあ十分使えるよ。バンドの音もときどきとってみるけど別に聞ける」と返事をくれて、そして僕はMP3プレーヤーを買った。

 最近、パソコンの中の音楽環境が変ってきて、ちょうどMP3プレーヤーが欲しくなってきていたので、この買い物は僕にとって一挙両得だった。今まで携帯用の音楽プレーヤーはi-pod(shaffle)を使っていたのですが、i-tunesをほとんど使わなくなり最近では不便を感じていた。わざわざシャッフルの中身を入れ替える為だけにi-tunesを起動していました。それに人のパソコンから音楽を取り込もうとするとi-podから元のデータが消されるし、コピーライトのせいだかなんだか知らないけれど、データのコピーが簡単にできなかった。
 でも、MP3プレーヤーならそのままMP3のフォルダを放り込むだけなのでとても楽だ。専用のソフトもいらないし、データのやり取りも簡単にできる。i-podは革命的な存在で、ものすごい勢いで売れているし、それは世界をすこし変えた。でも、今となってはデザイン以外にi-podのメリットはほとんどないように見えるし、それどころか限定されたアップルワールドに消費者を閉じ込めようという意図を感じてしまう。

 電気屋を出てしばらく行くと、Oにばったり出会った。そのあと、本屋に立ち寄るとI君に出くわした。さらにI君と歩いているとMちゃんにも会った。わずか3,40分の間に偶然3人の知人と遭うなんて変な日だ。

 それで、I君とも話をしたのですが、僕たちはビルを一つ借りようと思います。1階をサロンにして、その上の階で暮らして、屋上では洗濯物を干したりビールを飲んだりするつもりです。大きなビルならみんなで住める。
 といっても、もちろんお金なんてないので、廃虚みたいなビルや空き家のまま放置されているビルをしばらく探してみて、持ち主を探して話をしてみようと思う。だから、もしもそのようなビルを知っている人があれば教えて下さい。よろしくお願いします。


南無阿弥陀仏―付・心偈

岩波書店

このアイテムの詳細を見る

マッシュルームカット。

2006-01-18 01:11:00 | Weblog
 1964年、サンフランシスコ。
 初の全米ツアーを行うビートルズがカウパレスのステージでオール・マイ・ラビングを演奏し始めたそのとき、4人のアイドルをゼリービーンズの嵐が襲った。

 ゼリービーンズ。

 この魅惑のお菓子は僕の人生において結構高い地位を占める。カラフルなサイケデリック・ポップ・キャンディー。フリッパーズ・ギターだって映像作品に使っている。そのDVDをはじめて見たとき、僕は「これだ」と思わず叫んだ。
 ゼリービーンズを敷き詰めた部屋でパーティーをして、そのままゼリービーンズを敷き詰めたベッドルームで眠りたい。もちろん、朝起きたらゼリービーンズで顔を洗う。

 そういえば、2月11日(土)の夜には大阪の難波Club SAOMAIで「Flipper's Guitar All Night」があります。
 行かない手はない。

 あと、友達のミサちゃんがスタッフのスーパーカーのイベント

 「Club Jump Up (Supercar Night Osaka 06) 」
 2006年2月25日(土)  23:30 open  adv 1,500yen / door 2,000yen (with 1drink) @梅田RAINDOGS
 http://www.raindogs-web.com/toppage.html

 も気になるところ。


HIGHVISION
スーパーカー, 石渡淳治
KRE

このアイテムの詳細を見る

lollipops are something pure.

2006-01-16 13:47:15 | Weblog
 前日の雨がすっかり嘘みたいにきれいな天気で、気温も比較的高くてすごし易い日曜日、僕とHの乗った嵐山へと向かう満員電車は、段々と乗客を減らし、嵐山へ着いた時にはその数は随分と減っていた。僕たちはほとんど天龍寺に御札を返す、という目的の為だけに嵐山へやって来たのだけど、観光地の日曜日にしては人が随分と少ない。前回来た時は紅葉の時期だったから、その落差が大きくて余計に人が少なく感じられるのかもしれない。

 天龍寺に御札を返したあと、クレープなんか食べて、バスで四条河原町まで戻って、それから八坂神社でやっと初詣をした。もう世間ではお正月なんてすっかり忘れ去られていて、天竜寺でも八坂神社でも「節分祭」の広告が出ていた。世界は前を向いて歩いているのだ。
 神社の門をくぐり、手水を取ってHが手と口を清めるのを僕はぼんやりと眺め、それから一つ欠けていた彼女の作法をただし、そのくせ僕は手も口も清めなかった。夏なら喜んでするけれど、寒い冬に冷たい水を触るのはあまり嬉しくない。でも、本当はきちんとした作法に則って僕も自分を清めるべきだったんだと思う。どこへいって何をするでも、作法というものはきちんと守った方がいい。作法には作法の、それなりの意味があるのだ。しかも神社には神様がいる。

 メインの素戔嗚尊を祭った社へ向かう道に、小さな恵比寿様を祭った社があって、僕が「メインじゃなくて、これくらいのちっぽけなところでもお参りしてあげようかな」と言っていると木から枝が落ちてきた。さっきも書いたけれど、神社には神様がいるのだ。
 ちなみに、今では八坂神社のメインは素戔嗚尊となっているが、これは明治以降の話で、もともと祭られていたのは牛頭天王という仏教の守護神だった。それを明治の廃仏棄釈運動、つまり親日排中運動の一貫で中国の仏教に関わる牛頭天王を廃し、それと同格だとされていた素戔嗚尊をメインに据えたのだ。神社の名前も八坂神社ではなくて祇園社だった。祇園も仏経の言葉だから廃止したのだ。神様は政治に影響される。

 素戔嗚尊を祭る大社には、参拝の人々が列を成していて、僕はそこをやめて隣りのちっぽけな社を覗いてみた。するとそこにはびっくりすることに悪王子というものが祭られていた。悪の王子。とんでもない名前にひかれて能書きを読んでみると、悪王子というのは素戔嗚尊の荒魂のことだった。荒魂を参るのがいいことなのかのか悪いことなのかはよく分からないけれど、僕はその名前の持つ語感に好感を抱いて、その荒魂を参ることにした。それに僕の今年の抱負には「悪巧み」が含まれているのだ。
 しかし、荒魂がこうして別に奉られているということは、本社にあるのは素戔嗚尊の和魂だけだということになる。なんとなく、別々ではなくて荒魂も和魂も一緒にして置いた方が素戔嗚尊としても心地が良いのではないかと思うのだけど。

 悪王子の助けもあってか、おみくじは大吉だった。おみくじだけなら毎年大吉なんだけど、もちろん嫌な事だって起こる。でも、まあとにかく大吉なのだ。それに今年は素戔嗚尊の荒魂というちょっとダークで強力なものも助けてくれる。もちろん、いつものように僕はたくさんの人や物や魂に助けて貰うのだろう。2006年という新しい年はもう始まっている。

Twe Letter.

2006-01-15 02:45:37 | Weblog
 橋本治の「上司は思いつきでものをいう」のはじめでは「よく考える」ということが取り上げられている。

 「よく考えて」というのは、はしゃぎ回って落ち着かない子供を諭すときの言葉で、諭すというのは”答え”が大人の方にあって、そこへ子供の思考を誘導することだ、だから子供は「よく考えて」という言葉の意味を潜在的に「相手の持っている答えを当てること」だと勘違いしている。そしてそのまま大人になる。

 だから、「よく考える」という言葉は「本当によく考える」ときには使われない。「よく考える」という言葉は、(あからさまにでなくても)相手を馬鹿にするか、あるいは自分が謙るときにのみ用いられる。たとえば人に「よく考えて」というときは含みとして「これくらい普通わかるだろう」という続きがあるし、自分が何か相手に気に入られないことをしたときには「よく考えてきます」と謝る。

 だから、アヒルの出てくるどこかの保険のコマーシャルはとても人々を馬鹿にしたコマーシャルだと言ってもいい。あの「よーくかんがえて、お金は大事だよ」という歌はそのあと「うちの保険にしとけば得だって普通の頭なら誰でも分かるんですよ」という暗黙の台詞にコネクトしている。コマーシャルだから当たり前だけど「よく考えてみたらよその保険の方がいいかもしれないですよ」というメッセージは全然入っていないし、入っていてはいけない。「まともな人なら考えた結果うちに来るんですよ」しか正解はない。

 「よく考える」というときに僕たちが「本当によく考えて」いないのだとしたら、「本当によく考える」とき僕たちはそれをどういった言葉で表現するのだろうかという疑問に突き当たる。その答えは「ちょっと考える」です。「ちょっと考える」と言うとき、僕たちは「本当によく考える」をしている。その証拠に「すみません。よく考えてきます」と相手に頭を下げて持ち帰った案件を、一人になって「それではよく考えてみよう」と思う人はいない。きっと一人になったとき「それではちょっと考えてみよう」と思う筈だ。「よく考える」というのは相手が持っていると想定される答えを発見したがる限定された態度でしかない。本当に自由に思考するときは「ちょっと考える」を僕たちはする。

 それにしても、橋本治さんにしても高橋源一郎さんにしても、物事を「もう一つ外側」のレベルから見てどうこういう人はすごいと思う。僕たちは書物なら「そこに書かれている内容」についてだけ議論するけれど、彼らは書かれている内容よりもむしろ「その書かれている書かれ方」に着目している。
 この「書かれている書き方」に目をやるというのはなかなかできるものではない。僕は高橋さんの著作に当たるまでそんなふうな読書の仕方をしたことがなかった。僕はただ中身を追うだけの従順な読者でしかなかった。今もそうだけど。でも、高橋さんのお陰でそれ以外の読み方が存在していることを僕は少なくとも知った。

 僕が高橋源一郎という人の思考を見たのは、いつかの京大で行われた集中講義でのことで、それまで僕は高橋さんの本なんて一冊も読んだことがなかった。たまたま僕の友人がその集中講義をとっていて、そして彼女は「一緒に出ようよ」と僕のことを誘ってくれて、それでなんとなく僕はその講義に潜りで出たのだった。
 それは僕が今までに聞いたどの講義よりもダイナミックで繊細なものだった。僕はそこで高橋源一郎という人間が持つ思考能力の高さをまざまざと見せ付けられた。

 以来、僕はときどき彼の著作を読み、それから「書かれていることの書かれ方」も気に留めようとしているのですが、鋭い刃を持つことはなかなか難しい。


文学なんかこわくない

朝日新聞社

このアイテムの詳細を見る

バブルガム・ミュージック。

2006-01-14 12:22:43 | Weblog
 この間、Aちゃんと京都タワーに登った。ちょうど太陽が山の向こうに落ちて、京都盆地には夜がやってくるところだった。自動車のヘッドライトとビルのこれみよがしな灯りが世界を支配しようとしていた。風が強くて、展望室は穏やかな晴海に浮かんだタグボートの中みたいな揺れ方をした。Aちゃんは京都タワーに登るのが初めてで、展望室に入ったときに、私すこし今感動している、と言った。

 地面を見下ろすと、さっきまで僕たちが話をしていたコーヒーショップが見える。僕が紅茶とサンドイッチを食べる間に、彼女は紅茶とサンドイッチとケーキとココアフロートを食べた。そこで、僕は彼女にこれから僕たちの登る京都タワーについての見解を簡単に述べた。とはいっても、僕は京都タワーに関してそんなに沢山言うべきことを持ってはいない。それは若干スペーシーで、ちゃちだけどなんだかんだ言ってもなかなか素敵なのだ、ということしか言えないので、あとはみうらじゅんの意見をそのまま拝借して、「みうらじゅん曰く、低さに吃驚するって、なんか彼はタワーの上から地面を歩いている友達見付けたことあるらしいよ」と付け加えた。

「ほんとうに道を歩いている人の顔見えるね」

 展望室の窓から、地面を覗き込んで彼女は言った。
 コンクリートやアスファルトで舗装された地面の上を、無数の人間がどこかからどこかへと移動していて、それはとても規則正しい動きのように見えた。ある人は建物に入り、ある人は出て来て道を歩いていく。そのまま視線を遠くに飛ばすと、街をぐるりと取り囲む低い山々の連なりまでごちゃごちゃと建物が続いていて、それはつまり道路も続いているということだった。僕はカビのコロニーの発達のしかたとベルリンの街の発展の仕方がとても良く似ている、という話をした。

「これだけのビルを作るのに一体どれだけの労力と時間がかかったんだろう」

 僕は子供の頃からいつもそのエネルギーの莫大さに畏怖を感じていた。信じられないくらいにたくさんのものを人類は作って壊してきた。

「大半は要らないものだと思うんだ」

 僕たちの労働。そして、その労働が生産するもの。要らないものを作る為に恋人や友達や家族といる時間を捨てること。その要らない物の中から発生したパソコンと携帯電話で間接なコミュニケーションをとること。直接なコミュニケーションを放棄して得たものは労働と間接なコミュニケーション、それからすこしばかりのトッピング。
 僕たち人類は60億人もいて、それぞれが大体1日に2000キロカロリーを必要とする。一日に12兆キロカロリー。本当に必要なものはそれだけだ。とてもシンプルなこと。でも農業を捨てたようなこの国で、僕たちは食べられないものを毎日生産している。それは本当は生産ではなくて消費にすぎない。

 なんてうるさいことを言いながら僕たちは展望室を回った。ここでパーティーを開くのはどうかという下見も兼ねているのだ。低い天井にスプリンクラーが付いていて「禁煙」だと書いてあった。たぶん誰かが煙草を吸うとスプリンクラーは忠実に水を僕らにぶちまけるに違いない。

 地上100メートルから今度は地下に潜って、僕たちは電車に乗った。そして世界を混乱させる為の悪巧みをヒソヒソと話した。風は冷たくマフラーは暖かい。トルコ製のマーブルチョコレートを橋の上からばら撒いて僕たちは叫んだ。「モンキー!」。


アイデン&ティティ―24歳/27歳

角川書店

このアイテムの詳細を見る

変な角度で彼女は腕をくんだ。

2006-01-12 23:24:04 | Weblog
 さて。僕は戻ってきました。
 とは言っても別にどこか旅行へ出ていた訳ではありません。ではどこから戻ってきたのか、それに”どこへ”戻ってきたのか、と聞かれても、その質問にうまく答えることはできません。ただ、僕はどこからか戻ってきたように思うのです。そのような感覚を持っている理由の一つには、この年末年始に色々なことがあった、というファクターが勿論カウントされます。でも、それはあくまで一つの要因に過ぎません。結局、全ては大きな流れの中に存在しているのです。

 念の為に書いておくと、べつに「年末年始に起こったこと」というのは特別な出来事ではありません。僕はよくあるクリスマスを過ごし、忘年会をして、それから懐かしい面子で集まったりしながら、随分と希薄になった現代の正月という時間を過ごしました。至って普通のことです。それでも、僕はとても多くを考えざるを得なかった。はっきりいって、この年末年始で僕はずいぶん変ったと思う。

 この変化について、僕はその全容も把握していないし、説明もできない。ただ、物事を考える為の回路が新品になったような気がするのです。脳科学の本で「30歳前後で人間と言うのは頭の使い方ががらりと変化する」という記述を読んだことがありますが、もしかするとそれはこのことを指すのではないかとも思います。あと一月も経たないうちに僕は27歳になる。

 僕は2つほど前の記事に「物事をうまく考えられないし、うまく文章が書けない」というようなことを書いて、それからしばらくこのブログを書くことをしませんでした。今年に入ってからは一つ短い文章を書いただけに留まっています。でも、そろそろ、へんてこでもいいので何かを書きたいと思う。

 さっきも書いたけれど、僕はもうすぐ27歳になる。つまり、僕は1979年に生れたわけです。その年、日本ではある小説が発表されました。タイトルは「風の歌を聴け」。作者はいうまでもなく村上春樹です。その3年前、1976年には村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞をとっている。そして、このダブル村上に続いて吉本ばななが登場する。
 この3人の作家は、日本文学史上においてとても重要な一つの指標を提示している。それは「言文一致の完成」というものだ。日本の近代文学と言うものは明治時代にはじまる訳ですが、当初日本語では書き言葉と話し言葉があまりにもかけ離れていたので、小説家たちは自分の考えを文章にうまく表す手段を持っていませんでした。思っていることをそのまま書く、という現代では当然のこと(一応は)ができなかったのです。だから、日本の近代文学はその起こりにおいて「思ったことを書く為の日本語を作る」という作業を要求され、坪内逍遥の「浮雲」にはじまった「言文一致」の試みは、100年かかってようやくダブル村上と吉本ばななで完成されたのです。

 そして、言文一致の極みを見せているその作品、「風の歌を聴け」の冒頭を、今日僕は図書館でなんとなく開いてみた。するとその冒頭、出だしの一文は「完璧な文章というものは存在しない」というものだった。僕はびっくりした。風の歌を聴けの冒頭なんてすっかり忘れていたのだ。最初の数ページは、これから物語を書き始める自分自身のことが書かれていた。どうしてこの文章を書き始めるのか。まるでくどいけれど、でも書いてかなくてはならないこと。
 そういうことか。

 とにかく、完璧な文章というものは存在しない。


風の歌を聴け

講談社

このアイテムの詳細を見る

パレードと赤色のメガホン。

2006-01-04 15:34:55 | Weblog
 2005年は椰子の実を地面に叩き付けて幕を閉じた。

 2006年の僕らはスピーカーとマラカス抱えて街へ飛び出すだろう。全部の色のペンキを抱えて、街中におおはしゃぎでサイケな落書きするだろう。渋い顔をしてぶつぶつ文句を言いながら彼らはそれを消すのさ。大笑いでその姿を眺めて、それから逃げ出すよ。できるなら追いついてみればいい。ほんとのことなんて一言も言いやしないさ。かっこつけておしゃれぶって、本質ならいつも外してみせる。さっき咲いたばかりの花を全部摘みとって、ポータブルラジオと一緒に海へと放り投げて、あとはビーチボールを蹴飛ばすだけさ。君にケーキを買ってあげようと思う。

 それから、にぎやかなパレードをする。ドッグ・ドギー・ディーは赤いブーツの女に夢中でリードを持つ僕の手はいい加減にしびれている。


Three Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった
フリッパーズ・ギター, 小沢健二
ポリスター

このアイテムの詳細を見る