もんじゅ

2011-06-28 13:48:40 | Weblog
 S&W M10の固く短い銃身を私は口蓋に突っ込んで両手の親指を引き金に掛けた6発装填のリボルバーには一つだけ弾が入っているこういうのは昔の映画やドラマで良く見たしロシアンルーレットという名前のゲームだということも知っているでも自分がいつかこういう風に本物の拳銃を使ってこのバカの極みみたいなゲームをすることになるとは思ってもいなかった私は別にスリルが欲しいからこんなことをしているわけではないただあの男がそうしろと言ったのだそうしないと私は捨てられてしまうらしいだから私は今本物の拳銃を口に咥えている男の命令でこんなことをするなんて私の方がよっぽどただの馬鹿だと思うかもしれないでも私はあの男がいない人生を生きていくなんて想像もできないしそれならどうせ死んだ方がましだと思っている引き金を引くと6分の1の確率で銃弾が私の脳髄を破壊するというのは嘘だ実際に銃を口に突っ込んでみればそんなのはすぐに分かる6分の1なんて数字にはなんの意味もなくてあるのは死なないか死ぬの二つで確率は2分の1で私がこの親指を引いたら私は死ぬかもしれないし死なないかもしれないでも死ぬとしても死んだら死んだなんて分からないんだから私は死を体験しない死んだらあの男にもう逢えなくなるのが嫌だなと思うけれどそれも死んだら思わないわけだし本当ところはどうでもいいのかもしれないなとも思うあるのは生きてあの男に私はちゃんと拳銃を口に突っ込んでロシアンルーレットしたのよと報告できるという事だけなのかもしれないそしたらあの男は私の髪を撫でて褒めてくれるかもしれないそうなのよ別に何の心配もいらないんじゃないのじゃあって私が引き金を引いたらカチッと音がしてそれだけで私は無事だった死ななかったし脳ミソも吹っ飛ばなかったヤッターってでも別に思わなかった。

 私は冷蔵庫から烏龍茶を出して一口飲むと、あの男とはもう絶対に会わないことに決めた。
 なぜなら、私は引き金を引いた時点でどっちみち死んだも同然だからだ。
 それは死よりもなお悪かった。
 多くの場合、それは敗北と呼ばれる。

 2011年6月23日木曜日。
 結局のところ情報不足のまま、なんだか分からないままに高速増殖炉もんじゅの作業は行われた。
 作業が失敗すると関西とかもっと広域に渡る地域が駄目になるかもしれない、という話があって、たくさんの人がネット上では心配だと言っていた。
 翌日、作業は無事に終わったとの報告が出た。
 無事で良かったね、という声がネットを駆け廻り。僕はそれでも結局日本という国はもう死んでしまったような気がしていた。世界的に大ヒットしたアメリカABCのドラマLOSTは、飛行機事故で死んでしまった人達が死んだことに気づかないで繰り広げていた物語、とも解釈されるものだったが、それと似たような状況に日本が陥っている気がした。僕達は全員23日に死んでいて、ただそれに気付かない亡霊として共有された幻想を生きているみたいだと。

 これは自戒と自己嫌悪を含めて書くけれど、誰が本気でもんじゅのことを心配していたのだろう。誰もしてなかった。もしも本当に心配で事故があれば関西を失うという危機感があったのなら、敦賀に乗り込んで作業の本当のリスクを調べ尽くし、場合によっては暴力的にでも作業を止めるという判断が必要だった。でも誰もそんなことしなかった。僕はしなかった。心配しても仕方ないとか言ってみんな普通に暮らしてた。

 3.11以前と、実は何も変わってない。
 情報が大事だとか、知ることが大事だとか、もんじゅやばいとか、作ったやつはバカだとか、怖いとか、心配とか、関西終わったとか、そういう盛大な井戸端会議でお祭り騒ぎをして遊んでただけだった。ごっこ遊びだった。日本が終わるかもしれないという”ロマン”の共有だった。

 知ることが大事(知っても何もしないけれど)!
 私は調べました(ネットで検索しただけだけど)!
 私は情報を伝えます(私は伝えたから実行は誰か他の人がやってね)!

 現場以外では原発問題が酒の肴でしかないという現実は現実ではなくて、だから共有された死後の幻想なんだと思う。

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)
三島 由紀夫
筑摩書房


お伽草紙 (新潮文庫)
太宰 治
新潮社



body!

2011-06-23 17:13:38 | Weblog
 一昨日、僕は"nuke isn't, but we are under control"という2ヶ月前に書いたものをブログに載せました。3.11以降、僕は3ヶ月近く何も書かなかったのですが、「京都、大丈夫?」というメールを海外からいくつか貰ったので、その返信のついでにこれを書いていました。日本語では本当にもうなんにも書く気にならなくて、なっても書いてすぐに消して、という状態で、でも肌身から遠い拙い英語でならなんとか長い文章を書くことができた。

 このブログに引用して、それで本当は続きを書くつもりでしたが、したいことが他にあったので、全文を引用して終わってしまいました。
 今日は、一昨日書きたかったことを書こうと思います。

 引用しようと思っていた部分は、「自分が震災のあと変わったように思うけれど、でもどう変わったのかはまだよく分からない」というような部分です。
 最近、それがだんだんと分かってきた。

 僕は、人類は火星には住まないのだろうな、と思うようになりました。
 突然火星とはなんだ、という話ですが、もしも一言で表現するならそういうことです。

 宮崎駿の映画「天空の城ラピュタ」では劇中にこのようなセリフがあったと思う。

「人は大地から離れては生きられないのよ」

 子供の時、はじめてラピュタを見たときからずっと、僕はこのセリフに違和感を感じていました。違和感なんて軽いものじゃない。反感です。
 もしも、人が大地を離れて失敗するとしたら、それは科学がまだ未熟だというだけのことで、もっと科学を発達させれば人は大地に関係なく生きて行くことができる、と思っていた。

 今はもう、そうは思っていません。
 「生存」は可能になるかもしれないけれど、「生活」はそこではできないだろうなと思っています。
 僕達は、たとえテラフォーミングを成功させて、どこかよその星を地球に似た星に作り変えても、きっとそこで幸福な生活を営むことはできない。子供の頃憧れてたスペースコロニーも、たぶん悲しい冷たい世界になる。
 なぜなら、僕達は地球からできていて地球の一部だからです。

 例えば、食べ物を食べる時、僕達がもっとも豊かな満足感を覚えるのは、なるべく天然に近い状態のものを食べた時です。農業技術の発達で、野生種よりも美味しい果物や野菜、交配された家畜の肉なんかもあるし、更にそれを調理して食べるので完全に自然とはいかない。それでも天然に近いことは確かです。
 この先、どんなに科学が発達したとしても、畑で採れたトマト、釣った魚の塩焼き、を超える「人工的な食べ物」は作れないと思う。 味の素と合成香料がいくら発達して、人の味覚が研究し尽くされ、食感の良い素材が開発されたとしても、栄養価がいくら高いとしても、僕達はドラえもんが出してくれる「未来の食べ物」をきっと有難がらないだろう。
 だって、僕達はこの生身の肉体で出来ているから。「ハイテクな未来の超絶においしい筈の食べ物」は、「もしかしたらハイテクな未来の超絶に良くできたアンドロイド」には「おいしい」と言ってもらえるかもしれない。だけど、僕達には、切れば血が出て歯磨きしないと虫歯になるこの不便な肉体を持つ僕達には、それは合わない。
 僕達には大地と海に育まれた食べ物が合う。

 僕達はこんな体で生きてる。
 走ったら疲れるし、せいぜい数十キロの物しか持てないし、空も飛べない、水を飲まなきゃ死んでしまうかと思えば、毎日数回トイレに行かなきゃならない。どんなに頑張っても100年くらいで死んでしまう。年をとるとあちこち悪くなる。ピアノの練習を一生懸命して上手になってもちょっと弾かないうちに忘れてしまう。

 同時に、僕達はこの体でしか味わえない喜びを沢山知っている。
 仮に、「では今からなんでもできる万能の幽霊に(スターウォーズのオビワンとかみたいに)してあげよう。そうすれば肉体の限界からは解き放たれ、空も飛べるし瞬間移動もできるし念力も使える」なんて神様が言ったとしても、それを受け入れたところに多分歓喜は存在できない。
 スポーツも旅行もセックスもデートも食事もお風呂も、全て、身体を通じて喜びをもたらす。肉体の介在しない喜び、なんて想像することができるだろうか。想像することはできるかもしれない。たとえばオビワンみたいになって、どっか遠くの宇宙の果ての綺麗な星を見に行くとか。でも、そこに喜びの実感は伴わないだろう。きっとそれは「綺麗だけど、まるで夢で見てるだけみたい」な感じになるだろう。

 とてもシンプルなことだけど、全ての喜びは肉体から始まる。
 ここがいつも中心だ。
 どんなに化学繊維が発達しても、コットンには永遠に敵わないだろう。コットンは「ここ」にあり、化学繊維は遠くにあり目指されるものだから。「ここ」とは別のところへ向かうものだから。
 僕達は土を離れては暮らせない。火星にも住まない。きっとずっとこの星にいる。これを閉じ込められて窮屈だ、と思うかもしれない。僕はずっとそう思っていた。でも地球を離れると、すこし遊びに行くくらいはいいけれど、長期的に離れると僕達は僕達ではなくなる。肉体から出ては、もはやそれが自分ではないように。
 我々はつまるところ身体と地球という自然によって規定され、かつ、それ故に豊かだ。

私の身体は頭がいい (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋


くさり―ホラー短篇集 (角川文庫)
筒井 康隆
角川書店

nuke isn't, but we are under control.

2011-06-21 10:24:13 | Weblog
"I wrote this article on 24 Apr.2011. Mainly for my foreign friends.That's almost 2 months ago."
_____________________________

My hometown, Kyoto, is far away from the Fukushima and Tohoku regions. There is almost no visible effect from the 3.11 tsunami, earthquake, and nuclear-plant problems. People in Kyoto, they are all spending ordinary days. Going to work, school, supermarkets, and so on.

But we got some effects from this disaster. Deep in our minds. At least for me, everything looks different now. How different? I cannot explain yet. I don't know. In addition, I quit my Ph.D study in the last month. I've studied physics, specifically solid state physics. Now I'm writing a novel. Up until a month ago, being a physicist (or scientist) was the 1st, highest priority in my life as a job. Now it's a writer, writing good long stories, unique stories no other person can write.

Did FUKUSHIMA chang my mind? my dream?
I have no idea. I can not realize that.
Maybe yes, maybe not.

Here, I wanna say thank you so much for you people doing things for Japan.
And very sorry for our not good handling of the nuclear plants.

For a very long time, we Japanese haven't cared about nuclear plants enough.
For a very long time, we Japanese haven't cared about the government's information control.

This time, we realized.
Not on TV, not in news papers, but only on the internet, we can watch many lives, articles.
They strongly show us how "powerful-people" are controlling information. Very clear.
I was such an idiot.
Of course I had some knowledge of that governmental information control.
But I didn't know the control was so, so aggravated.....

Now we know, and we are gonna change this.
Making a new world.

雨の神戸とバルセロナスピーチ

2011-06-16 12:59:33 | Weblog
 シンポジウム会場を出ると、雨が降っていた。今日、雨って天気予報言ってたよ、と友人は立派な傘を持っている。最初のうちはスケートボードを頭の上に掲げてなんとか誤魔化せた雨も、午後が遅くなるにつれ勢いを増し、高架下でラーメンを食べ終える頃には傘が必要な強さになっていた。コンビニエンスストアで傘を買い、メリケン波止場を目がけて靴を濡らしながら歩く。辿り着いたのは倉庫を改造したライブハウス。キャンバス地のスリッポンを染み透った雨が靴下を濡らすことを別にすれば、雨の港町というのも悪くはないな、と思う。

 2010年6月12日、僕は阪急に乗って京都から神戸まで出掛けた。読売ホールで開催された『災害時のリスクとコミュニケーションを考えるチャリティシンポジウム』に参加する為だ。電車の中でツイッターを見ると、シンポジウム出席者の一人である上杉隆さんは福島県から神戸へ移動中ということだった。そのツイートに、僕は自分が京都から神戸へ移動中である旨付け加えてリツイートする。しばらくすると「伊丹なう」と上杉さんのリツイート。一度も会ったことのない人とこういうコミュニケーションが取れるのは、やっぱりツイッターの恩恵だ。2時間後、上杉さんが目の前でいつものパソコンを開いていた。

 この日、僕は友人と南京街で待ち合わせて昼食を取ってからシンポジウムへ行き、その後あるライブを見に行ってから京都へ戻った。帰りの電車の中で、村上春樹さんのバルセロナスピーチについて少しだけ話をした。シンポジウムの内容についても書きたいことがあるし、ライブについても書きたいのだけど、今日はバルセロナスピーチについて書きたいと思う。
 どうしてかというと、僕は彼のスピーチを見たとき、彼が日本人に向かってバトンを投げたような気がしたからだ。そして、僕は日本人の一人として、勘違いかもしれないけれど、それを拾ったような気がする。

 村上春樹さんのスピーチを聞いたとき、最初に思ったのが「えっ、日本語なんだ」ということでした。村上さんは上手に英語を話すことができるし、実際にエルサレムのときは英語でスピーチをしている。でも、今回は日本語だった。国際的に活躍する作家として、多くの人々にスピーチを聞いてもらおうと思うのなら、英語でスピーチするのが最も自然だ。でもなぜか今回は日本語だった。どういうことかというと、今回のスピーチは日本人に向けてのスピーチだったということだ。
 もちろん、村上さんが英語でスピーチをしたとしても、日本語訳は僕達日本人の元に届けられる。だけど、今回はそれでは駄目だった。村上春樹という、これまでメディアへの露出を極端なまでに避けてきた作家は、ここへ来て初めて自分の肉声で日本人に向けてメッセージを発信せざるを得なかったのだと思う。アンダーグラウンドからではなく、この地上で。他の国の人にはメッセージが伝われば良かった。でも、日本人には声を「聞いて」欲しかったのではないだろうか。多分、村上さんはこのスピーチの原稿を完璧に仕上げて来て、それをそのまま一言一句違わないように読んでいる。太宰治が自分の原稿を暗記して編集者の前で諳んじてみせたのと同じように。声を介して、身体を介してしか伝えることのできない種類のものが、きっと存在していて、村上さんは今回それを用いた。

 それでは、村上春樹は、わざわざ日本語で行ったこのスピーチで一体何を伝えようとしたのだろう。語られた文字通りのメッセージは勿論のこととして、他に「戦後日本の書き換え」を図ったというのは大袈裟すぎるだろうか。
 スピーチの中で絶対に無視できないのは、

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 という広島原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉だ。
 村上さんはこれをわざわざ2回引いて「素晴らしい言葉」だと言っている。
 この「素晴らしい」という賞賛に対して、日立ソリューションズ取締役で経済評論家の池田信夫さんをはじめとした何名かの方々が批判をしていた。曰く「原爆に関して日本人は被害者なのに、過ちは繰り返しませんなんて加害者みたいな事をどうして言わなければならないのか」と。

 実は、僕はこの原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉を知らなかった。この言葉がどういう意図でここに刻まれ、どういう解釈が行われ、どういう議論が繰り広げられてきたのかも、何も知らない。でも、きっとこれまで数々の議論や論争がなされて来たのだろうとは想像できる。「原爆と碑文」は戦後の「アメリカと日本国憲法」のやや変則的な雛形にも見える。だから憲法についての議論がずっと続いているように、この碑文についても沢山の議論があるのだろうと思う。

 村上さんが碑文をここに取り上げた意図は、多分2つあると僕は思う。

 1つ目は、このスピーチで碑文を「素晴らしい」と断定的に定義して戦後の意味を変えること。かつてそこに誰のどんな意味が込められていたとしても、どんな議論があろうとも、元々が素晴らしくなかったとしても、「素晴らしい」という言葉で肯定して飲み込み、戦後日本にかかっていた「敗戦、占領、従属」という呪縛を解除すること。村上さんは今の自分の言葉に、そろそろ物凄い力があることを自覚していると思う。国家の現代と未来だけではなく、過去すらも変える力を。

 2つ目は、核や原子力、あるいはもっと広く「効率」や「便宜」の当事者は日本人だけでなく世界中の人々であるということを示すことだ。被害者と加害者という言葉の指定する範囲を拡大して繰り上げること。スピーチの中で、村上さんは「我々」と「我々日本人」を使い分けているように見える。

 少しだけ、スピーチ原稿を引用してみます。

『 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第1発電所は、3カ月にわたって放射能を撒き散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう? 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?(引用終わり)』

 碑文引用直後のパラグラフで、「我々」は日本人のことではなく「誰しも」と書かれている通り「世界の人々」のことだと思う。「我々」という単語には「日本人と世界市民」というダブルミーニングを持たせ、日本人に限定したいときはわざわざ「我々日本人」という書き方をしているように僕には見える。
 もしかしたら単に文章の調子を整える為の使い分けに過ぎないかもしれないけれど、僕はそういう風に思いました。

 もしも、僕の読み方が見当はずれなものでないとしたら、碑文の「過ちを繰り返さない」主体は全人類ということになります。それは日本語で刻まれた、日本語で宣言された全世界の意思表明であった、ということです。66年前にそういう世界宣言はあったということです。そして66年後の今、改めて同じ宣言が、カタルーニャの地で世界に向けて日本語で行われたということです。
 終盤で2度目の碑文引用を行った直後、村上さんは「我々はもう一度その言語を心に刻まなくてはなりません」と言っています。まさに彼はここで、66年前のメッセージを、同じ日本語で、たぶん意味を上書きして、文字通り再び「刻んだ」わけです。66年前のメッセージは、その音が、翻訳された意味ではなく発音そのものが世界に響き渡りました。英語ではなく日本語というヘンテコな耳慣れない言葉を話すHaruki Murakamiではない村上春樹が、それでもやはりHaruki Murakamiとして核についての新しいstoryと物語を世界と日本に対して提出したのです。
 新しい世界が、始まりました。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
文藝春秋


1Q84 BOOK 1
新潮社

awe

2011-06-08 01:26:16 | Weblog
 僕は数年前の一時期ベジタリアンでした。
 元々そんなに肉を食べる方ではなかったけれど、その数ヶ月くらいの間は已むを得ない場合以外、いっさい肉は口にしなかった。理由はいくつかありましたが、一番の大きな理由は殺される動物達の映像を見たことではないかと思います。きっと。の様子や、ブロイラーの鶏が"チキン"になる過程を見て、「僕にはこれはできないし、加担もできない」と思ったのです。

 肉を食べないと人は生きることができない、というのであれば、話は別だったかもしれません。でも、他にも乳製品、卵、魚介類などの動物性タンパク源はたくさんあるので、それなら肉はもういい、と思ったのです。
 魚は自分で釣って殺して食べたことがあって、それもかわいそうなことではあったけれど、そこには悲しみよりも大きな喜びがあり、僕にも可能なことだったので平気で食べ続けていました。

 かつてベジタリアンであった、ということは、今はそうではない、ということですが、どうして肉食を再開したのか、という理由を説明するのは困難です。
 ただ飽きたのだろうとか、ウンザリしたのだろうとか、周囲の人達は概ねそう思っていると思う。そう言われても特に反論はありません。だいたいそんな所です。
 けれど、一つだけ付け加えるなら、殺して食べる、ということの意味合いが自分の中で変化したからでもあるわけです。

 原子力発電所が爆発して放射能が漏れ出してから、各地で原発反対の声が上がっています。
 こんなにたくさん原子力発電の問題点が、工学的なものだけではなく、政治的なものなども含めて表層に出てきたからには、原子力発電は終焉に向かうだろうなと漠然と思います。
 原子力依存をやめて、もちろん化石燃料もやめて、僕達はいよいよ自然エネルギーの時代を迎えようとしているのだと。

 そして、僕はあることに気が付きました。
 いざ作るとなると、自然エネルギーだってそれほど素晴らしいものには見えないということに。
 たとえば、風力発電では鳥がぶつかって死んでしまう等の問題点が昔から報告されていましたが、僕がここでしようと思っているのはそういう話でもないんです。そういった現実的な、科学的な、根拠と合理性に裏打ちされた話ではなく、もうほとんど宗教的な、あるいは感情的なことを少しだけ書いてみたいと思っています。

 僕はこれまでに何度か風力発電の風車を見たことがあります。少なくとも3度、三重県、滋賀県、鳥取県で見ました。白くて大きな風車は、遠目にはクリーンでエコで素敵なものに見えなくもないのですが、実際に間近で見ると大きな風車は少し怖い気がしました。
 僕は小さな頃、高圧送電線の鉄塔が怖くて泣いたこともあるので、そういった特別に臆病な感性の持ち主だと言われても仕方がないのですが、とにかく実際に近くで風車を見るのは、僕にとってあまり気持ちの良いものではありませんでした。そして、こういうものを何百個とか何千個とか、とある地域に建てることは、なんだか自然に対してひどいことのような気がするなと思った。洋上風力発電にしても、海底に杭を打ち込んだり、大きなフロートを浮かべたり、僕はその近くに船で行ったら、きっと海に対して申し訳ない気持ちになるように思います。

 太陽光発電に関しても、同じような思いがあります。
 たしかに、日光を直接電気に変換する太陽光発電は素敵です。でも、僕達がそれを素敵だと言えるのは、たぶん既に自然を切り開いて作った街や道路という「面積」が沢山あるからです。もしも、世界に街だとか既に人が切り開いた土地なんて全然なくて、太陽電池を敷くために森を切り開かなければならないとしたら、あるいは樹々の頭上をパネルで覆わなければならないとしたら、それはそれでまたひどいことになってしまいます。

 結局のところ、人が電気を使って生きるというのはそういうことなのかもしれません。
 原子力でなくても、化石燃料でも自然エネルギーでも、なんだって僕達はこの星のどこかを多少なりとも壊さないことには電気を得ることができない。
 僕はそれにはずっと目を瞑ってきたのだと思います。ちょうど、人々が自分ではかわいそうで到底牛も豚も殺せないのに、殺すのは屠場の人達に任せて自分達はパックされた肉を買うように。

 発電だけじゃない。
 考えて見れば、僕は自分の手で森を開き街を作ることもできないかもしれません。

 大阪の十三から、淀川を架かる十三大橋を渡り梅田のメガロポリスへ入って行く時、特にそれが夜であれば、河の向こうにそびえる高層ビル群のシルエットと街の明かりは独特の感慨を僕達にもたらします。人が創り上げた巨大な街。莫大なエネルギーが注ぎ込まれ、止めどなく変化し続ける人とコンクリートと鉄の複合体。霞んだ空気の中、ビルの縁で一際強く光る真っ赤な航空障害灯が、生物を連想させる有機的なランダムさで明滅を繰り返す。橋を並行する阪急電車は、河面に車内の白い蛍光を落としながら、轟音を立てて水の上を走り僕達を追い抜いて行く。

 この景色を、僕は美しいと思う。
 徹底的に自然を押し殺し、全ての大地をアスファルトで覆い、大気を汚すこの景色を、僕は美しいと思う。それは造形としての美しさを超えたものだ。人類のテクノロジーだとか働きっぷりに対する敬意と畏怖。

 ただ、ここも昔は自然の草原だか森だか何かだった。

 何百年何千年の過去を遡り、そこに広がる草木を見たとき、もしも僕がスーパーサイヤ人みたいな体力とグーグルを遙かに凌駕する知識とミケランジェロのような手先の器用さを備えていたとして、果たして街作りを始めることができただろうか。
 正直なところ、僕は牛や豚を殺せないどころではなく、樹の一本も切れやしないような気がするのです。僕には森や草原を壊して造成して街を作ることはできない。

 もっとも、「なんて軟弱な」と言われてばそれまでだけど。
 映画「もののけ姫」で宮崎駿が描いたタタラ製鉄の村のように、僕達は自然と対立するような形で生きるのが”好き”なのかもしれない。そういう性なのかもしれない。獣を殺して喰らい、樹を切り倒して家を建てるのが人類の営みなのかもしれない。

 それでも、僕には「自分で手を下せ」と言われたら、それはできない。
 樹を切り倒し森を拓くこともできない。
 草原をアスファルトで覆い、地面のその部分がもう空気にも日光にも触れないようにするなんてできない。
 僕は建築も好きだし、そもそも科学が好きだし、テクノロジーが好きだし、都会も好きだし、人の作ったものが本当にとても大好きだけど、でも自分でその最初の「自然を殺す」ところをしなきゃならないなら、全部諦めるかもしれないと思う。
 そこから新しい方向へ発達する科学というのものを、僕達はまだ知らない。コンクリートの都市ではなく、魔法の灯りで夜なお賑やかな森の暮らしを僕達はまだ知らない。

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)
イースト・プレス


冒険図鑑―野外で生活するために (Do!図鑑シリーズ)
福音館書店

94.

2011-06-03 02:13:15 | Weblog
 夜中の丸太町通りを走る車は少ない。夕方に雷を伴い強く降った雨が、地面と御苑の木々にたっぷりとした水分を与えていた。真夜中の木々は光合成を中止して、僕達と同じように呼吸し、水と二酸化炭素を吐き出している。100%に飽和した湿度と、まばらな街灯の落ちる夜霧。
 僕は1日動きまわって音楽を聞くのもうんざりなくらいにクタクタで、ヘッドホンは耳から外して首に掛けたままだ。御苑から溢れでている樹々の匂いと涼しい湿気を吸い込んで、ヘッドホンを付けないとこんなにダイレクトに世界を感じることができるのかと思う。僕は今確実に、ヨギ達が言うところのプラーナを呼吸しているのだろうな、たぶん。

 とても久しぶりにブログを書いています。
 どれくらい久しぶりなのかと、自分のブログを開いてみると、最後に更新したのは2月27日でした。約3ヶ月の間、僕はブログを書かなかったということです。別に3ヶ月間ブログを書かなかったくらい、別に何でもないことではあるわけですが、結構な長期間、ときどきは何かしらの作文を書いていた僕にとって、これは特異的にイレギュラーなことです。少なくとも2005年に書き始めたブログがこんなに長い間空いたことはなかったと思う。

 どうしてこんなに長い間何も書かなかったのか、別に何か単一の原因があるわけではないけれど、それでも僕はやっぱり震災を一つの(控えめに言っても)かなり大きな要因だと言わないわけにはいかない。2月27日にブログを投稿して、それから3月11日に地震が起きた。地震はマグニチュード9.0という史上稀にみる大規模地震で、激しく揺れた後には10メートルを超える津波が東北地方に押し寄せてものすごく沢山のものを破壊し、殺し、洗い流した。そして原子力発電所が機能を失い、数日後に爆発した。

 あれからもう3ヶ月が経過する。
 3ヶ月の間に、多くを失った、そして今だ失いつつある日本は、随分と変わった。僕自身も随分と変わった。震災とは関係のない部分でも、私的な様々なことが起こり、ある意味では僕は3ヶ月前までの僕とは全くの別人だとも言える。
 もっとも、「ある意味では」という便利すぎる言い回しは非常に意味の分かりにくい言葉なので、ある意味では別人だ、ということは、ある意味では別人ではない、ということだけど。
 ある意味では黒は白であり、ある意味では黒は黒である。

 教訓:便利すぎるものには意味がない、かもしれない。

 ある意味では「ある意味ではなんとか」という言い回しには意味がなく、ある意味では「ある意味ではなんとか」という言い回しにも意味がある。

 疑問:そもそも意味とは何か?

 実にキレの悪いことに、実に残念なことに、全てのことには何重にも重なった意味がある。あるいは何重にも重なって意味が無い。イエスでありノーであり、ノーでありイエスである。
 だんだんと、年を経る毎に「分からない」ことが増えていくなとは思っていた。それが、3・11以降、指数関数的に跳ね上がり、飽和した。とてもじゃないけれど、文章なんて書けたものではなかった。書いた先から、今書いたことを消して反対のことを書かないと先に進めないわけだから一行も進まない。じゃあ、何かを書いて、次にその反対のことも書いて、という風に進めればいいじゃないか、と思われるかもしれないけれど、どうやらことはそんなに単純ではないみたいだった。何かを書いて、次に「今書いたものを消す」ということを「書く」必要があるみたいだった。あるいは、「今書いたこと」のまさにその同じ部分に上から重ねて反対のことを書く必要があるみたいだった。いずれにしろ、到底まともな文章が出来上がるという雰囲気ではなかったし、それは文章というフォーマットの外側にあるものを文章の中に収めようとしていた、という意味で元々が不可能なことだった。

 と書いたそばから、もう逆のことを書かざるを得ないわけですが、そういう不可能なこともまるで可能であるかのような気分に、今日歩きながら(もしくはプラーナを呼吸して)なったので、その記念のような感じで、これだけ書いて眠ることにしました。「要は混乱がようやく治まって来たというわけだね」と一言でまとめられても、まあ文句は言えないわけですが、僕としては、言えないことを含めて、まあ実に、それなりに色々と思ったり考えたり体験したりしたわけです。

ソシュールと言語学 (講談社現代新書)
講談社


倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房