制服と定形性。

2009-12-07 20:41:33 | 革命家になろう!
 数日前に書いてアップするのを忘れていました。
_________________________

 前回の投稿で、『制服反対!』ということを声高に書いたところですが、昨日の内田樹ブログにタイムリーなことが書かれていて考え込んでしまいました。

 引用します。
『身体運用の同調はおそらく幼児がもっとも早い時期に興味をもち、かつ訓練されることである。
幼児教育が「おゆうぎと歌」を中心に編成されているのはゆえなきことではない。
同一動作の鏡像的反復は脳内のミラー・ニューロンを活性化させる。
ミラー・ニューロンは「鏡像」との同一化能力を強化し、それはそのまま子どもたちを「主体の基礎づけ」に導く。
初等教育でも、同一動作の反復はあらゆる場面で繰り返される。
これを「心身の権力的統制」とか「馴致」とか口走る人は「主体」の存立を不当前提している。
主体が出てくるのは、ずいぶん後の話である。
まず主体を作り上げなければ話にならない。
とにかくミラー・ニューロンが活性化して、鏡像をおのれと「誤認」するという経験を経由しないと主体は始まらないのである。
中等教育でもだから「標準的な身体運用」が強制される。
他者の身体との同調、共感、感情移入、「鏡像とおのれの混同」を経由してはじめて主体性を司る脳機能が基礎づけられるからである。
個性を消すためではなく、個性が育つ基盤を作るために、「他人と同じ動作」をすることが強制されるのである。
「型にはまった」制服や校則を忌避する少年少女たちが、その一方で、彼ら同士の間では、まったく同じような「着崩し」方をし、まったく同じような髪型をし、まったく同じようなメイクを共有し、まったく同じような口調で、まったく同じような内容の話をするのはなぜか。
それは「個性の追求」ではなく、「型にはめられること」を彼ら自身が希求しているからなのである。
それは必要なことなのである。
だが、定型性は定型性として外部から「強制」されるべきだと私は思う。
「外から強制された定型性」はいつか、子どもたちが成熟し、社会的な力がつけば振りはらうことができる。
だが定型的なふるまいを、それを現になしている主体が外部からの強制ではなく、「自分の意思で選んだもの」であると思い込んでいたら、そこからは出ることができない。
押し付けられた定型からは逃れられるが、自分で選びとった定型からは逃れ難い。
他人にかけられた呪いよりも、自分で自分にかけた呪いのほうが解除しにくい。
学校の機能は子どもたちを成熟に導くことであり、それに尽くされる。
標準的な身体運用を強いること、あるいは外見が同一的であるために自他の識別がむずかしくなるような仕掛けを凝らすのは学校という制度が成熟のための装置である以上、当然のことなのである。 (引用終わり)』

 ここでは主体立ち上げの為の道具の一つに制服がカウントされている。そして主体ができたあとはそこから勝手に出て行けば良い。「押し付けられた定型からは逃れられるが、自分で選びとった定型からは逃れ難い」というのはキーに見える。
 うっかり説得されそうになるような上手な話だ。

制服反対!

2009-12-03 22:21:28 | 革命家になろう!
 今から多少無責任なことを書こうと思う。
 僕は一切責任をとることができない。
 どれくらいのリスクがあるのかもはっきりは分からない。たぶん大したことはないと思う。実際に大抵のことは大したことじゃない。もしもあなたが試してみたいなら、やってみるだけの価値は十分にあるだろう。

 僕が子供の頃したくて、でも怖くてできなかったことだ。
 
 『明日から学校に制服を着ていかない』、というのはどうだろう?

 そう、好きなジャケットやパーカで登校するというのは。

 僕は中学生のとき、みんなが選択の余地無く制服を着ていることがとても嫌だった。そして、別に考えなくても分かるくらいに明らかなことだと思うけれど、別に中学生が制服を着なくてはいけない理由なんて何もない。
 ただ、そう決められていて、みんなそういうものだと思っているだけのことだ。
 こういうのって実に原始的だ。
 吐きそうなくらい。

 正直に書くと、最初は僕も制服が少しは嬉しかった。いかにも中学に上がるのだという感じがしたから。それから、服としても別に嫌いではなかった。
 ただ、だからといってみんながみんな強制的に同じ服を着なくちゃならない、なんてことが正当化されたりはしない。着たい人は着ればいいし、着たくない人は着なくていい。はっきり言って議論の余地なんてないと思う。

 僕は子供の頃とても臆病で、内申書とか教師とかコンサバな同級生のマジョリティーとか目立つと襲い掛かってくる不良達が怖くて私服で登校することができなかった。そんな面倒を乗り越えてまで自分の意見を通すより、別に3年間制服くらい着ればいいと自分に言い聞かせた。面白みのない腐った話だ。
 だけど、やっぱり12、3歳の子供にとって、中学校というのは強大な社会だった。それに僕はまだ無知で高校に行けなくなると人生は随分暗いものになるのだと信じていた。変なことをして悪い内申書を書かれてドロップアウトしてしまうことが本当に怖いと思っていた。やりたい放題やれば良かったとわかったのは大学生になってからのことだ。
 
 もちろん、僕だってそんな制服の恨み辛みを意識しながら生きているわけじゃないから、それを思い出すことなんてほとんどなかった。遠い子供の頃の記憶でしかなくなって、心の奥に沈んでいた。
 ここ数年思い出す回数が増えたのは「制服」に似た物でこの社会の結構な部分が占められているのをありありと見るようになったからだ。みんな嫌でみんな変だと思っているのにみんながそうしているからノーと言えないことが沢山ある。

 短絡的に制服が原因だなんてことは思わない。僕だってそれほど馬鹿じゃない。
 でも、制服は原因ではなくても、逆に変革のトリガーとして活用することができたのではないかと思う。
 もしも、12歳だか13歳だかの僕が、あのとき必死に政治力を働かせて踏ん張って、綿密な根回しである日突然全校生徒の半数以上が私服で登校してくるようなことを起こせていたら、大袈裟だけど世界は変えられたかもしれない。
 半分以上の生徒が「制服なんて馬鹿みたいだから着ません」と言ったら、それを説得する術なんて学校のどこにもなかっただろう。どこかの誰かがいつか決めた「制服を着ること」なんて決まりはあっさりなくなるに違いない。
 ニュースが報道するかどうかは分からないけれど、情報は流れ、これはけして1つの中学で治まらなかったと思う。日本中の中学生が制服を着るのをやめたかもしれない。
 そして、これが一番重要なことだけど、そういうことを体験した世代が、自分達の声で何かを実際に変えた世代が、大人になると世界は違ったはずだ。

革命家になろう!

2009-10-25 12:53:28 | 革命家になろう!
 革命家になるには、ゲリラ戦術も手榴弾もいらない。もちろんゲバ棒も火炎瓶も。マルクスのことだって知らなくていい。
 ただ必要なのは考える力だけだ。

 簡単な掛け算から始めてみよう。2をどんどんと掛けていくだけの単純な計算。

 1x2=2
 2x2=4
 4x2=8
 8x2=16
 16x2=32
 32x2=64
 64x2=128
 128x2=256
 256x2=512
 512x2=1024
 1024x2=2048
 2048x2=4096
 4096x2=8192
 8192x2=16384
 16384x2=32768
 32768x2=65536
 65536x2=131072
 131072x2=262144
 262144x2=524288
 524288x2=1048576
 1048576x2=2097152
 2097152x2=4194304
 4194304x2=8388608
 8388608x2=16777216
 16777216x2=33554432
 33554432x2=67108864
 67108864x2=134217728
 134217728x2=268435456 

 わずか28ステップで2億7千万になりました。
 つまり最も単純かつ都合の良いモデルで考えたとき、毎日一人の人が身近な誰か一人を説得して革命家にすると一人で革命を始めた場合でも28日、一月足らずで日本の全国民に革命家の思想を届けることができます。これはベストな場合だから、毎日は無理だとか、身近にいる人が限られるとか、革命思想が気に食わないとか、そういう実際的な問題をヘビーに考慮して、1年間で日本国民の半数というのはどうでしょうか。
 ここでいう革命思想というのは「理不尽なことやおかしなことにはノー」と言う、というそれだけのことです。「嫌だけど周りの人が従っているから」している
ことをちょっとやめてみるのはどうかというそれだけのことです。毎日1人の賛同者を増やすことで、1年後確実にもっと素敵な国ができると思う。武器を使わずに。

 それに、実際のところ全国民、あるいは国民の半数が革命家にならなくても10人くらいが集まるだけでも同じ職場の中なら随分な影響力を持つことができるし、30人くらいでも教室で、100人くらいでも学年で影響力を持つことができる。ある日突然100人の生徒が「明日から制服着ません」と言い出して実行したら学校はどうするだろう。そういうことが日本のあちこちで起こったら、「スーツ着ません」「サービス残業しません」「風邪だから休みます」「旅行に行きたいので有給取ります」「この書類無駄だと思うのでこれから作りません」「このやり方はお客を騙していると思うのでやめます」って社員の半分が言い出したら、きっと面白いことになると思うのです。

 世界は僕達みんなのものです。この世界で生きているのは僕達で、僕達はこの世界を構成しています。だから国会議員にならなくても、武器を持たなくても、僕達が変わることで簡単に国なんて変えられる。国っていうのは僕達のことで、二つの言葉はイコールだから。とりあえず訳の分からない嫌なことをやめるために、今日から革命家になろう!