きれいな水が大好きな人々。

2008-09-28 11:43:06 | Weblog
 ピーマンを切ると中に茶色のぐにゅぐにゅしたものが入っていて少しびっくりした。病気か何かで中身だけ腐ったのだろうとかと思いながら、料理の途中だったのでそれほど気にしないで捨てたものの、あとで調べてみるとどうやらそれは蛾の幼虫の糞だということだった。つまり僕の捨てたピーマンの中にはイモムシが入っていたらしい。それも結構大きなのが。
 インターネットによれば、タバコガという蛾が、まだピーマンの小さいうちに産卵管を突き刺してピーマン内部に産卵する。そのとき開いた小さな穴はピーマンの成長と共に塞がり、卵はピーマン内部で孵化、閉じられた空間のなかでピーマンの内側を食べて安全に成長するということだ。今までピーマンの中は内側だからきれいだろうし洗わなくてもいいだろうと思っていたけれど大間違いだった。いろんな生き物がいるものですね。

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 アパートの近所にある駐車場で人が倒れていたので見に行くと酔っ払ったおじさんだった。夜も遅いし、もうすっかり外は寒いし、家族も心配しているだろうし、嘔吐物を喉に詰まらせて窒息したりするかもしれないし、面倒だけどコンビニで水を買ってきてなかなか起きないおじさんを起こした。
 朦朧としながら「すみませんすみません」という彼にペットボトルを渡すとき、そういえばクラブでも昔は何度かこういうことがあったなと思い出した。僕達はときどき知らない人に水をあげる。そして水を上げるというのはとても原始的な行為に違いなくて、普段はあまり使うことのない心の奥の方に微かな動きを感じる。それは心の奥というよりは古皮質の奥の方なのかもしれない。まるで僕の知るはずない太古の昔に誰かに水をあげたり貰ったりしたことを思い出すみたいな気分がする。

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 コンタクトレンズで悪戦苦闘しています。苦闘でもないですけれど。
 長い間僕はメダリスト66トーリックという2週間使い捨てのレンズを使っていたのですが、技術は日進月歩なので軽いコンタクトアレルギーもあることだしレンズを換えてみようと思ったのです。
 最近は値段もずいぶん安くなってきたので、1日使い捨てに替えてみたのですが、1日使い捨てレンズは1日というより1回使い捨てレンズだったのでやめにしました。一旦目から外したら、再使用ができないようなのです。だからちょっとレンズを外して目を休めれば新しいレンズが必要になり、目にゴミが入って外せば新しいレンズが必要になり、夜に友達に誘われて出て行くときにもまた新しいレンズが必要になります。だから僕の生活スタイルでは当初見込んでいた2,3倍のコストがかかりそうです。
 そこで、もともとこっちに乗り換えたかったのですがJ&Jアキュビューオアシストーリック2週間使い捨てに変えました。どうしてこのレンズに変えたかったのかというとシリコンハイドロゲルという昔とは違う素材でできていて酸素の透過率が今までよりずっと高いからです。数パーセント良くなったというような小さな話ではなくて5,6倍高くなったという革新的な新素材です。これから全てのソフトコンタクトレンズはシリコンハイドロゲルに移行すると言われています。
 ところが、何故かアキュビューオアシスを着けていると僕の場合6時間くらいで目の内側の方が部分的に充血してしまうようなのです(たぶん一種類しか用意されていないベースカーブが合わない)。最近チバビジョンからシリコンハイドロゲルの2週間使い捨てエアーオプティクスが出ましたけれど、早くトーリックが出てくれないかなと思います。シリコンハイドロゲルは元来親油性の高い素材なので表面を加工しないとコンタクトレンズには使えません。どうやらJ&Jよりもチバビジョンの方が高度な表面加工技術を持っているようなので、そっちを使いたいなと思うのです。特にJ&Jのアキュビューに関しては、アドバンス、オアシスと2種類立て続けに出ていて、今ではアドバンスは消えてしまいオアシスだけになりましたがアドバンスは実は失敗作(ものすごく汚れる)だったという話があります。

bacterial metabolite.

2008-09-27 15:07:23 | Weblog
 納豆を食べるとき、いつも一瞬の躊躇いがあります。においや味の所為ではなく、理由は別のところに2つ。大量殺戮と恐怖。

 パックを開けて、付属のタレとカラシを入れれば、即ち塩分とカラシの殺菌成分で何億という数の納豆菌が死滅するに違いないわけですが、果たしてそんなことが許されるのだろうかと思うのです。高々僕が納豆を食べるという行為のために、そんなにたくさんの命が犠牲になっていいのだろうかと。
 もちろん、そんなことを言えば、手を石鹸で洗うときにも何億という皮膚常在菌が死滅し、鍋にお湯を沸かしても、火を燃やしても、お酒を零しても、天文学的な数の命が消えるわけです。かつて地球に巨大な隕石が衝突したとき、僕達の祖先が成す術も無く死んでしまったように、僕達のちょっとした行為が小さな生き物にとっては大きな惨事と成り得る。そう思うと、少し複雑な気分になって動くことを躊躇う。

 恐怖と書いたのは、果たしてこんなに沢山細菌の住んでいる物体を口にしても大丈夫なのだろうか、という疑いが微かに付きまとうからです。細菌は寿命が短く、かつどんどん増殖するので突然変異の起こる可能性が巨視的な生き物に比べて圧倒的に大きい。だから、毎日どれくらいの量の納豆が日本国内で消費されているのか知らないけれど、中には納豆菌が突然変異を起こして病原性納豆菌になってしまって、食べた人の健康を害するとか場合によっては死んでしまうとか、そういうことがあってもおかしくはないなと思うのです。
 同じことはたいていの発酵食品に当てはめることができて、ヨーグルトとか漬物とか、ときどき変な怖い菌になったりしないのでしょうか。

 と言いながら、僕の冷蔵庫には常に納豆とキムチとヨーグルトが入っています。発酵食品は腐らないと思い込んでいるので賞味期限も無視して。

echo.

2008-09-18 18:43:52 | Weblog
 子供のとき、実家から車で15分くらいのところに評判の良い小児科があった。親子二代に渡る小児科で、評判が良いのは息子さんのほうだった。お父さんの方はもうおじいさんで、大抵の診療は息子が行い、週に1日、午前中だけ父親の診療時間もある、というような感じだったと思う。
 僕は風邪やなにかで咳が出るようになるとそれがなかなか治りきらなくて、このときも咳が治らないということで小児科へ行った。
 診療はおじいさんの方だった。彼は僕の胸に聴診器を当てた後「君は喘息かね?」と聞いてきた。それはどちらかというと僕がする質問にも思えたけれど、どうしてかこのとき僕は「違います」と断言した。診療はそれだけだった。僕は咳止めの薬をもらって帰った。

 最近、風邪だかなんだか咳がでて、またしばらくそれを引きずっていて(こういうのが8週以上続くのを咳喘息というらしいですね。僕はまだそんなに長くないけれど)ふとそのおじいさん先生のことを思い出した。彼は診療のはじめに「君は良い顔をしてるなあ、きっと将来立派な人になる」と言ったのだった。捕らえ方によってはこれは呪いなわけだけど、きっと教育的な配慮として彼はみんなにそう言っていたのだと思う。そして僕は咳をして二十数年前の彼の言葉を思い出す。二十年以上前におじいさんだったわけだから、その先生はもうなくなっているのかもしれない。

 ICレコーダに向かって何かを言うと、僕達の言葉は録音されて、装置が壊れてしまわない限り100年後にだって1億年後にだってそれを再生することができる。当然のことだけど。でもここで何が起きているのか冷静に考えてみるのも悪くない。
 僕達の言葉が遠い未来に再生可能なのは、それはICレコーダの中に入っている記憶素子の状態を物理的に変化させたからだ。そしてその変化はずっとずっと保存され、しかるべき時が再生され、今度は誰かの鼓膜を振動させるだろう。僕達の発した言葉の影響はどういう形であれ未来永劫に渡って残る。録音しなくても同じことだ。一人で部屋の中で独り言を言ったって同じことだ。独り言は大気を振動させ、その人自身の鼓膜を震わせて脳にシグナルを送り行動を変化させる。体の表面、壁、床に微かな振動を生み出す。

 言葉は僕達の一体どこから出て来るのだろう。

CERN.

2008-09-16 15:45:46 | Weblog
 すでにCERNのLHCのことは書いたけれど、先日インドで16歳の女の子がCERNの実験で地球が滅亡することを恐れて自殺したというニュースを読みました。本当になんてことだと思う。

 世界中から優秀な物理学者の集結しているCERNがやると言っているのだから今回の実験は安全です。物理学の知識は皆無だけど怖い話は好き、という人々で変な風に話が盛り上がっているだけなので何の心配もいりません。もちろん実験は未知の世界へ踏み込むものだし、100%安全かというとそうではないと思います。でもどれくらい危ないかというと、バーテンダーが新しいカクテルを考案しようとあれこれリキュールを混ぜていたら未知の化学反応が起こって爆発で店が吹き飛んでしまうかもしれない、という程度のことです。それが心配だというならもう飲みに行くのを控えるしかありませんが。

 以下、CERNのサイトから引用です。
 下につけた日本語訳の訳責は僕にあります。

CERN reiterates safety of LHC on eve of first beam

Geneva, 5 September 2008. A report published today in the peer reviewed Journal of Physics G: Nuclear and Particle Physics provides comprehensive evidence that safety fears about the Large Hadron Collider (LHC) are unfounded. The LHC is CERN's new flagship research facility. As the world’s highest energy particle accelerator, it is poised to provide new insights into the mysteries of our universe.

“The LHC will enable us to study in detail what nature is doing all around us,” said CERN Director General Robert Aymar. “The LHC is safe, and any suggestion that it might present a risk is pure fiction.”

Safety has been an integral part of the LHC project since its inception in 1994, and the project has been subject to numerous audits covering all aspects of safety and environmental impact. A comprehensive report by independent scientists addressing safety issues related to the production of new particles at the LHC was presented to CERN’s governing body, the CERN Council, in 2003. It concluded that the LHC is safe. This report was updated and its conclusions strengthened in a new report incorporating recent experimental and observational data that was presented to Council at its most recent meeting in June 2008. This new report confirms and strengthens the conclusion of the 2003 report that there is no basis for any concern about the safety of the LHC.The CERN Council is composed of representatives of the governments of the 20 European Member States of CERN.
The report was prepared by a group of scientists at CERN, the University of California, Santa Barbara, and the Institute for Nuclear Research of the Russian Academy of Sciences. The papers comprising the report have been accepted for publication in leading peer-reviewed scientific journals. The report was reviewed carefully by the Scientific Policy Committee (SPC), a body composed of 20 independent external scientists that advises the CERN Council on scientific matters. Five of these independent scientists, including one Nobel Laureate, examined in detail the 2008 report and endorsed the authors’ approach of basing their arguments on irrefutable observational evidence to conclude that new particles produced at the LHC will pose no danger. The full SPC agreed unanimously with their findings.

“The LHC safety review has shown that the LHC is perfectly safe,” said Jos Engelen, CERN’s Chief Scientific Officer, “it points out that Nature has already conducted the equivalent of about a hundred thousand LHC experimental programmes on Earth – and the planet still exists.”

 ”ビーム始動前夜;セルン、安全性を繰り返し強調する”

 2008年9月5日ジュネーブ。
 ジャーナル・オブ・フィジックスGに本日、以下の内容が発表されました。それは核物理学、素粒子物理学の観点から見てLHCは全くもって安全だと言うものです。LHCはSERNの新しく最も重要な研究設備であり、世界最高出力の粒子加速器として、宇宙の謎を解明する新しい知見を与えんと意気揚々たるところです。

「LHCを使えば自然のもっと詳しい仕組みが分かるだろう」とCERNのRobert Aymarは言う。「LHCは安全だし、危ないというのは全くの出鱈目にすぎないよ」

 安全性は1994年にLHC計画が始まったときから最重要視されていて、計画は安全と環境に対する影響をあらゆる方向から検討するたくさんの監査の下にずっと置かれている。LHCで新しい素粒子を作る事の安全性を評価する独立した科学者グループが、2003年のSERN協議会で包括的レポートを出している。その結果はLHCは安全であるというものだった。このレポートは新しい実験観測結果を取り入れ更新され、最近2008年6月の会議で再び報告されたが、それは2003年のLHCは安全であるという結果をさらに強固なものにする内容だった。ちなみにCERN評議会は20のCERNに関わるヨーロッパ各国からの代表者で構成されている。

 そのレポートはCERN、カリフォルニア大学サンタバーバラ校、ロシア核物理学研究所の科学者達がまとめあげたもので、主要な査読審査付き科学雑誌に載った論文を元にしている。さらにレポートはCERNの科学サポートである外部の20人の科学者よりなるSPCによって細かくチェックされている。一人のノーベル賞受賞者を含むSPCメンバーの5人が2008年のレポートを詳細にわたり検討し、反論の余地がない観測結果に基づく結果としてLHCによる新粒子生成が安全であると認め、SPCの全員がそれに賛同している。

「CERN安全調査報告の結果はLHCが完全に安全ということを示している」というのはCERNのJos Engelenだ。「それから、自然はこのLHCでの実験に相当することを地球上ですでに10万回くらいやってるんだけど、でも我々のこの星はまだちゃんとあるよね」

1234.

2008-09-16 13:07:10 | Weblog
 糺の森を一陣の風が吹き抜けると、黄色くなりかけた広葉樹の葉が至る所から落ちてくる。それはまるで夏の終わりを告げる雨のようだ。まだ蒼い緑の木々を背景に黄色い無数の葉がくるくると落下し、所々差し込んだ真昼の太陽でそれらは黄金色にすら見えた。
 森を抜けて開けた空の下へ出ても、空気は涼しく、そろそろ南中を迎えた太陽光線も肌を焼きはしない。産卵期を迎えた名も知らない蝶が僕と同じ進行方向へしばらく進む。彼らにとっては秋こそが頂点の季節なのだろうな、と少しの感傷を捨て去ってふらふらした軌跡を目で追いかけてみる。

 今年は秋の訪れが寂しいとは思わない。ある人はそれは歳の所為だという。たぶんその通りなのだろう。あるいは季節というのはそんなに本質的なものではない、ということが分かってきたのかもしれない。あの人がいれば寂しくないし、あの人がいなければ寂しいという只それだけのことだ。そういうことを知っているから人々は極北の地でも乾いた大地にでも住み生きる。太陽の高さは生存可能な範囲であればそれでいい。僕は文句も言わず長袖を着て、マフラーを着けようと思う。

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 Oが国に帰るのではなくドイツに行くという。一昔前はアメリカを目指す研究者が多かったけれど、最近はヨーロッパの重要性がより高まっているらしい。そういえば僕の日本人の友達ではこの秋からの人も含めると5人が海外にいるけれど全員行き先はヨーロッパだ。
 僕は海外に行きたいという希望がそんなにないけれど、あっけらかんと未だにアメリカが面白そうだなと思う。かっこつけてオーストリアとか言いたいところだけど。
 

 

flower-children's.

2008-09-15 17:26:46 | Weblog
 上賀茂へ足を踏み入れたのは久しぶりだった。夕飯を食べた後、上賀茂神社の前を通ると”こどもまつり”が行われていて、僕達はすこし覗いてみることにする。神様に踊りやなんかを奉納するための舞台に、良く分からない男の人と女の人がいて何かを演奏していた。女の人は絵本を手にしていて、舞台のすぐ前に茣蓙を敷いて座っている子供達に両開きにしたページを見せている。気前良く広がった芝生の上に人々が座ったり寝ころがったりしてステージを眺めている。空気は完璧な涼しさで、空には計算されつくした角度の満月が昇っていた。小さな兄が芝生の上できれいにでんぐり返り、さらに小さな弟は不器用にでんぐり返る。彼らは母親の後ろを着いてはしゃぎ回っていた。青い月明かりの中、所々ひかえめに座った恋人達がその様子を眺め、目を遠く伸ばせばやせてメガネを掛けたまだ若い父親が赤ん坊をあやしていた。

 舞台の上でよく分からない男の人はギターを置き、それから岩笛を取り出した。僕は昔見た岩笛吹きのおじさんが「岩笛には魔力があるから太陽の光の下でしか吹いてはいけない」と言っていたことを思い出したけれど、その良く分からない男の人はお構い無しに岩笛を吹き始めた。神社の中なら魔力も恐れなくていいのかもしれない。それはきれいな音で満月の夜にはふさわしいような気もした。

 岩笛の演奏が済むと良く分からない男の人と女の人は挨拶をしてステージを降り、今度は良く分からない若者の男女が出てきて男はギターを弾き、女はゆっくりとした歌を歌った。

 さて、ここまではよく分からないけれど地域のささやかな満月のお祭りと言える。雰囲気をガラリと変えたのはこの後に出てきた還暦前後のおじさんたちグループだ。何とかさんという人は”ケメコの歌”というのを歌って40年くらい前にそれなりに活躍していたらしい。あとの4人のおじさんたちも大ベテランで演奏はとても巧い。子供向けにか「世界に一つだけの花(?)」をギターの他マンドリンとバンジョーで演奏してくれてそれはもうクオリティーが高くて僕はじっと聞いていた。

 おじさんはMCも手馴れたものだった。「8時で音を出すのはやめてくれって言われているのですが、あと1分で8時ですね。でも、まあいいじゃないですか。あと2曲くらいやりましょうよ。年がばれてもいいじゃないですか。みんなで歌いましょうよ」

 そろそろ飽きてきて神社の出口へ向かう僕らの背後から「なごり雪」が聞こえてくる。夏の終わりの満月に春が来て君はきれいになった。右手にある駐車場に何台かのバスが止まっていて、水銀灯のオレンジ色がそれらをぼんやりと照らしている。映画「パッチギ」のバスをひっくり返すシーンを思い出す。60年代という単語が頭の中から消せない。おまけにここは京都だ。

 60年代にヒッピーだった人たちが、今ではすっかり社会の高い地位に納まって、あの頃の文化を再現する力を持ち、僕達はときどきそれらに触れる。そういうものを見ていると世代というものについて考えざるを得ない。


Inovel.

2008-09-11 16:21:44 | Weblog
 高校生のとき、変なことに気が付いた。それは「自分の状況を頭の中で作文に仕立て上げてしまうとなにやら許されそうな気がする」ということだった。たとえば万引きをする場合(僕は一度もしたことがないけれど)、

 浄水器の交換フィルターを持って、ついでなので僕は店の中をうろうろ見て回ることにした。最近この店では売られている電球の種類が減ったなと思いながら300ワットのハロゲン球の値段を確かめていて、それでふと「僕が今この電球とフィルターを持ってお金を払わずに店を出たら誰か困るのだろうか?」と考えてみた。絶対に誰かが困るのだろうけれど、当面は特に誰も困りそうな気がしなかった。しばらく考えているとレジでお金を払うという行為には何の意味もないような気がしてきた。人がいないことと防犯カメラがないことを確認して、僕は無造作にそれらを鞄に放り込んだ。

 なんて作文を頭の中でしながらだと、なんとなくそれはそれでいいような気分になる。私小説というのはもしかした最強の言い訳というか自己を正当化する手立てかもしれないなと思った。
 このとき僕は一人で学校から家へ帰るところで、坂道を下りながら「文学ってもしかしたら誰かの言い訳なのかもしれないな」と思ったのを今でも良く覚えている。それから僕は誰かが自分のことを語るとき細心の注意を払うようになった。語るという行為には謎の力がある。どんな生い立ちであろうと、「語られる」とそれは物語になり僕達は必ずそれを許容する。許しというのはとても大事なことだけど、どこまでその魔法を使っていいのかよく分からない。

 


Pink Pijeon PoP uP to my Place.

2008-09-11 14:26:33 | Weblog
 CERNでLHCが稼動し始めました。僕は完全に専門外だけど、それでも少しワクワクします。ブラックホールが生成されて地球が飲み込まれてしまう、といった可能性はSERNがやると言っている以上ありません。ネットでごちゃごちゃ騒いでいる人がいるけれど、その人がCERNの科学者に面と向かって議論できるほどの人だとは全然思えない。
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 ドイツへ留学しているYちゃんがバケーションで京都に遊びに来ていた。この間見つけたばかりのインド料理屋へ行ってご飯を食べて帰ると、インド通のYさんにあの店はギーの代わりにマーガリン入れてるから偽物だと言われる。
 Yちゃんがお土産にくれた熊のキーホルダーを見ていると、付いてたタグに色々な国の言葉で何かが書いてある。一つは英語だったので、英語を元にして他の知らない言語の言葉を読み解いていくと、トルコ人のOの名前と同じ文字列を発見する。対応する英語はindependentだったので、その熊を研究室に持っていってOに「Oの名前ってindependentなの?」と聞くと「そうだ、英語で言うと笑えるけれど」と返事が帰って来た。トルコの政治情勢の関係で30年くらい前に生まれた男子は「独立」君が多くて、女の子は「活動」ちゃんが多いらしい。あと「革命」とか。
 僕はただでさえ英語が良く喋れないのに、さらにこのときトルコ土産のナッツを食べていたので口の中がガリガリうるさくてあまり説明を聞き取ることができなかったけれど、トルコは結構複雑な政治環境を持っているようだった。こういう形の帽子を男は被るって昔決まっていたけれど、それが禁止になって次はこういう形の帽子を被らなくてはならない時期があった。と彼はホワイトボードにイラストを書いて説明してくれた。トルコは最近イスラム教のスカーフを大学に付けて行くのは良いか悪いかで揉めていたけれど(そのときOは”スカーフが今国内で最も熱い議題だ”と言っていた)、人というのは本当に色々なことを話しあうのだなと思った。
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 2008年9月9日火曜日
 この間イカルがいた3階の屋根に、今日はピンクのハトがいた。お米を少しやると喜んで食べる。色は全身が本当にきれいな薄いピンク色だ。昼間に見つけて、夕方見るとまだ同じ場所にいる。窓から覗くと首を傾げてじっとこっちを見る。夜になって帰る支度をしていると廊下でバサバサという音がするので、ドアを開けてみると案の定ピンクのハトが窓のところにとまっている。建物の中に入ってくるのは困るので、僕は傘で追い払おうとしたけれど一向に逃げる様子がない。恐竜のように首を伸ばしてこっちをじっと見ている。傘をバッと開いて驚かせるとようやく窓の外側まで移動したものの、そこからまたこっちを見ている。もう一度傘をバッとやるとやっと屋根の上へ飛んでいった。
 自転車に乗って、建物の外を見上げると、ピンクのハトは屋根の上にじっととまったままだった。変なハト。

unsounded.

2008-09-06 13:18:59 | Weblog
 爆音を鳴らしているスピーカーの前で犬が眠っている。高く何段にも積まれた巨大なスピーカーに比べて、小さな丸くなった犬はそれでも存在感があった。M君が「犬は本当は僕達よりずっといろんなことを分かっているんですよ」と言った。さっきスコールみたいに降った雨のせいで地面はぬかるんでいて、犬の毛にもいくらか泥が付いていた。僕は汚れすぎたスニーカーを洗いに川へ飛び込む。雨上がりの穏やかな太陽が川面に差し込み、背後では昨日の夕方からぶっ通しでDJをしているゴアギルのサイケデリックトランスが鳴っていた。

 もう3年も前の夏のことだ。
 あの頃を振り返ると自分がずいぶん変わったような気がする。同時に何も変わっていないような気もする。クラブの中を窮屈に感じはじめた僕は2000ワットの発電機を買って、スピーカーとアンプとミキサー、ラップトップ、プロジェクターを持って鴨川へ行った。発電機はマキタの中古でものすごい騒音を立てたけれどプラグを交換したおかげでいつでも十分な電力を供給してくれた。それも今は祖父の家の離れにしまいこんだままだ。プロジェクターは片付けを手伝ってくれた友達が酔っ払っていて2回くらい地面に落ちて壊れた。分解すれば簡単に修理ができそうだけど、これもそのまま放ってある。ラップトップは保津峡でパーティーをしたあと湿気の所為で壊れ、ハードディスクから吸い出したデータは名前が文字化けしていてどれがどれがさっぱり分からなくなった。

 話はまた高木正勝のことになるのですが、竹市さんとの対談の最中、高木さんが話しているのを聞いてなんとなくそういうことを思い出しました。僕は音楽について真剣に何かを考えるといった種類の人間ではないけれど、昔、清野栄一さんの本を読んだ頃は音にある力のことが気になっていた。

 竹市さんが「芸術は自由だからうらやましい」と言ったのを受けて、高木さんは「僕の場合はそうでもなくて、色でも音でも結構決まりの中で作っているような気分がします」という感じのことを答えた。どの地域へ行って土着の音楽を聞いても、この辺(耳の高さ)で鳴っている音楽は違うけれど、もっと上の方で鳴っている音は同じだと彼は言った。ある土地で現地の人が現地のチューニングで弾いていたギターを受け取り、普通のチューニングに合わせて弾くと悲しいくらい音が響かなかったらしい。僕達は人類共通のある種類の音をこの世界から引き出したくて、場所に応じて違う音楽を作ったのかもしれない。
 高木正勝という人のモチベーションは「人類が最初に楽器を鳴らしたときにどんな音がしたのかを知りたい」というものだった。これは僕の知る限り音楽家としては珍しい方向性だと思う。人を感動させたいとかきれいな物を作りたいとか、単にそういうことではないようだった。それを聞いて僕はやっぱりこの人の音楽は信用してもいいのだろうなと思いました。

our vegetables are all organic.

2008-09-01 14:51:42 | Weblog
 夕方に少し眠っていると夢を見た。どこだか田舎の家へ行って、帰ろうとするとおばあさんが「炊き立てだから少し食べなさい」とお米をくれて、それがあまりにおいしくて僕は目を覚ました。
 起きると時計は6時を指していて、僕は完全に空腹だった。調理も買い物もせず、今すぐに何かを食べたいという種類の空腹だった。なら一分で行けるコンビニエンスストアへ行って食べ物を買えばいいのだけど、そういうわけにも行かなかった。夢のせいだ。僕はもっとちゃんとしたものを食べたいと思う。

 夢のことを少し考えてみると、そのお米を食べたときに感じた「おいしい」は去年の山水人で食べた五穀おにぎりか何かの味だと分かった。とてもお腹が空いていた所為か、そのおにぎりと、セットになっていた焼きうるめは強烈においしかった。
 なんだろう。去年の山水人でもっとも印象に残っていることはもしかすると食べ物かもしれない。音楽イベントに行って食べ物が一番印象的だったというのもどうかしているけれど、1年間という記憶のフィルターを通してみると、実際に浮かんで来るのは食べ物のことばかりだ。

 僕は特にオーガニックだと言って騒ぐタイプの人間ではないので、多少は気にするもののそれほど食べ物に気を使ってもいない。たとえば僕の妹夫妻はスーパーに売っているベーコンなんて絶対に口にしないといった感じだけど、僕は平気で食べる。スナック菓子だって大好きだし、へんてこなジュースも飲む。マクドナルドもケンタッキーも食べる。
 山水人ではイベントの性格上「オーガニック」な食べ物の屋台が多いわけだけど、僕としては毎日の食事ではなくほんの数日間口にするだけのものだから別にオーガニックでも農薬使っててもなんでもいいやという気分でした。ただ、あの会場では普段の生活とは逆にオーガニックではない食べ物を買うことの方が難しいような感じだったので、自然とオーガニックな食べ物を買い求めることになる。

 思い返してみると、それらは大抵ものすごくおいしかったかもしれない。僕はあまり食べ物に対する執着がないけれど、夢から目を覚ましたときあれらの食べ物を渇望していた。だからコンビニエンスストアなんかに行くことはできなくて、結局定食を食べに行った。でも、定食屋で別にオーガニックな五穀ご飯を食べたわけではないし、欲求は満たされなかった。ただ栄養学的な栄養が補給されただけだ。

 物を食べているときに「物を食べているな」と感じる食べ物を、普段は食べることができない。すこし手触りが粗く、でもしっくり来る食べ物を手に入れるのは難しい。僕達が外食やスーパーで手に入れて口にする食べ物の大半はストレートではない感じがする。そう思うと生命から阻害されているようなとてももどかしい気持ちになった。