緑色した海底砂に真っ赤なジェットドール。

2006-10-31 15:45:10 | Weblog
2006年10月30日月曜日

 昼下がり、クリーニングへ出していて毛布を取りに行き、その帰り道、自転車に無理矢理毛布を載せて運んでいると、一軒の空き家があった。こんなところに空き家があったのか、住めないものかな、と思って、ぼんやり表から眺めていると、向かいの家に住んでいるらしいおばさんが買い物から帰ってきて、自転車を門の中にしまい始めた。僕は空き家の持ち主を知らないか尋ねようと思ったけれど、なぜか逡巡してしまい、聞くことができなかった。
 そのあと、家の近所にある別の空き家を通りかかると、今度は隣の隣の家の人が、表で掃き掃除をしていたので、僕はその初老のおばさんに空き家のことを尋ねてみた。すると、あの家は私も知っている人のものだけれど、まず貸してはくれない、ということで、そのあと、実はその方面に明るいらしい彼女は今までに見た色々な個人間の不動産賃貸にまつわるトラブルを例に挙げ、個人的に空き家を探してそこの持ち主と交渉することには結構なリスクがあること、不動産屋とて伊達にお金を取っているわけではないこと、などを教えてくれた。「まあ、私の言ったことも頭の片隅に置いて、ぐるっと色々探してみたらいいと思います」「どうもありがとうございました」「どういたしまして、がんばってくださいねえ」

 不動産の賃貸というのは良く考えてみると奇妙なものだ、借りるほうの人間は、借りている間は(壊したりしない限り)自分のものだと考えるし、貸すほうはあくまでも貸しているだけで私が所有しているのだ、という意識がある。甲乙両人のその場所に対する「私のもの」意識がクロスオーバーする。

 このおばさんに教えていただいたことは、僕の意識に結構な変容をもたらした。今まであまりリスクのことを考慮に入れていなかったし、リスクとリターンを秤にかけた場合、たかだか住む場所のことでそんなリスクを背負うこともないな、と思う。今のままでも別に取り立てて困りはしない。

 翌日上海へ発つIが研究室の下まで会いに来るとらしいとOがいうので、いそいそとエレベーターを降りると、単にここで会うだけではなく食事に行くということらしく、そのままLさん、Jさん、Yさんと合流し祇園の中華料理屋へ行く。
 そのあとLさんの家へ移動してお酒を飲み、僕はここではじめてカイコを食べた。Lさんは韓国人で、韓国ではカイコの缶詰が売っている。虫を食べたのは初めてで、どの程度の抵抗があるのかと思っていたら全く平気だったので自分でも吃驚した。

 僕は約束があったので1時頃にIとお別れをし、Lさんの家を出てメトロへ行き、Kと僕の連絡がうまくいかなったせいでゲストで入ることができなくて正規料金を払って入った。DがKと僕の3人で何かをしたいとしきりに言うので、僕は自分のビジョンがたぶんDのそれとは食い違っているのではないかと思って、ちょっと真剣に話をしようかと思ったけれどうるさいのや何やらでできなかった。
 3時にきれいに切り上げて、MとKちゃんと一緒に帰る。

庭先トリップ。

2006-10-30 17:10:36 | Weblog
2006年10月21日土曜日

 Y亭にて今期初鍋、超満員の部屋の中は二つの鍋でとても暑い、と思っていたら窓際の人は寒いくらいだと言う。
 帰り道、少し雨が降る。そういえば今日は鞍馬の火祭りと時代祭りだそうだ。鞍馬の火祭りは去年行って、同じよう雨に降られた。丁度一年。


2006年10月25日水曜日

 夜8時から大文字登山。
 Mちゃんとはクラブ以外のところではじめて会う。
 12人の人間が話をしながら、懐中電灯片手に真っ暗闇を歩くのは、「ホビットの冒険」をどことなく連想させた。そんなシーンはなかったと思うけれど。懐中電灯って素敵ですね。
 帰りに公園でフリスビーで遊ぼうとしたら暗すぎて見えない。地面に落ちる音を聞いて初めて相手がどこに投げたのかが分かる始末。


2006年10月27日金曜日

 中国からの留学生Iが今月末で日本を発つので、お別れ会バーベキュー。
 暗いのは嫌だ、ということで発電機を出すことにし、どうせ発電機を持っていくのならスピーカーも、じゃあプロジェクターも、ということになって初期の中洲パーティーそのものになる。
 いかにもお別れ会らしいのは苦手なので、特別なものは用意しなかったのだけど、Mちゃんがキャンドルを用意していてくれたので、それらしい儀式めいたことができた。
 これを書いている今日Iにはもう一度会うけれど、次はいつになるのか分からない。ただ、上海というのは実際のところそう遠くでもないし、僕たちはまた会うことになるだろう。
 片付けに車を使わなかったので、みんなが荷物運びを手伝ってくれてとても助かった。最初何往復かする覚悟だったのが、一回で全部済んだ。ありがとう。


2006年10月28日土曜日

 1時半から御所でバドミントンとフリスビー。
 Kは前日のバーベキューお別れ会に参加して片付けも手伝ってくれたに関わらす
、「朝8時に起きてサンドイッチ作った」というタフネスを発揮する。僕は朝の5時に眠って起きたら12時半だった。
 力いっぱいバドミントンをするとT君の持ってきてくれたラケットのガットが切れてしまった。しかもラケット2本も、ごめんなさい。
 I君が投げたフリスビーが、柑橘系の実のなっている木の随分と高いところに引っ掛かってしまい、お茶のペットボトルをぶつけて取ろうとしていると、投げ上げたお茶まで木の上にのってしまった。
 その様子を近くで男の子とサッカーをしながら見ていたお父さんが、「このボールを使ってください」とサッカーボール片手にやってきて、「いえ、そんな、ボールまで木にのってしまいますよ」と遠慮する僕らを尻目にサッカーボールを投げ始め、サッカーボールが何度か命中するがフリスビーは一向に落ちる気配がない。
 そこへ、小さい女の子3姉妹とその両親が通り掛かり、女の子は「わあミカンだ」とおおはしゃぎしてお父さんに肩車を頼み、ミカンをもぎ取ろうと木の枝を引っ張る。その振動でお茶が落ちてきて女の子に命中しては危険なので、僕は「すみません、ちょっとそんなことをするとお茶が落ちてくるかもしれないので危ないです」と事情を説明して、木に引っ掛かったフリスビーに興味をそそられた姉妹は、隣の木にちょっと登って、「ここにもう一本木があったら簡単にとれるのにね」とあまり意味の分からないことを言い出したので「そうだねえ」と僕は適当に頷いて、サッカーのお父さんは再びボールを投げた。
 僕のフリスビーというのは普通の円盤ではなくて、ちょうどドーナツのように穴が開いていて、そこが枝に引っ掛かってしまったのですが、「ミカンを一つとって、それに紐を付けて投げ、フリスビーの穴の中に通せば紐を通じてフリスビーがとれるのではないか」という作戦を僕たちは思いつき、ちょうどぼろぼろではあるもののビニル紐があったので、それを用いてI君T君Kがひも付きミカンを作りだした。僕はそのプランを姉妹に説明し、すると長女らしき女の子が「ミカンに紐付けて投げるんだってー、穴に通すんだってー、無理に決まってるのにー」というようなことを父親に笑いながら言うので、僕は「ちょっと笑わないでよ、真剣なんだから」と弁解した。
 そうこうするうちに「できたー」とI君が紐付きミカンなる謎の物体を持ってきたので、それを何度か投げていると、多分5投目くらいでミカンは見事にフリスビーの穴を通過し、我々は無事にフリスビーを回収、さらにはその弾みでお茶のペットボトルまで回収することに成功した。僕は姉妹に向かってガッツポーズをしてちょっと得意げな顔をしてやった。サッカーのお父さんは「おめでとうございます」と言ってくれて、僕は「お騒がせしました。ありがとうございます」と言った。


2006年10月29日日曜日

 Cちゃんとご飯を食べていると、テレビに若年性認知症の人が出ていて、思わず泣きそうになった。たぶんテレビを見ていたのが一人でだったならば、僕はどうしようもないショックを受けていたと思う。

 僕たちは忘れる。
 アルツハイマーではなくても、僕たちは色々なことを忘れていく。もちろん、忘れるという機能がメリットである場合も多々存在するだろう。だけど、本質的に「忘却」という言葉には悲しさと狂おしいまでの喪失感が伴う。

 僕は基本的にハッピーエンドでない物語が嫌いだという、どうにも幼稚臭い性格を持っているのだけど、もっとも嫌いな悲しい話の終わり方は、「忘れてしまう」というやつです。
 たとえば、子供向けの漫画か何かで、主人公たちがどこか異次元みたいなところで地球を救う大活躍をして、そのあと、残念だけど記憶は消さねばならない、みたいな変な掟か何かのせいで記憶が消されて、ともに戦った仲間なのにもはや他人のように学校ですれ違う、といった終わり方です。
 僕たちの頭に残された記憶と、彼らの失った記憶のギャップで、僕たちは悲しみを受け取らずにいられない。

 基本的に、人間というのは記憶を作るために生きている。
 記憶というのはその人のアイデンティティそのものだ。

 忘れるのが怖いと、彼は語り、いずれは妻のことすら忘れてしまうであろうことを自覚していた。
 それはぞっとするほどの恐怖に違いない。

 ただ、僕たちは一度正しく書き込むことに成功したならば、想像以上の量の記憶を脳に詰め込むことができるし、それは消えない。きっかけさえ与えてやれば、たいていのことは思い出すことができる。
 だから、人は写真をとり、日記を書く。写真をとるという行為は、今を忘れているであろう未来の自分を見越した行為であり、写真をとる瞬間、今はすでに過去にある。

 僕は照れくさくて、カメラを持っていてもあまり写真を撮らないので、随分とたくさん後悔しています。
 だから、これからはせめて日記くらい小まめにつけようと思う。

色彩の回転する洗濯機の平和的な利用。

2006-10-26 15:40:05 | Weblog
 夏の間ベランダに巣を張っていたクモがいなくなった。

 そのクモは僕の洗濯機とベランダの手摺との間に巣を張っていて、そこに住まれては布団が干せないということになってしまうのだけど、僕はクモがそこに住むことを容認していた。ベランダは部屋の東側にあり、夏の朝は強い日差しが当たる。僕は顔に熱い日の光を感じて、その耐え難さに目を覚ます。だけど、クモは身じろぎ一つせずに、澄ました顔をして、やっぱりそこにあった。
 僕は彼にモーガンと名前を付けた。

 モーガンの巣は片一方が洗濯機に繋がっているので、僕が洗濯機を回すと彼の棲家は大変な勢いで振動した。でも、モーガンはやっぱり涼しい顔をして、もはやゴミがたくさんくっついた巣の真ん中でじっとしていた。

 僕は毎日のように洗濯機の振動に揺られ(特に脱水のとき、それはもうひどいものだ)、焼け焦げるような日の光で曝されるモーガンは、ひょっとするともう死んでいるのではないかと時々疑った。
 もちろん、クモは死んでしまうと足が内側に曲がるので、生きているか死んでいるのかは一目瞭然であり、そしてモーガンは一目瞭然に生きているはずなのだけど、でもその環境はあまりに苛酷すぎるのだ。僕が顔に浴びるだけでも熱い太陽光線を、モーガンは全身で浴びている上に、いつどこでどのように水を飲んでいるのかまったく分からない。数時間で干上がって死んでしまうほうが当たり前に見えた。洗濯をするとき、僕はときどきモーガンの巣に水滴を落としてみた。もしかするとモーガンがそれを飲むのではないかというのと、もう一つは彼の生死を確認する意味合いがあった。モーガンは水が命中するとピクリと動いたけれど、取り立てて騒ぎはしなかった。むしろ迷惑そうだった。僕は水をかけるのをやめた。そんなことをしなくても生きている証拠にモーガンはどんどんと大きくなっていった。

 モーガンがいなくなったのは、いまいましい蚊がほとんどいなくなった秋の始まりのことだ。鳥に食べられたのか。どこかへ旅に出たのか、僕には分からない。
 窓の外をみると、そこには主がいなくなり、廃墟と化したモーガンのゴミだらけのクモの巣がだらしなくぶら下がっていた。それは夏の間干せないでいた布団を干す絶好のチャンスでもあったが、僕はモーガンの巣をそのままにして、いまだに布団が干せないでいる。

緑の豊かな未来都市。

2006-10-23 19:16:06 | Weblog
 先週のいつだかKとJと昼間に御所でバドミントンやフリスビーをして、それ以来やけにフリスビーが欲しかったので昨日フリスビーを買いました。エアロビーという航空力学的に計算された形状のもので、僕が買ったのは小さい方ですが、大きいほうは400メートルも飛ぶそうです。僕は実は同じものを子供の頃にも持っていて、人生で2回同じものを買うのはなんとなく気が引けたのですが、もう実家にもないだろうし、思い切って買い直しました。まさかまた同じものが欲しくなるとは思いもしなかった。

 Jはハンガリー人の女の子で、何の研究をしているのか聞くと「日本社会における性差」などと恐ろしいことを言うので、最初僕はウーマンリブの人なのかと思ったのですが、特にそんな様子もなかったので安心した。
 ただ、僕が shit とか stupid とか上品ではない言葉を使うとなんとなく気分を害するようだし、少しだけ言葉に気を付けてなるべく上品に話をすることにした。

 とは言うものの、僕はネイティブでもないし、良く訓練されているわけでもないので、一体どのような言葉がどの程度のインパクトを持つのか、どれくらい下品なのか、ということを正確には判断できない。shit なんて、みんな日常的に使っているし、たとえば僕の英語会話に最大の影響を及ぼしているであろう「フレンズ」では、shit は別に普通の「しまった」みたいな感じに見えた。でも、確かグーニーズでは母親にそんな言葉を使ってはいけないと怒られていた。さらにグーニーズで僕は disgusting という嫌悪を示す言葉を覚えたのですが、辞書によるとこれは結構インパクトの強い言葉だから使うときは気をつけましょう、と書かれていた。

 まったく、ニュアンスというのは手のかかるものだなと思う。
 だけど、ニュアンスというのは基本的には人間関係の中で決まるので、誰かと直接話をするのならそんなに困らないのではないかとも思う。

 だから、しばらくあまり細かいことは考えないでおこうと思う。言葉というよりも記号のような使い方で、言語というものはなんとなく使いこなすことができるのではないかと思う。

 特にネイティブではないもの同士が英語で話すときは、もはや英語本来の細かい約束やニュアンスは意味を成さない。
 別に僕が英語で中国人と話をするときに、3人称単数形の s がどうだとか、冠詞があろうがなかろうが、過去分詞だろうが過去形だろうが、前置詞が at だろうが on だろうが、そのあたりの細かいことは別に間違えても痛くも痒くもない。

 ただ、滅茶苦茶な英語で話しているときに困るのは、日本人に聞かれたときになんとなく恥ずかしいことだ。

 なので、この際僕は新しい、よりシンプルな英語を作ってはどうかと思う。英語ではなくて謂わば「国際英語」といったようなものを。

 国際英語では、

 ・複数、単数の区別はない。

 ・過去形は全部、原型+ed。不規則変化はなし。たとえば go の過去形wentは廃止。goの過去形はgoed。

 ・be動詞は全部 is 。I am とか you are は廃止。I is , you is。

 ・冠詞は不要。

 etc...

 もちろん、「それでは英語文化が壊れる」ということになるので、これはあくまでも正式の英語ではなく、新しく作られた英語であることを宣言しておかなくてはならない。英語というよりもむしろ新しいエスペランドだと言ったほうがいい。
 そのうち、この「国際英語」の影響で、ネイティブな英語話者にも変化が生じるだろう。「最近、米国内の若者の間で英語が乱れています。彼らはたとえばbe動詞を正しく使い分けることができません。なんとI isと滅茶苦茶なことをいいます」みたいなことが起こるかもしれない。
 それはそれでいいようにも思う。

 もしも正しい言葉を知りたければ、そのときは普通の英語を勉強すればいい。

 同様に日本語にも国際日本語という概念をアプライすることができる。

 などと考えていたのですが。
 なんだか寂しい気分になってきたので撤回します。
 やっぱり不合理だと思いながら不規則変化を覚えたりする作業は、それはそれで素敵な人間らしい営みだと思う。言葉はたぶん合理化されるべきものじゃないのかもしれません。


Julie scare someone with a ghost story.

2006-10-20 12:47:34 | Weblog
 図書館へ行く途中、丸太町の交差点で信号待ちをしていると、僕の隣で信号待ちをしていた親子が「ゴーストタウン」という言葉について話をしていた。
 その小さな男の子は母親に「ゴーストタウンというのは人が住まなくなった、誰もいない街のことだ」と言い、母親は「違うわよ。ゴーストというのはお化けのことよ。だからゴーストタウンというのはお化けの街のことよ」とその子を諭していた。当たり前だけど子供の言っていることの方が正しい。子供は何度か自分の意見を繰り返し、母親はそれを繰り返し否定し、だんだんと居た堪れなくなって僕は思わず「その子が正しいですよ。ゴーストタウンというのは誰も住まない街のことでお化けの街のことではありません」と言ってしまった。

 その親子を見ていて、僕は子供の頃に母親が僕の部屋を勝手に掃除したときのことを思い出した。僕にとっては非常に大事ないくつかのものが、彼女にとってはただのゴミでしかなく、それらは僕が学校から帰るときれいさっぱり消えていた。

 泣いても怒っても、もう捨てられてしまったものは戻ってこない。
 僕はこのとき、自分にとって大事なものは、それが大事だときちんと表明して、自分で守らなければならないし、人のものを扱うときはそれが相手にとって想像以上に大事なものである可能性を持つのだ、ということを強く思った。道端に落ちているいかにも安っぽいハンカチは、もしかしたらその人が初めて自分の子供からプレゼントされたものかもしれないし、壊れた時計はおじいさんの形見かもしれない。

 ビバリーヒルズ高校白書というアメリカのテレビドラマに、とてもダサい服を着ている歴史の先生が出てくる。彼はその服装を生徒に馬鹿にされているけれど、でも相変わらずダサい服を着て学校に来る。最初主人公のブランドンはその先生と馬が合わないのですが、やがて打ち解けあい、その服について彼が何を考えているのか聞くことになる。
「私もこの服がいい趣味だとは全然思っていないよ。でもこの服は死んだ妻が私に選んでくれたものなんだ」 

 もうすぐアパートの更新をしなくてはならないので、ぼんやりと引越しをしようかどうか考えています。あと3年は京都に住み、今の大学に通うことが決まったので、そろそろ引越しをしてもいいのではないかと考えています。
 でも、僕はお金を持っていないので、引っ越すといっても先は限られている。にもかかわらず、どうせ引っ越すならそろそろ一軒家に住みたいとも思う。なので、ただ同然で一軒家に住めないものか、と都合のいいことを考えています。

 これは今にはじまったことではなくて、もう何年もぼんやりと思っていることですが、根が怠け者なので真剣に空き家を探すということはしてこなかった。
 でも、今日久しぶりに空き家のことが気になって、インターネットを検索するとこんな記事に当たりました。

 『住宅統計調査によると、京都市内には2003年度で10万7千戸の空き家があり、このうち賃貸住宅が5万1千戸です。今後、人口減が進めば、京都でも空き家の増加が懸念されます。そこで、これらの空き家を滞在型観光客や移住希望者の受け皿として活用してはどうでしょう。』

 空き家はときどき見かけるし、多分結構な数があるのだろうと思っていたけれど、まさか10万戸もあったとは。しかも賃貸に出ているのが5万戸ということは残りの5万戸は手付かずでなんとなく放置されているということだ。
 これだけ家が余っているなら、やっぱりただ同然の一軒家に住むことも叶わないことではないはずだ。

 確かに、誰も使っていないからといって、極めて安い値段でその家を借りよう、なんていうのはとてもずるい考え方だ。
 でも、その5万戸の中にはきっと1万戸くらい、誰も住まない、ということで困っている家もあるのではないかと思うのです。

『以前は借家法のなかの正当事由により、いったん貸すと、借り手の権利が強く、契約期間満了後も一方的に立ち退きを求めることが難しかった。このため、トラブルを嫌がって空き家のまま放置している家主も多くおられました。しかし、2003年の借家法の一部改正で「定期借家契約」が施行されることで、契約満了になれば明け渡しが可能になった。また、短期間の契約も認められるなど環境は変わっています。』

 と、その記事は続いています。
 少しだけこういった法的なことを知る必要もあるなと思う。
 もっとシンプルに、「ここ貸してください」「いいよ。じゃあ月1万で。はい、鍵」という風にいかないものなのでしょうか。


Banu Marcos eat squid every day!

2006-10-19 20:11:14 | Weblog
 夜中に連絡があって、友達の家へゴキブリ退治をしに行った。僕だってゴキブリなんて大嫌いだけど、でもまあ何かの因縁で彼らが目の前に現れたのなら、退治するくらいのことはできる。

 以前、研究室にゴキブリが出たとき、「どうして昆虫の中でゴキブリはこんなに特異的に嫌われるのだろう」という、よくあるような話をしていて、それから僕はどうして虫という生き物がこんなに人類に忌み嫌われるのかをぼんやりと考えてみたけれど答えは出てこなかった。

 テレビを点けると、変わり者のおじさんが昆虫料理の研究をしていて、河原でバッタやトンボを捕まえ、そのまま焼いて食べていた。気持ち悪いなんてただの偏見ですよ、と彼はにこやかに言った。

 虫のことを考えるとき、いつも僕の脳裏に浮かぶのはかわいい小鳥達の姿だ。彼らはあんなにかわいいふりをして、そのくせ涼しい顔で気持ち悪いグロテスクな虫をパクパクと食べる。その食事風景を目にすると、そうか、食べるというのは本来こういうことなんだ、気持ち悪いとか汚いとか言ってないでワイルドにむしゃむしゃと食べるのが本当なのだ、と思う。

 僕たちの先祖だと言われているサルは昆虫を平気で食べる。だとすれば人類はかつて昆虫を普通に食べていた、と考えるのが自然だ。

 テレビでは昆虫料理研究家のおじさんを見て、あるタレントが「どうしてわざわざ虫なんて食べるのですか?」というような問いを立て、栄養分析の結果、昆虫にはとても豊かな栄養が含まれている、という括りに落ち着いたと思うのだけど、ここで立てるべき問いは、「どうして昆虫を食べるのか、ではなくて、どうして昆虫を食べないのか?」というものだ。

 僕たちの祖先は昆虫を食べていて、でもその習慣はなんらかの理由で廃れた。本当に不思議なのはこっちのほうなのだ。

 昔、所ジョージが「海にいる生き物はグロテスクでもありがたがって食べるのに、どうして陸に住んでいる生き物は気持ち悪がるのだろう? カニとかエビとか、海にいるから食べるけれど、あれがその辺を普通に歩いている生き物だったら誰も食べないに違いない」というようなことを言っていて、僕はものすごく感銘を受けた。

 なぜだろう?

 宗教では豚を食べない、だとか牛を食べないだとか決まっているところがあるけれど、海で採れる生き物にかんする規定はない、とイスラム圏出身のOが言っていた。

 サルは船を持っていなかっただろうし、サルから続く歴史を考えるなら、話は本当は反対でなければならないような気もする。
 陸の生き物は身近で、海の生き物はそれこそ未知のものだったはずだ。

アマゾン。

2006-10-18 15:16:15 | Weblog
 たとえば、オーストラリアの刑務所がワッケンハットというアメリカの会社によって”営業”されていることを、どれくらいの人が知っているのだろうか?

 Kに「自由を耐え忍ぶ」という、とても暗いタイトルの本を借りて読みました。ちなみにこの本は表紙もとても暗い感じで、内容は現代の肥大した資本主義が、一体どの程度我々の生活の深部まで根を張りつつあるのか、というものです。
 グローバリゼーションといえば、まず最初に経済システムが国家を超えて空間的に広がっていく様子を思い浮かべますが、この本で取り上げられているのは、空間的に広がった資本主義経済によるグローバリゼーションがいかに深化しているか、という僕たちの生活にものすごく深く関与している問題です。

 さらに、資本主義経済は「空間的拡大」「深化」ともに異常な進展を成し遂げていて、それは「公」というか「官」というか、政治そのものにも多大な影響を及ぼしています。
 一例として、軍が予算を切り詰めるために行ったアウトソーシングの結果、『アメリカ軍に占める「民間人」』の割合は、湾岸戦争時数%だったのが、イラク戦争では1割を突破しました。
 僕は今無理やり『』と「」を使ったのですが、『』の中はとても変なことが書いてあります。

 『アメリカ軍に占める「民間人」』

 普通、軍にいるなら軍人ですよね。
 でも、軍にいるけれど「民間人」なのです。

 分かりやすい説明のために、ここで勝手に例をでっちあげると、たとえばアメリカ軍がイラクへ派兵され、どこかに駐屯するとします。その際、軍の人間が寝泊りする施設の警備を、仮にセコムみたいな民間の会社に依頼するとします。すると見かけ上、軍人の数は減って、民間人(セコムの警備員の人)が軍に含まれることになります。

 この例は僕の勝手なでっちあげですが、これに類することが今世界中で起こっています。本来は「国家」が行うはずのことを「民間」がどんどんと肩代わりしている。極端なことを言えば、国が法案の作成とか裁判とか警察とかをアウトソーシングで民間に委託する可能性もなくはない、ということです。それも、日本政府が日本の企業に委託するとは限らない。なにせ時代はグローバリゼーションの時代であり、サービスがいいのならどこの国の企業かにこだわる必要は無い。日本における裁判をロシアの会社に頼む、ということだって起こるかもしれない。

 もっともいびつなのはやっぱり軍隊だと思うので、軍隊について極端なことを言えば、たとえば北朝鮮が軍隊にかけるお金を減らして、国防をアウトソーシングにするとする。このとき受注先がアメリカの会社で、そして政治的な問題が大きくなり北朝鮮がアメリカと戦争状態になったとすれば、北朝鮮を守るアメリカの企業とアメリカ政府が戦争をするという意味の分からないことが起こる。さらに、もしかするとこのときアメリカも軍をアウトソーシングにしていて、その受注はフランスで行われているかもしれない。そうすれば北朝鮮とアメリカが戦争をしているのに、実際に戦闘状態にあるのはアメリカの企業とフランスの企業だということになる。
 もちろん、歴史を紐解けはこの手の代理戦争はたくさんあるけれど、そういうことがもっと自然に起こるようになってきている。そしてもう国家や政府、それから企業という区別はずいぶんとあいまいなものになっている。

 企業が一概に悪いとは言えない、という反論は「あり」ですが、でも企業というのは利益追求のためのものだし、資本主義の構造からして原理的に企業は利益を高めていかなくてはならない運命にある。どうしてかというと資本主義の資本というのが何を意味しているのか考えてみるとすぐに分かることだけど、資本というのは「まだ儲かっていないけれど、でも将来予測される儲け」を根拠に投入されるものだからだ。この将来予測される儲け、というのは企業がその資産価値を増やすこと、つまり利潤を拡大させる、ということによってのみ成し遂げられる。会社は大きくならないと潰れる。大きくならないということは資本が投入されないことを意味する。資本を得ることのできない企業は潰れるしかない。
 つまり、太り続けるか死ぬかの二者択一なのだ。そして、世界中の人が太り続ける、ということは地球の資源が限られていることからして不可能だとすぐに分かる。だれかが太っているのなら、その影で誰かが死んでいるのだ。
 僕たちの世界はそういうものに支配されつつある。それに賛同しないなら、もう腰を上げなくてはならない。

cupsule.

2006-10-18 14:35:47 | Weblog
 先日、Kちゃんが食べ物に関して「リアル」という表現を使った。
 みんながパフェだとかアイスクリームを食べている中、Kちゃんだけが「ゆで卵」を注文する。Kちゃんは変わった子だという文脈を受けて、Kちゃんは、

「ゆで卵の方がリアルな感じがするから」

 と言って彼女の嗜好を説明した。
 それはとてもしっくり来る表現だった。確かに、ストロベリーアイスクリームよりもゆで卵のほうが「リアル」だ。ここで、僕は新しい言葉の定義を行うことができるだろう。
 つまり、「リアルフード」と「バーチャルフード」の二つで、ゆで卵はもちろんリアルフード、ストロベリーアイスクリームはもちろんバーチャルフードだ。

 書くのが面倒なので以下、バーチャルフードを「VF」、リアルフードを「RF」と書けば、水、牛乳、餃子、チャーハンはRB。コカコーラ、チュッパチャップス、こんにゃくゼリーはVFということになる。

 VFには自然状態から随分な加工が施され、たとえば着色料や香料を投入されたものが多いと思うので、これをバーチャルだと呼ぶのはあながちおかしいとは言えない。本当はただの砂糖の塊なのにメロン味がするなど、むしろ、まさにバーチャルだと言える。

 基本的にVFには大量の砂糖が入っていると思うけれど、でもチョコレートはRFであるような気がする。そして、どうしてなのかよく分からないけれど、マクドナルドはVFに分類されるだろう。僕は昔からどうしてパンと肉とジャガイモがメインのマクドナルドがこのような違和感を持った食べ物となるのか思い悩んでいるのだけど、やっぱり改めてVFだと思う。最近はマクドナルドにサラダまであるのに、でもVFだ。

 別に食べ物をRFとVFに分ける必要は全然ないのですが、でも、僕の中では今まで漠然と感じていた”食べ物に対するある感覚”を表現するのにとても便利な言葉なので、これからときどき使おうと思う。

dear, my lactobacillus.

2006-10-13 16:21:51 | Weblog
 以前に触れた、「えひめAI」ですが、昨日の昼に気の早い僕はシャワールームに撒いてみました。
 短くても1週間は発酵を進めるのが良いみたいですが、要は乳酸菌と納豆菌を中心とした菌類を撒いておけば、彼らが汚れを食べてくれる、ということだと思うので、そんなに発酵が進んでいなくてもまあいいやと思って撒いてみました。
 発酵が十分でないことは舐めてみればすぐに分かります。まだほとんど酸味がない。
 でも、僕はもう待てずに撒いたわけです。効果は弱いかもしれないけれど、無くはないだろうと。

 最初はちびちびと撒いていたのですが、単位量あたりの菌も少ないはずだし、だいたいが安価なものだからケチケチしたところで意味がないと思い、どしどしとタイルにばら撒いてみました。汚れている場所には多めにかけて、そうして僕は、帰って来たときが楽しみだなと、そわそわしながら出かけました。

 夜中に、部屋へ戻った僕は、ワクワクしながらシャワールームの扉を開けた。
 すると、まったくその中は変な臭いが充満していて、もはや汚れが分解されるだとかそういった次元の問題ではなくなっていた。
 まるで、雨に濡れた後の犬みたいな臭いだ。

 まいったな。
 僕はがっかりして、それから、これはえらい物を撒いてしまった、と思い、慌ててシャワーでそれらを洗い流した。
 そのままでは臭くてシャワーも浴びれない。

 そうして一晩眠り、今日の朝見てみると、シャワールームの中は今度は、まだミルクしか飲めない赤ん坊のゲップみたいな臭いになっていたので、僕は慌ててグレープフルーツの香りが付いた合成洗剤を使って全部を洗い流した。
 まったく何をやってるんだか。

 しかし、これからは全部菌たちがきれいにしてくれるという掃除の要らない生活がやってくると思っていたのに、僕が甘かった。
 でも、まあ、多分使い方が悪かったのだろう。

 もうしばらく、色々と試してみようと思います。
 昔、どこかに「高校生のころはアリと一緒に暮らしていた時期がある」というようなことを書いたと思いますが。お菓子をこぼしてもアリが自動的に掃除してくれるというシステムは嬉しいものでした。それから生き物を飼っていて、たとえばキャベツの芯が料理で出たときにそれをモルモットにあげるとか、そういうのって楽しいですよね。

style's style.

2006-10-10 20:32:10 | Weblog
 ここのところ僕は非常にまずい文章を書いています。
 自分で読み返してみて愕然とします。
 でも、しばらくはこのままになるだろうと思います。

 ここにも既に3回、連続で「ます。」なる文末を使ってしまいました。

 別にどうでもいいことですが。

 翻訳の本で、「黄色の花の花びら」などの連続した”の”はまずい、というような、ほとんどどうでも良いような、でもフォーマルなことを読んで、漱石を読んで、その後に久々で町田康を読むとこんなことになってしまいました。

 なってしまいました、というか、むしろ進んで影響をもぎ取りに行くような態度を、僕はここのところとっていて、その所為です。
 僕は自分の語り方を変えたいと思っています。

 僕の文章の書き方というのは圧倒的な力を持つものに囲い込まれていて、とても不自由なものなのです。
 そのことには半年くらい前に気が付きました。

 明治文学のフォーマットとして、「青年期は無茶をして、最終的にはまっとうになる」というものを何回か前の記事に書きましたが、現代にもフォーマットは存在しています。代表的な現代日本文学のフォーマットは「分かる7、分からない3」というものです。3割くらいは謎を残したまま物語が終わる。全部分かってしまっては「なんだ陳腐な作品だ」といわれるし、全然分からなくても「意味が分からない」といわれて終わりだけど、7割くらいは理解できて、3割くらいは謎をおいておくとなんとなく高尚な感じになる。

 僕は新しく、別のフォーマットを見つけました。
 それは、

「結局、なにも言わない」

 というものです。
 言葉を悪くすれば、

「別にどうでもいいんじゃないの」
「仕方がない」

 というものです。
 たとえば、現代日本を代表する作家である村上春樹さんの多用するロジックは、

「Aでもあると言えるし、Aでないとも言える、結局のところどっちでもないのだ」

 という感じのものです。
 どっちでもないし、僕には分からないし、それはそのまま放っておくしかない。もしくは分からないまま適当に選ぶしかない。仕方がない。

 こういったものが何を意味しているのかというと、明らかにそれは「思考停止」です。現代日本文学は思考停止状態の推奨を行っています。
 とりあえず個人的な意見をここに書くけれど、色々ごちゃごちゃいうけれど、まあ、実のところはぶっちゃけどうでもいいんじゃないの、というのが現代の日本文学ではないかと思う。ネオニヒリズムですね。

 思考停止は楽なので、快楽を追及する生き物である人間はこれを好みます。今や村上文学は世界中で読まれている。
 先日Kが「村上春樹ってビートルズに似てるね」と言って、僕はそれに納得した。ビートルズは”let it be”で”革命なんて別にしなくていいじゃん”なのだ。だけど、音楽の細部はとても良くできている。メロディーラインも美しい。村上作品も何も主張しないけれど、でも細部は良くできている、文体は心地良い。
 そして2つとも国を超えて広がった。

 僕もこの「結局はどうでもいい」というスタイルを時々とってしまいます。
 これはある意味では現代の限界で、打破されるべきスタイルなのだと思うのです。だからもう少し違った書き方ができないものかと思っています。

 昔、稲垣足穂の作品をはじめて読んだとき、僕はそのスタイルにショックを受けました。スタイルといっても何のことはない。その散文には句読点が一切なかったのです。代わりにスペースが一つ空いている。

 体現してみれば ちょうどこのような具合です 点も丸も どこにも打ってないで どこが一文なのかというのも非常に分かりにくい はっきりいって読みにくい以外のなんでもないのですが 僕が今まで信じていた日本語の書き方というものは そこであっさりと破れました 単に点と丸がないだけのことでも 僕には大変なショックだった 僕は馬鹿だなと思った

 加えて 近頃ではインターネットのせいで 新しい文体がどんどんとできつつある 代表的なのは 一まとまりごとに改行するというスタイルで 僕の知る限りではこれは糸井重里さんがはじめた書き方だということだ

 どういう書き方か体現すると
 それはこういう短いブロックごとに
 すかさず改行を行う
 というもので、
 眺めるのが紙よりも疲れるパソコンでは
 とても有効に働くと思う。

 別に紙を節約する、
 という必要もなく、
 ただのデジタルデータを並べるだけなので
 改行だろうが何行か空けるだろうが
 なんだって自由にできてしまう。

 別にこういった細かいことをしたい訳ではないですが、自分がどのようなスタイルに依存しているのかを一度見極めてみたいと思います。