遠くとか近くとか、距離にまつわる問題と僕達の人生について。

2008-07-31 19:37:34 | Weblog
 2008年7月30日水曜日
 Oがビアガーデンへ誘ってくれたので、夕方に僕とOとJの三人で大学を出る。先に着いているIちゃんとかUさんとかを見つけると、テーブルにはすでに15人くらいの人がいて、やがて30人近くに膨れ上がり椅子を色々なところから持ってくる。Uさんからとても貴重な話を聞く。Mちゃんが昔ある会社で働いていたというのを聞いて、どこかで聞いた名前だなと思っていたら昔TがCIを手がけていたレストランに使われていた紙の会社だった。それにしてもビアガーデンというのはやっぱり楽園みたいだなと思う。
 ビアガーデンは10時までなので、閉場してから僕達はずらずらと別の店へ移動した。IちゃんとMさんの後ろを歩いていたつもりが、いつの間にかMちゃんと二人してはぐれる。無事にみんなの入った店にたどり着くと何故かさっきまで僕達と一緒に飲んでいたTちゃんがカウンターに入って働いている。実はTちゃんはこの店で働いているということだった。店もいつの間にか貸切になっていて、貸し切ったからにはちゃんと注文しなさいとのことで、6時頃からビアガーデンにいてさらにここでも飲んでOやIちゃん達はすっかり出来上がる。Jも京都の道はあまり知らないし、Oはぐてんぐてんで急に走り出したりする始末なので、1時半頃に切り上げる二人と一緒に僕も店を出る。川端四条にとめた自転車まで歩いていると、Oがふらふら人にぶつかりそうになるのを支えて韓国人であるJが「アイヤー」と言ったのでびっくりする。アイヤーって中国でしょ?と僕が聞くとJは韓国だと言い張った。

spring.

2008-07-30 15:33:19 | Weblog
 妹に女の子が産まれ、いとこの結婚式に行って友達の結婚式へ行き、一息つくと友達が妊娠して別の友達に女の子が産まれ別の友達が秋に結婚式をすると言う。おめでたい。そして確実に僕は歳を取りつつある。

 以下の話は別に立て続けに身近なところで女の子が生まれたから、というわけではありません。でも、ちょっとはやっぱり気になる。

 先日T君が「うちの会社の先輩、生まれる子供圧倒的に女の子ばっかりなんだけど、これって環境ホルモンの影響が出てきてるんじゃないか」というようなことを言っていた。彼の部署は研究なのでケミカルも勿論使うだろうし、そういうことが起こってもおかしくないなと思う。
 いつの間にか環境ホルモンの話題は消え去ったけど、別に対策が講じられて問題が解決したわけではなく、単に人々がその話題に飽きて、食器の素材や何かに気を使うのが面倒になっただけだ。1,2ヶ月前にビスフェノールAの影響は当初言われていたよりも強いというレポートが上がっていたけれど、もう食傷した人々は見向きもしない。僕達は長い人類の歴史上ではじめてこんなにたくさんのへんてこな化学物質にまみれて生きていて、それから僕らの生体内で四六時中起こっている生化学反応がいかに複雑なものかを考慮すればへんてこな影響が出てくるのは時間の問題に違いない。その時はそろそろ来たのかもしれない。

 

とてもはっきりとした景色。

2008-07-28 16:56:17 | Weblog
 そういえば、ときどき勘違いされるのですが、僕の作文で具体的な日付やイニシャルで書かれた誰かの名前が出てこないものは基本的に全部フィクションです。

 2008年7月23日水曜日
 Bのイベントがあるので久しぶりにメトロへ行く。さすが2年半東欧に留学していただけあって音源、選曲は圧倒的だった。たぶんこういうイベントは日本で初めてだろうなと思う。毎月でも十分やっていける内容だったし、可能なら全国行脚でもすれば新しいクラブシーンになるかもしれない。

 2008年7月25日金曜日
 御手洗祭に行くついでだかなんだか、名古屋から遥々Mちゃんが大学を訪ねて来てくれる。I君も呼んでOと4人でしばらく研究室で話をしていると夜になっていた。御手洗祭へは一昨年の夏に一度行ったことがあるので少し懐かしい。また素敵なCDを置いていってくれる。

 2008年7月27日日曜日
 修士を終えた後、三重に就職したT君を訪ねる。OとI君、僕の3人で京都を11時前に出ると、T君の住んでいる亀山には新名神を使ってあっさり12時前に着いた。T君、Yちゃんと合流して、評判の鰻を食べさせる店へ行くもすでにお昼の分は売り切れた様子だったので、道の駅へ行き昼食をとる。売られている野菜の中にメロン瓜ともう一つ名前を忘れたけれど瓜があって、「今食べたいのですが」と販売員のおばさんに言うと快くカットして下さる。ただしそういう場所ではないのでお皿なんかもなくてわざわざお弁当屋さんから容器などを貰ってくださる。そのあと僕達が昼食を食べているときれいに皮を向いてカットした瓜を持って来てくださり、5人でおいしく食べる。
 昼食の後、夜のバーベキューで焼こうと道の駅に売られている野菜をいくらか買い、次に青山高原という風力発電をしている高原へ行く。車を走らせていると山の上に巨大な風車が並んでいるのか見えてくる。山を登り近くに行くと大きな白い風車が何基も並んで回転している様にうれしくなり、立ち入り禁止場所だったけれど入って写真を撮る。それからちゃんとした展望台のようなところへ行く。
 次にスーパーマーケットへ行って食べ物や飲み物を買った後、海岸へ向かう。夕方で人の少ない海岸で泳ぐ人は泳いで、それからバーベキューをしたり、偶然遠くに見えた花火大会を見たり、ワインを飲んだり。昼間の強い日差しの去った砂浜はとても心地良くて、そういえばどうして海水浴というのは夕方がメインではないのだろうと思う。
 遅くまで営業していた海の家が灯りを落とし、本当に真っ暗になった海岸で片付けをして、それから僕達は京都へ帰った。

swimwear city.

2008-07-23 15:53:02 | Weblog
Imagine. You are standing in front of an external condenser unit for an air-conditioner. The piss-warm, I'm sorry, calid wind is coming out to your face. You are covered by this hot air, high humidity. You get sweat. you heave.
Well. Now you know it. That is the summer in Kyoto city. Crap!

When I got back to Kyoto, without hyperbole, I couldn't breathe smoothly. In Hokkaido, the temperature is 10 degrees Celsius lower than that in Kyoto. And HUMIDITY! Kyoto is like a inside of a bathroom or spa. In a daytime you can make your T-shirt sweaty wet with just 1 minute walk, indeed.

So. Today I have one proposal.
"How about SWIMWEAR CITY KYOTO"
We don't need any stifling clothes in summer any more. You know some cities on coasts they take that style, swimwear style. In that cities even some neat restaurants accept customers taking seats with swimwears. Why don't we?
In addition, we have Kamo-river in the city centre so that people can get cold water easy. clean up your sweaty skin with splashed water. Doesn't it sound nice?



line;n18.

2008-07-21 21:38:57 | Weblog
 遥か窓下ではじける花火を見て、その周囲に集まっている大勢の人々とにぎやかな喧騒を思う。僕はまもなく神戸空港に到着するところで、飛行機の窓から花火を見るのは初めてのことだった。飛行機が着陸すれば、今回の旅は終わる。旅とは行ってもなんてことない、ただ友人の結婚式に出席するため札幌を訪ねていただけのことだ。ある人にとっては単なる出張と同じ程度のことだろうし、世界中を広く飛び回っているような人々にとっては京都から札幌へ行って2泊して帰ってくるなんて本当になんでもないことに違いない。でも、単に物理的な意味や人々が旅の途上で得る感傷を超えて、僕にとってこの札幌行きは特別なものになった。残念ながら、それがどのように特別なのか、その半分はここに書くことができない。だから以下に書かれるのは半分だけの特別さでしかない。半分なのかどうかも分からない。分からないというか、きっと半分ではないのだろう。この世界には半分にできないものがたくさん存在している。僕は、それがいかに特別だったのか、ということをここで伝えることは諦めようと思う。ただ、それは本当に特別だった。帰ってきたとき京都という場所の意味は変わっていた。

 18日金曜日のお昼前に、僕は関西国際空港を飛び立った。そういえばこの日はアメリカで学会に出ていたOが帰国する日だったので、もしかするとOも同じ時間帯に空港にいたのかもしれない。札幌で友達の結婚式に出るというと、1年間札幌に住んでいた父親から長袖がいるだのなんだのとメールが来た(Tシャツ一枚で全く問題なかったけれど)。そこにはついでにナイフは飛行機に持って入れないと当たり前のことが書いてあった。どれだけ人を子ども扱いするのかとも思うけれど、小学生のときから僕が日常的にナイフを携行することを許してきた親としては心配になるのかもしれない。誤解のないように書いておくと、僕は別に誰かを傷つけようと思ってナイフを持ち歩いていたわけではなく、探偵団もやっていたし、急に山の中へ遊びに行くような子供だったので、ナイフ、マッチなど人間が野外で活動する際のもっとも基本的な道具を常に持っていたというだけのことです。銃刀法違反には違いないけれど、山の中ではときどきナイフをナタのようにも使うのでナイフはそこそこ大きなものを持っていました。親としてはそれはもう心配だったことと思う(ちなみに中学生のときに使っていたナイフは今台所で使っています。だから包丁がない)。今はポケットにレザーマンのツールセットがあるだけで、それを預ける方の荷物に入れれば何も問題はなかった。
 それにしてもセキュリティーというのは悩ましい問題だなと思う。あれ以上のチェックをするのは手間隙がかかって現実的ではないけれど、実際に今のチェック体制なら機内に武器を持ち込むことは簡単過ぎる。靴底にセラミックナイフとプラスチック爆弾を隠して雷管をベルトのバックル裏にでも貼り付けておけば見つかりはしないだろう。液体のチェックも甘いから酸だろうがガスだろうが持ち込みたい放題に見える。あと携帯電話の持ち込みをOKにしていて電源を切ってくださいとアナウンスしているだけなのも理解に苦しむ。電子機器の持ち込みは本来なら一切禁止にするべきだ。強力な電波の発信機を持ち込まれると航行に差しさわりが出るはず。セキュリティーエリアの中で、基本的に信頼の上で物事が進んでいるのだなと思った。別に批判のつもりではなくて、世の中は基本的に信頼関係で成立している。飛行機に完全なセキュリティを求めるのは不可能だ。武器なんて持たなくても高度な戦闘訓練を受けた人間が素手でハイジャックを狙うかもしれないし、そういうことを防止したいのなら乗客全員に筋弛緩剤でも投与するほかない。そもそもパイロットが裏切るかもしれない。そういったことをぎすぎす言わないで、今のように飛行機が飛ぶほうがずっといい。

 新千歳空港から札幌まで、なんだかんだ言って1時間近くかかるので、札幌に着いたのは3時を過ぎた頃だった。JRから地下鉄南北線に乗り換えてホテルを予約している北24条へ向かう。北24条駅からホテルは目と鼻の先だけれど、ものすごい雨が降っていて駅の出口で足止めをくう。ホテルに電話をして迎えに来てもらおうかと思っていると小降りになったので走ってホテルへ向かう。チェックインして、部屋で休憩をとれば、あまり遠くへ出ることのない僕はなんとなく寂しい気分になった。部屋の小さなテレビを点けてみると、チャンネルの並びも映る番組も京都とは違って、当然天気予報は北海道を中心にしたものだった。道内では、とアナウンサーが口にするたび違和感を覚える。机の引き出しを開けると、ホテル周辺の案内地図が入っていて、お腹も空いていたので何か食べに出ようと眺めてみた。そういえば地名も殺風景だ、北24条だとか18条だとか、数字そのままなところが、なんとなく戦争とそれから村上龍の「5分後の世界」を連想させた。京都だって三条だとか四条だといっているには違いないけれど、すくなくとも漢数字だしそんなに殺伐とは感じない。
 地図を眺めていても良く分からないし、それに部屋でセンチメンタルごっこをしている場合でもないので、ホテルを出て周囲を歩いてみる。本屋へ行きたいと思ったけれどまともな本屋が見つからないまま、それから特に入りたいお店も見つからないまま、僕はせっかく北海道に来たというのにモスバーガーへ入った(この頃他の友達はそれぞれ寿司だとかラーメンだとかを食べていたらしい)。でも、結果的にはモスバーガーに入ったことは大正解だった。モスバーガーからホテルへ帰る途中にものすごいことが起こったからだ。

 明けて19日土曜日。朝10時半から挙式なので円山公園まで地下鉄に乗り式場へ行く。受付を済ませて席次表なんかを眺めているとD君がやってきてちょっとほっとする。D君と会うのも久しぶりのことだ。まさか北海道で会うことになるとは思いもしなかった。ついで時間ぎりぎりでYも登場。Yに会うのはもっと久しぶりだったけれど相変わらず。
 すぐに挙式がはじまる。現れた新郎である友人Mを見て胸が一杯になる。嬉しくて仕方ないけれどどう表現していいのか分からない。キリスト式の厳かさと、解放された中庭からの明るい日差しが溶け合ってここにしか存在できないようなバランスを作り出し、式は厳粛に執り行われた。二人は結婚した。
 式のあと中庭へ出て花びらを投げ写真を撮る。Mとはこの日はじめて口をきく機会だったけれど、本当に胸が一杯で気の知れた友達なのに何を言っていいのか分からなくなる。

 披露宴は地下の大きな部屋で美しく開かれた。おいしくて美しいフレンチと人々だった。並んで座った二人は完璧な組み合わせだった。それこそ神が選んだというのはこういうことなのだろうな。新婦であるYさんに会ったのは初めてだったけれど、まったくそんな気分がしなかったし、かつてこのカップルとどこかで会ったことがあるような錯覚さえして、それくらいにパシッとはまる二人だった。
 型破りな父親であることは何度もMから聞かされていたが、それでも驚いたことに披露宴を括るスピーチで、牧師であるMのお父さんは2度目の結婚式をとり行い。それは感動的でかつ驚愕のものだった。変な言い方だけど、Mのお父さんが牧師なのはこの瞬間のためだったのではないかというくらいに完璧な出来事。感服するほかない。

 披露宴の最中、友達とテーブルを囲み、Mの家族に挨拶し、それからM夫妻と話したり遠くから二人の様子を眺めたりして、僕はいろいろなことを感じ、その場にいることを心から嬉しく思った。もう10年近く前、入学前日のオリエンテーションで隣に座ったとき、二人でギターを担いで歩いてたとき、将来こんな素敵なことが起こるなんて僕達は二人とも知らなかった。
 
 式場を出ると、外はまだ昼間だというのに暑くない。さすがは北海道だ。京都であれば外に出て一分で汗だくになる。僕やD君、E君はもう一日ホテルを取っていたけれど、Yはこの日の夕方に東京へ向かわなくてはならなかったので、とりあえず4人でお茶でもしようと大通りまで出て、ついでなので時計塔を見てテレビタワーに上り、下のビアガーデンでビールを飲む。

 一度ホテルに戻って着替えたり休んだりしたあと、8時前に札幌駅に集合してM夫妻、バンド仲間、僕らで飲みに行く。M夫妻の結婚式を僕はつい数時間前に見たところだけど、どうしてもこの二人が一緒にいるのを見るのが初めてだとは思えない。もうMとは1、2年に1度しか会わないのが数年続いているので、今Mが組んでいるバンドの人々と話ができてとても嬉しかった。とても仲が良くてこれも素晴らしいというしかない。そうか、近頃はこういう感じなんだなと生活の一部を垣間見て嬉しくなる。

 お開きのあと、僕は地下鉄を北18条で降りて、Sちゃんと広い北海道大学の中を散歩した。北海道のガイドブックにはどういうわけか必ず北海道大学が観光スポットとして載っているのだけど、それもまあ分からないわけではないなと思う。森林公園のようなキャンパスだった。

 20日日曜日、ホテルのチェックアウト時刻は朝10時なので、10時にチェックアウトをして、とりあえず札幌駅まで行く。本屋に入りガイドブックをいくつか眺め、以前から気にしていたイサムノグチのモエレ沼公園へ行くことに決める。地下鉄とバスを乗り継いで行ってみると、予想はしていたけれど、まあなんてことない普通の広い公園だった。休日で子供達がはしゃぎまわる。近所にこんな公園があれば嬉しいだろうなと思う。ある家族連れの子供がブーメランを投げているのだけど一向にうまく行かなくて、お母さんが試しても駄目で、お父さんに到っては、それはその程度の安物なのだから、というような感じで見ているだけで、僕は正しい投げ方を教えてあげるべきかどうか迷いながらそっちへ向かって歩いていた。すると間の悪いことにお父さんの指示通り子供はブーメランをやめて、家族は今度はボールで楽しそうに遊び始めたので、僕は言うのをやめた。
 一通り公園の中を歩くと、いくら北海道の夏が涼しいとはいえ汗をかいた。あまり汗にまみれるのは嫌だなと思いながら公園を横切る道を歩いていると、今度は前方から3歳くらいの女の子が一人泣きそうになりながら歩いてきた。迷子でしきりに「おかあさん」と叫んでいる。よくあることだけど、誰も助けようとはしない。これだけたくさんの人がいて、全員彼女が「おかあさん」と叫ぶたびにちらっと見るだけだった。どうしてなのか本当に理解できない。ただ、僕もどうすれば彼女の母親を見つけることができるのか分からなかった。なぜならここは遊園地やデパートと違って誰でも無料で入れるただのだだっ広い公園だからだ。携帯でこの公園の管理事務所みたいなところを探して、そこに電話して場内放送のような施設があるのか尋ね、あるなら放送をしてもらえばいいなと番号を調べているうちに偶然母親がやってくる。

 バスで地下鉄南北線の北端である麻生駅まで行き。そこからまた札幌に戻る。途中で宿泊していた北24条や北18条を通過して、とても懐かしくなる。京都に戻りたくないとすら思う。地下鉄札幌駅の改札も、この3日間で何回通っただろう。すっかり馴染んで、3日前ここへ来たときの疎外感や寂しさが嘘のようだ。僕はすでに札幌に住みたいと感じていた。あんなに帰りたいなと思っていた京都が、今では遠くの土地にしか感じられないようだった。

 沖縄料理屋へ入ってソーキソバを食べる。結局北海道らしいものなんて何も食べなかったけれど、特に食べたくもならなかった。まだ飛行機には時間がたっぷりあったので、駅の近くにある旧庁舎を見に行く。レンガでできたその建物には星印がついているのだけど、星印を見るとどうしても村上春樹の「羊をめぐる冒険」を思い出す。一言でいうと北海道は羊をめぐる冒険のようだった。札幌という街はきれいに整備された都会だった。

 寂しさを引きずってJRに乗り札幌を離れる。新千歳空港ですこしだけ土産物店を覗き、ひとしきりぐるっと見たあと、本屋で本を買って飛行機に乗った。厚い曇り空の上へ出た飛行機の窓から、西に沈み行く太陽を僕はずっと眺めていた。雲の上には本当に別の世界があり、今は良く見えない何かが生活をしていても不思議ではないなと思う。太陽が雲の彼方へ沈んでしまうと、空は深い瑠璃色のグラデーションを見せた。

b.

2008-07-13 11:52:39 | Weblog
 久しぶりにテレビをつけた。土曜日の朝は9時半から建物探訪という番組がある。30分の短い番組で、毎週ちょっと凝った家を一軒取り上げ、そこを渡辺さんという変わったおじさんが訪ねる、というだけの番組で、週末の朝にふさわしく適度に軽く適度にゆるい番組になっている。どうしても見たいとも思わないし、見て別段おもしろいということもないけれど、土曜日の朝にこの番組を見るというのは結構心地いい。

 この日はある夫婦の暮らす家を取り上げていて、夫の方が饒舌で嫌な感じの人だったのだけど、今は建物探訪のことを書こうというのではない。その後にテレビをつけたままにしていると、週末の冒険家、みたいなタイトルの番組が始まって、大阪にあるfujiya1935という現代スペイン料理のレストランが出てきた。五感で味わう料理だということで、各料理には創意工夫が凝らされていて、お客さんが驚くような仕掛けが施されている。調理にも液体窒素を使ったり、古典的な意味合いでの料理という枠組みを少しはみ出した感じのレストランだ。

 まだ若いシェフはそういった現代スペイン料理、モードスパニッシュというのを、本場スペインの有名レストランで覚えたのだけど、なんとそのレストランのシェフはシェフでありかつ脳外科医だという。そして、彼は「おいしいというのは舌で感じるものではなく、五感で感じたものを脳が統合してはじめて感じるものだ」ということをポリシーにしていて、だから料理は味覚的においしいだけではなく五感の全てを刺激するような驚きに満ちたものでなければならないと考えた。

 大阪の若きシェフも「舌ではなくて、脳でおいしいというのを感じるのです。五感からの情報を統合して、舌ではなく脳がおいしいかどうかを判断するのです」ということを何度か口にした。
 当然、僕は強い違和感を感じた。
 なぜなら、僕達は脳のことなんてほとんど何も知らないからだ。脳のことを知らないという言い方には御幣があるかもしれない。脳の研究は驚くほど進んでいるし、その一つの応用である脳外科の手術なんて、アーサー・クラークが言ったみたいにもう魔法にしか見えない。

 だけど、それでも僕たちは「自分がおいしいと感じること」と「脳がなんらかの情報処理をすること」の間にある大きな、はっきりいって絶望的な隔たりを認識せざるを得ない。脳がこれこれこういう状態にあるとき、どうやら私達はおいしいと感じているようです、という現象論までは解明できる。だけど、その脳の状態と僕達の意識に上るおいしいという感覚の関係というのは分かりようがない。たぶんその先にアプローチする術を我々の科学は持たない。例に昔流行った「おばあさん細胞」というのを上げてみると、被験者がおばあさんを見たときに、つまりおばあさんを認識したときに脳がどうなっているのかを詳しく調べていって、仮定の話だけど、ある一つのニューロンがおばあさんを見たときにだけ発火することが分かったとする。そうかおばあさんを認識するということはこの細胞が発火することなんだ。という1対1対応が確認される。それで? このニューロンの発火がある認識である、というのは何の答えにもなっていない。細胞の電位が変化することと、僕達の意識が持っているこの生々しい実感というのを繋ぐものはそこにない。どこまで脳を詳しく調べようが同じことだ。脳のメカニズムが精査されても、意識とはほとんど関係ない。

 それでも、データとして五感からの入力が「おいしい」につながっているようだ、という類推は現代の脳科学からして妥当だとは僕も思う。それが間違っていると言うつもりは全然ないし、よりおいしいを求めるレストランのシェフが方法論にそういった考えを取り入れることはとても正しいと思う。
 僕が感じた違和感というのは、あまりにも多くの人が「脳」という言葉を使って何かを説明するけれど、それが別に説明でもなんでもない場合が多いことに気づいているのだろうか、と思ったからです。「こうすると脳が喜ぶので学習効果が上がる」みたいな話のことです。そういう語り方は本質的に「雷が鳴るのは空の雷神様が怒っていらっしゃるからだ」というのと同じだ。「脳が喜ぶので学習効率が上がる」というのは多分現象として正しい。脳が喜ぶというのは変な言葉だけど、脳が活性化するということを表現んしているのだろうし、活性が高いほうが器官の仕事効率が高くなるのは当然だと言える。シビアに捕らえるならほとんどトートロジーだ。そのとき僕たちは「脳」という言葉を使って、本当は何を表現したいのだろうか。脳、という言葉では本当は何も説明できない、ただ、僕らはその奥にあるであろう何かを表現する術を持たないのでとりあえず脳という言葉を使っている、たとえば神が何かを誰も知らないのにとりあえず神という言葉を使うように。脳という言葉を使うときにはそれくらいの自覚が本当は必要なのではないかと思う。

 金曜日;
 夜BMXの練習をしていると警備員が現れて「警報装置のスイッチ入れたから、もうここからは出て行ってくれないと警報がなっちゃうから」と大嘘を言う。こういうのは大人の嘘なので仕方ない。そうかここは11時に警備員が来るのかと思う。それにしても警備員というのはどうして一人で巡回してるんだろうか。あまりにも危険だと思うのだけど。

 土曜日;
 Hちゃんがメディテーションを習いに京都に来るというので、お茶をしてから送り出すと、しばらくして「逃げてきちゃった」とメールが来てすばやくご飯を食べて門限に間に会うようにぎりぎりで駅まで送る。

wave.

2008-07-11 14:42:13 | Weblog
 今月の物理学会誌に「マイクロ波環境と受動被爆」という記事があって、総務省というか工学的スタンスへの痛烈な批判が繰り広げられていた。簡単にまとめると、「現行総務省の出している電磁波環境へのガイドラインは工学からの計算結果に基づいているが、理論的にちゃんと計算すれば(もちろん実際に系を組んでの測定もしている)その工学的計算は間違っていて電磁波レベルが数桁も小さい値になっている(つまり本当はもっと危険)。こういった過ちは工学において電磁波の計算方法が環境ごとに場当たり的であり、包括的な理論がないからだ。だから包括的な理論を理学者が作らねばならない。」という感じで、まあまあ厳しい文章になっている。実際著者らは電子情報通信学会に公開質問状まで送っているが、きちんとした回答は得られていないという。


 水曜日。
 Nさんがベルギーから京都に戻っているのでランチを百万遍の進々堂で食べる。なんだかんだ言ってまだ1年振りなのでお互いにそんなに変わっていない。視界の端でおばさんが手を振るので誰かと思えばSさんだった。商談か何かをまとめている様子。「京都って狭い」と、Nさんがお決まりの文句を言って、でも彼女はパリに行くとある日本人の女の子にかなりの確率でばったり会うのだという。
 夕方、偶然ではなくバイト帰りのPとお茶。

 木曜日
 Tとランチ。話の途中で、光子-光子相互作用のことをなんとなく考え直してみる気になる。光子同士はそのままだと相互作用しないけれど、ビームスプリッターなんかを用いてある光学系を組んでやると、厳密には相互作用ではないけれど面白い動作を見せる。普通に考えたら確率2分の1で起こることが全く起こらなくなったり。量子力学からの当然の帰結で、応用も随分研究されているけれど、何か大事なことが忘れられている気がして心に引っかかったままになっている。
 図書館によってから研究室へ行く。I君とOとしゃべっていて、途中でプラズマ推進の話が出て、やっぱり動くものの研究は楽しそうだなと思う。物性物理は動かないし地味だ。これから燃焼系の機関はどんどんと電気系の機関に取って代わられるだろうし、車はモーターでいいけれど、飛行機はプラズマとかになるはずだから、プラズマ推進の研究はとてもホットなんじゃないかと思う。
 夜、少し散歩がしたくなったのでコンビニでアイスクリームを買ってKと散歩する。 

eu.

2008-07-09 17:47:33 | Weblog
Sometime. Just sometime, we all of us get it. Puke.
In that morning I was walking along the river called Sumidagawa. It's around 8 still young so that some people also dogs aired themselves. But already summer morning has been getting hot. I started to sweat, didn't feel any fresh breeze just be wrapped in wet. From here to the river mouth just 0.9 km, we got a high humidity indeed.
I know it's not a big deal. But this time is the very first time of my seeing a dead body floating on water. It's a rat, huge one. He got a swollen stomach. I have watched the body for a few minutes. How many people have seen it in this morning or the last night? Or is this body more old? I have no idea. Just I feel I am the only one parson who have seen his body in the world. Nobody sees his body, nobody knows his life. But still he must have his own life, his father and mother, even kids. This is the end of his life, no I should call it after his life, anyway one end that drifting to the sea with many dust on dirty water. And I saw it.


food and house.

2008-07-08 14:41:06 | Weblog
 土曜日に従姉妹の結婚式があったので東京へ行ってきた。今月は友達の結婚式もあるけれど、結婚式というのはいいものだと思う。結婚そのものは然り、久しい顔を見ることとか。自然さと不思議さが入り混じった気分になる。従姉妹写真を撮ろうと思うもタイミングを逃す。何にせよめでたい一日。親戚一同ホテルで宿泊。

 明けて日曜日。
 結婚した従姉妹の弟である従姉妹と上野へ行く。国立西洋美術館を以前から見たいなと思っていたからで、特に興味はないけれどやっていた企画展のコローもついでに見る。常設展のスペースはいかにもコルビジュエらしくて嬉しくなる。すっかり忘れていたけれど、大学の何かの関係で学生証を見せればただで常設展に入れたことを出るときに貼ってあったポスターを見て思い出す。遠くに来ているので大学のことなんてすっかり忘れていたけれど、そういえばなんだかのライセンスで国立美術館と博物館にはどこへでも入れるようになっていた。
 隣の文化会館を見るとすることがなくなったので、いい加減さの心地良いステーキハウスみたいなところでご飯を食べる。
 そのあと吉祥寺でAに会って夜ご飯を食べ、本当は一泊くらいするつもりだったけれど疲れていたし(前日ホテルが両親と同じ部屋だったから落ち着かず全然眠ることができなかった)、なんだか京都に帰りたかったので最終の新幹線にぎりぎり乗って帰る。

 月曜日。
 昨日まで僕が東京にいたのに、東京から入れ違いで京都に来ているSちゃんと京都で会う。Sちゃんの友達が開いたフレンチ食堂みたいな素晴らしいお店、堀川今出川の「小屋」へ行った後、たまたま七夕の奉納行事をしていた白峰神社へ立ち寄り、そのあと懐かしいエトワへ。新しいお店がどんどんできる中、エトワとかメトロ周辺で昔色々なことがあったなと、Sちゃんが「おかえり」と迎えられてるのを見て思う。

approrching that critical mass.

2008-07-04 14:57:50 | Weblog
 ドラえもん、ではなかったかもしれない。
 ジャイアンが転んで、隣にいたのび太は笑いそうになるのを堪え、自分もわざと転ぶ「わー、僕も転んじゃったよ。お尻打っちゃった、痛い痛い」。
 やっぱりドラえもんじゃなかったかな。

 みんなが同じように嫌な思いをすることが最適解である、というようなことをもうやめればいいのになと思う。私はあなた以上に不幸だから私はあなたの不幸に心底共感することができます安心して仲良くしてください必要ならもっと不幸にだってなります。みたいな気の引き方も。人の笑い声を聞くと腹が立つという欲求不満な人が人々の笑わない世界を望むような、そういうやり方はもうたくさんだなと思う。