スタイル。

2005-08-28 04:14:00 | Weblog
 はじめにくどいようですが「中州パーティーのお知らせ」を簡単にまた書いておきます。
 詳しくは2つ前のブログに書きました。

 『中州パーティー』
 2005年9月2日金曜日@鴨川公園(出町柳)19:00~27:00 無料

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 僕は京都という街に住んでいる。
 この街のことをときどき好きだと思う。
 だけど、同時に汚い街だなとも思う。

 今日、テレビを点けてみるとクロアチアの美しい街が映っていた。
 それは本当に美しい街だった。
 僕は京都の混乱した町並みを思う。
 ここはアジアの街なのだな、と妙に納得する。

 僕はときどき京都を観光している外国人のことが気になる。
 彼らから、楽しい、という印象を受け取ることはほとんどない。
 みんな、京都、あるいは日本という旅に疲れ果てているように見える。

 僕はあるスペイン人に
「もっときれいな街だと思っていた。汚いところだし早く帰りたい」
 と言われたことを忘れやしない。

 北欧からやってきた女の子には
「京都きれいだと思う。好きよ」
 と言われたけれど、僕は彼女の国のことを考える。
 そこはとても美しい国だと僕は知っている。

 僕は別に汚い混乱した街が絶対に嫌だという訳ではない、
 都築恭一のTokyo Styleが切り取ったようなかっこよさに近いものだって感じる。
 でも、ちょっとな。
 京都ってなんだろう。
 ときどきゴミ箱みたいに思う。

 昔、安藤忠雄さんが講演で大阪や東京の街を空から撮影した写真を見せてこう言った。

「えー、建築では、建蔽率というものが法律で決められておる訳ですが、
 土地の何パーセントまで建物にしてもいいです、それ以上は駄目、
 というのが決められておる筈なんですが、この写真で見る限り、ほとんど全部建物ですね。
 みんな法律違反ではないのか、これはどういうことなのか」

 会場は、彼の独特の口調もあって大笑いになった。
 でも、実際僕たちはひどいところに住んでいるな、と思う。

 ぺらぺらの大量生産の家が嫌いだ。
 アルミサッシの付いた和風ではない家に、
 何故か瓦が乗っていて、
 変な日本独特のスタイルの家が日本中を埋め尽くす。
 全部とてもカッコ悪いと思う。
 誰がこのような家を好きなのか僕には分からない。

 そして、それは大抵の人にとって人生最大の買い物なのだ。
 30年のローンを払う対象なのだ。
 騙されているような気分がしないだろうか。
 僕には分からないことが多すぎる。

 日本中に、誰かが作ったものが溢れている。
 僕たちの視界はほとんどすべて人工物に覆われている。
 その労力を、電車の車窓から眺めていると頭がくらくらする。
 向こうに見えるビル一つ作るのだって大変な労力が必要だ。
 見渡す限りのビルを作るにはどれだけの人々がどれだけの時間働いたことか。

 ネジや釘の一つ一つに至るまで、全部、誰かが考え設計し製造した。
 人類は土と木と水と石から、はるばるこんなところまでやってきた。
 それはすごいことだ。
 でも、ちょっと誰もいいと思わないものまで作り過ぎたのではないかと思う。
 要らない物はいらない。

トラベラー。

2005-08-27 19:53:22 | Weblog
 はじめに、「中州パーティーのお知らせ」を簡単にまた書いておきます。
 詳しくは一つ前のブログに書きました。

 『中州パーティー(名前つけなきゃな)』
 2005年9月2日金曜日@鴨川公園(出町柳)19:00~27:00 無料

 
 9月10日に滋賀でゴア・ギルのレイブがあるということを、この間の日記にも書いたけれど、今日は少しゴア・ギルのことを書きたいと思う。
 といっても僕はゴア・ギルのことをほとんど何も知らない。だから、違う話になるかもしれない。

 僕は今でこそクラブだとかイベントだとかときどきはしゃいでいますが、昔はDJという存在がどうにも解せませんでした。解せないどころか、むしろその存在を不快に思っていた。
 どうしてかというと、自分でライブをする訳でもなく、音楽を作る訳でもなく、人が必死に作り上げた、あるいは演奏した楽曲をレコードなりCDなりでかけて、それで前のDJブースで調子に乗っているのだから質の悪いことこの上ない、と僕には思えてしかたなかったのです。自分で演奏してみろよ、と言いたくなる。

 だから、ずっとクラブには行かなかった。
 そんな僕がクラブに出入りするようになったのは、だいたいが清野栄一さんの書いた「レイブトラベラー」という本の所為だと思う。

 レイブトラベラーという本を読んだのがいくつの時で、何年前なのか、僕には思い出すことはできない。その本を読むまで、僕は多分ダンスには興味がなかった。レイブ、という言葉の意味すら知らなかった。
 僕は、その本の美しい表紙の写真と、トラベラーという言葉がタイトルについていることから、その本を手に取った。

 そして、僕の人生は変わった。

 けしてオーバーな表現ではない。
 僕はこの本を読まずに所謂「クラバー」という存在になったとは思えないし、そして僕はクラブでたくさんの新しい経験をした。それまでとは全くことなった種類の友達もたくさんできた。
 冒頭で宣伝をした「中州パーティー」だって、清野さんの本を読んでからずっと頭にあったものだ。

 レイブというのは基本的には野外で行われるダンスパーティーのことです。

 レイブトラベラーの最初の方に出てくる文章を僕は忘れることができない。

「世界地図を机の上に広げて、自分が行ったことがある場所に印をつけた。ちっぽけな日本列島の伊豆と日光のあたりに印をつけた。レイブをやっているはずだがまだ行ったことがない場所に印をつけた。イギリスではじまったその印を結んだ道は、ヨーロッパ大陸を回ってインド大陸とタイを通り、日本を横切ってオーストラリアまで、地図の上を北から南へ、曲がりくねった蛇の背中のように走っていた。今まで見たどの地図にもガイドブックにも載っていない道がそこにはあった。その道の上を、今この時に、何万人もの旅行者が行き来していた。僕はその道を、もう一度歩いてみようと思った。」

 たくさんのことを僕はこの本で学ぶ。
 パンク、ロッカー、ヒッピー、モッズ、サイケデリック、ゴア、イビザ、サマー・オブ・ラブ。
 音楽と、ダンスと、人間のこと。

 そして、DJというのがどういう存在なのかも、この本で学んだ。
 それはそんなにいい加減なものではなかった。

 この本の中で名前の出てくるDJの一人が、それがゴア・ギルだった。
 かつてインドのゴアがとても暑かった頃の、レイバーたちの聖地だった頃の、伝説的なDJ。
 その人が滋賀県にやってくる訳です。
 行かない訳にはいかない。

 本の後半ではスズキ・ツヨシという日本人のDJも大きく取り上げられています。
 彼は世界中でとても人気のあるトランスのDJで、僕も彼がコンパイルしたサイケデリックトランスのCDを一枚持っていますが、実は全然聞かない。
 トランスという音楽を、僕は別に好きじゃないし、むしろ嫌いだといってもいいと思う。

 でも、やっぱりゴア・ギルのパーティーには行かない訳には行かない。
 もしかしたら清野栄一さんも来るんじゃないかな、なんて思ったりもする。

 つまり、これは僕にとってはどこか特別なイベントなわけです。
 僕は今、かつて自分が通っていたところでアルバイトをしているわけですが、なんというかその手のループみたいなものが人生にはいくつかあって、これもその一つだと思う。

 ある武道を始め、その縁で知り合ったある武道かの師匠の師匠が、昔僕に多大な影響を与えた書物の著者だったことがある。
 
 色々なことが順に、思いがけず繋がって行くものなのだと、最近思わずにはいられない。

中州パーティーのお知らせ。

2005-08-26 00:10:57 | Weblog
 9月2日金曜日、鴨川の出町柳の中州(鴨川公園)でパーティーをしようと思います。

 パーティーといっても、そんなにたいそうなものではなくて、単に音楽をかけて、それから映像を流すというだけのものですが、普段は暗い公園を、その日だけでもキラキラした空間にできればいいなと思います。

 時間はだいたい夜の7時か8時くらいに始める予定です。
 終わる時間ははっきりしませんが、遅くてだいたい午前3時というところです。

 場所は、京阪の出町柳駅を出てすぐの鴨川と高野川が合流するところです。
 川端通りから、灯りがきっと見えると思います。
 亀の飛び石を渡って、その中洲に行くこともできます。
 できれば僕たちはその亀の飛び石にキャンドルを置いて、それも目印の一つにしたいと考えています。

 コンセプトは、鴨川公園に彩りを添えることです。
 僕たちは決して、中州を占領して自分達の為のパーティーを開きたいというものではありません。
 僕たちは、開かれた場としての公園、その機能をいくらか強化したいと望むものです。

 子供だって、家族だって。おじいさんだっておばあさんだって。誰もが気楽に立ち寄れれば良いなと思います。
 決して、ばか騒ぎにはしたくありません。
 京阪を降りて家路を歩く人々が、自転車に乗って通りがかる人々が、なんとなく立ち寄って、それでいくらかのくつろぎや楽しみを得てくれれば良いなと思います。
 心地良いこと。

 当たり前のことですが、フリーパーティーです。
 お金も何も要りません。
 なぜなら、そこは公園ですから。
 ただ、この日は、公園に灯りが点り、音楽が流れています。
 そういう夜なのです。

 僕たちは、特別な何かを来て頂いた人々に供給することはできないでしょう。
 それには力不足です。
 でも、人々が夜のいくぶんキラキラとした公園に集まるということは、それ自体が特別の力を持つと信じます。
 だから、なるべくたくさんの人に来て頂けると嬉しいです。

 もしも都合が宜しければ、気の合う友達も、すこし疎遠な友達も、どうぞ誘い合わせて来て下さい。
 楽しい、平和な夜になればいいと思います。


北京。

2005-08-24 19:52:35 | Weblog
 小林紀晴のアジアンジャパニーズをようやく買った。
 アジアンジャパニーズが世に出たのは確か1995年、いまからもう11年も前のことだ。
 そのころ僕は15歳で、小林紀晴という写真家のことも、それから写真のことも何も知らなかった。ただの高校受験を控えた中学生だった。写真のことどころか、この世界について僕はまだほとんど何も知らなかった。

 アジアンジャパニーズという本を、いつ初めて見たのかは思い出すことができない。
 でも、僕はこの本に強く惹かれた。惹かれた、というかこの本は一度見ただけで僕の記憶に焼きついた。一時期、僕は蔵前健一だとか、アジア旅行記ばかり読んでいたので、アジアンジャパニーズだって買ってよかった筈だ。でも、何故か買わなかった。

 そういえば今日フライヤーを見付けたのですが、9月10日って滋賀県にゴア・ギル来るんですね。 一度は体験しておきたい気もする。
 山水人
 ↑ここに情報があります。


 小林紀晴の本で最初に買ったのは「東京装置」という本だ。
 何について書かれていたのか、僕はもう思い出すことができない。
 でも、その表紙の写真と、「東京装置」という完璧なタイトルと、それから彼の文体は忘れることができない。
 僕が持つ「小林紀晴」という情報はほとんどこの「東京装置」だけだった。それで、僕はすっかり彼のことを気に入った。

 それでも、やはりアジアンジャパニーズは買わなかった。図書館で見掛けても借りなかった。こういうのは自分の感覚に従った方がいい。読む時期ではなかったのだ。何かを僕は待つ必要があった。

 そして、今日僕はアジアンジャパニーズを読み出した。

 当時23歳の小林紀晴は比較的自由に英語を操った。
 彼は3年半勤めた新聞社を辞めたばかりだった。入ってその年に既に嫌になった新聞社。

 英語を話すということ。
 先日読んだ「日本人の英語」という本に(これは昔友達が日記で紹介していたもので、ずっと興味があった)、

 「冠詞が名詞についているのではなくて、冠詞に名詞が付いているのだ」

と書いてあった。

 たとえば a dog なら dogにaが付いているのではなく、aにdogが付いている。

 これは目から鱗が落ちるような指摘で、でも、考えてみればとても当たり前なことだ。
 ネイティブの頭の中では時系列として先にaが出ているのだからaを先に考えているに違いない。

 会社の命令で遠くに住むことになって、そして離れ離れになってしまった恋人達のことを思う。
 世界のどこへでも1時間で行ければと僕は思う。
 アジアの片隅で、知らない人間に囲まれて死んでいく人間のことを思う。

 夕暮れ時に彼は静かに語り出した。

「オーストラリアの大学から来てたオファー、あれ断ったよ」

 それから、君と一緒にいたいんだとかなんとか。

 今はもう年老いた彼に、その昔起こったこと。

 僕は祈る。
 高く飛ぶカモメとサーファーガールに。

パパイヤ。

2005-08-23 10:39:56 | Weblog
 何度か前にも書きましたが、最近、ものすごく僕は研究に向いていないような気がしてきました。やっぱり会社でも作ってワクワクしながら暮らしたいなと思う。作家にもなりたい。
 みんなで何かを作ったりすることと、小説を書くこと、この二つならアドレナリンをたくさん出しながら行う自身がある。テンションを上げて、寝食を忘れることができる。

 締め切りに間に合わせようと、やっきになって書いたせいで、読み返してみても随分ちゃちで、結局締め切りも過ぎてしまって破棄した小説があるのですが、僕はたぶんこれを書いたときの追い込みでは3日間一歩も部屋から出ていないし、一日3時間くらいしか寝てないし、料理も時間の無駄なのでカロリーメイトとかお菓子しか食べていない。

 ずっとパソコンのキーを叩いていた。自分の作った世界にうまく入り込んで、僕はその世界で半分は生きていたんだと思う。どこかに客観的な自分が残っていて、今、僕ってなんか変な状態だな、こんな風になることってできるんだ、と感動しそうになった。
 それまで、こんな風に自分が頑張ったりできるのだとは知らなかった。というか、一度を除いて、僕は頑張ったことなんてそれまでの人生でなかった。

 その一度というのは昔スケートボードに凝っていたときで、オーリー、つまりスケボーに乗ってジャンプする術を獲得したとき、この時に、自分の頑張りと、一見不可能なことでもやればできるのだ、という感触を掴んだ。
 スケートボードに乗ったままジャンプするなんて、先人がやっていなかったら絶対に思い付きもしない。なぜなら、自分は単に板の上に乗っかっているだけで、べつに足がスノーボードみたいに板にくっついたりしているわけではないし、板の上で自分が飛んでも板は絶対に浮きあがりそうにない。

 でも、ビデオの中で先人達は驚くべき高さを飛んでいた。
 それを見て、「できるのだ」ということを知った僕らはその日から必死にジャンプする。

 できるようになってみれば、特になんてことはない。
 でも、自分が明らかに新しい次元に突入したことを僕は知った。

 研究でこんな状態になることは、どうにもなさそうで、いい加減自分に見切りを付けた方がいいのではないかと思ったりする。
 どうにもワクワクしない。

パーティー。太陽と海について。

2005-08-18 09:58:13 | Weblog
 15日の夜、僕たちは出町柳の中州でパーティーをした。

 この日、僕は夕方までレポートに追われていて、結局、用意を始めたのは5時半くらいからで、とても慌ただしい不完全なものになった。
 おまけに、この日は雨も降ったし雷も鳴った。友達もお盆であまりたくさんはこれないようだった。でも、結果的にはなかなかのパーティーができたと思う。楽しかった。

 この日のことを、順を追って書いてみたい。

 5時半くらいに松田君の(というかサクラさんの)サーフに、松田君とタックンと今山君と僕で乗り込み大学を出発して、今山君のアパートで彼のプロジェクターや何かを積み込む。それから、僕のアパートに寄って、発電機やスピーカーやミキサーなんかを積み込んで、この段階で車の中は荷物だらけになった。
 それから、コーナンへ行って、20リットルのガソリン携行缶と虫除けスプレーと水10リットルを買い、ガソリンスタンドでガソリンを15リットル買う。

 大学を出る頃から、松田君はしきりに「ヤフーの天気予報では雨が降るみたいだ」と言っていて、僕も確かに雲行きは怪しいなと思っていたけれど、雨が降りそうだから中止するというのは随分と不完全燃焼な感じになるので、「降らないよ」と言い切っていた。
 でも、天気予報の通り、雨は降り出した。最初はほんのポツポツだったのが、だんだんと大粒になり、車の窓をしっかりと叩くような雨に変わった。
 僕たちが出町柳に着いたとき、雨という物はまさしく力強く降っていて、僕はパーティーに呼んでいた友達に「雨だから待機します」という旨のメールを送り、そしてみんなお腹を空かせていたので白川で御飯を食べた。

 食事を終えると、雨は随分と小降りになっていた。
 出町柳で高瀬君も合流し、5人で鴨川公園の前に車を停めて、少しの間どうするか相談する。雨は止むのか、それともまだ降り続くつもりなのか、いまいちはっきりしなかった。だけど、雨が降りそうだ、という理由でなにかを止めにすることはとてもストレスフルだし、僕たちはとりあえず準備を始めることにした。雨が強く降るなら退散すればいい。

 車から大量の荷物や器材を降ろして、それらを中州の先端付近まで運び終えると強い雨が降り出した。器材にブルーシートをかけて、高瀬君以外誰も傘を持っていなかったので、ちょうど何かに使えるかもしれないと持ってきていた大きなビニルシートの中に全員で入って雨宿りをする。空ではくっきりとした稲光が走り、中州に5人してビニルを持ち上げ立ち尽くす僕らは、自分達がいかにも滑稽で大笑いする。

 だけど、昔どこかの偉い人も言ったように、雨という物はいつかは上がる。
 しばらくすると随分な小降りになり、その隙に僕たちは器材を橋の下に運び込んだ。
 そして、このまま橋の下で始めても良いのではないか、ということになり、橋の下で映像を流し、音楽を掛けることにした。ただ、橋の下にはホームレスの人の家があって、僕らはホームレスの人に迷惑でないかどうかを確認するために、ブルーシートで覆われた住処に向かって、誰かいるのか?いるなら音楽かけるけど構わないか?というようなことを叫ぶ。何の反応もなくて、たぶん誰もいないのだろうと僕たちはそのまま準備を続ける。

 橋の下でも、それなりの空間は作ることができた。
 加藤さんやサナエちゃんや菅野君や松本さんやムラ-シもやってきて、ビールを開けて。
 でも、間の悪いことに、ホームレスの人が荷物満載の自転車で帰ってきて、仕方ないので僕は「しばらくここでパーティーするけど構わないか?」と聞きに行った。僕は楽観的に「まあいいよ」とでも言ってくれるかと思っていたのだけど、彼は「あまり遅くは困る」というようなことを言い出したので話の途中で僕は話が終わったことにしてみんなのところに戻った。

 発電機のガソリンがなくなってきたので補充しようとすると、携行缶のキャップが金属製で滑りやすく開けることができない。困っていると今山君が「ホワイトバンドがあるじゃん」というので、僕は手首のホワイトバンドを外してキャップに嵌めて回した。キャップは容易に開き、ホワイトバンドは始めてその実用性を見せた。天才的な思い付き。

 やがて、雨は完全に上がり、僕らは中州の真ん中に大移動した。
 もう橋の下に落ち着いてしまっている感じだったのでどうしようかと考えたけれど、やっぱり思い切って移動することにして、それは正解だった。解放された空間で音を出すこと。周囲の人達からスクリーンの映像が見えること。キャンドルの灯りが見えること。そういったことはとても大切なことだ。

 レイブみたいに踊り回る、ということにはならなかったけれど、橋の下とは開放感が比べ物にならない。もちろん、室内とも比べ物にならない。ジャンベを鳴らしながらかける松田君の音楽のセンスは踊るのにばっちりだった。僕はあまり激しい曲を持っていないので、これからそっち方面にも手を出してみようと思った。僕はこの日どちらかというとソフトロックとかブラジルよりの選曲で、それはあまり中州で激しい音は近辺住人への迷惑になるのではないか、という考えによるものだったけれど、音という物は意外と減衰が激しいみたいで、ある程度の音量をだしても対岸へはあまり聞こえていないみたいだった。と、思いたい。

 サナエちゃんが持ってきてくれた花火もとても楽しかった。
 僕は手で持ってする花火をこんなに楽しいと思ったことは子供の頃以来ないように思う。

 福岡からサマソニにやってきた帰りだという木村君達3人や、話すと同じ大学だということが分かった建築なカップルもやって来てくれて、知らない人が来る、というのは当初のコンセプトにあったので僕はとても嬉しかった。この日は看板を作る時間もなかったし、雨でお盆で人は全然歩いていなくて、今日はその点では期待できないな、と思っていた。
 そういえば、世間という物は狭くて、この日来てくれた木村君に次の日メトロの前でばったりあった。

 名前を忘れてしまったけれど、カップルの女の子の方が映像をやりたいといってくれたので、映像をお任せすることにした。音楽は渋谷系に端を発しているようでセンスもばっちりだった。
 こういうふうに新しい人が参加してくれるのはとても素敵なことだ。 

 野外で開かれたパーティーをするということには、自分達が楽しむ他に通り掛かりの人にも楽しんでもらいたいという意志がある。もちろん、良く思う人ばかりではないだろう。迷惑に思う人も、何騒いでんだと思う人もいると思う。だけど、僕はキラキラとした夜をたくさん作れればいいと思う。普段は真っ暗な中州に灯りを点し、音楽を流し、平和的に人々が過ごすこと、決して「恐く」はしないこと、子供だって家族連れだって気楽に入ってこれること、場合によっては音に合わせて踊るということのない人達が解放されること、つまり、本質的にオープンであること。

 多大な労力を友人達に強いてしまい、それでも文句一つ言わないでうきうきと協力してくれる彼ら彼女らにとても感謝する。また、できるだけ近いうちに次回のパーティーを開くので、よければたくさんの人達に来て頂きたいです。このブログでも告知をすることにします。


アメリカン・ハイウェイ。

2005-08-03 23:38:23 | Weblog
 一昨日、バイトから帰って、夜にとてもお腹が空いて、今山くんとご飯を食べに行った。僕は自転車を友達に貸していたので、二人で松ヶ崎から百万遍まで歩いて「畑カフェ」を目指した。
 いい加減、一乗寺には飽き飽きだったし、それに近辺の定食屋さんにはヘルシーな感じの食べ物を出してくれるところがほとんどなかったからだ。
 残念なことに畑カフェは閉っていて、代わりに大輔さんの店で豚肉ショウガ炒め定食を食べた。

「なんていうか、僕は実際にものを作ることに理論的な研究よりもずっと向いているような気がするんだけど、でも、ものを作る仕事で成功しても、死ぬ直前に後悔しそうな気がするんだよ。もっと、宇宙の仕組みみたいなものを掘り下げてみたかったって」

 僕はそう言った。
 僕も今山くんも理論系の研究室なので、実際に目の前で物を作ったり、実験したりということはしない。
 でも、二人とも何かを作るときは異常に高いテンションになるし、それこそ寝食を忘れて没頭することができると思う。
 だから、本当はそういうことを仕事にしたほうが、きっとずっと幸せなんじゃないかと思うわけで、でも僕は小さいときに読んだ本や何かのせいで、宇宙の仕組みを知りたい、という漠然とした欲求を捨てることができないし、そのくせ数学やなんかは苦手だし好きでもないということで、欲しいものと好みの不一致をどうすることもできない。

 これには長らく悩まされている。

 大輔さんとは基本的にはクラブ友達なので、よく一緒になるイベントについていくらか話す。

 ご飯を食べ終え、また松ヶ崎まで二人で歩いて、それから僕は研究室に行った。

 それから、そうだ、今日自転車を返してもらえばいいや、と思い、丸太町に住んでいる友達のところまで歩いて自転車を取りに行き、自分の自転車に乗って、一緒に貸していた松田君の自転車を右手で押して帰ってきた。

 昨日は、バイトから帰って、そしてアコちゃんとベリーベリーカフェに行った。

「昔、少年アシベって漫画あったの知ってる?」

「知ってるよ。実は全部持ってた」

「じゃあ、アシベの誕生日プレゼントって何か知ってる?」

「ゼリーのプール」

「そう! それっ。私、それずっと夢なのよね」

「まあ、できないことはないよね。もう大人だし」

「っていうか、私ってゲルの研究してるでしょ。今、研究室にあるのよ、要らないゲル化剤が、しかも大量に」

 もうやるっきゃない。

 それから、流れで僕は昨日と同じ話をした。

「ものを作るほうが向いてると思うけれど、でも死ぬ寸前に後悔しそうな気がするんだよね」

 だけど、昨日と今日は違うし、話す相手も違う。
 僕はカリフォルニアビールを一口飲んでから、昨日は思いもしなかった言葉を付け加えた。

「考えてみたら、死ぬ寸前にちょっと後悔するくらいなんでもないね」

「そうよ、それまで何十年も楽しいわけだし。何十年も楽しんで最後に一瞬後悔するか、何十年も苦しんで最後に満足感を得るかってことでしょ」

 ただ、僕は今自分のいる世界で、はっきり言ってまだ自分の力の一割も出してはいないような気がするし、もう少し先を見てみようと思う。

 いろいろあって、僕はアコちゃんの自転車を大学まで運ぶことになった。
 2日連続で自転車を運ぶというのは、なんとなく教訓めいている。

 そして、この夜は異常に警官が張っていて、案の上、僕は止められた。
 ほんとうに警察って迷惑だな。
 普段なら、「これは任意だし、僕には止まる義務がない」って振り切るけれど、この日は自転車で自転車を運んでいたし、逆らうと変な罪になりそうだったので大人しく防犯登録を確認させてあげる。

 ロサンゼルスに行きたい。

 

book;baton.

2005-08-02 00:16:38 | Weblog
 友人のやなぎから本のバトンが回ってきたので、書いてみます。
 といっても音楽バトンよりもこれは難しいバトンだと思う。
 僕は一時期まったくの本の虫というやつだったので、本からはかなりの影響を受けています。

 ◆持ってる本の冊数

 分からないけれど、実家には大きなスライドの本棚があって、それから箪笥の上だとか押入れの中にも本が積んであります。
 今住んでいるアパートには本がほとんどありません。狭いので。


 ◆今、読みかけの本

 「ほぼ日刊イトイ新聞の本」 講談社文庫 糸井 重里 (著)

 ほぼ日、思ったよりも気合入っていて吃驚しています。


 ◆最後に買った本

 同上

 ◆特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)

 「ズッコケ三人組シリーズ」
 僕の人格形成の60%くらいはこの影響下にあるんじゃないだろうかと、いまだに思う。小学生のとき必死に読んでいた。とても面白かった。何か行動を起こし、自分たちでなんとかやっていくのだということをここから学んだと思う。オーバーに言うとですが。

 「マガーク少年探偵団シリーズ」
 海外のものです。舞台はアメリカだったと思う。
 よくある少年探偵団もの。
 リーダーと、色々な特技のある少年たちが集まって、難事件(?)を解決します。
 僕はかなり影響を受けまくって小学生のときは探偵団を作っていました。
 RITK探偵団という探偵団で、毎週水曜日には事務所でもある僕の部屋に集まって事件を探しに出掛けていました。もちろん、事件なんてほとんど起こらなくて、僕たちは同じくグループを作っていたクラスの女の子たちや、あとは中学生にちょっかいを出して、それなりに山や廃墟を探検して、そして勝手な報告書を書いて、その日起こったことをオーバーに書いて、さらに100%解決だといつも書いていた。

 「なぜなに理科小学6年生」
 小学校の3、4年の頃に、父が持ち帰った大量の本の中にあって、僕は記憶にある限りでは、この本によって科学というものの存在を知りました。
 科学者になりたいと思ったきっかけだと思う。

 「矛盾を活かす超発想」
 ロボコンを作ったことで知られる、東京工業大学で制御工学をなさっていた森政弘さんの本。小学校高学年か中学の頃、父の本棚で見つけた。物事の考え方や見方、それ自体について考えるということをはじめて知ったと思う。

 「ぼくらは地底王国探検隊」
 これは僕がはじめて読んだ子供向けながら長編の小説です。
 夏休みに富士山の近くに主人公の少年が親戚を訪ね、現地の子供たちと樹海や洞窟のなかを探検し地底王国を発見するというもの。
 とてもわくわくしながら読んだ。
 僕が本を好きになるきっかけはこれだったんじゃないかと思う
 今でも、この本に出てきたシーンはところどころ、でも鮮明に覚えている。

 このバトンを書いて、自分でも驚いたのですが、思い入れのある本というのがすべて子供の時に読んだものになってしまいました。
 とても自然に思い入れがあると思えるのは、もちろん、5冊という限定を払えばいくらでも出てくるのですが、でもベスト5はこれなわけです。
 もっとかっこいい本を書きたかったのですが、まあ仕方ありません。

 次にバトンを渡す人は、

 tadaki
 むらっしー。
 jimmy
 holidayloverさん
 チハルさん

 もしも暇があればよろしくお願いします。