s+b=.

2009-06-30 18:41:37 | Weblog
 まだ詳細が未定ですが、7月20日の夕方から鴨川でパーティーをします。
 比較的簡単なのを。たぶんプロジェクターも持っていかないし、スピーカーも小さいのでやるし、音楽もラップトップで掛ける。
 昨日の夜中に急に言われたことで、今のところ僕とフランス人の友達がDJするくらいしか決まっていません。たぶん日本人のDJとモンゴル人のDJが加わってくれると勝手に踏んでいます。
 詳細は追ってアップデートします。


 2009年6月26日金曜日
 不慮の事故。スケボーでコンビニへ行って、帰ってくると廊下に何人か友達がいて、乗ってみたいというのでちょっと乗せて上げるとその子が転んでスケボーはガラスに直撃し、割れる。
 冴えない1日だったので夜中にそんなことになって少しブルーになる。

 2009年6月27日土曜日
 朝から寮の消防訓練。僕は初期消火係り。初めて煙の充満した部屋体験と起振車体験をする。そのあとみんなでロビーでピザパーティー。三十数箱のピザの箱を見て映画Tokyoの一編を思い出す。MがスリラーのTシャツを着て、マイケルの追悼だという。まだ二十歳過ぎのフランス人がこんなにマイケル・ジャクソンのことを好きだというのは不思議な気分がした。
 ガラスのことを言うと弁償とのこと。

 2009年6月28日日曜日
 ノイナー。

 2009年6月29日月曜日
 ずっと研究室にいるもあまり捗らない。
 

4.

2009-06-25 21:57:44 | Weblog
 自分のブログ内で2005年の8月の日記をはずみでクリックしてしまって、僕は4年前の自分が書いた日記をいくつか読む羽目になり、色々と失ったものや得たものについて考えた。つまり不思議だとしか言いようのないこの世界について。


 一つ引用します。
_______________________

 15日の夜、僕たちは出町柳の中州でパーティーをした。

 この日、僕は夕方までレポートに追われていて、結局、用意を始めたのは5時半くらいからで、とても慌ただしい不完全なものになった。
 おまけに、この日は雨も降ったし雷も鳴った。友達もお盆であまりたくさんはこれないようだった。でも、結果的にはなかなかのパーティーができたと思う。楽しかった。

 この日のことを、順を追って書いてみたい。

 5時半くらいに松田君の(というかサクラさんの)サーフに、松田君とタックンと今山君と僕で乗り込み大学を出発して、今山君のアパートで彼のプロジェクターや何かを積み込む。それから、僕のアパートに寄って、発電機やスピーカーやミキサーなんかを積み込んで、この段階で車の中は荷物だらけになった。
 それから、コーナンへ行って、20リットルのガソリン携行缶と虫除けスプレーと水10リットルを買い、ガソリンスタンドでガソリンを15リットル買う。

 大学を出る頃から、松田君はしきりに「ヤフーの天気予報では雨が降るみたいだ」と言っていて、僕も確かに雲行きは怪しいなと思っていたけれど、雨が降りそうだから中止するというのは随分と不完全燃焼な感じになるので、「降らないよ」と言い切っていた。
 でも、天気予報の通り、雨は降り出した。最初はほんのポツポツだったのが、だんだんと大粒になり、車の窓をしっかりと叩くような雨に変わった。
 僕たちが出町柳に着いたとき、雨という物はまさしく力強く降っていて、僕はパーティーに呼んでいた友達に「雨だから待機します」という旨のメールを送り、そしてみんなお腹を空かせていたので白川で御飯を食べた。

 食事を終えると、雨は随分と小降りになっていた。
 出町柳で高瀬君も合流し、5人で鴨川公園の前に車を停めて、少しの間どうするか相談する。雨は止むのか、それともまだ降り続くつもりなのか、いまいちはっきりしなかった。だけど、雨が降りそうだ、という理由でなにかを止めにすることはとてもストレスフルだし、僕たちはとりあえず準備を始めることにした。雨が強く降るなら退散すればいい。

 車から大量の荷物や器材を降ろして、それらを中州の先端付近まで運び終えると強い雨が降り出した。器材にブルーシートをかけて、高瀬君以外誰も傘を持っていなかったので、ちょうど何かに使えるかもしれないと持ってきていた大きなビニルシートの中に全員で入って雨宿りをする。空ではくっきりとした稲光が走り、中州に5人してビニルを持ち上げ立ち尽くす僕らは、自分達がいかにも滑稽で大笑いする。

 だけど、昔どこかの偉い人も言ったように、雨という物はいつかは上がる。
 しばらくすると随分な小降りになり、その隙に僕たちは器材を橋の下に運び込んだ。
 そして、このまま橋の下で始めても良いのではないか、ということになり、橋の下で映像を流し、音楽を掛けることにした。ただ、橋の下にはホームレスの人の家があって、僕らはホームレスの人に迷惑でないかどうかを確認するために、ブルーシートで覆われた住処に向かって、誰かいるのか?いるなら音楽かけるけど構わないか?というようなことを叫ぶ。何の反応もなくて、たぶん誰もいないのだろうと僕たちはそのまま準備を続ける。

 橋の下でも、それなりの空間は作ることができた。
 加藤さんやサナエちゃんや菅野君や松本さんやムラ-シもやってきて、ビールを開けて。
 でも、間の悪いことに、ホームレスの人が荷物満載の自転車で帰ってきて、仕方ないので僕は「しばらくここでパーティーするけど構わないか?」と聞きに行った。僕は楽観的に「まあいいよ」とでも言ってくれるかと思っていたのだけど、彼は「あまり遅くは困る」というようなことを言い出したので話の途中で僕は話が終わったことにしてみんなのところに戻った。

 発電機のガソリンがなくなってきたので補充しようとすると、携行缶のキャップが金属製で滑りやすく開けることができない。困っていると今山君が「ホワイトバンドがあるじゃん」というので、僕は手首のホワイトバンドを外してキャップに嵌めて回した。キャップは容易に開き、ホワイトバンドは始めてその実用性を見せた。天才的な思い付き。

 やがて、雨は完全に上がり、僕らは中州の真ん中に大移動した。
 もう橋の下に落ち着いてしまっている感じだったのでどうしようかと考えたけれど、やっぱり思い切って移動することにして、それは正解だった。解放された空間で音を出すこと。周囲の人達からスクリーンの映像が見えること。キャンドルの灯りが見えること。そういったことはとても大切なことだ。

 レイブみたいに踊り回る、ということにはならなかったけれど、橋の下とは開放感が比べ物にならない。もちろん、室内とも比べ物にならない。ジャンベを鳴らしながらかける松田君の音楽のセンスは踊るのにばっちりだった。僕はあまり激しい曲を持っていないので、これからそっち方面にも手を出してみようと思った。僕はこの日どちらかというとソフトロックとかブラジルよりの選曲で、それはあまり中州で激しい音は近辺住人への迷惑になるのではないか、という考えによるものだったけれど、音という物は意外と減衰が激しいみたいで、ある程度の音量をだしても対岸へはあまり聞こえていないみたいだった。と、思いたい。

 サナエちゃんが持ってきてくれた花火もとても楽しかった。
 僕は手で持ってする花火をこんなに楽しいと思ったことは子供の頃以来ないように思う。

 福岡からサマソニにやってきた帰りだという木村君達3人や、話すと同じ大学だということが分かった建築なカップルもやって来てくれて、知らない人が来る、というのは当初のコンセプトにあったので僕はとても嬉しかった。この日は看板を作る時間もなかったし、雨でお盆で人は全然歩いていなくて、今日はその点では期待できないな、と思っていた。
 そういえば、世間という物は狭くて、この日来てくれた木村君に次の日メトロの前でばったりあった。

 名前を忘れてしまったけれど、カップルの女の子の方が映像をやりたいといってくれたので、映像をお任せすることにした。音楽は渋谷系に端を発しているようでセンスもばっちりだった。
 こういうふうに新しい人が参加してくれるのはとても素敵なことだ。 

 野外で開かれたパーティーをするということには、自分達が楽しむ他に通り掛かりの人にも楽しんでもらいたいという意志がある。もちろん、良く思う人ばかりではないだろう。迷惑に思う人も、何騒いでんだと思う人もいると思う。だけど、僕はキラキラとした夜をたくさん作れればいいと思う。普段は真っ暗な中州に灯りを点し、音楽を流し、平和的に人々が過ごすこと、決して「恐く」はしないこと、子供だって家族連れだって気楽に入ってこれること、場合によっては音に合わせて踊るということのない人達が解放されること、つまり、本質的にオープンであること。

 多大な労力を友人達に強いてしまい、それでも文句一つ言わないでうきうきと協力してくれる彼ら彼女らにとても感謝する。また、できるだけ近いうちに次回のパーティーを開くので、よければたくさんの人達に来て頂きたいです。このブログでも告知をすることにします。

(引用終わり)
______________________

clue.

2009-06-25 17:40:08 | Weblog
 読書の話。
 結構長い間、本を読まないようにしていた。全く面白みのない人間の意見みたいだけど、今の僕には本なんて読んでる時間はないし。少なくともここ1,2年間は研究に関係のない本を極力読まないようにしようと思っている。ところが本を読むことへの渇望はいつの間にか積もっていてようで、先週末から今週の頭に掛けて、ばーっと6冊本を買って読んでしまった。6冊目を読む頃には読書欲はほぼ消えて、6冊目は途中でやめた。しばらくは本なんて読まない。6冊のうち2冊は昔1度読んだけれど、誰かに貸したきりになっている本。アマゾンは便利だけれどなんだか味気ないなと最初は思っていた。ところが時間のことを気にするようになってから本屋に行って本を買うことが少し苦痛に思えて自分でも驚く。本屋まで行ったり本がどこにあるのかを見つけるのが時間の無駄に感じられて仕方ない。アマゾンのほうがずっと快適だ。昔、たぶん小学校高学年の頃から大学1,2年生まで、僕は週に5日は本屋に行くような子供だったので、今から思えばどれだけ膨大な時間を本につぎ込んだことかとそら恐ろしい。

 偶然の話。
 先日、「リンダリンダ」を数年振りに聞いていたら、直後に研究室でOがリンダリンダを聞いていて吃驚した、という話を書いたけれど、あの後夜中に研究室を出て廊下を歩いていると、ラップトップで音楽を編集している2人組がいて、1000のバイオリンを流していた。
 翌日くらいにYに「昔地下鉄で友達の映画撮影を手伝っていたら駅員に怒られた」という話をしていたら、そのときの友達に数年ぶりで交差点で出くわす。
 それから数年ぶりに訪れたカフェでKとMにばったり会って、お互いに普段は行かないような場所でのことだったから驚いてテンションが上がる。

 格言の話。
 「少し遅れたからといって躊躇う必要はない」
 「ランチにはパンとチーズ」

 言語の話。
 最初Rが「またトルコ語と日本語で同じ言葉見つけた」というので(なんとか人の”ジン”がトルコ語でも”ジ”みたいな言葉)、どちらも中国から入った言葉に違いない、今も昔も何もかもmade in Chineなんだよという話をする。しばらくどうして中国人はあんなに沢山の音を使い分けるのに日本語の濁点有りと無しが聞き分けられないのか、などの話をしてフレームが大きくなり動物の言語能力の話になるとRがAlexという「ディナーを食べに行きたい」とか「軟らかいトウモロコシが食べたい」とかかなりの言語を話すオウムのことを教えてくれる。youtubeで探してO、R、僕の三人でトリックではないかと半分訝しがりながら映像を見てみる。Rは明日から3ヶ月トルコに帰るので簡単にお別れの挨拶をして、それからまたAlexの動画を見つけたところ、ABCが天才オオムAlexの死を追悼するものだった。彼は31年生きて、2007年に死んでいた。

 2009年6月23日火曜日
 あるシステムの中をウロウロしていたらハッキングのようなことをしていた模様(別に悪いことをしたわけじゃないです)。後でシステム管理者の方と話をすると「そうかあ、あそこからダウンロードできちゃったかあ、それはまずいなあ」と少し嬉しそうな感じで対応して頂いてほっとする。
 夜Kの誕生祝いにみんなでアンデパンダンへ。8時に予約を頼まれたので予約しておいたのに、夜出掛けようと言っていたメンバーのほとんどが8時を過ぎてもまだ茶道教室。確実に1時間は遅れるだろうし、今日はイベント的にもお客さんの入りは良さそうだし、10人分の席を確保していたし、迷惑なので予約はキャンセルにしてもらう。
 結局9時半くらいから食べたり飲んだりする。DとTが機転を利かせてケーキにメッセージを入れてもらったり、何度も乾杯したり。今日のDJ陣から、もしかしたらと思っていた通りKちゃんに再会する。
 その後川端の缶詰バーに寄り、実はMと哲学的な思考ベースがかなり似ていることを発見する。知らなかった人たちと知り合いになる。缶詰バーなんてと思っていたけれど人の流動性が高くて面白かった。

Dimension.

2009-06-22 19:00:40 | Weblog
 次元のことを考えると変な気分になる。
 ここで次元と言っているのは、僕達の世界が仮に3次元の空間に1次元の時間を足した4次元だとして、じゃあ5次元って一体なんだ?みたいな話ではありません。僕達は3次元に空間という特別な意味を持たせたがるのでこういう話が時折出てくるけれど、次元というのはある状態を指定するために必要な変数の数のことに過ぎない。たとえば量子力学では無限次元の複素ベクトル空間(ヒルベルト空間という立派な名前が付いている)の中で状態を指定するけれど、それは別にベクトルの成分が無限個というだけで、なんかハイパーな宇宙空間でどうこうという話ではありません。
 閑話休題。
 僕が今気にしているのは、長さの次元、重さの次元、時間の次元、といった所謂「単位」のことです。
 最近、これら「単位」のことが気になって仕方ない。

 小学校で習ったような気もするけれど、「単位」の異なるものは足し合わしたりできない。たとえば水が10リットルとリンゴが10個あって、水とリンゴを足したら10+10=20という計算はナンセンスだ。そんなの当たり前じゃないか何をわざわざと子供の時は思っていたけれど、大人になると実はここには大きな何かが潜んでいるような気がして気持ち悪い。

 単純な3次関数、

 f(x)=x^3+x^2+x ("^"で何乗というのを表しています。x^3はxの三乗です)

 を数学ではなく物理として使うとき、もしもxが距離の変数だと即座に関数は破綻する。三乗の項は体積、二乗の項は面積、一乗の項は長さで、そんなものを足し合わすことはできないからだ。だから物理で関数を使うとき変数は無次元のものにしておく必要がある。
 
 これはものすごく当たり前のことだし、全く持って納得の行くことだけど、微かな違和感もやっぱりあって、それは単位や次元というのは一体なんだろうというものです。

beautiful beautiful.

2009-06-20 17:50:41 | Weblog
 2009年6月19日金曜日

 部屋を出る前にシャワーを浴びていると、ふとブルーハーツのことを思い出し、そして久しぶりにyoutubeでリンダリンダを聞いてみた。僕は昔昔ブルーハーツの曲のほとんどをギターで弾いたり歌ったりできたほどブルーハーツが好きだったけれど、ハイロウズが出来た頃にはブルーハーツを忘れ、それからクロマニヨンが出来た頃にはヒロトやマーシーのことをすっかり忘れていた。どうしてシャワーを浴びているときにブルーハーツのことを思い出したのかは分からない。僕は小さな画面の中で、はじめてテレビに出たときの岡山弁が抜けていないヒロトと彼の痙攣ダンスを見ながらリンダリンダをとても久しぶりに聞いた。
 そして僕は夏の太陽の下、日傘を差したメイクばっちりの同じ女の子と違う交差点で2度すれ違い。それから大学に着いて研究室に入ると奇妙な感覚に襲われた。その違和感が何なのか本当に分からなくて僕は微かな時間立ち止まった。違和感の源はOだった。なんと彼はPCのスピーカーからリンダリンダを流していたのだ。

 情報科学センターCISのMathematicaをLAN経由で動かそうとするも上手く行かない。そもそもCygwinのX11が起動しないので使えそうなサーバを探してインストールし直す。無事にstartxwin.shでX11を立ち上げ、PuttyでX11forwardingをonにしてCISに入りMathematicaを呼ぶも、今度はlocalにフォントが足りないという問題でMathematicaが起こせない。XとType1のセットがいるらしい。WWWとCIS内を探し回りType1はWindows用font内に見つけたがXがない。時間ばかり流れて結局解決せず。でもこのところFORTRANのコンパイル以外でUNIX環境を使っていなかったのでコマンドの復習にはなった。そういえば物性研のスパコンも長い間使っていないのですっかりジョブの渡し方などを忘れている。計算機ももう少し頻繁に使うようにした方がいいかもしれない。コンピュータの設定などに時間をとられている時、物理じゃなくてコンピュータに時間かけてどうするんだ、というような気分になることがあるけれど、実際のところ理論物理学者にとってコンピュータはなくてはならない道具だし、コンピュータのことももう少し真剣に勉強しようと思う。ファインマンだってロスアラモスに居たときは計算機のより効率的な使用法について随分考えていたようだし、実際にOなどは計算関連のソフト及びlinuxにとても詳しい。

n.

2009-06-18 16:18:01 | Weblog
 このところ2回ほど町山智浩さんについて触れましたが、僕がだいたい毎日チェックするブログは内田樹さんのと町山さんのと、あとホリエモンのブログです。ホリエモンのブログを読んでいるというと時々嫌な顔をされることがあって、まあ嫌な顔をされるのも理解できなくはないけれど、僕はホリエモンの考え方にかなり高い割合で賛同します。金の亡者だというイメージは明らかに間違っていて、権力者や既得権益層に洗脳抑圧されてその支配下で人生を送るよりもちゃんと考えてやりたいことをした方がいいんじゃないの、というのが最も基本的な彼のスタンスだと思う。僕達は想像以上に自分たちが置かれている押さえつけられた状況に無自覚で、そこに穴を穿つようなことを彼がシンプルに明快に言うので、だから結構多くの人が堀江貴文という人を嫌うのではないだろうか。

 これもこのところ書いている"The Yes Men"の話で、ネタばれになるので困る人は読まないでほしいのですが、イエスメンの二人がWTOの人間に成りすましてニューヨークの大学で講演したとき、彼らの「飢餓問題解決の為、先進国の人々のウンコをリサイクルしたウンコバーガーを途上国のマクドナルドで売る」という意見に腹を立てた学生達が「俺たちは今人間相手の話をしているんだ、貴様は途上国の人々を家畜扱いするのか」と言った。多分これこそイエスメンが望んでいた反応だったのだと思う。「すでに我々は途上国の人々をこき使って家畜以下のもののように扱っている」と彼らは答えた。学生達はブーイングして物を投げたりするしかなかった。

 僕達の豊かな生活が途上国における多大な犠牲の上に成立していることは明らかで、彼らはブーブー言って物を投げるしかできなかった。僕達はブーイングもせずに黙って俯いている。僕達は矛盾とジレンマを抱えている。もしくは強い物が弱い物から搾取するのは当然のことだと開き直るか。

 イエスマンはフィンランドでこれもWTOに成りすまして講演したとき、現代の途上国における労働者のことを実に的確に表現している。
 フィンランドで奴隷が許されていると仮定して、奴隷を一人持つことにどれだけのコストが掛るのか、最低限の衣服代と1日ハンバーガー2個の食事で計算し、その後にこの算出した奴隷維持に必要なコスト以下で途上国において労働者を雇っていること、この場合一応賃金を払っているので奴隷ではなく労働者と呼べること、現地採用なので無理矢理連行したりする必要がなく自然に見えること、子供もこき使えること等を並べ立て、現代にも見えにくいだけで奴隷はいるのだと主張している。

 僕は日本に生まれて日本に住んでいる。
 本当はこの後に日本のことをたくさん書いたのですが、あまりにも過激になったので消しました。とても単純に、日本人の労働量と生産されるもの、各労働者が手にするものなどを見ると、僕達がどういう社会に生きているのか一目瞭然だと思う。

summer tea.

2009-06-17 20:47:58 | Weblog
 子供の頃は麦茶がもっとおいしかったなと思う。夏が来ると時折子供の頃住んでいた家のことを思い出す。家の北側が道路で、東は田んぼ、南は広い芝生の庭と畑、西は畦道と農業用の小さな水路だった。全部の窓と玄関を開けっ放しにして、風を取り込んだ家に炎天下から帰って、そして飲む麦茶はとてもおいしかった。冷蔵庫で作った氷の持つ独特の味が、融けた氷から広がって、薄くなった麦茶はもはやお茶と呼ぶにはチープ過ぎる独自の夏を代表する飲み物になっていた。僕はガブガブと麦茶を飲んで、汗は相変わらず噴き出した。

 子供の頃は朝に顔を洗わなくても平気だった。汗をかいてTシャツがベタベタになっても平気だった。体が泥だらけになっても平気だった。部屋用の服なんてなくて、うちでも外でも同じ服で、コンタクトもしてなくて、友達が呼びに来たらヤッホーって走って玄関を飛び出した。

 僕達は子供だった。夏が来ると嫌でも思い知る。
 夏になると僕達は子供の頃にしたようなことを沢山するからだろうか。
 ただ、僕達が潜り込んだ防空壕は埋められ、忍び込んだ廃墟マンションは取り壊されて、一方にはPTAのたて看板が、一方には新しいマンションが立てられている。まあそれはいいや、失われた物について語るときどうして僕達は饒舌になるのだろう。あの石版のことをノリト君は覚えているのだろうか。

 大人の行動力で、空想ではない宝探しに行きたいものですね。
 

 

Go Skateboaeding Day!

2009-06-16 15:47:50 | Weblog
 6月21日は世界中でスケートボードを祝う日、Go Skateboreding Dayです。
 街はスケートボードだらけ!

 2週間前くらいに久しぶりにスケボーを出しました。玄関に立てかけてあったのを部屋の中に。部屋は土足の部屋なので狭いけれど僅かな距離乗ることができます。ウィールが硬いので外のアスファルトではうるさくて、軟らかい85aくらいのを探しています。軟らかいのは基本的にロングボード用のばかりで径が60mmを超えていたりするのですが、55mm前後のがあればいいなと思いながら。小さくて軟らかいタイヤは作るのが難しいのだろうな。

white.

2009-06-16 15:14:02 | Weblog
 昔学習塾でアルバイトをしていたとき、当時は売り上げが貧しい国に寄付されるというホワイトバンドが流行っていて、当然の用にそのパクリ商品も市場に溢れていて、たくさんの生徒達も腕にプラスチックかゴムでできたカラフルな輪っかを嵌めていた。一人の生徒が「先生、これってどういう意味?」と言いながら腕に嵌めた輪っかを見せに来て、見てみるとそこには"confidence"と書かれていた。なんでもないシーンだけど、不思議なことに以来心が揺らぎそうなときこのバンドのことを思い出す。confidence.

 告白すると、僕はこのホワイトバンドというのを買って嵌めていました。お金がどこに流れるか知らないけれど、少なくともなんらかの意志の表明にはなるのではないかと思ったからで、もしかしたら何か本当に大きな動きになるかもしれないと少しは期待していた。結局理念はあっさりと立ち消えて、そのあとにホワイトではないカラフルなワッカがファッションとして数ヶ月持続し、そして全てが忘れ去られた。僕はこのバンドのお陰でとても素晴らしい人に出会えたりもしたのでそれはそれで良かった。それから野外パーティーをしたときにガソリンタンクの蓋を開けるのに実用的な意味合いで役にも立ったし、300円だか500円だかの元は十分に取った。

 しかしながら、今振り返ればやはり可笑しなことに加担したなという仄かな後悔がある。とても素晴らしいと思っていた人とも地獄のようなことになったし、ガソリンタンクの蓋くらい気合でだって開けられただろう。それに本来このバンドは世界のヒエラルキーを抉じ開けようと作られた物のはずだった。ガソリンタンクの蓋なんて安っぽいものではなくて。

 二つ前の記事に紹介した町山智浩さんの番組で、WTOをおちょくるドキュメンタリーがあるのですが、僕はこれを見る以前にWTOがそんなに悪い組織だとは考えていませんでした。本当に間の抜けたことに。実は僕は世界の国家間でお金の価値に違いがあることをずっと納得できなくて、つまり途上国で作ると人件費が安く済んで製品が安くできる、というようなことがどうしてなのか全然分からなくて、ときどき友達にも聞いたりしたけれど、たぶんその回答の大半はWTOにあるのだろう。世界の貿易をコントロールしてるところなんだから当然のことかもしれない。