阿闍梨と犬達

2010-07-30 15:27:31 | Weblog
 阿闍梨阿闍梨とタイトルに書きながら、なかなか酒井大阿闍梨の千日回峰行の話に行き着きませんね(笑)

 そろそろ千日回峰行のことに少しは触れておかないと、この人は阿闍梨とか言いながら関係ない話ばかりして、一体何が言いたいの?ということになるかもしれないので、ここで簡単に千日回峰の紹介をしておきます。

 千日回峰は7年間掛けて行われる修行です。比叡山延暦寺で800年代半ば頃から行われているようです。記録にある限り、現在までこの行を修了した僧は47人。そのうち2度この行を終えた者は酒井大阿闍梨を含めて3人。
 名前から想像できるように、千日間山の中を歩くのですが、その総距離が地球一周に当たる4万キロらしいので、平均すると1日40キロで、だいたいフルマラソンと同じですね。深夜の山の中、半分駆けるようにして歩きます。ドキュメンタリーで見ると下りなんてすごい早さでした。

 もしかしたら、これだけなら大したことないように見えるかもしれません。7年ということは1000日といっても毎日ではないし、まあできるんじゃないのかな、と。

 もちろん、行は山を歩くだけでなく、もっと色々なことがあってそんなに簡単ではないのですが、加えて、この行は実は「途中で絶対にやめられない」行なのです。
 やめられない、というのがどういうことかというと、怪我して足が動かなくても行かなくてはならないということです。でも、動かないなら歩けないし仕方ないですよね。
 そういう時は自殺します。歩き続けるか、死ぬか、そのどちらかしか選択肢はありません。
 だから、この行を始めた僧は自殺用の短刀とロープを携行しています。着ている服は白い死装束です。

 実際に酒井阿闍梨は一度イノシシに崖から落とされて足を怪我しています。その時は自殺用の短刀で傷を開き、膿を出しながら一回20時間以上も掛けて回峰されたようです。

 それに、700日目の回峰を終了すると「堂入り」と呼ばれる行を行わねばなりません。
 堂入りは文字通り堂に籠もる修行です。
 9日間堂に籠もり、不眠不休で断食、さらには水すら飲まずひたすら10万回不動明王の真言を唱え続けます。
 水すら飲まずなので、死ぬ可能性も十分にあって、堂入り前には家族や仲間とのお別れ儀式があるようです。
 酒井阿闍梨の体験された所では、2日目に唇が切れて来て、4日目には手に変な斑点が出たり腐臭がしはじめるとのこと。ただ意識は研ぎ澄まされて線香の灰が落ちる音まで聞こえるそうです。
 
 かつてゴータマ・シッダールタが否定したように、僕もこういった苦行には随分否定的でした。そんなことをして一体何になるのかと。ただのマゾヒスト的な自己満足じゃないかと。

 でも、最近苦行の持つ意味合いが少しだけ分かってきたような気がするのです。
 前回は映画「マトリックス」を引いて、「この世界は仮想世界だ、そして苦しみも痛みも仮想だ」と語られるシーンのことを書いて終わりました。
 マトリックスの中には「世界の仮想性」とでもいうようなものを表現するシーンが沢山あります。
 次回は、またマトリックスに戻って、別のとても強く印象に残った場面を紹介することからはじめます。

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阿闍梨と黒い犬

2010-07-29 17:13:26 | Weblog
 この眠気は本物だろうか?

 早起きしたせいで、頭の片隅に集中的な眠気が残っているような気がする。でも、僕はこれを書こう。途中になっている酒井大阿闍梨の千日回峰行のことを書こう。

 眠いというのはどういうことだろう。
 この不思議な不思議な意識、それをしばし消すという、こっちも不思議な行為「眠り」。
 それを体が求めるというのは、本当は何が何を求めているということだろう。

 僕たちは横になり目をつむることはできる。でも意識的に眠ることはできない。何かの玄妙な作用で僕たちは知らぬ間に眠りに落ちる。そして、もっと自分のコントロールから遠いところで、意識が失われた状態で、起きようとすら思わず勝手に目が覚める。
 毎朝、一体何が僕たちを目覚めさせるのだろう。

 1999年のスーパーヒット映画「マトリックス」について。

 この映画では、僕たちが現実だと思っているこのリアルな世界が本当は全部幻想で、コンピュータから直接脳に信号を送って作り出されている仮想世界だということになっている。
 ほとんどの人はそのことに気付いていない。自分が本当はカプセルの中に閉じこめられていて、体中にケーブルが繋がれていて、脳に送られた信号の中で、バーチャルワールドの中で生きていることを。

 ただ、一部の人々は気付いて目覚めている。彼らはカプセルから解放されて、良くも悪くもリアルなリアルの中で生活している。ときどき自主的に頭にケーブルを繋いで、元いた仮想世界”マトリックス”を訪ねることもできる。

 キアヌ・リーブスが演じる主人公ネオは、最近”目覚めた”人間で、マトリックスを支配しているコンピュータに戦いを挑むべく戦闘訓練を受ける。マトリックス中での、仮想現実の中での戦闘訓練。

「息を切らせているが、本当に息があがっているのか? 本当に辛いのか? ここは仮想世界でお前の体も仮想だぞ」

 訓練の途中、激しい戦闘で息を切らせているネオに、コーチ役のモーフィアスはこう言った。
 考えてみたらそうだな、という風に、ネオはそれだけでノーマルな呼吸に戻る。
 ついこの間まで、仮想現実から目覚める前まで、リアルにリアルだと思っていた自分の体、走れば息があがり、叩かれれば痛い筈の自分の体。ついにそれは幻想だった。呼吸の苦しさも痛みも。
 これは僕にとってこの映画でもっとも印象的なシーンだった。

「この苦しさは本物だろうか?」

 僕たちは、この「現実世界」が本当は現実ではないことを今や知っている。21世紀というのは、ポストモダンというのはそういう時代だ。古くは仏教みたいなものもあるし、「この世界がバーチャルかもしれない」という気付きは太古からあった。でも、一般の人々が広く「これは本当の現実ではないかもしれない」と、たまにでも、ふと考える時代は結構最近だと思う。的確な言葉やアナロジーが昔はあまり沢山なかった。マトリックスという映画は高度なアナロジーを提供した上に娯楽大作に仕上がっていたわけだけど、そういう作品が出てくるのは僕たちの時代が成熟していることの証でもある。

 自分の生きているのが仮想世界という現実かもしれない、という微かな声。その声が広く浸透していること。
 そういう世界に生きる僕たちが「その苦しみは本物か」と問われること。そこにはものすごい可能性が潜んでいるように思う。
 
(つづく)

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刺青の蝶は温泉を飛べない

2010-07-26 13:54:34 | Weblog
 先日の海水浴のことでもう一つ。

 ビーチの近くに温泉があったので、そこへ寄ってから帰ることになりました。ところが「私大丈夫かな」と言うその子の心配通り、温泉の入り口には「入れ墨の方のご入場はお断りしています」との看板がデカデカと置かれていた(ちなみに海水浴で足が汚れたままでないか入り口でチェックする男が立っていていけ好かないところだった)。

 それで結局女の子達はシャワーを浴びに行くことになり、男だけで温泉に入ることになった。
 なんとも理不尽なことだと思いながら。

 「入れ墨ではプールとか温泉に入れない」という決まり事はいつどのようにして成立したのでしょうか?
 ヤクザが来ないようにって本当なのかな。ヤクザがそんな変な決まり守るのかな。ヤクザじゃない僕でもそんな決まり守る気がしないけれど。

 入れ墨を入れた人は「他のお客様のご迷惑」になるのだろうか。
 見慣れないから。
 勝手に怖いから。
 理解できないから。
 気持ち悪いから。
 世界の中心にいるらしい「他のお客様」達にとって。

 小さな頃、僕は友達と時々銭湯へ行った。
 普通なら夕方に家へ帰らなければならないけれど、銭湯へ行くと言えば、そこから延長でお風呂で遊んでいられたからだ。夕飯の後一人でテレビを見る代わりに「あっちゃんと銭湯行ってくる」と言えば、それで夜のささやかな外出が始まる。

 その銭湯には片足だけ、足首から先のないおじいさんがいた。はじめてそのおじいさんを見たとき、僕はとても驚いたし、正直に言うと怖かった。
 滑りやすいお風呂の中、そのおじいさんは片足がないから這って移動していた。這うと、先のなくなった足首の切断面が良く見えたし、何より老人が裸で這っている姿はそれだけでも僕にとって非日常的な風景だった。

 何度か見かけるうちに、当然のように足のないおじいさんが這っている姿にも慣れた。最初はびっくりして楽しく遊ぶなんて気分じゃなかった僕たちも、這っているおじいさんの隣でキャッキャと遊ぶようになった。足がないことはその時の彼にとって日常であり、足のないおじいさんが這っている銭湯で遊ぶことは僕達の日常になった。そしてそれはその銭湯の優しい平和な日常だった。

 もしも、こうるさい過保護でバカな親がいて、銭湯で足のないおじいさんが這っていることにショックを受けている自分の子供を見たら、ひょっとしたらその親は銭湯の人に文句を言いに行くかもしれない。せっかくお風呂に来たのに子供がくつろげないとかなんとか。
 それがどれだけバカなことかは説明する間でもないだろう。
 ときどき「他のお客様」は迷惑しなくても良いことで迷惑する。そして、「他のお客様じゃないお客様」は「他のお客様の迷惑」に迷惑することになる。
 でも、世界の中心は「他のお客様」だから「他のお客様じゃないお客様」はすごすごと引っ込むしかない。

 僕が映画スターウォーズを好きだった理由の一つは、いろいろな星からやって来た、様々な姿の宇宙人がチームを組んで戦ったり、商売したり、バーで酒を飲んだりしていたからだ。
 この世界は僕たちが考えているよりもずっと広い。こんなままじゃ、宇宙人と遊べるようになるのもずっと先の話だろう。

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祖父が泳ぎの得意だったこと

2010-07-24 11:58:34 | Weblog
 2010年7月23日金曜日、友達と日帰りで海水浴に行ってきました。天橋立海水浴場へ行ったのですが、まだ夏休みの早い時期で平日だったせいか、人は適度にしかいなくて、水はきれいではないけれど、ビーチでごろごろしたり一泳ぎするには快適だった。それに周囲はちょっとした観光地にもなっている。

 とても久しぶりに泳いだので嬉しくなって沢山泳いだ。水に入ってしばらくすると体が慣れてきて、ゆっくりであれば結構長い間泳いでいられる。

 体が水に慣れてきた頃、僕はいつも亡くなった祖父のことを思い出す。
 祖父は海辺で育ち、子供の頃は朝ご飯の前に一潜りして朝ご飯を採ってくるような生活をしていたらしい。祖父は僕が高校生になった頃亡くなった。離れて暮らしていて、たまに会っても仲良く接するには僕はシャイすぎたので、祖父の口から多くを聞く機会はなかった。一緒に泳ぎに行ったこともなかった。

 祖父の死後数年経ったある日、ベッドに寝たままレースのカーテンが揺れるのを眺めていると、外から差す柔らかな朝光の効果でまるで水の動きみたいに見えて、僕は海の中にいるかのような気分になった。
 そのとき急に涙が溢れて来て僕は泣いた。祖父が亡くなった時には泣かなかった。それほど深く悲しみはしなかった。けれど、この瞬間、死後何年も経ってから、僕は深い深い悲しみと喪失感を覚えた。
 それは失われた可能性に対する悲しみでもあった。
 もしも僕がもっと明るく積極的な子供だったなら、祖父を海に誘って泳ぎを教えてもらったり食べられる貝や魚の採り方、深く潜る方法、危険な生き物や海で取るべき行動についてたくさん学ぶことができた筈だった。同時にそれは祖父にとっても楽しい時間になった筈だ。孫に自分の持っている知識と技術を教えるのはきっと幸福なことだと思う。

 祖父は年をとってからも海や川へ泳ぎに出かけていて、入院のあと片方の手足に麻痺が残り歩くのに不自由があるような状態ででも一人で泳ぎに行っていた。泳ぐというのは祖父にとってそれくらい自然な行いだった。僕は水泳教室で教わるのとは全く別の泳ぐということを学べたに違いない。

 具体的に何も教わらなかった僕は、こうして波間に浮かんで、ただ彼の血が流れているのだということを思い出す。
 この海の水と成分のより近い血液が。

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阿闍梨と白い犬

2010-07-22 14:42:23 | Weblog
 アジャリ、アジャリ。
 と僕は小さく呟いてみた。

 それから、関係ないのは分かっていたけれど、”おじゃる”とか”まろ”とかその辺りの言葉が浮かび、「まろはあじゃりでおじゃる」と一人ごちてクククと頭の中で笑った。

 一昨日、東京に住む友達が「阿闍梨餅がとてもおいしい」というようなことをツイッターで言いました。
 僕が「京都の阿闍梨餅のこと?近所だけど食べたことがない」と受けたところ、「本店のは出来立てでデパートのとは一味違う」「時間が経ったのをオーブンで温め直してもおいしい」「濃いめに入れたお茶と食べるのが好き」などの情報を色々な人が寄せてくれた。

 そこで僕はさっそく阿闍梨餅を買いに行った。後でお茶を煎れて食べようと思っていたのですが、そのまま所用へ移動する最中自転車に乗りながら全部食べてしまった。

 たしかにおいしかったし、それに何より僕はお腹が空いていて我慢できなかったわけです。
 移動中に空腹を治めるような食べ方は、なんとなく、僧侶、ひいては阿闍梨が旅や修行の途中で餅を食べた様子を全くの勝手にイメージさせて、僕はこれも全く勝手に長旅の途中空腹を凌いでいる人間の気分になった。

 アジャリ。
 考えてみれば随分と面白い音だ。
 僕は阿闍梨という言葉の意味を「偉い僧」という程度にしか知らなくて、アジャリって偉いのだよなあ、なんとも変なインチキ臭い言葉だなあと、得も言われぬ可笑し味を感じて、それでやっぱりクククと頭の中で笑った。

 そのように、阿闍梨という言葉がずっと引っかかっていたので、昨日阿闍梨という言葉についていくらか調べました。
 阿闍梨というのはサンスクリット語で「規範」という意味だそうです。それでお手本になる教師役の偉い僧のことを阿闍梨と言うよう。阿闍梨にもなんとか阿闍梨というのが色々あって、宗派によってどうだとかあるようだけど、そういうのは僕にとってはどうでもいいことだった。

 どうでもよくなかったのは、検索結果に出てきた比叡山の大阿闍梨酒井雄哉さんのことです。
 大阿闍梨。

 酒井大阿闍梨は千日回峰という過酷な行を二度修めている。僕はそのことは漠然と知っていた。でも、千日間、山の中を毎日歩く修行かあ、変わった人もあるものだ、と思っていた程度だった。

 昨日実状を知って僕は度肝を抜かれた。
 
 (続く)
以下は酒井大阿闍梨の千日回峰行ドキュメンタリーです。
http://www.youtube.com/watch?v=SKcie3yOZ0I&feature=youtube_gdata
二千日回峰行―大阿闍梨・酒井雄哉の世界
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水着都市京都という提案

2010-07-19 17:10:26 | Weblog
 梅雨が明けて、京都盆地に夏がやってきました。
 この街は暑くて湿度の特別高い夏と、底冷えの厳しい冬で有名です。エアコンもろくな暖房器具もなかった平安京の暮らしはさぞかし辛かったことだろうと思います。一昨年の夏、北海道から帰って来て、地下鉄から京都市役所前へ出たときの衝撃は今も忘れません。それはお風呂の外と中ほどの温度差湿度差がありました。

 さて、いくら夏の暑さと湿度が厳しくても、人々は職場へ出たり学校へ行ったりします。家から出て駅まで歩いたり、自転車に乗ったりするだけでもう肌は汗ばんで、会社だとか学校に着くとシャワーを浴びたくなるくらいだと思います。

 そして、人々はみんなこう言う。
 「暑いのは嫌」だって。

 僕も暑いのは嫌です。
 でも、良く考えてみると、本当に嫌なのは「暑さ」そのものではないような気もするのです。
 その証拠に、みんな結構暑い夏のことが好きですよね。街で暑い夏を過ごすのはちょっとあれだけど、たとえば川や海や山で暑い夏を過ごすことなら多くの人が好みます。

 どうして街での夏は嫌で、自然の中での夏はOKなのでしょうか?

 僕が思うにそれは自然の中では人は自然の中っぽい服を着ることが許され、自然の中っぽい行動を取ることが許されるからではないでしょうか。
 たとえば山の中の水辺では水着を着ることがとても自然に受け入れられます。そして汗ばんだ体を水で流すこともまた当然の行為だと見なされます。
 ところが、同じことを街の中でやるとちょっと変な人になってしまうわけです。鴨川だとか街の中の公園的な場所ならまだしも、ここで僕の言っている街というのはバリバリのオフィス街やなんかのことで、たとえば会社の中で水着着て洗面台の水でびちゃびちゃになったりしてたらかなりの変人ですよね。
 でも、みんながそうしている会社ならどうでしょうか。水着で通勤して、会社に着いたらまずはシャワーを浴びるような会社。水着のまま働いて、汗ばんで来たら水浴びして。

 実は、僕達は「暑い」ことが嫌なのではなくて、「暑いのに暑いとき用の行動がとれない」ことが嫌なだけなのではないでしょうか。

 張り付くワイシャツとか崩れる化粧とか暑い革靴とかストッキングとか。
 汗をかいているとなんだか汚く思われそうで怖いこととか。
 夏の暑さに人体の示す反応を隠さなくてはならないこと。それがストレスなのだと思う。

 もうあっけらかんとした街作りをしても良い頃ではないかと僕は思います。
 どこかの山や川や海のように。
 どこかのリゾート地のように。
 どこかの暑い国の村のように。

 汗かくのもお互い様だし、涼しい服着たいのも、汗ばんだ肌を水で濡らしたいのも、全部お互い様だし、みんなが水着みたいな服を着て、好きなときに水浴びして、海の家では多少席が濡れていても文句を言わないのと同様にレストランも水着仕様にして。そういった暑さに適応した、むしろ暑さを楽しむような人々の闊歩する街やオフィスや学校にしてはどうかと、僕は毎年夏が来ると思います。

 この街はそういう暮らしをするに十分暑い。 

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サーキットベンディングの紹介

2010-07-16 16:41:53 | Weblog
 サーキットベンディングという言葉をご存じでしょうか?

 サーキットベンディングというのは、「電子楽器の回路をいじって面白い音が出るようにして演奏する」という遊びのことです。

 そういう風に説明すると、実にマニアックな遊びで電子回路の知識がないとできない遊びのように聞こえますが、実際は全然そうではありません。
 もちろん、電子工学の知識を駆使してサーキットベンディングに取り組む人もいますが、何の工学的知識のない素人でもハンダ付け程度のことができれば楽しくサーキットベンディングはできます。

 なぜなら別に回路設計や計算をしなくても、実験的な手法でサーキットベンドは行えるからです。(むしろそれが主流なような気がします)

 それでは簡単に方法を説明しましょう。

 ① 改造する電子楽器がないことには始まらないので、適当な電子楽器を手に入れます。壊れても良いことが前提なので、安くて古いものが良いです。新しいものだとワンチップ入っているだけで、改造すべき回路がない可能性もあります。
   それから、改造に使う部品ですが、仮のショート回路を作る為のミノムシクリップ、適当な導線、ニッパー、ラジオペンチ、可変抵抗、スイッチ、装飾の為のLEDと抵抗、ハンダ、ハンダ小手などがあれば良いと思います。

 ② ネジやなんかを外して中を開けてみます。回路がなくてチップが一個入っているだけだったら残念ですがハズレです。もう普通の方法ではサーキットベンドできません。(追記!!! dj.p.k.g.さんからワンチップでもピッチベンドくらいはできると教えて頂きました。改めてありがとうございます!)

 ③ めでたく回路が入っていて剥き出しになったら、電源を入れます。それほど電圧や電流の大きいマシンはないと思いますが、一応感電には注意しましょう。

 ④ 電源が入っているので、楽器の音を鳴らすことができます。音を鳴らしてみましょう。そして、音を鳴らし続けます。

 ⑤ 音の鳴っている状態で、回路の一部を、適当な好きなところで良いのでショートさせてみます。

 ⑥ それで音が変わったりノイズが入ったりしたらアタリです。なんとも言えない好みの、怪しげな音になったら大当たりです。
 その場所に可変抵抗やスイッチの類を好きに付けます。

 ⑦ 残念ながら音になんの変化もなかった場合は、また別の適当なところをショートさせてみましょう。

 ⑧ 手順⑥と⑦を繰り返して、あとは好き放題です。万が一変なところをショートさせて壊れてしまったら残念無念。

 ⑨ 元からあったスイッチの他にあれこれツマミやスイッチの付いた怪しげな楽器の誕生です。みんなで演奏して遊びましょう!

 youtubeやなんかで検索するとしゃべるピカチュウのオモチャを改造したものや色々な楽器での演奏が出てきますので参考になると思います。もしもよろしければ。

Make: Technology on Your Time Volume 11
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Make: Electronics ―作ってわかる電気と電子回路の基礎 ((Make:PROJECTS))
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彼はもうこの棺桶の中にいない

2010-07-16 09:22:15 | Weblog
「彼はもうこの棺桶の中にいない。賭けてもいい」

 1926年10月31日、「脱出王」ハリー・フーディーニはこの世を去った。死語80年以上たった今でも、たぶん彼は世界で一番有名なマジシャンだろう。

 死んだ後に、必ずコンタクトを取る。

 と彼は家族に言い残している。
 だけど、家族はフーディーニから何のメッセージも受け取っていない、ということだ。

 フーディーニは奇術家であるに留まらず、心霊現象にも興味を持っていた。人を欺くプロフェッショナルである彼は、インチキ霊能力者やインチキ超能力者をやりこめるオカルトバスターとしても活躍している。
 本当は、彼は本物の霊能力者を探し求めていた。

 そんな百戦錬磨の奇術家から、死後のメッセージが送られて来ないなんて、これはやっぱり死後の世界がないことを意味するのだろうか。もしも死後の世界が本当にあるのなら、彼ならあれこれ工夫してなんとかメッセージの一つや二つを送ってくれそうなものだ。

 対して、実は僕は死後の世界はあると思っている。どうしてそう思うのかと聞かれると返答には窮するけれど、死後の世界がない、というバイアスを掛ける理由も見当たらない。
 僕達が「死んだら終わり」と考えがちなのは、自分という存在を肉体だけに結びつけて考えているからだ。

 確かに、肉体は僕達の存在の多くを担っているかもしれない。けれど、肉体の中に、肉体という物質から「私」という意識が発生する、というアイデアは全く頂けない。何度も書いているように、身体や脳の中で起こっている電気信号のやりとりと化学物質のやりとり、それら物理的な現象と僕達の「意識」の間には埋められないギャップがある。
 だから、肉体はこの世界とやりとりする為の必要条件かもしれないけれど、十分条件ではない。

 かといって、ここで僕は「肉体ではなくて魂に”私”は担保される」と言うつもりも毛頭ない。
 そうではなくて、「”私”が何か一つのものに担保される」という発想そのものが実は変なんじゃないか、ということを言いたい。
 肉体だろうが魂だろうが同じことだ。何か一つのものが自分の本質であるという考え方は実はかなり変なんじゃないだろうか。

 僕は最近、この世界全部が自分だと考えている。ベルクソンが「知覚は脳で起こるのでなく知覚の起こるその場所で起こる」と言ったのも、そういう文脈で受け取っている(さらにここから場所という空間的な概念も排除して)。

 だから、死後の世界というのは、僕達の想像するようなチマチマしたものではないのだ、きっと。
 ”私”という肉体を失った、”私”の去った後も続くこの世界、その世界そのものが文字通り”私”の続く”私”の死後の”私の死後の世界”なのかもしれない。

 セミの声がすると、世界はキラキラして、同時に死のことを強く思い出す。けれど、その死もただ暗いものには見えない。
 光と陰のコントラストが一番強い季節。コントラストは僕達の持つ一番大切な何かの象徴かもしれないな、なんて朝から麦茶でも飲みながら床の上で思う。

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)
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ベルクソン~人は過去の奴隷なのだろうか (シリーズ・哲学のエッセンス)
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幻想の最下級兵士

2010-07-15 09:28:11 | Weblog
 本当に本当に、僕たちはそんなことを気にしているのだろうか。
 世間体を気にするというのは、本当にはどういうことだろうか。
 世間体を気にすることと、誰かを差別して苦しめることは、本当は同じことなんじゃないだろうか。
 世間体を気にするということは、自分を安全なマジョリティーの中に置きたいという願望で、それはマイノリティーは攻撃されても仕方ないという諦めと恐れと差別への無言の荷担から来るものではないのか。

 数日前のBBCはゲイの神父の問題を取り上げていた。そんなもんを大の大人が真剣に議論交わすものだって本気で本気で思っているのだろうか。
 カトリックの教義を幼少から骨身に叩き込まれたらそういう風になるのだろうか。

 「あの超ダサい人」とか「あのアタマおかしい人」とか「あそこの犯罪者の家族」とか、そういう人といることが、彼や彼女は本当に自分の心の底からイヤなんだろうか。
 本当にイヤならそれで構わない。嫌なものは嫌だろうから。

 でも、本当は自分は別にいいのだけど、関わりを持ったら自分も「超ダサい」とか「アタマおかしい」とか「犯罪者」とかの仲間入りになって、村八分にされて女の子にももてなくなって困る、というのが本音だったりしないのだろうか。

 だとしたら、こういうとてもおかしなことが起こっている。
 誰もが「共同体の価値観」という本当はどこにも存在しないものを、誰の心の中にも存在しないただのシステムを、自分の気持ちよりも優先させて生きていて、そのことが悲劇すら生み出している。
 本当は誰も嫌じゃないのに、みんなで嫌だと決めたことを守って、本当にしたいことのできない社会。
 実は人の悪口を言ったりいじめたりすることが快楽です、という人々と思想がドミナントな社会。

 昔、真島昌利は有名な「トレイン・トレイン」という歌の中でこういう歌詞を書いた。

 ”弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
  その音が響きわたれば ブルースは加速していく

  見えない自由がほしくて
  見えない銃を撃ちまくる
  本当の声を聞かせておくれよ ”

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)
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想像と解放と五月と理論

2010-07-14 11:15:49 | Weblog
 想像力が権力を奪う

 と書かれた垂れ幕が校舎の屋上からぶら下がっている。校門は机と椅子と有針鉄線で閉鎖されている。
 村上龍原作の映画「69」は、高校生が好きな女の子の気を引くだけの為に学校をバリケード封鎖するという爽快な自伝的物語で、李相日が監督した。

 李相日監督は「スクラップヘブン」という映画も撮っている。
 この映画は、主演の加瀬亮とオダギリジョーが、酷い目に合わされた人の復讐を代わりに実行するという話で、エスカレートして大変なことになる。
 話の後半、交番を襲撃して奪った拳銃を、オダギリが一人のホームレスにあげて、そのホームレスがからかってくる子供を撃ち殺してしまう、という事件が起こる。
 どうしてホームレスに拳銃を渡したのだ、と責める加瀬に、オダギリはこう答えた。

「ホームレスが拳銃を持ってるかもしれないと想像したら、どんなバカなガキだってホームレスをからかおうとか襲おうとか思わないんだよ」

 この物語の中でも「想像力」という言葉が何度も使われる。「想像力使ってるか」と何度も何度も問いかけてくる。

 想像力。

 物理学界のスーパースター、アインシュタインは、想像力が知識よりも大事だと言った。想像力には限界がないと。

 僕はこの程度の発言がどうして所謂「名言」として残されているのか理解できなかった。想像力が大事なのは明々白々なことだし、いちいち言われなくても、そんな当然のことを言って、それを名言だなんて、って思ってた。
 けれど、もしかしたら僕は想像力をその本来のパワーを持ってしては使っていないのかもしれないと、この頃思う。20世紀を代表する理論物理学者は「想像力には限界がない」と言ったのだ。僕が使っているのは、ある限定された範囲での何かであって、そんなものを彼は想像力だと呼ばないかもしれない。

 「69」という映画のタイトルは舞台である1969年から取られたものだ。
 1969年1月には東大安田講堂事件があった。当時は学生運動がピークに達していた。

 学生運動に関する知識に、僕が一番最初に触れたのは小学生の時だ。
 当時の僕は映画「ぼくらの七日間戦争」にすっかりやられていた。僕は”少年探偵団”を結成していて、そのメンバーで「エスケープして大人達をバカにしてやろう」というような話を毎日していた。
 映画に原作があることは知っていたけれど、原作は映画とはちょっと違う、ということなので、映画の方をこよなく愛していた僕はイメージを壊したくなくて長らく原作を避けていた。
 でも、そうは長くも避けていられない。なぜなら原作の方では「ぼくらの七日間戦争」を起点としてどんどん話が続いていたからだ。その続きをどうしても読みたくて、僕は結局原作を買った。

 原作は確かに映画と一味違った。
 そこには主人公達の親の世代が学生運動世代であったこと、その学生運動では学生が自治を行う「解放区」を作ろうとしていたこと等が語られていた。映画では単に厳しい校則と理不尽な大人達からエスケープすることしか描かれていなかったが、原作には「解放区」という言葉が何度も出てきた。

 僕はその「解放区」という言葉にすっかり参ってしまい。以後、僕たちは僕たちの解放区を、カルチェ・ラタンを作るのだと、友達にいつも通り口先ばかり雄弁に語った。

 大人になってから考えると、解放区という言葉は自己矛盾を抱えた言葉に見える。区になって囲われた瞬間、実は解放は解放でもなんでもなくなるんじゃないだろうか。区という檻の中での解放を解放と読み違えると、そこには滑稽さと悲劇が生まれるかもしれない。
 丁度、学生運動で無為に学生達が死んでいったように。
 丁度、僕たちが限定下での想像力を本当の想像力と履き違えて窮屈な生活を送るように。

 想像力が権力を奪う
 そして、本当の想像力は世界を変える。

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ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)
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