フィールド。

2007-02-27 14:04:01 | Weblog
 一時期、17歳という年齢が、いくつかの凶悪犯罪によってフューチャーされていたことがあった。そのときにテレビ番組か何かで「どうして人を殺してはいけないのか?」と子供に問われた知識人がその答えを提出できなかった、というようなことが確か起こって、しばらくの間「どうして人を殺してはいけないのか?」という問いに対する答えをたくさんの人が書いたり言ったりしていたように思う。
 そして一部の人々は「大人よりも子供の方がよりラディカルな質問をする」というような、よくある「子供はすごい」理論を展開していた。はっきりいって僕はこの手の「子供の方が実はすごい」という発言をする人々のことがよく理解できない。大人のほうが明らかにすごいと思う。
 人を殺してはならない理由を答えられなかった人は、単に知識人でもなんでもなかっただけの話だ。人を殺してはいけない理由なんて義務教育を受けていれば誰でも知っている。小学校、中学校を経て経験的に身につく、といった曖昧な意味でではなく、はっきりと明文化された知識として僕達は義務教育でその理由を習っている。トマス・ホッブズとかリバイアサンとか万人の万人による闘争とか自然権とか自然法とか、続くジョン・ロックだとかその当たりの議論は社会科で習う。こんなことは17世紀の話であって、べつにラディカルでもなんでもない。僕達は自分や大事な人が死なない為に殺さないのだ。

2007年2月23日金曜日
 Kと久しぶりに会う。意外なことに今年初めてで、あけまして、と一応の挨拶。フランス人のGも一緒で、Gは僕が意味も分からず鞄に付けていたフランス語のバッチを見て、「それはフランスのお酒だ」と教えてくれた。コチは11時に閉まるので、そのまま僕とKはビリヤードへ行ったけれど、僕はこてんぱんにやっつけられる。

2007年2月24日土曜日
 Mちゃんの家で鍋をする。パソコンの修理やなんか、いろいろとすることがあって僕は遅刻。ついでにその場で前から気になっていたサントリーのウィスキー工場見学の日程が立つ。

2007年2月25日日曜日
 前日の鍋の帰り道に、梅の話をしていると、北野天満宮で梅の公開をしているというので、この日梅を見に行くことが決まり、昼からみんなして出かけるも天神さんで日曜日で梅園の公開でうんざりするくらいに人が多い。
 夕方に研究室へ戻り、Oと「やっぱり研究室が一番だ」と落ち着く。

alphabet.

2007-02-23 00:17:47 | Weblog
 息の仕方を知っているなんて奇跡だぜ。と夢の中でディランに言われた。半分記憶が失われたその夢の断片にはどこにでも君の姿が登場して、内容が良く分からないのに、でもそれ自体はとてもいとしいものだったと分かる夢の記憶をなくさないように、僕はゆっくりと起きて、そして静かに歩いた。人は自分の属さないところへ行ってはいけない、道の向こうの家を天国と間違えるな。というディランの言葉を最初に聞いたとき、僕はまだ17歳で、そして言葉の意味を理解することができなかった。僕は今いるべき場所にいる。遠い昔から知っていた場所だ。僕達は言うだろう。

 この春から、結構たくさんの友人達が、大学や大学院を卒業してどこかの街へ移り働きはじめる。僕はそのまま同じ研究室で博士課程へ進むので、生活はほとんど変化しない、と思っていた。だけど、どうやらそうではないようだ。どうしてこうなったのか分からないけれど、研究のことが頭の大部分を占めるようになってしまった。たぶんこれから研究者としてやっていこうと考えている人間にとって、これは悪い変化ではないのだろうけれど、軽い焦燥感がいつもつきまとって、生活がなんだか慌しい。トータルで考えれば、研究というのは世界中でたくさんの科学者によって行われていて、それは24時間365日休みなしに動いている。だから本質的には日曜日も祝日も関係がない。たとえば僕が今取り組んでいることに関しては、同じようなアプローチを試みている研究機関がいくつかアメリカを中心にしてあって、その人達が次に僕達の出そうとしている論文と同じことをいつ思いついて提出するかは分からない。そういう風に無数の競争相手が世界中にいるというとき、僕は自分の生活をどのようにマネージメントすればいいのだろうか。
 こういう感覚にも、すぐに慣れて、極々当たり前に生活を行うようになるのだろうけれど、それまではすこしおかしな生活になりそうだ。住む場所も、通うところも変化しないけれど、これは僕にとって全くの新生活だと言える。

 愛しかない、それが世界を動かしている.って、もう照れたってしょうがない。ディランはクールだった。
 僕達はマリー・アントワネットのことを描いた、半分なにかのバンドPVみたいな映画を見た後、とくに行く先もなく、大津プリンスのスカイラウンジにでも行って何か飲むことにした。だけど結局、お腹が空いて代わりにご飯を食べに行く。地上数十階から、地面に戻り、湖の畔を歩き、僕は鞄に入っていたボールを取り出してみたけれど、キャッチボールをするには少し暗すぎた。あきらめて歩き続ける。いつも僕達は歩いてばかりだ。

we never need music, just like it.

2007-02-21 23:07:18 | Weblog
 2006年2月9日金曜日
 修士論文提出。学部の卒業論文のときは数分を争う締め切りギリギリな時間に提出したけれど、今回は比較的ゆとりがあって、I君とT君と話をしながら提出時間が来るのを待つ。

 2006年2月13日火曜日
 公聴会前だけど、Aと「マリー・アントワネット」を見に行く。前評判通りの映画。別にリアリズムを追求はしないけれど、舞台がフランスなのにほとんど全員が英語で話をしていて、フランス人は奇妙な気分でこの映画を見たのだろうなと思う。

 2006年2月16日金曜日
 修士論文公聴会。
 今回はある程度発表できる結果があったので、それほど緊張というか気まずさはなかった。ただ、発表の練習をほとんどしなかった所為で時間配分が良くなかった。
 この発表が終われば、一応修士課程は全て終わりだから、春休みでのびのびしようと思っていたのに何故か全然気分がすっきりとしない。修士というのは形式上の区切りでしかなく、結局のところ今着手している研究自体には区切りがついていないからだと思う。

 2006年2月17日土曜日
 服やなんかを買いに出かけようとおもっていたら雨が降ってきたので研究室でおとなしく過ごす。ここ数週間ほとんど研究室にいたので、研究室にいるのが癖になっていて変な気分がする。

 2006年2月18日日曜日
 免許の更新に運転免許センターまで出向く。地下鉄の竹田でおりて、バス停へ行くと、なんとバスは1時間に1本しかなくて、さらに日曜日のダイヤで運転免許センターへいくものは12時20分が最後だった。僕が竹田に着いたのはすでに12時30分を回ってからだったので、もうバスはないということになる。まいったなあ、と思いながらバスの時刻表を見ていると、同じように、まいったなあ、という表情で時刻表を眺めている女の子がいて、結局彼女とタクシーに乗って割り勘にした。驚くべきことに、その女の子は僕の友達が働いているのと同じ場所で働いていて、さらに実家がものすごい近所だった。
 「僕達のことをどれだけバカだと思っているのですか?」と文句を言いたくなるような違反者講習を2時間受けて、新しい免許を受け取る。この講習は実に退屈なものだったけれど、このあと自転車の運転が慎重になって、こういった講習というのもそれなりに効果があるものなのだと分かった。

 バスで阪急長岡天神まで行く途中、長岡天満宮の立派な鳥居が見えたので、そこでバスを降りようかと一瞬考えたけれど、そこから歩いて駅まで行けるのかどうか分からなかったので見物はやめてそのままバスに乗り続ける。すると、駅はすぐで、僕は駅前でバスを降りてそのまま長岡天満宮まで歩いて戻り見物した。

 阪急で四条まで戻り、ノートパソコンが必要なのでいくつか物色して帰る。

 2006年2月19日月曜日
 昼にSちゃんのバイクのシート交換をしたあと、Yちゃんの本棚を組み立てる。
 なぜか異常に眠たい1日。

 2006年2月20日火曜日
 朝一番でパソコンの部品が届くので、研究室に朝一番で出向く。荷物を受け取り、ついで修理の人が来てくれたのだけれど、届いたパーツが違っていて修理はできなかった。電源ユニットのファンがおかしいのだけれど、届いたのはCPUファンとマザーボードで、僕は電話でファンの故障だと言ったのにどうして電源部のファンが来なかったのか理解できなかった。
 先生と話した結果、一月以内に急いで論文を仕上げることになったため、春休みどころではなくなる。
 仕事帰りのAにCDをあげる。

 2006年2月21日水曜日
 パソコンの修理で再び前日と同じように午前中が潰れる。
 データや資料の整理をして研究ノートを作る。

hi-fi.

2007-02-15 17:58:35 | Weblog
 巨大乳頭結膜炎というへんてこな名前の結膜炎があります。
 コンタクトレンズ着用者によく見られる結膜炎で、結膜、つまり目蓋の内側が凸凹になり、それがコンタクトレンズをホールドしてしまうので、まばたきをするとコンタクトレンズが上にずれてしまう。しかもその凸凹が眼球に接触するので特にレンズを外したあとは目が痛い。
 僕はコンタクトレンズを使っていて、何度か眼科へ行っては結膜炎だと言われたけれど、たぶんこの結膜炎だったのだと思う。レンズがずれて良く困った。

 結膜炎はアレルギーで、アレルギーは基本的にタンパク質をトリガーとして起こるので、レンズをきれいにしていれば結膜炎にはならないはずだ。だから僕は一時期コンタクトレンズのケアについて色々と調べてみたことがある。

 その過程でアカントアメーバというアメーバのことを知りました。
 アカントアメーバというのはどこにでも、それこそ水道水の中にも土の中にもいるアメーバで、通常は人体にとって無害です。しかし、それが繁殖して多数になると、ときどき害になることがあり、その最たる温床がソフトコンタクトレンズということです。ソフトコンタクトレンズは含水性であり、スポンジと同じなので、その中でアメーバが繁殖することがあり、眼球が傷付いていたり、何かの感染症で抵抗力がなくなっていたりすると人の角膜の中に入り込む。そうすると目がとても痛くなって角膜がぼろぼろになる上に治療薬はまだ完成していません。当たり前ですが角膜がぼろぼろになると透明度が失われて見えなくなります。アカントアメーバというキーワードで検索を行うとそのあたりの記事はたくさん出てきます。ちょっと見たくないような写真もあるので気をつけてください。

 アカントアメーバのことを知ったとき、僕はどうして今まで誰もこのアメーバのことを教えてくれなかったのかとびっくりした。
 僕は正規に眼科で診察を受けて、コンタクトレンズのお店でコンタクトレンズを買ったのに、誰一人としてアカントアメーバに言及した人はいなかった。ただ、「水道水は使わないでください」というだけで、僕はそれは浸透圧の所為だろうと思っていたのですが、そんなことよりももっと重要なことがあったのだ。水道水には普通にアカントアメーバがいて、そのアメーバは現在主流のコンタクトケアでは死なない。だからコンタクトを水道水につけるようなことはなるべく避けたほうがいい。ワンボトルケアタイプの製品で、説明書に「レンズケースはこの製品ですすぎ洗いをしてから乾かしてください」と書いてあるのはそういうことだと思う。ケースにアメーバが入るのを防ぐ為だ。でもそんなことをしていてはボトルがすぐに空になってしまうし、ほとんどの人は水道水でケースを洗うと思う。
 アメーバの感染力はとても弱いので、通常はそれでも問題がないのだけれど、僕はメーカーはアメーバのことを書くべきだと思う。ワンボトルケアではアメーバは死なないので書かないのだろうけれど、医療用品がこんな適当なハードルで売られていていいのだろうか。

 発表されている、一見科学的なデータにも注意が必要だ。
 たとえば、現在2番目に普及しているコンタクトレンズのケアは過酸化水素水とその中和薬を用いたものですが(コンセプトワンステップ)など、過酸化水素はアカントアメーバを殺すことができません。過酸化水素がアカントアメーバには無効であるというのは、たとえば医学部の博士論文など企業にコミットしていない率の高い研究の中からも多々読めます。
 だから、アカントアメーバにはこの手の消毒方法は意味がないのですが、それを受けてあるアメリカの企業(過酸化水素方式を販売している)が研究を行い、その成果を発表しています。内容は、「アカントアメーバには効かないけれど、他のばい菌には良く効き、アカントアメーバによる感染症は他のばい菌で角膜が弱っているときにのみ起こっているので過酸化水素のケアは十分に有効だ」というものです。それはそうなのかもしれないけれど、なんともギリギリな感じがしてリスキーな話だと思う。

 コンタクトレンズを扱う前には手を石鹸で洗い、そして水道水で流す。その水道水にはアカントアメーバがいて、主流となっているケア用品ではほとんど死なない。あとで振り返ると間抜けな時代だと笑われるんだろうなと思う。ちょうど僕達が昔の外科手術やなんかを見て、そんな無茶苦茶な、と思うように。

 僕は企業の手先では決してありませんが、アカントアメーバは煮沸消毒か、クレンサイドなどのヨードによる消毒しか有効ではありません。現行のケア方法の中では。ただ、煮沸はコンタクトレンズを傷めるし、タンパク質の固着を起こします。ヨードに関してはまだ歴史が浅くて、それでコンタクトレンズを消毒することにどれだけのリスクがあるのかは良く分かっていません。
 面倒なのでこういうことをあまり考えたくないのですが、でも考えざるを得ないですね。いくつかアルバイトをすれば誰だって知ることですが、残念ながら、利益を上げるために結構な騙し合いが行われていることを、僕は随分たくさん見てきました。

カラフルな言語。

2007-02-14 17:54:24 | Weblog
 大学の図書館をうろうろとしていたらweb yellow pageを見つけた。まだこんなものがあるとは、と少し懐かしく思ってパラパラと開いてみたらそこには古くて拙いいくつかのサイトが載っていた。

 このイエローページというのが何なのか知らない人も多いと思うので、簡単に説明すると、これはインターネットの電話帳みたいなものです。
 インターネットが一般に普及し始めたその黎明期、まだ検索エンジンというものは一般的ではなかった。yahooができて、「検索」という概念が市井に定着し始めはしても、まだyahooをヤフーと読むのだとは知らないでヤッホーだと勘違いしている人がたくさんいたようなそんな時代。インターネットカフェへ行くと本棚に何冊かこのイエローページがあって、お客さんはその巨大な電話帳で目的のサイトを探し、そこに書かれたURLを打ち込んでサイトを閲覧するという方式だった。今から思えば信じられないし、まるで笑い話ですね。

 だけど、当時はそれが最先端の方式だった。
 僕は高校生のとき、これも今振り返れば何をそこまでと思うのですが、結構慎重に大学を選んでいて、そのためにインターネットカフェを2回くらい利用したことがある。もちろん家にはインターネットなんてなかったし、そもそもパソコン自体なかった。僕はインターネットカフェへ行き。電話帳を引き。URLを打ち込み。出てきた薄っぺらな情報を有難がっていた。これがインターネットというものか、とびっくりしていた。

 今はgoogleがあって、各家庭にブロードバンドが引かれていて常時接続で、あまり意識しないけれど時代は確実に変わった。IT革命というのがどことなく胡散臭い言葉で、革命だなんて大げさな言葉にみえるけれど、実際にIT革命というのは革命だったのだと思う。日本の片田舎に住む小学生が携帯電話から送信した動画が瞬時にエジプトへ出張している父親の携帯電話に届く、というような時代に僕達は生きている。こんなにたくさんの情報が世界中を瞬時に飛び回る状況を経験した人類は僕達以前には存在しない。

ok spring ok.

2007-02-07 23:44:15 | Weblog
 更新をなるべく、といいながら、やっぱり少なくとも10日までは難しいです。そんなに忙しいつもりではないのに、気がつけば僕はもう1週間以上大学と自分の部屋とスーパーマーケット以外の場所に行っていません。しかも僕の部屋から大学までは自転車で30秒の距離で、スーパーマーケットまでは2分くらいの距離です。こんな状態は生まれてはじめてです。研究室にいてもぼーっとしている時間は結構あるのですが、作文は無理だということが何度か試してみて分かりました。情けないことに。

クジラ。

2007-02-02 12:35:17 | Weblog
 長らく更新をしていません。ときどき覗いてくださっている方々には申し訳なく思いますが、少し集中して行いたいことがあるのでおざなりになってしまいました。ですが、それはあくまで精神的な問題で、実際には忙しいといったってちょっとブログを更新するくらいの時間はありますし、本当は書きたいことだってたくさんあるので、しばらく短文でちょこちょこと更新しようかと思います。

 前回、電磁波のことをかいて、それで今回もこんなことを書くと「この人は全く小うるさい人だなあ」と思われると思いますが、次の産経新聞の記事です。
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温暖化政策「米政権が圧力」 米科学団体
2月1日8時0分配信 産経新聞


 「憂慮する科学者連盟」(UCS)など米国のリベラル系科学・環境団体は30日、連邦下院での公聴会で、地球温暖化をめぐる報告や提言がブッシュ政権の政治的な圧力を受けてきたと非難した。野党民主党は指摘をもとに環境政策で政権批判を強める構えだ。

 UCSの証言では、過去5年間で少なくとも435件の報告が政権の政治介入を受けたとしている。別の証言では、一連の圧力に石油産業と関係をもつホワイトハウスのスタッフが介在したと非難した。(ワシントン 山本秀也)
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 こういうことを普通に放って置くわけにはいかないと思うのですが、僕は一体何をすればいいのかよく分かりません。ただ、世界中でたくさんの人が政治に関する患部を知っているのにただのゴシップで終わらせて、せいぜい「支持率の低下」なんてどうでもいいような指標で物事を片付けているので、自分自身も含めて改善を図るべきだと思います。政治がテレビショーで、人々は視聴者みたいな構図は打破しないといけないなと思う。思うというかイライラしてしかたないです。上の記事に出てくるような政治家は僕達の「敵」です。どうして「敵」のことを誰も「敵」だと言って攻撃しないのでしょうか。いつも辞任だとかなんだとか生ぬるいことですませて、はっきりいって政治家になって悪いことをしてもやめればそれで済む、みたいなコンセンサスが出来上がっていて見ていられません。僕は政治家の汚職だとかそういったものはもっと厳格に処されるべきだと思う。リリー・フランキーの小説に万引きだろうがなんだろうが、とりあえず犯罪を犯せば絶対に死刑、という世界を書いたものがあったけれど、政治犯罪に関する刑は通常の10倍くらいにしてもいいのではないかと思う。ボクサーの拳は法的には凶器に分類される、とかそれと同じように。
 前回の電磁波問題に関しては僕なりに小さな計画があって、微力ながらも進めてみようと思っています。
 温暖化の原因について、二酸化炭素が本当に原因かどうか分からないという言い方をするひとがいますが、世界中の科学者の見解では90パーセント二酸化炭素が原因だということで、だいたい僕達が温暖化を防ぐ手立てとして今できることは二酸化炭素の量を減らすことしかない。地球の気温は異常な速度で上昇していて思い当たる節が二酸化炭素しかないならとりあえずそれをどうにかしてみなければならない。実際に海面は上昇していて、困っている人々はすでにいるのだ。
 それから、これはうまく説明ができないのですが、システムを二酸化炭素減少の方向に持っていくことには本質的には何のコストも発生しません。なんというかそれは人類の営みの一環であって、ガソリンの車を走らせることもいちいち電気自動車を開発することもコストという面でみるのなら同等です。それを否定することは、生きているのはコストがかかるから面倒だ、というレベルの話です。あとは見かけ上の利益を受ける人々がチェンジするかもしれないけれど、それだけのことだ。