西海岸旅行記2014夏(20):6月10日:シアトル、やっぱりちょっと退屈な野球

2014-08-31 13:09:30 | 西海岸旅行記
 スタジアムは美しい。そして時々ゲームも素晴らしい。6月のシアトルの風も、見晴らしの良い座席で飲むビールも素敵だ。しかし、何度も書くようだが、僕達は基本的に野球には興味が無い。僕達はというか、外野席に座っている観客の多くは野球観戦よりも、賑やかなスキっとしたところで友達とビールでも飲みながら世間話をしたい、という感じに見えた。
 野球はそういう世間話をしながら見るのに最適なスポーツだ。何かと待ち時間が多いし、大抵の場合は何も起こらない。ヒットが時々、だいたいは打てないかゴロかフライ。たとえばサッカーとかボクシングなら、ハーフタイムとかラウンド毎の休憩以外は目が離せないわけだけど、そういう観戦の仕方とは大きく異なっている。世間話でもしながら見るのに丁度いいということは、観戦中は結構暇ということで、実際にバックスクリーンではイニングが変わる時にしょうもないクイズを出したりしている。観客がアクティブに答えることもできないので、クイズの答えは勝手にスクリーンに出てくる。

「1997年のグラミー賞を取った曲は?
・・・・(A) チェンジ・ザ・ワールド
   (B) イエスタデイ 
     (C) 愛は翼にのって

 正解は(A)チェンジ・ザ・ワールド。
 ではその曲を歌っているのは?
 ・・・・(A) ホイットニー・ヒューストン
   (B) エリック・クラプトン
   (C) ポール・サイモン

 正解は(B)エリック・クラプトンでした。
 では。。。。。。。         」

 みたいな感じで、かなりどうでもいいのだけど、観客は暇なので見ている。
 この辺りのことを、「さすがエンターテイメントの国。観客を飽きさせない配慮が」と受け取るには僕は大人になりすぎた。あからさまに下らない。暇つぶしのための暇つぶしで、観客の気持ちを現実に引き戻さないようにしているだけだ。こういうもので「楽しんだ」と自分に言い聞かせて、明日また嫌々仕事に出かけていくのであれば、そういう人生は御免被りたい。

 そのような感じで、僕達の気持ちは段々と冷めてきた。
 イチロー、岩隈の対決も内野ゴロで落ち着き、日本にいるクミコの友達にラインで誕生日祝いのテレビ電話などをして、そういえばホステルは到着が22時を過ぎそうなら電話してくれと言っていたのに、電話が繋がらないので僕達はゲームの途中で引き上げることにした。ゲームは僕達が来た時マリナーズが一点のビハインドで、どうにか追いついたと思ったら直後にホームランで巻き返されるというシアトル市民にとっても面白くない展開だった。この後どうなるのか知らないけれど、まあいいか、と僕達はスタジアムを後にする。

 キングストリート駅で黄色い服を着た人を見つけ、荷物を受け取り、ホステルまではタクシーに乗った。タクシーに乗るとグリーン・トータス・ホステルはあっという間だ。タクシーの窓から夜のシアトルを眺めて、ポートランドよりは絶対にシアトルの方がいいなと思う。シアトルの方が色々なものがリアルだった。この街の方が「生きている」感じがずっとする。ポートランドはどこか取ってつけたような、ハリボテのような雰囲気があった。
 ホステルについて、料金を払うも、運転手はドアを開けてくれない。チップを忘れていた。僕達に向けて突き出したままになっている手に1ドルを押し込むとドアが開いた。

 ホステルの玄関は22時になると施錠されるので、インターホンでフロントを呼ぶことになっている。しかし予想はしていたがチャイムを鳴らしても反応はない。電話でもするかと思っていると、ちょうど宿泊客が1人自転車を担いで出てきたので、彼と入れ替わりで中へ入った。
 3日目なので、このホステルの勝手はもう良く知れていて、少しほっとする。前回の部屋は、同室の誰かが部屋の中を散らかしまくっていたけれど、今度は僕達のベッドに女の子のパンツが干してあったくらいできれいなものだった。
 まだ体力と時間が残っていたので、ダイニングへ下りて行って書物をしたり雑誌を読んだりする。

 翌日、6月11日は10時に起床した。11時がチェックアウト。今日は飛行機でサンフランシスコまで移動する。フライトは昼下がりなので少しだけ時間があって、僕達はバスで丘の上までブルース・リーのお墓を見に行くことにした。
 お墓は、15番通りイーストのボランティア・パークに併設されているレイクビュー・セメタリーにある。グリーン・トータス・ホステルなどのある市街中心部からはバスで15分程度の距離だ。お墓の周囲は住宅街で、街中からそこまでバスに乗る人は少ない。お墓の前のバス停まで来るとバスに乗っていたのは僕達2人だけだった。

 アメリカのお墓に来るのは初めてだ。広くて日本のお墓よりもあっけらかんとしている。だけど、線香の匂いこそないものの、それでも日本と同じお墓の匂いがする気がした。枯れた植物の匂いだ。
 真昼の、だだっ広く見通しの良いお墓には他に人影がなかった。このどこかにブルースは眠っている。

消費社会の神話と構造 普及版
ジャン ボードリヤール
紀伊國屋書店

西海岸旅行記2014夏(19):6月10日:シアトル再び、図らずもイチローvs岩隈

2014-08-30 13:01:49 | 西海岸旅行記
 6月10日は11時頃に起床で、12時にチェックアウトという多少慌ただしい始まりとなった。今日は16時18分のアムトラックでシアトルに戻る。
 荷物をホテルに預けて、僕達は昨日閉まっていたポートランド美術館へ行った。ストリートカーに乗るとエースホテルからあっけないほど近い。このホテルの立地はかなりいいのだろうと思う。美術館に入ると、従業員のヒゲモジャのおじさんが、「ここは本当に素晴らしい美術館だから」と色々説明してくれて、彼のおすすめのルートに従う形で僕達は中を巡りはじめた。僕は基本的には現代美術にしか興味がないはずなのだが、ネイティブアメリカンの展示がとても良かった。こちらの美術館は写真を撮ってもいいので、あれこれ写真を撮る。

 美術館へ行く前からすでに空腹だったので、美術館を出たあとはすぐに昨日も訪れたフードカートの集まっている駐車場まで行く。クミコはなんとかというカオマンガイで有名なカートに、日本にいる時から目を付けていたようでそれを購入し、僕は何料理か忘れたけれどフライドポテトとチキンとブルーチーズの料理を買った。僕がこれを注文すると、店のおばさんが誰かを呼びに行く。「ちょっとこの料理は特別ファンシーで特別大きな鶏肉がいるのよ」

 それぞれに遅めのランチを抱えた僕達は、サウスウエスト・パーク・アベニューを3ブロック歩いたところにあるディレクター・パークでそれらを食べることにした。ディレクター・パークは公園と言っても「木と芝」ではなくて、ブロック舗装された地面と噴水、その水を受ける極々浅い池、大きなガラス屋根で構成されたスーパーに人工的な空間だ。都市におけるビル群のボイド。ここもワンブロックに収まっているのでそれほど広くはない、それに日除けのはずの屋根がガラスで透明では日光が辛いようにも思えた。さらに僕達が行ったときは、公園の隣にビルを建てている最中で工事の音もそれなりに騒がしかった。だけど、ここは不思議と心地良い。テーブルの上にカオマンガイとブルーチーズポテトチキンを広げて、むしゃむしゃと食事をする。
 そうこうするうち電車の時間が近づいてきた。

 エースホテルに戻って荷物を受け取り、ポートランド・ユニオン駅まで歩いた。駅周辺は昼間でも微妙に危なっかしい雰囲気がする。
 それでは、さようならポートランド。
 
 今度のアムトラックは、ポートランドへ来た時の車両よりも座席がゆったりしていた。オレンジジュースを買いに食堂車を通ると、屋根まで窓が付いていて本当にきれいだった。通路を挟んで僕達の斜め前に座っている夫婦の、さらにその前に1人で乗っているおじいさんが話好きで、立ち上がって後ろを振り返っては延々と夫婦に話し続ける。僕達の前でなくて良かった。やはりスタンド・バイ・ミーを連想する森を走り続け、やがて海が見えてくると車内アナウンスが吊り橋事故の話をはじめた。僕達は、当時世界3位の長さを誇るも1940年に風に煽られて崩壊してしまった有名なタコマナローズ橋の近くを通過していた。今は新しい橋がかかっているけれど、落ちてしまった古い橋の残骸は今もなお海底に沈んでおり巨大なタコの巣にでもなっているのだろうという話だ。

 シアトルへ到着予定時刻は20時37分だったはずが、実際には一時間くらい早くシアトル・キング・ストリート駅に着いた。駅に着く直前、電車の窓からは再びセーフコ・フィールドが見えて、今日はなにやら明かりも灯っていてゲームが行われているようだった。僕は野球にもメジャーにも興味が無いけれど、なんだかそわそわしてくる。検索してみると、ゲームはマリナーズ対ヤンキースだった。しかもマリナーズは岩隈が先発で、今この瞬間岩隈はマウンドに立っているようだ。さらにヤンキーズ側はマリナーズから移籍したイチローが8番で出場している。つまり、この目の前にある巨大なスタジアムの中では今夜、岩隈vsイチローが見れる。
 僕は野球に興味がないし、実は岩隈なんて顔も知らない。
 なのに急激にテンションが上がって、電車に3時間乗っていた気だるさも一気に吹き飛んだ。
 ちょっと待て、どうしたってことだ、メジャーの日本人対決が見たいなんてお前は低俗なナショナリストか。
 でも、見たい。どうしても見たい。これは見るしかない。

 アメリカに来て初めてハイテンションになった。
 まさかメジャーリーグで、とは思うけれど、もうワクワクして止まらない。

 今夜もまた馴染みのグリーン・トータス・ホステルに泊まる予定だったが、そこまで荷物を置きに行っている暇はないので、キング・ストリート駅で預かってもらえないか聞いてみることにした。窓口で、メガネを掛けた細面の黒人青年に「マリナーズのゲームが見たいので、荷物を預かってもらいたい」と言うと、彼はニタッと笑って「オッケー、本当は預かり賃もらうけれどもう無料でいいよ。この窓口も21時に閉まっちゃうんだけど、それまでに試合終わるかわからないし、遅くなったら、その辺の黄色い服着てる人探して荷物出してもらって、それなら11時まで大丈夫だから。楽しんで!」と、笑顔でキャリーバッグを預かってくれた。
 
 アメリカに来た気分がやっとした。
 メジャーのゲームと、チームを愛する地元の人々というステレオタイプが、そんな安っぽいものが、僕の中のアメリカスイッチをオンにして、アドレナリンが血中を駆け回る。
 スタジアムへ急げ、ゲームはもう始まっている!
 自然と速くなる足取りと、僕のチープに成立したハイテンションをクミコがクスクス笑う。
 セーフコ・フィールドに向かってたくさんの人が歩いている。
 ダフ屋、飲み物売り、歌を歌い小銭をせびる子供たち。
 ゲームが見たいのに5ドル足りない、5ドル下さい、そしたらマリナーズに関する質問なんでも答えます!
 ゲームに向かう人々、ゲームを利用する人々。
 輝くスタジアムに群がる夜の我々僕ら私達。

 チケットを買い、形だけの持ち物チェックを受けてスタジアムへ入った。
 僕は何度も書いているように野球に全然興味が無いので、日本でもプロ野球の球場へ入ったことがない。だから比較できないのだけど、スタジアムの中にはこれでもかと溢れんばかりの人々がいて、これでもかとたくさん並んでいるお店でビールやホットドッグを買っていた。歓声と群衆の織りなす賑やかさがものすごい熱気になって空間を突き抜ける。僕も短めの列に並んでビールを買う。なんとなくポートランドから来ているという屋台で、一番で大きいビールを買った。

 席に座ると、眼下にはきれいに整備されたグランドでゲームが行われていて、巨大なバックスクリーンには様々な情報が流れている。スタジアムの外、正面ずっと遠くにはスペースニードルが見えて、太陽の沈み行くシアトルのビル群が艷やかに広がっている。空には飛行機が飛んでいて、きっとシアトル・タコマ国際空港へ下りるところだろう。シアトルへようこそ。なんて美しい街へ。

イチローの流儀 (新潮文庫)
新潮社

西海岸旅行記2014夏(18):6月9日:ポートランド、丘の上の病院、騒々しいフレンチレストラン

2014-08-30 10:30:25 | 西海岸旅行記



 公園の途中に現れたポートランド美術館は休みだった。それではと、僕達は目的地を改めて山の上にあるオレゴン健康科学大学を目指すことにした。特に大学には用がないというか、ほとんど病院みたいなところなので行っても仕方がないのだが、麓から大学までエアリアル・トラムという片道3分程度のロープウェイが走っている。僕はこういう空中移動に類するものが好きなので、このエアリアル・トラムに乗りたかったのと、山の上からの展望はきっと良いに違いないという思惑があった。正直なところ、実質2日目にして他に行きたいところがないということもあった。街のそこここにあるという小さいこだわりのお店みたいなものには、あまり興味が無いし、街は昨日散々歩き回った。ちょっと気になる公共施設みたいなところは5時くらいに閉まるので、今から行くには遅すぎる。

 公園にある駅の一つでストリートカーに乗って、そのままロープウェイの出ているところまで行くはずが、間違えて一つ手前の駅で降りてしまい一駅だけ歩くことにした。オレゴン健康科学大学のある場所は、街の中心部からは少し離れているので、景色が幾分違って広々している。周囲を眺めながら歩いていると、「どけっ、ここは自転車道だ!」と怒鳴りながらロードバイクに乗ったおじさんが僕達の後ろから突っ込んできた。かなりの勢いと剣幕でクミコは心臓が口から飛び出そうになる。僕達が悪いには違いないが、DIYの街で自転車に乗っているからと言って善良な人だとは限らない。

 この周辺はまだ開発途中みたいで、大きな作りかけの道路と、比較的大きくて近代的な建物、そこを流れるエアリアル・トラムの組み合わせは少しだけ未来的だ。エアリアル・トラムの駅には自転車駐輪場が併設されていて、乗り場と駐輪場の距離も実に近い。もちろん、ストリートカーの駅もすぐ目と鼻の先だ。交通に関してこの街はとても良くできている。ただ、エアリアル・トラムは一日乗車券のカバー外で、僕達はクレジットカードを券売機に差し込んで二人分のチケットを買った。アメリカの自動販売機の類は得てしてクレジットカードの使用が前提になっている。コインや紙幣が使えるとしても、ずいぶん限定的だ。日本にいても、小銭を数えたりしているとき早く全部電子マネーに移行すればいいのにと思うけれど、アメリカでは小銭は実質機能していない。小銭単位のお金は数えるのが面倒な上に価値密度が低いので誰もまともに取り合わない。自然と「釣りは要らない」となる。

 エアリアル・トラムは、観光用のロープウェイではなくて大学並びに大学病院と麓を結ぶ重要な日常交通路だ。なので乗っている人は大抵が学生とか病院関係者で、5分間隔くらいで運行されているのに大体いつも満員のようだった。20人くらいの人を載せた、シルバーの丸いロープウェイは、ゆっくりと地面から遠ざかる。ロープの傾斜が変わる部分で思っていたより大きく機体が揺れたのでびっくりする。ちょっと怖い。登るにつれて視界が開け、ポートランドの街並みが遠くまで。ウィラメット川に掛かる大きな橋。ずっと遠くには半分雲に隠れたマウントフット。残念ながら雪を冠しているであろう頂上付近は見えない。真下に目を落とすと家の庭で犬が日向ぼっこしている。きれいな街だ。きれいな街だが午後の気だるい明るさに包まれて、街はなんだか寂しく見えた。

 3分なんてあっという間で、すぐに病院の入り口へ着いた。降りるとそこは病院なので、このまま回れ右をして帰るか、あるいは病院に入るしかない。せっかくなのでちょっと病院に入ってみると、結構な大病院で、廊下の壁などに掛けられたアートのクオリティが結構高い。付け焼き刃な感じがしない。
 展望台で、こちらも観光らしいインド人一家に混じってまた景色を眺めてから、エアリアル・トラムに再び乗って麓へ戻った。

 ストリートカーへ乗り換えて、昨日前を通るだけ通ったアイスクリーム屋「Salt&Straw」へ行くと、今日は少ししか待っている人がいなかったのでアイスクリームを買って食べる。それからパール・ディストリクトをウロウロした後、昨日一瞬しか入らなかったパウェルズへ入って本をあれこれと見る。多少大きめではあるが、まあ本屋だった。全然見当たらないので「物理学の本はどこか」とカウンターで訊くと、どうやら隣にある別の建物が科学の本を扱っているようだった。基本的に一般向けの本だけで専門的なのはあまり売ってない。

 夜ご飯は、クミコが「Le Pigeon」というフレンチの店を予約していた。なんとかの最優秀レストラン賞にも輝いたという有名店らしい。エースホテルからはウィラメット川を渡った反対側にある。ホテルで一息ついた後、バスに乗ってレストランまであっという間だった。小さな店の中は人が一杯いて活気に溢れている。大きなテーブルの相席で、クミコが壁側に、僕はカウンター側に座った。向い合って話すには少し距離が遠くて、隣の人とは近すぎる。大賑わいの店内はうるさいので会話するのには相当なエネルギーが必要だ。人を入れすぎている。そしてクミコの注文した鴨料理のソースが濃すぎた。文句を言おうかと思ったが、作り直してもらって食べる気分でもなかったので、そのまま下げてもらう。

 ホテルまでは歩いてもすぐなので、帰りは歩くことにした。夜の大きな橋を歩いて渡るのは気分がいい。川を吹き渡る風がウィンドブレーカーを着ていても肌寒い。橋の向こうには「PORTLAND old town」と書いたネオンサインが見えて、僕は写真を撮った。
 橋を渡り終えると、そこはネオンサインの真下で、ビルの外壁に沿ってたくさんのホームレスが眠っていた。隣のビルにはパトカーが来ていて、表にいる人もなんだか物々しい。どうしてそこに立っているのか、壁際で直立した黒人の男がやけに丁寧にグッド・イブニングと言った。

 夜の通りは人がいない。
 1軒だけ音楽がうるさく漏れている店があって、そこには若者が集まっているようだった。遠くの方から叫び声を上げる若者のグループが歩いてきて、たぶんこの店を目指しているのだろう。「なんか、あんまり良い所じゃないね、怖い」とクミコが言った。僕もあまりいい気分はしなかった。映画でよく見るような、やっと誤解も解けて決心もついて恋人にプロポーズしようとポケットに入れた指輪がゴロツキに襲われて奪われてしまうような雰囲気の道路だった。

 ホテルについて、シャワーを浴びて、すこしのんびり過ごす。
 ホテルというのは素敵な施設だ。

Le Pigeon: Cooking at the Dirty Bird
Ten Speed Press

西海岸旅行記2014夏(17):6月9日:ポートランド、都市計画と窮屈さと雑踏

2014-08-27 22:33:07 | 西海岸旅行記
 ジャイロを食べ終え、オレンジジュースを飲んで一息ついた僕達はポートランド美術館へ行くことにした。このままサウスウエスト・パーク・アベニューを南へ歩いて行けばいい。名前の通り、サウスウエスト・パーク・アベニューは公園に沿って走っている。ポートランドの街はブロックが小さくて、それが碁盤の目に敷き詰められているので大きな公園を作るのは難しい。街中にある公園はだいたいワンブロックの大きさだ。このサウスウエスト・パーク・アベニューの公園は、南北何ブロックかを繋いで公園にしてある。ブロックの切れ目には車道があるけれど、見かけ上縦長の広い公園が形成されている。

 連続した広い空間が取れないというのは、実に息苦しい。ポートランドの1ブロックは200フィートx200フィート。つまり60メートルx60メートルしかない。連続で取れる広さが最大たったの60メートル四方というのは、かなりの制限だ。パイオニア・コートハウス・スクウェアへ行った時も、どこへ行った時も「なんか思ってたより小さいな」と思ってばかりいたけれど、60メートルしか取れないんじゃ当然だ。
 ブロックが小さいこと自体は悪いことではないと思う。けれど、それらがあまりにも整然と並んでいると非常に窮屈な感じがする。この街では僕達は60メートル以上(厳密には対角で85メートル以上)、まっすぐ連続に歩くことが絶対にできない。そこには必ず道路があって行く手を阻んでいる。檻の中の動物みたいだ。

 1961年にアメリカの都市学者ジェーン・ジェイコブスが面白い論文を書いている。彼女はアメリカのいくつかの都市を調査して、魅力的な都市のエッセンスを4つリストアップした。

 1:道が狭くて曲がっていて、各ブロックが小さい。
 2:新旧の建物が混在する。
 3:各区域が複数の機能を持つ。
 4:人口密度が高い。

 こんなことを本当は言いたくないけれど、この4つは腑に落ちる。
 この旅行記の中でも何度か書いているように、僕は基本的にハイテクでスキっと合理的なものが好きだ。このリストにある4つの要素はひっくるめてザクっと表現すれば「ごちゃごちゃしている」ということになるわけだけど、僕はごちゃごちゃしたものが好きではない。このリストのことなんて全然気に入りたくない。しかし、このリストは腑に落ちる。

 少し、話をアメリカから僕の住んでいる街、京都に戻そう。
 家から歩いて行ける距離に「河井寛次郎記念館」という建物がある。河井寛次郎記念館は、河井寛次郎が住んでいた家で、設計も自身で行ったようだ。焼き物制作の為に大きな窯もロクロもある。
 河井寛次郎は、柳宗悦らと日本の民芸運動を盛り立てた一人で、彼の作品もやっぱり民芸っぽい雰囲気を持っている。僕は民芸がかなり嫌いなので、河井寛次郎という人についてはほとんど興味を持っていない。彼の作品も好きではない。

 僕はそういう民芸的なものや、人間の「手作り」という感じが嫌いで、寸法がビシッと出てる幾何学的要素満載の工業製品が好きだ。一番嫌いな食器は手びねりの焼き物で釉薬が垂れているようなやつで、一番好きな食器はチタンのシェラカップ。
  ところが、彼の作品になんというか生命のようなものが、ある質感を伴ったエネルギーがあることを感じ取ってしまう。
 それはまだいいとして、問題なのは家の方だ。
 家に関しても、僕は「手びねりよりシェラカップ」と同じような趣味趣向を持っていて、当然「古民家よりモダン」となる。曲がった古材が上手に組み合わさった昔の人の知恵満載の家よりも、ガラスと鉄筋とコンクリートでできた「ええすみませんねどうせ現代人の浅知恵、現代科学の奢りですよ」な家が好きだ。SFばりのスマートハウス大歓迎というところ。

 それなのに、僕はこの河井寛次郎の家がとても好きで何度も足を運んでいる。
 水平連続窓のようなモダン要素がなくもないけれど、基本的にこの家は日本の古民家的なもの。木造だし畳だし、窯なんてやけにモコモコした形をしている。
 僕の頭は「こんな家嫌いだ」と言いたがる。
 でも、体がそれを許さない。ここへ来ると体のモードが変わって何かが開かれる感じがする。そしてそれはとても心地良い。

 このような頭脳と身体の「好みの乖離」にはもう何年も悩まされているのだけど、ジェイコブスの挙げた4つの魅力的な都市のエレメントについても同様の悩ましさを持たずにはいられない。
 僕がジェイコブスの意見に賛成なのは明らかだった。今回、アメリカのいくつかの都市を訪れて感じたのは「僕はアジア人でアジアの雑踏が好きなのだ」という、「異文化圏で自己再発見」的な、「旅の教科書の基本」的なありきたりなことだった。僕はコルビジェの「輝く都市」みたいに機能的な都市計画が好きなはずなのに、そういう都市へ行くと寂しくて息苦しくなる。それはポートランドだけではなく、他の街でも、たとえば日本の筑波研究学園都市なんかででも感じたことだった。好きなはずの場所ではなんだか息がつまり、好きじゃないはずの場所が心地良いなら、一体どこへ行けば良いのだろう。

社会的共通資本 (岩波新書)
宇沢 弘文
岩波書店

西海岸旅行記2014夏(16):6月9日:ポートランド、エースホテル、フードカート

2014-08-27 18:30:47 | 西海岸旅行記
 翌日、僕達が起きるとケリーはもういなかった。昼頃までゆっくりと身支度して、書き置きを残して家を出る。2泊もするとすっかり馴染んで少し寂しい。今日も快晴だ。乗り慣れたバスに乗り、MAXに乗り換え、とりあえずは荷物を置きにエースホテルへ向かう。

 ホテルへ着くと早速ロビーで日本人を3人見掛けた。ポートランドでは8人程の日本人を見掛けたが、そのうち6人くらいはエースホテルのロビーでだった。
 荷物を置くだけのつもりが、意外なことにチェックインできるというのでチェックインする。フロントで「ポートランドははじめてか?」と聞かれ、そうだと答えると、ヒゲとメガネで少し太った彼は「ポートランドへようこそ」と笑顔で言った。癪に障る。
 鍵を手にした僕達は、エレベーターのボタンを押したがなかなか来ないので途中で諦めて階段を登った。あとでエレベーターを一度使ってみたけれど、古くてガタつくエレベーターだった。こういうのがいい、という感性のことを僕は理解できる(積極的に好むかどうかは別として)。このホテルは基本的にはそういうビンテージ風でできている。

 昨今の一応おしゃれに気を使っている商業施設には、大きく3つのタイプがあると思う。

 1つ目は分かりやすいモダンでミニマルなものだ。直線を基調とした幾何学的な構成と打ちっ放しのコンクリート、1851年のロンドン万博からの伝統、スチールと広いガラス採光。禁欲的な、いわば一昔前までの「ザ・建築」。

 2つ目は、無垢でシンプルでナチュラル!なもの。こちらも禁欲的というか、欲望なんてこの世界には存在していない、というようなふりをしている。オーガニックコットンの服を着た女と、ボーダーの服を着た男が、オーガニックコーヒーを飲みながら村上春樹の本を読んでいるような場所だ。セックスがないことと、簡素な木製の家具が修道院を連想させる。

 3つ目は今一番「センスいい!」と言ってもらえるもので、「ビンテージ+植物」で構成される。植物はだいたい多肉植物が選ばれる。ビンテージというのは、リノベーションとかリサイクルと同一のベクトルに存在していて時代にマッチしている。コストも安い。植物も自然回帰、田舎回帰の現代にしっかりマッチしている。ちょっと変わったビンテージの何かをリサイクルした器に植えたちょ っと珍しい多肉植物を持っていると女の子にモテる。そう「女の子にモテる」。前に上げた2つは禁欲的で性別を超越していたが、この「ビンテージ+植物」という分野にはどうしてか男性的なにおいがある。古くて錆びた金属とかそういう質感は「女子!」とか「かわいい!」から遠い。

 エースホテルは、この3つ目に分類される商業施設だ。だから少し男性的な雰囲気がある。ベッドサイドの電話が、古い軍物っぽいスーツケースの上に置いてあるし、全体の色調がカーキ、ベージュ的な渋い男性的トーンになっている。ただし、間違えても「黒とレザー」みたいな古臭い男性的トーンにはなっていない。大人ぽいものが好きな若者のセンス。鍵もしっかりした金属の昔ながらの鍵だし、洗面台にもハンドソープボトルは置いてない。代わりに小さな石鹸が紐でぶら下げてある。僕は基本的にハイテックの人間なので、全面的にはいいと言わないけれど、シンプルなのは気持ちいい。

 荷物を置いて一休みした僕達は、今日のミッション第一をこなすために部屋を出た。なんとしても蕁麻疹の薬を買わなくてはならない。フロントで尋ねると、近所にターゲットがあると教えてくれたので、早速そこへ行って、効ヒスタミンの飲み薬と、念のため痒み止めの塗り薬を買った。結果的には、抗ヒスタミン剤の効き目は抜群で、この日からクミコの蕁麻疹はまったく出なくなった。10日分を飲みきって、日本に帰った後も、もう薬なしで全く出なくなっていた。僕が高校生のときに蕁麻疹でかかった医者は、どうしてこういう薬を出してくれなかったのだろうか。

 薬さえ買ってしまえば、もう安心だ。効き目のほどはネットで調べてあった。もう昼下がりだったので、お腹を空かせた僕達はサウス・ウエスト・アルダー通りにあるフードカートの集まっている駐車場まで歩いて行って、簡単な昼食を摂ることにした。
 ポートランドで有名なものの一つに、このフードカートがある。まあただの屋台なんだけど、駐車場の車一台分のスペースに置かれた小さなカートが、それぞれに多種多様な食べ物を売っている。ポートランドにはフードカートがたくさんある、と色々なところに書かれているので、どんなにあるのかと思ったけれど、実際にはそんなにたくさん見かけなかった。昨日テキサスに帰っていったソルティは「オースティンの方がもっとあるけど。。。」というようなことを言っていた。

 とはいうものの、フードカート自体はとても良いシステムだ。僕はラムジャイロを、クミコはファラフェルジャイロを買って、近所の公園で食べた。それぞれ5ドルだけど、大きいし美味しい。アメリカに来てはじめて安くて美味しいものを食べたと思う。僕達がソースと油で口の周りをベタベタにしながらジャイロを頬張る隣では、レポートを書いている途中の男子大学生が2人地面で寝ていて、前方へ目をやるとこれもまた地面の上でおじさんが1人犬を抱きしめて眠っていた。犬は窮屈そうに顔を出して、そこら中歩きまわっているハトを眺めていた。

グリーンネイバーフッド―米国ポートランドにみる環境先進都市のつくりかたとつかいかた
吹田 良平
繊研新聞社

西海岸旅行記2014夏(15):6月8日:ポートランド、豊かなスーパーマーケット

2014-08-17 00:30:00 | 西海岸旅行記
 今夜テキサスへ戻るソルティは、飛行機の時間があるので僕達より先に店を出て行った。僕とクミコも少ししてから店を出た。ウエスト・バーンサイド通りまで歩くと、かの有名な書店「パウエルズ」の看板が見えて、そこには「営業中」のサインが出ている。なんだ。さっきここを通りがかったとき、一見すると如何にも営業していないように見えたので休みなのかと思ったのだが、どうやら外側を工事しているだけで営業はしているようだった。

 ソルティによれば「ジュンク堂とかの方が大きいし、別に普通の本屋」ということだったけれど、一度入って確かめたかった。大体が僕はかなり本屋が好きなタイプの人間だし、なんといっても店は今目の前にあるのだ。そうして入ったパウエルズだったが、クミコの蕁麻疹が再発して来たのでいそいそと後にする。どうせ明日はエースホテルに泊まるのだから、また見に来ればいい。

 宿というか、ケリーの家へ戻る前にスーパーにだけ寄りたいとクミコが言うので、近くにあったホールフーズへ入った。ホールフーズはアメリカの大きな自然食品スーパーマーケットチェーンで、先程ソルティの帰っていったテキサス州オースティンを発祥とする店だ。
 アメリカですごいなと思うのは、スーパーマーケットだった。選択肢がとても豊富で、ここは豊かな国だと実感する。そして自然食に強いスーパーマーケットでは「本当にこのどれもがオーガニックなのか?」と思うくらい沢山のオーガニック食品が手に入る。

 僕は子供の頃、「汚い気がして給食を食べるのが非常に苦痛」という程度に潔癖症だった。その片鱗は今でも残っていて、パン屋やスーパーのお惣菜コーナーで食べ物を買うときには一種の割り切りが必要だ。「もしかしたらこのエビ天の前で誰かが咳とかクシャミをしてここにはその人の唾液が付着しているかもしれない、いや、おしゃべりな人が居て喋っただけでも唾は飛ぶし、もしかしたら子供が触ったかもしれないしその子供はさっきまで公園の砂場で猫のウンコとか投げてたかもしれないし鼻をほじってたかもしれない、誰かが頭をかいてその人のフケが降りかかったかもしれない、あー、無理だこれは食べれない、けれどそんなこと言ってたら生きていくのは大変だしなんかダサい気もするし、細かいことは気にしないようにしよう、冷静に考えてみれば誰かの体液とか排泄物とか何か汚いものがここに付着している可能性はそんなには高くないはずだし、付いていても微量だし、そんな微量の誰かの体液は普段からいつのまにか口に入っているものなのだ、だから風邪が伝染るわけで、僕達哺乳類の社会というのはそういうものなんだ、免疫系もあるからよもや誰かの何かが口に入ったとしても大丈夫だ自分の免疫を信じればいい、ここにたまたま誰かの何かが付着していてそれが免疫を打ち負かして病をもたらす可能性はほとんどゼロだ、いやそういう問題じゃない、人の唾液の付いたものを口に入れるのがなんか嫌だというそれだけの感覚的なものなんだ感染症とかそういうことじゃない、でも口って自分の”中”か本当に、トポロジー的には”外”だ、一休宗純だって酒は私の中を通って出て行くだけですとか言って酒飲んでたじゃないか、それに世の色々な生き物を見てみれば犬だって地面に落ちたエサ食べてるし哺乳類の食べるという行為はそういうものなのだ、よし買う」
 そうしてようやくエビ天をトングで取り上げてパックに入れることができるのだけど、アメリカでは基本的にあらゆるお惣菜に透明のプラスチックの蓋が付いているのでそこまで考える必要がない。
 お惣菜の種類も、色々な味付けのオリーブが並んでるオリーブバーから大きなクッキーまで豊富にある。こういうのは僕みたいに潔癖で料理の嫌いな人間にはありがたい。

 ホールフーズを出て、手近な駅でMAXに乗りウィラメッテ川を渡ってサウスイースト・ポートランドへ戻った。ノース・イースト82番通りの暗くなってきた寂しい車しか通らないバス停でバスを待ちながら、途中のバス停で一度下りてドラッグストアへ寄るか、それともそのままケリーの家までダイレクトに行くか考える。ドラッグストアへ行くのは、もしかしたら蕁麻疹に効く薬が売っているかもしれないと思ったからだけど、特に調べもしないで「そんな都合いい薬売ってないよね」という判断をして、疲れもあって早く帰りたかったのでドラッグストアには寄らないことにした。
 この判断は、数時間後に大間違いだったと判明する。
 ネットで少し調べると、アレルギー用の抗ヒスタミン飲み薬は蕁麻疹に絶大な効果があるとのことで、さらにそういった薬は薬局に普通に売っているようだった。この時ドラッグストアに寄るのを怠った為に、クミコはもう一晩蕁麻疹に苦しむこととなってしまった。

 家に着くと、今日はケリーが居て1階に下りてきてくれた。写真で見るよりもずっと若くてキレイな女の子だった。ピアスと全身に入っているタトゥーが如何にもポートランドの若者っぽい。
「はじめまして、お世話になっています。今日は携帯まで取りに行ってもらって」
「そんなのなんてことないの車で10分のことだし、忘れないうちに渡しておくわね」
 ケリーの手には、今日の昼間から行方不明になっていた黒のノキアが確かにあった。状況は把握していたけれど、知らない街でいつの間にかなくなったものが、こうして泊めてくれている人の家で戻ってくるのは魔法みたいな気がした。
「本当にありがとう。本当に助かりました。」

 彼女は翌朝7時から仕事だということで、僕達はほんの短い時間話をしただけだった。ケリーは日本が好きで、「行きたい国は、それはもちろん沢山あるわ、でも、行きたいじゃなくて、絶対にどうしても行かなくてはならない国は日本だけなの、AirBnBで貰ったお金は全部日本旅行の資金として貯金してるのよ」と言った。僕達の払ったお金が彼女の日本旅行の足しになるというのは悪くない話だ。僕達がアメリカに泊まったお金で、彼女が日本に泊まる。それは新しい形態の物々交換みたいで小気味良い。

もの食う人びと (角川文庫)
辺見 庸
角川書店

恋人のシェア;街で声をかけた女の子が彼女のフェイスブック友達である確率

2014-08-14 17:53:19 | Weblog
 ものすごく大雑把な計算を寝ながら夢の中でしました。

 京都市の人口:約150万人

 年齢別人口割合を無視して全ての年齢層が同じ割合で存在する、と仮定。年齢の変域を0から100歳として、20代の人口は、
 150万÷10=15万人

 男女比が同じと仮定して、20代の女性は、
 15万÷2=75000人 ----------(A)

 次に、フェイスブックの「友達」が大体みんな平均200人位と仮定して、ある男性の彼女の「友達」の「友達」の数は、
 200 x 200=4万人

 8割が同年代(ここでは20代)と仮定して、その数は、
 4万 x 0.8 = 3万2千人 ≒ 3万人

 ここでも男女比同じとすれば、女性の数は、
 3万 ÷ 2 =1万5千人 -----------(B)

 (A),(B)を比較してみると、両方ともかなりの概算値なので細かいことは取っ払って、「京都のある男性が京都でふらっと20代の女性をナンパしたとき、その女性が彼女のフェイスブック友達のフェイスブック友達である可能性が2割」ということが分かります。

 何度も言いますが、これは超適当な計算で、どれくらい意味があるか分かりません。別に京都の街角にいる女の子が全員京都の住人なわけではないとか、いくらでも補正項目はあります。

 ただ、確実に世界は狭くなりました。

 本題です。
 シェアハウス、シェアオフィス、カーシェアをはじめとした、「所有からシェアへ」という動きが昨今加速的な傾向を見せています。
 たぶん、このまま行くと「恋人」もシェアする時代が来るんじゃないかなと思っています(それに近いことは、キャバクラ等の形態で先に起こっていますが)。

 恋人のシェアというのは、フリーセックスみたいに多少物騒な言葉かもしれません。どうしてそんな物騒なことをいうのかと言うと、情報化社会が発展して個人のプライバシーがめっきり小さくなったからです。 これから間違いなく、全ての人がどこで何をしているのか、お互いに把握できる時代がやってきます。「そんなの嫌だ」という声は大きいでしょうが、それとは関係なしに、みんながみんなの状態を24時間把握している時代はやってきます。なぜなら人類のテクノロジーはそれが可能なレベルに発達したからです。「せっかくできるようになった」ことをしないのは人類の歴史を振り返ってみても、大変難しいことです。

 別にプライバシーなんてなくても、恋人は1人で変わりない、元々何の隠し事もやましいことも変な気持ちもない、という人もいます。
 たぶん、そういう性質の持ち主と、「可能であればこっそり浮気したい」という性質の持ち主の間の二極分化が進むと思います。
 前者と後者の人口割合を僕は知りませんが、ここでは後者に焦点を当てます。

 バレないならこっそり浮気したい、という性質の持ち主は、情報化の発達で「絶対バレる」となったときに、「じゃあ、やめる」の他に、「じゃあ、許してくれる相手を探す」という選択を行います。つまりお互いに束縛しない関係を築く。1対1の関係ではなく、多対多の関係が立ち上がる。
 ひいては現在ドミナントで、まだ如何にも常識だという顔をしている核家族は解体され、ファジーで裾野の広いネットワークのような家族形態が発生します。ここでは子供を「誰が育てなければならないのか」という問題も、母親一人に押し付けられることなくネットワークに包摂される。というか、誰の子供であるかということがそれ程重要ではなくなります。別の言い方をすれば「子供もシェア」され、「親もシェア」される。

 こういう試みは、情報化社会の発達を待つまでもなく、例のフラワーチルドレン達もすでに行ったことかもしれません。もちろん僕達個々の持つ嫉妬や所有欲というのは強力だし、物事は簡単に進まなかったわけですが。日本ではヒッピー達より半世紀も昔、大杉栄が日影茶屋で神近市子に刺されています。

 ただ、今度は社会状況がかつてと大きく異なっていて、近い将来、僕達はプライバシーという隠れ家を失います。これはSNSの普及だけの話ではありません。たとえばAmazonで超小型の蚊にしか見えないようなロボットカメラが簡単に買えて、そういうものが自分の部屋の中にもトイレにも飛んでいて、そこからの映像がジオタグ付きで世界中に流れるような世界が来ます。隠し事が不可能な世界に押されて、「オープンな関係」という選択は、かつてないほど大量に発生します。完全にクリアな人は兎に角、これまで「こっそり」という戦略を採用していた人は「オープン」という新たな選択を迫られる。
 それが果たして良いことか悪いことかは分からないし、僕は嫉妬も所有欲もある人間なので、そうして現れた新しい社会に対してウェルカムと言えるかどうかも分かりません。けれど、近い将来、フリーセックスだかフリーラブだかが強く試みられる時期がもう一度やって来ることは確実です。なぜなら、テクノロジーは世界を変えるし、どうしてか僕達のテクノロジーは「全てをオープンに。統一」というベクトルで動いているからです。

西海岸旅行記2014夏(14):6月8日:ポートランド、アソシエーションがない、携帯電話もない!

2014-08-10 10:23:54 | 西海岸旅行記
 コーヒーショップを出た僕達は、ダウンタウンへ向かった。MAXを降りると小さなレンガ作りの広場があって、矢鱈滅多と鉢植えの花が並べられており、それらにまとめてスプリンクラーで水が撒かれていた。クミコが「パイオニア・コートハウス・スクウェアだよ、ここ」と言うので少し驚く。パイオニア・コートハウス・スクウェアはポートランドの紹介をする時によく出てくる広場で、これももっと広いものかと思っていたら結構小さいし、なんてことない。そんな風にブツブツ言いながら、スプリンクラーの水を避けてちゃちゃっと広場を抜け、そして僕はあることに気が付いた。
 ノキアのスマートフォンがない。
「あれっ、ノキアないんだけど、クミコが持ってたっけ?」
「そうだっけ、うーん、私も持ってないみたい」
 クミコがポケットとカバンを探る。
「じゃあ、やっぱり僕が持ってるのかな」
 僕は、持っていたものをどこかに置き忘れたりしたことがほとんどない。携帯電話をなくしたことも一度もない。だから最初はカバンのどこか奥底にでも入れてしまったのだろうと思っていた。けれど、いくら探してもノキアは見当たらない。ポケットには確実にない。カバンにも確実にない。ということは本当になくしたらしい。
「旅のトラブルが発生してしまったかもしれない。本当にない」
 ソルティがiPhoneを取り出して、ノキアに電話をしてくれた。電話は繋がった。
「そうです、友達が落としたみたいで、あー、電車にありましたか、今私達はパイオニア・コートハウス・スクウェアにいますけど、あなたはエースホテルの近くにいるんですね、ちょっと持ち主に代わります」
 ソルティはiPhoneをクミコに渡した。
「もしもし、ありがとうございます、ええ、ええ、それでしたら、私達どうせ明日エースホテルに泊まるので、エースホテルに預けておいて頂いたりできますか? あっ、そうなんですね、ケリーは私達が泊めてもらっている家の人です、まだ会ってないんですけれど、そうですかケリーに連絡済みでケリーが電話取りに行ってくれるんですか、それは恐縮ですけれどお願いします、本当に助かりました」
 どうやらノキアを拾った人は、中を調べ、ケリーに電話をしてくれていて、しかもケリーはその人のところまでノキアを受け取りに行くと言ってくれたらしい。まだ顔も見ていないというのに、とんだ迷惑を掛けることとなった。もう話は付いているみたいなので、ここはもう任せることにする。

 ウィラメッテ川の方まで行くと、なにやら賑やかで、お祭りのようなものが開催されていた。映画にときどき出てくるああいうやつだ。メリーゴーランドがあったりするような。それが夕方の川沿いの公園にずーっと広がっている。
 「こういうのってさ、子供の時から行ってたら、ああ夏祭りだー、みたいに思うんだろうけど、そういうアソシエーションがなかったら楽しめないよね」とソルティが言った。
 「そうだよな、まったく」僕は奇妙に納得してしまった。そして「アソシエーションがある、ない」という言葉の使い方が自分の中にストンとインストールされた。アソシエーションというのは「結びつき」というような意味合いの言葉で、たとえばPTAのAはアソシエーションのAだ(ちなみにPはparent,Tはteacherで、親と教師が一緒に活動する団体を表している。PTAという言葉を聞くと筒井康隆の「クタバレPTA」が真っ先に頭に浮かぶ。「クタバレPTA」を検索してみると「クタバレPTA」は片仮名で「クタバレPTA」はなくて、平仮名で「くたばれPTA」と書くみたいだ。確かに「クタバレPTA」よりも「くたばれPTA」の方が自然ではあるから「くたばれPTA」と書いたほうがいい)。

 僕は日本で育っているので、基本的にはアメリカの物事にアソシエーションがない。映画やドラマの中で見たものにいくらかあるだけだ。こういう街にやってきた遊園地みたいなお祭にアソシエーションがあるのはどんな気分だろうかと思う。僕達が地元の夏祭りや花火大会に感じるあの感覚を、こういった全く異なる形態の祭に対して抱くというのは。
 ポートランドの後、僕達は一旦シアトルに戻って、サンフランシスコへ行った。サンフランシスコからヨセミテ国立公園、LAと移動したのだが、昼間はこれでもかと明るくて暑かったのに「夏だ!」という感覚はあまりなかった。それはsummerだったのだろうけれど夏ではなかった。僕の知っている春夏秋冬という4つの季節とは異なる第5の季節を体験しているようで、気候が違うのだから当然だったのだろう。summerは素敵ではあるものの、アソシエーションがない。結局、「ああ夏だな」と感じたのは日本に帰ってきてからだ。ジメジメした京都盆地から山の向こうへ沸き上がる巨大な入道雲を望むとき。7月がやってきて街中がコンチキチンと鳴り出すとき。なにより僕の場合は、本屋に入って夏っぽい本が平積みにされているのや、「ナツイチ」キャンペーンが目に入ると強烈に夏だと思う。子供の頃、夏休みにはほとんど毎日本屋で立ち読みしていたから強いアソシエーションがある。

 アソシエーションの有無は、僕達個々の世界の見方を方向付ける。見方どころではなく、個々の住む「世界」そのものを特徴付けている。ネガティブには偏見という言葉を持ち出すこともできるかもしれない。
 目の前で繰り広げられているお祭りにアソシエーションがないことを、もう絶対にそれが手に入らないことを少し寂しく思う。僕は日本人なのだ。日本で生まれ、日本で育ち、日本にアソシエーションを持つ人間なのだ。それは良くも悪くも僕を限定し特徴付ける。

 そんなことを思いながら歩いていると、日本語が目に飛び込んできた。短歌だった。川沿いにたくさん石が埋め込まれていて、日本語と英語で歌が彫られている。どうしてこんなものが置いてあるのだろうかと思えば、ここは「ジャパニーズ・アメリカン・ヒストリカル・プラザ」という所だった。前にも書いたように、この街は日本との関わりが深い。

 ウィラメッテ川に軍艦の様なものが停泊していて、特別内覧時間が終わりつつあるようだった。僕は大きな船が好きなので、「乗ろう!」と言ったのだが、もう入場は締め切られていた。ゲートの兵士に「明日もあるのか」と聞くと、「もう今日で終わり」ということだ。

 そしてまた例によって行く宛なく歩いていると、なんとエースホテルが目の前にあった。この日は初日で全く土地勘がなかったのだが、今から思えばパイオニア・コートハウス・スクウェアとエースホテルはそんなに遠くないので、自分達でエースホテル近辺までノキアを取りに行くのも簡単なことだった。
 「ちょっと入ってみようか」とエースホテルのロビーに入り、そのまま隣のClyde Commonというレストランで軽食を取ることにした。ホテルやレストランの仕事もしているクミコが「悔しいけれどいいお店だ」と言い、ソルティは掛かってきた人生相談というか、それよりややドロドロした相談の電話に出て、僕はIDをチェックされて良く分からないカクテルを飲んだ。

くたばれPTA (新潮文庫)
筒井 康隆
新潮社


夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松 啓介
筑摩書房

西海岸旅行記2014夏(13):6月8日:ポートランド、日本人街、中国人街、ハイテックはどこだ?

2014-08-08 09:53:13 | 西海岸旅行記



 文句ばかり書いたようだが、それでもポートランドへ行ってみようと思ったのは、「再開発が成功したコンパクトでクリーンな都市」「今もっともクリエイティブな若者に人気の街」というフレーズから「もしかしたらハイテク都市なんじゃないか」と思ったからだった。
 ハイテクな人々と、前述した職人さん的な人々、オーガニックな人々、多様な人々が楽しく暮らしている街というのは魅力的だった。僕は個人的には職人さんの手作りグッズを好まないけれど、それは「そういうのものを好む人を好まない」ということではない。色々な人がいるほうがいい。
 ハイテクじゃないかと思ったのには別の理由もある。ポートランドにはインテルをはじめとした多くのテック企業があって、一応「シリコン・フォレスト」なる異名も付いている。
 豊かな(非常に豊かな)自然に囲まれたハイテク都市で多種多様な人々が自由に色々なものを作りながら暮らしているというイメージはとても心地良い。

 さて、ノースウェスト・ディストリクトで路面電車を下りた僕達は"GOORIN BROS"という帽子屋へ向かった。ソルティが帽子を買いたがったからで、彼女はその時着ていた薄手のコートとほとんど同じ色の帽子を買った。帽子屋を出て少し歩くと、歩道に人々が長い行列を作っていて、クミコが「あっ、ここSalt&Strawだ!」と言う。日本にいるときから来たがっていたアイスクリーム屋だけど、僕は何か食べるのに並ぶのは御免なので、「また後で来て、すいてたら買おう」とやり過ごす。

 公共交通機関が発達していて便利だと書いたにも関わらず、この日僕達はとことんポートランドを歩きまわった。「次どうしようか」と行き先が決まらないうちに兎に角歩いていたので、半分は無駄に歩きまわった。僕は特定の店だとか観光施設ではなく街自体がどんな雰囲気なのかを知りたかったので結果的には良かったと思う。
 ポートランドを歩きまわって感じたのは、「意外に活気がない」ということだった。あくまでたった3日間の表面的な印象でしかないけれど、人も少ないし、なんだか静かで退屈な街だと思った。これなら京都の方がよっぽどいいじゃないか。
 もちろん、これは僕が下調べしたり、あるいは街の人と積極的に交流したりしなかったせいだとも言える。だが、僕が知りたかったのは思いっきりざっくりとした街の温度だった。積極的にどこかの店や人々と交流を持てば、基本的には大抵の街は面白い。街だけではなく田舎でもどこでも。

 チャイナタウンへ移動して、小さな店を覗いた後、そろそろお茶でもしようとソルティがiPhoneを取り出してYelpを検索した。ここにしようと向かった一軒目の店は、行ってみると有料のチャイニーズガーデンの中にあったのでやめにする。
 ちなみにポートランドにはチャイニーズガーデンとジャパニーズガーデンがあり、ジャパニーズガーデンの方は日本国外にあるものの中で最高のできだと言われている。僕は日本の伝統的石工の仕事を手伝わせて頂いたことがあるので、なんとなくポートランドに行ったらこの日本庭園も訪ねてみようかと思っていたのだが、実際にポートランドへ行くと「なんで京都からポートランドへ来てわざわざ日本庭園なんて見なきゃならないんだ」という気分になり、結局は行かなかった。

 もしかしたら、ポートランドの日本庭園は本当に素晴らしいのかもしれない。
 ポートランドはオレゴン州にあり、オレゴンには、明治から1900年代前半までの間に沢山の日本人が移住しているし、ポートランドにも日本人街があったという話だ。1900年代前半に日本人差別が酷くなり移民は禁止され、日本とアメリカが戦争をはじめると12万人の日本人(日系アメリカ人)は強制収容所に送られた。
 僕が行った時は閉まっていて入れなかったのだが、ポートランドには"Oregon Nikkei Legacy Center"というミュージアムがあり、そこでは上記の歴史が展示されている。日本とオレゴン州ポートランドは、そのように無関係ではなく、ポートランドにある日本庭園が素晴らしくても不思議はない。

 ただ、僕はポートランドを歩きまわってしばらくして、なんとなくこの街は偽物くさいなと思ったので、日本庭園もそういう表面だけのものではないかと勝手に推測してしまった。
 このチャイニーズガーデンも胡散臭く見えたし、チャイナタウンもどうしてか中国人がほとんどいなかった。大自然に囲まれたオーガニック愛好家の多い街のはずが、僕は大地という存在から遠く切り離された気がして、アスファルトをひっぺがしてやりたいような息苦しさを感じていた。このクリーンなイメージの表面の下には何があるんだ。そういうことを考えると、ポートランドに到着した夜、暗い通りのあちこちから声を掛けてきたゴロツキ達のことを思い出す。闇を響く彼らの声の方が、もっと生々しい大地から溢れる何かに近いような気がした。

 チャイニーズガーデンに入ってお茶することを諦めた僕達は、そのまま炎天下のサウス・ウエスト3番通りを下り"Stumptown"という店でコーヒーを飲んだ。僕はよく知らないけれど、東京にも店があるんだかないんだか有名なコーヒー店の本店らしい。やたらとガランとした店で、こんな内装でいいのかと思う。

 「そういえば、最近アマゾンのアプリがカメラで画像認識して商品みつけてくれるらしんだけど、日本ではまだで、アメリカでしかできないみたい」
 僕が気になっていたアマゾンアプリの新機能の話をすると、ソルティが早速アマゾンアプリを起動し、クミコが鞄から村上龍の本を取り出した。iPhoneのカメラが本の表紙を捉えると、アプリは的確にこの本が村上龍の「五分後の世界」であると認識した。

 ひとしきり休憩し、アイスコーヒーもなくなって、次はどこへ行こうかと話す。僕が「なんかハイテクな感じの物が見たい」と言うと、「それだったら、もう日本帰った方がいいんじゃない」とソルティは例の意地悪な笑みを浮かべた。

五分後の世界 (幻冬舎文庫)
村上 龍
幻冬舎

西海岸旅行記2014夏(12):6月8日:ポートランドの魅力的ではないところ

2014-08-05 22:10:14 | 西海岸旅行記
 ランチを終えて、さてどこへ行こうかという段になると、実は僕達にはそれ程行きたいところがない。とりあえず店を出て、目の前にあるさっきと同じMAXの駅で路面電車に飛び乗った。
 ポートランドの電車も、いちいち改札を通るのではなく、乗客が切符を持っているかどうかはたまに抜き打ち検査で調べるだけのシステムなので乗り降りがとても楽だ。

 「特に行きたいところがない」なら、「どうしてポートランドへ来たのか」という話だと思うので、ここで僕達がポートランドへやって来た理由を書いておきたい。
 まず、今回の西海岸旅行の大きな目的は、この連載旅行記2つ目の記事にも書いたように、「漠然と憧れていたアメリカに本当に住みたいのかどうかを見極める」というものだった。もちろん、そこが本当に住み良い街であるかどうかは実際に住んでみないと分からない。けれど、「住みたい!」というパッションが起動するかどうかは、もっと時間スパンの短い直感的な話で、その起動があれば十分だ。去年の夏、横浜や鎌倉、湘南辺りを訪ねて「住みたい!」という気持ちが喚起されたけれど、それは今も続いているし、ソウルでも香港でも同様の気持ちになった。

 ポートランドが居住地としての候補に上がったのは、実をいうとどうしてなのか分からない。日本でのトレンドに乗せられてのことだろうか。なんとなく、もうニューヨークとかLAとかは古くなりつつあって、さらに生活費が高くなる一方でお金持ちでないとまともなところに住めない、という噂が流れていた。ニューヨークやLAといった、ハイを目指す消費社会のシンボルから下りて、新しい生活を探す若者たちがたくさんポートランドに住み始めているということも聞いていた。

 しかしながら、僕はそういうオルタナティブな生活にはそれほど興味が無い。
 「ポートランドへ行く」と人に言うと、言われた人は僕が「そういう人」だと勘違いするかもしれない。もしかしたらこの旅行記を読んでくれる人もそういう風に誤解するかもしれない。
 つまり、僕が「焙煎も自家製でゆっくり丁寧に入れたコーヒー(俗にいうサード・ウェーブ・コーヒー等)を好み、作家さんだか職人さんだかが手作りで丁寧に作ってくれた革製の鞄を好み、移動はなるべく自転車で行い、エコにオーガニックに生活している」のではないかと。
 実際には、僕はその逆の趣味趣向を持っている。コーヒーなんてどの豆でも焙煎具合でも構わないし、コーヒーっぽい飲み物だったらなんでもいい。今は夏で魔法瓶に氷を水とインスタントコーヒーを適当に入れて蓋を閉めてシェイクして飲んでいるし、缶コーヒーだって平気で飲む。「缶コーヒーはコーヒーではない」とかそういう話には一切耳を傾けない。
 作家さんだか職人さんだかの手作りグッズにも完全に興味が無い。僕が好むのはバッキバッキの精度でハイテックな工場の機械により作られたギンギンのプロダクトだ。大抵のものは人間の手なんかより、機械の方が上手く作る。機械には「職人さんの2週間」なんかより圧倒的なコスト、原始時代からの無数のエンジニアや科学者達の築いてきた叡智が詰まっている。
 自転車もオモチャとしては魅力的だけど、移動するならこれも圧倒的にバイクか車がいい。動力がついてないなんて!

 こうして書くと、現時点における「ポートランドの魅力」とされている物事の大半に僕は興味が無いのが分かる。さらに僕はこの街が自分自身で自分達を「ヘンテコリン」と位置づけているのが気に食わなかった。”KEEP PORTLAND WEIRD(ポートランドをヘンテコなままに)”と、でかでか書かれた壁があるらしいけれど、自分で自分を「変でしょ!」という人が僕はとても苦手だ。そういう人は大抵「変」なのではなくて、「変であることに憧れている」だけで、自分が変であるという宣言の裏側に、歪な虚栄心と「変」に縋りたいという弱さを垣間見てしまう。「友達が変わっている」と矢鱈に自慢する人も同じだ。「変」と「面白い」というのは別の話だし、さらに「いい!」とも全く関係のない話なので、変かどうかなんて本当にどうでもいい。

 なんだかポートランドの悪口みたいになってきてしまったけれど、悪口ついでに、あるイベントのことも書いておこうと思う。
 2014年の3月頃に、ポートランドを紹介するイベントが京都で開催された。既にポートランドはクリエイティブ系の人達の間で流行っていたので、かなり気恥ずかしいとは思いながら僕はそのイベントに行ってみた。イベントに行ってみて、これは失敗したなとか、時間の無駄だったなとか思うことはしばしばあるものの、「金返せ」と思うくらいに酷いイベントはこれがはじめてだったかもしれない。
 イベントは、あるポートランドに関するガイドブックの出版に併せて企画されたもので、スピーカーは取材や出版に関わった人達だった。基本的には取材にまつわる与太話をダラダラと聞かさせただけで、僕は2時間と2000円と何かプライドのようなものの一部を失った。
 その与太話のポイントは言うまでもなく「どう、変でしょ!(私達の知っているポートランドの人達、と私達)」だ。

 スピーカーにポートランドの大学に留学していたという日本人の女の子がいて、彼女がポートランドのホームレス事情について話していたとき僕はイライラしていたのだけど、今回ポートランドへ行ってみて、そのイライラの理由が明確になったと思う。
 まず、彼女がどういうことを言っていたかというと、ポートランドにも結構ホームレスはいるけれど、この街ではホームレスもそれなりに尊厳を持つことができて生活し易い、ということだった。
 言うまでもなく、これは嘘だ。ポートランドという街は素晴らしいと言い切りたいが、ホームレスがいるという事実も無視できないのででっちあげた言い訳に過ぎない。「ええ、ホームレスもいますけれど、ここではホームレスだって楽しく暮らせるんです。そういう素晴らしい街なんです」

 人が他人に受け入れられるには、貧乏か金持ちかとか、あるいは家があるかないかはポイントではない。つまりホームレスかどうかというのは本質ではない。人々が気にするのは清潔さだ。一定以上の清潔さが社会生活には必要で、それが欠如していると楽しく幸福な社会生活を営むことはできないし、尊厳を持つことも難しい。そして当たり前のことだが、ポートランドだろうがどこの街であろうが風呂にも入らず道端で眠っていれば人間は清潔ではなくなる。再開発に成功した都市でも、クリエイティブな若者に人気の街でも、別に魔法の世界ではないのだ。

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