空気を買う時代

2012-12-12 22:12:32 | Weblog
僕はオーガニックを賛美したりヒッピーの振りをするような人間はないし、ハイテクや新しいものが大好きな人間ですが、それでも僕達はあまりにも自然から遠くに来すぎてしまったのではないかと思うことがあります。
 それは野生の動物達と今の僕達を比較してみれば一目瞭然です。
僕は実は進化論をあまり信じていないので、人間が本当にサルから進化したのかどうかもあまり良く分からないのですが、仮に人間がサルから進化したのだとして、そうであれば僕達の先祖は好き勝手に自然界から食べ物を得ていました。縄張り争いのようなものはあったのだろうけれど、土地を所有するということもなく群れで移動をしていたのだと思います。人間が定住生活を開始したのは高々1万年前だということなので、土地の所有というのは人類にとって実に新しい概念です。

サルが食べ物を自然界から勝手に取るのに対して、僕達はほとんどの場合、お金を払って食べ物を買っています。自然界から勝手に食べ物を取ることは僕達にはほとんど許されていません。あそこに見える柿の実は、あの庭の持ち主のものです。こっちに見える白菜は畑を管理している農家のものです。山へ入って山菜を取ろうにも山は全部誰かの持ち物です。植物がダメなら肉でも取ろう、と言っても、猟をしたり罠を仕掛けたりして動物を捕まえるためには免許が必要です。じゃあ魚でも取ってやれと言ったって、漁業権を買ったりしなくてはならない場合が結構あります。
 僕達は結構強力に食べ物と切断されています。お金がないと食べ物にアクセスできません。

次に飲み物ですが、井戸水や湧き水を飲んでいる人というのはそう多くないと思います。ほとんどの人は水道の水を飲んで水道代を払ったり、わざわざ海外から運ばれてきたミネラルウォーターだとか疑似科学の原理で体に良いとか唄った怪しげな水を買ったりして飲んでいます。
 つまり、食べ物に次いで水にもお金がないとアクセスできないわけです。

 この調子で、いつかは「空気」だって買わなくてはならない時代がくるんじゃないか、なんて冗談を言おうかとしたら、冗談どころか現に結構沢山の人々が空気を買っていることに思い当たりました。
 何のことを言っているのかというと「空気清浄機」です。

都市部の大気汚染だか、シックハウスだか、安っぽい防腐剤まみれの合板でできた家具のせいだか、なんだか部屋にいるとアレルギー症状が出て止まらないという人が増えていて、そして空気清浄機を買ったりします。
 空気清浄機の動力源は電気なので、空気清浄機を使うということは本体購入費用に加えて電気代という形で空気にお金を払っていることになります。つまり、都市部では既に空気を買わなくてはならない状況が発生しているということです。マスクが必要だというのも同じようなことかもしれません。

土地も食べ物も水も空気も何もかも全部、お金なしには手に入らないというのが
「変だ」と言いたいわけではありません。非情で強力な存在は自分が全てを独占してやろうと思うでしょう。だから生命維持の為のリソースが誰かに占有されてしまうことは変なことでもなんでもありません。ただ、僕はそれが嫌だし窮屈だし、もう少しどうにかなればなと思うし、その為の強さを持ち合わせていないことを悔しく思います。

ずっとわからないこと

2012-12-11 01:06:05 | Weblog
 何度か似たようなことを書いていて、でも本質は上手に書けていなくて、最近またそのことを強く感じていて、でも今回も上手く書けるかどうか分からない、あることを書きます。

 それは僕が結構長い間抱えている疑問です。
 「みんな、どれくらい本当にそう思っているのだろう」
 というのが、その疑問です。

 たとえば、あるお店に行ってある商品に「お薦め!」と書かれていたとします。
 でも、この「お薦め」は多分、本当の「お薦め」ではなくて、仕入れすぎたとか、業者に頼まれたとか、なんだか知らないけれど、「とある別の理由によって」書かれている「お薦め」なのだと思います。
 平たく言うとウソということです。
 言葉の意味と言葉が乖離しています。

 しばらく前に、「会社から強制的に、とあるセミナーを受けに行かされた」という話を聞きました。それはビジネスに、いや人生のあらゆることに有益であるとされている、とあるスキルのようなものを身につける為のセミナーということでした。「アホみたいなんだけど、プッ」と言いながらテキストを見せてもらって、内容のアホさ故に僕も一瞥して吹き出したあとに、悲しいような怖いような複雑な気分になりました。
 そのセミナーは受けに来ている人の多くが「アホみたい」と思っていて、でも会社が行けと言っているので仕方なく参加しているわけです。その会社はちょっとびっくりするようなお金をそのセミナーに払っているようなのです。会社の中で意思決定をする人の何人がそのセミナーに価値を見出していたのかは知りませんが、まず僕はある会社の、ある決定権を持った人がそのセミナーの効用を信じてい大金を払っているということが腑に落ちませんでした。

 一番気になっているのが、セミナー講師の人が本気でそのセミナーを開いているのか、それともお金の為にやっているだけなのか、ということです。当たり前のことですが、その講師はとても熱心にテキストを作り、熱心にセミナーを開いているように見えるわけです。でも彼が本当の本当に本気だとはなかなか信じがたいわけです。なぜなら内容が極めて下らないからです。
 本気なのだとしたら、こんな下らないことを本気でやっている人がいるということが、お前は何様のつもりだと言われても、悲しいし嫌だと思います。もしも、内心では「馬鹿みたい」と思いながらお金の為にやっているのだとしたら、それも人を喰ったようで嫌だと思う。

 こういうことが、いつもとても気になっています。

 子供の頃、体育の授業で「前に倣え」と号令を掛けて、「もっと手をピンと伸ばしなさい」とか注意していた教師は、あれは本気でああいうことを言っていたのだろうか。それとも、なんか馬鹿みたいなことだけど、教師というのはこういう馬鹿みたいなこと言う仕事のようだからとりあえず言っておくか、とか思っていたのか、一体どっちなのでしょうか。

 コンビニの店員が言う「いらっしゃいませ」は、本当に「いらっしゃいませ」と思って言っているわけではないし、別に言わなくていいんじゃないのかな、という話をしていたら、「なんにも知らないんだね、あれは、あなたが入ってきたということをこちらは認識しているということを示す防犯の為のものなんだよ、万引きとかしにくくなるように」と、ウソか本当か分からないことを教えてもらったことがあります。
 どちらにしても「いらっしゃいませ」は、いらっしゃいませではないわけです。

 昔、広告業界というのはカッコイイと思っていた頃がありました。
 うんうん、クライアントの要望に応じて、なんでもない製品でも素晴らしい製品のように人々に見せる、その方法をクリエイティブに考える。クール!
 とか思っていました。
 今は嫌ったらしくて広告なんて見られません。
 特に、あの「うまく考えたなー」と唸らされるコピーの嫌ったらしさときたら。

 本当は誰もいいと思っていないのに、でもコストだとか「なんらかの事情」によってそう作られてしまった物達。
 とりあえず口にされる言葉。
 邪魔なだけなのにエクスキューズの為に配置されている交通整理。
 おかしいとみんなが思っているのに「なんらかの事情」で進められていく工事。
 なんでこんな全部の商品に最高級って書いてあるんだ。

 今回も支離滅裂なほとんど箇条書きの悪口みたいになっていますが、僕は本当にみんなが何を考えて「それをしているのか」本当に分からなくて、時々堪らなく怖くなるのです。本当にそう思ってそれをしているのか、それとも何かの強制力が働いていてイヤイヤやっているのか、何かの言い訳としてそれをしているのか、なんとも全然わからないのです。言葉も行動も。こんなにたくさんある訳の分からないことを、みんな本当に真剣に心からそうしているのでしょうか。