u+n;part3

2011-08-22 19:52:58 | Weblog
 国立民族学博物館の中で、世界中から収集された資料を見ていると、ときどき息苦しい気分になる。自分の今いる場所が、博物館の巨大さにも関わらず実に狭苦しく見えるからだ。ここは知的な意味合いでは世界に開かれている。でも、物理的には世界から数層の入れ子構造として隔離されている。

 国立民族学博物館は大阪吹田の万博記念公園内にあるわけだけど、万博記念公園の傍には千里ニュータウンがあるように、基本的に周囲はニュータウンの雰囲気がとても強い。つまり、近代的ニュータウンの中の、自然を無理やり持ち込んだ公園の中の、近代建築である博物館の中の、自然に近い生活資料を見るということになる。近代の中に持ち込んだ自然の中に作った近代建築の中の自然としての人の営み、近代以前の人の営みの名残。それは、街の中に作られた動物園の中で夜行性動物館の中に閉じ込められたコウモリ達を見るときの息苦しさに似ている。動物園なんて爆破して全ての動物たちを逃したい。

 彼らの周囲に幾重にも張り巡らされた壁と、僕達の周囲に何重にも張り巡らされた壁。
 言葉の壁、意味の壁、法律の壁、思想の壁、肉体の壁、空間の壁、時間の壁、暴力の壁、権力の壁、思考の壁、五感の壁。

 都市の主要な構成要素:壁。

 壁、フェンス、柵、鍵、鎖、人種、国籍、国家、民族、性別、身分、貧富、職業、家柄、世間体、常識、服装、制服、ビジネススーツ、いいですか皆さん、スーパークールビズですよー、もうネクタイもしなくても許してもらって頂けるように各方面に国の方から指導させて頂いておりますので。ええ、ええ、ジャケットなんて真夏の大都市でとんでもないですよねえ、ええ、ええ、もう今年はクールビズを超えてスーパークールビズですから、はい革命的に、もう、ええ、許しますから、ね、私どもではなんとポロシャツで出勤して良いことに決まりまして、ええ、なんともまあカジュアルで親しみやすくて節電もできますし、どうですかこれ、ポロシャツで働いていいなんてなんとも実に革新的ではありませんか、ええ、それでもいいことに決めていただいたんですー、すごいですよねー、職員も服に個性が出てイキイキというか、あっ、ちゃんとスーパークールビズ用のカジュアルすぎない華美ではないポロシャツを着用するように心掛けておりますのでご心配ご迷惑の程お掛けすることはありませんかと存じ上げております、はい、あー、しかし、けして裸にはならないでください。裸で街に出たら逮捕させて頂きますことに法律の方でも決められておりますので誠に申し訳ありませんがシャツ、ズボンなど露出の多すぎない衣類をお召になっていただくことになっておりますのでそちらの方はご注意ご配慮の程よろしくお願い申し上げます。
 裸で生まれてきても、裸では絶対に外に出てはいけない社会。

 それは禁じられている。
 では「誰が」禁じているのか。

 スケートボードは自由の象徴に見えるときもあるけれど、実は街の中でしか役に立たない。都市を一歩出れば、あんなちっぽけな車輪では1センチたりも前へ進むことができない。
 荒野を進むは、2本の足。

 都市の内側に自然を持ち込む手法は、それが閉鎖系であるゆえに限界が明白だ。代わりに時代は自然界の中に細かく分散した都市機能を埋め込もうとしている。近年急激に市場を広げたフェスはその一つだし、たぶんそれに連動する形で爆発的に高まったアウトドアウェアのファッション性もその一つだろう。ハイテク高性能でカラフルな服に身を包んだ人々が、都市と自然を自在に行き来する。山の中に、島に、海岸に、最低限のインフラだけが整えられ、軽量な現代登山装備を持ちカラフルウェアを来た人々が自由に行き来する。自然界はもう自然に向き合う為だけの場所ではなくなり、ビルも道路もないけれど、たくさんの人々がくつろぎ話を交わす、都市機能を半ば代替するような空間に変わる。メイクばっちりの女の子が、公園の噴水ではなく、傍の山の川辺に、さらりと休憩に行く。そういった都市。最新のファッションが、野外活動可能であること前提の時代。
 これは全部ただの空想だけど、現代の都市はさすがに自然界から離れすぎていて、そろそろ揺り戻しが起こっても全然おかしくはないと思うのです。

団地の見究
東京書籍


OUTDOOR STYLE GO OUT (アウトドアスタイルゴーアウト) 2012年 02月号 [雑誌]
三栄書房

打ち捨てられた古いホテルの中で眠ったこと

2011-08-18 22:18:46 | Weblog
 温泉街をフラフラと笑いながら歩く人達を見上げている。夏の夕方6時はまだまだ明るくて暑くて、でも川の畔でゴロゴロとしているのは快適だった。如何にも観光地らしく、完全に舗装整備されたこの小さな川は、温泉街を道路から数メートル低くなった形で流れている。僕達はそこで餃子を食べたりビールを飲んだりして、バックパックを背もたれに、だらしのない格好でそれぞれに本を読んでいた。通りがかった女の子が教えてくれたところによると、7時から祭りがあるということだ。小さな仮設ステージでは龍笛を鳴らしながら音響調節を行うPAの男がセッティングを終え、浴衣を着た4人の女の子達がフルートで当たり障りのない曲の音合せをしていた。
 数メートル上を歩く温泉客を眺めて、僕は彼らとはまるっきり別の世界にいるような気分になる。彼らは温泉街で寛ぐのに適した、すっきりとした軽装をしていて、僕はテントを括りつけた大きなバックパックにもたれている。昨日は、とある閉鎖された登山道を登り、とある山の中にある、とある廃ホテルにテントを張って眠った。打ち捨てられ、朽ちていく大きな建造物の中で、微かな怯えを抱えながら眠るのは非日常的なことだった。日常というものをグラフの原点にとれば、廃ホテルの非日常性というものは、きっと温泉観光の持つ非日常性とは反対方向に向かうものだろう。

 Kと二人で、その柵を乗り越えて山道に入ったのは昨日の夕方だ。それまでも僕達は随分な坂道を上がってきたのだけど、柵から手前はまだ町の外れで、柵から向こうは"山"だった。その象徴として、柵からすぐの所で僕達はイノシシに遭遇した。イノシシは遠くから聞こえてくる雷鳴のような唸りを残して姿を消した。
 急勾配の山道にバックパックは重い。夏の空気は暑く湿っていて想像していた以上に体力を消耗する。すぐに全身から汗が吹き出してシャツとズボンがずぶ濡れになる。思わず何度か休憩を挟んで登ることになったけれど、日が暮れる前には廃墟に着いておきたかったので、そうのんびりもしていられない。それに、休憩と言っても展望が開けているわけでも、心地良い風が流れているわけでもなく、ただ草木の生い茂った山道の斜面に立ち、蚊を払いながら呼吸を整えるだけだった。特に長い間楽しみたいと思うような休憩でもない。水を一口飲み、呼吸が回復するとすぐにまた歩き始める。

 そうして、たぶん1時間くらいで目的地に到着した。木々の中に、半ば埋もれるかのようにホテルは建っていた。当たり前だけど、本当にそれはそこに建っていた。周囲を自然界のものではない、独自の生々しい侵食が覆っている。自然界の木や草や動物はこういう風には朽ちて行かない。コンクリートや金属だけが、苔の残骸なのか土なのか、湿っているのか乾いているのか良く分からないものに覆われて朽ちていく。
 幸いなことに夕方の明かりはまだ十分ある。トワイライトマジックは始まったばかりだ。階段の正面は木が生い茂っていて通れなかったので、立派な石の手摺を横から乗り越えて階段に入った。
 遂にやってきた。
 階段を上り、外に海と都市を見下ろせば、その眺望は随分と美しかった。それから背後に目をやり、建物の内部を覗き込む。もう暗くなった室内は深部を訪れようとあまり簡単に思えないような静けさを湛えている。
 2,3百人規模のパーティーが開けそうなホールの写真を簡単に撮り、それから僕達はテラスに出た。テラスとホールの間にある半分外になった屋根の下にテントを張ることにして、荷物を下ろし、他の階を見に行くことにする。テラスのあるここは最上階の4階なので、他の階へ行くというのは即ち階段を下って行くということだ。僕達は外の階段からここまで一気に登ってきたわけだけど、今度は建物の中の階段を降りて行くことになる。建物の内部は暗く、下へ行けば行くほど暗さも増すのであまり気持ちの良いものではない。

 懐中電灯の白い輪郭を頼りに、二人で階段を下る。もう内部は随分暗い。まるで空気が完全に静止しているみたいに思う。
 一つ下の階、つまり三階に出ると、広く取られた廊下だかロビーだかがあり、その隣に大きな食堂があった。暗くてもう写真はほとんど撮れない。レストランには黒電話が一つ残っていて、「これが鳴ったら怖いだろうな」というような軽口を叩き、あれこれ眺めて歩く。窓からの眺めといい、朽ちてはいるものの伺える内装からして、在りし日は良いレストランだったのだろうなと思う。厨房らしき隣の部屋の、さらにその奥には比較的新しい道具類があった。それがいつのものなのかは良く分からなかった。微かな生活感がまだ残っているような気もしたし、遠い過去がただ凍結されてそこに残っているだけのようにも見えた。もしも誰かが住んでいたら怖いなと思う。もちろんオバケのような超自然的なものも怖いけれど、それよりも悪意を持った人間がいればその方がずっと怖い。その誰かは、僕達がここへ辿り着いたのを聞きつけて、どこかに隠れてじっと見張っているかもしれない。

 レストランを出てすぐの所に半開きのドアがあり、奥をライトで照らすと2階へ下りる真っ暗な階段が口を開けていた。今の僕達にとって、それはもはや階段ではなく、まるで海中洞窟のようだった。「ちょっと流石にこれは今無理だなあ」と言って、テラスへ戻ることにする。

 テラスからの眺めは完璧に美しい夜景だった。都市の明かりと暗い海のコントラストが、遠く広がる湾の形をくっきり浮かび上がらせている。海上には四角形の人工島が光を放ち、大小様々な船が行き来する。人口島を飛行機が離着陸する。その現代的な眺めは、80年前に作られ朽ち行くこのホテルとは対照的だった。草木が根を打ち込み破壊しつつある古いコンクリートの上に立って、SFの世界にいるようだと思う。あそこは裕福層の暮らす、しかし管理されきった都市。ここは都市を追われた者たちが住み着いた山賊砦。

 都市を追われた山賊はお腹が空いたのでウルメイワシを焼くことにした。
 僕達が持ってきた食べ物は、ウルメイワシ1パック、リンゴ2個、おにぎり5個、ビスケット1袋、枝豆1パック、ミックスナッツ1袋、ドライマンゴー1袋、水4リットル、ビール4缶、マッコリ1瓶、ウイスキー小瓶1つ、というかなり気楽なものだった。山へ入る直前に二人で蕎麦屋に入って食べてはいたので、一泊ならこれで十分だった。
 実はこの時まで、僕はまだ軽い恐怖心というか緊張みたいなものを心の中に持っていたのだけど、ウルメをKが持ってきたガスストーブと網で焼いて食べていると、そういうものが解消されていった。これは断じてビールやマッコリのせいではないと思う。魚を焼いて食べるという極々平和な行為と、それに伴うある種、間の抜けた匂いが廃墟一帯に漂っているという事実が、心を柔らかく解したように思う。

 ギターを担いで来ていたKはテラスの縁に腰掛けて現代的都市風景に向かい歌を歌った。月は満月の寸前で曇空の向こうから丸い姿を覗かせる。そろそろ流星がやって来るらしいけれど、曇りなら雲で、晴れても明るい月で流れ星は見えないだろう。
 それから僕達は屋上というか、屋根の上に登り、そこでウイスキーを飲んだ。景色は一段と素晴らしく、海から山に向かって吹く風が潮の香りを運んでくる。山の中でときどき何か大きな生き物が移動する音が聞こえる。遠くの現代都市にある動物園から夜の静寂を手繰ってアシカの声が聞こえてくる。コウモリかと思うような大きな蛾がときどき空をよぎり、振り返れば後ろには大きな煙突が倒れて砕けていた。倒れた煙突はどことなくガリバーを連想させた。ウイスキーとドライマンゴーがなくなって、いつの間にか時間も深夜を過ぎていたのでそろそろ屋根を下りることにした。明朝は早くなるだろう。そろそろ眠ったほうがいい。

 テラスに戻る前に、少しだけホテルの外を散策するとまたイノシシがいた。ときどき森の中から聞こえてくるのは彼らの立てる音に違いない。

 歯を磨き、電気を消して就寝。

 浅い眠りの中で、物音を聞いたような気がして目を覚ました。ホテルの外ではなく内側でその音は小さく鳴っていて、テントの方へ近づいて来るように聞こえた。耳をそばだてて聞くと、残念なことにそれは気のせいなんかじゃなかった。何かが微かな音を立ててこちらに近づいてくる。最初に頭をよぎったのが「人」で「オバケ」じゃなかったので、僕も大人になったものだなと思った。結局のところ怖いのは人だ。イノシシにしては音が静か過ぎる。こんなに静かに近づいて来れるのは足音と息を殺した人間か、あるいはもっと小さな動物だ。一応Kを起こした方がいいだろうか。リスみたいな動物だったらその必要はないけれど、人が襲ってきたら戦わなくてはならない。オバケだったら別にほっとけばいいか。足音はテントのすぐ外まで近づいて来た。もしも本当に人で、敵意のある人で、それで槍みたいなものでテントの外から刺されたらやられてしまうかもしれない、そろそろ行動を起こさないとまずいな、と思ったとき、カリカリっという音が聞こえた。カリカリ、パチっ、カリカリ。なんだ。この音なら良く知っている。リスを飼っていたときもモルモットを飼っていたときもネズミを飼っていたときも、彼らはみんなこんな音を立てていた。そして小さな生き物はキュルルと小さな声で鳴いて、僕は眠りに戻った。

 翌朝、Kがテントを出る音で目が覚める。
「まだ、5時だよ。もう一眠りしてもいいけど」
 空はもう随分白んでいて、僕もテントから出ることにした。訳ありでここには遅くても9時までしか居られない。30分余裕を見たら8時半には出なくてはならないし、そろそろ起きても悪くはないだろう。それにお腹も空いていた。歯を磨いたり顔を洗ったりしていると、東から太陽がゆっくりと登ってくる。まだ静かな街を陽光が白く染め上げる。鳥はもう清々しくピーピーと鳴いていて、風もまだ涼しくて、広いテラスやホールを歯ブラシ咥えたままウロウロするのはとても豊かな気分がした。朝の廃墟は実にすっきりとしていて、僕はもうこの場所に軽い親近感すら覚えていた。

 おにぎりを食べ、コーヒーを飲んでいると「ヤッター、ついたー!」という随分大きな声が外から聞こえて来た。まだ朝の6時過ぎだけど、どうやら来客らしい。「わー」とか「すごい」とかいう声が聞こえていたので、何人かのパーティーかと思ったら現れたのは青年一人だった。
「おはよう、こんなとこにテント張って、ムードぶち壊しにしてたらごめんなさい」と挨拶する。一人で早朝、こんな山の中の廃墟にやって来て男が2人いたら警戒するはずだ。彼はまだ19歳で東京からやって来たということだった。日本中の色々な廃墟を回っているらしい。今朝は泊まっていたネットカフェを4時に出て来たという話だ。さらにこの後、岡山のなんとかという廃墟へ向かうらしい。

 一頻り話をしたあと、僕達はキャンプを撤収し荷物を整理して、それから3人で改めて内部探検することにした。なんとなくフラりとやって来た僕達とは違い、正真正銘の廃墟好きらしき彼は「これこれこういう感じの部屋がこっちにあるはずなんです」という風に内部のことも少し知っているみたいだった。
 すでに太陽は肌を焼くように強く登っていて、昨日行かなかった深い階へも下りて行く。「もうこれ以上はやめましょう」と19歳の青年が言うので驚いた。一人で廃墟巡りをするような人でも怖いのか。僕はもしかしたら人並み外れた臆病者かもしれないと思っていたので少しほっとした。もちろんやめずに”これ以上”進む。
 下の方は主に客室とお風呂だった。床が抜けていて通れないようなところを除いて、大体全てを見て、またテラスに戻った。僕達はそろそろ出発の時間だ。テラスで青年とお別れして、再びバックパックを背負い、廃墟を後にする。

 その後、とある境界を乗り越えてまっとうな登山道に入り、ある山の山頂まで出た後、今度はまた別の山の山頂に移動して、そこから、出会ったおじさんが「この辺りで最高のコースだから」と太鼓判を押してくれた素敵な山道に入った。滝があったので、水がほとんど垂直に落ちて行くその数メートル手前でリンゴを冷やして齧り、コーヒーを沸かし、ビスケットを食べる。それから今度はその滝を下から眺め、ついでに別に見つけた滝も眺め、半分沢下りのような感じで清流に沿って山を下りて行く。ビブラムのファイブフィンガーしか履いてない僕の足には気を抜くとヒルがやってきたけれど、それを除けばほとんど完璧なコースだった。

 旅の終わりは温泉地。
 茶色く濁った温泉に浸かりさっぱりした後、僕達はビールや餃子なんかを買い込んで、川の畔で随分長い間ぼんやりと過ごした。そろそろ帰んなきゃね、なんて言いながら。
 温泉街に夜がやって来る。
 今夜もここでは祭りがあるそうだ。

廃墟の歩き方 探索篇
イースト・プレス


ニッポンの廃墟
インディヴィジョン

u+n;part2

2011-08-06 11:34:42 | Weblog
 先日、福井県まで海水浴に行ったとき、やっぱり海辺の田舎町はいいなと思った。こういう所で一週間くらいのんびりしたいね、という話をみんなでして、そして「うっかり住みたいと思ってしまうけれど、でも住んだら困るだろう」という結論に達した。
 何が困るのかというと、「ある程度多数の若者によって構成された、ある程度活発な文化圏」が存在しないことだ。あるいは「多様な若い人間がフラフラしている空間がない」ということだ。そういう場所がある程度近辺に存在してないと、僕はとても寂しい気分になる。いつもそういった賑やかな場所に居たいというわけではなく、そういう場所が「近くにある」と思えないと寂しくなる。

 都会が田舎よりも魅力的だとしたら、その一番の要因は多分これではないだろうか。別に高層ビルが好まれているわけでも、張り巡らされた地下鉄が好まれているわけでも、溢れかえる店舗が好まれているわけでもなく、多様な若者がフラフラしているということに最大の魅力があるのではないだろうか。
 だから、ビルもお店もなくても、多様な若者がある程度の数集まれば、それは即ち「都市」を形成するのではないだろうか。ひいては、僕はコンクリートで固めた都市ではなく、そういった田舎の環境とパラレルに存在する文化圏としての都市に、誤解を恐れずに言えば、都会的な人間で構成された田舎に、住みたいのではないだろうか。
 第一回目の山人水に行った2005年頃から、ずっとそういうことを考えている。
(その時の日記も残っていました。懐かしい→ http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/7cc1b67d5a203c9ea3871d14f683c1f0 )

 好みの問題として、僕は所謂「土系」の人間でもないので、田舎にみんなで移住してヒッピーファッションで有機農法をしたいというわけではない。時代を遡り、ハイテクを捨てて"昔の人の知恵"的なテクノロジーだけで生活したいとも思ってはいない。人は技術の発達というのも好きだ。

 国立民族学博物館でオセアニアの区画に立ち、展示されている様々な道具を眺めながら、改めてそういうことを思った。
 僕はこういうクネクネした木の棒や石や土器だけでは、こういう道具だけではやっていけない。やっていけないというのには二重の意味があって、一つには単純にもっと高度な道具が好きだ、ということ。そして2つ目は、こういう道具を使っていたら絶対に僕達はこれを工夫し改良してしまう、ということ。絶対に。自分が使っている道具に改良を加えて進化させてしまうことは止められない。それは人間の根源的な喜びに関わる部分だ。「ここは、ひょっとして、もう一本棒を付けたら、もっと楽に作業ができるんじゃないの」と、絶対に誰かが閃く。その閃き自体が喜びであり、それを実現することも喜びになる。それを止めるのは、極々普通の意味合いでとても残念なことだ。
 ただ、その閃きが大事なものを破壊するとき、僕達は閃きの実行を自制した方がいいのだろうなとは思う。「あ、そうか、こうすればネズミをラジコンで操れる!脳の研究も進む!」と閃いても、個人的な意見を言わせてもらえば、そんなものは実行に移さないで欲しい。僕達はその手のことを沢山行い過ぎた。人が死ぬかもしれないけれど、自然がぶっ壊れるかもしれないけれど、動物をたくさん殺してみることになるけれど、「でもやってみたい!」とたくさんの閃きが実行された。それが悪いか良いかは分からない。分からないけれど、僕はそれは嫌だ。「悪い」とか「良い」とかいう判断基準には本質的な意味はないとも思う。個人的には「この動物実験でできる新薬で100万人の命が救えます」ということであっても、僕自身は目の前にいるサルの一匹も殺せない。100万人の人には申し訳ないけれど、僕にはそういうことはできない。でも、その100万人の中に恋人や親友や家族が含まれていたら分からない。たぶんサルを殺すだろう。僕はそういう身勝手な人間だ。想像力や倫理的概念が欠如していると言われても、僕はそういう風に近視眼的にしか物事を"感じる"ことができない。理解はできても感じることができないし、理屈で「これで良かったのだ」と心に言い聞かせながら生きて行くこともできない。

 オセアニアの、どこかの島の老人の写真が貼られている。
 彼は石の器に木の実か何かを入れて棒でひいている。これは、僕は改良してしまうに違いない。最初は棒の先端に平たい石か何かを付けて、面と点の間で行われていた擦り潰し作業を面と面の間で行うように変えるかもしれない。次に石臼のようなものを作るかもしれない。次に石臼に水車を組み合わせて、川の水で曳けるようにするかもしれない。
 でも、人類史をトレースするとしたら次段階に来そうな、何かを燃やして得た熱を蒸気機関で機械運動に変えるということは行わないと思う。たとえば豊かな森の木を切って薪を作り、それを燃やして蒸気機関を動かし石臼の動力にする、ということはしないと思う。そんなことの為に僕は木を切れない。地面を掘って掘って、出てきた黒い液体をモクモク燃やして動力にすることも、僕にはできないと思う。だから、僕がもしもテクノロジーの発展に関する全てのポイントに関わっていたら、化石燃料を軸とした現代社会はなかった。同様に、山をダイナマイトで吹き飛ばして鉱物を掘り出して、ということもできそうにないから、金属を多用する社会もなかっただろう。それではどういう社会になっていたのかというと、それは想像の範囲を超えている。結構原始的なままテクノロジーの進化が止まったかもしれないし、有機物質とセラミックなどを駆使したハイテク社会になっていたかもしれない。
 繰り返すようだけれど、こういうものは全部、善悪の問題ではなくて、僕達の趣味趣向の問題であり、そして少なくとも日本という国においては、そろそろ優しいテクノロジーが好まれ始めているような気がする。善悪の問題じゃないということは、偽善ですらないということで、環境問題というのはもっと「僕達は自然が結構好きだ」という単純な動機に帰結して語られても良いように思う。

 先に「技術の発達が好きだ」と書き、ここへ来て「自然が好きだ」と書いたわけだけど、結局のところ僕達はそれらを上手く調和させていくことになる。田舎へ移住した多様な若者達は、その場を作り変えていくだろう。けして乱暴ではない方法で。その予感は、現代建築とファッションにも既に端的に現れている。
(続く)
新装版 道具と機械の本――てこからコンピューターまで
岩波書店


コンチキ号漂流記 (偕成社文庫 (3010))
偕成社

u+n;part1

2011-08-03 23:21:40 | Weblog
 森の中にたくさんのテントが並んでいる。テントには明かりが灯っていて、誰かの話し声が聞こえてくる。向こうの方で、彼らは火を囲んでいる。どこからかチャンダンのお香を焚く香りが漂ってくる。川に足を浸したカップルがビールを飲んでいて、その後ろを歯ブラシくわえた子供が通りすぎる。犬はまだそこで眠っている。老人が屋根の下でラジオを聞いている。屋台で買ってきたカレーの匂いがする。月が高く昇っている。お風呂帰りの女の子が石鹸の匂いを残して歩く。ええ、今すいてましたよ、いいお湯でした。
 そして遠くから、フロアから微かに聞こえてくる音楽と人々のざわめきが、僕達を通り越えて、ずっと空高く、地を這い遠くの森の中まで広がって行く。
 _______________________

 阪急南茨木駅から大阪モノレールに乗り換えるとき、僕はいつもどこかのテーマパークに入場するかのような感覚を覚える。ここから向こう側は、もう日常ではなく、ある特別な空間だ。それはただの1970年の残り香なのかもしれない。実現しなかった幻想としての未来の、その幻影なのかもしれない。もちろん、周囲に住む人々にとっては、それは紛れも無い日常であり、全くの現実なわけだけど、外部からの目線で見れば、やっぱりそれらはなんだか尋常ならざる空っぽな空間だった。空っぽな空間というか、空っぽさに満たされた空間だった。

 モノレールに揺られて何駅か、万博記念公園前で下りる。僕の他に降りたのは2,3人だった。だだっ広い駅のコンコースを出て、旧エキスポランドの入り口へ抜ける。奥にプールがあるらしく、2組程の家族連れを見かけたけれど、他には人がいない。ただ日の光だけがうるさい夏の午後。
 ここを通るたび、僕は中学1年生の時に10人くらいの友達と連れ立ってエキスポランドへ遊びに来たことを思い出す。友達というのは小学校の時に仲の良かった男女のグループで、ほとんど全員が同じ中学校へ進んだのだけど、小学校で同じクラスだった頃を懐かしんで京都からエキスポランド行きを計画した。いかにも子供らしく「ここのジェットコースターは日本で一番怖いらしい」「いや世界一らしいよ」とかなんとかいい加減なことを言いながらギャーギャー騒いでいたわけだけど、もうその頃の賑わいは微塵も残っていない。かつてお金を払って入ったゲートは無人で開放されていて、かといってそこをくぐっても中には何もなかった。ある人命を奪った事故を含む、20年という歳月の重みだけがただ静かに横たわっていた。

 ゲート前を通り過ぎ、中国自動車道を横断する歩道橋をスケートボードで渡る。渡ればすぐに太陽の塔の真ん前で、万博記念公園の入り口だ。券売機の横には「スケートボード、自転車の持ち込み禁止」と書かれていたけれど、気にせずそのまま持って入る。
 高い太陽に逆らって、細めた目で太陽の塔を見上げながら横を過ぎ、国立民族学博物館へ向かう道へ出ると、もう誰も道を歩いていなかった。カップルが1組木陰のベンチに座って何かを食べていて、広場で5人の子供たちがサッカーをしているだけだった。これをずっと下った所、民俗学博物館への連結点に警備員がいるのは知っているし、実際に遠くに彼は見えていたけれど、誰も歩いていない広い道路、しかも軽く下り傾斜のついた道路の上をスケートボードを手に持ったまま歩くなんてナンセンスなことはできない。僕がスケートに乗り始めると、彼の視線がこっちへロックされたので、なるべく目を合わせないように明後日の方を眺めながら坂を下った。
 近くまで行くと、彼はこっちへツカツカとやって来て「ダメなんですよそれ」と言った。予想していたよりもずっとカンカンに怒っていて、「それは持ち込みもできないんですよ。一体どこから入ってきたんですか」と詰問口調で喋りはじめたので、面倒にならないうちに入場券を見せて「ダメとは知りませんでした、すみません、もう乗りません」と宣言してやり過ごした。

 結局のところ、スケートボードは民俗学博物館の受付で女の人に取り上げられてしまった。取り上げられたとはいっても、至って感じよく笑いながら、「あっ、それ、ごめん、カバンの後ろにくっつけてるから見逃すとこだったけれど、スケボーは持って入れないの、ごめんね、そんなカバンあるんだね」というような形だったので、全く嫌な気にはならなかった。クロークで引換に渡された札の番号は「1」で、夏休みだというのに実にガラガラな館内、荷物を預ってもらっているのは僕一人なのかもしれないなと思う。

 8月は始まったばかりだ。新潟県の苗場スキー場では今年もフジ・ロックフェスティバルが開催されていた。ツイッターを通じて、苗場から聞こえてくる友達の楽しそうな声を聞き、所謂「フェス」というものについて少し考えた。
 実は、僕はライブというものにそれほど興味がない。クラブに行くと、ゲストでバンドとかが来ていてDJの合間に演奏する(こういう日はどちらかというとバンドの方がメインなんだろうけど)ことがあるけれど、大体いつも「早く演奏終わらないかな」と思っている。なんだかんだ言って基本的にバンドの演奏は聴く為の音楽で、DJは踊るための音楽だと思うし、僕はどちらかというとDJの方が好きだ。フロアを見ながら上手に構成した数十分のDJは僕達をある狂気と快楽のフラッシュポイントまで連れていってくれる。5分ごとくらいでブツブツ切れるバンドの演奏ではそういうことは、少なくとも僕には起こらない。ステージの上の方が絶対にフロアより楽しいだろうな、などとぼんやり考えて眺めていることになる。

 だから、ライブ盛りだくさんの「フェス」にはあまり興味がない。「レイブ」には何度か行ったことがあるけれど、「フェス」には行ったことがない(と思っている)。
 かといって、じゃあフジロックなんかには全然興味がないのか、というと、そうでもなくて、ライブ云々ではなく、その”環境”にとても興味がある。

 束の間だけ現れた街。
 自然の中に、嘘みたいに現れた街と、たくさんの人々。
 それらは、一つの仮設テーマパークに過ぎないと切り捨てるには濃密過ぎるリアリティを持っている。
(続く)

RAVE TRAVELLER―踊る旅人
太田出版


スケートボーディング、空間、都市―身体と建築
新曜社

広告という時代

2011-08-01 12:49:34 | Weblog
 亡くなる少し前に、僕は中島らもさんに握手してもらったことがある。らもさんはフラフラで付き添いの人に支えてもらっていて、握手はフニャフニャで手はガサガサだった。僕は、お互いに顔だけ知っていて、この日「あっ、あそこでよく会う人だよね」と初めて口を聞いた女の子と、それから「私パニック症候群で電車も乗れないんだけど今日はがんばって1時間も電車に乗って来たの、今薬また飲んだけど怖いから一緒にいて」とやって来て、その割にはいきなり僕のことを良ちゃんと馴れ馴れしく呼ぶ、完璧なメイクとブランド物で全身を固めた女の子と一緒にいた。
 僕達は3人ともフラフラでフニャフニャでガサガサな握手をしてもらった。

 高校生の頃、らもさんの本を結構たくさん読んだ。何かの本に、広告は鬱陶しいもので、街には所狭しと広告が出ているけれど、駅の階段にまで水虫薬の広告が書いてあったり図々しいというかお節介というか、とにかく本当にうるさいものだと思う、というようなことが書かれていた。
 それは本当だ。
 僕は今電車の座席に座ってこれを書いていて、周りを見渡せば「うちの大学のオープンキャンパスに来なさい」「この清涼飲料水を飲みなさい」「肩が凝ったらサロンパス貼りなさい」「腰が痛かったらこれを塗りなさい」「電車移動にはこのカードが便利だから使いなさい」というメッセージが見える。ついでに書くと、僕の座っている席には「優先座席だから席を譲りましょう」と書いてある。ここからは見えないけれど、「ヘッドホンからの音漏れはNG、マナーを守りましょう」とか「しゃべり声が大きすぎませんか。マナーを守りましょう」とか書いたポスターが車内にあることも知っている。まあ、うるさいこと極まりない。
 これらを「街の彩り」だということもできるとは思う。広告のない世界は寂しいかもしれない。佐藤可士和さんが昔言っていたけれど「広告なんて誰も見てない」わけだから、気にしない人は気にしないし、別にうるさいと文句を言うようなものでもないのかもしれない。

 でも、僕達が「広告の世界」に住んでいるということは、もう少し積極的に認識されてもいいように思う。広告の海の中で泳ぐような生活の歴史はとても浅い。実はメディアの発達の歴史は広告が環境中に溢れてくる歴史でもある。昔はせいぜい看板とか、実際に街角で「トーウフー」とか叫ぶだけだったけれど、新聞、雑誌、ラジオ、テレビを経過して家庭内、個人のプライベートな空間にまで広告は深く浸透した。

 そしてインターネット。ネットの上に「誰かの善意や自己顕示欲によりタダで落ちているモノ」は少ないし、それらにアクセスする人も実はそれほど多くないと思う。大半の人がアクセスするのは従来の商業的情報源だ。だいたいこのサイバースペースという膨大なデータとトラフィック、つまり物理的に言えばものすごい数のサーバと電力は「誰がどのようなお金によって」支えているのだろう。どうして、今まで新聞や雑誌を”お金を払って”買わないと読めなかった記事が、インターネットではタダで手に入るのだろう。それは僕達が代わりにものすごい量の広告を見せられているからだ。サイト上のバナーで、送りつけられるメールで。僕達がネット上のサービスにお金を払わないなら、その対価は「広告を見る」という形で払っていることになる。

 2010年の媒体別広告費(2011年2月23日発表、電通による)では、総広告費:5兆8427億円で、内訳はざっと
 ・テレビ:1兆8000億円弱
 ・ネット:8000億円
 ・新聞 :6000億円
 ・雑誌 :3000億円

 単純に”金額ー広告の邪魔さ”間に線形な相関があるとすれば、テレビの映画で十数分ごとに消臭剤とかビールとかエアコンとかの宣伝が流れる半分くらいの”邪魔さ”でネット上に広告が挿入されていることになる。
 ネットが画期的なメディアであることには間違いないけれど「ネットは双方向で自由だ!」というのは、半分は幻想に過ぎない。大半のユーザにとっては、情報の海にアクセスする窓を開けてみたら何かを言う前に大量の広告を押し込まれた、という形になっている。こういうことにはもう少し自覚的になってもいいと思う。どうしてこんな偉そうな年寄りの説教みたいなことを言うのかというと、「ネットは自由だもん」という幻想の下に、なんだか良く分からない、ある軽薄さに裏打ちされたフォーマットや文法が世界に染み込んでいくような気がして少し怖いと思っているからです。

ガダラの豚 1 (集英社文庫)
集英社


頭の中がカユいんだ (集英社文庫 (な23-21))
集英社