中州パーティーについてのお知らせ。

2006-03-28 23:52:16 | Weblog
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追記(3月31日)
 発電機がなんとか直りました。
 どうもお騒がせしました。
 予定通り、4月7日金曜日に開催したいと思います。
 あとは晴天と、春めいたうららかな気候を願うだけです。
 従って以下はもう心配ありません。

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 先日告知した中州パーティーですが、発電機の状態が不安定なので、もしもうまく修理できない場合は延期せざるを得ません。
 木曜日に予定通りか、延期かを決定して発表することができると思います。
 なんだか面倒なことを言ってもうしわけありませんが、よろしくお願いいたします。

鴨川ハイウェイ。

2006-03-27 12:57:47 | Weblog
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 追記(3月31日)
 ;発電機がなんとか直りました。
 どうもお騒がせしました。
 予定通り、4月7日金曜日に開催したいと思います。
 あとは晴天と、春めいたうららかな気候を願うだけです。


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 追記(3月28日)
 ;発電機の状態が良くないので、30日の木曜日までにうまく直らなかった場合は延期とさせて頂きます。延期か予定通りかはブログに書き込みます。申し訳ありません。
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 最初に『中州パーティ』のお知らせです。
 なんといっても、もう春です。

 ただ、変更の可能性もあるので、お手数ですがときどきこのブログをチェックして頂けると助かります。
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『☆中州パーティー☆』 (鴨川パーティー)

2006年4月7日金曜日 @鴨川公園(出町柳)
18:30~midnight (雨天順延)
フリーパーティーです。
音楽のジャンルは限定していません。
平和でキラキラしたオープンなパーティーです。
もしもよければどなたでも通りがかってください。遠くからただ音楽を微かに聴いたり、近くで踊ったり、どのような仕方ででも楽しめるものにしたいと思っています。
もちろん、そこは公園なのです。
僕たちはただ、公園をより楽しいものにしたいと思っています。

"Nakasu-party"

2006,Apr,7(Fri) 18:30~midnight
(in case of rain, to be postponed)
@Kamogawa-park(in front of DemachYanagi-station)
Entrance Free
peaceful,brilliant,open party.
Please join us as your way.Just listening, dance,or anything as you like it.
I think we'll just color the park pop for everyone.



 老若男女、誰だって楽しめるものにしたいと思う。
 仕事を終えて、出町柳の駅から家へと向かう人々が、ちょっとだけ立ち寄って、コンビニエンスストアでお菓子でも買って来て、鴨川やスクリーンや橋を渡る自動車を眺めながら、友達や、あるいは知らない人々と話をして、それから興の乗った人々は踊ったり、犬は散歩したり、おじいさんと座り込んだり、お酒を飲む人もいて、恋人達はハンバーガーを交換して、子供は走り回って、家族は春の夜の香りを嗅ぎ、ときどき赤ん坊は泣いて、コウモリは街灯を飛び渡り、鳥達はそろそろと眠りの仕度を始める。
 そんな夜にしたいのです。
 僕たちは、全くの素人に過ぎませんが、能う限りのきれいでポップで素敵な音楽と、なにかしらの映像を提供したいと思います。
 もちろん、それらはただ単に公園へ置かれた、簡素なベンチや水飲み場のように、まるでささやかな一つの設備として見なされて良いものです。
 春の夜を過ごしましょう。

Really, it's for everyone.
The people on their ways to home, from DemachiYanagi-station, he or she might have finished their jobs just now. And they might stop at this party. Moreover he or she might have some snacks. Talking with friends or strangers. There are Kamo-river, our screen and cars going on the bridge. Of course some people should dance(funny or cool), a dog walks around or sits down with a old man, yap I can see the people are drinking, lovers try their hamburgers each other, kids run around around, families breaths spring night fresh air, sometimes a baby start crying, small bats fly like a flicker on a street light, yes birds are going to sleep.
One vision I hope to.
We have not many skills and materials to makeng a party, but we'll try to serve the most beautiful,pop, cool musics in ours, even some movies.
You could consider this party as just facilities of Kamogawa-park like benches or waterworks. Easy.
It's a spring night.
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 僕は今5冊の本を同時に読んでいて、その中の一冊は "I am JACKIE CHAN" という随分とストレートなタイトルの本です。これはジャッキー・チェンの自伝で、僕はもう何年も前にこの本を買ったのですが、あまり面白くないので放ってあって、久し振りに読むとなんだか面白いような気もするけれど、でもやっぱりすぐに飽きてしまうという、実にきれぎれな方法で読んでいます。

 この本を本当に彼自身が綴ったのかどうかは知りませんが、ジャッキー・チェンという人間のことがかなり赤裸々に描かれていて、昨日読んだ個所にはテレサ・テンが出てきました。

 ジャッキーはその昔、香港から逃げるようにアメリカに渡り、そこで孤独な生活をしているときに偶然テレサ・テンに会い、そして二人は恋仲になる。そしてテレサが中国に帰るという前夜、つまり最後の夜にテレサからジャッキーの部屋に電話が掛ってくる。もちろん、「今から会いたい」という電話です。そのとき、ジャッキーは自分の映画のスタントマン、というか弟分と一緒にいて(彼らは中国人で、ジャッキーのことを"Big Brother"と中国語で呼ぶ)、ジャッキーは彼らに対して自分の威厳を見せ付ける為に、「会いたいなら来ればいいじゃん」と電話越しのテレサに向かって横柄に振る舞う。弟分達は電話の相手がテレサだと知っていいて聞き耳を立てているわけです。テレサはしばらくの後にやって来て、ジャッキーを食事に誘う。当然、彼女はジャッキーと二人きりでアメリカ最後の夜を過ごしたい。だけどジャッキーはここでも弟分に威厳を見せようとする。

「いいよ、行こう。但し、こいつらも一緒に」

「えっ、二人じゃ駄目なの? だって今日は…」

「別に御飯を食べるくらい、プライバシーもいらないだろ。食べてから二人になればいい」

 テレサは怒って言う。彼女はすでに「来たけりゃ来れば」という屈辱的な電話を飲み込んでいるのだ。

「分かったわ。彼らと行くか、私と行くかどちらかよ。一緒には行かない」

「じゃあ、彼らと行くよ。バイバイ」

「バイバイ」

 そうしてテレサは出て行ってしまう。弟分の「エレベーターまで送らないの?」という機転の利いた台詞を受けて、内心はテレサが愛しくて仕方ないジャッキーは弾かれたようにテレサを追いかける。でも、ジャッキーがテレサを見付けたとき彼女はちょうどリムジンに乗り込むところで、名前を叫んだけれど彼女は行ってしまう。
 それから、後で電話を掛けて謝ろうとしたジャッキーは、テレサに「あなたは私を必要としないようだし、私もあなたなんてもう要らない」と振られてしまう。

 こういうことって本当に嫌ですよね。

 このことを回想して、ジャッキーは「若かったし、ひどかった」というようなことを書いているのですが、僕にも似たような傾向が昔あったので、改めて身につまされる思いがしました。実にバカげてる。

ミューズの歌声を聞く為に、サンディは。

2006-03-24 08:02:32 | Weblog
 早起きをして、朝のニュースショーを点けると、村上春樹さんがノーベル賞に王手だと報道されていた。前にも書いたけれど、僕は彼はノーベル賞を取るだろうと思っているし、彼の作品を強く好きだと思う。ただ、僕には未だに彼の作品が持っている力を”理解”することができない。僕は単にそれを好む者であり、それが一体何なのかは分からない者なのだ。
 僕は村上春樹さんの文体が好きなのだと思っていました。実際、いつかの日記にはそういったことを書きました。でも、村上春樹の文学が持つ強烈な何かは、文体にそう強く依存するものではない。彼の作品は20カ国以上で翻訳されていて、その翻訳された作品達が海外で評価されているのです。

 かつて、川端康成がノーベル文学賞を受賞したとき、「私ではなく、翻訳者がこの賞を貰うべきだ」というようなことを彼は言ったけれど、それが卓見であったのかどうかは本当は疑わしい。小説というものは言葉でできている。だから言葉はとても大きな役割を担う。でも、明らかにそれは言葉の集合という域を越えている。「物語というのは、ある意味ではこの世のものではない」という村上春樹の意見を見たとき、僕は本当に鳥肌を立てて、書物や、自分が文章を綴るという行為に恐れを成しました。図書館や書店に並んだ膨大な数の物語、それらはすべてこの世のものではないわけです。川端康成は彼の生み出した新しい世界に対して賞を授与された。

 だから、小説を書くという行為は、それがどんなに稚拙なものであれ「一つのあの世界を生み出す」という意味合いにおいてとても責任の大きな行為なのだと僕は思う。たとえ、それが誰にも読まれない小説であっても、作者は自分の作る世界とその住民達に責任を持たなくてはならない。もちろん、そこで責任を持つということはとても難しい。なぜなら、そこでは過失を犯した後に「責任を持ってそれを償う」ということはできないからだ。全ての過失は未然に防がれなくてはならない。保険なんて存在できないのだ。但し、逆に言えば、その住民達は作者に向かって賠償を要求することはできない。だから、作者はその気になれば(つまり残酷になるか馬鹿になるかということですが)、どんなに無責任な物語だって書くことができる。
 僕が無責任な作者の描いた文章を読むことはない。その世界の住人達に同情しても同情しきれないからだ。フィクションは書かれた時点でノンフィクションになる。

 実は今、僕自身が書きかけの小説でとても悩んでいるところです。
 悲劇の含まれない物語というものを書くことはできない。

ルンバ。

2006-03-23 04:10:33 | Weblog
3月20日月曜日

 昼にAちゃんが、「ちょっと渡すものがあるんだけど」と言ってやって来て、何をくれるのかと思いきやそれは無印良品のゼリービーンズだった。「無印のゼリービーンズが一番おいしい」というのが以前からの彼女の主張で、「じゃあ、そのうち食べてみるよ」と言いながらも全くその気配を見せない僕にしびれを切らせて、遂にAちゃんはそのゼリービーンズを買って来てくれたのだった。

「これならポイフルの方がおいしいよ」

「でも、ポイフルってグミでしょ」

「えっ、あれゼリービーンズだよ」

「グミよ」

「っていうかゼリービーンズってグミじゃないの?」

「違う」

「違わない」

 僕は無印良品のゼリービーンズの袋を裏返す。すると原材料には「寒天」という文字があった。グミはゼラチンから作る。つまり、ゼリービーンズはグミではなく、従ってポイフルはグミであってゼリービーンズではない。
 僕は、「ゼリービーンズが好きだ」と、随分長い間主張して生きてきましたが、それは間違いでした。
 僕が好きなのはゼリービーンズではなくて、単にポイフルだったというわけです。
 自分がゼリービーンズ好きではなかったなんて、自分でも驚く他ない。知らないことだらけだ。

 そのあと、随分と長い間話をして、僕はノビノビと就職活動をしている彼女にいくらか影響を受けて、もしかすると1つくらい会社を受けるかもしれない、という状態になりました。


3月21日火曜日

 1時に京都タワー下のスターバックスで待ち合わせて、Oの通っている日本語教室の人達と10人くらいでハイキングに出掛けた。山科までJRで行って、それからハイキングコースを通って大文字山、銀閣寺へと抜ける。
 セルビア人(?)のSさんが、アメリカが地震製造装置を持っている云々という変な話をするので、僕ら日本人は「まさか」と言っていたのですが、アメリカ人のRとOはそのことを知っているようで、「そうそう」といとも当然かのように話を合わせている。そのあと、とても久し振りにニコラ・テスラの話をした。日本に入ってくる情報というのはかなり国際的なスタンダードから外れているような気がした。
 大文字山から京都市街を見渡し、西安が京都のモデルだよ、ということを中国人のRさんにいうと、全然似てない、とあっさり否定される。もちろん、僕たちは現在の町並みのことをいっているのではなくて、土地の使い方というか都市の配置自体、つまり風水のことを話していたのですが、Rさんによれば全然違うとのこと。

 銀閣寺で解散し、僕はRと松ヶ崎まで歩いて帰った。彼女は僕より1つ年上の画家で、この夏にはカリフォルニアだかどこだか、アメリカへ帰るということだけど、日本語がとてもうまい。それでも込み入った話はできないので、ときどき複雑な話になると僕たちは英語と日本語をまぜこぜにしてかなり回りくどい説明を繰り返した。でも、「人間の思考は五感によって限定されている」という基本的な問題意識を僕たちは共有していたので、思わぬところで時々は異常にうまくコミュニケーションがとれた。

 一度部屋へ戻って、10時頃から百万遍のリンゴで、Yちゃん、J、O、I君、Cちゃん、Nちゃんと軽くお酒を飲む。Jはイギリス人のプログラマーで、僕はこの日が初対面だった。彼は京都が好きで、そう思っているともともと勤めていた会社が倒産して、新しい仕事先が京都になったという、願いが叶うこともあるのだということをそのまま体現したような仕方で日本にやってきたとのこと。
 Yちゃんは3時から本格的に店の常連達と飲む、といっていたけれど、僕らは一足早く帰った。

 今日はたくさんの新しい人に会って、彼ら彼女らは研究者だったりデザイナーだったりカメラマンだったりシェフだったりアーティストだったりエンジニアだったり、子供の頃はそうではなかったけれど、大人になると新しく出会う人が大抵なんらかのことに関して深い造詣を持っていたり、面白い仕事をしていたりして、興味深いと思うと同時に、まだ何者でもない自分自身を恥かしいと思う。

ガーキンスのピクルス。

2006-03-19 04:41:55 | Weblog
 木曜日の夜、新幹線で東京から戻ってきたAちゃんを迎えに行き、そのまま御飯を食べる。新幹線のホーム近くには、旅行者や長距離を移動する人々が沢山いて、何度そこへ行っても僕はワクワクせざるを得ない。外は雨で、僕たちは京都タワーを眺めたり、駅でずっと時間を潰すことにした。レストランに入ると、雨に降り込められた人々が多少窮屈に座っていて、でも、そこは限りなく平和な世界だった。外は大雨で、レストランの中は清潔で乾いていて、話す声と食器の音がする。

 Aちゃんの見せてくれた表参道の古い写真に、僕はびっくりして涙が出そうになった。その白黒の記録写真は信じられない美しさで、表参道というのが本来どれだけの価値をこの国で有していたのかが如実に読み取れた。安藤忠雄さんのショッピングモールも何も本当は全然いらない。建築はあの場所に相応しくないと思う。


 金曜の夜はM君のお別れ会をした。
 花屋へ行って花束をお願いすると、たくさんの予約が入っていて2時間後以降でないと出来上がらない、と言われた。春のはじめというのはそういう季節なのだ。

 僕は口先ばかりで、「これをしよう」と言っても実際にそれをすることは少ない。もともとが怠惰な性格だし、飽きっぽくてエネルギーはすぐに尽きてしまうし、時間も限られている。10個の提言をして1つを実現すればいいところのものだ。町田康の「人間の屑」に、主人公が母親から「そういうところ本当にお父さんそっくり。口からでまかせばかりぺらぺらと」と怒られるシーンがあるけれど、僕もときどきそういって母親に叱られた。
 でも、言訳だけど、10個くらいのペラペラから1つでも実現できればそれはそれでいいのではないかとも思います。本当はもっともっとたくさんのペラペラを僕は抱えているのですが、ある程度セーブしないと50のペラペラから実現はたったの1つ、ということにもなりかねないので、これでも人に話すのは控えています。

 昔、すこし年上の友人が「結局、人間って一度したいと思ったことはやがてやるんだよ。いつか」と言っていて、それは大体の線において真実に近いと思う。僕のたくさんのペラペラも、いつかは現実になる。

 先日、漫画家志望のYさんと話をしていて、物語の作り方の話になった。

「プロットって書いてる?」

「書いてるも何も、漫画だと先にネーム作るから、自然とプロット書いてることにはなるんじゃない」

 そうか、と僕は思った。
 漫画は小説とは違う。
 鳥山明さんは「ドラゴンボール」を西遊記に準えたストーリーにしようとしていたけれど、途中から話が勝手に走り始めて、あの「ドラゴンボール」という大作ができあがった。そういう意味ではドラゴンボールというのはプロットの無い漫画だし、他にもそういった進展の仕方で描かれた漫画は沢山あるのだろう。だけど、それが週刊誌の連載だとすれば、1話毎にはネームを書いて、その後に絵を入れるという作業があるのだろうし、これは部分部分で「プロット→描写」という作業をしていることになっている。

 対して、プロットを書かないタイプの小説というものは、言い方は悪いけれど「だらだらと描写をしていたら小説が一本上がっていた」という方法で書かれる。
 そして僕はこの方法で物語りを書く人間です。最初の一行を書いた後は、物語が勝手に進行していくのを見ている。もちろん、途中で行き止まりになって没になることもあるし、何日も悩んで無理矢理壁に穴を空けたりもしますが、基本的には「その世界」に入っていって、彼ら彼女らがどう振る舞うのかを眺め、それをワードプロセッサーで描写する。
 その世界に出入りするには大きな集中力が必要で、僕はあまり簡単にそこへ出入りすることはできない。入るのは比較的容易でも、出てくることは難しい。村上春樹が言ったように「物語というのは、ある意味ではこの世のものではない」。だから、僕はまとまった時間が無いと小説は書けない、と言訳をしていました。もしも、一月まとまった時間があれば、僕は一度そこへ入って行って丸一日を過ごし、出て来て眠り、次の日にスーパーマーケットに買い物に行きのんびり休み、次の日はまたその世界へ行ってくる。という仕方で長い話を書くことができますが、一日に1時間しか小説を書く時間がないとすれば、僕は毎日毎日その世界へ出たり入ったりして、しかも出て来てすぐに研究室へ行ったりアルバイトに行ったりするわけです。これは随分と強い体力の消耗を強いるものです。

 なんていいながら、もう長く長く、小説を書かないでいたので、いい加減に書くことにしました。ときどき、こまめに向こうの世界へ行ってこようと思う。

ニューヨークシティ。

2006-03-15 20:08:21 | Weblog
 夜中に長い電話をする。

「私、落ちぶれたよ。今あったら、変わった、って言うと思うよ」

「そんなことないさ。華やかな世界にいるじゃん」

「華やかなのは環境だけで、私自身はぜんぜん華やかじゃないもの」

「それなら問題ない。華やかになら1秒でなれる。今から華やかだと思えばそれでいいんだよ。とても簡単なことさ。華やかな環境に身を置く方が難しいことで、君はもうそれを達成しているんだし、どこにも問題なんてない。今この瞬間に全ては解決した」

 春の静かな真夜中に、京都と東京の間を電気が行ったり来たりして、僕はもう夏の雨の日以来会っていないAの声を聞き、自分の声を発した。
 グレープフルーツジュースを一口飲み込んでから僕は言う。

「来週、東京へ行くよ」

 窓を開けると、冬を思い出すために降ったような季節外れの雪が、白熱電灯の明かりに照らされて緩やかに落下していて、その一片はベランダに置いた洗濯機の上に溶けた。はやく五月の晴れた日がやってきて、間の抜けた鳥達が飛ぶのを眺めながら洗濯ができるといいと僕は思う。

メアリー、カレーならばお手の物。

2006-03-15 04:21:56 | Weblog
2006年3月12日(日)

 1時半からアルバイト先の生徒のお別れ会。
 僕たちは簡単にバンドで演奏をする予定だったので、朝10時に行って、簡単な飾り付けと練習をする。普段はギターしか触らないのに、ギターは既に二人もいたので僕は音源作りにしか使っていないシンセサイザーを担当してとてもへんてこになった。朝から雨が降っていて、シンセサイザー、ジャンベ、DJソフトを載せたラップトップ、スピーカーなど、荷物が多いのに雨というのは酷だな、と思っていると、部屋を出る少し前に雨が上がった。

 お別れ会の後、一度部屋へ戻り、そのあとメトロの「わがままシャルル」へ行く。
 神戸に帰らなくてはならないKちゃんを駅まで送って、戻るとDJが野本かりあに代わっていた。歌手やモデルで人気が出たので、なんとなくDJもしてみる、といった感じだろうと思っていたら、そうではなくてすごくいいDJで驚く。「東京は夜の7時」のカーリーミックスを野本かりあ自身が歌い、僕はそれを見て90年の初頭に戻ったような気分になった。
 CちゃんとかりあさんのDJで軽く踊っていると、I君とHちゃんもやってきて、もちろん彼らはノリノリだった。


2006年3月13日(月)

 昼間にI君と鞍馬の山まで彫刻に使う為の木を探しに行く。
 夜はバイト。その後、裁縫をしていると朝の5時になっていた。


2006年3月14日(火)

 10時半に出町柳に集合して、Cちゃん、i君、M君、Sちゃんと天王寺の軍艦アパートへ向かう。
 1時半頃、軍艦アパートにてI君とHちゃんと合流。ただし、I君はアルバイトがあるので間もなく帰らねばならず、短い時間で彼らとは別れる。
 その後、僕ら5人は一心寺と天王寺動物園、通天閣を見てから御飯を食べて帰る。

ポイント。

2006-03-09 17:57:38 | Weblog
2006年3月8日(やけに天気のいい春めいた水曜日)

 朝にようやくHの部屋のネットを開通させる。
 夜はI君とHちゃんの家でご飯を食べる。チーズフォンデュとサラダとパスタとワインとお茶を出してもらったのにも関わらず、僕ときたら手ぶらで行って世話になりっぱなしだった。
 I君が昔の写真を見せてくれて、なかなか良い写真だったので少し感服した。Hちゃんときちんと話をしたのは初めてだったのですが、聡明な女の子で話すのはとても楽しかった。彼らの家には恐竜もいてバレーボールが転がっていて、とても音の良いギターがあって、壁には巨大なポスターがあり、照明はきちんとしていて、つまりそこはすこぶる良く構成された空間で、僕達は随分と長いあいだ話をしていた。だいたい、ご飯がとてもおいしかったのだ。

 夜中にアパートに戻って、僕が駐輪場に自転車を停めていると、向かいの部屋のKさんが同じタイミングでバイクを停めて、僕達はそんなにお互いを知っているという訳でもなかったのですが、少しだけ話をした。そうすると彼女と僕に共通する意外な事実が判明して、立ち話もなんだから、と部屋に上がって話をし、気が付くと4時になっていた。


2006年3月9日(木);夜は残念な雨。

 I君が、先日のYちゃん亭ご飯の折り話題に上った台湾料理の「老安記」へ行ってみようというので、何人かに声をかけて9人で店に行ったのですが、それは思っていたよりも小さなお店で僕達が大きなテーブルを二つ占領してしまうと、あとはカウンターと小さなテーブルがいくつか残るだけだった。

 中国人のIがしきりに、「お店の人が中国人かどうか聞いてくれ」と言い、「自分で聞けば」といっても恥ずかしがって聞こうとしないので、仕方なく僕が聞くと彼女はやっぱり中国人だった。僕がそれを教えるまでもなく、隣でそれを聞いていたIは、中国人と分かるやいなや彼女に中国語でなにやら嬉しそうに話し始めた。

 Iは店のメニューを見るなり、「これ中国語で書いてある。何故?」と驚いていて、それにはこっちがビックリした。だってここは中国料理のお店だから当たり前だよ。

 もともとは軽くご飯を食べるだけのつもりが、「老安記」のあとに「ぐるぐるカフェ」でチャイでも飲もうということになり、用のあるT君以外の人間でぐるぐるカフェへ行くと、ここも狭いお店なので僕達だけでお店はいっぱいになった。

 お店の人がOがトルコ人だと知ってケバブを一つプレゼントしてくれた。それからM君がお店に置いてあった雑誌の「トルコ特集号」のようなものをみつけて、それをOに見せるとOは大喜びしていた。
 特に考えたわけではないけれど、中国、中東とI、Oが喜んでくれるお店の選択になっていて良かったと思う。


 久しぶりにメトロに行こうかと思います。
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 3/12(日) clubMETRO 19:00open/ 2,500(w/ 1drink)
「わがままシャルル」
DJ & LIVE:野本かりあ
DJ:常盤響/ グルーヴあんちゃん (歌&DJ)
LIVE:マキ凛花/ MOVIN' ON THE GROOVE/ マンボ
ショー:CHARLES
DJ &パフォーマンス:イエイエ
京都clubMETRO
電話番号: 075-752-4765

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 何がしたいのかとてもよく分かるブッキングです。60年代とかフレンチとか、そこから抽出したガーリィーとか、もう長い間見ていないので、久しぶりに見ておこうと思う。たぶん野本かりあさんは「東京は夜の7時」のカアリイミックスをかけてくれるんじゃないかと思う。小西康晴に「僕もリミックスを入れる予定だったけれど、カアリイのがとてもよかったのでやめた」と言わしめたリミックス。
 この日は昼間にバイト先のお別れ会があって、僕はスピーカーとシンセとラップトップとジャンベとその他細々したものを持って電車に乗らなくてはならないので、スケジュールがとてもタイトなものになりそうです。


ベットに入ってジェシーはカフカを、マリーはボーグを。

2006-03-07 16:59:04 | Weblog
2006年3月7日(火)

 Aちゃんと昼ごはん。最初はスーパーマーケットに行って材料を買い、そして家でホットサンドを作ろう、と言っていたのですが、予定が遅れて時間がなくなり、カナートに行く途中で進路を変更してエアーでランチを食べた。
 風だけはまだ微かに冷たいけれど、暖かな日差しに浮き上がった高野川はもうすっかりと春の色合いで、人々は散歩し、僕らはそれを眺めながらパスタやカレーやケーキを食べる。

 Aちゃんが目薬を買うというので、大学に戻る前にドラッグストアに寄ると、近くのバス停のゴミ箱からモクモクと煙が立ち昇っていて、誰も消そうとしないのでAちゃんがドラッグストアの店員に言って消してもらった。どうしてゴミ箱からモクモクと煙が立ち昇っているのに、平気な顔をしてバスを待っていることができるのか僕には理解できない。

 大学に戻って図書館に寄り、その後、教務で成績をもらう。それから研究室。

 夜はHと待ち合わせていたので西院へ行き、ツタヤでCDを試聴しようとしたけれど、僕の選んだCDは試聴機にバーコードを読ませても、悉く「このCDは試聴できません」とのアナウンスが流れるだけなので、いい加減にうんざりとしてスターバックスへ入って少しだけ論文を読む。

 最近、したいこととしなくてはならないことが山積していて、僕はプログラムが貧弱なロボットのように右往左往して、まるで前へ進めない、という状態にあるのですが、茂木健一郎さんが、これから書く予定の本に関して「毎日すこしづつでも書いていこう」というようなことをブログで書いていらっしゃるのを読んでなんとなく霧が晴れた。

 毎日少しづつ、というのは当たり前のことだけど、僕にはなかなか難しくて、誰かにそんなことを言われても全くその気にはなれない。それでも、茂木さんのような人が「毎日すこしづつ」とおっしゃると、影響を強く受ける。
 僕はもう10年近く前に読んだ彼の「脳とクオリア」という本でずいぶんと大きく物事の考え方が変わったので、以降、彼の言動には影響を受けないということはない。

 言葉というのは、「何を言うか」ということの他に「誰が言うのか」ということがとても大きなファクターになっている。ときもあるんだな、と思いました。