伊吹山という山が、滋賀県と岐阜県の県境にあって、昨日僕たちはそこまでドライブに出掛けた。ちょうど去年の初夏にも、僕たちは岐阜県の養老(主に養老天命反転地)までドライブに出掛けていて、だいたい同じルートを通って岐阜県を目指した。立ち寄ったセブンイレブンまで同じところだった。ただ一年が経過し、メンバーが少し変わって、車も違う車になっていた。時間というのは本当に流れている。
車中で僕はKさんからミスタードーナツのポンデライオン水鉄砲を貰った。それはいつだか僕がこのブログに「ポンデライオン達の書かれた箱を手に入れる為にドーナツを買ったのに違う箱だった」という話を書いたからで、Kさんはそれを覚えていてくれて水鉄砲までくれたわけです(どうもありがとう)。
早速、I君がT君のエビアンを水鉄砲に補給して、車窓から外に水を放出しているのを見て、僕はなんとなく子供の頃自転車に水鉄砲を装着していたことを思い出した。やっぱり時間と言うのは本当に流れている。
それにしても、わざわざ買いに行った箱が手に入らなくて、それまで存在すら知らなかった関連のキーホルダーを拾い、水鉄砲を貰えたというのはとても奇妙な気分がするし、単にKさんに対してだけではなく、よく分からない何かにも感謝をする。
伊吹という土地は蕎麦の発祥地だということで蕎麦屋に入ったけれど(20分くらい並んで入った)、そこはいかにも観光用の蕎麦屋で、どちらかというと観光化というのは悲しいものだなと思い知る感じだった。観光化が進むと品質が下がり値段が上がるという異常なことが平気で起こる。
そのあと、関ヶ原鍾乳洞に行った。
僕は洞窟に入ることがとても好きなので、それはそれでとても楽しかったけれど、鍾乳洞と言うよりも只の防空壕に近かった。長い防空壕の途中にところどころ鍾乳石があるといったところ。
後半は洞窟内を流れる小さな川に鱒が飼われていて、もはやなんの施設なのかよく分からなかった。
駐車場に戻ると、近所にある鱒の養殖場の看板が立っていた。そういうことなのだ。
鍾乳洞の近くにはメナードなんとかという廃墟と化した小さな遊園地とスケート場があって、その中が随分と気になったけれど、大人なのでスルー。
洞窟は結構みんなはしゃいでいたし、探検隊を結成しても楽しいんじゃないかと思った。そういえば小さいときは探検ばかりしていた(探偵団だったのだけど)。
ドライブウェイを通って伊吹山の山頂に着くと、そこは本当に高山といった趣の場所だった。
風も冷たく、とても高くて、とても遠くを見ることができた。
こういうところに来るのは生まれて初めてだった。僕はそこが単に切り立った斜面の上に存在しているからではなく、全く別の要因から死というものを強く意識した。そういう場所だった。寂しいとか悲しいとか、そういうのことではなくて、遥か下界に見える町と田園と、それから自分たちの周囲に生える低くてやわらかい植物が死を意識させるのだと思う。
山頂の散策を終えて(意外に広い)、車に戻るとKさんがラムネをみんなにくれた。
それもゲームセンターでとるような本物のラムネだった。とても久しぶりにラムネを食べると、とても懐かしい何かを思い出した気分になったけれど、でも実際は何も思い出してはいなかった。
車中、後半はずっとBさんの持ってきたCDがかかっていた。かなりの確率で知らないけれどかっこいい曲がかかり、気になったけれど悔しいので誰が歌っているのか聞かなかった(このあいだもCD貰ったし)。それからこの日は朝思ったよりもばたばたとして、僕が持っていったCDはかなり適当だったので、もっときちんと選曲すれば良かったなと思った。
帰りはハイウェイに乗った。
T君は車にETCを付けていて、料金所はもちろんETC用を通るのだけど、ゲートにものすごいスピードで突っ込んでいくのでひやっとした。
夜の高速道路は未来的だ、と僕が言うと、Bさんが、高速道路はユーミンっぽいと言った。僕はユーミンの曲をほとんど知らないのでなんのことなのか全然分からなかったけれど、夜の高速道路に似ている音楽ならば聴いてみてもいいなと思った。
サービスエリアでお菓子を仕入れて、京都に戻り、お別れパーティーに行くBさんを三条で降ろして、プリンツによって帰りました。
なんだかとても簡素な日記になった。
まるでとても下手な人の翻訳したカミュの異邦人みたいだ。
たぶん、本当にこの日思ったことは、また個別にどこかに書くと思う。
T君一日中運転ご苦労様でした。
車中で僕はKさんからミスタードーナツのポンデライオン水鉄砲を貰った。それはいつだか僕がこのブログに「ポンデライオン達の書かれた箱を手に入れる為にドーナツを買ったのに違う箱だった」という話を書いたからで、Kさんはそれを覚えていてくれて水鉄砲までくれたわけです(どうもありがとう)。
早速、I君がT君のエビアンを水鉄砲に補給して、車窓から外に水を放出しているのを見て、僕はなんとなく子供の頃自転車に水鉄砲を装着していたことを思い出した。やっぱり時間と言うのは本当に流れている。
それにしても、わざわざ買いに行った箱が手に入らなくて、それまで存在すら知らなかった関連のキーホルダーを拾い、水鉄砲を貰えたというのはとても奇妙な気分がするし、単にKさんに対してだけではなく、よく分からない何かにも感謝をする。
伊吹という土地は蕎麦の発祥地だということで蕎麦屋に入ったけれど(20分くらい並んで入った)、そこはいかにも観光用の蕎麦屋で、どちらかというと観光化というのは悲しいものだなと思い知る感じだった。観光化が進むと品質が下がり値段が上がるという異常なことが平気で起こる。
そのあと、関ヶ原鍾乳洞に行った。
僕は洞窟に入ることがとても好きなので、それはそれでとても楽しかったけれど、鍾乳洞と言うよりも只の防空壕に近かった。長い防空壕の途中にところどころ鍾乳石があるといったところ。
後半は洞窟内を流れる小さな川に鱒が飼われていて、もはやなんの施設なのかよく分からなかった。
駐車場に戻ると、近所にある鱒の養殖場の看板が立っていた。そういうことなのだ。
鍾乳洞の近くにはメナードなんとかという廃墟と化した小さな遊園地とスケート場があって、その中が随分と気になったけれど、大人なのでスルー。
洞窟は結構みんなはしゃいでいたし、探検隊を結成しても楽しいんじゃないかと思った。そういえば小さいときは探検ばかりしていた(探偵団だったのだけど)。
ドライブウェイを通って伊吹山の山頂に着くと、そこは本当に高山といった趣の場所だった。
風も冷たく、とても高くて、とても遠くを見ることができた。
こういうところに来るのは生まれて初めてだった。僕はそこが単に切り立った斜面の上に存在しているからではなく、全く別の要因から死というものを強く意識した。そういう場所だった。寂しいとか悲しいとか、そういうのことではなくて、遥か下界に見える町と田園と、それから自分たちの周囲に生える低くてやわらかい植物が死を意識させるのだと思う。
山頂の散策を終えて(意外に広い)、車に戻るとKさんがラムネをみんなにくれた。
それもゲームセンターでとるような本物のラムネだった。とても久しぶりにラムネを食べると、とても懐かしい何かを思い出した気分になったけれど、でも実際は何も思い出してはいなかった。
車中、後半はずっとBさんの持ってきたCDがかかっていた。かなりの確率で知らないけれどかっこいい曲がかかり、気になったけれど悔しいので誰が歌っているのか聞かなかった(このあいだもCD貰ったし)。それからこの日は朝思ったよりもばたばたとして、僕が持っていったCDはかなり適当だったので、もっときちんと選曲すれば良かったなと思った。
帰りはハイウェイに乗った。
T君は車にETCを付けていて、料金所はもちろんETC用を通るのだけど、ゲートにものすごいスピードで突っ込んでいくのでひやっとした。
夜の高速道路は未来的だ、と僕が言うと、Bさんが、高速道路はユーミンっぽいと言った。僕はユーミンの曲をほとんど知らないのでなんのことなのか全然分からなかったけれど、夜の高速道路に似ている音楽ならば聴いてみてもいいなと思った。
サービスエリアでお菓子を仕入れて、京都に戻り、お別れパーティーに行くBさんを三条で降ろして、プリンツによって帰りました。
なんだかとても簡素な日記になった。
まるでとても下手な人の翻訳したカミュの異邦人みたいだ。
たぶん、本当にこの日思ったことは、また個別にどこかに書くと思う。
T君一日中運転ご苦労様でした。