The Story of Kibune ; part2.

2009-05-29 13:48:48 | 翻訳
Sadahira himself knows that only suffering sadness everyday never help him. At last he decided to ask the painter where have he met her. Sadahira sent a messenger to the uncle Ohidono. Ohidono came over to Sadahira immediately and was very shocked by his emaciated nephew.

" Are you OK, really? "

" I'm ashamed to say I got such a heavy love-sickness by seeing the fan you gave me. But actually I'm in the situation of the love with her in the painting. Without seeing her, my life will get the end in the not far future. Do you know something about her? Didn't the painter tell you how did he make the painting? I want to see her. I need information about her, please. "

" Well well, you know it totally doesn't make sense. Falling love with a woman really living in the world, I understand your getting such a heavy love-sickness. But this woman, you know she is not in the real world. She is just something from the painters imagination. Not real. "

" Yes I know it, but still I can not stop myself keeping this love, I can't forget her. So please just tell me everything you know. At least it can make me feel better. Please. "

Ohidono saw Sadahira's ardor and accept his order.

" OK, then I tell you. On the north from here, there is a temple named Kurama-dera in a mountain. From the temple one narrow pass is going to a place named Soujougadani. After Soujougadani in deep mountains you can see a huge cave and in the cave there is a country. A country of devils. The king of devil has two daughters. the elder one Jurougozen is 16 years old and the younger one Kotujonomiya is 13 years old, both of them are very beautiful in rumours. More beautiful than angels. But still, you know they are in the devil's world not in our world. "

" Really, thank god! If she doesn't exist, I might give up her. But she is! I never care what she is. Even if she is a daughter of the devil I love her. "

Then Sadahira fell asleep to see a dream about her at least. But no dream. Next he went to Kasugadaimyoujin's shrine to pray. He's kept praying for 17 days. Then went to Hasa-Kannon and got 17days pray again. The 17th night, Kannon appeared in Sadahira's dream.

" Go to Kurama-dera. Ask Bisyamon"


『間』;展覧会のお知らせ。

2009-05-28 17:25:15 | Weblog
 友達が寺町のギャラリーテラで和紙のインスタレーションをしているのでよろしければどうぞ。画像をクリックすると大きくなります。とはいえ詳細は見えないですね。場所は寺町御池を上がって少し行った東側です。一階が竹細工のお店になっている建物の二階です。

Story of Kibune ; part1.

2009-05-28 16:18:40 | 翻訳
Long ago, in the mid-age, there was a emperor named Hirohira. One of his minister had a son. The son's name is Sadahira and Hirohira made a favorite of him. Sadahira was a single at that time, then Hirohira told him,

"You know what's the happiness of man's life. It's having a beautiful wife. You should have one as early as possible. Look for somebody nice in Kyoto city."

Sadahira didn't want to marry still. But it's the word from the emperor he couldn't say no. Reluctantly he had some marriage meetings. No body was not good for him. He's just kept refusing and refusing.

One day they had a bloom gazing party in the emperor's garden. It's time to a nice fan competition. Sadahira's uncle, Ohidono, he ordered one of the most famous painter "I 'll pay as you like, paint something very beautiful on this fan". The painter accepted this order and want to Kurama-temple, because he thought his own talent was not enough to make up nice painting on this fan. He needed some help from a god in Kurama. He's stayed at Kurama for 7 days.
The 7th day, one god Bishamon appeared in his dream. Maybe it's a dream, but actually he couldn't distinguish "dream" or "real". Bishamon told him "Open this door". The painter opened it, and there was a so beautiful girl. He made a painting of her. Then handed it to Ohidono. Ohidono was really surprised by the beauty of this painting. He showed it to Hirohira. Yes Hirohira liked it very much. And one day He gave it to Sadahira.

"God what a beautiful woman she is!"

As open the fan and have a look, Sadahira was shocked. He fell in love with the woman in the painting at the first look. Can such a beautiful woman be? Yes of course the painter must make it with watching her. I wanna see her if I can, at least just one night.
He literally fell in the deep love. He didn't talk with any body, just thought of her. Day by day his love-sickness was getting bigger and at last he stopped to go to his job. Just stay in his bed. Hisohisa heard about this. He called many monks and priests from temples, though their prays and magics didn't work. They said "I'm very sorry. Sadahira is dying"


 2009年5月26日水曜日
 昼間まったくひょんなことから大徳寺へ行くことになる。夜久々にOさんとラティーノへ行く。やっぱりいいお店。

 2009年5月27日木曜日
 左右対称にしたポテンシャルでの波動関数が左右非対称になるという間の抜けたプログラムのバグが見つけられず、もしかしたら根本的にどこかが間違っているのかと思って変数の設定も変えたりして丁寧に新しくプログラムを作り直してみると、新しいのが出来上がる寸前に古いプログラムの間違いを見つける。簡単すぎて気が付かないという類の間違い。間抜けな1日。
 最近整理の重要さが身に染みて整理にもコストを掛けるようにしている。プログラムやデータの整理の他に、自分が今していることで行き詰ったときtexに書き起こすと問題が解決したりすることもあって有効。hot fuzz を見る。

cranial nerve.

2009-05-24 14:14:14 | Weblog
 前回の日記に

『僕は未来のことを予言することはできない。でも、ときどき本当は何もかも知っているような気分になることがある。自分の人生をもう終わりまで生きて、全てを達観したところにいる自分がどこかにいて、その自分の視点がときおり軽やかに入り込むような。』

 と書いたのですが、こういうことを言うと必然的にデジャヴュという言葉が浮かびます。それって単なる既視感のことじゃないの? 脳の錯覚でしょ? というわけです。それはそうかもしれないなと僕も思う。でも、だからなんだとも同時に思う。

 これはいつも感じる違和感だ。
 たとえばオバケの話をしているときに、「それは半分夢で、ただの脳の錯覚だよ」というようなことでケリをつける人は結構多いし、実際に僕も昔は堂々とそんなことを言っていた。
 だけど、良く考えてみると脳が作り出した幻影だから、というのは全く何の説明にもなっていない。確かに「オバケを見る」という現象のワンステップ手前のことは説明しているかもしれないけれど、それ以上のものではない。脳の幻覚だかバグだかニューロンの興奮しすぎだかで以下両方の言説が可能だろう。

「オッケー、昨日あなたが見たというオバケはあなたの脳が生み出した幻覚でしかなくて、本当にそこにオバケがいたのでも誰かの怨念が篭っていたわけでもない」

という説明と、

「なるほど、昨日あなたが見たというオバケはあなたの脳が生み出した幻覚ですが、その脳の幻覚作用ははオバケか誰かの怨念によって引き起こされました。だからそこにはオバケがいました」

という説明の二つです。
 つまり、視覚に現れた「オバケ」は確かに脳の働きで生み出されたのかもしれないけれど、だからといってそれが「オバケ」の存在に関してその有無を断定するものにはなれない。基本的に五感で感じているこの世界は僕達の”存在”(”脳”と言い切るのは考えが短絡にすぎる。ここでは僕達の”存在”という表現を使わざるを得ない)が作り出している幻想でしかない。だから夢も現実も幻覚も全部同列に扱われるべきだ、とは思わない。この世界には得体がしれないものの”現実”というものがきっとあるのではないかと思う。それが僕達の「現実」という感覚からかけ離れた物であるにしても。それは「五感からの入力より発生した何か」は現実であり、「五感からではない入力により発生した何か」は現実でないという程単純なものではないと思う。

 あまり上手に説明できていませんが、脳という言葉に様々なことを還元してそれで満足するのは全くの見当外れにしか見えません。「脳がこう働いたから」というのは「神様がこうしたから」という言葉で思考を停止させるのにとても似ていると思います。


 2009年5月23日土曜日
 研究休み。
 昼下がりに遅めの昼食をつばめで取り、そのままYと近美でラグジュアリー展を見る。イッセイミヤケが飛び抜けてすごくて驚愕する。天才。そのあと服屋や電子部品屋、スポーツ店などに立ち寄る。

futuer's normal.

2009-05-22 22:23:07 | Weblog
 近美が開いているかどうか調べるためにネットを開くと、インフルエンザによる影響はどこにも見られず、次回の企画展は「前衛都市・モダニズムの京都」だと出ていた。その企画展についての文章を斜め読みすると、

 (以下引用)_________________________

IV.前衛都市・モダニズムの京都
電力事業による新たなメディアとして登場した映画。「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三は、1919(大正8)年にミカド商会を設立、その後マキノ映画に発展し、まさにモダニズム文化の一翼を担う。また建築家・上野伊三郎も、島津製作所社長・二代目島津源蔵の私邸(現日本バプテスト病院)を設計。島津源蔵はここから電気自動車・デトロイト号で通勤した。進取の気風に満ちた「前衛都市・モダニズムの京都」の光景を再現。

   __________________(引用終わり)

 と書かれていて、僕は一瞬目を疑った。
 『電気自動車・デトロイト号で通勤した』
 100年近く前の、京都の話だ。

 調べてみると島津氏は1917年にアメリカから電気自動車を輸入してそれに乗っていたらしい。最近GSユアサコーポレーションがこのデトロイト号をレストアしたという記事に詳しいことが書かれていた。90年前に電気自動車に乗っていたなんてどんな気分だったんだろう。こういう未来を先取りした人をとてもスーパーだと思う。もっとも実際に電気自動車を製造販売していたアメリカの会社がすごいわけで、さらに種明かしをすると電気自動車は普通のガソリン自動車よりも前に発明されている。バッテリーの進化よりもエンジンの進化の方が早かったので淘汰されてガソリンエンジンが長い間幅を利かせて来ただけで、概念としては電気自動車の方が古い。だから90年前の電気自動車というのは本当はそんなに驚くことじゃない。モーターも電池もあったし、それで乗り物を作ろうと思うのはとても自然なことだ。

 とは言っても、電気自動車の時代に突入しようとしている21世紀の初頭に20世紀初頭の電気自動車を眺めるのは奇妙なものだ。

 過去と未来。
 先日、デザイナー吉岡徳仁さんのことが話題に上って、そのあとyoutubeで偶然、吉岡さんの回の情熱大陸を見つけた。彼は「特別な物を作るのではなく、未来の普通を作りたい」というようなことを言っていた。それから、これはテレビで言っていたのではなく、本人が言っていたことの又聞きだけど、吉岡さんは「過去から未来へと続く流れがあって、自分が今たまたまこの位置にいてできることをしているだけだ」というようなことも言っていたらしく、それらの発言からはどうしてもニュートンの「私が遠くを見ることができたとしたら、それは巨人の肩に乗っていたからだ」という言葉を思い出さずにいられない。ニュートンは今からざっと350年も昔に生きていた人だから、それまでの物理学の蓄積なんて僕には意識することが難しい。だけど、当然彼の時代には彼の時代の古典があり、彼の時代の今があった。ニュートンにとって350年前は今だった。そして僕達の今はニュートンの未来であり、僕が思うに彼はきっと350年後の今のことを意識していたと思う。

 吉岡さんの「過去から未来のここにいる」という視点はとてもしっくり来る物だ。
 僕は未来のことを予言することはできない。でも、ときどき本当は何もかも知っているような気分になることがある。自分の人生をもう終わりまで生きて、全てを達観したところにいる自分がどこかにいて、その自分の視点がときおり軽やかに入り込むような。次の瞬間が全て未知で驚きと新鮮さに溢れていると同時に、全てが既知でありとても懐かしいような。そしてその延長上に存在する遠い過去の人々や未来の人々のことを想う。
 たとえば物理学で言えば、僕も過去から未来へと流れる研究活動に身を委ねて、バトンを受け取りバトンを渡したいなと思う。この間から自分で理解できないくらい勉強を始めたのは、きっとバトンが回ってきたことに気が付いたからではないかと思う。
  

 2009年5月18日月曜日
 研究。conduction band の計算終了。

 2009年5月19日火曜日
 研究。
 インスタレーション,"IrLed"始動。

 2009年5月20日水曜日
 研究室。夕方に少し出たくなったので、Yを誘って宝ヶ池とワイルドワンなどへうろうろしに行き、ノイナーでご飯を食べ過ぎる。

 2009年5月21日木曜日
 研究室。夕飯をPとのはらで食べる。明日Pの両親がフィンランドから来るとのこと。飛び交う電磁波を捕まえてLEDを点灯させるのはさっとできるかと思ったけれど、実験してみるときちんとしたアンテナ、回路の設計が必要みたいだ。調べてみると簡単なものを作っている人がいるけれど、アンテナをFM用に設計していて発信機から5メートルでしか点灯できない。

 2009年5月22日金曜日
 朝Kから電話があって「うちの大学が閉まってて、ネットとプリンタが使えないので困る」とのこと。へーっと思っていると再び連絡が来て僕の大学も休講らしい。どのみちOしかいないので研究室には普通に出る。JとLが来室。LとOはトルコ人なので僕が会話に入っていないときはトルコ語で話す。もうOとは長いので滅多にトルコの話をしないけれど、Lが来たことでトルコの話題も自然と出て、二段重ねのヤカン「チャイダンルック」など新しく色々なことを知る。その後久々にI君来室。夜はKと珍しくラーメンを食べに行く。

20090513;0517.

2009-05-18 19:42:51 | Weblog
 2009年5月13日水曜日
 ポテンシャルを左右非対称にして定式化を書き換える。

 2009年5月14日木曜日
 計算におかしなところはないと思っていたのに数値計算の結果が納得行かない。単位系が変だったのかと訝しんだけれどそうでもない様子。12時頃まで見直してみたけれど寝不足だったので結局きちんと見直せたのか自信がいまいちない。先生に別の方法を示唆して頂いたけれど、式自体は僕のものでもおかしくないはず。数値計算のときに単位で時々混乱するのは物理が分かってない証拠だ。

 2009年5月15日金曜日
 朝方恐ろしい夢を見て声を上げて飛び起きる。ものすごい恐怖を感じて起きたけれど、すぐに我に返れば夢のことをほとんど覚えていない。微かに思い出せるのはQとかφとかで構成された何かの分数で、分子が誰かの首に相当していたけれど誰の首でもないというような、そういう漠然としたもの。間違いなくQはq数、φは波動関数から来ているに違いない。変な夢だったなと思っていると、これは朝永振一郎の「光子の裁判」をこの間読み返したせいではないかと思い当たる。とても有名な量子力学の二重スリットの実験を光子(粒子性と波動性を示すために波野光子さんという名前になっていて、光子は同種粒子で区別できないので顔がはっきり思い出せないという記述になっている)を被告人にした裁判で説明した小話。弁護人はディラックで、気が付くとディラックの量子力学の教科書に顔を伏せて寝ていたという夢オチ。
 夜中までかかって数値計算の見通しが立つ。

 2009年5月16日土曜日
 昼頃に数値計算の結果がでたもの先生に変だと指摘される。たしかにどう考えても規格化ができていないので規格化積分をやり直してプログラムを変える。結果が少し引っ掛かるので保留。

 2009年5月17日日曜日
 新型インフルエンザの患者が増え始めているのを夕飯の後に知る。こんなときに回転寿司なんて食べに行ったことを少し悔やむ。昔はあんなところ人がご飯を食べる場所ではないと思っていたけれど最近は妙に回転寿司が好き。
 今日は1日約束があったので研究は休み。しかし計算結果が気になる。つい数日前から人が変わったように勉強していて、自分でも理由は分からない。こんな自分は初めて体験する。いくつか見聞きしたものがポンポンと上手い具合に嵌ったという後付の理由なら思いつく。でも本当のところは単に急に意識が変わっただけだろう。

20090509;0512.

2009-05-13 14:03:59 | Weblog
 2009年5月9日土曜日
 昨日1時間くらい話をしたけれど、どうにもならなかったからごめんなさいお願い。というので朝からSが携帯を買いに行くのに着いて行く。昨日Sは幾分腹を立ててたみたいだけれど、でもここは日本だし携帯ショップの人も随分力を尽くしてくれたわけだし、どちらかというと困ったのは向こうの方なのだろうなと気持ちの良い対応を見ていて思う。そのまま研究室へ行き、しておきたいことがあったのでもう随分以前に約束していたバーベキューに3時間遅れで行く。なんとなく最近僕は人に対する配慮が全くないなと反省する。

 2009年5月10日日曜日
 12:30にロビーに集合して京阪で大阪まで。Kと同じ研究室の友達が御堂筋アートグランプリに出店しているので、それを訪ねるとのこと。実際にはその出店だけではなく、彼女は船場と堀江にお店も事務所も持っていてそこへもお邪魔する。お店は海外で仕入れたものと、所謂作家の作品を置いたすこぶるかわいい空間。昨今ハンドメイドで一点ものということだけを売りにしてクオリティの伴わないものを売る人もいるけれど、ここでは一定以上のきちんとした物が売られていて次回は買い物に来ようと思う。事務所は流石インテリアデザインの事務所で面白いものがたくさん置かれている。この日半日大阪をウロウロとして、結局のところみんなが一番喜んだのはこの事務所だった。パスタとお酒、お菓子などを至れり尽くせりで頂き日が変わる頃京都に戻る。

 2009年5月11日月曜日
 あまり確信を持てないまま出した式を使っていたけれど、やはりどうにもおかしい。無次元化はそんなに難しいことではないのに次元がなんだかごちゃごちゃしてくる。さらに元の式で出した数値計算の結果もパラメーターをいじると有り得ない解が出る。前回のそれらしい解は偶然の産物。
 食堂で食べ損ねたので部屋へ戻ってから野菜をタジン鍋に入れて蒸し焼きにして食べる。タジンというのはモロッコの鍋らしいのだけど、蓋が尖っており水蒸気を集めて水に戻すため、水なしで野菜の調理ができる。父親がくれて意外に重宝している。

 2009年5月12日火曜日
 昨日の間違いが愈々混乱してきたので仕方なしに先生に助けを求めるメールを送っておく。先にエルミート多項式の方を考えておこうかと思ったりしながら、気分転換に図書館へ行き、戻ってからやっぱりもう少し考え直そうと元の式を見ると今度はあっさり変形できる。不思議。考えた後に一度そのことを忘れてやり直すと今度は解決する、という話は良く聞くけれど本当だと思う。

reading.

2009-05-09 12:47:00 | Weblog
 ニュースから以下の文章を引っ張ってきました。
 もう読まれた方も多いと思います。
____________________________
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn t mttaer
in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is
taht the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be
a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is
bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the
wrod as a wlohe.
_______________________

 確かにすらすら読めます。
 ただ、英語の方は例えば "mess","letter"みたいに二つ同じアルファベットがあったのにそれが崩れている場合に認識し難い。

 どうしてこの文章を引用してきたのかというと、単純に面白いという他、以前からずっと僕が思っていたことを裏付けるテクストになっていると思ったからです。
これは良く言われることですが、「漢字を読むときは形を見て理解するけれど、英語は音の言葉なのでアルファベットを頭の中で読み上げ理解する」というのに僕はどうも同意できませんでした。日本語や中国語の特殊性を強調したいときに便利で面白い話のように見えるけれど、実際のところそんなことはないだろうと思っていたのです。漢字を大体形で捕らえるのはいいとしても、英語を一字一字追いかけて読む人なんていなさそうだし、大体は単語全体のの形で読んでいるに違いないと思うからです。上に引用した英文はそれを示しているとも言えます。
 日本語話者の失読症では漢字だけが読めない、あるいは平仮名だけが読めない等の症状があって、日本語が複雑でへんてこな言語であることは確かですが、シンプルに「形」と「音」で区別してしまうことが有効だとは僕には思えません。

20090507;0508.

2009-05-09 12:02:36 | Weblog
 2009年5月7日木曜日
 雨もなかなか止まないし、計算も進まない。
 食堂でランチを食べているとKが「自転車で大学まで来ると傘ではずぶ濡れになるんだけど、どうしてあなたは濡れていないのか」と聞くので、カッパを着て傘をさしてついでに靴はサランラップでぐるぐる巻きにしてきたからだ形振り構わずに、と秘密を明かす。酷い雨の時は見る人も理解してくれるだろう。Kもこれからはそうするらしい「ついでにサングラスも掛ければ誰か分かりはしない」とのこと。それからルイス・キャロルの話をしていて「亀がアキレスに言った事」と、ついでに「人生の100のリスト」のことを思い出す。
 夕方にまたKが研究室に来て、彼女がこれから提出しに行くレポートを見たところ先日僕が中国語から半分想像で日本語に翻訳したSのレポートと同じ課題だった。Kのは当然だけど英語で書いてあって、やっぱりSのも英語で良かったのではないかと思う。

 2009年5月8日金曜日
 うまく動かなかった計算のプログラムが一向に良くならないのは、なんと以前に「この行を省いて試してみよう」とつけたコメント記号を消してないからだった。いつの間にかプログラムの中身だけをみてソースの左端を見なくなっていた。間の抜けた話。どちらにしてもNewton法ではうまく行きそうにない。先生に次元のことと、Bisection法を使うよう示唆して頂く。
 気付くと食堂が閉まっていたので、大学を出て帰り道ball&chaineでご飯を食べるともう蚊取り線香を焚いていた。寮に戻ってから友達に送られてきた日本語のメールをいくつか翻訳して、そのあと思ったより話が長くなる。どうやら思っているよりもみんな言葉で困っている様子。この日は日本人が簡単な英語すら話さないことへの不満が軽く噴出する。日本に来ているのだから仕方がないとも思う反面、ある程度の公的な機関はせめてもう少し英語を使うべきではないかと思う。外国人登録局のようなところからも堂々と日本語で書類を送って来るのには驚いた。おまけにその事務所の中の人も英語を話さなかったらしい。実際に留学生は莫大な労力を日本語の壁に吸い取られている。授業のことも先生に聞くと「クラスメートに聞きなさい」と言われるが、日本人のクラスメートは簡単な英語もできないからもう何か聞くのも疲れた、だから私達留学生のグループははっきり言って取り残されている。宿題が何かも分からないし、もちろん日本語の授業もさっぱり、座ってるだけで拷問みたい。とのこと。会話が難しいなら英語で筆談をすれば良いんじゃないかと示唆するも、それができるとは到底思えないとかなり絶望している様子。僕にはそんなに英語が壊滅しているとは信じられないし、ものすごく驚いた。以前からうちの大学の授業はほとんど日本語で行われているのにどうして日本語のできない留学生を受け入れているのか疑問に思っていた。疑問に思うのも当然できっとものすごく無理があるのだろう。もちろん、外国人フレンドリーではない国を気取るのならこのままでも良いだろうけれど、どうぞ来て下さい、と言いながらこれではあまりにもだと思う。