落ち葉を奪って申し訳ないと樹々に思うこと

2013-10-20 16:56:21 | Weblog
 最近、落ち葉を掃除する機会がよくあって、いつも微かな罪悪感を感じながら掃除をしています。地面がきれいになるのは心地良いことですが、本来はこの地面の上で朽ちて養分となるべきであった葉っぱを取り除いて持ち去るのは、樹々には申し訳のないことです。
 掃除というのは、一見とても平和な光景だけど、実はそういう残酷な面を持っている思います。

 それでは、葉っぱが散らかり放題のままで良いのかというと、僕は良いような気もしますが、今の街はそういうものを容認するようには設計されていません。
 庭先にしても、街路樹にしても、落ち葉を掃除しなくて良い、それを放置しても成立する街というのが、なんだか望ましい気がします。

 落ち葉を掃くという、一見、人に褒められこそすれけなされることのなさそうな行為は、僕達人間の身勝手な行為に過ぎません。

 これと同様の構図を、僕は山の手入れというものに感じます。

 たぶんこれは以前も書いたことがあるのですが、山にも人間の手入れが必要で、その際に出る間伐材を利用するのは良いことだ、という話を、僕はずっと不思議な気持ちで聞いていました。
 まず、どうして山という自然のものに人間の手入れが必要なのかが理解出来ませんでした。でも、実際に人間が放置した為に荒廃した森林などを見ると、そういう不思議な共生関係もあるのかもしれないし、山と人間が助けあって生きていくというイメージは美しかったので、それ以上深く考えませんでした。

 蓋を開けてみると、山が人間の手入れを必要とする理由はあっさりとしたものです。
 人間が、山を作り変えていました。
 日本は国土の7割が森林という世界有数の森林国家ですが、なんと森林の4割が人工林です。この広い国土のざっと3割が人工林だということです。
 高度経済成長期を中心に、僕達はそういうとてつもないことをしてきました。

 人工林では、高密度で木が植えられます。そうすると、狭いので樹々は上へ上へまっすぐに伸び、木材に加工しやすくなるからです。ただ、高密度で木を植えると、栄養も日射も足りないので成長しにくくなって来ます。だから、間引いて一部の木だけを残し育てます。つまり間伐です。
 こうして発生した間伐材を使うことは、なんだか資源の有効利用で平和的なことみたいな雰囲気がありますが、果たしてそうでしょうか。いびつで気味が悪いと思えて仕方ありません。
 日本の林業を守ろう!みたいな動き、若者が林業に就業するのが平和的でいいことだ、みたいなイメージも、僕にはなんだか気味が悪いです。木が可愛そうだなと思います。

 手入れのないために荒廃した森林は、もっとどんどん荒廃して、自然な状態に戻ればいい。人間の手入れなんて要らない状態に戻ればいい。

 鹿が増えすぎているから駆除しなくてはならない、というのも、本当に人間の勝手だと思います。畑の作物は柵でもして守ってほしい。増えすぎだからと正当化して、鹿を撃ち殺さないでほしい。その理由はただのまやかしだ。しかも殺した鹿は食べもされず、ゴミとして効率的な処理の方法まで開発して。あまりにも自然に対する敬意がなさすぎると思う。

 最近、山の方に良くいるので、漫然と思うことを書き留めました。

ニワトリを殺して食べたこと

2013-10-07 19:00:42 | Weblog
 これまでの人生で、意図的に生き物を殺して食べことは2回しかない。一度目は、もう十数年前の事。魚を釣って、その場で殺して焼いて食べた。
 そして2度目は昨日。殺したのはニワトリだ。昨日僕はニワトリを殺して食べた。

 食べ物、特に「肉」のことを気にしはじめたのは、もう7,8年前のことになると思います。2008年の一時期はベジタリアンでしたが、基本的にはぼんやりと気にしていただけです。

 その長い長い、漠然とした「気になるけれど」の期間を経て、この夏は、すこし具体的に見たり体験したりしました。

 8月には、ワークショップ「O:NIKU Station」( http://onikustation.blogspot.jp/ )の桂さんに声を掛けて頂いて、「ちはるの森」( http://chiharuh.jp/ )のちはるさん達と加古川市食肉センターで牛のを見学しました。加古川食肉センターでは、牛を殺すところから解体して肉にするところまでの全てを見学することができます。

 昨日のニワトリのは、僕の同居人が参加している「大見新村プロジェクト」( http://oomivillage.tumblr.com/ )に、桂さんのワークショップが呼ばれた形で行われました。
 「肉」のことを気にするようになってから、動物を殺して食べるたくさんのイベント、ワークショップの情報は耳にしましたが、どうにも出向く気がしない、それどころか反感を感じて一度も行きませんでした。

 今回、ようやく重い腰を上げて、反感もなく参加したのは、桂さんの人柄によるところが大きい。桂さんとは、もう半年以上ベーシック・インカムの勉強会などを一緒にやっていて、色々話を聞かせてもらったりする中で、彼のワークショップなら行こうと思うようになりました。
 加えて、昨今の農業や狩猟、ひいては食、環境に関する議論とアクティビティの活発化が僕に影響を与えていることは確かだとも思います。数年前は、自分の周囲に農業をしている友達も、狩猟免許を持っている友達もほとんどいませんでしたが、最近ではそう珍しくもなくなりました。

 それでは、昨日僕が思ったことを書きたいと思います。
 主催者の桂さんも、会場のsocial kitchen( http://hanareproject.net/ 大見村は大雨の影響で通行止めの為場所変更)も良く知っているし、うちの同居人から3名も参加するので、会場へ着いてワークショップがはじまるまでは実に気楽な気分でした。
 気持ちが重たくなったのは、庭のケージに入れられていた3匹のニワトリを見てからです。そうだ、今日はピクニックじゃない。晴れやかな日曜の朝にみんなで集まって、僕達がまずすることはこの鳥達を殺すことだ。

 これまでニワトリをかわいいと思ったことはあまりなかった。僕は鳥が大好きで、スズメもカラスもクロエリセイタカシギも大好きだけど、でもニワトリとハトはあまり好きではなかった。
 ただ、この朝見たニワトリは随分あいらしかった。
 本当に、このまま物事を進めてよいのだろうかと、頭のどこかが、講師である桂さんの話を聞きながら考え始める。早くも頭の中に相反する意見を持った2人の自分が立ち上がる。ここ何年もすぐこの状態になってしまって人に上手く自分の意見を伝えることができない。人に伝えることができないだけではなく、自分でも自分が一体どのポジションにいるのか良く分からない。

 「みんなでワークショップを進めて、それできちんと何かを体験するのがいいんだ」という自分と、「オーガナイズの苦労も人間関係も集まっている人の都合も、もうどうだっていいから、理念も思想も理屈もどうでもいいから、全部ぶっ壊れても、今、目の前で奪われようとしている3つの命を救え」という自分の間で足が地につかない。

 だから、桂さんが最初のニワトリを取り上げて、喉のどの部分にどのように包丁を入れるのか説明したあと、「誰かやってみますか?」と言っても反応することができなかった。
 僕だけではなく、そこにいる誰もが黙ったままで、最初の一匹は桂さんがやってみせてくれた。

 小さな祈りの時間。
 バタバタしないように、羽を紐で縛ったあと、ニワトリの体を右膝で地面に抑えつけて、左手で顔を押さえ、喉に包丁を入れる。まるで自分がどういう状況にあるのか何も分かってないかのように、ニワトリは静かで、その首からは鮮血がいともあっさりと流れ始めた。

 左手はそのまま頭を持ち、右手は包丁を置き、ニワトリの脚をつかんで持ち上げ、血が抜けるのをしばらく待つ。ここへ来てニワトリは抵抗を見せた。
 瞼が閉じられ、お尻に動きがなくなるのを確認してから、血の抜けたニワトリを、羽を毟りやすくするため、大鍋のお湯に浸ける。

 この後、羽を毟り解体します。
 過程で、生まれる寸前の卵など普段は見ないような部分を見たり、目にはしていたものの実体を良く分かっていなかった物を見たり、解体のノウハウも教わり、それはそれで貴重な体験と知識でした。
 でも、死んだ後、僕はもうこれを食材としてほとんど完全に割り切っていて、ここから先は純粋な調理の話だと言って差し支えないと思います。牛のを見た時もそうだった。殺したあとは、もう心が傷まない。あとはただの作業に見える。

 残る2匹のうち、1匹を、僕は殺した。
 一息にと思っていたけれど、すこし躊躇いがあって、刃先を深くすべらせることができず一度鳥がバタバタした。それを見て、躊躇いは余計に苦しめると刃を進める。

 放血が始まり、頭と脚を持って持ち上げる。頭を下にしすぎたせいで左手を血が伝い落ちる。弱い抵抗がどんどん弱まり、彼女の命は僕の手の中で消えていった。
 
 この間、僕はほとんど何も感じなかった。
 かわいそうだと感情が芽生えるよりも、ちゃんと絶命と血が抜けたことを確認しなくては、という理性が完全に優位にあって、僕はただ作業をしている状態でした。
 刃がニワトリの首に深く入って血が流れた瞬間、感情はどこかに押しやられてしまったように思います。このとき僕は、鹿などを捕っている友人が「殺す時はかわいそうだと思うけれど、ナイフを入れて肉を見た瞬間からはもう普通の食材にしか見えなくなる」と言っていた意味が分かりました。

 もっともっと高いと思っていたハードルが、思っていたよりもずっと低かったというか、実は倒しても全く問題なかったのが分かったような気分になって、同時に少し恐ろしい気分にもなります。

 牛のを見た帰り、友達に「僕は戦争へ行ったら平気で人を殺すかもしれない」ということを言いました。
 屠場で、次々殺されていく牛を見て、僕はほとんど可哀想だと思わなかったのです。一対一で向きあって、濃密な関係性の中で「殺す」と言われれば絶対に可愛そうだと思うはずなのに、そこでは僕はただ殺され行く牛を淡々と見ているだけでした。
 そこでは、牛を殺すというのも「まあそういうもの」で、システムは洗練され完成していました。その場に入ると、僕もまあそういうものだろうという気分になってしまう部分があります。だから、普段絶対に戦争なんて嫌だし、人殺しなんて嫌だと思っていても、戦場へ出てみれば心はあっさりと変わってしまうのかもしれないなと思いました。

 ニワトリを殺した時の、この意外なハードルの低さ、やってみたら意外となんともない、ということからも、同じようなことを感じます。
 僕が普段想定している、あるいは信じてしまっている自分と現実は、思っているよりも遥かに脆い。

 先に、自分が2人に分裂していると書きましたが、ここでその2つのスタンスを書いておきたいと思います。
 1つは、「ニワトリを絞めて食べるのは意外に簡単だから、みんなが普通にもっと行えば良いな、それが自然な社会かもしれない」というものです。
 もう1つは、「ニワトリを絞めて食べるのは意外に簡単だから、今はそれが表面的な隠蔽にすぎないとしても、動物を殺すことから離れようとしていた社会が、何かちょっとしたことで元の動物を殺す社会に戻ってしまうかもしれない、それは嫌だ」という立場です。

 別の言い方をすると、1つは「昔の暮らしを自然だから善良と見做す」、もう1つは「自然を越えた生き方がより善良かもしれない」という立場です。

 どこの国の映像だったかは忘れましたが、トルコかどこかの国で町を彷徨っていた犬がとっ捕まえられて、そのままゴミ収集車に放り込まれるのをyoutubeで見たことがあります。犬はもう弱っていて、それでゴミ収集車のプレス機の中におとなしく消えていきました。彼は画面から消えた直後にきっと強烈な苦痛と絶望を味わったはずですが、町の人にはそんなこと関係ないのかもしれません。邪魔なヨボヨボの犬が町を歩いているから、空き缶でも捨てるみたいにゴミ収集車にそれを放り込む。別にそんなもんでしょ、高々犬じゃん。という感覚を、僕達は環境次第では持ち得る。それはニワトリを殺しても別段なんともないことから類推できる。
 というか、僕達は1年間に犬と猫を20万頭だか30万頭も殺処分する社会に、今現に生きています。「飼うの難しくなったら、保健所に引き取ってもらって殺してもらう、犬なんてそんなもんでしょ別に、殺処分ゼロにしたいとかいう人は現実見てない頭がお花畑なお馬鹿さんw」

 僕は「文化」という言葉があまり好きではありません。それは文化という言葉には実体がなく、ほとんどの使用方法は「誰かの利益を主張する言い訳」だからです。
 「これは日本の文化だから守らねばならないので助成金下さい」「私たちはこういうことをしていて、おかしいおかしいと言われますが、これは文化なので放っておいてください」

 文化なんて糞食らえと思います。
 利益は主張すればいいし、守りたいものは守ればいい、でも、それを「文化」という得体のしれない呼び名の下で行うのは本当にファックです。
 だから、僕は動物を殺して食べることを「文化」だという言い方で肯定する言説の全てを聞く気になりません。

 たとえば、世界を見れば一部の地域に、女の子の赤ん坊が生まれるとクリトリスを切除する「文化」があります、それは苦痛なだけではなく命も奪いますが「文化」なので仕方ないですね。
 日本にも、かつて「気にいった女の人をさらって来てレイプするのが結婚」という「文化」がありました。もう廃れていると思いますが、廃れていたら大事な「文化」を復活させたほうがいいでしょうか。

 文化なんてウンコだといいながら、実は文化という言葉は便利で必要な言葉かもしれないとも、同時に思います。常に頭の中に相反する2人がいるというのはとても面倒です。
 面倒なので、いつも適当なところにラインを引いてカットしているのですが、ここはもう一段階書いてしまいます。
 
 どうして文化がウンコではないのかというと、たぶん僕達は数々の慣習の中で、「ある特定の団体の利益になっているもの」を文化と呼んでいるからです。
 ちょうど、微生物の繁殖という意味合いでは全く同じ現象なのに、人間にとって毒性のあるものを「腐敗」、有益なものを「発酵」と呼ぶようなものです。
 そのような「文化」の利益享受者は、必ずしも発話者自身ではありません。「何々はあの国の文化だから」という文脈で、誰か他の団体の利益を考慮する際にも文化という言葉は便利です。「文化」という単語とそれに付随する概念のおかげで、僕達はある団体の持つ慣習を「悪習」と「文化」に別けることができます。その分け方は、こちらの都合なので、やはりそこには問題があって「文化」はやはりシットかもしれませんが、話が終わらないのでこれはここまでにします。

 僕達はもしかしたら、姑息なやり方でだったかもしれないけれど、動物を殺さない世界を構築する過程にあったのかもしれなくて、今の社会にはその姑息さに対する反動としての回帰運動があり、その回帰は、ニワトリをあっさり殺せたように、思ったよりもずっと簡単に起こるもので、そこに現れるリアルはやはり喜ばしい。昨日僕は庭に数羽のニワトリが飼われていて、普段は卵を頂き、たまに肉を頂くという生活は素敵だなと素直に思いました。しかし、もしかしたら真の意味でイマジナルな理想を追い求め、動物が全然殺されない世界を作り、その世界おける、新しいリアルとハピネスを追求することだって、やっぱりありなのかもしれない。でも、それは大地を離れた生き方でもあり、僕達の肉体が有機体で構成されていて自然との融和性が高いことから、どうあったって無理な話かもしれないし、原理的に大地から離れた場所で得られる幸福を幸福と呼ぶことはできないのかもしれない。
 このどっちつかずな状態を、昨日の体験はより加速しました。

 

プラトンのロバ

2013-10-03 15:03:45 | Weblog
 論理的なロバの話があります。
 そのロバは理想的な意味合いで論理的です。すべての動作を完全にロジックに従って行うわけです。
 このロバの左右等距離に、全く同じエサを置いたらどうなるかという話なのですが、お話ではロバは餓死してしまうことになっています。哀れなロバは論理的に決定できないことは決定することができず、どちらも選べないでじっとしたまま死んでしまうわけです。
 どちらでも良かったのに!!!

 このロバを救うには、最初、外乱を与えてやれば良いと思っていました。
 風が吹いて微かに右向きの力を感じただけでも、ロバは右のエサを取りに動き出すはずです。
 そして、幸いなことに、僕達の世界はノイズに満ちています。
 だから、本当の世界にはノイズがあるからこういうことにはならないだろう、と思っていたのですが、もしも本当の世界にこのロバがいたのであれば、たぶん外乱なんかがなくても、彼は死なないのだろうなと思うようになりました。

 どうしてかというと、本物の肉体を持ったロバは「飢える」からです。
 飢えという肉体的な要求が、彼を論理の外へ突き動かすことになる。
 これは、肉体という「実在」が、論理という虚構を突き破る瞬間かもしれません。
 論理を虚構と呼ぶのは、それがあくまで人間の作り上げたものに過ぎないからです、確かにそれは道具として一定の機能を持っています。でも、道具は道具にすぎないし、それをどんなに洗練させても、その先にあるのは道具にすぎない。

 僕は、実はとても長い間、肉体や物質を、僕達がダイレクトに体験しているこの世界を虚構だと考えていました。その背後に隠れている「真理」をサイエンスの手法でいつか知りたいと思っていました。
 今も、その欲求は消えていません。サイエンスの手法で世界のもっと深い部分を見てみたいと思っています。あるいは哲学的な思考の積み上げがどこまで遠くに僕達を誘ってくれるのか、それも知りたいと思っています。
 だけど、今はもうそれらを「真理」であるとは考えていません。
 それらは、ある特定の手法で構築した、ある特定のモデルでしかないし、真理というものはこの世界のどこにもなく、あるいは今僕が体験しているこの現象それ自身だけが真理かもしれないと考えています。いや、この書き方にはかなりの語弊があって、僕はたぶんもう真理という言葉の使用をやめるべきでしょう。

 今から振り返ると、ちょっとゾッとするような暗さですが、主に20代の僕の世界感というのは、以下に説明するようなものでした。
 まず、僕は10代の終わり頃に「クオリア」という概念を、当時まだ無名だった茂木健一郎さんの本で知り、結構ガツンとヤラれてしまいます。クオリアというのは「赤色の赤さのリアリティ」みたいなもので、今もしも目の前に赤いものがあるとするなら、その赤いという、見ていらっしゃるその赤さそのもののことです。

 ここで、少し客観的に、その赤さについて考えてみましょう。
 僕達が「赤い色を見ている」というのは、僕達の「目に赤い光が入射している」ということです。光は、電磁波のうち人間に見える波長のもののことで、赤なら大体波長700ナノメートル前後の電磁波です。それが、例えば目の前に赤いリンゴがあるのであれば、リンゴの方から飛んできて目に入ります。

 太陽に照らされたリンゴが目の前に置かれている、という状況を想定して、もう一度整理してみます。
 太陽から地上に到達する電磁波の大部分は、赤外線、可視光線、紫外線で構成されています。つまり人間が見ることのできる波長とその周辺です。それら多様な波長の電磁波のうち、波長700ナノメート前後の電磁波がリンゴの表面で反射されます。他の周波数の電磁波はリンゴに吸収されて熱エネルギーに変換されリンゴが温まったりします。
 波長700ナノの電磁波が大気中をほぼ光速で進行して、僕達の目に飛び込みます。角膜、水晶体を通過して網膜の視細胞に到達した電磁波は、細胞にエネルギーを与えて電気的な信号を誘起します。その電気的な信号は網膜上の水平細胞、双極細胞など数種の細胞からなる構造体で信号処理されて、その後視神経を通じ、ニューロンの電気的励起状態として脳の第一次視覚野に入っていきます。

 この後、脳でどのような処理が行われているのか、僕は知らないのですが、ここまでで、どこかに「赤っぽさ」みたいなものはあったでしょうか。ないんですよね。脳に入っていくのは単なる「電気信号」です。そんなもののどこをどういじったら「赤」になるのでしょうか。
 これは、数字からカレーライスを作るのと同じくらい、あるいはピアノの音でゾウを生み出すくらい、無理なことだと思います。

 でも、そんなどう考えても無理そうなことを、僕達は起きている間ずっと現に行っているわけです。だから、今パソコンの画面が見えています。さっきは視覚を例にあげましたが、別に聴覚だって味覚だって嗅覚だって、どの感覚をとっても同じことです。空気の振動と、あの頭の中に聞こえる確かな音と、関係ありませんよね。グルタミン酸ナトリウムという化学物質と、「うま味」ってどうやって変換できますか。どうにも不可能だとしか思えません。
 ひいては、そういう感覚の複合として僕達の意識は構成されているので、僕達の意識の存在自体が不可能だということになります。どうやってこの世界で意識が立ち上がりうるのでしょうか。

 だから、「なんだこれは・・・」という半ば放心した気分で、僕は10代の終わりから20代を過ごしていました。
 呪縛が解けたのは、もう30歳になってからのことです。
 その時、僕はまだ博士課程の物理学徒でした。ドイツで哲学をやっている友達が京都にロシア人の恋人と遊びに来て、「私ちょっと大学に用があるから、この人、日本語できないしほっとくの心配だから、しばらく面倒みてあげて、じゃあ」と消えてしまい、僕は友達の彼氏と二人で大学の近所をフラフラすることになりました。彼も哲学を学ぶ博士課程の学生で、話は自然にそういう話になります。

 聖護院から百万遍まで、東大路のうるさい自動車音の中歩きながら話したことを今でも良く覚えています。
 僕がさっき書いたようなことを話すと、彼は「だから科学者は駄目なんだよ、あのさ、その電磁波とか電気とか、そういうモノの見方と、今実際に見えているこの景色と、聞いている音と、どっちが先にあった。こっちでしょ。電磁波の波長とかそういう概念は、こっちが先にあって、あとから組み立てたものじゃん。こっちが先、あっちはその派生。なのに、あっちを根本に据えて、こっちの意識が組み立てられそうにないから不思議だとか、完全に間違えた問題設定だよ」と言ったのです。

 僕達は昼間っからビールを飲んで散歩していたので、それは他愛のないおしゃべりのはずだったのですが、僕はガーンと衝撃を受けました。「なるほどね」とか平気な顔して、その後別の話をしていたと思いますが、確かに彼の言葉にやられてしまった。
 それから、段々と、西田幾多郎が何を言っていたのか分かるようになってきた気がしたり、身体や感覚というものを丁寧に扱うようになって来ました。

コーヒーとチョコレートとピースと奴隷

2013-10-01 13:48:15 | Weblog
 僕がコーヒーを飲むようになったのは、30才を過ぎてからなので、だから、まだ3,4年というところです。
 昔、コーヒーを飲むと気持ち悪くなっていたので、僕にはコーヒーは飲めないと思っていました。30歳くらいのときに、思い切って飲んでみて、そしてもう気持ち悪くならないことが分かり、それからはコーヒーを良く飲みます。

 一人で本を読みながら、誰かと話をしながら、コーヒーを飲むというのは実に心地良いことです。
 飲み始めた当初、僕はコーヒーの豆から焙煎から淹れ方まで、それなりにこだわっていたのですが、元々食べ物の味にはそれほど興味もないので段々とバカらしくなってきて、311のあとそれは決定的になり、ついにインスタントコーヒーをメインに飲むようになりました。微細な味の違いなんか、もうどうでもいいし、そういう日々の些細な喜びよりも、もっと大きなものに目を向けなくてならないという焦燥感に駆られていたからです。豆をわざわざ挽いたり、時間を掛けてドリップしたりするのが完全な無駄だと、その時は思っていました。毎日を、AでもBでもどっちでもいいような微細な選択の連続で使い果たしてしまう消費者として飼い慣らされていることに、ほとほとウンザリしていました。
 「世界のことなんて考えなくていい、お前達は、どっちのブランドのコーヒー豆を買うかだけ考えて死んで行け(本当はどっちもほとんど同じ豆だけどね、ククク)。世界のことは俺たちが自由にさせてもらう。コーヒータイムで仮初に癒やされてまた働け」みたいな声を、どこかに聞いてしまうのです。

 さて、コーヒーとチョコレートは非常に良く合いますが、両方共モノカルチャー代表みたいな食べ物ですね。
 モノカルチャーというのは植民地政策の名残で、1つの国で、その国の住民を扱き使い、単一の作物を大量に生産することです。一国の経済事情が単一の作物の出来に左右され、さらに他の農産物がないので食料の自給もできません。食べ物を輸入に頼らざるを得ないわけですが、ただでさえ輸出している作物を安く買い叩かれているので十分な食べ物を輸入することはできません。カネというルートを通じてしか、食べ物が手に入らないように、つまり生きられないように制度化されています。だから、農園で働く人はカネを手に入れるために、扱き使われても黙って耐えるしかない。
 エチオピアとかコートジボワールとか様々な、所謂南側の国で、奴隷みたいに扱き使われた人々がそれを生産しています。奴隷みたいというか、実際に何十万人という数の子供が奴隷として働かされています。働かされていますというか、最終的な消費者、お客である僕達が働かせています。

 チョコレートを齧りながら、コーヒーを飲み談笑するという、なんともハッピーで穏やかな行為は、実はこういう奴隷の上に成立しているので、マクロに見ればハッピーでも穏やかでもなんでもありません。実に不幸で残酷な行為です。でも、ミクロに見れば、そこにいる人々の穏やかさにウソはなく、彼らには残酷さの欠片もなく、僕はそのマクロとミクロの落差にいつも呆然とします。
 いや、残酷さはそこに確かに存在しているのかもしれませんね。無知という残酷さが。

 ここで、僕達は2つのスタンスを選択することができます。
 1つは、こんな酷いことはやめる、というスタンス。
 もう1つは、これは先進国が勝ち取った特権だから、我々は貴族なんだから、奴隷のことなんて気にせずにコーヒーを謳歌する、というスタンスです。

 僕はどちらともつかず、曖昧なまま、やっぱり昨日も缶コーヒーを飲みました。この豆はどんな人がどんな状態で摘んだのだろうと思いながら、でもこともなく友達と話ながら飲み干しました。本当に酷い人間だと思います。
 1000年後に歴史を読んだ人々は、僕達のこの時代を暗黒の時代だと、きっと感じるのだろうと、この平和な物に溢れた国にありながらも、いつも思います。

 

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鶴見 済
新潮社