summer time.

2007-06-28 12:58:45 | Weblog
 夏が来て太陽が高くなり、僕達は鼓動を速くして何かを期待する。大気はピリピリと分子の一つ一つまでがエネルギーで一杯になったみたいだ。

 サマータイム。

 サマータイムを導入しようかどうか、という議論を聞くときいつも思うのですが、1時間時間をずらすなんて小さなことは止めて、どうせなら昼夜逆転するくらいの勢いで変えてみれば素敵だろうな。

 1日で最も気温が高くなるのは普通2時くらいだから、午後4時くらいを起床時間にして、出勤やなんかは5時くらいから、夕暮れ眺めながら。夏の夕暮れは悪くない。そうして真っ暗な空の下でオフィスの蛍光灯に照らされて仕事を行うというのは独特の連帯感と非日常感を生みそうな気がします。
 そして夜中の1時か2時に仕事が終わって、そのあと夜にきらきらした街で人々は食事をする。夜中だけど、みんなが起きていて街は活気に溢れていて、朝焼けを見て夜が白んだ後に家へ帰って眠りに就く。

 昼間のエアコンに比べれば、夜に電気をつけているくらいなんでもない電力消費だろうし、それに夜なら窓を開ければ随分涼しい。日中に寝ているときが暑いからどうせ昼間にもエアコンを使うことになる、ということは多分あまりなくて、汗をかいてもいい格好をしているときは汗をかくことはあまり苦にならない。家の中でだらしのない格好をしているときに汗をかくなんてなんでもないことだ。家を出る前にさっとシャワーを浴びればいい。僕達は汗をかくことや暑いことが嫌なのではなくて、暑いくて汗をかいているのにちゃんとした格好をしなくてはならないことが苦なのだと思う。

 だけど、もちろん夏の強い太陽も魅力的だから、そういう人は思い切ってみんなが寝ている昼に起きて昼遊びをする。ちょうど夜中にクラブへ行ったりするのの反対ですね。あるいは夏の半分は普通の時間にして、半分だけをサマータイムにしてもいいかもしれない。



2007年6月26日火曜日
 一日中大学。
 昼下がりに遅い昼ご飯を食堂で食べているとOがやってきて話をしていると時間が経って、さらにMさんやLがやってきて夕方になってしまう。
 夜中にEのところへミシンを取りに行く。


2007年6月27日水曜日
 昼過ぎにTさんから連絡があって、急に夕方から淀屋橋までcorneilleという人のライブを見に行くことになる。今週はすることが多いので一瞬断ろうかと思ったけれど、こうやって飛び込んできたチャンスは逃さないほうがいいので行くことにする。しかも場所が中央公会堂だった。先日見学に行こうと思っていたのがやめになったところだったので丁度いい。
 コンサートは日本でのプロモの一環で、僕はもともとcorneilleのことを知らないけれどTさんとSくんは良く知っているらしくて(corneilleという人はもともとフランス語で歌を書いていた人で、すでにフランスでは売れっ子。TさんもSくんもフランスに住んでいたから良く知っている)、英語の歌詞で世界市場を狙う今回の作戦には辛口だった。実際雰囲気がライブではなくて本当にショーケースといった感じで、会場は比較的小さくてこじんまりしていたのに一体感のないものだった。本当はこうなのよ、とTさんがフランス語のCDを貸してくれた。

 僕はソニーのマーケティング部が賢くないとは思わないし(そういえば昔ソニーはマーケティングなんてしないって言ってましたよね?嘘だろうけど)、今回の戦略が僕達の捕らえ方に関わらず幾ばくかのお金を生むことにはなるのだろうと思う。
 ただ、corneilleが、歌いたくないけれど、しかたなしに自分の思うのとは違うレコード会社に言われたやり方で歌って、それにTさんやSくんのような人たちが「なんかちがうけれど」と言いつつも礼儀で拍手をしているというのは悲しいものだと思う。もしもcorneilleが「なんだ日本人というのはこの程度の歌で喜ぶのか」と誤解していたらそれはさらに悲しい。

 出町柳にもどって、ボール&チェーンでご飯を食べて12時くらいに切り上げる。そのあと研究室へよってコンピュータに掛けていた計算の様子を見る。


2007年6月28日木曜日
 I君がギターを貸してくれる。
 どうしてか分からないけれど、Tさんの日記に載っていた沖縄ちゅら海水族館の写真で大うけしてしまう。たぶん正面から建物を撮ったものだと思いますが(ジンベイザメの模型が写っています)、すごい建物だ。
 昼にWから「寺巡りに行こう」と電話が掛かってきたけれど、流石に今日はすることが多くて身動きできない。1日中研究室にいて、夜食堂でご飯を食べた後、シャワーを浴びたくなったので部屋に戻るとギターが弾きたくなって病的なことに同じフレーズばかり弾いていたのに気が付くと1時間以上が経過していた。
 研究室に戻り、プログラムをコンピュータにセットしてから明日の講義のために啓蒙時代のドイツについていろいろ考える。

インスタレーションのご案内。

2007-06-24 19:42:05 | Weblog
 7月21日土曜日夜に出町柳の中州先端で簡単なインスタレーションをしようと思います。あまり丈夫なものではないので、雨天、または風のある場合は延期します。
 コンセプトは特にありません。いわば公園と川に添えるトッピングのようなものです。それから、去年までのように音楽はかけません。BGMくらいは流しますが、静かなエレクトロニカみたいなものになると思います。コンセプトはなくともビジョンはあります。そこに僕達は感動や驚きやなんらかのパッションを持ち込んだりはしません。もちろん、意味も。日常の延長上にしか存在しえない軽い意味合いの非日常における夏の夜の話です。手ぶらでふらりとやってきて、5分ほど休んで去るような、あるいは気に召すのであればビールやオレンジジュースを買いに行ってしばらくそこに座っているような、そのようにシンプルなものです。僕達は物理的に一定面積を占有する形式をとりますが、気分までそこを占有するものではありません。もしもその日にたっぷりと時間のゆとりがあるのであれば、通りがかっていただけると幸いです。



2007年6月22日金曜日
 ひどい雨。一日中大学にいる。


2007年6月23日土曜日
 快晴の真夏日。
 昼下がりにTがランチに誘ってくれたので、草原カフェで待ち合わせると休み。
 プリンツへ行くと「ランチタイムが終わっていて食べ物はない」と言われ、しかたなしにビールを飲んでいると「料理のできる人間が帰ってきたので、有り合わせでしたら」と何かの花を揚げたやつだとかキッシュなんかを出してもらう。デザートまで食べてしゃっべっていると夕方になり大学に戻る。

 夜はPとコチで待ち合わせたものの、僕がコチに着いたときPは店の前にいて「いっぱいだった。満席」と言った。仕方がないのでハローに行って食べたり飲んだりして、「散歩に行きたい」とPが言うので御所へ行き、「そういえば御所の中に小さな図書館があるって話だけど」ということで、真っ暗な母と子の森を彷徨う。するとカラスの寝床があったらしく、木の上が大騒ぎになりカラスが飛び回るので僕達は退散した。
 そのあと、鴨川の中洲に行って先端に座ると、前日の雨で河が増水していて水面が近い。飛び石も水面下に沈んでいて、いつもの見慣れた風景とは少し違っていて、後ろに花火をする人々を感じながら僕達は話をした。そういえば今日はI君達がこの辺りで花火をしているかもしれない。強く流れる水を見ているとときどき自分達が船に乗っているような感覚がする。「今日アメリカ人の女の子がこのスカートを誉めてくれたのよ」とPは誇らしげに言った。


2007年6月24日日曜日
 やっぱり雨が降った。
 夕方にI君とインスタレーション用の布を切る。本当は縫合もしたかったけれどミシンが手元になかったので断念。布は5×6メートルでそんなに大きくはないけれど、それでもホールに広げてみるとなんだか嬉しくなる。それにしても布とは便利なものだ。去年はコストミニマルを目指してコピー用紙を張り合わせて4×4メートルを5枚、計80平方メートルの紙を作った。友達に助けてもらってなんとかできたけれど、今から思えば気の狂うような作業だった。しかも、作ったあとも破れたり畳むのが難しかったりで苦労したし、湿気は吸い込んで脆くなるし、汚れても洗えないし。それに比べて布というのはなんて丈夫ですばらしい素材なんだろう。
 

skateboard.

2007-06-22 14:45:40 | Weblog
 小学生のとき、映画「back to the futuer」を見て感動し、次の日に近所の万屋みたいなところでスケートボードを買ってもらった。今の、板がしなって、上側には全部ラバーが張られているやつじゃなくて、古いタイプの前と後ろが決まっていてタイヤも板も無駄に大きなやつだった。それも多分1500円くらいのオモチャだったと思う。
 当時はオーリー(スケボージャンプです)なんて概念すらなかったので、僕はただ普通にそれに乗るだけだったけれど、どこへでもスケボーを持っていった。迷惑だとは思うけれどお店の中でも乗っていた。小学校では日記という変な宿題があったので、日記にスケボーの推進原理を分析して書いたのを良く覚えている。今から思うと的外れもいいところですが。

 中学生になると、僕はもうスケボー自体には興味を失っていた。「back to the futuer 2」に出てきたホバーボードが欲しくなり、反重力は無理なのでせめてホバークラフトのようにエアースカートで浮かせることはできないかと、哀れな掃除機を壊してモーターを取り出し(母親には嘘をついて「掃除機が既に壊れているみたいから中身を貰う」と言った)、哀れなスケートボードに空気噴出しようの穴を開けたりタイヤを外したりスカートをつけたりして、結局満足のいくものはできなかった。実際、それは浮いているのか浮いていないのかも良く分からないような酷い代物だった。

 高校生になると、今のと同じ新しいタイプのスケートボードが出回るようになる。当時はスケートボードに関する本もあまり売っていなかったし、トリックに関することは友人Kが一本だけもっていた、アメリカかどこかのスケートボーダー達を映したビデオで学んだ。インターネットなんてまだなかった。
 そのビデオは僕には衝撃的だった。なんといってもオーリーは衝撃的だった。最初に見たときは、どうしてスケボーの上に乗った人間がジャンプしただけでスケボーまでジャンプするのか理解できなかった。スノーボードのようにバインディングがあるなら分かるけれど、スケボーでは足と板を繋ぐものは何もない。でも、ビデオの中で、スケートボーダー達は華麗なオーリーを跳んでいた。

 僕達はスケートボードを買いに行き、ビデオをスローで再生して何度も見てオーリーの練習をした。テールを踏み、デッキを擦り上げる。だんだんとスケボーが浮かび上がりそうな感覚がでてきて、そして遂に跳べるようになった。怠け者で何かを熱心に練習した経験を持たない僕にとっては、それが生まれてはじめての「一見不可能なことでもやればできることがある」という体験だった。
 オーリーが跳べるようになって調子付いた僕とKは、当時「スケーター」と呼ばれていた太すぎるズボンと大きすぎるトレーナーを着るようなへんてこな格好をして、ラジカセを持ってスーパーマーケットの屋上駐車場で練習をするようになった。スケートボードというのはマイナーなものだし、さらに僕達が住んでいたのは田舎で、練習に適したところはそんなになかった。迷惑で危険な悪い子供、というのが基本的な視線だったように思う。だけど、あれってすごい面白いですよ。今まで普通に歩いていた街が、スケボーを持っていったとたん全部公園になる。

 駐車場は只の平面で、障害物などがなかった。だから僕達はジャンプ台や障害物を自分達で作った。作業はKの家の納屋で行った。当時Kは高校を卒業できるかできないかの瀬戸際で、納屋にいるとKのお母さんが「そんなことしてる場合じゃないでしょ」と怒りに来るので、ドアを閉めてカギを掛け、締め切った中でスプレーを使ったので鼻の中だとかがピンクになった。

 僕が先日引っ張り出したのはまさにそのときのスケートボードで、もう随分とくたびれている。

 youtubeでRodney Mullen(小技重視)やWilliam Spencer(機動性重視)を検索すると面白い映像が見れると思います。

twilight.

2007-06-21 21:02:16 | Weblog
 草原を渡る風を、こんなに長い間眺めていてもいいのだろうか、と僕は思う。その昔、一人の作家が小さな号令をかけたとき、その年僕は生まれて、本当は歌を聴こうとしていた。今までずっと。マミコは「止まっている風を風とは誰も呼ばないのよ」と言ってフランスへ行ってしまった。
「ある種の魚達が、泳ぎ続けていないと呼吸できないようにかい」
「いいえ、違うわ。存在がなくなることと死ぬことは別のことよ」
 そんなことは僕だって分かっていた。これは大体の喩えであって、いうなれば修飾に過ぎないものだからそんなに厳密なことを言われても困る、と言おうとしたけれど、彼女のタバコに火をつける仕草がとても滑らかだったのでやめた。それは止めてはならない動作に見えた。あるいは止める事のできない動作だったのかもしれない。僕は代わりに言った。もちろん、タバコに火が着くのを確認してから。
「タバコ、やめなよ」
「そうね」
「肌にも悪いよ」
 彼女の肌は透き通るようにきれいだった。


2007年6月19日火曜日
 夕方の気候がとても快適なので、大学の中庭で本を読んでいるとOがやってきて、しばらく話をする。Oは「硫黄島からの手紙」のDVDを借りてきたらしく、その映画は先日の妹の家での食事会で話題に上ったのでタイムリーだとかなんとか言っているとI君がやってきて、3人でしゃべっていると9時前になってしまう。
 そのあと大学を出るときに、構内の木陰でおじさんが寝ていて、外はもう暗いし、さらにそこは快適にごろごろできるような場所ではなくて雑草の茂りすぎた道端だったので倒れているのかと思って声を掛けると寝ているだけとのこと。

2007年6月20日水曜日
 夜10時半からSちゃんのところで映画「69」を見る予定だったけれど、ドイツへ出張中の先生に送るpdfを作っていると10時になってしまい慌てて学校を出る。ついでなので大学から大宮まで急ぐと自転車でどれくらいかかるのか測ることにした。だいたい20分。途中でYさんにすれ違うも、慌てたときのスピード感を楽しむモードだったのでろくな挨拶もしなかった。今度丁寧に挨拶することにしようと思う。

2007年6月21日木曜日
 研究がいいところで気になっていたので朝早くから研究室に行こうと思っていたけれど、エフェクターが丁度届いたので嬉しくなりギターを弾いていると昼になってしまった。ヘッドホンの中でギターがギュインギュイン鳴り、外の音は全然聞こえない。視界の端で何かがチカチカするので何かと思えば携帯電話がなっていた。電話はWからで、ランチでもしないか、というので何故かすごく安いブラジル料理のお店でランチを食べて、天気が良いのでそのまま二人して宝ヶ池まで足を伸ばす。そういやあそこってボートあったよね。うんあったあった。乗る?わー乗ろう。とボートに乗ることを決めるととてもテンションが上がり、池に着くや否やボートを借りて乗った。僕は小学生のとき以来だと思う。ボートの時間は1時間ときめられていて、どうせそんなに乗らないよ、と思っていたところ、Wのポートフォリオを見たりグミキャンディを食べたり亀を見たりカモをみたり鳥の絶叫に腹を抱えたりしていると時間はすぐに過ぎた。
 池の畔をうろうろして、Wをバスまで送ったあと、一旦大学に戻りCDを鞄に入れて御池までAに渡しに行く。
 一日中、日に曝されて腕や肩が真っ赤になる。これからはちゃんと日焼け止めを塗ろうと思う。

kibune1.

2007-06-19 16:35:29 | Weblog
 そういえばこのところ豆塚の話を書いていませんが、しばらく忘れていました。
 だけど、その過程ではじめて読んだ「貴船の物語」は頭から離れません。表現が大袈裟でとてもきれいだと思います。僕だけかもしれませんが、マルケスの「100年の孤独」を思い出します。
 以前にも書いたように、僕が読んだのは貴船神社の高井和大さんという方の現代語訳で、これは貴船神社のサイト http://www.kibune.or.jp/jinja/monogatari/index.html
で全文を読むことができます。
 少しだけ、ここに書かれたものを現代小説風にリライトしてみようとしたのですが、完全な現代の日本語を使うと雰囲気が出せなくてうまく行きそうにありません。

 今日は物語の導入部を引用しながら紹介したいと思います。

 主人公は定平の中将という比較的身分の高い人です。彼はいい年になっても結婚しないので、父親に「早く結婚しなさい」と煩く言われて、父親は都中から女の人を連れてきますが中将は全て断ります。
 そんなある日、中将は扇比べの時に見た扇に描かれた女性に恋をします。

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 中将は、その扇を開いて御覧になると、

「これはどうしたことだ」
目をみはらんばかりに驚かれた。その絵の何と美しいこと。この世にもこれほど美しい女房がいるのだろうか、いや、いたからこそ絵師も見て描いたに違いない、今まで見た女房の中にこれほど美しい人を見たことはない、このような人とせめて一夜だけでも枕を並べてみたいものと、絵の女房にすっかり心をとらわれてしまわれた。
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 なんともストレートな表現ですが、こうして中将は恋の虜になります。
 僕はこの後もいくらか漫才のツッコミのようなことを書くかもしれませんが、それは全て賛辞です。ここ数年で読んだ物語の中で、僕にとってこの貴船の物語はベスト3に入るものであり、賞賛なら一向に惜しみません。

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 お屋敷に帰られてからは口もきかず、思いは日毎つのるばかり。「逢うよりほかの薬なし」と、胸は打ち騒ぎ、あれやこれやと思い悩まれ、とうとう恋の病にふせられて、御所への出仕も止めてしまわれた。
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 絵を見ただけでその人に恋をして寝込み、仕事まで休むとは相当なものです。
 ちゃかすどころか、周囲の人々は心配して、祈祷や何かを色々としてくれます。でも、そんなのは恋の病を全然癒さない。挙句の果てに「命も長くない」と言われる。

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 修験者、識者等は、御命もそう長くはないだろうという始末だった。
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 そしてその女性を描いた絵師が呼ばれて事情を聞くに、それは鬼の娘だ、ということが分かる。

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 これをお聞きになった中将殿は、「いないというなら別のこと、いると聞いたからにはたとえ鬼の娘であろうとも、逢わずにおかれるものか」とお思いになった。せめて夢でも見てみようかと、まどろんではみたが、夢を御覧になることもない。神仏に祈請すれば逢うことができるかもしれないと、まず氏神の春日大明神に十七日お籠りになり、さらに長谷の観音に参られて十七日お籠(こも)りされた。すると、観音の霊夢があって、

「これより帰って鞍馬の毘沙門にお頼みなさい」
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 そして、彼は鬼の娘に会いに行く。
 僕はこの辺りの、「せめて夢でも見てみようかと」思ったりする感覚に果てしない何かを感じる。それが何かはうまく説明できないけれど、でも、この世界は本当に美しいもので織られているのだという気分になる。



2007年6月18日月曜日
 昼に大学の構内清掃が予定されていたけれど雨で延期。
 夕方にスケートボードを直そうと思い立ちコーナンへ行くと偶然Nに会う。規格が違って欲しいナットが売ってないけれど、違うのを無理矢理使うことにする。普段気にも留めないのに何故か無性にバキュームリフターが欲しくなって思わず買いそうになる。
 夜にスケボーをきれいにして久しぶりに乗ってみる。高校生以来でなんだか怖いし、煩くて近所迷惑なのですぐにやめる。 本でも読んで寝ようとしていると、Eから電話で、訳あって怖くて家へ帰れなくなったので助けて欲しいということなので助けに行く。

 ときどき、何かの弾みで話題が時事問題になって、それで誰かがきっぱりと政治を批判することがある。そんなとき、僕はちょっとどうしていいのか分からない。どうしてかというと、政治家に対する批判には「政治家はバカである」という根拠薄弱な前提がよく含まれているからだ。

 僕は基本的には政治家と言うのは自分よりもはるかに政治的なことに関しては頭がいいだろうと思っているし、当然批判なんてできない。もちろんスキャンダルには誰だって常識的な判断を下せるけれど、その政治家の政治的判断に関する妥当な意見というものを僕は持ち合わせていない。

 テレビの政治家が出てきて討論する番組に、ゲストで普通の主婦がでてきて鳩山さんに「民主党が何を言いたいのか、そんなの国民には全然伝わっていませんよ。もっと分かり易く説明しないと、全然、意味わかんないです」と言っていたけれど、たぶんそのおばさんの頭が悪いだけだろうと思う。失礼ながら。

「もっと分かり易く説明して」「分からせて」と声を大にして言う人間を僕は信用しない。それは説明が悪い、良い以前に態度の問題だ。本当にそのことを理解したいと思う人間はそんな言い方をしない。

bike summer!

2007-06-18 16:39:34 | Weblog
 昨日、メキシコ料理屋へ行く途中にI君から「クリティカルマス」の話を聞いた。クリティカルマスというのは「自転車でみんなして道路を走る」というだけのことらしいので、最初僕は意味が理解できなかったのですが、そこには「道路は自動車のものだけではない」というメッセージがあるということです。

 自動車が我が物顔で道路を走っているのはおかしい、ということに僕はこの日まで思い至らなかった。
 間抜けにも「そんなこといったって車はでかいし、車に広い道がいるのは仕方ないよ」と言ってしまって、すぐに「車が大きいという前提は必然ではない」と打ち消された。確かにそうだ。

 I君の情報によると、京都のクリティカルマスはここ数年活動の様子が良く分からないということですが、クリティカルマスをやってもいいなと思う。



2007年6月15日金曜日
 Sちゃんとレイトショーの『バベル』を見に行く。この映画を見たいと思ったことは一度もなかったけれど、先日Kがなかなか良かったというのでなんとなく気になって調べてみるとだんだんと見たくなり足を運ぶに至った。コンセプトが明確すぎて演出の過剰な映画。

2007年6月16日土曜日
 夕飯を妹夫妻の家で食べる。両親も来ていたので久しぶりに両親に会った。妹は立派に働いて立派に結婚して立派な家に住んでいるけれど、僕は我侭し放題で両親に心配も迷惑もかけている(それはもう果てしないものかもしれない)。そんな中父親に、高校生のとき親に内緒で急にヒッチハイクで北海道一周したり心配かけまくった、というようなことを告白される。フォローなんだろうか。
 しかし父親にしても、妹の夫のお父さんにしても、どうしてか「一人で山に入って寝泊りする」という経験を持っているし、どうやらアウトドア派の人にとってみればそんなのは当然みたいだけど、僕は怖がりなので山で一人で寝るなんて芸当はできそうにない。

2007年6月17日日曜日
 昼にI君からの電話で起こされるも軽い二日酔い。夕方にインスタレーション用の試作。いつものようにどんどんと手抜きになり簡略化されるものの、意外と良い手ごたえ。メキシコ料理を食べて帰る。

バランスダンサー。

2007-06-14 18:24:43 | Weblog
 携帯電話のニュースで、「ケンタッキーNO、講義するアメリカ人女性」みたいな記事が流れて、そういえば日本のケンタッキーでのトランス脂肪酸の扱いはどうなったのだろうな、と思いながらその辺りのことをウェブで久しぶりに読んだ。
 すると、ある掲示板で「マーガリンは有害だと聞きましたが、本当でしょうか?今あるマーガリンは捨てた方がいいのでしょうか?」というような書き込みと、それに対する大勢の人々が書いた返事が出てきた。

 人々の反応を見て、僕は少し変な気分になった。

「摂り過ぎは良くないようですが、気にしすぎてもあれですから、適度に使えばいいのではないですか」

 というのが大方の反応だったからだ。僕なら

「食べない方がいいので捨てて、もう二度と買わない方がいいと思います」

 と書く。ちょっとくらいは大丈夫だからといって、何も有害なものを選択的に摂る必要はない。あるいは、マーガリンの味がとても好きで、害はあってもどうしても食べたいとか、そういう場合なら食べることを理解できる。そうでないなら他の油を使った方がいいに決まっている。

 日本ではトランス脂肪酸についての認識が驚くほど低いので、念の為ここに書いておきます。
 マーガリンは体に悪いです。

 僕がここに返信を書き込んだ人々に対して感じたのは、幻想の健常だった。それは「バランスよく、適度になら大丈夫」という幻想だ。彼らはどこかに絶対的な真ん中みたいなものがあって、そこに支柱を立ててバランスをとろうとする。だけど、その支柱が立っている地面自体が、そのベースが果たしてバランスのとれたところにあるのかどうか、ということは考えもしない。マーガリンを食べ過ぎなければいい、というのは支柱を「マーガリンを食べることが普通」の社会に突き立てての話にすぎない。そこにはマーガリンの化学的な性質は当然含まれておらず、「植物性だからマーガリンはヘルシーだ」みたいな科学レベルが低かった時代の残り香すら存在している。マーガリンがなかった時代のことなんて想像もしない。

 昔はマーガリンがなかった。ある人がマーガリンを発明した。植物油を加工して、とても便利なマーガリンが作れるようになった。腐らないし安いし便利なので人々は喜んでそれを使うようになった。ところが、それは人体に有害なものを含んでいることが最近分かった。

 じゃあ、もうマーガリンを使うのをやめるのが普通の考え方だと思う。あるいはトランス脂肪酸がゼロのものを作るか(これは現に売られているようです。もちろん日本では売っていません)。

 だけど「普通にしている分には大丈夫なのに神経質な人は気にしています」みたいな書き込みがあるのはポストモダンの世の中だとは思えない。ニーチェが今現れたら激昂するだろう。
 なぜなら、この「普通にしていれば大丈夫、一部の人が騒いでるだけ」というのは、「状況を変えるのは面倒だから避けたいし、それにみんな一緒だからきっと大丈夫だよ。見なかったことにして安心してようよ」というのに等しいからです。蓄郡の発想ですね(言葉は悪いですが確かニーチェの用語なので使います)。当然、蓄郡は「みんな同じ」が大好きなので、「一部の神経質な人々」のことが大嫌いです。さらに、蓄郡のなかでは「みんな同じ」というのが最優先される価値観なので、意見の論理性には全く拠らず、「一部の神経質な人々」の意見は単にそれが「みんなと違う」というだけで「馬鹿にしても良いもの」となります。だからマイノリティがある閾値を越えるまで大衆は聞く耳を持たない。

 同じことを繰り返すようですが、マーガリンの存在意義を考えるとき、僕達はマーガリンが発明される以前の状態を考慮した方がいい。マーガリンがあって当たり前の世界に立って、それを選択するのはバイアスがかかっている。
 もしも今までマーガリンなんてものがこの世界に存在していなくて、今日僕が目の前で植物油を加工してはじめてマーガリンを作って、それの成分を分析してみたら有害なトランス脂肪酸が10パーセント含まれていました。それをみんなは食べたがるのか、とういうことです。さらに僕が「これを世界に広く販売しよう」と言い出したら普通は止めるのではないか、ということです。
 

tower.

2007-06-11 15:25:45 | Weblog
 久しぶりにロラン・バルトの話が本の中に出てきて、「零度のエクリチュール」について言及されていた。
 エクリチュールというのは、使用者の数だけ意味があるような言葉ですが、もともとはフランス語で”書かれたもの、書法”といった意味合いです。ここでは「選び取られた文体」といった意味合いで僕はこの言葉を使います。たとえば先生っぽい喋り方とか、政治家っぽい喋り方、ヤンキーっぽい喋り方とか色々な「喋り方」があると思いますが、その喋り方です。
 僕達はこの喋り方を自由に選択することができますが、一度選択したあとはその喋り方に自分の思考を縛られることになる。僕が中学生くらいのとき「今日から俺は」という漫画があって、それを友人が愛読していたので僕もいくらか読んだ。それは特に目立たない普通の高校生が急に「今日から俺は不良になってやる」と決心し、髪を金髪にして制服を改造して不良になるところから始まるストーリーです。これが過剰な拡大解釈を許してもらえるならばエクリチュール(話し方)を選ぶということです。
 どのスタイルを選ぶかは自由だけど、一度選んだならばそのスタイルに従わなくてはならない。今まで「私」という一人称を使っていた人が、今日から「私」はやめて「俺」を使うことに決めると、直ちに彼の思考体系は全体が変化せざるを得ません。何故なら「私がそれをやらせていただきます」というのは許されるけれど、「俺がそれをやらせていただきます」という文章は許されないから。

 そして、たいてい全ての言葉は政治家っぽいかヤンキーっぽいかはわからないけれど、何かのスタイルに所属している。真に何者っぽくもない話し方、書き方というものはなかなか見つからない。もちろん、僕達一人一人の話し方だってそうだ。僕は昔「君は探偵みたいな話し方をするね」と指摘されて、そういえばそうかもしれないと初めて自分が採用しているエクリチュールについて自覚的になったけれど、誰もがきっと何かっぽい話し方をしている。

 バルトのいう「零度のエクリチュール」というのは、「何者っぽくもない話し方」のことです。
 バルトは例に「ジャーナリズムの話法」を挙げているけれど、もちろん、これは願望であって現実にはそんなに無垢なジャーナリズムは存在していない。
 他に、カミュの「異邦人」、日本の俳句があがっている。
 異邦人は、昔フランス語のできる友人が「こんなに簡単な文章は他にはない」と言っていたけれど、随分と淡々とした描写が行われている。僕は日本語訳しか読んだことがないし、冒頭の「今日ママンが死んだ」以外はもう何も覚えていませんが。俳句に関してはバルトの東洋に対するたんなる誤解ではないかと思う。

 それでは零度のエクリチュールというのは一体どこにあるのか、そんなものは存在していないのか、という疑問が当然発生します。
 零度のエクリチュールで書かれた文章をどこかで読んだような気がしたので、しばらく考えていて、そして思い至ったのが「辞書の例文」です。

 何日か前の日記に、僕は辞書の例文が好きだ、みたいなことを書きました。それはもしかすると辞書の例文が零度のエクリチュールで書かれているからではないかと思ったのです。辞書の例文というのは、あくまでその単語の使用例を挙げるために作られた文章で、一切のバックグラウンドを持ちません。そこにはときとして豊かな感情描写も含まれますが、それが辞書の例文である以上、含まれる感情や豊かさというものは必然的に乾ききっていて実体を持ちません。

 [その犬はしかられた後、しっぽを後ろ脚の間に挟んでおとなしく歩き去った。]

 この例文から、僕達は犬がとぼとぼ歩く様子を思い浮かべます。ありありと。だけど、そこには何の含みも存在しない。
 とは言うものの、これはすこしずるい考え方かもしれませんね。
 仮にこの文章が絵本の中に置かれているならば、それはもはや零度のエクリチュールだと受け取られなく。つまり文体ではなく、文章の置かれている場所に「無垢かどうか」が依存することになる。僕が辞書の例文を「零度」だと感じるためには僕がそれを辞書の例文だと知っている必要があって、これはすなわち「辞書の例文だから零度に違いない」という偏見のことにすぎないのかもしれない。



2007年6月8日金曜日

 夕方にドラッグストアへ行った帰り、またばったりYちゃんにあった。この1週間の間に3回目だ。いくら家が近いとはいえ、これはちょっと多すぎる。ハムスターを買いにいくところだ、と驚くことを言うので、そのまま一緒にペットショップへ行ってハムスターやハムスターグッズを買って帰った。僕の周囲でこの春からハムスターを飼いはじめた人がこれで3人目。どうなってるんだろう。
 ハムスターって500円くらいで売られているわけですが、毎日の世話だとか餌だとかテナントに占める面積あたりのコストだとかを売値500円でペイできるなんてペットショップというのはどういう構造になっているんだろうと思う。

2007年6月9日土曜日

 夜中にOとKさんとメトロ。
 久しぶりにクラブらしいクラブ音楽を聞いた。
 なぜか分からないけれど、僕は最近全ての音楽が遅く聞こえてしかたない。感じとしてはBPMを1.2倍程度以上にして貰わないと気持ちよく動けない気がする。

2007年6月10日日曜日

 夕方からT君、H、M君、Sちゃん、Mちゃん、Oと京都タワーのビアガーデンへ行く。僕は生まれて初めてビアガーデンというところに行った。少し肌寒い日だったので、ほとんど客はいないだろうと思っていたら意外にも開店前から入り口に並ぶ盛況ぶりで、僕達も行列に並ぶ。
 もっとアダルトな雰囲気で大人ばかりかと思っていたら子供もたくさん居て、屋上で、見上げればそこには京都タワーが聳え立っていて、食べ放題で飲み放題で、ぐるりには例の堤燈がぶら下げられていてとても平和な空間が出来上がっていた。僕は「一度どんなものか見ておくか」程度の心具合で行ったのですが、とても楽しかったです。ハイシーズンにまた行こうと思う。

77.

2007-06-07 16:47:58 | Weblog
 鳥が飛ぶのを見ていた。空を飛べるということが、僕には羨ましくて仕方がなかった。そしてあの程度の翼の羽ばたきで、重力に抗い空を自由自在に飛ぶことができるということがやっぱり信じられないなと思った。だけど、僕はこのときちょっとした勘違いをしていた。鳥は「重力に抗って」飛んでいるわけではない、ということに気が付かなかった。

 鳥は重力に抗っているのではなくて、重力を「利用」して飛んでいる。考えてみれば、鳥にしても、それから飛行機にしても、上昇するための機構は持ち合わせているものの、下降するための機構は持っていない。それは当然で、下降したいのなら単に重力に引かれて落下すればわけだ。特別なことは何もしなくていい。
 さらに、体、あるいは機体のどこに重心をとるかということも大切なことで、これはつまり飛行時に重力と揚力が上手に釣り合う必要性を示唆している。

 だから、この世界から、今この瞬間、重力がなくなってしまえば鳥も飛行機もうまく飛べなくなるはずだ。
 彼らは、重力をうまく利用することで重力から逃れた。まるで合気道の初歩みたいだ。


2007年6月6日水曜日

 夕方にトイレの小窓に付ける網戸を作ろうとニックへ行くとバッタリTに会って、そのままあれこれ言いながら商品を物色していると閉店になって帰る。
 帰りにおうむ亭の前で偶然Yちゃんに会う。ついこの間Yちゃんとおうむ亭の話をしていたところなので、その前で会うなんて話ができ過ぎている。
 部屋に戻ってスチロールとメッシュで網戸を作り窓に嵌める。材が余ったのでついでに向かいの部屋のSちゃんの分も作る。お礼にSちゃんがお菓子をくれて、そのまま暫くしゃべっていると12時になる。
 メトロへ行って少しだけTとお酒を飲んだりして帰る。
 

alpha.

2007-06-06 16:51:37 | Weblog
 先月あったときも原発の話を結構したけれど、友人のゆいちゃんが日記に原発のことを書いているので、良ければ読んでみてください。 http://yui.greenebooks.net/ にあります。

 原子力について調べていて、それで僕は原子力電池が北極海周辺に900個くらいは捨てられているだろうという報告を見つけてびっくりしました。
 原子力電池というのは、その名の通り原子力で発電する電池です。プルトニウムやポロニウムのα崩壊を利用して熱を作ります。とても長持ちするので、その昔は探査機のボイジャーや、怖いところでは心臓のペースメーカー用バッテリーとして人体に埋め込んで使われていました。そういえば30年も昔に打ち上げられたボイジャーはまだ地球に情報を送り続けていると思うけれど、ものすごいことですね。しかも今や太陽から150億キロくらい離れたところにあるらしいです。
 閑話休題。
 もちろん、原子力電池は便利なので、寒冷地でもエネルギー源として重宝された。でも、当然だけど安全とは言い切れないし、今ではそんなに使われていない。使わないならば捨てる、もしくは保管の必要があって、それにはコストがかかるので気が付いたら北極海には900個も捨てられているという状態になったわけです。

 北極圏へアザラシの調査へ出掛けた人の記録を見つけたので、少し引用したいと思う。

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 この小屋の近くに使用済みの原子力電池が放置されていたことである。北海道大学の福田正巳教授は「科学朝日」で、シベリア地方では数多くの使用済み原子力電池が放置されている可能性を指摘していたが、その電池が私たちのすぐそばに捨てられており、電池から1mと3m離れた場所での計測値がそれぞれ8.0・v/hと1.4・v/hを示していたのには驚かされた。現在、約900個が北極海周辺に放置されているとのことで、私たちは否応なしにそのうちの1個と背中合わせで仕事をする羽目になった。幸い、ガイガーカウンターを持参したので危険な場所を避けて行動することにしたのだが、死と隣り合わせの状態でのアザラシの生物調査と環境調査はあまり気分の良いものではなかった。地元の人々は平気でこの原子力電池の廻りを行き来しており、私たちの指摘にもさほど関心を示さなかったのは驚きであった。

(引用終わり)
北極海国際共同研究
「北極海におけるワモンアザラシ生物調査と環境モニタリング調査-フィールドノートから-」(宮崎  信之)
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 これを読んで一番気になるのは多分「地元の人々は平気でこの原子力電池の廻りを行き来しており、私たちの指摘にもさほど関心を示さなかった」という件ではないでしょうか。
 文中「電池から1mと3m離れた場所での計測値がそれぞれ8.0・v/hと1.4・v/hを示していたのには驚かされた」とあり、単位のところが文字化けしていて良く分からないけれど、多分これはSv/hのことで単位時間当たりの被爆量を表していると考えられる。信じがたい値だから何かの間違いかもしれないけれど、本当だとしたらこれは相当に驚くべきことで、例えば僕達が年間に自然界から被爆するのが2.4mSv、レントゲン撮影で被爆するのが0.05mSvだから、文中の原子力電池から1メートルの位置に立っていると、たったの1時間で僕達が1年間に被爆する量の3333倍(単位時間当たりで3000万倍)、レントゲンの16000倍もの放射線を受ける計算になる。本当かな、ちょっと値が大きいので、もしかしたら文字化けのところにはミリが入っていてこれの1000分の1だということもあるかもしれませんね。でも、一文字なのできっとSしか入っていないはずです。
 こんなに沢山の放射線を浴びているにも関わらず、気にしない、というのは致命的だと思う。でも、知らないのなら、放射線は見えないから気にはならないに違いない。彼らには本当はどういうことがこの電池の近くで起こっているのか説明しなくてはならない。

 原子力電池の作動原理はα崩壊を利用したものなので、放射線として出てくるのはα線だ。α線はヘリウムの原子核が高速で飛び出したものだけど、紙一枚で遮断することもできるので人体がそれを浴びても表皮、角質ががエネルギーを吸収するので問題はない。問題が起こるのはα崩壊を起こす放射性物質を体内に吸い込んだときだ。たとえば肺に入れば、その物質周囲の細胞は常にα線に曝されて異常を来たす。
 今、紙一枚の厚さで遮断できるはずのα線がガイガーカウンターで観測されているということは、とりもなおさず原子力電池から放射性物質が漏れているということを意味している。それは簡単に人々の体内に侵入するに違いない。
 現地の人々は通常よりも高い発癌性と隣合せのはずだ。

 原子力に限らず、僕達はたくさんの人口発癌性事項に曝されて生きている。でも、誰もそれをシリアスには考えない。なぜならそれは全部「すこしずつ」であって、いっきにはやってこないから。タバコを1本吸ったら癌になる、というわけではなくて、たくさん何年も吸い続ければの話だから。生き物は一概に小さな変化の連続に弱い。茹でカエルの例え話が昔は多用されたと思うけれど、最近では茂木健一郎さんがテレビで広めた「ゆっくりゆっくり変化し続ける映像」が端的にそれを表している。ゆっくりであっても大きな変化が画面上で起きているのに、それを眺めていて変化を感じ取ることは難しい。最初の画面と、終点の画面を見比べれば一目両全に変化しているのに、過程を追っていくとその変化に気が付かない。癌だって同じことだ。

 さらに、発癌性物質をこの世界に供給している人々にとっても、少しずつというのは都合がいい。もしも誰かが癌になっても、「それがうちの商品によりものである証拠はないですよね。単にタバコの吸いすぎかもしれないですよね」みたいな感じで責任を自分ではないところへ転嫁できる。いたるところに発癌性物質は存在しているので、特定の誰かが責任を追及されることはない。


2007年6月4日月曜日
 夕方から総合資料館でレファレンスの方2人の協力を得て豆塚の資料を探すも見つからず。大正11年、昭和4年の深泥池の地図にも載っていない。その後、深泥池貴船神社へ行ってみたけれど、おばあさんには会えず。

2007年6月5日火曜日
 夕方、大学でI君とキャッチボール。
 夜、OとM会館でキリンカップを見るも面白くない。
 そのあと、Kさんも一緒にメキシコ料理を食べに行く。