カロリーメイトのこと

2016-03-15 23:59:00 | Weblog
 はじめてカロリーメイトを見た時、一体何なのか分からなかった。カチッとスクエアな箱の中から出てきたのは金属質のピチっとしたパッケージ。フィルムの下から現れたのはこれもやけに四角く成形された物体。食べ物だということだったが、このまま食べていいのか何か調理する必要があるのかも分からなかった。恐る恐る一口齧ってみるとパサパサしていて、硬いドライフルーツの舌触りは悪く変な味だった。結局のところは食べてみても食べ物なのかどうか分からなかった。
 カロリーメイト・フルーツ味が発売されたのは1984年(最初のカロリーメイトであるチーズ味が発売されたのは1983年)なので多分この記憶は僕が5歳の時のものだ。曾お爺さんの見舞いで病院に行って、そのロビーみたいなところで食べた気がする。時間帯は夜で、そのロビーみたいなところはやけに暗くて静かだった。誰と一緒だったのか覚えていない。カロリーメイトみたいな当時はまだ新しかった食べ物をいかにも僕に与えそうなのは父親なので、たぶん父親が一緒にいたのだろう。曾お爺さんの病室を訪ねた記憶もない。なんとなくだけど、僕は病室には行かなかった気がする。

 僕はカロリーメイトが好きだ。
 とは言っても毎日食べているわけでもないし、毎日のように食べているわけでもなく、好きだと言っておきながらこう言うのもなんだけど毎日のようには食べないほうがいいだろうなと思っている。
 正確には好きなのはカロリーメイト自体ではなくてそのビジョンとパッケージのデザインだ。
 バランス栄養食という今ではレトロ感すら漂う言葉。サイエンスの力で実現した完全な食べ物というイメージ。
 僕はもともと食事を面倒に思う傾向があるので、パッケージを開けて齧るだけで必要な栄養が摂取できるというイメージは心地良い。この心地良さは半ばオブセッションのようになっていて、自分でもびっくりするくらい昔の話だけど15年くらい前にはカロリーメイトを主題にした「fridge」という短い話も書いた。
 太宰の「令嬢アユ」へのオマージュというほどでもないけれど、もろに影響が出ている。若気の至りというか、もうこんなもったいぶった文体で何かを書くことはないだろうな。
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 『fridge』

 大塚君は、私の友人であるが、本当は大塚という名前ではない。中島龍一郎というのが本名である。しかし、誰も彼の事を中島君、龍一郎君と呼ぶものはなく、あるいは周りの者も彼の正しい氏名が中島龍一郎であるということを既に忘れている様子でさえある。どうして彼が大塚君という、所謂ニックネームを付けられるに至ったのか、それは彼の食生活の所為である。これは実に驚くべきことであるが、なんと大塚君は毎日三食、カロリーメイトのみを食べているようなのである。勿論、私は彼と毎日一緒にいるわけでもなく、別に誰かが毎日見張っているというわけでもないので、本当のところ彼が一体どのような食生活を送っているのか誰にも分かりはしないのであるが、しかし、至って正直者の大塚君がそのように奇妙な嘘を付くとは考え難い。大体、そんな風におかしな嘘が大塚君に何かの利益をもたらすこともないであろう。少なくとも、我々は彼がカロリーメイト以外の食べ物を食べているのを見た事がなかった。故に、我々は彼のことを、カロリーメイトを販売している製薬会社に因み、大塚君と呼ぶようになったのである。
 大学2年の夏に、私はあるイベントで大塚君と初めて話す機会を得た。少しノッポの大塚君は私と同じ大学の学生で同学年、共に一年浪人をしていて年齢も同じであった。意気投合し、私たちは以来友人関係にあるのだが、定食屋にでも行こう、と私が初めて彼を夕飯に誘った時、彼はそれをあまり快く受け入れてはくれなかった。
「僕は、実はカロリーメイト以外の食べ物を食べないことにしている」
 その時、定食屋で大塚君はオレンジジュースを一つ、それを頼むきり、肝心の定食は注文しなかった。もう半年間も彼はカロリーメイト以外の食べ物を食べていないと静かに告白した。毎日を、一日五箱のカロリーメイトで生活しているそうである。
「あれはバランス栄養食だから」
 それは確かかもしれないが、やはり尋常なことではない。私は彼に色々なものが食べたくならないのかと聞いたのだが「いや、ならない、僕は元々食べ物に執着がないのだ、食べるのは、栄養が摂れればそれでいい、僕はもっと他の事に時間と労力を使いたいのだ」と何やら厳粛を語るような表情で彼は断言した。
 大塚君の部屋を訪ねると、先ず冷蔵庫がないことに驚く。21世紀ともなれば一人暮らしの人間は大抵冷蔵庫くらい持っているものである。
「いや」
 と一言神妙に発して、それから大塚君は冷蔵庫の無い理由を語ったが、この「いや」というのは一体何を否定しているのか、私には理解できなかった。
「だって、僕はカロリーメイトしか食べないから、あれは常温で保存できるから冷蔵庫なんて必要ないのだよ。冷蔵庫なんて物は電気も食うし、場所も取るし、碌なものではない。食生活を豊かにすることの弊害に違いないと僕は思うね」
「しかし、君もジュースくらいは飲むだろう。お茶も。飲み物を冷やす場所がないというのは随分不便なものではないのか?」
 大塚君はアパートのすぐ表にある自動販売機で飲み物を購入するようであった。大概は水道の水で済ますので、特に不便を感じる事はないようである。
「どうだ、これは。立派なものだろ。12万円もしたんだぜ。水は生命体の基本だからな。それくらいのお金は仕方が無い。大体、君、考えてもみてくれ。何処に水道の水を送り出すセンターがあるのか知っているか? 僕は知らない。その何処かも分からない、もしかするとかなりの遠方から水道の水は地下のパイプを通ってやってきて、そして、例えばこのようなアパートならば一度屋上のタンクに、それも年に一度くらいしか掃除もしないタンクに溜めて、それを再び管を通じて蛇口の先までもってくるんだぜ、そんなものがキレイだと思うかい? 僕は絶対におかしいと思う。どこかで汚染されるのは必至だよ。だから蛇口にフィルターを取り付けるのは当たり前のことだ」
 大塚君は、料理をしないので全く生活感のない粗末で小さなキッチンに、矢鱈とピカピカして大きく鎮座する浄水器を私に自慢した。特殊な浄水機であらゆる不純物を除去するフィルターが入っているそうだ。
「どうだい、水を一杯」
 大塚君は自慢気に、グラスに水を注いで私にくれた。私は特に喉が渇いていた訳でもなく、どうせならコーヒーか何か嗜好性のあるものを望んでいたのだが、この際致し方ない。その特殊なフィルターを通じたという水を、ゴクリと一口、それから少し水を聞いてみた。味は無かった。うまいだろ、と言われたが、何も味がしないので返答のしようがない。
「うん、確かに良く浄化されているみたいだ」
 私は曖昧に返事をしておいた。

 大塚君がカロリーメイトしか食べなくなった経緯を、私は一度尋ねたことがある。いい加減にイライラとしてきたのである。折角みんなで御飯を食べに行っても、彼は何も食べない。何を食べるのかは個人の勝手であるが、例えば新しく見付けた内装も料理もスタッフも申し分のないような店で、これがおいしい、それもおいしい、と私達が騒ぐ横に座り、大塚君は、ふーんそうなのか僕には関係の無い事だけどね、というような面持ちで水でも飲んでいるのだから、正直な話、私達はいい気がしないのである。友人なので、みんなで何かを食べに行こうというときに誘わない訳にも行かないし、何処かに出掛けた帰り、夕飯を食べに行って締め括りにする事だってある。だが大塚君が来ても、君は何をしに来たのだ、と内心では思ってしまうのである。気を使って、「何か食べればどうだい」といっても、「僕は食べる事には関心がないのだ」と、まるで食事を楽しむ私達を蔑むようなことさえ、たまに言うのである。
 ある日、友人の演劇を見に行く前にカフェでランチをとっていた時、またしても水を飲んでいるだけの大塚君にイライラしながら私は言った。
「そういえば。大塚君はいつからどのようにしてカロリーメイトしか食べなくなったのだい?」
「うん。すこし長い話になるのだけど」
 何も食べないで、やっぱり食事中少しだけ気まずそうな大塚君は、そう言って話し始めた。
「僕だって勿論、生まれてからずっとカロリーメイトしか食べなかった訳ではない。大学一年生の途中までは普通に物を食べていたし、料理だってしていた。アパートの前にある自動販売機ではカロリーメイトが売られていた。今も売っているのだけど。一人でアパートに住んでいると、実家にいた時とは違って部屋に食べ物が無い時は本当に何もない。そこで、ものすごくお腹が空いている時にどうするかといえば、僕はその自動販売機でカロリーメイトを買う訳だ。コンビニやスーパーに行ったり、あるいは定食屋に行ってもいいのだけど、それだとそれなりに服を着替えたり頭を整えたり髭を剃ったりしなくてはならない。もう朝起きてお腹が空いていて着替える気力も無い時なんか、アパートの前の自動販売機というのはとても便利なのだよ。そうするうちに、だんだんとその自動販売機でカロリーメイトを買うのが癖になってきた。楽だ。楽なうえ、すぐに食べる事が出来るし、高くもない。初めはお腹が空いて、それで着替える気力もないという時にだけ買っていたのが、やがてお腹が空いたらすぐに自動販売機に直行するようになって、自動販売機でカロリーメイトを買えばいいのだと思うとあまりスーパーへ買い物に行く気も無くなってきた。当たり前のことだけど、買い物に行かないと部屋には食べ物が無くなるわけで、それを補う為にも、僕はだんだんと、自動販売機でカロリーメイトを一気に5個とか、多い時だと10個も買うようになり、気がついたら1日3食がカロリーメイトになっている日が出始めた。そしてそんな日はだんだんと増えた。流石に不安になって。ほら、やはり栄養の事なんかも気になるからね。いい加減にきちんと普通の食生活をしよう、なんて思っても、カロリーメイトの箱の裏に、一日に必要なビタミンの半分が入っています、などと書いてあるのを読むとなんだか結構安心してしまって、そのうち、カロリーメイトではない食べ物のほうが栄養面で心配になってきて、食べ物はカロリーメイトでないと落ち着かなくなったのだ」
 確かに大塚君のアパートの前には自動販売機があって、飲み物とカロリーメイトが売られていた。部屋を出てすぐの場所で食べ物が買えるというのは魅力的なことに違いないが、いつも同じ物ではすぐに嫌になるのではないだろうか。近くで買えるという便利さよりも、例えばパスタが食べたいとか餃子が食べたいとか、そういった味覚的な意味合いでの食欲の方が勝るものではないのか。私なら少しの労を払ってでも、毎日同じ物を食べるよりかはある程度食べたいものを食べるという生活を選ぶ。大塚君にそんなことをいうと、だから僕には食べ物に対する執着がないのだよ、といつもの返事が返ってきた。

 そんな大塚君に彼女ができた。いや、できそうである。
「どうしよう、好きな人ができた。そして僕らはなかなかいい感じなのだけど、カロリーメイトの事を打ち明けて良いものか、カロリーメイトしか食べないだなんて、我ながら奇人変人もいいところだからな」
 本人はしっかりと理解しているのである。自分の食生活が異常であると。只、改善がもうできない。一種の依存症なのであろう。もう、僕には自分のカロリーメイト生活を自分で止める事が出来ない、病気だ、これは。大塚君は自分でそう言うのである。
「よほど心が打ち解けるまでは言わない方がいいのではないか」
「やっぱり、そうだろうな」
「というよりも、どうだろう、この際普通に物を食べる事にしては。カロリーメイトしか食べない人間というのは、やはり興ざめもいいところだ、それじゃあ、君はデートで食事もしないのか、大体食事というのは人間の生活で根本的なことだから、自分の彼女に食事のことで隠し事を通すなんていうのは至難の技だぜ」
 長い腕を組んで、すこし俯いた大塚君は、紙コップに入った山葡萄のジュースをじっと見つめている。秋が、本当に終わり、軽く吹いた風が冬の匂いを含んでいる。散乱した銀杏の葉が少し舞い上がり、そのいい加減な動きは周囲の景色をより閑散とさせていた。そこら中まばらに落ちている銀杏の葉は、冬の薄曇り空の下、黄金色に見えなくも無かった。この大量の落ち葉が、毎年何処へ消えていくのか私は知らない。誰かが掃除をしている様子も見た事がない。風に吹かれて何処かへ行ってしまうのか。雨に流れて何処かへ行ってしまうのか。何処かとは何処か。今の時間帯、食堂の周囲に人影は少ない。外に置かれたテーブルとイスを利用しているのは私達だけだった。冬のゆっくりとした午後の雰囲気が学校を包んでいる。
「よし。うどんを食おう」
「えっ」
「食べてみる事にする」
 大塚君は立ち上がった。顔は爽やかに笑っていたが、目は決心の目である。食堂の扉を開け、注文のカウンターへ向かう。もう一度、入り口の方へ戻る。トレーを、忘れたようだ。どうやら多少緊張しているらしい。以前に食堂で食べ物を注文してから一年半近くも経つとはいえ、高々、学校の食堂でうどんを注文するだけのことであるが、背後に、彼には普通の食生活を取り戻すという大変な目的がある。それを、どうにか理解して頂きたい。大学の食堂で、何故かおどおどしている大塚君は、何も、おかしくはない。私は、先に席をとって待つ事にした。なるべく端の目立たない席を確保する。大塚君がうどんにチャレンジしてどのような奇行に至ろうとも大丈夫なように配慮したのである。私は心配していたが、しかし、大塚君がこれからどのような振る舞いを見せてくれるのか楽しみであった。毎日毎日カロリーメイトだけを食べていると、どのような味覚になるのだろうか、そして一年半振りにカロリーメイトでないものを食べると人はどのような反応をするのだろうか。実に興味深いことである。
「やあ、御待たせ」
 大塚君が、すこし危なっかしくトレーを持って戻ってきた。湯気の立つうどんの器から、すこしだけ汁をこぼしたようである。トレーが濡れていて、そこからも薄い薄い湯気が登っていた。そして、そのこぼれた液体は何故かとろみを帯びていて茶色であった。匂いが、スパイシーである。大塚君が運んできたのは、よりによってカレーうどんであった。
「えっ。カレーうどん」
「僕はカレーうどんが好きだからね」
 私はてっきり素うどんか、せいぜい、きつねうどん辺りを予想していた。これは一種のリハビリテーションなのであるから、刺激の強いもの、癖のあるものは控えるのが当然ではないか。これでは足の病から回復し、さて歩行訓練を始めようという人間がランニングにチャレンジするようなものである。
「あっ」
 お箸を持ってくるのを忘れたようである。また、席を立った。お箸なんてもうずっと使っていないから、お箸を取って来た大塚君はそう言って、いよいよ食事の始まりである。
「頂きます」
 お箸が、すこし不器用である。持ち方を忘れているのかもしれない。そろりとカレーうどんにお箸を入れた。
「よし、頑張れ」
「うん」
 なかなか、口に入れる決心が付かないようである。じーっと、うどんを見つめている。じれったい。カレーうどんは私も好きなのだ。代わりに食べても良いくらいなのである。そんなにじっと見詰めていてはうどんが伸びてしまう。
「何をそんなに躊躇う事があるのだい。君の好物だろ。それに、つい一年半近く前には普通に食べていたものではないか」
「それは分かっている。実際、僕だって今カレーうどんを食べたいとすら、それも結構強く思っているのだ。ただ、食べると何かが壊れてしまうような気がしているのだよ。長い日々だったからね」
「記録のことかい? あんな物に拘っていてはいけないよ」
 大塚君は、カロリーメイトを毎日5箱食べている。一月に大体150箱である。もうカロリーメイト生活は18ヶ月以上になるので、彼が食べたカロリーメイトの数はなんと2700箱を越える。大塚君は、その連続カロリーメイト摂取記録とでもいうものを何故かとても大切にしているのである。初めは何も気にしていなかったが、だいたい500箱を超えた辺りから記録が気になるようになったのだ、と言っていた。
「そんなもの、大した意味を持たないじゃないか。一体誰に見せるというのだい、特に誇るような記録でもないだろう」
「それは、そうだ。でも世間にはギネスブックというものもあるんだぜ」
「しかしギネスに認定されるには何かしらの証拠が必要じゃないのか。君は何か公式に認められるような証拠を残しているのでもないだろう」
「まあ、そうだ」
 ズズズッと、意外にもあっさり大塚君はカレーうどんを啜った。おいしそうに食べている。まるで普通である。とても、僕はカロリーメイトの生活を止める事が出来ないのだ、と悩んでいたようには見えない。
「ああ、食べてしまった。しかしおいしいね。僕は何を今まで躊躇っていたのかと思うよ。つくづく」
「気持ち悪くなったりはしないのかい」
 大丈夫なようだ、全然、平気なものさ。どんどんと食べる。スープまで飲み干した。
 私はあっけに取られて見ていた。彼はずっと悩んでいたのである。この異常な食生活を一体どうしようかと。それが、あっさり。今、私の前で平気な顔をしてカレーうどんを食べ終えた。普通の人よりも食べるのが早いくらいである。どうにも合点がいかない。やはり、怪しい。実は、私は彼のことを疑っていたのである。この一年の付き合いで、私は大塚君が大変誠実な人物であることを確信した。約束を破る事もない。待ち合わせには私の方が必ず遅れる。雪の日でも雨の日でも、彼は大抵10分も前に来ているのである。信頼して頼みごとを任せる事が出来る。どちらかといえば私がいつも彼に迷惑を掛けている。
 しかし、一つだけどうにも納得のいかない点があった。それは彼が、カロリーメイトしか食べないと主張することである。勿論、彼にとってこの嘘が何かの利益になるとは考え難い。しかし、本当にカロリーメイトばかりの食事で生活できるのだろうか。いくらバランス栄養食であっても、そんなに毎日毎日同じ物を食べるのはきっと体にも、そして精神にも悪いに違いない。でも大塚君はとても元気で健康的であった。何か附に落ちないのである。確かに彼は冷蔵庫を持っていない、部屋で他のものを食べている形跡はない。私達の前では絶対にいつもカロリーメイトを食べている。だが、全てが彼の芝居に過ぎないのではないかと時々思う。冷蔵庫はなくても生活できるし、部屋で他のものを食べても私達が行くまでにキレイに掃除をすれば良い。つこうと思えばつける嘘である。だが、私達は大塚君にそれを言う事ができなかった。君の、カロリーメイトしか食べないという話、あれはでっちあげだろう。人のいい大塚君に、そんなこと言えるものではない。もしかすると一種の精神病である可能性も考えた。虚言癖、あるいは自分が他のものも食べているのに本当にカロリーメイトしか食べていないと思い込んでいるのかもしれない。黙って一年間、彼がカロリーメイトを食べる度に、そして、僕の食生活はどうしたら元に戻るんだろうと嘆くのを聞く度に、大塚君それは本当なのか、と彼に聞きたくなるのを抑えてきた。しかし、もう限界だ。あまりにも普通にうどんを食べ過ぎるではないか。しかも、カレーうどんを。今、私が疑いを述べれば、彼の事を一年間も疑惑の目で見ながら友人関係を保ってきたことがばれる。もしも本当に大塚君がカロリーメイトしか食べていないのなら、彼は真実を話していたにも関わらず自分が疑われていたという事実に傷を負うだろう。そんな疑いの目で自分を見詰めてきた私達を友達だと素直に信じた自分をすら呪うかもしれない。もしも全てが嘘ならば、彼は一年間も突き通した嘘を処理できないで、やはり大変困惑するであろう。どちらにしろ私と大塚君の関係に大きな波紋が生じることは確かである。だが、もう言わない訳にはいかない。
「なんだ、普通に食べられるじゃないか。実はカロリーメイトしか食べないというのは嘘だったりしてね」
 私は冗談めかして言ったのであるが、大塚君の表情は凍り付いた。
「そんなわけないじゃないか。僕はそろそろ帰る」
 それだけ言うと、彼はもう私の方をちらりとも見ず。いそいそとトレーと器を片づけて食堂を出ていった。私はどうしていいのか判断しかねた。声を掛ける事が出来なかったし、追いかける事もできなかった。大塚君の反応はあまりにもあまりにもであった。怪しい、やはりカロリーメイトの話は嘘だったのだ、ともとれるし、繊細な彼は私の発言に単純に傷ついたのだ、ともとれる。どちらが真実かはわからないが、少なくとも私が彼にとても不愉快な思いをさせてしまったことは疑い様がない。時々、何気ない自分の一言で人をすこぶる傷付けてしまう事がある。あるいは怒らせてしまう。そんな時自分の軽率な発言を心の底から悔やむ。その一言を発する寸前まで、全ては上手くいっていたのだ。たったの一言。それが全てを壊す。言葉は強力である。そして時々強烈である。言葉は呪いなのだと誰かが言っていたが、私はそれを本当だと思う。
 昔、高校で化学を教えて下さった先生が授業中にこんな事を言った。
「人間というのは色々な方法で分類できるけれど、でも僕はこんな分類を考えている。それは、入れる事に満足感を覚える人、出す事に満足感を覚える人、という分類だ。つまり、尾篭な話だけど、食べるのが好きか、うんこをするのが好きかということだ。僕はどっちかというと食べる時よりもうんこが気持ち良く出た時に満足感を覚える。みんなはどう?」
 なんということのない雑談であった。軽い笑いをとるためのものである。しかし、私の脳裏にその話は焼き付いてしまった。食べることと出す事、どちらにより強い満足感を覚えますか。私はそのときフロイトの精神分析を思い浮かべた。フロイトの発達段階理論には幼児性愛という考え方があり、その中には確か口唇期と肛門期というものが存在していた。特に幼児期、口にものを運ぶことや排泄は性的な意味合いも帯びているとされている。初めてフロイトの精神分析を知ったとき、あらゆることをセックスに結びつけて考える変なおっさんだと思った。今でもそう思っているが、彼の理論はそれほど間違ってはいないような気もしている。もしもこの世に恋や性愛が存在していなければ、我々の文明は如何に貧弱なものだっただろうか。異性が存在しないと仮定して、それでもあなたは胸に抱いている志や夢を遂げようと努力を行うであろうか。それから先生の問いに対する答えとして、私は出す方ではないだろうかとぼんやり思った。以来、私はトイレに入る度に何故かこの話を思い出してしまう。まさか当の先生もこの話をずっと覚えている人間がいるとは思っていらっしゃらないであろう。御自分でもそんな話をしたことすら忘れていらっしゃるかもしれない。もう、あれから何年も経つのだ。その間、当たり前であるが私はトイレにほとんど毎日行った。そしてその度に、つまりほとんど毎日、この話やフロイト、化学の先生だとか教室の状景を思い出すのである。これは異常な事だ。一種の呪いだと言っても過言でない。呪いというのはそういう意味だ。言葉は人の心に残り影響を与えつづけることができるのである。
 このカレーうどんの件で、私は大塚君に呪いを掛けてしまったかもしれない。彼はいたく傷つき、この先カレーうどんを見る度に今日のことを思い出して不愉快な思いをするかもしれないのである。ひどく心が重たくなった。

 丁度、一週間後に大塚君からメールが届いた。

 冬の気配が、いよいよ迫ってきました。このところ雨が続いていて、心まで冷え冷えしそうです。
 下手な挨拶は要らないか。
 先日は失礼した。僕は君にカロリーメイトのことが嘘だろうと言われて動揺したのです。
 実に申し訳ない。僕は、全てが嘘であったことをここに告白します。カロリーメイトを食べるのは、君や、それだとか今西だとか柴田だとか、そういった知人の前か、外で何かを食べる時だけ念の為にそうしていました。一体何の為だ、と君は思うでしょう。理由は至ってちっぽけなものです。僕は人の気を引く為にカロリーメイトしか食べない変人を装っていたのです。僕は自分に全く、人間としての自信が無いのです。僕と関わってくれる人々になんらかの満足感や喜びを提供する事が僕には不可能に思われます。詰まらない、普通以下の人間です。君のようにギターも弾けません。今西のように頭も切れません。柴田のように絵も描けません。僕は本当に下らないし、従って、知り合いも限られています。誰かと知り合いになるチャンスを得ても、うまく話す事ができません。僕はこれまでになんの変哲も無い人生を送ってきて、人に話すべきことを何も持っていないからです。自己紹介すら満足にできません。名前、年齢、住所、学校。これでお終いです。後は話すべき事を何も持っていません。趣味も特に思い付かない。好きなことも思い付かない。君のように音楽にも詳しくない。僕というのが一体どのような存在なのか、それを示すような話題が何一つ僕にはないのです。単なる一般的な消費者の一人に過ぎないのです。君のような、自分自身の視点で人生を楽しんでいる人と友達になれたのは奇跡でした。君と僕が同じ学校だったのが幸いでした。本当に下らない話題ですが、学校の本屋に何故サッカーの雑誌はないのか、リクエストボックスに投書を入れればいいのだけど面倒だ、誰か投書をしないだろうか、だってサッカーファンなんて沢山いるんだから僕らの他にもサッカーの雑誌を読みたいやつは沢山いる筈だぜ、という会話から始めて、僕らは仲良くなる事ができました。もしも僕らが同じ学校の学生ではなく、学校の話題で話を進める事ができなかったとしたら、あるいはサッカーのファンでなければ、僕は初めて君に会ったあの日に、確か大木さんのハウスのイベントだったとおもいますが、実は僕はカロリーメイトしか食べないのだ、と神妙に語ったと思います。それは僕が2年くらい前に開発した嘘です。人との話題に困った時、沈黙に耐えられない時、僕はその嘘を使う事にしていました。初めてその嘘を使ったのは、2年前の夏ソリッドソリッズのライブに一人で行ったときです。入場待ちで並んでいたとき、僕の前に並んでいた、髪を赤く染めて、いかにもロックが好きです、という格好の女の子に話し掛けられた時で、僕はファンのくせにあまりソリッドソリッズのことも詳しくはないし、ソリッドソリッズの話題は避けようと思い、たまたまカロリーメイトを食べた直後だったので、とっさに、カロリーメイトしか食べない事にしている、と言ってしまったのです。はっきり言ってカロリーメイトしか食べない人間は異常だし、どちらかというと魅力が無いと思います。避けられてもおかしくないと思います。でも、彼女は僕の話に興味を示してくれました。僕は食には興味が無い。栄養が摂れればそれでいい。本当は食べるのは面倒だけど、食べないと死ぬから、仕方なく食べている。僕は適当な言葉を並べ立てました。口にしてみると、それらの台詞は意外と格好いいように思えました。嘘は流暢に出てきて、以来、僕は同じ嘘を沢山の人に繰り返しています。沢山の人に同じ嘘を言っているうちに、自分でも嘘だけれどまるで本当のことのようにも思えてきました。そして、君にも同じ嘘をつきました。重ねて申し訳無く思います。僕の空っぽさ加減が君にばれる前に、何かで気をひいておきたかったのです。嘘を本当らしくするために冷蔵庫も捨てました。とても不便になりましたが嘘の為に耐えました。部屋にはカロリーメイト以外の食べ物の痕跡を残さないように心がけました。部屋でコンビニの弁当なんかを食べているとき、今、誰かがやってきたらどうしようかと、いつもビクビクしながら御飯を食べていました。自分の部屋でビクビクしながら御飯を食べるというのもおかしな話です。君たちが部屋に来るといった時は、とても念入りに部屋を掃除しました。来るとは言わないでも、いつ急に来ると言い出すか分からないので、毎日それなりの掃除はしていました。大変に神経をすり減らす生活でした。本当は、君たちと食堂にでも入れば、僕だってトンカツ定食でも頼みたかったのです。ぐっと我慢していました。涼しい顔をしてカロリーメイトを食べるように心がけました。一人で何処かへ出掛けても、君たちや嘘を言った他の人々にみつかるかもしれないと思い、なるべく飲食店には入りませんでした。カロリーメイトを食べました。いつもビクビクしていました。それに本当は嘘がばれているのではないかと、いつも心配でした。しかし、もう少なくともその心配はしなくてもいいのです。君には本当に申し訳が無いと思っています。本当に、重ねて、申し訳ありません。もう、恥かしくて顔を見せる事もできませんが、嘘をつき続けるという重圧からは開放されたので少しだけ気楽になりました。それでは御元気で。今までありがとう。

                         中島・オオツカ・龍一郎
                                       」


 あれから半年、大塚君はもういない。
 私は友人達とアジア料理の店で遅目の夕飯をとっている。なんとなく、このまま閉店まで居座るような様子である。申し分のない、丁寧にデザインされた内装と、気持ちのいいスタッフと、とてもおいしい料理の店。私達の他にカップルや会社の同僚らしきグループや学生らしきグループがいて、会社員のグループは何かの愚痴や文句を話しているようであったが、それでも幸せそうに笑っていた。例えば、私が自分の夢を叶える事が出来なくても、週に一度でいいから、気の知れた人もそうでない人も、色々な人達と飲んだり食べたりできれば、人生はそれで本当に幸せに違いないと思った。商売というのはとても素晴らしいものだ。商売に乗せられる、つまりお金儲けのネタにされるのは気分のいいものではないが、しかし、この世に商売が存在しなければ世界はどんなに暗くて冷たいものになるのだろう。商売は世界を彩っている。このお店も、あのお店も。様々なお店が存在するこの世界に私は心から感謝している。
「おい、ナシゴレンも頼もう、それから芋焼酎だ、柴田、どけ」
 中島龍一郎が生春巻きをほうばりながら、前から里香ちゃんに気があり、今日は隣に座って、せっかく二人の世界を形成しつつある柴田を押しのけて言った。いつも寡黙な上杉君はやはり静かにスコッチを舐めていて、今西やキミちゃんの話を聞いて曖昧な相槌を打っていた。中島龍一郎は既に顔が真っ赤で、ひょっとこのような表情をしている。随分酔っ払っているようだ。最近、彼女に振られたらしい。(終わり)






シーン32

2016-01-23 00:00:53 | Weblog
 高畠は若い頃ニューヨークの大学に2年間留学していたらしい。美雪のような田舎の中学生にとってニューヨークというのは世界最先端のオシャレで遠い街というイメージしかなかった。ただ、高畠は最先端でもオシャレでもなく、安物の白いポロシャツと紺のスラックスを履いた田舎の中年英語教師で、映画で見るような流暢な英語を話すわけでもなく田舎の中学生でも分かるくらいに発音が悪かった。
「自己紹介のときに、日本から来ましたというのは、分かるよな、さっき勉強したフロムを使って、アイ アム フロム ジャパンだな」
 ジャパン? どうして日本じゃなくてジャパンなのだろうと美雪は思い、挙手の上発言した。
「ジャパンじゃなくて、I'm from Nihon.とかNipponでは駄目ですか?」
「えっ、だってそれじゃあ日本語でしょ。ニホンとかニッポンって日本語だから。日本のことを英語でジャパンっていうんだよ」
 大丈夫、中野ちゃん?と高畑はおどけた調子で付け加え。クラスの数名がクスクスと笑った。
「日本のことを英語でジャパンというのは知っています。そんなのは誰でも知っています。私が質問しているのはそういうことではなくて、どうして日本人である私達自身が日本と呼んでいる国のことをわざわざ外国人が勝手に呼んでいる呼び方で紹介しなくてはならないのかということです。たとえば私の名前は中野美雪なので、誰が何と言おうと私は自分のことを紹介するときに、私は中野美雪です、と言います。誰かが勝手に私のことをリサ・ランドールと呼んでいるからといって、私はリサ・ランドールです、とはいいません。そういうことです」
 おー言われてみればそうだとか、また美雪が変なことを言い出したとか教室が少しざわついた。それで通じるんだったらいいけど、通じないから、向こうの人にも分かるように言わないと。高畠は笑いながら言った。
「いっつも言ってるけど、コミュニケーションは優しさ。オッケー? 分かるように言ってあげないと。みんな何の為に英語の勉強してるの?受験?受験だけ? 英語でいろんな国の人と話す為でしょ。これからは英語の時代だから。そしたら分かるように言ってあげないと。オッケー? 優しさだぞ」
 "や・さ・し・さ"と高畑が大きく頭を上下させ、それに合わせて一音一音区切って大袈裟に言ったので、教室は再び軽い笑いに包まれた。しかし美雪は笑わなかった。これは本当は優しさなんかではなくて別の何かもっと屈辱的なもののような気がした。それにコミュニケーションを強調する割には高畑に英語でのコミュニケーション能力があると思えなかったし、いつも何か大事なことを誤魔化されているような気がしていた。高畑が生徒の前でおどけた態度を取るのは自身の無能を悟られないためではないかとも思えた。
 高畠のコミュニケーション能力は、2ヶ月後に転校生がやって来て判明した。転校生は佐々木香織という女の子で、両親ともに日本人だがサンフランシスコで生まれてニューヨークで育ったバイリンガルだった。佐々木香織は、私は英語のネイティブ話者なので英語の授業を受ける必要はないと高畑に繰り返して二度言った。英語で言ったところ高畠には理解不可能な様子だったので日本語で言い直したのだ。何かが完全におかしいと美雪は思った。高畑は、ここは日本で僕達は二人共日本人なんだから日本語でいいのにというようなことをおどけた調子で言った。
「日本人同士なのに急に英語で話すからびっくりしちゃったよ本当にもう佐々木ちゃん」
「英語の先生だということでリラックスしてつい英語で話しました。英語の方が私には自然なので。あと佐々木ちゃんというのは佐々木さんの間違いではないですか?日本語はそれほど詳しくもないですけれど」
「佐々木ちゃんというのはね、佐々木さんっていうのを親しみ込めて呼んだらそうなるんだよ」
「私はあなたとは親しくないので親しそうに呼ぶのはやめて頂けますか、それから授業についてですが受けないということでいいでしょうか」
「うーん、それはねえ、日本では中学校は義務教育でそういうことはできない。受けてもらわないと困る」
「日本で中学校が義務教育なのは私も知っています。そういう誰でも知っていることを聞いているわけではなくて義務教育の中にもこういった場合への配慮はあるんじゃないですかというのが質問です」
「うーん、ちょっと日本ではそういうのできないねえ。それに英語が話せるかどうかというのが授業の目的ではないからねえ」
 佐々木香織は1週間英語の授業に出席して、その翌週から学校には来なくなった。どこかの私立に転校したという噂だった。
 さらにその翌週、中野美雪は登校を止めた。

just qu-it

2015-12-04 12:32:21 | Weblog
 金曜日の夜に仕事が早く終わったのだが、村野は嬉しいともなんとも思わなかった。先週末は嬉しかった気がする。先週は楽しい予定があって、今週はそういうものがないというわけではない。先週も今週も忙しすぎない程度に適度な予定が入っていて、それらは全部遊びで楽しいはずのもので好んで自分から入れた予定のはずだった。嬉しさや高揚感がない理由はわかっている。秋津美紀という女のせいだ。秋津は40代の半ばで独身で外資系証券のトレーダーだと自分では言っていたが一度会っただけなので本当は何者なのか分からない。
 村野が秋津美紀という女にあったのは2日前の午後で仕事の帰りに恵比寿のバーで飲んでいた時だ。

 秋津は最初に、あなたは何が好きで、何をしている時が一番嬉しいのか、というようなことを聞いてきた。村野は最近凝っているコーヒーやカメラやパンのことを喋った。週末に、少し遠出して有名なカフェでコーヒーを飲んだり、小さいけれど有名なパン屋でパンを買ったりして、その過程で気になったものや風景の写真を一眼レフのニコンのデジタルカメラで撮るのが最近は好きでほとんど毎週末どこかに出かけてパンとコーヒーとカメラで過ごしていると言った。コーヒー豆の産地や種類にも随分と詳しくなったし、家にはアンティークのコーヒーミルもドリップ用の器具もそれなりにこだわって揃えていて、次はサイフォンを買う予定で、パンはやっぱり天然酵母のものが食べた時に体が喜んでいるような感じがして好きなんですと、村野は秋津美紀に丁寧に話した。村野にとってそれらはやや誇らしいことだったが、秋津の反応は批判的だった。例えばあなたはどこでもいいのだけどタヒチとかニューヨークとかドバイとかへ遊びに行くことはあるのかしら、どこでもいいのだけれどそれなりの休暇とお金がないと行けないようなところへ。毎週郊外のカフェだかパン屋さんだかへ行くのが好きとのことだけど。ハワイに一ヶ月遊びに行くのと郊外のカフェはどっちがより魅力的かしら。小さいけれど有名なお店の天然酵母のパンというのと、一流のフレンチとか懐石とかとどちらが好き? あなたの好きなことというのは、別に一番好きなことではなくて自分のできる範囲がごくごく限定的で、その中で仕方なくしていることの中ではまあ好きというだけのことよね。それで本当に満足なの?私が今10億をあなたに上げたとして、それでも今週末あなたはその郊外のカフェへ写真を撮りながら向かうのかしら。それともパリへでも飛ぶ?
「それは違う話です」と村野は声を荒げた。「できる範囲で楽しみを探すのは当然のことじゃないですか。あなたはもしかしたらお金持ちかもしれないけれど、失礼ですよ。金持ちの傲慢みたいな発言だと取られても仕方ないもの言いですよ」
「金持ちの傲慢だと取られても仕方ないじゃなくて、私はお金持ちでまさに金持ちの傲慢を言っているの。だけど金持ちの傲慢にもそれなりに理屈はあるのよ」秋津美紀はそう言ってカウンターに置いてあったマルボロを一本箱から取り出しライターで火をつけた。マルボロは何の変哲も無いどこにでも売っているメンソールで、ライターもどこにでもありそうなプラスチックの100円ライターだった。だがこの嫌な女は本当に金持ちなのだろうと村野は思う。金の匂いをさせているわけではないが、この社会で起こるほとんどのことに対してはダメージなく切り抜けられるという自信と安心感のようなものが秋津からは感じられた。それはある程度のコネクションと十分な蓄えがあるということを意味している。
「あなたは平日ボロ雑巾のようにこき使われてそれでもこの仕事は好きで始めたはずだし社会的にも意味があるはずだと信じ込むように努めていて、十分なお金と十分な休暇がない言い訳に”日常の中のささやかだが大切な喜びを見出すことが幸福なのだ”とコーヒーミルとかカメラとか買ってるのよ。並んで有名店のスイーツだって買ってるのかもしれないわね。それでこんなに豊かで安全な国に住んでいて不満なのがおかしいと呪文みたいに繰り返し唱えて生活しているんでしょ」
「勝手なことを言わないでください。初対面で何がわかるっていうんですか?」
「それがわかるのよ。悪いけれど、あのね、あなたみたいな詰まらない男を掃いて棄てるほど見てきたのよ、今まで」
「あなたと違って僕にはそれほどのお金はないかもしれないけれど、その中で楽しみや満足を探して何が悪いっていうんですか。だいたい幸福とか満足というのは人と比べてどうこういうものではないです。人は人で自分は自分です。そういう誰かと自分を比べて満足感を得たりするのは間違いですよ。社会的な病理じゃないですかそれこそ。自分の幸福は自分で決めます。そして僕は郊外のカフェとパンで十分幸福です」
「まあいくらあなたでもぶどうは酸っぱいという話を知っているとは思うけれど。あなたがそうやってぶどうは酸っぱいって言っているうちに死ぬほどエキサイティングな仕事をして死ぬほど綺麗な景色を見ながら死ぬほど美味しいものを食べている人たちがいるのは別に何とも思わないの?」
「だから人と比べることは間違っているって言ってるじゃないですか。世の中が不公平なのは仕方のないことです。いつだって世の中はずっと昔から不公平で一部の人たちが特権的な階級にいるのは仕方ないんです。もちろん格差は良くないと思いますが」
 しまった、余計なことを言った。格差は今の文脈では関係がない。村野はそう思ったが秋津はすでにこいつは単なる退屈な腰抜けではなくてバカなのだという表情を浮かべていた。
「あなたはバカなのね」

 どうしてあの時俺は格差なんて思ってもいない言葉を口にしたのだろうか。秋津という女はバカなのねと言ってから一切口を利かなくなった。村野が話しかければ返答はしたのかもしれないが、もうあなたとは会話するつもりがないという完全な意思表示が体全体で隙間なく形成されていて、3分後に彼女は挨拶もせずに帰った。格差という言葉を口にしてしまったのは、お金があるとかないとか、公平だとか不公平だとかいう話をしているときには「格差」という言葉を持ち出すことが今の社会では常識として浸透しているからだ。挨拶のあとに今日は寒いですねとかいうのと同じだ。いやもっと悪い。不公平のあとに格差という言葉を使えばまるで何か社会的なことを思考しているような気分なるのだが、そんなものは思考でもなんでもなくて条件反射にすぎない。つまり思考ではなくてヨダレだ。秋津美樹は俺がベルの音でヨダレを垂れ流すのを見てバカだと言って帰ったのだ。当然か。村野にもそれくらいのことは分かった。マスメディアに条件反射を叩きこまれないように、それなりに注意しているつもりだった。格差という言葉を口にした直後からすでに自分に愕然としていた。
 明日は宇都宮にある天然酵母のパン屋まで行くつもりだった。「手間暇掛けてヒトツヒトツ焼いている」というそのパン屋にはイタリアンのレストランが併設されていて、お腹の具合によってはそこで食事をしてもいいと思っていた。2ヶ月前にコーヒーの豆と淹れ方による味の違いを体験するワークショップで知り合ったナミちゃんという女の子と一緒に行くことになっていて、ナミちゃんは今日の昼に「村野君の影響でわたしもついに一眼のカメラ買っちゃった!明日もってく!」というラインを送ってきていたのだが、そういえば村野はまだ返信をしていなかった。「実は僕も新しいフィルター買ったから明日持っていくよ。試すの楽しみ」 本当に楽しみだろうかとスマートフォンの画面に親指を滑らせながら村野は思った。フリック入力ってこんなに面倒だったっけな。あの秋津という女はフリック入力で誰かにメッセージを送ったりするのだろうか。俺は明日天然酵母のパンを齧りながらナミちゃんに向かって得意気に偏光フィルターの使い方を説明するのだろうか。ナミちゃんは新しい一眼レフのデジタルカメラで一体何の写真を撮るつもりだろうか。村野は書いたメッセージを消して書き直した「今日の午後からなんとなくおかしいとは思っていたんだけど、風邪みたいで、これから帰ったら寝るよ、熱もありそうだし。。。明日楽しみだったのに行けないかも。。。」
 送信ボタンを押して、村野は呟いた。「グッドバイ」

広告化社会の繁殖する柔らかな文体

2015-10-27 15:54:56 | Weblog
 生ぬるく柔らかな文体がネットの発展と広告のより深い浸透に伴い廃屋のカビのように繁殖している。
 その文体で書かれた文章を絶対に読みたくはないのだが、不思議なことにとても疲れているときにはその文体で書かれたテキストを読んでしまう。たぶん何も考えなくていいからだ。村上龍がどこかに精神が限界のときには懐石しか食べれないと書いていた。懐石はすべて柔らかく調理されていて、小さく加工されていて優しい。味にはバラエティがあるが、強いスパイスが効いていたり異常なボリュームがあってなにかと戦うように食べる必要もないしナイフで切ったりスプーンに持ち替えたりする必要もない。ただ箸で食べやすく盛られた料理を口に運んで抵抗もなくそれらを噛み砕いで飲み込めばいい。
 懐石料理の悪口をいうつもりではない。懐石料理は素晴らしいが、懐石料理しか食べることのできない人間はどこか病んでいて弱っているのではないかという話だ。反対に懐石だけを食べて育った人間がいれば、きっとその人間は硬い肉や大きな野菜の塊なんかを食べたことのある人間よりもずっと弱くなってしまうのではないだろうか。

 ネットを中心としてその柔らかな文体が異常に繁殖し、僕たちは知らない間に懐石ばかり読むようになっている。
 柔らかな文体は主に若者向けに何かを紹介する記事に使われている。つまり広告のような記事というか、記事のような広告に。
 ナウいけれどみなさんと同じ等身大の僕ワタシという体で毎日毎日何かが無数に紹介されていく。

 そんなことを言われても、漠然としていて何かよくわかりませんよね。
 なのでちょっと例を挙げてみようかと思います。具体的に例を挙げると、「これは例のあれだ!」とみなさんも納得して頂けるのでは。
 著者の主張によると、どうやらその柔らかい文体というのは「ギズモード」や「たびらぼ」なんかのバイラルメディアでよく使われているそうなんです。うーん、バイラルメディアは大好物なので身につまされます。。。スキマ時間だけではなく結局気づいたら毎日長時間読んでいるという人も多いのでは。たしかに柔らかなぼやっとした文体だと言われてみればそうかもしれませんね。べつにそういう文章をたくさん読んだからといって何か悪いことがあるとの研究結果がでているわけではないようなので過度の心配は禁物ですが、たしかにぼんやりした文章ばかり毎日読んでいるのは不安にもなりますね。ちょっと頑張って難しそうな本にでも、たまにはチャレンジするのかいいのかもしれません。僕も帰ったらドストエフスキーを引っ張りだしてみようかと思います。

 というようなのが等身大の「僕ワタシ的懐石文体」で、これについてだけ書くつもりだったのだがついでに「ちょっと頑張る俺ワタシ」スタイルについても紹介しておきたい。

 「関連するものを、ひとつプラスする」という選択。
 もう十分なのかもしれませんが、それでもさらにもう一つ加えることにしているんです。そうして一つ余分にプラスするには、日頃の準備が必要になってくるので自然と情報収集のアンテナが磨かれますね。もちろん、いつもいつも何かをプラスする必要もないですし、プラスすることを考えない人達のことを否定しているわけではありません。スタイルは人それぞれですし、実際にはわたしもプラスすることが難しいときは諦めて気持ちを切り替えます。無理はしないでなるべく自然体でいたいからです。でも、できればあと一つプラスしたいという日頃の心構えがステップアップにつながっていくのかなとも感じています。

 自分で書いていて虫酸が走るのだが、インターネットの「コンテンツ」がこういう文章だと吐き気がするので内容の如何にかかわらずなるべく読まないことにしている。「等身大の僕ワタシ文体」「ちょっと頑張る俺ワタシ文体」がネットに溢れているのはいうまでもなくネットの情報で目に付くものの大半が広告宣伝だからだ。「等身大の僕ワタシ」はマスに寄り添うためで、「ちょっと頑張る俺ワタシ」はマスの欲望を点火するため。ネット以前、世の中の「文章」は広告ではないものが多かったが、ネット以後の社会では広告として書かれた文章が指数関数的に増加している。思考の根幹でもある言語が広告に汚染されることは僕たちの生活に大きな影響を与えるようになるのではないかと思う。

狭い世界の外側の無数の専門的な広さ

2015-08-31 22:16:33 | Weblog
 パクリ問題で盛り上がるネットを見ていて、僕はコーヒーマニアのことを批判していた自分のことを恥じた。

 まず、僕が持っていたコーヒーマニアに対する批判がどういったものなのか説明しておくと、だいたいは「本当はもっと別のことをしたいのに、それをするのが怖いから本当のところは別にどうでもいいコーヒーに拘って誤魔化している」というものだった。
 コーヒーに凝るのは手軽だし、それに多少は高尚な気もしなくはないし、オシャレな気がしなくもないし、日常における「隙間時間」を利用した「癒し」になり得るし、ドミナントな飲み物で大勢の人間との共通言語にも成り得る。なんだかそれはそれで悪くない気がして、別に本当は缶コーヒーでもいいくらいなのに、辞めたいと言いながらもう4年以上働いている会社のこととか、長期休暇なんて望めなくて1年くらいの旅に出たくて仕方ないのに行けないこととか、そういうことを誤魔化す為にコーヒーミルを買ってみて私はコーヒーが好きなのだと自分に言い聞かせて、人には蘊蓄を聞かせているのだと思っていた。

 消費者としてのコーヒーマニアについてだけではなくて、お店についても否定的だった。有名な珈琲店に何件か行って高いコーヒーを飲んでみて、確かに変わった味だがコーヒーはまあコーヒーだなとしか思えなくて、そんなに違わないのに自分たちに付加価値をつける為にあれこれコーヒー豆の焙煎の仕方とかドリップの仕方とかについて拘りがあるようなフリをしているのではないだろうかと思っていた。

 コーヒーという飲み物は世界中で恐ろしく大量に飲まれていて、エナジードリンクとかヒロポンみたいに疲れてもう本当は休みたいのに休むことが許されていないときに飲むものでもあって、何かに追われて疲れ果てている人が眠い頭を働かせる為に仕方なくカフェインの投入を行っているのに豊かな香りとか寛ぎとかそういうものにうっすらと覆われていてまるでただ嗜好品として好きだからコーヒーを飲んでいるような気分にもなりやすくて、その巧妙なすり替えみたいなものがなんとなく嫌だった。現代社会という壊れかけの巨大な機械はカフェインの注入によって各部品に異常な負担を掛けながら動いている。そして強い国がカフェインを手に入れる為に弱い国では弱い人たちがこきつかわれて死んでいく。
 平和でリラックスしたイメージに包まれた、人々をこき使って作られた、人々をこき使う為の飲み物。
 デストピア映画なんかでよく人々が自らすすんで感情を消す薬を飲むように、それと同じように僕たちは好んでコーヒーを飲んでいるんじゃないかという気もして、そんな考えのせいでコーヒーというものに対して斜に構えずにはいられなかったのかもしれない。

 オリンピックエンブレムについて、ネット上でたくさんの素人が専門家やデザイナーの意見を「偉そうにしたいだけでしょ、素人でもダサいってわかるw」みたいな感じであしらっているのを見て、僕はコーヒーマニアに対して同じことをしていたのかもしれないなと思った。
 コーヒーマニアやコーヒーに詳しい人がコーヒーを飲むとき、感じている味はもしかすると僕の感じているそれと同じなのかもしれない。でも、その味の背後に広がる世界の広さには決定的な差がある。僕のそれは彼らのそれに比して圧倒的に狭いのだと思う。僕はコーヒーに関して素人で、その世界の広がりを知らない。

 現代社会には「素人のピュアな意見は専門家の凝り固まった意見より正しい」「自分基準の好き嫌いがイチバン正しい!」という考え方がかなり浸透していて、かつグラフィックデザインはパッと一目で目に見えるので素人が得意げに意見を表明しやすい。偏微分方程式を解かなくても、不規則な動詞の活用を何十個と暗記しなくてもオリンピックエンブレムは目に見える。本当は知識や経験や技術がないと見えない部分がたくさんあるのだが、そういう部分があるということを認めない人はたくさんいて、彼らは「素人にもぱっと見てわかるのか良いデザインだから、専門家にしかわからないようなのはダメ」と、もっともらしい詭弁を口にする。

 ほとんどトートロジーなくらい当たり前のことだが、ある専門分野においては素人は専門家に劣る。素人が「素人にも分かるように説明できないのはダメ」ともっともらしいルサンチマンを振りかざしても、素人が専門分野のことを理解することはできない。「素人さんの新鮮な意見が大事」とかいうリップサービスが、人々の自分は無能ではないと思いたいという欲求に合致して、さらにマスメディアやインターネットがそれをブーストした所為で、現代社会には「素人のピュアな意見は専門家の凝り固まった意見より正しい」という考え方がかなり浸透している。
 かつて貧なる弱者が「聖」を与えられたように、現代では無知で思慮も気力もない人間が「スマート」という称号を与えられようとしている。馬鹿が馬鹿なのではなく馬鹿にでも分かるように説明できないあいつが馬鹿なのだという馬鹿に都合のいい信仰が蔓延している。「CHA-LA HEAD-CHA-LA 頭カラッポの方が 夢詰め込める」と人気アニメのオープニングで歌われてから20年以上が経過して、子供達は今日も教室で「もっと分かりやすく説明して」「あの先生わかりにくい」と鉛筆を投げ出し、大人たちは池上彰に飛びつき「分かりやすい"分かりやすいプレゼンの仕方"」に躍起だ。

 分かりやすいのがいいというのは、それはそれで一つの考え方なのかもしれない。
 幼稚園児からおばあさんまでみんなでオリンピックエンブレムを考えて応募しよう!素人のピュアな感覚こそが望まれます。どれが一番いいかはみんなの投票で決めよう!というやり方で選ばれた素人の素人による素人の為のオリンピックエンブレムを使うことが、神聖な民主主義みたいで一番心地いいと思う人もいるかもしれない。

 けれど、素人の素人による素人の為のものは息が詰まる。
 素人の世界というのは狭っ苦しく広がりがないからだ。
 ついでに言っておくと「子供はみんな芸術家!」「子供は発想が自由!」みたいなやけに耳触りのいいフレーズも大嘘だ。
 子供は素人で子供の世界は狭い。

 素人の世界は狭い。狭く、浅く、息が詰まる。
 なぜなら、素人の世界は肉体という小さな装置に直接制限されているから。

 料理を例に挙げると、素人の世界が肉体に直接制限されているということが分かりやすい。
 一皿の料理を作るのに、素材の採取や育成まで遡れば、コストはいくらでも掛けることが可能だ。畑の土にも肥料にも産地にも牛の育て方にもシカの捕り方にも野菜の切り方にもスパイスの組み合わせにも無限の選択肢がある。一皿が1000万円する料理だって作ることは可能だ。だが、最終的に1000万掛けて出来上がった料理が到達するのは人間の舌にすぎない。人間の舌が感じることの可能なレンジは決まっている。1000円の料理と1000万円の料理にはコストに10000倍の差があるが、舌の上で10000倍の差は見られないだろう。これが1億だろうが1兆だろうが話は同じだ、どんなにコストを掛けても出口のレンジが狭い以上、ほとんど全てが無駄に終わる。
 味覚以外の感覚に関しても同じことが言える。
 僕たちが感じることのできる範囲は、感じることのできる範囲だけで、その外側のことは感覚では感知できない。
 贅沢の限りを尽くしてファーストクラスや豪華客船で旅行して一流ホテルに泊まって、自然の刺激を求めて時にはキャンプだってして、一流レストランで食事をして絶景を眺め、欲しいものは全部買って、エックスでも決めて踊り明かして、ゆったりと温泉にでも行って、何をしても、どこへ行っても、僕たちが体験できることは僕たちが体験できることだけだ。これは冷静に考えてみるととても息の詰まる話で、だからその世界の外側に出たくて僕たちは学んだり訓練したりする。そうして素人の世界を抜け出そうとする。
 1000万円のコストが掛かった料理の持っている世界がわかるのは、たとえばシェフとか農家とか食べ物に関する専門家だけだ。実際に感じた味の背後に広がる世界を想像するためには一定の知識や経験が必要で、そういったものは素人にはない。

 ここで「食べてパッとわからないことには意味がない」というのは簡単で、誰にでも感覚的にわからないことはほとんどフィクションでバーチャルで嘘でダメだと言いたくなるのはパッと聴いただけだと筋が通っているような気分になる。
 けれど、それでは僕たちの世界は狭いのだ。
 自分にはわからないけれどそのジャンルの専門家がこの世界のどこかにいて、先人を含めたそういう人達が自分にはほとんど関わりがないけれど人類の持つ観念的な世界を広げてくれていると考えたほうが嬉しくはないだろうか。ぱっと見ただけではほとんど同じアリにしか見えないのに、それを細かく分類したり生態を調べたりしている専門家がどこかにいるというのはなんだかほっとするし嬉しいことじゃないだろうか。何百年も前に書かれた詩について研究している人とか、地域によって同じ鳥なのに鳴き方が違うのはどうしてかという研究をしている人とか、そういう人達が自分の生活に一切関わりを持たないとしても世界のどこかに存在しているというのは僕には何かの救いみたいに思える。

戦場のボーイズライフ序章「坂城」部分

2015-07-30 23:08:24 | Weblog
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■  坂城(1)
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 坂城(1)

「90歳なのに自在にインターネットを駆使して老後を楽しむおじいちゃん」というのが、今のところのマスコミの捉え方だった。活力を失いつつある高齢化の進んだ日本に明るいメッセージを流そうと、マスコミは最近連日のように坂城のことを取り上げている。もっとだ、もっと騒げ。坂城は思う。もっと騒いで俺を有名にしてくれ。俺は有名にならなくてはならない。

 元プログラマの90歳のおじいさんが面白いサイトやソフトを作ってネットの中で活躍しています。すごいですねー。おじいさんなのに。今はネットがあるから老人になってからでも色々なことができるんですよ。テレビでアナウンサーだとかコメンテーターがそういうことを言う度に強い不快感を感じた。素人どもが若いというだけで一体何様のつもりだ、俺はエンジニアで、お前らが生まれる何十年も前からコンピュータをずっと触っていてコンピュータのことなら何から何まで知っている。何の知識も技術もないくせにパソコンとかスマートフォンでネットをしているだけそれらを使いこなしていると勘違いしているようなお前達に「老人なのにすごいですね」なんて言われる筋合いはどこにもない。お前達はただの消費者で俺は開発者だ。
 だが坂城はテレビカメラの前で気のいい物腰柔らかな老人を演じた。テレビの欲しがるようなキャラクターを演じて出演機会を増やすことに努めた。俺は今有名にならなくてはいけない。流行に乗っているイケてる若々しいおじいちゃんを演出するためにどうでもいいJポップも覚えた。イントロクイズのコーナーで坂城が俳優やタレント達を差し置いて答えると客席からはおーっという歓声が上がり視聴率が延びた。

 やがて、坂城は夕方の生放送にレギュラー出演するようになった。つい一昔前までは相撲が放送されていた時間帯だ。この時間帯には多くの老人が家で暇を持て余していた。
 相撲は暗部が世間に晒されたりして段々と人気がなくなり、キャッシュも回らなくなってきてテレビから消えた。
 相撲という競技はルールも簡単で分かりやすく、滅多に血も出ないので気楽に見ることができた。この人達は普通ではない、とはっきり分かるくらいに鍛え上げているのに脂肪が付きすぎていてどこかコミカルで他の格闘技のように鋭い筋肉の躍動を見せつけられるということもなかった。元気で失礼な若者が現れたら品格がないと言って追い出せば済んだ。伝統的な国技だとお国の安心印まで付いていた。要するに安心して見ていることができて、かつ退屈はしない程度の刺激を簡単に得ることができた。
 相撲の代わりに、今は坂城の出演するワイドショーのようなバラエティ番組のような情報番組のようなものが流れている。当たり障りのないことを「これは面白い娯楽なんです」というパッケージに入れて差し出すだけの簡単なことなので、坂城はすぐにルールをマスターして求められる役割を演じていた。時々、この人は本当はやり手のプログラマーで実は賢いのだ、ということを視聴者に思い出させるようなことも言うことにしていた。そうすると視聴者は「この人は本当は賢い人だし、本当は賢い人が出てるのだからこの番組はバカにしか見えないけれど本当はバカなんじゃなくて本当は面白いちょっとした教養番組なのだ」と思いこんで安心してテレビを見続けてくれる。

 だが、物わかりのいい道化も今日までだ。
 坂城はポケットの中でバタフライナイフの手触りを確認した。朝からずっとポケットに入れていたので、ナイフはしっとりと温まっている。今このナイフは俺の体温と同じ温度だ、と坂城は思う。バタフライナイフをさっと一振りして開くのは肝心なとき絶対に失敗しないように何度も何度も練習した。流石にもう電光石火で手を動かすというのは難しいな、これが年をとるということか。ナイフを開く練習をしているとき、坂城はコレヒドールのことを思い出した。 
 1942年5月5日の夜、坂城たち歩兵第61連隊は戦車第7連隊と共にコレヒドール島への上陸作戦を実行した。坂城たちは島の北東部に上陸したが、それはかなりの犠牲を見越した危険な作戦だった。砲撃戦で既にアメリカの要塞には大きなダメージを与えていたが、アメリカが1936年から6年間もかけて補強した要塞は満身創痍であろうと坂城たちをただで通してくれるほどやわではなかった。これが構えて護るということか、と坂城はその時思い知った。自分達は遠い祖国を離れてフィリピンまで、ものすごいスピードで侵攻し、バターン半島からコレヒドール島へ渡ったところで消耗していた上、控えめに言っても弾薬は豊富ではなかった。対してアメリカは長い間かけてこの要塞を準備してきたのだ。歩兵隊に降り注ぐ弾薬の量は半端なものではなかった。どうして自分が生きていられたのかいつまで経っても、今になっても不思議でしかたない。すぐ近くにいた谷沢は榴弾の破片を食らって脇腹が吹き飛んでいた。脇腹というか腹部の半分がなくなっていた。「サカキー」と谷沢は叫んで言った。痛い痛い痛い痛い殺してくれ。坂城は谷沢の所へ走っていって躊躇わずに喉にナイフを突き立てた。全力で全体重を乗せて頚椎を走る神経と動脈が一瞬で切断されて一瞬で意識がなくなるように。
 谷沢はただの戦友ではなかった。親友だった。
 翌々日、日本軍はコレヒドール島を支配下においた。
「谷沢、あれからざっと70年だとよ、まったく70年も俺はあれから生きてるんだぜ」



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 ◆  坂城(2)
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  坂城(2)
 
  どうして谷沢が死んでしまって、俺が生き残ったのだろう。弾道のほんの僅かな違いで、脇腹を吹き飛ばされたのが俺であってもおかしくはなかったはずだ。どうして谷沢が死んで俺が残ったんだ。いや、分かっている。理由なんてない。理由はない。すべて只の偶然だ。たまたま俺の方が運が良かっただけだ。頭ではそう思う。でも心と体はそう簡単に納得しなかった。70年経った今も坂城は自分が生き残ったことに対する答えを求めていた。答えを求めているというよりも、生き残ったことに対する罪悪感があるのかもしれない。仕方がなかったとは言え、谷沢にとどめを刺したのは自分だった。自分のこの手で谷沢の首にナイフを打ち込んだ。坂城はその手応えを今も鮮明に覚えている。ほんの数秒のことだったが、あの戦争で一番はっきりと記憶に残っているのは谷沢の首の骨に自分のナイフの切っ先が触れた瞬間かもしれない。喉に突き刺さったナイフの縁から真っ赤な血が吹き出して来て首元に掛かった。湿った熱帯の空気で蒸された肌になお血液は熱かった。それは温度ではなく命だった。最後の瞬間、谷沢の目は笑っていた。それが坂城にとって唯一の救いだった。最後に目と目で交わしたあの瞬間がなければ、たぶん坂城は谷沢の喉に突き立てたナイフを抜いてすぐさま自分の喉を掻っ切っただろう。あそこは地獄だった。
  谷沢が絶命するまでの僅かな時間、交わされたのはメッセージだとか言葉ではなく谷沢の人生そのものだったような気がする。死ぬ寸前、走馬灯の様に人生が頭の中を駆け巡るというような話があるが、坂城は谷沢が絶命するまでの一瞬間に谷沢という人間の一生を体験したような気がした。
  谷沢とは何だったのか。谷沢の存在とは何だったのか。そして谷沢はどこへ行ってしまったのだろう。さっきまで谷沢という名前の体に宿っていた何かは一体どこへ消えたのだ。本当にこの世界からなくなってしまったのだろうか。
  戦争が終わってから、魂の重さを測ろうとした実験があることを知った。アメリカのダンカン・マクドゥーガルという医師が行ったもので、実験結果は1907年に発表されている。彼は6人の人間と15匹の犬それぞれについて、死の前後で重さがどのように変化するのかを調べたようだ。そして、人間は死ぬと物質的な変化では説明の付かない重さの変化を示し、その値は21グラムであるという結論を出して、この21グラムが魂の重さであると言った。
  実験に対する信憑性は低い。実際に人間が死ぬ瞬間に立ち会って、その系全体の重さを厳密に測定することはとても難しいからだ。さらに、被験者6名のうち2名で測定を失敗しているので、実際にはわずか4人分の測定結果しかなく、データが不十分であると言わざるを得ない。
  坂城もこの実験結果を信じてはいなかった。
  1907年の時点でどれだけ厳密な測定ができたのかも疑問だったし、魂には重さがあって、死の前後で質量変化が見られるはずだというのは随分安直な仮定に思えた。
  とはいえ、死は明らかに何かの変化だ。死んで行く谷沢から失われたものは、吹き飛ばされた腹部の半分と首から吹き出した鮮血だけではなかった。あのとき谷沢の体からは確かに何かが出て行って、どこかに消えていった。それがどこかに消えるまでの間、極めて短い時間であったが、坂城はそれの存在を明確に感じることができた。あれは一体何だったんだ。
  いつの間にか、自分が生き残ったことへの罪悪感は、魂とは何か、生命とは何かという問いへの探究心に変化していた。考えてみれば、人間が死んで失われることよりも、人間が生まれて存在できることの方が不思議だった。どうやって俺は存在しているのだろう。
  坂城にとっての敗戦後は、人間の存在や意識の存在そのものに対する好奇心と疑いにドライブされたものになった。もしかするとそれは国家という人間の集団に対する欺瞞を、個々人の存在不可思議性に投影して誤魔化す行為だったのかもしれない。「俺は人間の存在や意識の存在に興味があるのであって、国家を論じたりするつもりは毛頭ない。人間存在の不思議が分かれば、その集合である国家のことも自ずと明らかになるだろう」とでも言いながら、社会への目を閉ざして人間存在の探求にだけ励むのは心の平安を得るのに都合が良かった。
  本格的に学問をするほどの余裕はなかったので、探求といっても限られた哲学や生理学の書籍の前で一人思考にふけるだけのことだった。それでも自分の存在が不可能な筈だということは分かった。
  たとえば生理学によると、我々は目に入った光を杆体や錐体という網膜細胞で捉えて電気信号に変換しているとのことであった。その電気信号は視神経を通じて脳へと送り込まれる。我々の脳は、このたかだか「電気信号」を、「色や形」に変換して「見える」という状況を生み出している。
  そういうことになっているのだが、どう考えてもそんなことは不可能だ。電気信号から色を作り出すなどという芸当が、この世界で許されるわけがない。電気と色は次元の異なる全くの別物だ。その間を取り持つことのできる手順なりシステムなりがあるとは考えられない。電気から色を作るというのは、いわば並べられた数字を好きに足したり引いたり掛けたり割ったりしていいから、どうにかして計算結果が「水」になるようにしてくれ、と言われているようなものだ。数字と水は全くの別物なので、そんなことはできない。電気と色も全くの別物なので、電気から色を作ることはできない。色だけではない、音も味も匂いも熱いとか冷たいも全部そうだった。つまり自分が世界を認識しているその拠り所となる感覚は全部「あるはずのない」ものだった。あるはずのないものによってできている我々とは一体どのような存在なのであろうか。すべては嘘なのではないか。
 
  現実感のないまま、それでも坂城は一見普通の社会生活を送った。小さな商店を経営し、結婚して3人の子供にも恵まれた。1人目の子供が生まれた時、坂城は著しく現実感を喪失して気が狂いそうになった。この子は一体どこからやってきたのだ、どうして子供が、新しい人間が生まれるなんてことが可能なのだ、そんなことできるわけないじゃないか。何か巨大な嘘に騙されているような気がして怖くなって街へ出てしばらく家へは戻らなかった。お父さんは感激して男のくせに涙が出そうでそれを見られたくないから街へ飛び出していったのだ、と詮索されるような身振りをすることだけは忘れなかった。
  街へ出ても本当は人間が怖かった。この存在不可能性を軽々と乗り越えて存在していて自分に話し掛けたりこっちを見たりしてくる何かは一体何なんだろうか。でも、それらは往々にして坂城に親切にしたり楽しげに話しかけたりしてくれたので、どうやら害があるようでもなくて、形而上の疑念以前に彼らが見せてくれる笑顔と単純な挨拶に救われてどうにか平静を保つことができた。自分や人々の存在自体は本当に不思議だったが、どうやら恐れる必要はないようだった。坂城は段々と不思議だと思う感覚を忘れていき、自分の商店の営業や子育て、地域での付き合いと言った世俗的なことを楽しむようになっていった。あの頃は戦争で人を殺したり色々と過酷な経験をした直後だったので、もしかしたら少し頭がおかしくなっていたのかもしれないな。
 
  平穏な生活が破れたのは1968年のことだ。
  1968年、「2001年宇宙の旅」という映画が公開されて、坂城は大阪OS劇場へ行ってそれを見た。映画の中に出てくるHAL9000という人工知能が坂城に衝撃を与えた。HAL9000というコンピュータはまるで意思や感情を持っているかのように見えた。HAL9000は「怖い」という感情すら口にしたのだ。坂城にとってそれはもうただの映画でもフィクションでもなかった。啓示だった。HAL9000という人工知能は赤いランプの灯ったカメラから世界を見ていた。それはあちらからこちらを見ていた。  
 コンピュータが意識を持つなんて。そんなことが本当にできるのだろうか。
 それまで坂城はコンピュータのことも人工知能のことも、ほとんど何も知らなかった。コンピュータで人間の意識に近いものを生み出す。そういった研究が現実に行われているという情報は坂城を点火した。自分の中にこんなに強い学びへの欲求があるということもそれまで坂城は知らなかった。人工知能のことをもっと知りたいという思いは、もはや感情というよりも肉体的な実体だった。人工知能を使って人間の意識を再現すれば、俺たち人間の意識がどうして生まれたのかも分かるのではないか。坂城は持てるリソースの全てを投入してコンピュータの勉強を始めた。既に53歳になっていて、プログラミングの勉強を始めるには遅すぎるとも言われたが気にしなかった。当時いわゆるパソコンはまだなかったので、色々なミニコンを買っては試した。最初は使い方も良く分からなかった。混在するプログラミング言語のどれを使えば良いのかも良く分からなかったでCもPascalもFORTRANもCOBOLもとりあえず目に付くものは片っ端から勉強していった。
  70年代というのはパーソナルコンピュータが急進した時代だ。象徴的な出来事としては、1975年にビル・ゲイツがBASICをAltair8800上で動作させるのに成功し、1977年にアップルがAPPLE2を発売している。しかし、人工知能にとって70年代というのは難しい時代だった。人工知能最大の問題とも言えるフレーム問題が1969年に提出され、70年代は「人工知能には極々限定的なことしかできないのではないか」という悲観論の時代になっていた。
  それでも坂城が情熱を失うことはなかった。
 
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 ◆  坂城(3)
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  坂城(3)
 
  結局、意識を持った人工知能を作ることはできなかった。坂城は膨大な時間と労力をコンピュータに費やしたが、チューリングテストをクリアする人工知能すら作れそうな気が全くしなかった。チューリングテストというのは人工知能に意識があるのかどうかを調べるテストのことだ。方法と言っても、本当に意識があるのかどうかは確認できない。意識というのはあくまでそれを持っている主体にとってだけ「ある」ということが分かるものであって、ある対象について客観的に意識の有無を判断することは不可能だ。不可能だ、とばかり言っていても仕方がないので、とりあえず対話をしてみて、人間と区別が付かないくらい流暢にコミュニケーションが可能であればそれは意識を持っているかもしれないということにしよう、というのがチューリングテストの考え方だ。とても素晴しい考えとは呼べた代物でなかったが、それが人類の考え得る「もっともましな」意識の存在判定方法だった。
  そのもっともましなテストすら人工知能がクリアすることは不可能だった。不可能だったしアプローチの方法を見ていると、たとえそれがチューリングテストをクリアしたとしても、到底そこに本物の意識が宿るとは思えなかった。基本的に人工知能はデータベースと探索アルゴリズムに過ぎなかったからだ。こんなところに精神や意識が宿るわけない。残念なことだが、意識の探求をコンピュータサイエンスで行おうとしたのは最初から間違いだったのかもしれない。救いは坂城にプログラミングとコンピュータアーキテクチャの才能があって、仕事には困らなかったことだ。ずっと企業の中で働いていて名前が世間に出ることはなかったが、坂城は日本にパーソナルコンピュータを普及させた立役者の1人と言っても過言ではなかった。業界では知らぬ者はなかった。
 
  しかし、それはおまけに過ぎない。
  俺は結局、意識の探求には失敗したのだ。何も分からなかったし、何も作ることができなかった。「なあ谷沢、結局なんにも、あれからなんにも分からないままなんだよ」俺が創り出そうとしていたのは、意識を持った人工知能というだけではなく、もしかしたら谷沢だったのかもしれない。この世界にまだ谷沢の断片が散らばっていて、それらをコンピュータの中に掻き集めて谷沢を蘇らせることができると思っていたのかもしれない。
  馬鹿げている。
  俺は一体何をしていたんだろう。
  気が付くと信じられないことに90歳になっていて体はボロボロだった。これ以上人工知能を触ろうという気力もなくなっていた。妻も、少ししかいなかった友人達も既に死んでいた。3人の子供達はイタリアと北海道と南アフリカに住んでいて多忙でそれぞれに家族を持っていてほとんど会うこともない。
  孤独が怖いわけではなかった。全てを諦めていて、もう怖いものなど何一つなかった。かつてはテレビの出演者達がときどき食事や酒の席に誘ってくれていたが、上辺だけのものであることは明白だった。いつも坂城が断りやすい状況が設定されていて、坂城の方も彼らに全く興味がなかったので、自然と誘われることもなくなっていった。孤独は恐怖ではなかったが精神を蝕んだ。肉体が乾いていき、人との接触がなくなっていくと坂城は自分が本当に存在しているのかどうか段々分からなくなってきた。昔なら1人でいる時間はプログラムを書くことに集中していたので孤独だと感じることはなかったし、はっきりと自分の輪郭が分かって生きている感じがした。でも、もうこれ以上何かを開発したいという気持ちもなく、だいたいコンピュータのディスプレイを眺めること自体が苦痛になっていた。
  テレビに出るようになったのは、腑抜けた日本人に残酷な殺人場面を見せつけて、さらに自分と同じようにくすぶり死に行く老人たちに決起を促す為だったが、もしかしたら孤独で寂しくて自分の存在が日に日に消えていくのが分かって毎朝起きたらもう死んでしまってもいいんじゃないかという気分になってそういう感覚から逃げ出したかったからなのかもしれない。テレビでバラエティ番組に出てはしゃいだ振りをするのは人々に殺人を見せつける為の手段に過ぎないと自分に言い聞かせていたが、本当はテレビでちやほやされることが嬉しかったのかもしれない。いや、嬉しかったのだ。それは分かっていた。
 
  足元の血溜まりに、映画の宣伝を兼ねてゲスト出演していた若い俳優の死体が転がっている。スタジオを照らすライトが肌に熱い。こんなに眩しかっただろうか。ひどい汗をかいている。スタジオの中央にも血溜まりができていて、司会者の小男とレギュラー出演しているアイドルの女が倒れている。殺してしまった。悪い人間ではなかった。俺は本当は彼らとテレビに出ることが楽しかったのではないだろうか。家に帰って1人で風呂に浸かっているとき、いつもその日のスタジオでの出来事を思い出していたのではなかったか。俺はこのバラエティ番組に出ることが好きだったのだ。全てを壊してしまった。司会者もタレントの女の子も殺してしまった。二人の体から流れ出した血液は合流して大きな赤く深い血溜まりになっている。天井のライトが反射して強い光を坂城の目に押し込んでくる。こんなに大量の血液があの司会の小男にも痩せたアイドルの女の子にも流れていたのか。熱帯雨林では大地が血液を吸い込んでくれてそれは優しさに似ていた。スタジオの床は血液を一切吸収しない。血は大地へ返らず彼らの魂はまだこの室内を漂っている。そうだここはテレビ局のスタジオだ。現実と虚構の間だ。そんな場所で死んだ人間の魂には救いがないかもしれない。そうか、ここでは死ねないな。出演者を何人か殺した後、自分も死のうかと思っていた。でもここでは死ねない、ここは死ぬには適してない。谷沢が熱帯の中に消えていった時と全く違う。戦場は悲惨だったし谷沢の死に方も悲惨だったが、それでもここで死ぬよりも"まとも"だった気がする。ここは駄目だ。待てよ、本当にそうなのか。本当に「ここは」駄目なだけなのか。ここではないどこかでなら死んでもいいのか。あのジャングルの中でだったら死んでもいいのか。違う。嫌だった。そうだ、俺は死にたくない。生きているのが嫌になってもう死んでもいいと思っていて死ぬ気になれば何をしても平気だと思っていたが本当は死にたくなかった。俺はまだ死にたくない。もうしたいことも何一つなくて体が乾いて枯れているのに、それでもまだ死にたくなかった。急激に何かの感情が沸き上がってきて制御できない。この世界に存在していたい。この生にしがみついていたい。どんな形であってもしがみついていたい。噴出した感情は慈しみだった。生命に対する愛おしさが思ってもみない強さで溢れ出してくる。たった今俺はそれを4つも奪ったのだ。コンピュータという最先端のテクノロジーを使って数十年努力しても生み出せなかった意識を、ナイフという原始的な道具であっさりと4つ消してしまった。激しい後悔と自責と寂しさと悲しさが申し訳無さに混合されて、さらに殺してしまった人間の家族や恋人のことを考えると気が狂いそうになった。腑抜けだろうが老人を舐めていようがなんだって構わないじゃないか。それくらいのことは全く構わなかったのだ。俺は何をしたかったのだ。馬鹿にされたって蔑まれたってそれがどうだっていうんだ。大体本当に俺は蔑まれていたのだろうか。枯れゆく肉体を蔑みの対象にしていたのは自分自身ではなかったか。自分が老いていくことが許せなかったのは他でもない俺自身だったのではないか。
  最初に気付いたのは、首元が濡れているということだった。その生ぬるい液体は血液とは違い透明で涙だった。顔中が涙で濡れていた。老いて乾いた体に、まだこれだけの涙があったのか。そういえば俺は谷沢が死んだ時泣かなかったな。あれから全然泣いていなかったな。あの島へも行かなかった。谷沢のことを弔うのであれば、コンピュータをいじるよりも谷沢の骨を探しに行ったほうが良かったのではないだろうか。ずっと何から目を逸らしていたのだろうか。谷沢なんて本当にいたのだろうか。俺が何十年も掛けてコンピュータで実現しようとしてきたことは、人間にも自力で別の意識を持った存在を作り出すことが可能だということを証明する試みだった。コンピュータは時代の寵児で、コンピュータで意識を生み出すことが実現できれば、HAL9000みたいにすごい人工知能を作れば、人間には、いや、俺には意識を持った存在を作り出す能力があることをみんなが認めてくれるに違いない。あの戦場で坂城は気狂いだと呼ばれていた。谷沢は完璧にチューリングテストをクリアしていたが、坂城にしか見えなかったからだ。
 

虚構として肥大した情熱とやりたいことの消失

2015-04-09 21:22:18 | Weblog
 1999年。僕は20歳で、ロバート・ハリスの「ワイルドサイド歩け」という本を読んでいた。「ワイルドサイドを歩け」というのは、有名なルー・リードの曲のタイトルだ。この本は比較的短いエッセイが集められたもので、今読み返すとなんだか若くてフレッシュで気恥ずかしい内容なのだけど、当時の僕はかなりの影響を受けた。本はまもなく部屋に遊びに来たユリちゃんという女の子がパラパラと眺めて「貸して」と持って行ってしまった。彼女は当時、電通とか博報堂とか、あるいは日テレとか、フジテレビとか、どこだか忘れたけれどそういうバリバリの業界みたいなところでキラキラと働きたいから私大学院は京大に行って学歴ロンダリングしてやるの、なんだかんだ履歴書で落とされるの怖いし今の大学じゃ正直微妙、とか言うような女の子だったのだけど、その後どうなったのかは知らない。「ワイルドサイドを歩け」の影響を受けて、LSDの父ティモシー・レアリーが言ったように"Turn on, tune in, drop out"したかもしれないし、やっぱりテレビ局とかでキラキラとワイドショーとかCMの仕事でもしているのかもしれない。
 その後、僕はこの本を買い直したり捨てたりまた買い直したりした。度重なる引っ越しをくぐり抜けて今も手元にあるので、きっと好きな本なのだと思う。
 
 この本で紹介されている「100のリスト」というものが、20歳の僕には実に新鮮な考え方だった。
 100のリストというのは、やりたいことを100個リストアップするというだけのなんてことないリストだけど、別に「月面基地を開発」とか「起業して世界を変える」とか「エベレスト登頂」とかそういうのでなくてもいい。そういうのでもいいけれど、そういうのでなくてもいい。「1日に100個プリンを食べる」とか「亀を飼う」とか、なんというか小さいことでも下らないことでも構わない。ちなみにロバート・ハリスは「モデルと付き合う」とか「アヘン窟で一夜を過ごす」とかそういうことを書いていた。
 どうしてこの100のリストが新鮮だったかというと、僕はそれまで「やりたいこと」というのは情熱を持ってして人生を掛けてドカンとやる何かデカいことだと思っていたからだ。特にずっと科学者になるつもりだったから、「生涯を〇〇の研究に捧げる」みたいなのが「やりたいこと」の標準だった。そういうのがない人生というのは詰まらないだろうし、魅力的ではないだろうすら思っていた。
 今となっては良く分かるが、人生の大目標を1つ掲げて、そこへ向かって生きていくという生き方は1つの幻想だ。
 ロバート・ハリスは、自分にはそういう大きな目標はないけれど、こうして100個自分のしたいことをリストアップすると自分なりに自分がどんな感じで生きていきたいのか分かったというようなことを書いていた。これは小学生のときの作文に夢は大リーガーですとか書いて、それに向かって毎日野球の練習に励んで甲子園に行ってプロに入団するというような生き方よりも、かなり自由な感じがする。「私にはやりたいことが何もない」と言って謎の絶望をしている若者には光のような言葉だ。
 誰かが「やりたいことがない」というとき、多くの場合は「情熱的に人生を賭けてやりたいことがない」というのを指している。コーラが飲みたいとも、寝たいともアイス食べたいともなんとも思わない人というのはかなり珍しい。

 どうして僕達はやりたいことだらけなのに、やりたいことがないと簡単に言うようになってしまったのだろうか。
 いつから「やりたいこと」と「情熱」はセットになってしまったのだろうか。
 そういうことを考えていくと、僕達の社会を覆っているうっすらとした毒ガスの正体が見えてくる。
 僕は「情熱」のことを毒ガスだと言おうとしている。
 そんなはずがない、情熱というのは素敵な人生の活力で花で宝石だと僕も言いたいけれど、たぶん状況はそんなにシンプルではない。

 「情熱」はここ半世紀の間にハイパーリアルで垢まみれになった。
 ハイパーリアルというのは「現実が元となってフィクションが作られ、そのフィクションに現実が影響され、さらにその影響された現実が元となってフィクションができて、さらにそのフィクションが現実に影響を・・・」というような意味合いの言葉だ。僕達は現実を生きているけれど、この現実というのは只のピュアな現実ではなく、フィクション、つまり作り話の嘘っぱちの影響を何重にも受けていてこんがらがっている。たとえば誰かと恋に落ちてロマンチックな言動をするとき、僕達は多少なりともそれまでに見聞きしたラブストーリーの影響を見せないわけにはいかない。胸がドキドキするという言葉の使い方と、さらには「胸がドキドキしていることは恋の証である」という認識の仕方それ自体がすでにどこかで見聞きした物語の影響だ。その見聞きした物語は誰かが自分の体験に基いて作ったものだが、その人の経験も何かの物語に影響を受けている。たぶん21世紀の僕達は18世紀末のロマン主義がマスメディアによってブーストされた世界を生きている。

 裸の情熱というものが、果たして存在したのか、どんなものだったのか、僕達にはもう分からない。だが情熱がここ数十年でどうハイパーリアルになったのか言うことはできると思う。スポ根アニメとかドラマとか映画とかドン底からのサクセスストーリーとかそういう虚構と、情熱が賛美されてやる気を見せれば御社に採用されたりあの人に許してもらえる可能性が高まるという現実の不文律が相互作用してネガティブなスパイラルを加速している。情熱の見せかけの閾値は加速度的に高まっている。だから何かをしたいと思った時に自分にこう問い掛ける。
「果たして私はこれを行うに十分な情熱を持っているのだろうか? 本当にやりたいのだろうか?」
 一体、何に対して、何に比して「十分」なのだろう。 本当とはどういうことだろうか、今「やってみたいな」と思った気持ちが「本当ではない」というのはどういうことだろうか。それが本当ではないなら、何が本当だというのか。一部の意識高い系と呼ばれる人達や起業家と自分の情熱を比べるのは2つの意味合いで無意味だ。まず彼らの情熱は半分見せかけであり、情熱を見せることがプレゼンテーションで高得点を叩き出し資本を募るのに有利だという戦略にすぎない。無論、ドラマで見た主人公の情熱を比べるのはもっと無意味だ。2つ目に情熱とはそもそも計量し比較できるような「量」ではないし、たぶん情熱という概念自体が虚構に限りなく近いからだ。何かをしたい気持ちが芽生えた時、その気持ちを情熱という言葉で換算して何かの基準で誰かに査定してもらう必要なんてどこにもないし、測れない重さを測ったつもりになって自分で失格の烙印を押す必要もどこにもない。
 この垢にまみれた「情熱」が毒ガスのように地表を覆っていて、僕達は脚に鉛がついていると錯覚しているのではないだろうか。

ワイルドサイドを歩け (講談社+α文庫)
ロバート・ハリス
講談社

短編小説: 社説『着用トイレの普及について』

2015-03-28 23:23:42 | Weblog
 社説『着用トイレの普及について』


 国内最初の着用トイレ『TON101』が売り出されてから、早くも20年が経過した。国内メーカーで着用トイレを生産しているのはIOIO,IMAXの2社。各社半年毎のモデルチェンジを重ね、今ではその薄さも1ミリを切ろうとしている。これは着用トイレ先進国であるアメリカの世界シェアナンバー1、ASD社の最新型『z504』が誇る0・98ミリに迫る薄さである。先月の調査では日本国内における着用トイレ普及率53・2%(参考;アメリカ:78・9%)。この数字を高いと見るか低いと見るかは意見の分かれるところである。
 本稿では、人の排泄物を気体に変換し空気中に放出するという、着用トイレの是非を巡る、昨今の議論の行方にも注目しながら、着用トイレの普及が我々の社会にもたらす影響について考えたい。

 もともと、着用トイレの原型となる装置は米軍が開発したものだ。作戦遂行中の兵士がトイレに行けないという問題は長らく解決されなかった。米軍の研究チームは2020年代半ば、原子操作技術(AMT;Atom Manipulation Technology: 極微細プローブと電磁界を用いて個々の原子を直接操作する技術。物質分子を構成する原子を操作し、分子結合を組み換え別の物質に変換することも可能 )を応用し、一部の固体や液体を気体に変化させる技術を開発した。当初、そのテクノロジーは兵器として使用される予定であったが、実は戦略上極めて重要な衛生管理、兵士の排泄物処理に応用可能だということで、兵士用着用トイレは開発された。兵士は、股間にこのシステムを装着することで、いつでも衛生的に排泄を行えるようになった。

 アメリカ軍による開発から4年後、着用トイレは民生用に発売されたわけであるが、排泄物組み換え速度、厚みや硬さ等の細かいスペックを別にすれば、基本的な仕組みは初期の兵士用も最新の『z504』も同じだ。今では、ブリーフタイプのパンツとほぼ同じ形状である着用トイレは、人の排泄物が接触した瞬間それを識別、高速なAMTを利用して排泄物の分子結合を組み換え、酸素、窒素、二酸化炭素、水蒸気などの無害かつ無臭の気体に変換する。それら発生した気体は空気中へ放出される。『z504』に搭載された新機能では、おならも認識して分解できるようになった。

 この着用トイレさえ身につけていれば、人はトイレへ行く必要がない。一部の先進的な企業ではビルの中からトイレをなくしてしまい、代わりに全社員に着用トイレが支給された。トイレがあった場所は改装され、新たなオフィスとして利用されている。トイレ休憩へ行くこともなくなったので、社員の作業時間は増加した。しかし、トイレにすら行かなくなり、昼休憩以外はずっとオフィスで作業を続けなくてはならない現状に、一部の人々から「人間的ではない」「トイレでリフレッシュできないので作業効率が落ちる」という批判の声が上がっていることも事実だ。

 さらに深刻な問題がある。
 先にも触れたように、着用トイレから排出される気体について「人の排泄物を空気中にばらまいているようで気持ちが悪い」というイメージを持つ人がまだまだ多いことだ。着用オムツに反対する団体、デモの数は減少傾向にあるものの、まだ無視出来るほどに減ってはいない。レストランや店舗などでは、着用トイレに嫌悪感を持つ人の為に、着用トイレ着用者の入店を禁止していたり、着用者と非着用者の席を分けたりという配慮を行っているところもある。

 科学的に考えれば、確かに排泄物と、その原子の組み合わせを入れ替えて作った気体は"全くの別物"である。何から作られていようが窒素はあくまで窒素、二酸化炭素は二酸化炭素だ。それでも、人間の排泄物から作られた窒素や二酸化炭素はなんだか気持ち悪い、吸いたくはないと感じるのは、人間にとって極めて自然なことかもしれない。

 似たような問題が2000年代初頭にシンガポールで起きている。水資源に乏しいシンガポール政府は、マレーシアから輸入していた水の値段が高騰したことを受け、下水を高度処理して飲料水にするという苦肉の策を打ち出した。その水は逆浸透膜法を用いて浄化され、ほとんど純水であり清潔なものであったが「下水を処理したものである」という先入感から水の評判は良くなかった。
 シンガポール政府は、処理した水を上水道に混ぜ、その割合を徐々に高めていくという方法で、人々から抵抗感を消すことに成功した。着用トイレから排出される気体に対する抵抗感も、その普及と共に消えていくのかもしれない。現に、今でも若者の間では着用トイレは「チャクヨ」と呼ばれ常識となっており、排出気体への抵抗感も薄い。あと10年、いや5年もすれば、抵抗感はすっかり消えてしまい、トイレへ行って排泄するという行為は社会からなくなってしまうのかもしれない。
 
 40年近く前、IT革命というものが起こり、そこで人々は社会生活の基本である「コミュニケーション」に関する変革を体験した。同じ頃普及したサプリメントによって、これも生活の基本であった「食事」は変質し、今では栄養補給や生存のためではなくアミューズメントとしてのみ食事は捉えられている。そして、ついに変革は排泄にまで及ぼうとしている。アメリカなどの着用トイレ先進国を眺めてみれば、日本でも着用トイレがますます普及することは間違いないだろう。トイレに行かなくて良い生活というのは確かに便利だ。数時間おきのトイレからの開放というのは人類史上最大の革命かもしれない。しかし、生命活動というのは本来食事と排泄に裏打ちされたものなのではないだろうか。サプリメントで栄養を摂取し、味覚を満足させるためだけに食べ、排泄物を見ることもない。そんな暮らしが本当に豊かだと言えるのだろうか。

(京都日日新聞2049年10月15日金曜日)
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 こんな便利な物に、どうして批判的になれるのだろう。僕は画面から目を上げて、窓の外広がる草原へ目をやった。モンシロチョウが2匹飛んでいる。数時間おきにトイレへ行くという、笑ってしまうくらいに不便な生活を、昔は全員がしていたのだ。AMTデバイスの入っていない、ただの水分吸収ポリマーで出来たオムツと呼ばれるものを、乳幼児だけが付けていた。物心が付く頃にわざわざトイレトレーニングという訓練を行い、「排泄はトイレまで我慢してトイレでする」という、なんだか体に悪そうな習慣を叩き込んでいたという。
 今では、生まれてからずっと着用トイレを着用するので、そのような悪習慣を身に付けることもない。トイレの我慢も知らないから、今の若者は忍耐力がない、という批判は一体何を言いたいのか分からない。トイレを我慢することがそんなに偉いのだろうか。着用トイレ依存症だって? いつ出るか分からないのに、付けてないと不安になるのは当然だし、「私は着用トイレを使っていないので、トイレが設けられていない建物に入ると不安な気持ちになってしまいます」って、それだって云わば普通トイレ依存症じゃないだろうか。どうして、そんな普通トイレ依存症の人達の為にわざわざ公衆トイレなるものをあちこちに作らなくてはならないのだろうか、それこそ税金の無駄使いだ。

 まあいいや、社会的なことはいいとして、問題は理香子が着用トイレ反対派なことだ。出会った時は理香子が反対派だとは思わなかった。理香子には一目惚れだった。彼女が着用トイレ反対派だと分かったのは、はじめて2人でレストランへ行った時のこと。デザートを食べ終えて、そろそろ店を出ようかというときに彼女は言ったのだ。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
 僕は、まさか、彼女みたいにヒップでオシャレな女の子が着用トイレを付けていないとは思いもしなかった。
「えっ、理香子ちゃん、チャクヨは?」
「あれ、私嫌なのよね、ダラシなくて」
「そうなんだ」
「祐輔君、使ってるの?」
「うん、まあ」
「ふーん」
 彼女の表情に、侮蔑のようなものが一瞬混じったのは、たぶん気のせいじゃないだろう。
「便利だと思うけどな、現に今、理香子ちゃんはわざわざトイレ行かなくちゃならないじゃん。もしもチャクヨ付けてたら、別に行かなくても、ここでこのまま喋りながらトイレできるんだよ」
「だから、そういうのが嫌なの。そんな風に人と話しながらトイレなんてできないわよ?」
「できるさ、みんなそうしてるよ。別に恥ずかしいことじゃない。僕だってさっきしたところだし」
「さっきって、レストランでご飯食べてる最中に、テーブルで、しかも私と喋ってる最中に、したの?」
「そうさ、したよ」
「信じらんない」
「なんでさ」
「食べながら出してること自体信じらんないし、分解して空気中にまき散らしてるのよ、分かってるの? ていうか、こんな話ここでするのも恥ずかしい。トイレ行ってくるから」
 そう言って、理香子はトイレへ行き、その数分間を僕は手持ち無沙汰に待ちぼうけて、彼女が戻ってくると2人で店を出た。まだ早い夜の、明るい都市をはしゃいで歩く人々にまぎれ、僕達は話を続けた。
「空気中にまき散らしてると言っても、出してるのは酸素とか窒素とか普通の気体だし、それはもう大とか小とかとは何の関係もない、っていうか、自然の空気だって、そうやって循環してるやつなんだから、天然で時間かけて分解されるか、人工的に分解してるかの違いしかない」
「そんなのただの屁理屈。気持ち悪いの当然でしょ」
「当然じゃない、人間がトイレなんてものを使っていた歴史に縛られているだけだ。もともとトイレなんてものもなかったんだよ。トイレができた頃は、大勢が同じ場所で集中的に排泄するほうが嫌だって人だっていたかもしれない。だいたいがもう、ここを歩いている人達のどれだけが、気体をまき散らしてると思うんだよ」
「だから嫌なのよ。排泄物の気体だらけの街なんて歩きたくないから、だからチャクヨに反対してるの。そんなのなくして、きれいな空気の街に変えたいの」

 僕達はまだほとんど初対面で、それほど仲が進んでいるわけでもないし、それなりに丁寧な態度で口論のようなものをして、次の約束もしないまま別れた。僕としては、彼女が着用トイレ反対派だからといって、それで折角はじまりそうな関係を諦めてしまうようなこともしたくなかった。彼女がトイレへ行って排泄をしたいのであれば、そうすればいい。僕はそれに関して異存がないとは言えないものの、許容することはできる。デートはトイレがある場所へ行くことにする。でも、理香子の方では僕が着用トイレを使うことを許してくれないだろう。
「だって、こっちはなんにも排出してないのよ。どうして許すの許さないの言われるわけ。そっちは撒き散らしてるんだから許されなくて当然じゃないの」
 譲歩して、理香子の前では着用トイレを使わない、ということも考えてはみたが、そんなことは到底不可能だろう。僕は生まれたときからずっと着用トイレを付けていて、排泄を我慢したりコントロールする感覚を持ち合わせていない。着用トイレを使わない人達には「トイレを我慢する」という感覚が存在するらしいけれど、僕にはそれがどのようなものなのか見当も付かない。排泄は、したいという微かな感覚のあと、即座に自動で行われるもので、僕はただそれを感じるだけだ。制御はできない。
 だから、着用トイレを外したら大変なことになる。排泄気体が彼女に届かないよう、着用トイレの中に排泄するときは理香子から離れる、という約束もできない。そういえば、着用トイレをやめた人達が、排泄コントロールのトレーニング方法を発表しているけれど、感覚を掴んで、さらに括約筋という筋肉を発達させるのに2,3ヶ月は掛かるみたいだった。僕の方が、そんな訓練を3ヶ月もしなくてはならないのだろうか。しかも、数時間ごとにトイレへ行くという不便な生活を手に入れる為に。理香子の為にそこまでしなくてはならないのだろうか。やっぱり彼女が着用トイレを認めるべきだし、できれば認めて着用もしてもらいたい。そうすれば、デートだってトイレのない最新スポットへ行ける。2人で何かしているとき、彼女のトイレなんかでそれを遮られたくなかった。生活が、トイレというもので細切れにされるなんて。70年くらい昔、ウルトラマンという架空のヒーローが人気で、そのヒーローは3分間しか地球にいられなかったらしい。トイレへ行く生活なんて、それと似たり寄ったりだ。

 彼女が着用トイレを使ってくれれば、助かるのは僕ばかりでない。トイレの為に無駄な時間と労力を使うことがなくなるのは、理香子にとってもいい事のはずだし、それに何より、大気成分制御機構へも貢献することになる。
 大気成分制御機構は、5年前から大気成分制御の一部を着用トイレ行い始めている。ついに100億人を突破した人口と、それに伴う極限的な化石燃料の使用、都市の拡大と森林減少。大気の成分異常は徐々に顕著になりつつあり、大気成分制御機構では着用トイレから出される気体の成分割合を調節して、全体的にも、局所的にも大気の成分をコントロールしている。たとえば、人口過密地帯では酸素濃度が低下し、二酸化炭素濃度が増加する傾向があるので、着用トイレから出る酸素を増やし、二酸化炭素を減らしている。
 全ての着用トイレはネットワークに接続されているので、大気成分制御機構はネットワーク経由で着用オムツのコントロールをするだけではなく、それらから送られてくる大気成分のデータを分析することも行っている。僕達の排泄物は、今となっては貴重な大気成分の材料で、着用トイレの着用は、地球の大気環境問題に貢献することでもあるのだ。だから僕はチャクヨを使っていることを誇りにすら思う。便利なだけじゃない。
 次に理香子にあったら、こういう話をきちんとしてみよう。

「この間は、口論のようなことになって申し訳なかった」という謝罪メッセージを送り、僕は再び理香子と会うことにした。理香子には、僕がチャクヨ着用者であることは知られているので、お茶や食事をするよりも、一先ずどこか開放されたところへ出掛けるのがいい。物質は一般的に、固体や液体であるときよりも気体であるときの方が何千倍も体積が大きい。だから一回の排泄から生じる気体の体積もそれなりのものだ。部屋の中などの閉じたスペースでは空気に占める排泄気体の割合はずいぶん大きい。
 聞けば、行ったことがないというので、僕達は2時に京阪三条駅で待ち合わせ、伏見稲荷へ行くことにした。着用トイレの排気で充満した電車に乗ることを理香子は快く思わないだろうけれど、それに耐える程度には社会順応しているようだった。

 伏見稲荷駅で下車すると、駅のすぐ外はもう、こじんまりとした観光地の雰囲気を持っている。雨にはならないようだが、どんよりとした曇り空で、まだ紅葉にも早すぎる平日のせいか、観光客もあまりいないようだ。神社は駅の眼と鼻の先で、大きな門をくぐり、山へ向かって歩みを進めれば、視線を上げた先に現れるのは、無数にびっしりと連なる鳥居の、朱色も深きトンネル。
「わー、すごい。実物はじめて見た!」
 理香子はそう言ってはしゃぎ、僕は彼女の美しさに見とれる。トイレのことは、今日2人で良く話し合おう。妥協できるポイントがどこかにあるはずだ。トイレのことなんかで、彼女とのことを駄目にしたくない。
「行きましょ、行きましょ、私がんばって鳥居の一番最後まで行きたい!」
 僕達は、薄暗い秋の昼下がり、飲み込まれそうな朱色のトンネルへ足を踏み入れた。

「あのね、やっぱりちゃんと話さなくちゃいけないと思うのだけど」
 三徳社、四ツ辻を越えてすぐ、理香子は切り出した。息が少し上がっている。
「祐輔君が、こうして誘ってくれるの、嬉しいんだけど、でも、やっぱり私、チャクヨ使ってる人とは、一定以上には親密になれないの、ごめんね」
 さっきまでの、観光地を訪れたカップルみたいな会話一転。そういえば、周囲も随分暗くなった気がする。曇り空が勢いを増したのだろうか、それとも太陽が傾いて行くせいだろうか。でも、どうせ僕だって今日はこの話をしようと思っていたのだ。僕達の間にトイレ問題が存在していることは事実であり、そこは避けては通れない。どうせ話し合いは必要だ。それが今になっただけのことで何も困る必要はない。ただ、理香子の口調には、話し合おうという姿勢があまり感じ取れなかった。彼女の口調は、どちらかというと断言に近く、きっぱりとした拒否の態度が表れていた。
「うん、僕もチャクヨのことは、今日話し合おうと思ってた」
「そう」
「きっと、どこかに2人が納得できる解決法があるよ」
「そうなんだけど、そうじゃないの。なんというか2人で納得しようと私思ってないの、ごめん」
「どういうこと?」
「祐輔君がチャクヨを使うなら、別にそれで構わない、でも私はこれ以上は祐輔君とは親密になれない」
「ちょ、ちょっと待って、それは僕がこれまで通りチャクヨを使っていればという話だよね。仮にだけど、僕がチャクヨやめたら、そしたら可能性あるってことに」
「そうじゃないの、そのチャクヨを使ってるメンタリティが、私には既に受け入れられないの、ただの友達としてならともかく、期待してくれてるみたいな仲にはなれない」
 メンタリティが嫌だというのは、つまり彼女は僕の人格を否定しているということだ。
「いや、それについても、説明できるし、説明するつもりで今日会ってって言ったんだよ。あのさ、チャクヨって便利なだけじゃないんだよ、地球環境にも貢献してるし」
「そんな説明は関係ないの。それくらい私だって知ってるわよ。理屈はどうであれ、そんな昔の赤ん坊が使ってたオムツみたいなのをつけて、その中に垂れ流してるという事実に、私どうしても100%の理解ってできないの、地球環境なんてどうでもいいのよ」
「チャクヨ使ってる人とは、友達にはなれても恋人にはなれない、ってこと?」
「うん、なれない。祐輔君はいい人だし、話も面白いし、でもなれない」
「ちょっと、えっと、じゃ、やめるよ、チャクヨ。はっきり言って理香子ちゃんと付き合いたい。ちゃんと。だから、それだったらチャクヨやめる。今日帰ったら、トイレトレーニングはじめる。ほら、2ヶ月でちゃんとトイレできるようになるって訓練法、有名だし知ってるよね。たった2ヶ月」
「ないしは3ヶ月だったかしら。でも、もうそういう問題じゃないの。もしも完全に恋に落ちたあとだったら違ったのかもしれないけれど、この間レストランでチャクヨ使ってるって言われて、なんか一気に冷めちゃって、悪いけれど、もう冷めた気持ちは元に戻せないの」
 ただでさえ鳥居の中は暗かったが、目の前がより真っ暗になった。幽玄の薄闇、申し訳なさそうにこちらを向いた理香子の表情は圧倒的な美しさだ。絶対的に永遠に美しい。どんな過剰な形容も過剰に成り得ない美しさ。今、その絶対性は僕を拒絶する絶対性だった。
「ちょっと待って、えっと、頑張るから、とりあえずトイレトレーニングする。2ヶ月待ってて」
「待つって何を待つの? 私はそういう気持ちはないの。それにトイレトレーニングって、スポーツとかのトレーニングじゃないのよ。あまり好きな女の子の前で、やるやるって何度も力強く口にするもんじゃないと思うけれど。たぶんその辺りの感覚のズレみたいなのも、ちょっと私はごめん」
 さっきまで幻想的だと思っていた、鳥居の薄暗い朱色トンネルが、幻想的どころか絶望的に見える。希望を吸い込む闇の無限空間。あの曲がり角を曲がると、僕は消えてなくなってしまうかもしれない。

「イッッ!」という極短い叫び声が聞こえたのはそのときだ。短いものの、大きく確かな叫びだった。喜んで上げた叫びでも、楽しくて上げた叫びでもない。わずか0.1秒にも満たない短い叫びには、苦痛が満ちていた。あれは人間の声だ。誰かが恐怖と苦痛のあまりに上げた悲鳴だ。同じ生物として、聞き違え様なくそれは確かで、その誰かが感じた恐怖は一瞬にして僕達にも伝染した。
「何今の?誰かの声よね?」
 理香子が怯えた表情で周囲を見渡す。周囲と言っても、左右は鳥居の柱と、その向こうに生えている樹々で視界がない。見えるのは朱色の、グネグネと続く暗いトンネル前後方向だけだ。後方を振り返るも、後ろは闇が続いている。僕達はどちらともなく歩く速度を上げていた。少し歩くと、前方にカップルらしき後ろ姿が見えて、少しホッとする。彼らもさっきの叫び声を聞いたのか、歩くのが結構速くてなかなか追い付かない。鳥居のトンネルの闇の中へ、彼らの背中をすぐに見失いそうになる。心細いので追い付いて合流したいという思いもあったが、あからさまに走って追うのも、彼らを驚かせてしまいそうで気が引けた。トンネルの曲がり具合が大きな所では見失いそうになり、まっすぐになるとまた彼らの背中が見えて、その距離は少しづつ近づいている。薄暗い中にも、段々その姿がはっきりとしてきたようだ。
 ん?
 今のは?
 背中の消え方が、それまでとはちょっと違って唐突だった。さっきまでは、闇に段々と溶けるように背中が見えなくなっていたが、今のは唐突で、まるで闇が大きな口を開けて噛み付いたみたいだ。あるいは落とし穴にでも落ちたみたいだった。

 ビビッ、ビービビッ、ビビッ、ビービビッ!
 ビビッ、ビービビッ、ビビッ、ビービビッ!
 ビビッ、ビービビッ、ビビッ、ビービビッ!
 ビビッ、ビービビッ、ビビッ、ビービビッ!

 僕と理香子の携帯電話が、今まで聞いたことのないアラーム音を立てた。しかもこんな音量に設定できたのかという大ボリュームで。
 かと思うと、何も操作をしないのに大音量でアナウンスが流れ始める。
『政府より最重要緊急警報、政府より最重要緊急警報です。
 先程、大気成分制御機構のコンピュータがウィルスに感染しました。ウィルスは着用トイレ制御プログラムのパラメータを書き換え、分解対象を"排泄物及びオナラ"から、"人体"に書き換えました。危険ですので、直ちに全員着用トイレを脱いでください。繰り返します。政府より緊急警報。直ちに着用トイレを脱いでください。大気成分制御機構の着用トイレ制御プログラムがウィルスによって書き換えられました。人体が超高速AMT分解されます。直ちに着用トイレを脱いでください。…』
 警報は大音量で鳴り止まない。なんだって、チャクヨを脱げだって? こんな外で? 理香子の前で? そんなことできるわけないじゃないか。でも政府からの最重要緊急警報だという。
「理香子ちゃん、今の聞いた? どうしよう? っていうか」
 僕は股間に強烈な痛みを感じて叫び声を上げた、超高速AMTで0.1秒も掛からずに分解されていくはずの体が、どうしてか途中までスローモーションで見えて、そして僕はなくなった。

「あらなんだか、すっきりした!」




横岩良太 短編集
横岩良太
メーカー情報なし

愛宕山ケーブル跡雪中登山日記

2015-01-27 16:32:21 | Weblog


 パズーとシータが「バルス!」と言ったとき、小学生だった当時の僕は「なんてことするんだ!」と思った。今でもそう思う。科学少年だった僕は古代のハイテクで空に建造されたラピュタに対して畏怖の念を抱いていて、それは愛おしさに近かった。もちろん僕が感情移入していたのは主人公パズーだが、ムスカの気持ちも痛いほど分かった。
 発見された古代文明や超ハイテクは物語の終わりでいつも失われ、失われたものはいつもすぐに忘れられる。

 ある失われたものについて話をしたい。
 残念ながら古代文明ほどロマンチックではなくて、たかだか数十年前の話だ。そして、これも残念ながら超ハイテクではなく、数十年前の普通のテクノロジーについて。ただし、普通のテクノロジーではあるものの、当時「東洋一」の肩書くらいはついていて、天空ではないが山頂の高みに作られたものが、かつて京都に存在していた。
 「愛宕山鉄道」。
 愛宕山鉄道は、京都の愛宕山を走っていた。愛宕山は京都盆地最高峰で火の神を祀る愛宕神社が有名だ。京都に住んでいる人間なら大抵の人は愛宕神社の火事避け御札も目にしている。けれど昭和初期から戦前まで、嵐山ー清滝間に電車が走っていて、さらに清滝から愛宕山山頂付近まで当時東洋一と謳われたケーブルカーが走っていたことを知っている人は少ない。愛宕山の上にはホテルと遊園地、キャンプ場にスキー場まであったという。清滝にも遊園地やレストランがあった。観光資源の豊富な嵐山と自然豊かな清滝、愛宕山山頂を鉄道で結び、周囲一帯を広大なリゾート地として開発していたのだ。ハイキング客と参拝者がパラパラ通るだけの今の愛宕山からは想像もできない。
 昭和4年の乗客数は、嵐山ー清滝間53万人、清滝ー愛宕山18万人。ケーブルカーの定員は84人で倍以上の人が乗り込んでよく故障したらしい。
 当時の京都日日新聞は「地上の楽園」と表現している。
 こんなダイナミックなものが京都にあったのだ。それも未来ではなく今から80年以上も前に。

 この愛宕山鉄道、愛宕山ホテルの話は、神戸摩耶山の話に良く似ている。
 摩耶山も神戸市内とケーブルカーで連結して山上のホテルや遊園地を楽しんでもらうという構想で開発されていた。摩耶山では今もケーブルカーが運行しているが、山中にあった摩耶観光ホテルは今では有名廃墟の1つになっている。
 愛宕山ホテルの開業が1930年で閉鎖が1944年。
 摩耶観光ホテルは開業1929年で閉鎖が1945年。
 共に世界恐慌の中開業し、終戦と共に終焉を迎えている。もしも戦争がなかったら、2つのホテルは21世紀まで生き延びただろうか。そうであれば、京都や神戸の観光マップは今と随分様相を違えるダイナミックなものになっていたかもしれない。
 現実には戦争は起こったし、愛宕山鉄道もホテルも失われ忘れられた。僕は何十年も京都に住んでいるのに、愛宕山鉄道のことを知ったのはほんの数年前で、そしてまた何年もすっかり存在を忘れていた。思い出し、その跡を見に行ったのは、やっと数日前のことになる。

 集合は朝10時に太秦天神川駅、バスの時刻表を確認すると9時59分発の次は10時59分で、しかもそれが清滝へ向かう最後のバスだった。しまった、集合時刻を決める前に時刻表を見るべきだった。1時間も待てない。こうなれば9時59分発に乗りたい。全員が早めに集合すればバスには乗れるが、バスに乗ってしまうとその後は店が全くないので、バスに乗る前に食料を買う必要があった。SKDは今どき携帯電話を持っていないので、僕は地下鉄の中からウメバラにメールを送って状況を尋ねた。ありがたいことにウメバラは既に集合場所に着いていて、SKDはまだ来ていないが目の前にスーパーマーケットがあると返事を送ってきた。SKDの家への電話と買い物をウメバラに頼んで、電車が駅に着くと僕も走ってスーパーへ向かう。電車の到着は9時49分。階段を駆け上がり道路を渡ってスーパーへ入るとウメバラとSKDの2人がカゴに水やおにぎりを放り込んでいた。紙コップ付きのインスタントコーヒーとチョコレートなどを追加して買い物を切り上げ、急いでバス停へ向かう。

 最終が朝の10時59分という人気のない路線だけあって、僕達の他にバスに乗ったのは白髪のブツブツ独り言を言っているおじいさん1人だけだった。太秦天神川から清滝まではバスで二十数分。愛宕山ケーブルについてネットで調べたものをプリントアウトしていたので、SKDとウメバラに読んでもらった。SKDは奥さんのiPhoneを使って僕がプリントしたのと同じサイトを既に読んでいた。ウメバラは「車酔いするんで気分悪くなるかもしれないです」と言いながらも二種類の記事を読んでくれた。
 軽い曇天の下バスはスイスイと走り、山へ差し掛かるとやがて前方に細長いトンネルが現れる。心霊スポットとして有名なトンネルだ。車一台がやっと通れる幅しかないので対向はできない。僕はここを車ででも自転車でも歩いてででも通ったことがあって、古いから狭いのだろうと勝手に思っていたのだが、実はこのトンネルは元々愛宕山鉄道のトンネルだったらしい。単線だから電車1台分の幅があればそれで事足りたというわけだ。さほど明るくはない照明が数メートル毎に明部と暗部の縞模様を形成し「異界へのトンネル」という単語が頭をよぎったりはするが、もちろん幽霊も出なければ異界へも繋がってはいない。トンネルを抜けると相変わらずの曇天が僕達の頭上を覆っていて、すぐにバス停「清滝」へ到着した。

 バスを下りると、五分もしないうちに微かな雨が降り始める。天気予報では昼前から昼下がりに掛けて弱い雨が降るということだった。もっとも山の天気は街の天気とは異なるから天気予報は参考にしかならないなとは思っていたのだが、この日はあとで結局「雪」にしっかり降り籠められることとなった。
 この日は「気軽なハイキング」のつもりだったので、僕達は全員が軽装。SKDに至っては雨具すら何も持っていない(長靴をはいていたけれど、彼は長靴をまあよく履いている)。気軽なハイキングの後には街中で飲んだり食べたりする予定だったので、僕はほとんど街中仕様の服装で、靴だけはここで汚れてもいい靴に履き替えた。そうこうしているとすぐに別のルートからバスがやって来て、こちらは年配の登山客で一杯。

 小道の坂を下り、橋を渡って少しだけ民家や宿の並んだ地区を抜ける。愛宕神社参道の入り口と川の間にある砂利道を進めば愛宕山ケーブルの跡が見えるはずだ。簡単に見つかるものだろうかと少し心配していたら、なんとも拍子抜けなことに「ケーブル清滝川駅跡」と書かれた看板が立っていた。きれいな看板には説明文も載っていて、そのオフィシャル感に少しほっとする。僕は他にもいくつか廃墟を訪ねたことがあるけれど、入るのは違法で見つかると厄介なことになるのだろうなというところが多い。ここはそういう気疲れをしなくて良さそうだ。看板のすぐ向こうにはプラットホームの跡があり、それを越えて少し歩くとすぐに線路跡に行き当たった。山の地形を穿ちまっすぐな勾配が両サイドを石垣に守られて伸びている。斜度は25度らしい。落ち葉と枝の堆積が結構あって、人はあまり通っていないように見えた。雨に濡れた落ち葉を踏みしめて、僕達は線路跡を登り始める。前方に一匹の鳥がいて、僕達が近づくと線路跡を少し遠くへ飛んで距離を取る。5、6回同じことを繰り返して、鳥の邪魔をして申し訳ないなと思う。

 両サイドの石垣がなくなり、小さな谷を跨ぐ高架が現れた。入り口にはロープが幾重にか渡されて「愛宕山登山道」は左に行けとの札が付いている。そのまま線路に沿って視線を上げると1つ目のトンネルが見える。僕達はロープを跨いで高架の上を進む。まさか崩れたりはしないだろう。橋梁を渡り、そのまま第一トンネルへ。
 前情報では愛宕山ケーブル跡には合計6つのトンネルがあるとのことだった。通れるのは1つ目、2つ目、4つ目、6つ目で、残る3つ目、5つ目のトンネルは内部が崩落していて通れないらしい。
 打ち捨てられて長いトンネルの内部は、倒木があったりしていかにも荒れ果てていた。それでも天井があるのはありがたい。出口で少し雨宿りをして、水を飲んだり休憩する。

 第二トンネル、第二橋梁などを抜け、いよいよ崩落の第三トンネルへやって来た。今までのトンネルとは内部の暗さが違う。トンネルの出口からやってくる光の欠片みたいなものが全然感じられないし、見るからに何かの障害物が前方を塞いでいる。崩れかけたトンネルに入るのは少し気がひけるが、崩落現場を見たいので中へ入った。懐中電灯を持っているのは僕1人で、十分な明かりがないもののトンネルが完全完璧に塞がっていることは明白だった。崩落を目前にすると急にちょっと怖くなって外へ出る。
 トンネルを通れないので、ここは迂回するしかない。この迂回途中から雨は雪に変わり。そして雪はじゃんじゃんと降り積もりはじめた。ウメバラの言動に「帰ったほうがいいんじゃ。。。」という雰囲気が現れはじめる。この先雪が強くなると厄介ではあるが、ここで帰りたくはなかった。SKDが「とりゃっ」と長靴で急斜面を登って行き。僕も軍手を嵌めて四足でウメバラの隣をよじ登った。
 しばらく迂回路で山の中を進み、線路へ戻り第四トンネル。トンネルの出口で先を見遣ると雪が濃密な白色空間を形成していてどっと疲れる。天気が良ければなんてことないはずの道だ。小休止。時刻はまだ正午前で、一帯を雨雲が去るのはレーダーによると2時間後か3時間後だった。そんなに待っていられないので、雪の中を進むことにする。それに時間が経てば経つほど雪は積もる一方だ。
 次の橋梁は一部が崩壊していて、幅30センチ程の細いコンクリート2本だけになっていた。さらにその上に雪が積もり始めている。ウメバラが立ち止まり「これは落ちて死ぬかもしれません」と神妙に言ったが、左の尾根側を通ればなんてことない。
 短い第4トンネルを潜り、次なる第5トンネルはやはり崩落。もう一度迂回。なんだかんだ言ってもケーブルカー軌道跡は人工物なので分かりやすいし歩きやすい。トンネルを迂回して再び軌道を見つけるまで山の中を歩くのが今回のトレイルで一番面倒だった。第5トンネルの迂回が済むと目の前にいかにも普通のハイキングコースという風情の道が現れた。

「えっ、そうなの拍子抜けだな、つまんないな」

「いや、横岩さん、あのさっきの道、雪の中戻れますか、これ? 普通の道あってよかったじゃないですか」

 ウメバラは少し怒っているのかもしれない。
「帰りにこの道使うかもしれないので、ちょっとこの道もそこら辺まで見ておきましょう」というSKDの建設的提案により、その普通の登山道を左へ進んでみると、そこには愛宕参りの普通のハイキングコースがあり、普通の休憩小屋まであった。壁こそないものの、屋根の下で何人かの年配登山客が休憩している。彼らはきちんとしたトレッキングシューズを履いてゴアテックスか何かの上下で武装していて、家の近所を散歩するような格好で現れた僕達の足元に「バカな若者」という視線を飛ばした。
 非常用帰り道の下見を終えた僕達は、再びケモノ道に戻りケーブル軌道跡を探す。幸いにして、軌道はすぐに見つかり、最後のトンネルである第6トンネルを抜けると見上げた先に建造物らしきものが見える。ケーブル愛宕駅跡に違いない。もう少しで到着だ。そろそろキチンと積もり始めた雪はろくな靴を履いていない僕達には厳しかった。斜度25度の人工的な坂道に積もった雪はアイゼンがないときつい。一歩一歩すべりながら進み、ちょうど手頃な木の枝が落ちていたので僕はそれを拾って杖にした。杖なんて、みんな日常では使わないし、杖の使用経験のある若者は多くないと思うので書いておくと、杖はすごい。僕はかつて膝を痛めている時に、山登りで膝を庇うため二本の枝を拾って杖代わり両手に持って歩いてみたことがあるのだけど、あまりに歩きやすいのでびっくりしたことがある。悪路で足元が取られるとか、もう多少のことは全然気にしなくても杖があれば歩ける。実質4足歩行なので抜群の安定感だ。

 声が聞こえたのはその時だった。
「キョエーェッーーーーーー!」
 という知らない獣の鳴き声みたいな声が駅跡の方から聞こえてきて、僕達は同時に歩みを止め顔を見合わせた。無言で聞き耳を立てる。無言だが全員考えていることは同じだ。何の動物だろう。動物だよな、人間じゃないよね。だってこんな山奥の廃墟で雪の日に。っていうかこの異様な叫び声が人間のだとしたらヤバい。動物であってくれ。タヌキとかカモシカとか。ほら、あそこタヌキだ! へー、タヌキってこんな声も出るんだね、知らなかったよ。みたいな会話で和やかに済んで欲しい。
 残念ながら、叫び声は人間のものだった。続いてけたたましい笑い声や「おい、コラ、お前!!!」といった激しい怒号が次々に聞こえてきたのだ。そして女性の声も微かに聞こえた。何者だ。。。まさかこんな雪の中、まさかこんな山奥の打ち捨てられた廃墟に僕達以外の人間がいるとは。そしてこのテンション。犯罪者の巣窟になってってヤクでもやってるのか。女の子が攫われてきて回されてたり。。とても街中には住めない殺人傷害強盗集団が隠れ住んでたり。。。ここで帰るべきだろうか。せっかくここまで来たのに。
 結局、僕達三人は無言のまま再び歩き始めた。とにかくゴールしないことには気が済まないし、屋根のある場所で雪をしのぎたいというのもあった。最悪の場合でもこっちだって男三人だ。

 建物に近づくと、2階にチラッと人影が見えた。んっ、子供か? すぐ傍まで来ても、2階から相変わらずの馬鹿騒ぎが聞こえてくるだけで、姿は確認できない。何人いるのか知らないが、結構な人数が2階にいるようだった。建物は地下1階、地上2階の合計3フロアで構成されている。向こうもこっちの存在には気付いているだろうし、それとなくお互いに住み分けて僕達は一階でランチにしてもいいかもなとか考えながら、やっぱり釈然としないので、2階に上がってみることにした。
 なんと2階にいたのは7,8人の男子中学生と引率らしき20代の男女2人だった。山岳部か何かだろうか。男子生徒達は大はしゃぎしていてテンションがスーパー高くて、つまり叫び声や怒号の正体はこれだったのだ。僕達の姿を見ると、男子達は「こんにちわー」とさわやかに挨拶し、さらに引率の女の子が「どのルートで来られたんですかぁ?私達、もう10分くらいで出ますので、場所交代できます、すみません」と丁寧に話掛けてきた。僕も「いやぁ、お構いなく、僕達下でも大丈夫ですから、ルートはケーブル跡上がってきました」と、さわやかな登山者モードに一転して返事をし、そして僕達はいそいそと一階へ戻った。
「なんだ、子供が騒いでただけじゃん」
「中学生だったら、このシチュエーションだったら、雪も降ってテンション上がるよね」
「僕だって普通にスト2ごっこして昇竜拳とか叫んでたもん、あの頃は」
「2階思い切って見に行ってよかった、これで安心してランチにできる」
 ほっとしたのも束の間、今度は止まったせいで体が冷えてきて強烈に寒い。今すぐに暖を取りたい。良く見れば天井からはツララが何本も下がっている。駅跡の一階には、既に誰かが焚き火をした跡があった。たぶん誰かが一度焚き火をして、その場所がいつの間にか焚き火スポットになったのだろう。建物はコンクリートでできていて多少焚き火をしても問題はなさそうだ。
「よし、焚き火をしよう」
 幸いなことに、僕はアルコールの固形燃料をいくらか持っていたので、雨や雪で濡れた枝しか落ちてなくても簡単に焚き火はできる。僕が手近にあった物で焚き火の準備をする間に、SKDとウメバラが大小様々な枝を雪の中から掘り起こして集めてきてくれた。砕いた固形燃料の上に、小さな枝、中位の枝、大きな枝と載せて火を点ける。狼煙を上げる要領で大量の煙が濡れた枝から立ち昇り、僕達の喉を直撃する。段々と火が大きくなり、一度安定してしまえばもうこっちのものだ。あとは濡れた枝をなるべく火の傍において乾かしてくべていけばいい。僕はコッヘルに水を入れて火の中に放り込んだ。焚き火に当たるだけではなくて、温かい飲み物が今すぐほしかった。お湯が沸くと、インスタントコーヒーをコッヘルに放り込んで、今日はカロリーが必要なので砂糖も全部ぶち込んだ。紙コップのインスタントコーヒーで、一先ず乾杯。

「あー、なんの臭いかと思ったら焚き火!」と言いながら、2階から中学山岳部の人のグループが下りてきた。
「焚き火なんて発想なかったです。そっかあ、焚き火いいですね。そのコッヘル使い込んでそう。スノーピークのチタンのですか?」
 叫び声を遠くから聞いたときには、まさかこんなにフレンドリーな会話が発生するとは想像もしなかった。彼女は首から蛍光ペンでルートを書き込んだマップを下げていたので、僕は道を尋ねる。なんとこの廃墟は秘境でもなんでもなく、普通のハイキングコースの一部だった。良く見てみると、公園なんかに良くある木製のベンチまで廃墟の前においてある。「あそこを左に行ったら、もうずっと一本道です」
 寒さで疲労していたので、今度はウメバラの指摘を待つまでもなく普通のハイキングコースがありがたい。

 中学生山岳部一行を見送ったあと、煙を避けながら焚き火の傍でおにぎりなどを食べていると、今度は大学生らしき青年が1人で現れた。彼は一眼レフのカメラを提げていて写真を撮りに来たとのことだったが、彼もまた普通の格好だった。「いやー、ちょっと写真撮ろうと思って登ってたら雪降ってきて、靴なんてグチョ濡れですよ」
 最初は遠巻きに挨拶をしただけだったが、「焚き火当りますか?」というとこちらへやって来て話がはじまり、どうやら僕達と同じルートでここまで来たことが判明する。彼の装備は僕達よりも悪くて、本当に何1つ「山」に関連するものを持っていなかった。少し心配だったので別れるときに板チョコを上げる。

「もうちょっと火に当たってたいので、焚き火にくべる物探してきます、手が冷たくて痛いですけれど」と言うウメバラに、SKDは「手袋したら」と言った。
「いや、手袋したら余計に痛い感じになってるんで、無しで大丈夫です」
 言っていることの意味が分からないが、彼は良く意味の分からないことを言うし、大丈夫というときは大丈夫みたいなのでそのまま任せる。
 交代で薪木を集めて、結局は2時間くらい僕達はそこにいた。途中、あまりにも煙たいので落ちていた傘を火に被せて三人で立ち上がり傘を持ち、顔まで煙が昇って来るのを防ぎながら傘の下に差し入れた手を温めるなどの技を駆使したけれど、雪の混じった風が吹き付ける中では十分に温まることも難しく、「ちょっと、僕達の今のこの光景、これ客観的に見てみたら面白すぎますよ、クククククっ、三人で傘持って突っ立って寒がって、ククク」とウメバラは笑った。

 ラップアップして駅跡を出たのは3時前だ。雪は相変わらず降っていて止む気配はなかった。駅跡の少し上には愛宕山ホテルの跡があるが、そこは建物もほとんど残っていないし、今日は雪に埋もれて見えないだろう。疲労もあるので諦めて山岳部の女の子が教えてくれたルートで下山する。水尾別れまで来ると、休憩小屋に温度計がぶら下がっていて、それをじっと見たウメバラが「マイナス15度です!」と言う。一瞬「まさか」と思ったけれど、そこまで寒いわけないので自分で見てみるとマイナス7度だった。寒いには寒い。
 清滝へ戻るか、水尾まで行くか相談し、どうせなら違う道をということで水尾への坂を下りる。たぶん体力がダントツなSKDは登りの後半からすでに先頭を歩くことが多かったが、下山ではほとんどずっと先頭を歩いていて「速いっすか?」とたびたび余裕の表情で振り返るのだった。水尾までは別段変化のない山道で、雪にすべりながら退屈な歩行を続けた。水尾集落へ出てアスファルトの道路を歩きはじめると、この雪まみれのハイキングもいよいよ終盤だ。山からの細い道路と、山沿いを走る比較的広い舗装道路との交差点へ差し掛かった時、角の向こうから大勢の人間が走ってくる激しい足音が聞こえてきた。雪降る曇天に沈む閑散とした集落に足音が響き渡り、一体何事が起こり何者が走っているのかと思えば、さっきの中学山岳部一行だった。「もうすぐバスが出るからそれに乗りたいんですよ!」と、例によって引率の女の子が状況説明し、彼らはそのまま走り去る。

 もとよりバスには乗らず、歩いて駅へ向かう予定だったので僕達は焦ることもない、「奇遇だね」と歩いていたら、しばらく先にバス停があり彼らがバスを待っているのが見えた。どうやら間に合ったようだ。ところが、やってきたのはバスというよりハイエースで、運転手が窓から彼らに「ゴメン、満員」と言うのが僕らのところまで聞こえてきた。
 僕達がバス停に差し掛かると、男子生徒達はブツブツ文句を言い、例によって女の子が「バス満員で乗れなかったんです」と状況説明してくれた。
 というわけで、僕達は微妙な距離を取りながらみんなして駅へ向かって歩くことになった。駅には年配の登山客が20人くらいいて、タオルで濡れた顔を拭いたり泥を落としたりして電車に乗る身支度を整えている。
 電車に乗ると、通勤や通学その他もろもろの、何らかの目的で都市を移動する人達が、席に着いたり吊り革につかまったりしていて、温かいエアコンが身体を包み込んだ。さっきまで山の上の廃墟にいて、雪に凍えながら焚き火をしていたなんてまるで嘘みたいだった。

 ・ウメバラによるメモ書き漫画日記(8秒毎切り替わります)


 ・ウメバラによるメモ書きトンネルイメージ(意味は不明。5秒毎切り替わり)

「ベイマックス」の構成とテーマ;ハートより視点転換

2015-01-11 22:00:38 | Weblog
 「お涙頂戴やさしいって素敵だね物語」ではなく、「ギークの為のアクションSF」であるという評判を聞いたので、それならと「ベイマックス」を見てきました。
 この映画については4点書きたいことがあります。

 1,映画のテーマは何か。
 2,ロボットと人間と記憶と私。
 3,アメリカの都市とアジアの雑踏。
 4,やっぱりスーパークールなサイエンス。

 それではまずテーマについて。
 ベイマックスは日本では「心温まるちょっと悲しい物語」として宣伝され、アメリカでは「ギークアクションSF」として宣伝されているという話ですが、この映画のテーマは「見方を変えてみよう」「視点を変えてみよう」というものです。愛でも仲間でもハイテックでもヒーローでもなく、テーマは「見方を変えてみよう」です。
 「ん?何いってんの?」と思われるかもしれないので、映画の構造について少し書きたいと思います。

 アメリカの映画はかなりカッチリとしたルールに則ってシナリオの練られたものが多いですが、この映画は典型的なハリウッド的シナリオの上に成立しています。
 下に示すのはブレイク・スタイナー・ビート・シートという、こんな感じで話を進めるのが良いというお手本です。カッコの数字は全部で110ページのシナリオの何ページ目かを表しています。だいたい2時間弱の映画ならそのまま経過分数ですね。

 1、オープニングイメージ(1):ファイナルイメージと対になる掴み。
 2、テーマの提示(5):映画のテーマを提示。
 3、セットアップ(1〜10):ここまでで映画の登場人物を全員出してどんな映画か分かるようにする。
 4、きっかけ(12):物語が加速する為の事件が起きる。
 5、悩みの時(12〜25):起こった事件に対して主人公はどう行動するか悩む。
 6、第一ターニングポイント(25):物語が大きく転換。
 7、サブプロット(30):一休みして本筋の話とはちょっと違う話を挟む。
 8、お楽しみ(30〜55):「これこれ、この場面が見たかったんだ」と鑑賞者が喜ぶサービス盛り上がり場面。
 9、ミッドポイント(55):盛り上がり絶頂、あるいは、最低最悪。
10、迫り来る悪い奴ら(55〜75):敵に急接近。
11、全てを失って(75):敵にやられるだけでなく、味方まで失ったり。死の気配がある。
12、心の暗闇(75〜85):絶望したりダークサイドに堕ちたり。
13、第二ターニングポイント(85):大転換その2。
14、フィナーレ(85〜110):大団円。
15、ファイナルイメージ(110):同じような場面設定で欠点だけが克服されていたりする形でオープニングイメージと対になる。

 ベイマックスはファイナルイメージが第一ターニングポイントと対になっている以外、ほとんど完全にこの通りのシナリオです。(ネタバレ注意)

 1、オープニングイメージ(1):ロボットファイト。工科大学見学。
 2、テーマの提示(5):大学入学テスト用の発明の為に「見方を変えてみよう!」とタダシがヒロに言う。
 3、セットアップ(1〜10):ヒロ、タダシ、大学の仲間、教授、品評会での実業家、ヒロのおばさん、ベイマックス、猫のモチ、全員ここまでで出ている。
 4、きっかけ(12):ヒロ大学に合格するも、直後に火災で教授、タダシ共に死ぬ。
 5、悩みの時(12〜25):タダシが死んでヒロ落ち込む。大学入学も保留。
 6、第一ターニングポイント(25):ベイマックスが「痛い!」を聞いて起動。追いかけるタダシ。店を出るとき急いでいるのにおばさんがハグをしてきて邪魔。倉庫発見。敵「カブキマスク登場」ベイマックスを改造して戦うも負けて大学の仲間に助けてもらう。
 7、サブプロット(30):フレッド、実はお金持ちで大豪邸にはオタクグッズがたくさん。
 8、お楽しみ(30〜55):改造してパワーアップ。パワーアップしたみんな。空を飛び回るベイマックス。
 9、ミッドポイント(55):そのまま島を見付けて攻めこむ。
10、迫り来る悪い奴ら(55〜75):島へ攻め込むも負ける。カブキマスクの正体が教授とわかる。
11、全てを失って(75):ヒロ、ベイマックスからタダシの看護チップを取って凶暴にし教授を殺そうとする。止めに入る仲間まで。
12、心の暗闇(75〜85):ヒロ、仲間を置き去りにして教授を追う。
13、第二ターニングポイント(85):ベイマックスがタダシの映像を見せてヒロが我にかえる。
14、フィナーレ(85〜110):みんなで再び教授と戦い、形勢が不利な状態でヒロが「見方を変えてみよう」とみんなに言うのがきっかけで勝利。ベイマックスは自己犠牲。
15、ファイナルイメージ(110):ベイマックスのチップを見付けて再生。みんなでおばさんの店から大学へ。おばさんにハグをヒロから求める。

 テーマの提示を行うことになっている5,6分経過した辺りで「見方を変えてみよう」とタダシに言わせていて、同じセリフをクライマックスでヒロに言わせているので、これがこの映画のテーマです。もちろん、2時間弱の話には細部を含めて色々な要素があり、色々なメッセージを汲み取ることが可能ですが、設定された一番のテーマは「見方を変えてみよう」に間違いありません。
 宣伝と相まって、特に日本ではベイマックスが愛とかやさしさとかハートフルなものをテーマに掲げただけの映画だと思われていそうなので、一先ずシナリオ構成の観点からテーマを抽出して提示しておくのも意味があるかと思い書きました。
 ベイマックスは「見方を変えてみよう!」という映画です。(続く)

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