Tokyo > L.A.

2005-09-28 02:51:11 | Weblog
 ビバリーヒルズ代表の今日もホットな女の子、アンナからバトンを受け取りました。
 今回のバトンは「夢バトン」ということです。

 Q1小さい頃の夢

  科学者、発明家になる。
  バック・トゥ・ザ・フューチャのドックとかグーニーズのデータとか憧れでした。
  あとアインシュタインとかキテレツくんも。自分の部屋に「研究室」とかプラカードつけてました。

 Q2それはかなったか?

  叶ってません。
  ほとんど諦めかけですが、まだ途中です。

 Q3現在の夢

  お金持ちになって好きな人と毎日気楽に健康に過ごすこと。

  働かないで遊んで暮らしたいです。旅行もバックパッカーとかが昔は好きでしたが、今はファーストクラスで飛んで、ホテルは最高級のスイートに泊まって、ルームサービスでシャンパン頼んでゼリービーンズ部屋中にぶちまけておかしなメガネかけて大騒ぎしたい、三つ星レストランで食事して夜のプールでカクテル飲んでリゾートしたいです。

  本当はもっと形而上学的な夢や、物理学上の夢や、空を飛びたいとか書けばいいのですが、大人になってきて、そういうことよりも大事な人と気楽に生きていく、ということの他にこの世界に大切なものなんてないような気分になってきました。新しい物理理論を構築したり、半重力装置を作ったり、ビバリーヒルズに住んだり、グラサンでビーチに寝転んでカリフォルニアFM聞いたり、ピンクのキャデラックでニューヨークをぶっとばしたり、そんなのは全部トッピングに過ぎないと思うのです。もちろん、トッピングはあればあるほどいいですが。

 Q4宝くじで3億あたったら

  投資して運用して増やします。

 Q5自分にとって夢のせかいとは

  なんだろう。
  子供の頃はペンギン村に住みたいと思っていました。

  今は、世界中の人が、好きな人と離れ離れにならずに、健康で、清潔で、十分な食べ物があって、海辺でみんなで飲んだり歌ったり踊ったりしているような世界になればいいとおもいます。そして時間が止まればいいと思う。平和なネバーランド。不幸は要らない。それからキラキラしてること。

 Q6昨日の夢

  見てないです。

 Q7次の5人

  まつだくん
  りょう
  たっくん
  やなぎ
  カモくん

  暇があったらでいいのでおねがい。

グーニーズ 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ

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a red bicycle.

2005-09-26 13:53:08 | Weblog
 僕の自転車は確かに赤いけれど、これは僕の自転車についての話ではない。もういくらか錆びてしまった赤い自転車が、僕のよく通る道に捨ててあって、僕はこれからその自転車のことを書こうと思う。
 それは、単に道端に捨てられた1台の放置自転車であり、何も特別なところはない。多少レトロで、僕はその自転車をはじめて見たときにはちょうど自転車を持っていなかったので、それを失敬しようかどうか迷っていた。でも、友達がゴミ捨て場から拾ってきた自転車に乗っていたところ、占有離脱物横領の罪で捕まり、いろいろと面倒だったので僕は自転車くらいは正規のルートで手に入れることにして、その自転車をあきらめ、代わりにピカピカした赤い自転車を買った。

 いつまでもその自転車はその場所に置かれたままで、もう半年は軽く経過しているのだけど、一向に誰かに処分される様子もなく、誰が破壊するのかは分からないけれど、だんだんとカゴがもげてきたり、タイヤのチューブが飛び出したり、チェーンが外れたり、経年変化ではなく人為的に破壊が進んでいて、僕はそれを見るたびにいたたまれなくなる。僕はこの自転車を失敬して乗り回すべきだったのだろう、やっぱり。

 道端に山のように落ちている自転車は、どのようなルートで処分されることになっているのだろう。みんなが自由に乗れるようにすればいいと思う。

 と思ったので、京都市に聞いてみることにします。

 自転車の話を書き始めたとき、何も書くことは決まっていなかったのですが、少なくとも一つ、自転車のことを京都市に聞いてみるということを思い付いたので、書いて良かったです。

ブドウ。

2005-09-23 22:18:22 | Weblog
 今日はバイト先のみんなでブドウ狩りに行きました。
 ブドウ狩りには、僕はとても小さいときに一度行ったことがあって、ブドウを採ったり食べたりした記憶はほとんどないのですが、でも、その時にみんなで撮った写真がいわゆる心霊写真だったので、その写真のことはとても良く覚えています。

 そして、26歳になって再びブドウ狩りをしてみると、最初、それはとてもあっさりと終わるように見えました。
 僕たちはブドウ畑に入って、それから一分後にはブドウを一房ずつ切り取って、しばらくは「それで、これからどうするの? ブドウ食べるだけ?」と言いながらブドウを食べていて、すこしばかり先行きが不安な状況に陥っていた。
 でも頑張って次の房にチャレンジしたり、ブドウを冷やす氷を買ってきたり、ゲームで負けた人がブドウを食べたり、暑い暑いといいながら気がつくとブドウ畑に僕らが一番長居していて、それから随分な量のブドウを消費していた。

 そのあと、異常に広い公園で野球をして(なんと、僕のチームは負けてしまった)、それからやけに人気のソフトクリーム屋に寄って、お好み焼き屋に寄ってから帰った。

クオリア。

2005-09-21 22:38:42 | Weblog
 以前にも一度、このブログに書いたとは思うのですが、僕は予備校生のときに茂木健一郎さんの「脳とクオリア」という本を読んで、ものすごい衝撃を受けました。僕の人生において、あれほど劇的に読書が思考に作用したことはありません。
もしも、いつか僕の人生を年表にするのなら、その中には「クオリア」以前、以後というとても大きな分けかたも必要になると思います。それくらい大きな著作でした。

 僕自身は今、別に脳の研究をしているわけでもなく、応用と理論の間のような物理学の世界にいるのですが、物の見方に茂木さんの影響をとても強く受けているし、もっと直接に視覚やなんかの勉強をしたこともあります。

 そして、時間は流れて、気が付くと茂木さんは近所の大学の客員教授になっていらして、来週はテレビにも出演とのこと、そして今月の30日にはその京都造形芸術大学で茂木さんも参加なさるイベントがあるのですが、たぶんアルバイトでいけないのだろうなと思う。

 とても面白いイベントになるのではないかと思います。
 以下は茂木さんのブログから引用させて頂きました。


創造力-クリエティビティ-とは何か
『Diversity KYOTO-多様性が創造する未来』 
日 時
2005年9月30日(金) 18:00〜20:30(開場 17:30)
場 所
京都造形芸術大学 芝生広場  
※人間館ギャルリ・オーブ屋上。 雨天の場合、会場を変更することもあります。
パネリスト
タナカノリユキ(クリエイティブディレクター、アートディレクター、映像ディレクター)
黛 まどか(俳人)
茂木健一郎(脳科学者、京都造形芸術大学客員教授)
山下 泰裕(柔道家、東海大学教授)
モデレーター
椿 昇(現代美術家、京都造形芸術大学教授)
主 催
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター
お問い合せ
京都造形芸術大学 国際藝術研究センター  世界アーティストサミット事務局 杉浦・岸本
Tel:075−791−9132/Fax:075−791−9181


静かに混雑した世界。

2005-09-21 22:00:44 | Weblog
 「老人には、本当は若い人間には見えないものがたくさん見えている、だけど、それを言うと”ボケた”と思われるだけなので黙っている」

 というような文章をどこかで読んだことがある。
 たとえば、死者だとか、この世界から既に失われてしまったように認識されているもの。それが老人には見える。
 でも、「ケンジ、たしかにポチは死んでしまったけれど、でも本当はポチはまだここに座っておるよ。おじいちゃんにはよく見える」なんて言うと、孫のケンジはおじいちゃんがボケたか、それとも単に自分のことを慰めようとしてくれているだけなのだろうと考える。
 だから、彼は何も言わない。ポチとこっそり目配せをして、そうしてケンジが泣くのを見守るしかない。
 もしも本当ならば、なんて優しくて素敵なことだろう。

 そして、僕はこの話の半分を信じている(さすがに、まだ全部というわけにはいかない)。年をとるということは、僕には想像もできないくらいすごいことなんだと思う。この世のものではないものが見えたって、そんなに不思議だとは思わない。

 実は、今日僕は病院に行ってきました。
 別になんてことないのですが、ちょうど盲腸の辺りに3ヶ月くらい違和感があったので、いい加減に診てもらおうと思ったわけです。生まれて初めて採血というものを体験しました。僕が渋い顔をして、「これ、はじめてなんです」というと、看護婦さんは笑いながら「あっちでも向いて見ないようにしててもいいよ」と言うけれど、でも気になって見ないわけにも行かない。当たり前ですが、血って出そうと思えば沢山出るものですね。
 まだ検便も提出しなくてはならないので、検査の結果が出るのは来週になりそうです。まあなんともないとは思うのですが。

 閑話休題。
 たしか村上春樹さんがどこかに書いていたのだけど、

 「物語というのはある意味この世のものではない」

 僕はこの言葉を聞いたときに結構な衝撃を受けた。とても正確で、しかも当然で、でも誰も本当の意味は考えたことのない言葉。

 物語というのはこの世のものではない。
 そして、この世とあの世はそんなに遠いものではない。

TV.

2005-09-21 00:54:41 | Weblog
 NHKが受信料を法的手段に訴えて取る、という話がニュースで流れていた。

 僕はNHKの受信料を払っていない。
 いつも「すみません、払うつもりないんです、法的拘束力ないですよね」と言ってNHKの人には帰ってもらっている。
 でも、それももう通用しなくなるんだろうか。

 僕はNHKの番組が結構好きだし、民放ではこんな番組ありえないな、絶対にスポンサーつかないだろう、この番組じゃ、というようなニッチな面白い番組もたくさん流れていると思う。

 だけど、僕はそれらを多分「無料」だから見ている。
 「新日曜美術館」が見たいからと言って、月にいくらかのお金を払ってまで見るのかというと、多分そこまでしては見ない。

 僕たちは通常、何か「欲しい」ものがあって、その「価値」があると思ったものに対して、その対価を支払う。そして、とても単純なことに、日本人の多くはNHKという存在にその価値を見出してはいないのだ。それなら潰れる他ないんじゃないかと思う。そこを無理矢理お金を取りたてて営業していくなんて資本主義社会では考えられない。

 それから民放について、これも、もしもスポンサーを降ろして全て有料コンテンツに変えたらどうなるだろうかと考えてみた。
 僕たちは、「報道ステーション」を見る為にいくらのお金を払うだろうか。月9のドラマを見る為にいくらのお金を払うだろうか。

 僕はもともとテレビをあまり見ないし、そんなにテレビ番組で好きなものもないので、多分テレビの全コンテンツが有料化されたならば、まったくテレビを見なくなると思う。

 そして、これは多分僕だけじゃないだろうと思う。
 多くの人々が「お金を払ってまで見たくはない」という立場を取り、少なくとも見る番組を大幅に減らすのではないだろうか。

 そのとき、テレビの価値というものが数字としてはじき出される。
 金額という数字。
 テレビ番組の価値は視聴率で測れるものではない。

 たとえば、そんなには気に入らないけれど、でも安かったから買ってしまった服を着ているとき、僕らはそんなに気分良く過ごしたりはしない。安物買いの銭失い、という言葉すら頭をよぎり、やっぱり欲しいものをちゃんと買おうと思う。
 テレビは、激安の0円で、安さに釣られて、もしかしたら多くの時間を「大して見たくもない」番組に費やしている可能性を僕たちは否定できない。一度、この番組にいくらなら払うか考えてみるのも面白いなと思った。「10円」「100円」だったら、そんな価値しかないと思っているものに1時間だとか2時間という時間を当てていることになる。
 それが本当に楽しいことだとは僕には思えない。

 僕は本当に楽しいと思うことにはそれなりの対価を払う用意がある。
 今回、NHKの問題が暴露したのは、単にNHKの話に留まらず、ひいてはテレビというマスなメディアに本当はどれだけの価値があるのか、またはないのかということだと思う。

風鈴。

2005-09-19 23:20:46 | Weblog
 見えないものが多すぎてイライラとする。本当は何もかも全て僕たちの目の前にどうぞとばかりに投げ出されているのに、僕にはそれが見えない。僕たちに見えるのは目に見えるものと、それからちっぽけな想像力と思考の辿り着くところだけで、それはこの世界の端までは届かない。論理の始まるところには論理で切り込むことができない。さらに論理は五感に束縛されている。

 僕らは自分達の住んでいるこの世界を見ることができない。

 もしも本当に僕らの住むこの世界を見たいのならば、僕たちはこの世界の外側に一度出てみなくてはならない。だけど、僕らは僕らの住むこの世界を出ることはできない。もしも出ることができるというのなら、そこはまだ僕たちの住む世界の続きであって、本当の外側ではない。

 マイルス・デイヴィスの名盤「クッキン」。ピアノはモダンジャズピアノにおける左手バッキングスタイルを確立したレッド・ガーランド。彼は元プロボクサーだ。バッキングとジャブはそういえば似ている。音楽とボクシングの幸福な組み合わせ。

 扇風機から送られてくる風を、僕は涼しいと思う。
 大昔の人は空気なんて知らなかった。21世紀初頭に生きる僕はそれが窒素や酸素や二酸化炭素の混合物だと知っている。それは分子であり、さらには原子であり、ひいては電子や陽子や中性子、もっともっと分解してクオークとレプトンに集約され、さらには物質波のことを思うと一体この風はなんなのか分からなくなる。
 得体の知れないものを僕は浴び、そして心地良いと思う。

 涼を得る。体を冷やす。
 でも本当はこの世界に温度なんてものは存在しない。
 あるのはただ粒子の振動だけだ。その激しさを僕たちは温度として認識する。

 グレープフルーツジュースとビールを1対1の割合でグラスに注いだ。
 それからアボガドを丸々2個食べて、ピアノはハービー・ハンコックに代わる。

 それにしても、ジャズの人はみんなファミリーネームとファーストネームが似ているような気がする。

 ビールをいくら飲んでも、渇きは癒えない。
 そうして、夜が明ける頃に僕達はようやく気が付いた。

 「乾いているのは喉ではない」

 そこへ通りがかったジェシーが言った。

 「じゃあ何さ、乾いているものって? 喉じゃなきゃ」

 「ジェシー、僕らにそれは分からないんだよ。残念ながら」

 「なんだよ、それ、インチキか」

 「違うんだ。乾いているのが喉でないことは確かに分かるんだ。でも、何が本当に乾いているのかは誰にもわからないんだよ」

 「インチキだろ。やっぱり」

 僕たちはジェシーにビールをやった。
 乾杯はしなかった。
 それから、まだ暗い通りの中へと歩き出した。道端の野良猫は眠りに戻るところだった。

レモンミント。

2005-09-18 23:57:28 | Weblog
 下鴨神社の名月管弦祭に、本当に少しだけ立ち寄った。
 特別に興味があったわけでもないけれど、近所だし、ただだし、それに一昨日河井寛次郎記念館で偶然に教わったことだから、そういった偶然には乗っかったほうがいいような気持ちもあって、僕はもう終盤の8時を過ぎてから自転車で下鴨神社へ向かった。

 下鴨神社は普段とてもひっそりとしているのに、今日は流石にたくさんの人出だった。糺の森を抜けて歩いて行くと、奥の神社には篝火が焚かれていて、それはなかなか美しい光景だった。

 橋殿で舞や何かが奉納されていて、人だかりができていて、僕はその後ろからなんとか舞を眺める。橋殿の中が明るすぎて雰囲気が出ていない。舞もよく分からなかったので5分くらい眺めて見るのをやめてしまった。
 見上げると、橋殿の右上の空に満月が控えめに光っていた。

 そうして、特に見たいものもなかったのでぐるっと回って帰ろうとすると「おにいちゃん」と呼び止められた。僕を呼び止めたのは馴染みのリサイクルショップのおばさんで、最近はめっきりご無沙汰しているけれど、昔はとてもお世話になったし、僕は店にとてもよく顔を出していた。
 彼女はアルバイトの青年を2人引き連れていて、どちらも僕の知らない人だったので改めて時間の流れを感じた。

 すこし話をして、それから僕はもう一度糺の森を抜けて帰った。
 舞台の照明がもう少し配慮されたものだったらな、と思いながら、僕は昔マジックを教えてくれた友人のことを思い出していた。

 彼はそのマジックを僕たちに教えてくれたとき、「これは明るいところで、こんな近くで見せるものではない」と言った。
 マジックにも色々なものがあるし、最近では近くで見せるマジックが流行っているけれど、でも、ときどきマジックというものは微妙な明るさを必要とするのだ。
 明るすぎる舞台にはマジックが起こらない。

 夜の森は美しく、そしてやっぱり月は控えめだった。

kyoto night club(9/16).

2005-09-16 00:23:23 | Weblog
metro(075-752-2787):
Rub a DUB & Metro Presents International Community Party Special Live Set:icchie (市原大資, Determinations, Bush of Ghost)/ TOMO (REDEMPTION SOUND) Sound:Rub-a-Dub Soldiers & Friends \1,500 inc.1Drink

world:
(有)申し訳ないと TOUR'05 LIVE:LITTLE/サウラ(3ACAFE)
DJ:ミッツィー申し訳(申し訳NITAZ)/ギュウゾウ申し訳Jr.(電撃ネットワーク)/GEE申し訳Jr. (GTS)/掟ポルシェ申し訳Jr.(ロマンポルシェ。)...and more
adv3000yen/1drink  door3500yen/1drink

collage:
BATTERY
DJ:H.TOMITA(STRADA RECORDS/ VISION)
YOTTU, MASAHIRO ONISHI(GARDEN)
STAFF:BATTERY STAFF
GRAPHIC:QUADORA

lab.tribe:
SAYANSE the LIGHT
[HIPHOP/REGGAE/FUNKetc]

GUEST DJ
MURO(K.O.D.P)
COJIE(MIGHTY CROWN)
DJ
ULTICUT UPS!(A.Y.B FORCE/VINYL 7 RECORDS)/ KAMON/ RYU-KI/JAM FIELD/ DAN

Adv.3000(w1d)/door.3500yen(w1d)
22:00 open/start
info:SAYANSE 075-257-1121

east:
no event


山水人。

2005-09-12 13:17:51 | Weblog
 はっきり言って、そこはほとんど楽園だった。
 10日の夜から、僕はM君と滋賀県は朽木の山奥で行われた山水人というイベントに行って来ました。
 イベント自体は8日から12日まで、5日間行われていて、ライブだとか写真展だとか、そしてレイブ(伝説的なゴア・トランスのDJゴア・ギルが10日の夕方から11日の夕方まで、20時間以上もぶっ通しでトランスをかけてくれる)があって、なかなかの数出店された屋台ではサイケデリックな服だとか、アクセサリーだとか、あと安くておいしい食べ物がたくさん売られていた。
 きれいな川が流れていて、飲める水が湧いていて、自由な格好をした人々が集い、そこかしこで音楽に合わせて体を動かし、飲み、食らい。子供たちが走り回り。犬も老人もうろうろと会場を散歩する。
 まるで、1960年代のピッピー達のコミューンだった。
 もう一度言うけれど、そこは本当にほとんど完璧な楽園だった。

 M君の車で、僕たちは夜の7時に京都を出発した。
 生憎、曇った空からは雨が降り落ち、それからときどきは雷も東の空で光っていた。でも、どんなに雨が降ろうとも、僕たちは山水人行きをやめやしない。

 まずは白川のオートバックスに寄って、車のウィンカーを交換して、それからランタンに使う電池をついでに買った。

 滋賀へは途中越えで向かう。
 大原のサンクスによって、ビールとワインと水とお茶、食べ物を買い込む。
 滋賀に入ると、道がよく分からなくなる。頼りになるのはフライヤーに書かれた簡単な地図だけだった。でも、それで僕たちはストレートに目的地に着いた。迷った人もとても多いと後で聞いたから、結構ラッキーだったのだと思う。

 朽木に入り、目的地が近づくと、道は本格的に山道になり、そして携帯の電波が入らなくなった。僕はAに連絡を入れる約束をしていたので、電波の届くところに引き返してAに電話をしたけれど、Aは出なかったのでメールを送っておいた。
 M君も彼女のSさんにメールを送ろうとしたけれど、僕の携帯(au)は入るけれど、彼の携帯(vodafone)は電波が入らなかったので、僕の携帯から彼もSさんにメールを送信する。

 そうして、僕たちは電波の届かない山のさらに奥へと、暗く、雨に湿った道路を進んだ。どこかへ抜けるでもない田舎の山道を、他にもときどき車が通った。たぶんみんなパーティーへ向かう車に違いない。
 山道を走り、雨が降り、人々が集い、「本当に山水人だね」というような話をする。

 結局、会場に着いたのは9時も過ぎてからだった(時計を見ていないので多分ですが)。この先に本当に人々が集い踊っているようなところがあるのだろうかという不安と戦いながら、細く曲がりくねった道を進んで行くと、検問のように自動車を止めているところがあって、最初は事故か何かで車が通れなくなったのかと思ったのですが、そこが会場の受付だった。

 アジアな格好をした人々がトランシーバーで連絡を取り合い、周囲には受付待ちのやっぱりアジアな格好をした人々が結構沢山いた。中には赤ん坊も子供もいたので、最初僕は驚いていた。

 車から荷物を降ろし、受付を済ませ、車をとめに行き、荷物のところに戻ってきて本当に会場を目指す。
 会場までは真っ暗な道で、そこを僕らはランタンの明かりで歩く。少し前に何の明かりも持たないで歩いている赤ん坊を乗せたベビーカーと大量のキャンプ用品を持った夫婦が歩いていたので、僕たちは明かりがあったほうがいいだろうと彼らと一緒に会場まで行くことにした。
 夫婦は大阪から来たらしく、レイブにはよく行くけれど子供が生まれてからはあまり行かないようになった、前行ったのはもう2ヶ月前のことだ、ということを言っていたけれど、でも2ヶ月前ならそんなに前でもないような気がした。
 地面は凸凹でベビーカーはガタガタと激しく揺れるし、僕は赤ん坊のことが心配になったけれど、夫婦はそんなことにはお構いなしだった。赤ん坊も泣いてはいなかったし、そういうタイプの家族なんだろうなと思った。

 会場についてすぐに、ブラックライトとサイケな装飾で飾ったテントが見えて、撮影禁止だった気もするけれどとりあえず一枚写真をとっておこう、とM君がテントの真横にいって写真をとり、そして「ここDJブースです。ゴア・ギルいます」とやや興奮気味に戻って来た。覗き込むと本当にゴア・ギルがいた。会場に着いていきなり、僕は今まで本の中でしか知らなかった人を間近にみることができてとても嬉しかった。

 音楽はこのときチルアウトで、踊っている人はあまりいなかった。
 会場を見渡すと、思ったよりもたくさんの屋台があって、本当に一つの村のようだった。
 まずは荷物を置かないことには行動できないので、僕らはテントサイトに行って、手近なところにレジャーシートを広げて荷物をその上に置いた。森の中には本当に沢山のテントがあって、ここも何かの集落に見えた。僕ら以外の人々はみんなきちんとテントを用意して来ているようだった。僕はほとんど何も持たないで、まるで普通のクラブにでも行くような感じできてしまったし、M君はカッパだとかシートだとか色々持って来てくれたけれど、それでもテントは持ってきていなくて、後で僕らはこの森の中むき出しで眠ることとなった。

 荷物を置いて、しばらくはお酒を飲んだりポテトチップを食べたり、なんとなく様子を伺っていた。そうして、ワインやビールを消費しながら話をしていると、ダンスサイトの方から聞こえてくる音が変化して、ズンズンと低音が響き始めた。チルアウトが終わり、ようやく激しいダンスタイムが訪れようとしていた。

 フロアにはたくさんの人々がいて、思い思いの服を着て、思い思いに踊っていた。僕らも踊りに加わったけれど、僕はこのとき眠くてほとんど眠りながら踊っていた。体が勝手になんとか動いていて、僕の意識はほとんど眠りの中にあった。M君も調子がでないのか、僕らはすぐに自分たちの荷物をおいたベースに引き上げ、それから屋台を回ってみることにした。

 グレートフルデッドの商品を売る(といっても店主のおじいさんは眠っていた)テントを覗き、それからとなりの食べ物を売っている店に入ると、そこは北白川のお店で働いている人やその友達の営業している店で、中には僕が何度もメトロで顔を見たことのあるRさんもいて、「あっ、そういや知ってますよね。僕ら」というような感じで会話が始まり、生物の進化や地域通貨なんかの話で盛り上がった。
 今日もやったんだけど、明日も昼は餅つきするから良かったらおいでよ、ということだったので、その時間までいたらお願いします、と言って、お酒の飲みすぎでタバコを吸った瞬間にブラックアウトしそうになったM君を連れてベースに戻った。

 M君がそのまま眠ってしまったので、僕は一人でその辺りをうろついて、それからしばらく踊って、結構疲れているような気がしたのでベースに戻って少しだけ眠ることにした。
 僕らの一番の狙いは、踊りながら夜明けを体験することだった。夜明けが何時なのか知らないけれど、4時くらいから踊りだせば十分に間に合うだろうし、時間はまだ1時か2時を回ったくらいだった。すこしくらい眠ったって問題ない。

 そうして、二人して起きたのは2時半とか3時とかそれくらいの時間だった。
 M君はベースの隣に吐いていたので「臭くないですか」と気にしていたけれど何の臭いもしなかった。匂いといえば、会場のどこにいても匂うお香の香りがあるだけだった。

 本部のテントでおでんと焼きソバを食べて、そして僕たちは再び踊りだした。

 火のついたボールを振り回す人や、火炎放射器みたいなもので空高く火を吹き上げる人、ジャンベを鳴らす人。僕がフロアを振り返ると、松明の明かりの中で、大地の上に立って沢山の人間が踊っていた。その周囲には屋台の明かりが沢山見えていて、椅子に座ってただ休んでいたり話をしている人々がいる。
 僕はこの光景を一生忘れやしないだろう。
 僕たちはものすごく強力で幸福な空間を共有していた。
 そしてこれは一昔前にはもっとありふれた光景だったのではないかとも思えた。タイの屋台なんかはこういう感じなんじゃないだろうか。

 やがて、空が白み、朝が訪れる。
 人々は踊り続け、音楽は鳴り続け、大気はとても棲んでいて、それでいてエネルギーに溢れていた。

 振り返るとM君は真っ青な顔をしていて、しばらくしてからお茶を飲みに行くというので僕も一緒にベースに戻った。彼は激しく消耗しているように見えた。僕だってこんなに激しく踊ったのは久しぶりだったし、相当に消耗していた。すぐにお腹が空く。

 キャンプサイトでは起きた人々が歯を磨いたり、朝ごはんを食べたり、聞こえてくるトランスの音とは半分は関係なしに過ごしていた。とても平和な空間で、通りがかりに知らない人と挨拶を交わす。
 顔を洗ったり、水を汲みに行ったり、ベーグルを焼いたり、限りなくピースな空間。

 僕たちは疲れていた。
 そんな平和な空間にあって、そろそろ帰ってもいいんじゃないかと思い始めていた。どこか音楽の聞こえないところに行って、シャワーを浴びてご飯を食べて一眠りしたかった。
 そうして実際に帰る支度を僕らは始めた。荷物をまとめて、最後に少しだけ写真を撮って、それかた水を汲んで帰ろう、ということで、カメラとペットボトルを持って会場を歩き、川を渡る小さな小さな橋を渡って、山肌から滲みだす水を汲む。
 M君がペットボトルに水を入れている間に、だんだんと僕は川に入りたいという欲求を抱きはじめ、そして靴のままで二人で川に入った。水はとてもきれいで冷たい。浅くて、深い部分でも膝までしかない。とても気持ちよくて、僕らは川を上ってベースに水を置きに行き、それから最後に一踊りすることにした。
 でも、最後に一踊りのつもりが、川で体力が回復したのか止まらない。激しいダンスをして、疲れたら川に入って体を冷やす。

 川にいると、京都でゴア・ギルに偶然会い、ここまで一緒に来たというアメリカ人に話し掛けられた。
 村上春樹好きで、大江健三郎によれば現代の日本文学は衰退の一途にあるということだが、と驚いたことに日本文学の話を持ちかけてきたので、僕も村上春樹はとても好きだ、それから日本文学は衰退なんかしていないし、どちらかというと殻を破り新しいフェーズに突入したのだ、明治から始まった近代日本文学はある意味ではロシア文学の手法をそのまま踏襲したものに過ぎないし、漱石を除いてはほとんど全員一定のフォーマットを抜け出すことができなかった、それを壊したのは90年代からの作品で、現代の日本文学はどちらかというとより栄えているのだ、ということを言いたかったけれど拙い英語ではうまく表現できなかった。

 それから中州パーティーで会ったIさんと再会する。
 彼はサイケな服を着て、とても目立っていたのですぐに見つけることができた。
 後で踊りすぎで肩を脱臼するという激しさ。

 昼頃に僕は生まれて初めて臼と杵の餅つきを体験した(もしかしたら幼稚園でやったことがあるのかもしれないけど)。どうやって杵を持てばいいのか分からなかったので、やり易いように工夫していると剣道の動きになっていて、「剣道やってただろう」と突っ込まれたあと、僕が餅をつくたびにギャラリーから「メーン、メーン」と掛け声が掛かる。

 その後、一時激しい雨が降るけれど、お陰で昼間だというのに快適な温度で、空気もいっそう澄み渡る。M君がカッパを持ってきてくれたお陰で、ほとんど何の被害も受けなかった。
 川の中で踊ったり、そのあともひとしきりはしゃいで、そして帰路に着いた。

 一晩過ごしただけで、その場をとても恋しく思った。
 もう会場のことは良く把握していて、まるで自分たちの村のようだった。
 僕はしきりに村を作りたいと言っていた。

 車が会場を離れると、トランスも聞こえなくなった。
 車のタイヤの音がトランスに聞こえて、そうM君に言うと「俺も今そう思っていたところです」とM君も言った。いろいろな音がトランスに聞こえるようになって、カーラジオから流れてくる音楽に、これって全然足りないじゃん、と文句をつけていた。体がトランスに支配されて、変容していた。

 部屋に戻ってシャワーを浴び、それから3時間ほど眠って、僕はAに会いに行った。とても体が重たくて、Aは僕を見るなり「すごく眠そう」と笑った。