23-28.

2007-11-29 18:26:54 | Weblog
11月23日金曜日
 東京からYが帰ってきて、Mちゃんの部屋で鍋をする。
 月曜日の鍋でカイガラムシの話をしていたらT君がカイガラムシを持ってきたので吃驚する。

11月24日土曜日
 最終候補2つで迷いに迷った末、引越し先を決定して、一つの不動産に断りの電話を入れ、それからもう一方の不動産に手続きをしに行く。法改正もあって、手続きが昔よりもややこしい。

11月25日日曜日
 Oの部屋で鍋をする。果たしてOにちゃんと鍋の用意ができるのだろうかと心配していたらNさんが全部やってくれていて、とてもきちんとした鍋だった。Oのカルボナーラだとかいかにも外国風なソーセージだとか色々食べる。

11月26日月曜日
 珍しくラーメンをI君と食べに行ってみるも、いまいち良く分からない。
 僕達は別にラーメンに興味はないけれど、まだまだこうできるんじゃないか、とか、職人っぽくしてるけれど、単に調理が熱いから汗をかいてそう見えるだけで、ラーメン屋になるのには別にフレンチとかみたいに修行しなくても2週間くらいでなれるんじゃいか、という話をしながら大学に戻る。

11月28日水曜日
 Sさんの部屋で沖縄料理会。調理器具などがあまりないようだったので、一体どうなることかと心配していたら、はじめて食べたソーキソバを筆頭に沖縄の食べ物のオンパレードで吃驚する。
 ちょうど図書館へ行って借りようと思っていた中沢新一さんの「アースダイバー」がSさんの本棚にあったので貸してもらった。すごいタイミング。

move.

2007-11-26 18:16:05 | Weblog
 突然ですが、引っ越すことにしました。
 ちょうどアパートの更新が近くなってきて「もう更新の時期かあ」と思いながら、深くは考えないでそのまま更新するつもりだったのですが、一瞬「引っ越しても良いのではないか」という考えが浮かんだ瞬間から居ても立ってもいられなくなってしまい、あっという間に新しい部屋も引っ越す日取りも決まってしまいました。

 僕は今の部屋にもう5年近く住んでいますが、考えてみれば5年間同じ部屋に住むというのは僕の人生では比較的珍しいことです。僕は京都で生まれて、でも、間もなく大阪に引っ越して、幼稚園に通う頃には名古屋に引っ越して、小学校1年生の夏には京都に戻ってきて、そこでは随分長く、高校の1年生くらいまで過ごし、それから何故か1キロくらいしか離れていない家に引越し、そこで大学1年まで過ごした。ここまでで僕の実家暮らしは終わりで、その後は今に至るまで京都市内で5回も引越しをしている。全部をカウントすると今までの人生で引越しをした回数は9回だ。僕は今で大体28年生きているので、平均すると大体3年に1回引っ越していることになる。次は記念すべき10回目の引越しです。

 以前にも書いたけれど、僕が今住んでいる部屋には簡単なシャワーしかなくて冬はとても寒い。コンクリートにタイル張りのようなシャワールームの壁は比熱が高いのか、まるでどんどんと僕から熱を奪うようにも感じる。そこで僕は電気ヒーターと桶でお風呂を作ったのですが、それだって準備や何かが大変なので(湧くのに数時間掛かる)かなり億劫なものだった。
 今年も随分寒くなってきて、そろそろお風呂をセットしようとか思っていたけれど、それを使う前に新しい部屋に引っ越すことになる。
 2年くらい前まで毎月修理しながら乗っていた30年前のバイクも、もう修理に疲れ果てて放置していて、廃車にしてから引っ越そうと思う。新しいところには持っていかない。
 そのほかにも、引っ越すとなると僕はたくさんのガラクタを捨てることになると思う。寂しいような嬉しいような複雑な気分です。最近つくづく思うことに、何かをするときに単純に「楽しい」とか「嬉しい」とか一つの言葉で表現できるような感情を持つことは少ない。大抵は「期待と不安の入り混じった」というように色々な要素が混ざりあっている。

she is, as a rule, on time for work each day.

2007-11-21 15:36:35 | Weblog
 金曜日、Sちゃんの家で鍋をするはずが、肝心のSちゃんに急な会議が入ってしまったのでキャンセルにする。仕方がないので何か食べ物を買って帰ろうとスーパーマーケットに立ち寄ると2年ぶりくらいでYちゃんにばったり会う。久しぶり、今日は鍋のはずがキャンセルなんだよ、と言うと。「そうなの。私今から鍋に行くんだけど、じゃあおいでよ」と渡りに船みたいな誘いを貰ったけれど、なんとなく気が向かなかったので断る。鍋がキャンセルになったときに2年ぶりにあった人が鍋に誘ってくれる、というのは神様に「行きなさい」と言われているくらいの説得力を持った偶然なので、断ったのが良い判断だったのかどうか暫く悩む。

 土曜日、せっかくすごそうな場所でebooksのパーティーがあるのに、どうしてか僕は行かなかった。昨日の鍋を断ったのもそうだけれど、最近研究室ばかりにいてあまり外に出る気がしない。
 最近僕はほとんど人を誘わなくなってきて、それはここ1,2年間くらいあった傾向なのだけど、自分の手元にあるものにだんだんと集中し始めているような感じがする。

 日曜日、奇妙なことに僕は父と神戸までフジコヘミングのピアノを聞きに行き、スペイン料理を食べて帰って来たのだけど、帰りにふらっと駅前のツタヤに入ると「僕らの七日間戦争」がフューチャーされていたので懐かしくなった。半年か1年前に、深夜映画で七日間戦争が流れていて、懐かしいなと思いながらぼんやり見ていたらエンドロールで製作年が1988年だと出てショックを受けた。もうほとんど20年前で、僕はそのときたった9歳だ。僕は小学生で、七日間戦争に感化されて友達とエスケープの計画を矢鱈と練り。それから宗田理さんが書いている「僕らシリーズ」を読み漁った。小学生の頃に自分が受けた影響を考えてみると、僕は「グーニーズ」「冒険図鑑」「マクガイバー」「ズッコケ三人組」「マガーク少年探偵団」「ナイトライダー」「バックトゥザフューチャー」「スタンドバイミー」「七日間戦争」「ぼくらは地底王国探検隊」で構成されているのかもしれないな、と思う。今も基本的にはこの延長にいるようなものだ。
 
 月曜日、Mちゃんの部屋で鍋をした折、コチニール色素のことが話題に上がりました。ご存知の方も多いかと思いますが、コチニールという赤い色の色素はカイガラムシという虫を原料として作られています。このコチニールは食品にも良く入っているので、僕達は大袈裟に言えば虫を知らずに平気で食べていることになります。
 僕はそれについて別にあまり気持ち悪いとは思いませんが、やっぱり虫からできているものを食べるというのが気持ち悪いと感じる人も沢山いるとは思うし、なのにどうしてコチニールが虫からできているという情報は特に大きく流されないのだろうと思う。最近たくさんの食品で消費期限や原材料を偽ったものが取り上げられて罰せられているけれど、「実は虫から作っています」というのは「実は消費期限ちょっとだけ延長しちゃいました」というのよりずっと大変なことに思う。

sell.

2007-11-15 16:16:11 | Weblog
 僕達の体は死んだ細胞に覆われている。本当に生きている細胞はその下にあって、いわば死んだ細胞を盾にして生きている。たとえば皮膚は真皮の上に角質だとかの表皮が載っていることで成り立っていて、変な言い方だけれど死んだ細胞がないと生きている細胞は生きることができない。動物細胞の細胞膜なんてちゃちなものだし、空気に曝されていてはすぐに乾燥して死んでしまう。
 だから、基本的には人間と人間が触れ合うとき、その接触面は死んだものと死んだものの接触だということになる。でも、もちろん僕達はそんな風に死と死の接触だとは思わない。恋人と手を繋ぐのは普通にとても嬉しいことだ。だとすると、細胞の生き死にというのは一体なんなのだろうと思う。つまり、体のある部分が生きているとか死んでいるとか、それはどういうことなのだろう。

weld.

2007-11-13 22:08:48 | Weblog
 そういえば、先週の金曜日は大学の工房で溶接講習を受けました。
 学校でできる溶接は、「被覆アーク溶接」「MAG溶接」「TIG溶接」の3種類で、一応3種類とも扱いましたが、思い通りに溶接を行うにはかなりの熟練が必要だな、というのが実感で、かなり難しかったです。

 特に被覆アーク溶接は、通常一般的に溶接というときに僕達が思い浮かべるもので、溶接棒を電極の先に挟んで、溶接棒と被溶接物との間にできるアーク放電を利用して溶接するものですが、溶接棒はどんどんと短くなっていくのに放電の為のギャップを一定に保ちながら溶接位置を変化させなければならないのでかなり難しい。TIGとMAGはそれに比べたらとても楽で、特にTIGは扱いが楽で、もしも溶接をするならTIGがいいなと思う。

 僕はこの日初めて被ったのですが、溶接の時は放電がかなり眩しいので、安全面も考えて遮光面というものを被ります。取っ手付きの大きなお面みたいなやつを鉄工所の人が良く左手に持って使っていますよね。あれです。サングラスみたいな視界になるのだろう、と思っていたら大間違いで、あれを着けると真っ暗で何も見えません。アークの放電光ではじめて、自分の作業をしている手元がうっすらと見えるようになります。遮光面はアークを直接見ないために被るので、当然アークが発生する前に被らなくてはなりません。ところが、アークがないと何も見えないわけです。アーク溶接では、最初に軽く溶接棒と被溶接物を接触させて放電の元を作ることが必要で、それにはとても微妙な手の動きが要求されます。しかし、それを行う間は何も見えないので手元の感覚だけで作業をしなくてはなりません。作業の一番微妙なところが見えないなんて、こんな理不尽な話があるでしょうか。

 MAGで二つの鉄板をくっつけたとき、最初に仮付けをするときは「眩しいけれどちょっと我慢して」ということで一瞬裸眼で閃光を見る必要があった。近くでみるとすごい眩しさで、そのあとに遮光面を着けようものならしばらくは残効で何も見えない。

 それで、僕は思ったのですが、放電が始まる前にも、放電と同じくらいの明るさの照明で作業する手元を照らして、最初からずっと遮光面は着けたまま、ということにはできないのだろうか。閃光を直視しすぎると、今は大丈夫でも夜寝るときに涙が出てきて止まらなくなる、という話だけれど、それなら一瞬たりとも見ないほうがいいに違いない。

 今回溶接の経験をしたことで、今までの溶接のイメージは吹き飛んでしまいました。なぜもっときれいに溶接しないのか、といつも思っていたけれど、今は同じものを見てもあれだけきれいに溶接するには相当の腕前がいるな、と思います。それに作業自体、ガスは出るし(マスクがすぐに茶色くなる)、スパッタは熱いし、電圧やガスの流量を調節しなくてはならないし、やはり金属を扱うのは大変だなと思いました。

she never eat meat.

2007-11-13 19:20:04 | Weblog
 ドイツにいるYちゃんに勧められて、「いのちの食べかた」という本を読んだ。そうだ、Yちゃんのブログにはこのブログからリンクが張ってあるので、もしも宜しければ「読後感あるいはエッセイ」というのを見てみてください。

 「いのちの食べかた」の著者は森達也さんという方で、基本的には映像、ドキュメンタリーを作っている人です。たぶんオウム真理教の信者を撮ったドキュメンタリー『A』が一番有名なのではないかと思う。

 本の内容は、屠場とか差別に関するもので、大まかなところは知っていました。だけど、僕はこの本を読んで随分大きな衝撃を受けた。
 僕達が毎日のように口にしている肉類は、牛や豚や鶏を殺して解体したものだ。日本人が年間に食べる肉の量は膨大だろうし、毎日毎日屠場ではたくさんの動物が殺されている。毎日、誰かが僕の代わりに動物を殺している。それは分かっている。と思っていた。

 でも、「分かっている」ということに関して、僕はあまりにも注意が足りなかった。「分かっている」はときどき、ときどきどころか多くの場合「思考停止」のサインだ。本当はこの世界は複雑だし、何かが「分かる」ということは有り得ない。有り得ないのに僕達が「分かった」といとも簡単に口にするのは、「もうこれ以上このことは考えたくない」からに過ぎない。

 僕はについて考えることを放棄していた。そんなことを考えても仕方がないじゃないか、別に具体的な行動を起こすわけでもないだろうし、と言われるかもしれない。たしかに僕が屠場のことを考えたところで、牛や豚が救われるわけではないだろう。だから、僕が何かを考えたところでそれが世の中にとってプラスに働く可能性は極めて低い。

 しかし、逆のことは十分に起こり得る。逆というのは、「考えを停止することが世界にとってマイナスになる」ということだ。基本的に、人類が引き起こしてきた悲劇というものは「全員が思考停止状態に陥った」ときに起こっている。だから、少なくとも一部の人々は思考が停止しないようにしなくてはならない。ある程度の数の人々がしっかりと考えていれば、物事は最悪の事態を回避できるはずだ。僕は別にその”考える人役”にしゃしゃり出るつもりはないけれど、これも歴史が教えるように「他の誰かがやるだろう」とみんなが思っているときに悲劇は起こる。まるでつまらない説教みたいだけれど、一人一人がちゃんと考えることは人類の滅亡を防ぐ重要な手立てなのだ。日々の思考というのは小さなことで、まったくの無駄にしか見えないけれど、本当はとても重要なものだ。村上春樹が雪かき的と呼んだように。別に雪かきをしても家は建たない。でも雪かきを毎日しないとある日急に屋根は潰れる。

 森さんのメッセージはとても強かった。この本は屠場に関する本だけれど、僕は「考えよう」というストレートなメッセージと、ひいては「考えれば世界は良くなる」という希望が強く読めた。児童書という性格もあって、記述がとても丁寧でダイレクトだ。一部引用してみると、

(以下引用)
”すべてが終わってから、誰かが言う。「どうしてこんなことになっちゃたんだ?」そこで皆で顔を見合わせる。責任者を探すけれど見つからない。それはそうだ。責任者は全員なのだ。でも誰もが、いつのまにかそれを忘れている。
 だから、しつこいと思う人がいるかもしれないけれど、何度でも書くよ。知ることは大切だ。知ったなら忘れないように、思うことを停めないように、何度でも深く心に刻もう。”
(引用終わり)

 考えることは尊いとか、偉いとか、そういう話ではなくて、考えることが人類にとって必要なのだという切実な書かれ方をこの本はしている。社会のどこかに問題があるとか、誰かの所為でこんなになった、とかではなくて、全員が責任を共有しているというスタンスで説明が成されている。僕はあまり社会について書かれた本を読まないけれど、こんなに説得力があってかつ力強く平和を志向した本ははじめて読みました。

 ついでなので、僕達日本人が2004年一年間に食べた牛と豚の頭数を書いておこうと思う。

 牛: 1,267,602頭
 豚: 16,183,495頭

 126万頭とか1600万頭とか、ものすごい数だ。そりゃあ日本人は1億3000万人もいるわけだけど。
 ニワトリは何頭か分かりませんが、消費している肉の重さは豚とほぼ同じです。だから豚の頭数よりも確実に一桁、下手をすれば二桁多いはずですね。

 さらについでに以下はYちゃんのブログから引用です。

(引用はじめ)
”少しだけ具体的に説明してみると、約1kgの牛肉を生産するのに、16kgの穀物が必要です。
私たちが1㎏の牛肉を食べたところで、何日生きられるでしょうか。それを穀物にかえると、ずいぶん効率がいいことが分かります。たくさんの人を養えるからです。
豚肉を生産するのに必要なエサのエネルギー(カロリー)は、それを食べて人間が得るエネルギーの5倍以上、牛肉に至っては30倍以上必要です。

いま、地球上で7人に一人が餓死寸前です。
それなのに、家畜におなかいっぱい穀物を食べさせ、殺して肉にして、その肉で養える人間の数はごくわずかです。
しかも、肉を多く食べることで肥満や、心臓病、ガンなどのリスクが高まり、そのために薬品を使わなければならなくなるとすると、もう無駄の数珠繋ぎですね。

(引用終わり)

 部分を抜き出すと誤解を招き易いので、念の為に言っておくと、彼女は別に肉食をやめろと言っているわけではありません。

 だけど、肉を食べるというのは本当はとても悩ましいものだなと思います。

mid-night at.

2007-11-08 20:43:14 | Weblog
 遠い昔には色々な時代があった。
 その昔、前置詞の位置はまだ比較的自由だった。僕達はその頃の名残で未だに the clock around なんて表現を使ったりする。たとえば、Bell&Sebastianが歌っているように、sleep the clock around といった感じで。これは今の正しい英語では sleep around the clock と書かれるべきだし、こうやって書かれてはじめて「24時間ぶっ通しで眠る」と意味が取れる人も多いんじゃないだろうか。でも、昔は the clock around で良かった。the world over は「世界は終わった」ではなくて、over the worldのことです。

 前置詞の位置が比較的自由だったなら、それはコミュニケーションの妨げになったのではないか、という指摘はもっともだ。
 だけど、そこには本当はもっと広い表現が広がっていたのかもしれない。残念ながら僕はネイティブな英語話者ではないから、英語の前置詞の位置が変わることによってどういったイメージの変化があるのか、とてもぼんやりとしか分からない。そこで、日本語を少し見てみたいと思う。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
 峰にわかるる横雲の空

 これは藤原定家が詠んだ歌です。
 助詞の問題ですが、最後の「横雲の空」というのは、本来なら文法的には「空の横雲」と書かれるべきところです。空に横に細長く伸びた雲がある、ということです。これは別に昔だから変な表現をしている、だとかそういうことではなくて、当時すでにこの部分は激しい攻撃を受けています。「おかしい」と。藤原定家という人は、今から見れば当然大昔の人ですが、当時は最先端のアバンギャルドな芸術家でした。だから、彼は批判に屈することなくこの歌をそのまま残した。
 試しに、最後の部分を文法的に正してみれば、それがいかに歌の良さを殺ぐことになるのか分かります。

 春の夜の夢の浮橋とだえして
 峰にわかるる空の横雲

 これでは単に、春の夜に目が覚めたら細長い雲が山の向こうへ流れて行くのが見えた、というだけの、だからなんだ、というだけの歌です。横雲の空という表現を使うことで、はじめて春の夜中に目が覚めてぼんやり眺めた空が不思議ととてもきれいだった、というような感じが出ます。

 こういうとき、僕は「意味がすんなりとは通らない」ということの持つ力を思い知ります。

sky.

2007-11-08 15:18:49 | Weblog
 最近、毎日僕が何を持ち歩いているか聞くと、ちょっと吃驚する人もいるかもしれません。僕は最近毎日「凧」を持ち歩いています。別に、凧揚げが大好きだ、というわけではないのですが、「いつでもどこでも凧揚げしよう!」というコンセプトが素敵過ぎて思わず買ってしまいました。

 earth kite という製品で、googleにかけると一番にヒットします。製品の説明文は

 『EARTH KITE(アースカイト)は、キーホルダー付のコンパクトなケースに入った携帯カイトです。コロンとまるい手のひらサイズのケースの中に、45cm程のカラフルなカイトが入っています。もちろん糸も付いてます。あまり風が強くなくてもだいじょうぶ、さあいつでもどこでもカイトを飛ばそう!』

 というもので、この安っぽいワクワク感が僕はとても好きです。

 Ready to Fly!
Anytime and anywhere with the winds on the earth.

 とも英語で書かれています。もう完璧ですね。

 このアースカイトの販売店AGが他に売っているものをみると、中にはエアロビーがありました。エアロビーも僕は持っています。エアロビーというのは航空力学で作ったスーパーフリスビーみたいなノリの製品で、世界記録400メートルも飛びます。蛍光ピンクみたいなビビットな色のやつで、オモチャ屋さんで見た人も多いのではないでしょうか。子供のときにも持っていて、大人になってからもまた買いました。アースカイトは近所のアウトドアショップに行ったら売っていたのですが、隣には、投げて飛ばす羽ばたく鳥、とでもいおうものが並べられていて、それも思わず買いそうになりました。これもAGの扱っている商品のようです。なかなか素敵な会社だと思います。

 この鳥のオモチャは、たしか小さいときに似たようなのを持っていた記憶がある。結構たくさん出回っていたはずだ。あの羽ばたきが推進力にもなっているのか、それとも只の飾りとしての羽ばたきなのかはしらないけれど、羽ばたく飛ぶおもちゃというのはなかなかすごいのではないだろうかといつも思う。もっとジャイロとかセンサーとかを沢山積んで状態をフィードバックして制御したりしないと駄目にも思うのですが、単純なゼンマイ式のおもちゃでも結構なことができるんですね。
 それにしても空を飛ぶのはさぞかし素敵なことだろうなと思います。

corporality .

2007-11-06 11:40:42 | Weblog
 昨日、夜ご飯を食べながらテレビを見ていると、骨髄幹細胞のことが扱われていた。具体的には骨髄幹細胞を用いた脳梗塞および心筋梗塞の治療に関するもので、日本では札幌で今年1月から脳梗塞治療の臨床がはじまっているし、海外でも既に臨床結果は得られている。

 脳梗塞を発症すると、血流が十分にないことで脳細胞がダメージを受けてしまい、血流の回復が遅い場合、その細胞はもう駄目になったまま元に戻らないというのが脳神経外科での常識だった。
 ところが、本人の骨髄から取り出した幹細胞を培養して静脈に点滴すると、驚くことに僅か5時間に撮影されたMRIか何かでは有意に患部が小さくなっていた。つまりもう駄目だと思われた脳細胞が復活していた。この結果を主治医に報告するとき、MRIの技師は「考えがたいことなのですが」と前置きして話を切り出していた。その患者はたった一度の幹細胞の点滴でみるみる回復して、5ヶ月後だか半年後に退院していった。

 脳梗塞の話題の次は心筋梗塞の治療だったけれど、これも基本的には同じ施術がなされる。狭くなった血管をカテーテルで拡張するだけでは死滅した毛細血管や心筋細胞は回復しないので、そこへ幹細胞を注射する。すると患者は通常よりもずっと早く良く回復する。

 僕はこれらのドキュメンタリーを呆然として見ていた。幹細胞の話は知っていたけれど、こんなに簡単にはっきりと治療結果を目の当たりにしたのは初めてだった。幹細胞は弱った細胞を元気にして、血管を新たに作り、おまけに自身が欠如している細胞に変化する。トカゲやイモリなど一部の生き物が持つ驚異的な再生力の基礎となるメカニズムだ。

 僕は医学の進歩に驚いて呆然としたというより、むしろ人体の皮肉な仕組みに呆然とした。これまで多くの人々が脳梗塞や心筋梗塞で苦しんできた。命は取り留めても体に麻痺が残ってしまう。その特効薬が実は自分の体の中にあったのだ。もちろん、まだ副作用や何かの確認はとれていないけれど、動物実験でもうまくいっているようだし、たぶんこの治療法はうまく確立されるだろう。

 するべきことは、自分の骨髄から幹細胞を取り出し、それを培養あるいは濃縮して血管内へいれるだけ。体にあったものを取り出して体内に戻すだけだ。骨の中から血管の中へ移動させただけだ。一人の患者は「自然治癒力」という言葉を使っていた。一体どういうことなのだろう。どうして人体はどこかが破損したときに幹細胞を活用できるように設計されていないのだろう。僕達の設計者だとか進化だとかは、このことにどうして配慮してくれなかったのだろう。

 昨今、再生医療の研究がどんどんと進んでいて、近い将来我々はトカゲの尻尾みたいに全てを再生可能になるのかもしれません。それはすばらしいことに違いないけれど、それが単に人体に眠っていた「自然治癒力」を上手に利用した結果だったとしたなら、なぜ最初から人類は強い再生能力を持つようになっていないのか、という疑問が頭を擡げてきて仕方ないのではないかと思う。

inorganic.

2007-11-05 20:07:14 | Weblog
 風邪をひいてしまいました。
 木曜日の夜くらいからなんだか様子が変で、金曜日の朝に目を覚ますとそれは確信的な風邪に変化していた。どうしてもやっておきたいことがあったので、金曜日は研究室へ出て、土曜日と日曜日は部屋でだらだらとしていて、それなりにテレビも見ました。

 日曜日にやっていたニュース番組で、アルマーニにインタビューを行うものがあった。なんだかぱっとしないインタビュアーが、最初アポ無しでアルマーニの自宅を訪ねて門前払いされ、後日事務所を通してアポを取り彼の仕事場へ入れてもらっていた。驚いたことにその日本人のインタビュアーはミラノコレクションの準備をしているアルマーニを見つけると彼の元へ近づき、そしていきなり「コレクション前は緊張するものですか?」とマイクを向けて質問した。自己紹介も何もない。気を利かせた通訳が「日本から来ている取材チームが質問をしたいと言っていますが、よろしいですか?」とその場を取り繕っているところに、アルマーニの秘書が割り入ってきて、「質問する前に私を通せ」と日本人は怒られていた。その後、質問をしようとすると「5分待ってくれ」とか「忙しい」とか言われてなかなか取材ができず、どういうわけかインタビュアーは安藤忠雄に泣きつく。安藤さんはアルマーニの社屋か何かを設計していて彼とは親交があるからだ。そこで安藤さんが最初に言った一言がもっともな言葉だった。「まあ世界の壁は高いと思えばいいんじゃないですか」

 結局、あとで10分くらいのインタビュー時間を貰っていたけれど、当然まともなことは何も話せないまま途中で終わった。テレビで報道する価値がどこかにあったのだろうか。ミラノコレクション直前のアルマーニにアポ無しで取材をしにいってうまく行かないというのは当たり前のことだ。そしてインタビュアの態度は不躾だし相手を撮影の対象としか考えていないように見えた。たぶんまともなインタビューの時間なんて取れなくて良かったんじゃないだろうかと思う。僕には彼らがまともな質問を用意できたとは考えられない。

 ここでテレビの文句を言っても仕方がないわけだけど、僕はこのテレビを見ていて怖くなった。
 インタビュアが何の躊躇いもなく、何の自己紹介もなくマイクをアルマーニに向けたとき、その無機質な感覚にひょっとしたらこの人は人間とは別の存在なのではないかと思った。それは丁度、ある人々が自動販売機とコンビニエンスストアのレジで全く同じようにしか振る舞わないのに似ている。

 ときどきインターネットにおける匿名性と、それがトリガーとなって発露する人間の残酷な言葉使いが議題にあがるけれど、これらの問題は何もインターネットの中にしか存在しないわけじゃない。近所付き合いにしても何にしても、人を人と思わない行動を、僕も結構とっているような気がする。人間は群れで生きることを選択した種だから、本当はこういうのはとても重大な何かを損なっているのかもしれないなと思う。今更ですが。たぶん僕はもう少しオープンになるべきだろうな。