僕と同じ中学の人へお知らせです。

2007-07-31 22:31:39 | Weblog
 なんか良く分からないけれど、突然電話が掛かってきて、学年の同窓会みたいなのを9月の後半にしたいとかどうとか、日程もまだ決めてないらしい。
 とりあえず連絡には協力しようと思って、まさか同級生でたまたまこれを見てる人っていないとは思うけれど、もしも該当の人があれば、僕にメールでもくれれば日時のお知らせとかします。アドレスは sombrero-records@goo.jp だよ。

night.

2007-07-31 14:01:40 | Weblog
2007年7月30日月曜日
 夕方、研究室のすぐ外の窓から京都盆地を見下ろして、強すぎない夕日に照らされる街並みを遠く南の山まで見る。そこここで犬が吠え、鳥が鳴き、大きなマンションの高い屋根にとまった、今ではカラスさえいとおしく見えるような、そんな月曜日の夕方。僕は赤い缶に入ったノーマルのコカコーラを飲みながら、高く飛ぶ鳥を見上げて大切なメールを携帯電話で書いたり。

 そのあと、ビレッジバンガードへ散歩に行って、世界の夜景を写した写真集を見てたらひどく感動してしまう。
 僕たちは夜景が好きだ。それは、単純にきれいだからではないんだろうな。そこに人がたくさんいて、なにかしら色々なことをしているからだろうな。昔、僕はナイトゲームのスタジアムというものがとても好きでした。周囲の街からひときわ明るく。終わり行く1日の中で、そのスタジアムのなかだけが1日のハイライトを迎えていて、何万人という人々がわいわい詰め掛けて、それはもうなんて素晴らしい場所だろうと思っていた。今もですけれど。

 エネルギー問題が多く語られるけれど、僕は絶対に「節約」という方向へは行って欲しくないなと思う。どんどん使えるクリーンなエネルギーで、どんどんときれいな夜景が生まれればいいと思う。

 その写真集の中に摩耶山から写したものもあって、日本3大夜景の一つだと書いてあった。日本3大夜景なんていうものがあったとは知らなかった。

 大学に戻って食堂でご飯を食べて、この日中に仕上げなくてはならないものがあったので、それとなくはじめる。窓から月を見上げると満月だった。東京のSちゃんからメールが来て、東京では雷が鳴っている、と書かれていたので、京都は快晴で満月がきれいに見える、と返事をする。

 朝方の4時になんとか作業を終えて、逸早くシャワーを浴びて眠りたい、と思いながらアパートに戻ると、廊下にまだ荷物を置いていたのが見えて愕然とする。今どうにかしなくては明日には撤去されてしまうのだ。愕然としたまま5時まで掛かってなんとかベランダに押し込んだりして片付ける。

 廊下は確かに広くすっきりしたけれど、僕はやっぱり納得が行かない。同じ階の住人が邪魔だとか通りにくいとか文句をいうなら分かるけれど、そういうわけでもないし。邪魔にならないようにつつましくみんなが廊下に物を置けた方が断然便利なのに。このガランとした廊下に何の価値があるんだろう。

 まるで自己弁護ですが、僕はずっと思っていることがあります。

 お金では本当は何も買えない。

 これは別に愛情や幸福が買えない、みたいな観念論ではなくて、普通に物が買えない、という意味です。買えない、というと御幣がありますね。買えるけれど所有はできない。

 たとえば、ここにものすごい大富豪がいて、彼が日本以外の世界中の土地を買い占めたとします。そうすると世界の人々は60億人もが日本に住むしかなくなって、当然そんなのは無理で、あぶれた人がアフリカとかユーラシアとかに住もうとする。でも、そのものすごい大富豪はものすごいセキュリティーシステムを導入していて、誰も日本以外の陸に上陸できない。大富豪はアメリカかどっかに一人ですんでいて、別にアフリカへもオーストラリアへも一生行く気がないんだけど、誰もそこには入れない。
「だって、ちゃんとお金払って買ったんだから、俺の物だし」
 そしたら僕たちは大富豪のセキュリティーシステムを破壊して間違いなくアフリカにもユーラシアにもオーストラリアにも上陸するだろう。このとき大富豪のいう「お金払った」なんて何の意味もなさない。

 これは極端だけど。
 でも、お金を出して物を手に入れると言うのはあくまで社会的なルールにすぎないし、はっきりいってあまり重要なことに見えない。そこには節度が要求される。プライベートビーチなんていうのは普通の感覚で考えれば存在できないんじゃないだろうか。お金出してこの海岸を買ったんだ、なんて言っていることが破綻してる。空間だとか、景色だとか、それはどのようなルールを定めたとしてもけして僕たち人間には所有されない。通常、家を建ててその中でプライベートが守られるというのは「空間を買った」からではない。それは金銭と引き換えに得た「権利」なんかじゃない。「私はここにこれだけの面積を占有して住居としたいです」という宣言と承諾のことだ。

 これは土地だけのことではない。
 食べ物だって、コンピュータだって、なんだってそうだ。誰かが世界中の食べ物を買い占めて「私のだ。食べきれないし捨てるけれど」と言ったら、そのとき所有することと買うことの関係がよりはっきりするだろう。所有というのは権利ではない。それはむしろ「許し」に近い。

 神社でお賽銭をするとき、「神様にお金を上げて頼む」という以上に、お金と共に穢れを払う、という意味合いが本当はある。昔の日本人はお金には穢れがついていて沢山もっていると不幸になると思っていた。僕たちの社会は多くの交換関係で成り立っていて、一定以上のお金をプールするというのはその流れを止めることだから当然だ。コミュニティが今よりも小さかったのでそういったことがよりはっきりしていたのではないだろうか。
 当然、ここでのお金は「交換」のシンボルであって、何も物質としての貨幣そのものに穢れがあるわけじゃない。人々が交換する対象、食べ物でも土地でもなんでも、それらを溜め込むということがコミュニティ全体にどれだけマイナスとなるかという経済のことと示唆している。

rabbit.

2007-07-30 16:21:14 | Weblog
 そういえば、ネオアコという音楽のジャンルは、今でこそ言葉が独り歩きしてなんとなくおしゃれなギターポップみたいなイメージになっているけれど、もとをたどればネオアコというのはポストパンクとして現れたものだし、黎明期のオレンジジュース、フリッパーズギターがライナーを書いた名盤「you can't hide your love forever」なんかを聞けばそれは「かわいらしい」感じから結構遠いことが良く分かる。パンクロックの残り香というかなんというか男らしい。

 それで「you can't hide your lone forever」にはフリッパーズの1stアルバムのタイトルになった"three cheers for our side"という曲も入っていれば、"A thousand violins will play it for you"なんて歌詞の出てくる"consolation prize"という曲も入っている。「1000のバイオリン」なんて言われると、僕は当然のようにブルーハーツを連想しないではいられない。これはそういう位置にあるアルバムなんですね。

 多分僕のことを知っている人は想像できないと思うし、それから自分でもこんなのは本当に恥ずかしい昔話だけど、僕はその昔木屋町だとかでアコースティックギターでブルーハーツを歌ったりするような子供でした。高校生のときはブルーハーツはもちろんのことsex pistolsとかcrashとかを聞いて「デストロイだ。僕はパンクロックが好きだ」と思っているような子供でした。

 そういう時代から、今の音楽の好みへ至るには随分なギャップがあるように思っていたのですが、オレンジジュースなんかを聞いてじっくり考えてみれば、やっぱりパンクロックとネオアコはちゃんと繋がっているし、僕の好みもあながち乱雑だというわけではないのだなと思いました。


2007年7月26日木曜日
 書きたい作文があったので一日中机の前に座っていたのに一行も書けないまま一日が終わる。こんな日もしかたないか。締め切りがまだ少し先だからなあ。


2007年7月27日金曜日
 明日はMの結婚式だ。僕は妹の結婚式にスニーカーで言って母親に大目玉をくらい、このMの式についても先日実家へ立ち寄った折り、「絶対にちゃんとした靴で行きなさい」と念を押され、「これをやるから履いていけ」と父親に黒い革靴を貰わされた。それは僕には全然好ましく見えない靴だったけれど、その前にスーツも時計も貰うことを拒んだので、履かないでもとりあえず悪いから貰っておくか、と靴は貰って、でも前日の今日改めて見てみるとその靴はやっぱり良くないし、ということで慌てて靴を買いに行く。

 買いには出たものの、この世界に欲しい革靴なんて一個たりとも売ってないので、逃避行動でタワレコでCDを買って、ムラサキスポーツでスケボーを物色して、ジュンク堂で本を買って、そろそろ服屋さんが閉まる、という頃になってから靴を買いに行き、比較的良さそうなのを買う。

 お腹が空いたので、Sちゃんにご飯を食べようと連絡すると「ラーメンがいい」と変なことをいうのでラーメンを食べて帰る。


2007年7月28日土曜日
 Mの結婚式。彼とは中学以来の付き合いなので感慨深い。もっともMの意見によると僕たちは小学校のときから友達らしいけれど、僕には記憶がない。
 祝儀袋に名前を書こうとすると字が異常に下手でとても見られたものではないので向かいに住んでいるSちゃんに頼んで慌てて書いてもらう。新札がなかったので、シャツにアイロンを当てるついでにお金にもアイロンを当てて「これでいいや」と思っていたら、Sちゃんに「こんなのしか本当にないの」と仰天されたので後で銀行へ行くことにする。

 式場は北山で地下鉄一駅だけど、僕はベルベットを着込んでいて炎天下を自転車は厳しいので地下鉄に乗る。銀行でましなお金に換えてから会場へ行き、1時からリハーサル。僕は立会人の役割。
 リハーサルのあとTちゃんと落ちあって話していると、なんと高校で同じクラスだったY君、U君、W君、K君もいる。10年ぶり。
 2時から本番。指輪交換のあと、「ではせっかくですので、指輪を見せていただきましょう」という司会者の言葉に二人がまごまごして反応しないので、なにかと思えば指輪が逆でMには小さくてはまっていない。のでやり直し、司会の人が上手で式場は大爆笑で厳かなものから一変する。

 花びらをかけたりしたあとで、披露宴。
 乾杯の音頭もとらせてもらったけれど、即興でしゃべったので失礼ぎりぎりなことを言ってしまったかもしれない。

 2次会はしない、ということだったので、披露宴が終わってからすぐに帰った。思ったより酔っ払っていて部屋に戻るとすぐ眠ってしまった。
 結婚式っていいもんだなと思う。


2007年7月29日日曜日
 前日飲みすぎたのと変なタイミングで寝たので朝から体が重い。
 31日には僕のアパートの廊下やガレージにおいてあるものが撤去されるらしいので、I君に手伝ってもらって一部を学校に運び込む。
 発電機などの大きなものは祖父の家へ持っていくことになっているので、夜に父親が車を回してくれた。実家に立ち寄って、「何か果物が食べたい」というと残念ながらそのようなものはない、というので、仕方なくお茶を飲んでへんなシチューを食べていると、僕のシチューを欲しがって大騒ぎしている犬を見て、母親が「お父さん、ウラン(犬の名前です)になにか食べさせてやったら」と言い、「じゃあグレープフルーツでもやるか」と父親が言うので僕は耳を疑った。「さっき果物はないって言ってたじゃん」と僕が不平を言うと、「ああ、忘れてた。食べる?」と言ってグレープフルーツが僕の前に運ばれてきて、それを食べようとするとまた犬が大騒ぎするので、僕はなんて躾の悪い犬だ、と思いながら片手で犬を押さえつけて食べていたけれど、「一口くらいウランにもやれよ」と父親が言うので一口だけ犬にもあげた。

city.

2007-07-26 14:15:58 | Weblog
『真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
 駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている』
(小沢健二、天使たちのシーン)

『大きな音で降りだした夕立のなかで 子供達が約束を交わしている』
(同)

 個人的なオザケンブームがなかなか抜けません。天使たちのシーンは13分39秒もある長い曲ですが、こういった歌詞を書く人は明らかに只者ではないと思う。
 まあいいや。



2007年7月25日水曜日
 部屋を出て学校へ行こうとすると、アパートの廊下に置いている発電機やスピーカーやスケボーなどに「廊下に物を置くことは禁止です。31日に撤去します」という管理会社の張り紙がペタペタと張られている。僕はこのことでもう何回も怒られているけれど除けないので、ついに向こうも強硬な策をとるみたいだ。今月はものすごく忙しいのに、参ったな。「みんなも真似して物を置くので困る」と管理会社の人が怒っていた通り、確かに僕が廊下に物を置くようになってから、同じ階の住人がどんどんと廊下に物を置くようになって、僕の住んでいる階だけ廊下に物を置く文化が根付いた。廊下は無駄に広いし、みんなこうして物をおきたいわけだから何が困るのか僕には良く分からないけれど、そういうことをいう「権利」というものが僕にはないそうなので、おじいちゃんの家にでも持っていこうと思う。

 夕方に研究室を出て、図書館へ本を返却したあとニックへ行って花火を買おうとすると同じく花火へ向かうMちゃんとLに会う。それから出町柳でMちゃん、L、O、Nさん、I君、Sちゃん、Kちゃん、M君、Tさん、Sさん、Sちゃん、Yちゃん、Yちゃん、Kさん、Yちゃん達と花火をする。花火とスイカがたくさんありすぎて半ばやけばちに消費する。それにしても日記に人名をイニシャルで書けば未来の自分には記憶を助けるものとなり、かつプライバシーはある程度守られるであろうという魂胆があるのですが、同じイニシャルの人は結構たくさんいるので他の方法が必要かもしれないなといつも思う。

 この日僕たちの花火を注意しにやってきたお回りさんは比較的好感の持てる人だった。ちょうどお回りさんが現れるとき、ちょっとしたアクシデントで2メートルくらいの火柱を上げてしまったので気にしていたけれど、それもなんにも言われなかった。彼はやたらとゴメンね、と言った。ごめんね、ここでは禁止されているんだよ、と言った具合に。
 京都府は鴨川でのバーベキューや花火の取り締まりを強化しようとしているから気をつけなさい、と先日実家へ立ち寄ると母親が言っていた。それがいいことなのか悪いことなのか僕には分からない。騒ぐと確かに近所迷惑だけれど、住んでいる方が正しいとは限らない。自然の造形として、みんながそこで遊びたくなるような場所があったとき、その周辺に住むことを禁止して、その場所自体は人々が遊ぶために空けておく、という選択肢だってあるはずだ。

 中学生のとき、お寺の裏山でサバイバルゲームをしていて警察を呼ばれたことがある。どういう通報をしたのかパトカーとバイクがやって来て、僕達はまだ子供だったし、さらに刃物も火薬も持っていたし、とても内心はビクビクしながらボディチェックやなんかをやりすごした。
 そのとき、警官が言った言葉を良く覚えている。「遊ぶ場所がないなら遊ぶな」

 僕の住んでいた亀岡市という町は、宅地造成のためにどんどんと自然破壊を進めている途中の田舎で、はっきりいって荒廃した町だったけれど、その分放置されて管理の行き届いていない場所はまだ沢山あった。それでも、今思えば心置きなく遊べる場所というものはそんなになかった。空き地のような場所を見つけて遊んでいても、工事のおじさんみたいな人が出てきて怒られて逃げたりすることが良くあった。僕たちは公園で遊ぶようなタイプの子供ではなかったので、遊ぶ場所を探し、そしていつも「ここで遊んでいたら誰かに怒られるのではないか」という変な緊迫感の中にいた。

 僕は今京都市に住んでいて、当然だけど街というのはいたるところが管理下にある。どこかで何かをすると、誰かが文句を言いに来る。事が起こると面倒なので、大抵全てのことは禁止されている。全員が等しく不自由であることによって人々の不平を封じ込めようという作戦。僕は街がとても好きだけれど、ときどきどうしようもない束縛を感じる。本来は僕たち人間のルールに関係のない犬や猫までもが締め出されて、そしてここは開拓地ではなく、既に全部が誰かの縄張りなのだと気付く。

 大学も、最近は耐震工事をしてどんどんときれいになってきた。そのせいで、階段の下の良く分からないガラクタが放り込まれている場所、みたいな混沌とした場所が消滅しつつある。現に僕とI君が木材などを置いている場所にも工事の手が伸びてきて、僕たちはもう物をいいのか悪いのか勝手に保管するような場所を見出せないでいる。もちろん、これに文句を言えるような立場に僕達はない。お金を払ってしかるべき倉庫を借りろ、と言われればそれまでだ。だけど、大学が隅から隅まできれいになって、混沌としたグレーゾーンがなくなってしまったら、本当に大学というのはそんなことでいいのだろうかと思う。

pinch.

2007-07-25 14:03:23 | Weblog
 地震に関連して、産経の記事です。
______________

海水浴で安全PR 闘牛と五輪銀メダリスト
7月25日7時50分配信 産経新聞


 新潟県中越沖地震による海水浴場の風評被害を食い止めようと、長岡市の寺泊海岸で25日、旧山古志村(現同市)の闘牛2頭が“海水浴”をする。27日には、同市出身のシドニーオリンピック女子100メートル背泳ぎ銀メダリスト、中村真衣さんも泳ぎ、海の安全性をPRする。寺泊観光協会は「このままでは観光地として死んでしまう。あらゆる機会を使って寺泊の安全性を全国に伝える」と話している。

 同協会によると、被災地の柏崎市と寺泊は約30キロ離れているが、東京電力柏崎刈羽原発で放射能を含んだ水が海水に流出するトラブルが発覚したことから、「新潟の海全体が汚染されたようなイメージでとられている」(同協会)。寺泊海岸には毎夏延べ約25万人の海水浴客や観光客が訪れるが、震災後、7月の宿泊予約の8~9割にあたる1万件以上が既にキャンセルされ、魚市場「魚のアメ横」も閑散としているという。

 風評を一掃するため、同協会は25日午後1時半から、「山古志の闘牛が寺泊の海で泳ぐ」と題したイベントを開催。3年前の中越地震で被災した旧山古志村の闘牛2頭が海水浴を披露し、付近の保育園児による潮干狩り、ビーチバレーも予定されている。27日午前11時からは、中村真衣さんが海を泳ぎ、地引き網やあさり汁の無料サービスも企画している。

____________
(引用終わり)

 どうしてアメリカの牛肉のときも、今回も、こういったへんてこなパフォーマンスに走るんだろう。
 科学的にきちんとした調査をしないと安全だなんてことは言えないし、逆にきちんとした調査が成されればこんな馬鹿げたパフォーマンスなんてしなくていい。もしも、この牛が通常の牛よりも100万倍放射性物質に対する感度が高くて、それで結構少量の放射線を浴びてもあっさり死んでしまう牛、みたいな特殊な牛なんだったら話は分かるけれど、普通の牛と人間を泳がして何がしたいんだろう。放射線による影響は長い時間の後に発現する。だからこの牛がしばらく元気かどうかなんて何の意味もない。

 僕がもっとも不愉快になったのは、このような戦略がベースとしている思想です。根底には「ことの正否のよらず、あの人もしてるんだから私もしても大丈夫ってみんな思うだろう」という丸っきり人を小馬鹿にしたような考え方を感じるからです。

 どうしてこういうことをするのか。というのは勿論疑問の文脈ではなくて文句です。実状を示すよりも何かのふりをする、という選択はその観光地に対する信頼をより低くする以外に働かないに違いない。記事では園児が潮干狩りだとか書いているけれど、調査はもう完全に済んでいて安全だと確固たる結果が出ている、と信じていいのですよね。この子供達が何かの生贄みたいに僕には見えて仕方がありません。


2007年7月23日月曜日
 この夏は山水人をはじめいくつかキャンプをしようと思っていて、新しいテントを物色しに宝ヶ池の近くにあるアウトドアショップへ行く。僕のテントはもう10年以上も前からずっと使っているもので、安物だし、色が好きじゃないので、近頃出ているワンタッチで立つテントに買い換えようかという目論見だったけれど、そういうのは売ってなかったのでネットで探すことにする。

 代わりに、ついにレザーマンのツールセットを買った。僕が今使っているものは中学生の時に近所のホームセンターで800円くらいで買ったもので、つまり15年くらい毎日肌身離さず持っていたものだったから、性能は良くないけれど、愛着があって買い換える決心がなかなかつかなかった。この日は一緒に行ったOが「古い方は殿堂入りにして部屋に飾っておけばいいよ」というので、思い切って買い換えることにしたのだ。帰ってからキーリングを古いのと新しいレザーマンとで交換した。魂を移すみたいな意味合いで。

 東京からMが来ていたので夜ご飯を一緒に食べる。


2007年7月24日火曜日
 大学に4時までいて、それからYさんとディッシュで待ち合わせて随分話込む。しばらく使わなかった部位を使ったような気がする。

 

foggy.

2007-07-21 09:38:13 | Weblog
 茂木健一郎さんのブログを読んでいたら、インターネットに関して面白いことが書いてあったので引用させていただきます。

_______________

インターネットというと、
世界共通のように思うが、
文化は国によって大分違う。

ハンドル名などを用いて実名を
用いないというのは、日本に顕著な
現象であることは知っておいて
良いと思う。

アメリカのアマゾンでは、ブックレビューを
本名で書いていることを示す
Real Nameというサービスがあり、
その割合は多い。

韓国のSNSでは、実名が基本で、
SNSの中に親戚が全員いる、
という状態になっていると
東大の水越伸さんに聞いた。

欧米の著名人に会って、メールアドレスを
交換すると、何のひねりもない
実名であることが多い。

テレビのプロデューサーに聞いた
話だが、番組への意見を募集する時に、
本名、郵便番号、メールアドレスなどの
最低限の「属性」を書き込むことを条件に
すると、クオリティが格段に上がる
のだという。

「何よりも、文章自体がまともになる
んですよ」
とそのプロデューサーは言った。

個人名を明らかにして書けば、
それはその人の個人的な意見になる。

ところが、匿名で何かを書くと、
あたかもそれが社会の「空気」である
かのような錯覚が生じる。

ネットは世界を結んでいるにも
かかわらず、日本語圏は事実上
閉じているから、自分たちの
特殊性に気付かずに済ませてしまって
いることが随分多いのではないかと
思う。

インターネットというメディアは、
日本人にとって、自らの姿を
映す鏡になっている。

「匿名で書かれた意見は、無視して
かまわない」

極言すれば、そんな情報倫理を日本人も
少し持ったらどうかと思う。
_____________
(引用終わり)

 ネットの中ではどこの国でも匿名性が強いのかと思っていたら、どうやら日本は特にその傾向が強いみたいですね。
 僕は最初から匿名性に違和感を持っていたので、昔インターネットに普通のホームページを持っていたときも、メールマガジンを出していたときも本名でやっていました。もちろん、このブログもプロフィールに書いてあるのは本名です。

 インターネットに付随する負のイメージのうち、その多くは「匿名性」に原因を持つものだと思う。その昔「2ちゃんねる」という掲示板が有名になりだした頃、「2ちゃんねるって知ってる?」と言いながらS君がそこへアクセスして見せてくれたとき、僕が最初に気になったのは書き込む人の名前が全部「ななしのなんとか」みたいなものになっていることだった。質問する人も答える人も、全部同じ「ななしのなんとか」。それがとても異様で、僕はどうしても受け入れることができなかった。

 仮面舞踏会では、人はいつもとは違った自分になれるかもしれない。それはある素晴らしい思考を発現するかもしれない。だけど、平素の自分を離れたそれらに一体何の価値があるだろうか。

 小林秀雄は昭和15年の文藝銃後運動講演「歴史と自分」の中で、

「日本の歴史が今こんな形になって皆が大変心配している。そういう時,果たして日本は正義の戦いをしているかという様な考えを抱く者は歴史について何事も知らぬ人であります。歴史を審判する歴史から離れた正義とは一体何ですか。空想の生んだ鬼であります。」

 と述べている。
 僕はこの最後の2文、「歴史を審判する歴史から離れた正義とは一体何ですか。空想の生んだ鬼であります。」というのを読んで鳥肌が立ちそうになった。

 この文章へ至るにはそれなりの道程があって、文脈としてはこれは『「歴史」という言葉のフィルターで物事を見る時代』を批評したものだったと思う。歴史、以外にもいくつかの言葉が槍玉に上がっていた。基本的に、何かのテーマとなる言葉を頭上に振りかざして何かの判断を行うこと、特にそれを無自覚に行うことを咎めたものだ。

 僕たちのこの時代が持つ最大のフィルターは、今や「匿名」というもはや人間の放棄みたいなものになっているように思う。



2007年7月20日金曜日
 大学。パン屋で昼にたくさんパンを買ってしまって、一日中パンを食べている。
 昼から「freedom4」の配信が始まったので見る。

2007年7月21日土曜日
 朝に東京のAから電話が掛かってきて起きる。今まで一晩中働いていたとのこと。電話を切った後もう一度眠ろうとすると、窓の外どこからか生のニンニクみたいな、でもケミカルな感じの臭いがしてきて、不快で怖かったので窓を閉めるけれど臭いはするのでとりあえず研究室に避難しようと考える。ちょうどはす向かいのアパート解体工事もはじまってうるさいし臭いしとても居られたものではないので急いで大学へ行こうとアパートを出ると、僕のバイクに「31日をすぎれば放置とみなし撤去します」と管理会社の紙が貼られている。それはもうこのところ1年以上乗っていないけれど、ちゃんと駐輪許可のシールも貼ってあるのになんてことだ。大学は大学で今耐震工事をしていて、煩い上に空気が埃っぽい。研究室に行くだけだ、と思って顔も洗わないで飛び出してきたので、どこかの喫茶店へ行ってモーニングセットということもできない。居場所のない土曜日の朝。

 美容院で髪を切ってきたWと吉田神社で待ち合わせて、ランチを吉田山山頂の茂庵で食べる。僕たちがそのカフェへ向かう途中、仕入れに出ていたカフェのかわいらしい小さな赤い車が山頂を目指して道なき道をベキベキ枝踏み鳴らして上っていって、その幻みたいな景色で梅雨の曇り空にうんざりな気分も吹き飛ぶ。

 その後、平安神宮へ行く。僕は小さな頃に来ているはずだけど、もう記憶にない。平安神宮の前なんてよく通っているのに、全然入ろうと思ったことがなかった。庭に入ると広くて吃驚する。まさかこんな空間が岡崎にあったなんて。平安神宮を無視して生活していたけれど、ときどき来るのも悪くない。図書館のついでに立ち寄って、借りた本を読んだりしてもいいなと思う。

 平安神宮を出て、行く当てがなかったので自転車で適当に走って、道が分かれるたびに「右、左、真ん中」のどれかを選んで進んでいると哲学の道に入り、路傍に謎の荒廃した喫茶店跡を見つける。うっそうとした階段を下りていくとその喫茶店はの門があって、中を覗くとへんな彫刻だとかが放置されたままになっていてちょっと怖い。
「久しぶりに良く分からないリアルなものを見たね」といいながら哲学の道に戻り、お腹が空いたので白川通りへ下りてトランクルームでインディアンカレーを食べる。

p.

2007-07-20 11:04:18 | Weblog
 河合隼雄さんが亡くなりました。僕は彼の本をほとんど読んだこともないし、たぶんまともに読んだのは村上春樹さんとの対話だけだと思うのですが、携帯電話の画面にニュースが出たときは軽いショックを受けた。本を読まなくても、河合隼雄
さんというのは誰もが読書の過程で遭遇する名前で、時代の何かを象徴する名前でもあった。だから、僕は何かが終わって何かが始まったのだという感じを禁じ得ない。

 赤木農相のガーゼの記事はみっともなくて読んでられない。
 人の怪我のことなんてあれこれ詮索するものではない。ワイドショーの芸能ニュースと普通のニュースを混同しすぎてるんじゃないだろうか。普通の記事にすることじゃない。
 赤木さんは「無愛想な対応を反省している」とのことですが、これに関しては全く反省することじゃないし、とりあえず反省したり謝ったりするのは本当に良くないと思う。

 麻生外相は「アルツハイマーでも分かる」と言ったそうです。それはもちろん失礼な話だ。
 だけど、ガーゼとか失言とか、そんなのばっかりが記事になって、誰が本当に政治のことなんて考えているんだろう。こんなのしか知らない人民に向かって「選挙に行こう」なんて呼びかけないで欲しい。


2007年7月18日水曜日
 学校と少しの作業。食堂で太刀魚を食べていると白い石のようなものが出てきて吃驚する。奇形だと思って食べるのをやめる。げんなりする。多分骨が変形したカルシウムの塊じゃないだろうか。後で調べてみると、ときどきこういうことがあって、原因は分かっていないけれど心配は要らない、と書かれてあった。原因が分からないのに心配は要らないというのはどういうことだろうか。

2007年7月19日木曜日
 昼にYちゃんとランチをして、そのあと京都駅でやっている三好和義さんの写真展へ行く。油絵用のキャンバスにインクジェットで出力したものとモニターの展示。普通のプリントの方がいいなと少し思う。だけど、文句なしにきれいだ。南の国に住みたいと強く思う。
 そのあとなんとなく京都タワーに登ったりしてからYちゃんと別れて、帰り道御池を自転車で走っていると職場の人たちと夕食に行くAにばったりあって、ご飯のあとに会うことにして、僕はコチが開いていなかったので久々にハーハアパートメントへ行ってチャイを飲みながらネットなしには理解できない論文を読んで彼女達が食事を終えるのを待ち、「終わったよ」という電話のあと500円玉でシンプルに支払いをしてAに会いに行く。
 

sound of.

2007-07-17 13:43:41 | Weblog
『うっかりして甘いお茶なんて飲んだり
 かっこつけてピアノなんか聞いてみたり
 大人じゃないような
 子供じゃないような
 なんだか知らないが輝けるとき

 夢で見たような大人って感じ
 ちょっと分かってきたみたい』
 (”大人になれば”小沢健二)

 というわけで、僕は第二次オザケンブームに入ってしまいました。第二次じゃないか。何度目かは分かりませんが。21日のインスタで静かな音楽を掛けようと思って小沢健二の「毎日の環境学」を聞きなおしていたら、なんとなく全アルバムを聞きなおしてしまい、その結果彼の暗めの作品が急にとても好きになりました。

 僕はもともとは「LIFE」と「刹那」以外をあまり好きではなかったのです。この2枚は明るいしポップだけど、他のはなんだか暗いなと思って避けていました。でも、やっぱりすごい良いです。
 この「良いです」を言うには、恥ずかしくてすごく勇気が要りますが。
 決して「かっこよく」はないし、究極にかっこ悪い部分も(やたらウォーウォー言ったり)たくさんあるのですが、でもまずそのかっこ悪い歌詞が究極に良いです。

 今回、この日記を書いていることは、実は僕には結構大きなことです。
 どうしてかというと、ついこの間まで僕は「歌詞なんて邪魔だ」といっていて、いかにかっこいい音楽を聴くか、ということに主題を置いていたからです。それをやめました。メロディーラインや音の置き方ではなくて、しばらく「歌詞」主体で聞こうと思うのです。

 考えてみたらオザケンもそういう聞き方をしている節があって、以下は長い引用になりますが、オザケンと大槻ケンジの対談です。

(引用はじめ)
小沢「とにかく歌詞なの。そのドラマに入ろう、なの。そう聴くと、もの凄いの沢山あって・・・サザンの『C調言葉にご用心』。あれ、もう凄えグミチョコで『たまにゃあメイキン・ラブ、そうでなきゃハンド・ジョブ』なの。たまにはセックスしないと、オナニーばっかりしてるのは嫌だからって、女のとこ行って乱れ女の吐息に悶えるんだけど、純情派の俺としてはこんな事でいいのか? って疑問を抱えて悶々としてる、って曲じゃん!?」

大槻「桑田さんとか清志郎さんとかユーミンとか陽水さんとか、評価するのが悔しいけど、凄いんだよねえ」

小沢「凄いんだよねえ。ユーミンの『右手には飛行場、左手にはビール工場』なんか滅茶苦茶な(笑)」

大槻「ユーミンは確信犯だろうなあ・・・あ、言っちゃった(笑)。『ひこうき雲』も?」

小沢「うん、確信犯だよ」

大槻「陽水さんって、確信犯以上のものがある。わかり過ぎてて遊んじゃうのよ」

●馬鹿パワーって気がするよなあ。

大槻「そう、これ以上確信犯狙うのはもういいや、って感じ。だって『部屋の扉は金属のメタル』だよ? 意味同じだよ?

●ははは、鋭い!

大槻「陽水さんも自分で言ってるの、『いやあ、アレはおんなじなんですよねえ』って(笑)」

●自分で先に言わないと格好悪いもんなあ。

大槻「(笑)。森高千里さんを凄い評価してて」

小沢「うん、俺も」

大槻「主観で凄いの、彼女は。客観の自分じゃなくて、何も考えないで書いてるの(笑)」

小沢「もう超女の子パワーって感じ。森高さんは、もう理由なさそうでばっちりオッケー。ああいう風になりたい・・・自分はなれないって事は凄くよく知ってるけれど(笑)」

大槻「俯瞰の自分が居るからね(笑)」

小沢「そう。俯瞰の自分がバリバリ居るじゃん?(笑)。でも彼女には『これはなんでこうなの?』ってのが無いじゃん」

(引用終わり)(『音楽と人』94年4月号より)

 それから、僕が好きなテレビ番組にNHKの「視点・論点」というのがあるのですが、これがもうすごい番組で、10分くらいの短い番組で、その10分間、なにかの専門家が出てきてひたすら一人でしゃべる、というものです。
 テレビなんかとは全く無縁の研究一筋の学者、みたいな人が出てきて原稿を棒読みしたりしてシュールな回が結構あるのですが、良く聞くと話の内容はとても面白い。僕はどちらかというと話の上手な人よりも話の下手な人がなんとか喋っているという状況に信頼をおくので、この番組はとてもいいと思う。
 その番組に、先日結構歳を召された作曲家が出てきて「カラオケ時代の歌謡曲論」だかなんだかという題で話をされていて、耳障りの良い音ばかり作っていていいのか、カラオケで歌いやすい歌ばっかり作っていていいのか、ということを静かに語っていました。
 最初、僕は「老人はこういうことよく言うからなあ」とぼんやり聞いていたのですが、途中で急にぞっとして、完全に音楽を飾りみたいにして、本当に持ちうる良さみたいなものを自分が無視しつつあることに気付いた。人の心を動かす音なんて全然クールじゃないし、そんなものはなるべく寄せ付けないようにしていた。
 しばらく、かっこいい音楽じゃなくて、良い音楽というものを探すようにしようと思う。

 



2007年7月14日土曜日
 台風が来るというので、雨もひどいし部屋に篭って掃除したり、本を読んだり。冷蔵庫を開けるとニンニクとタマゴとバスペールエールしか入っていなかったので、ペペロンチーノとゆで卵を作ってバスペールで流し込む。


2007年7月15日日曜日
 昼からWと知恩寺を見物。大きな堂の中でたまたま説法が行われていて、Wが朱印長を書いてもらっている間になんとなく聞いていると、人間は大抵地獄に落ちるけれど、今日ここでお参りしていることで地獄からクモの糸で天国に救い上げられる、とのこと、なんてありがたいことだ。
 そのあと、日仏学館のパリ祭へ行って、Mくん、Kちゃん、Aちゃんと合流するもイベントが面白くないので、フランスへの航空券が当たるという抽選会が始まるまで会場を出て下鴨神社などを散策する。抽選は全部で3、400人の人がいて、商品が5,60はあったというのに僕ら5人は誰も何も当たらない。がっかりしながらパリ祭りを後にして、Aちゃん以外の4人で「祇園祭見えるかも」とKちゃんちの屋上へ行って、お酒を飲んだりする。祭りは全然見えなかったけれど、きれいに夜の京都が見えてたくさんの話をする。

our reason.

2007-07-13 18:13:51 | Weblog
 もちろん名前は知っていたけれど、カントがこんなにかっこいい哲学者だったなんてM先生の授業を受けるまで知らなかった。「宇宙には始まりがあるのか?」という問いに対して、宇宙に始まりがあってもなくても矛盾することを証明して、問いの立て方自体がおかしい、ということをカントはその主著である「純粋理性批判」の中に書いているらしい。1780年頃なんて本当に大昔だと思うけれど、そんな大昔にこんなクールなことを書いたなんて感服するしかない。

 というわけで、僕は人生28年目にして初めて「純粋理性批判」を読む気になり、図書館でそれを借りてきました。
 もう序文の最初からカッコ良すぎます。

『 人間の理性は、或る種の認識について特殊の運命を担っている。即ち理性が斥けることもできず、さりとてまた答えることもできないような問題に悩まされるという運命である。』
(篠田英雄訳、岩波文庫)

 そうだ、それなんだ。
 なんていう完全な問題の捉え方だろう。
 僕はもう本当に心の底から、この問題が解けたならなんてすっきりすることだろうと思う。

 純粋理性批判は文庫本で上下に分かれていて、カント自身が「もっと例とか書けば良かったけれど、あんまり長いからやめた」というようにとても長い上、その例なんかがないことから「つまらないけれど辛抱強く読んでね」とこれまたカント自身が書いているので、そんなに時間もないし、僕は昼ごはんを食べながら読むだけに決めているので、いつ読み終わるか分かりませんが、面白いことが書いてあったらまた報告します。読み終わったときに先の問題が解決しているのかどうかとても楽しみだ。

 それから、久しぶりに小林秀雄を読んでみることにしました。茂木健一郎さんが小林秀雄はすごい、と一時期良く書かれていたので、その影響です。
 読んでびっくりした。
 僕は小林秀雄を「読んでおくべきだろう」と思って高校生のときに大体読んだのですが、はっきり言って何を言っているのか良く分からないし、全然面白くなかったのです。むきになって無理矢理に文章を追って、読みながら早く読み終わらないものかと思っていた。
 それが、今読むとすっきり彼の言いたいことが良く分かって、とても面白い。時間が経つというのはこういうことなんですね。同じ文章を十数年前に読んでいるはずなのに、昔はなんて物分りが悪かったのだろうと思う。10年後にも同じことを思うのだろうな。



2007年7月11日水曜日
 大学。
 夕方Tのアトリエにワールドの招待券を持っていって、代わりにサクランボを貰う。そのあと久しぶりに府立図書館へ行って、随分延滞していた本を返す。純粋理性批判と小林秀雄を借りる。
 夜にI君と作業。

2007年7月12日木曜日
 大学。酷い雨。食堂でOと昼ごはんを食べているとS君登場。なんと片言のトルコ語ができるみたいでびっくりする。洗濯したカバンが全然乾かないのでコインランドリーへ行って乾燥機に入れる。コインランドリーなんて使うのは本当に久しぶりだ。大学1年生の時の合気道合宿以来だから9年振り。わお。