トランポリン。

2005-07-28 22:32:33 | Weblog
 しばらく休みだったのですが、明日からバイトだなと思ってなんとなく漫ろな夜をすごしているとBからメールが来て、「甘いものが食べたくなった」というので11時頃からエトワに行った。

 彼女はカボチャプリンとアイスのプレートと、あといつも通りジャスミンティーを頼み、僕はマンゴーココラッシーフロートを頼んだのだけど、この店には休みの日も店員さんが遊びに来ているので、いつもは働いているけれど、今日はカウンターに寄りかかってお酒を飲んでいる、という状況の店員にオーダーを出していいものかどうか悩むときがある。
 もちろん、本当は休みだろうがなんだろうが快く応じてくれるし、本人達の間ではオンもオフもあまり関係がないのかもしれない。よくできたお店だと思う。

 6000円も出して買ったのに大阪万博のDVDを途中まで見て、見るのをやめてしまった(しかもほとんど早送りで見ました)。
 まあ、こういうこともある。

 「こういうこともある」

 というのは、事態をライトにする魔法の言葉だと村上春樹が言っていた。

 つまり。
 そして、僕はライトになる。

 ヘッドホンで西海岸の音楽を聴きながら自転車に乗っていて、空を見たら入道雲で、僕はおとなしくしていられなくなる。
 夏というのは信じられないくらい素晴らしい。

 僕はさらにライトになる。

 ライトというのは軽いという日本語のことではありません。
 ライトというのはライトということで、それ以上でもそれ以下でもない。
 言葉というものは本当は翻訳なんてできない。

 大学の、外へ通じる階段にゴキブリが死んでいて、少し嫌だな、と思っているとアリたちが一生懸命に運ぼうとしていた。
 自然の摂理に従って、僕らが掃除しなくても彼らがすべてやってくれる。
 ただ、少し時間はかかるみたいだけど。

 僕は昔実家に住んでいて、木のベットを買ってもらったときのことを思い出す。
 なんと、そのベットにはどうやらアリが巣を作っていたようで、ベットが来てしばらく経つと部屋の中にアリたちが出歩くようになったのです(小さいアリたちですが)。

 僕は、もちろん最初驚いたけれど、彼らは別に悪さもしないし、それどころか僕が床にビスケットの欠片やなんかをこぼすと、誰かが見つけて掃除をしてくれるし、これは便利だと思って、ガミガミうるさい母親を尻目に、僕はしばらくアリたちと生活を共にしていました。
 そんじょそこらのお掃除ロボなんかよりもずっと優秀だし、なにより本当に生きている生き物だから、なんとなく感謝の念がわく。
 でも、問題は彼らの巣が部屋の外ではなくて僕のベットのなかにあるということで、ビスケットの欠片やなんかは、なくなったように見えても実際はベットに中にしまいこまれただけで、本質的にはこれは掃除とは言い難い。

 とにかく、掃除になっていようがそうでなかろうが、僕はアリたちがせっせとゴミを運ぶのが面白くて、ときどきはわざとポテトチップをこぼしたりして、それなりにアリとの生活を楽しんでいた。

 アリが羽を運んでいる、ああ、ヨットのようだ。

 という詩を書いた人は誰か思い出せないけれど、僕はなぜか小学校の時に通っていた塾の先生がこの詩がなんか好きなんだよね、と言ったのを忘れることができない。
 僕は特に好きでもないのだけど。

 なにかを運ぶアリを見ると、必ず僕はこの詩を思い出す。
 運んでいるものが羽なんかじゃなくて、全然ヨットに見えなくても、それはヨットを思わせ、海を少しだけ連想させる。
 こういうのは文学の本質的な力の一つだ。

 意味なんてわからなくも、自分が何を読んでいるのか分からなくてもいい。ある文章を読み、聞き、それがなんとなく記憶に残り、何十年も経ったある日、自分が見ている光景がその文章を呼び出し、同時に呼び出された文章によって世界の見え方が変化する。
 こういう仕方で文学は機能する。

 ある日、学校から帰るとアリたちは一匹残らずいなくなっていた。
 母が業者を呼んだそうだ。
 世界というのは突然変化する。 

海へ行くつもりじゃなかった。

2005-07-27 18:19:54 | Weblog
 昨日はBと、Wちゃんでナイトクラビング。
 といっても、メトロのストビという超マイナー路線ですが。

 僕は2年ぶりぐらいなんじゃないだろうか、このイベント。
 ストビというのはストーンズ&ビートルズのことで、ほとんどストーンズとビートルズしかかからない。もはやクラブイベントではないような感じすらします。

 love,love,love...とか
 give peace a chance...とか
 let it be...

 などと叫びながら、少ないお客さん(たいてい20人もいれば多いほうだ)が全員肩を組んで円陣を組みながらぐるぐる踊るという異常なイベントです。

 それで、まあMCにはlove&peaceへの思いの篭ったものが語られるわけだけど、僕はなんというかいつも違和感を感じざるを得ない。

 昨日はストーンズもビートルズもイギリスのバンドだし、「こないだのテロからはやく立ち直って欲しいという願いを込めて、この曲をかけます」というMCがあった。
 だけど、まあ当然ここでそんなことを言っても英国には何も伝わらない。

 もちろん、僕はこのMCと共に音楽をかけるという状況を理解して受け入れることができるし、これはこれでいいことだと思う。
 京都の小さなナイトクラブで、みんながそのような願いをもつことは大変に素敵なことだと思う。スタイルだとしても。

 僕はこのとき、それとは別に「メッセージを伝える」ということを考えた。

 shall we dance? の周防監督がとる基本的なスタンスは「どうすれば見ている人に伝わるのかを考え抜く」というもので、僕はこれはとても他人のことを考えた、つまり優しくて誠実なスタンスだと思った。
「分かる人にだけ分かればいいという考え方もありますが、僕は見る人に分かってもらえるように努力をします」

 村上龍は何かのエッセイで、「届けようという意思のないメッセージ」を批判していた。たとえば、日本のサラリーマンしか読まない日本語で書かれた雑誌に投稿されたブッシュ大統領への批判だとか、主婦しか読まない雑誌にのっている若者に対する批判。
 これらは、批判の対象に言葉を届けて何かを変えようという意思を持たない。たんなる陰口に過ぎないし、その陰口をみんなで楽しむという雑誌の持つ閉塞性を彼は嫌悪する。

 伝えようという意思はとても大切だと思った。
 それは僕にも大きく欠如しているものだ。
 どうしたら現実に声が届くのかを考える。

__________________

 小沢征爾さんの「僕の音楽武者修行」を読んだ。
 彼が23歳(だったと思います)で単身ヨーロッパに乗り込み、コンクールで次々に一位をとり、それから色々な国を行き来してニューヨークフィルの副指揮者に任命されるまでを書きつづったものです。

 本が書かれたのは26歳のときで、文体が恐ろしく若い。
 とても力強い本だった。
 僕は小沢家というのは元来裕福なのかと思っていたらそうではなく、貧しくても子供たちには自由に教育を受けさせるという家風だったようです。
 お金がないので小沢さんは、ヨーロッパでの足にスクーターを用いることにし、あちこち探してやっと川崎からスクーターを借り受けます。ただし、条件があって。

 1、日本からだと分かるようにすること。
 2、音楽家だと分かるようにすること。
 3、事故を起こさないこと。

 3はとにかく、彼は1,2を満たすためにスクーターに日の丸ステッカーを貼って、ギターを担いでバイクにまたがるというスタイルでヨーロッパを旅することになります。

 渡欧も、貨物船に乗って手伝いながらで、こういうパワフルなところは見習わなくてはなと思った。




ボクの音楽武者修行

新潮社

このアイテムの詳細を見る

do you like green tea?

2005-07-26 04:27:10 | Weblog
 昨日、Bに誘われて京極夏彦の「ウブメの夏」を見に行った。
 Sちゃんの日記によって、あまりいい映画ではない、という評価を知ってはいたけれど、まあ一度見てみてもいいかと思って見に行った。
 確かにちゃちな映画だったし、原作を知らない人にはほとんど何も伝わらないのではないかとさえ思えた。
 でも、まあ映画館で映画を見るというのは、映画がなんであっても楽しい。
 もちろん、最大サイズのキャラメルポップコーンとドリンクを抱えて座る。

 映画が終わると9時で、もちろん僕たちはお腹を空かせていて、エースカフェでビールとパスタ。
 それから結局Bの部屋でダラダラと過ごす。

 三条から自転車に乗って移動していると、軽い雨が降りはじめた。

「私達って、一緒に自転車乗ってたら絶対雨降るような気がするんだけど」

「確かに」

 川端通りを北に向かって進む。僕は川端通りから眺める京都市街を好きだと思う。とても輝いて見える。

「昔、最初にこの道を通ったとき、まあいつだかは覚えてないけれど、でもまさか将来こんなにたびたびこの道を通ることになるなんて思いもしなかったよ」

「えっ」

「将来のことってほんとにわからないなってこと」

 中学と高校が同じだった友人に、大学の2年だか3年のときに偶然再会した。
 それも実家から遠く離れた北山のスーパーマーケットで。僕は当時一緒に暮らしていた恋人と買い物をしていて、彼も一緒に暮らしていた恋人と買い物をしていた。つまり、僕たちは目と鼻の先の距離に住んでいた。

 その後、僕たちはいくらか交友を取り戻し、そしていつだか飲みに行った帰り道、アパートの近所を歩きながら感慨にふけった。

「なんか、二人でこんなところ歩いてるなんて変な感じしない?」

「する。まさか、中学の時はこういうことが起こるとは思いもしなかった。お互い北山に住んで、一緒に帰り道を歩くなんて」

 あらゆることが予想外で不思議だと思う。
 そして同時に、願いはゆっくりと叶って行くような気もする。

_________________________

 このあいだ、Tくんとメトロに行ったとき、黒人の女の子と話す機会があった。
 彼女はサンフランシスコからやってきたアメリカ人で、それから日本語が随分とうまく話せて、僕はほとんど英語を使う必要がなかった。

「なんかダンスって恥かしいね」

「えっ、でも君はアメリカ人でしょ」

 僕は笑いながら言う。

「アメリカ人だって色々いるもん」

「そうだね、知ってるよ」

 それから彼女は僕を見て言った。

「日本人って痩せてるね」

「色々だよ。日本人にだって痩せてる人も太ってる人もいる」

「そうね。知ってる」

 彼女は日本と日本人がとても好きだと言った。前の彼氏も日本人だったと言った。
 それから、日本に関する話をいくらかして、後ですこしだけ合気道を教えるよ、それから少し話そう、と約束をしたけれど、でも僕はその約束を果たさなかった。とても申し訳ないことに、その日、僕は全く上の空だった。
 彼女は今頃大阪にいるはずだし、一月以内にサンフランシスコに帰るだろう。そして、多分もう永遠に会って話をすることはない。本当に申し訳ないことをしたと思う。一期一会という言葉を強く思う。そして、今度会ったらきちんと謝ろうと思う。思わぬ再会というのは意外と起こることでもある。

 


ソーダクラッカー。

2005-07-25 01:19:29 | Weblog
 先日、夜中の3時にI君の研究室に行くと、T君もいて、そして部屋の中がとても甘い匂いに満ちていたので、「なんか甘い匂いがする」と言うと、T君がパイン飴を探しながら「これのせいだよ」と言った。

 それから、折角くれるというパイン飴を貰うことを、僕は辞退した。パイン飴はとても好きだけど、そのとき僕はスナック菓子の食べすぎで口の中がヒリヒリしていた。
 そういうと、T君もI君も「痛くなって、じゃがりこ完食できない」とかなんとか、意外なことに「スナック菓子の食べすぎによる口の中の痛み」に賛同してくれた。

 「小さい頃は大丈夫だったような気がするんだけどなあ」

 「大人になると”それ以上食べるのやめなさい”って止める人がいなくなるからじゃない」

 それは実に的を得た回答だった。
 僕たちは大人になり、好きなだけお菓子を食べ、好きなだけジュースを飲み、時にはアイスクリームの食べすぎでお腹を壊す。
 まったく、これでは子供じゃないか。今日はクラッカーを食べ過ぎて舌がヒリヒリとしている。

 だけどまあ、口の中がヒリヒリするくらいどうってことはない、とも言える。

 実は、最近着るものにとても困っています。
 服はそこそこの数あるのだけど、着ようという気になるものが少なく、それから買い物に出掛けても欲しいと思う服がほとんど見つかりません。
 それで、苦肉の策でほとんど毎日同じ服を洗濯して着ています。夏だからできる荒業だけど、できれば服はなるべく違うものを着たい。

 どうして着る服が限られるようになったのかというと、ここのところ動きやすく風通しの良い服しか体が受け付けないからで、ジーパンとTシャツみたいな黄金コンビは使用不可能だし、ベストやなんかで重ね着するのも耐えられないし、ズボンはルーズじゃないと窮屈で仕方ないし、というような快適性の条件下で、一応は気になる見栄えの問題を解いた時の最適解が今は一つしかないということです。

 適当に持っている服をリメイクしたりしているのですが、なかなか良いものが出来上がりません。一つには汚い縫い目の問題もあって、いい加減ミシンくらい買わないとな、と思います。神は細部に宿るというのは真実だと思う。

万国博覧会。

2005-07-24 06:42:52 | Weblog
 22日は、朝7時ぴったりに京都駅を出る新幹線に乗って愛知万博へ行った。
 朝の7時に京都駅にいるなんて、とても久し振りのことだった。僕とMはお弁当と飲み物を買い込み、ひかりに乗った。運の悪いことに、ひかりはなんだかゴムの焼けたような嫌な臭いが少ししていて、岡山や新大阪からの乗客が平気な顔をして乗っているので驚いた。そんなに強く臭うという訳ではないけれど、でも普通こんな臭いはしないよな、と思いながら、Mに「変な臭いするし違う車両に変えてもらおう」と言うと、彼女はきっぱりとそれを否定した。

「大丈夫だって、みんな普通にのってるじゃん。それにすぐ着くし」

 平常性バイアス。
 こうして、防ぐことのできた事故が防がれずに起こってしまうのだな、とぼんやり思う。この車両に乗っている人々が、五時間後に全員別々のところでこのガスの所為で死んでしまわないとも限らない。

「すぐにって言っても40分とか50分かかるんだよ。体が反応したことには素直に従った方がいい」

 結局、彼女はイエスと言わず、その車両でそのままお弁当を食べる。
 臭いにはすぐに慣れてしまった。米原から乗って来る客は「どうしてこの人達はこの臭いの中で平気な顔をして座っているのだろう」と、さっきの僕と同じことを思うのだろう。

 特にこの匂いによって被害があったということは、一日経過した今でもないけれど、でも、このときに席を移らなかったことはこの日最大の失敗だった。
 とても後悔している。
 間の抜けた、鈍感な何かに成り下がった瞬間。大袈裟だろうがなんだろうが、僕は自分の反応した通りに動かねばならない。

 ワゴンで売りに来たコーヒーを、何人かのサラリーマンが買い。今度は幾分コーヒーの匂いがする。
 売り子さんがコーヒーを入れていると、トイレに行きたい誰かがその横を無理矢理通った。とても窮屈そうで、僕はどうしてワゴンは通路一杯の幅で設計されているのだろうと思った。もっとスリムに設計するといいと思う。

 名古屋で新幹線を下りて、ノーマルなJRにスイッチ。朝の8時に名古屋にいるというのも、とても久し振りだった。シャトル快速で万博八草まで40分。そのあとリニモに3分くらいでやっと万博に辿り着く。
 ものすごい人出。

 9時開門で、炎天下に45分並んでやっと入場。
 入場にどうしてこんなに時間が掛かるのかというと、荷物をチェックされる為。一人一人鞄の中身を見せて、金属探知器のゲートをくぐらなくてはならない。
 ここで、人がたくさん待つのは容易に予想されることなのに、どうして屋根くらい作らないのかと思う。45分も並んでいると、自然に周囲の人と言葉を交わすようになり、誰かが状況に文句を言うと老いも若きも反応する。

 入場して、まず企業のパビリオンの様子を覗いに行く。
 自分で異常にテンションが上がっているのが分かる。なんといっても万国博覧会なのだ。

 パビリオンは、もちろん人だらけ。
 いきなり「待ち時間180分」と書いてあって、これはなかなか手強いな、と思う。

 「日立館の整理券は、今回の分はなくなりました。12時から次回、配布します。並んで頂けるのは11時からとなっております。今は並んで頂くことができません」

 と日立館の前で係の人が叫んでいる。
 時間はまだ10時にもなっていなくて、このアナウンスが流れていても炎天下でいくらかの人が並んでいた。
 11時から並ぶことができて、12時から配布するということの理由が良くわからないけれど、取りあえず10時半に戻って来ることにして、イスラム系の展示へ行く。

 最初はサウジアラビア館。
 兎に角、展示よりもエアコンの効いた直射日光の当たらない空間に入ったことに感謝する。
 円柱状の部屋では360度の映像でサウジアラビアのフィルムが流れ、なかなか面白かった。設計は立ち見を前提にしているようだけれど、僕とMは地面に座り、座ると小さな子供と目があった。子供は背が低くて大変だな、と思う。

 イエメン館。
 展示らしい展示なし。アクセサリー売りみたいなのがひしめき合った商店街になっていて、真剣にアラブっぽい人達が売っている。ただのお店。あやしい感じが良かったし、僕は朝からずっと「今日は異常にグレープフルーツが欲しい」と言っていたのだけど、その場で絞ってくれるグレープフルーツジュースがあって飲む。

 10時半になったので日立館に戻ると、すでに結構な人が並んでいて、係りの人は相変わらず「11時まで並べません」と叫んでいた。
 どんどんと人が増える。
 日差しは強く。僕は頭にガイドブックを開いて載せた。Mは帽子を深く被っていたけれど、日傘を忘れたことにとても後悔していた。
 人が増えるに連れて、人口密度も高くなる。近くで小さな子供が泣き出した。赤ん坊を抱えた人も結構見掛けたけれど、あんなところに赤ん坊を連れてくるべきではないと思う。100%駄目だと思う。

 やがて、11時が近づき、ゲートが開く。
 「ここにいる人達はみなさん入れますから、押さないで下さい。ゆっくり、少しずつですよ」
 わずかに進む。
 僕は言う。

 「ほんとにこれ並ぶ? あと2時間は多分こんな状態が続くと思うよ。こんなの人間のすることじゃないよ」

 「うん、並ぶ」

 「分かった」

 前方では押し合いが起こり、僕たちのいるところの圧力も高くなってきた。老人も子供もいた。僕にはどうしてここに屋根を作って空調を入れないのか全く理解できなかった。パビリオンの中にいるよりも並ぶ時間の方がずっと長いし、人々が長時間並ぶことは容易に予想されたはずだ。なのにどうして設計者はそれを考慮しないのか? ここにはコストを掛けてもいい筈だ。これでは全く客のことを考慮した設計になっていない。彼らは「熱中症が多発しています。十分に水分を補給して下さい」と言うばかりだった。ペットボトルの持ち込みも禁止されているというのに。

 そして、僕達は信じられないアナウンスを耳にする。

 「今回の整理券配布に並んで頂ける方はここまでです。次回は13時からになります。これ以降の方は並んで頂いても整理券をお渡しすることはできません」

 さっきまで、みんな入れるから押すな、と言っていたのだ。僕は思わず強く言う。

「さっきまではみんな入れるって言っていたんじゃないですか?」

 他の人達も声を荒げる。後ろに並んでいたおばさんが、彼らはなんてアナウンスしたのか? と尋ねてきたので、僕が「もう入れないそうです」と伝えると彼女も信じられないと言う。
 もちろん、11時前に並んだ僕たちにも非はある。だけど、彼らは入れるとずっと伝えていたのだ。

 バカバカしいと言いながら、僕らはイスラムのところに戻ることにした。僕らが並んでいた列は、僕たちの後ろにもずっと長く続いていて、そこに並んでいる人々にはまだ「もう駄目」というアナウンスが伝わっていなかった。炎天下に汗だくになりながら並んだままだった。

 「もう、並ぶのはやめよう。企業館なんて別に見れなくてもいいよ」

 「うん」

 以降、僕たちは日本館に入る為に80分並んだ他はほとんど並ぶことがなかった。並んでいるところへは行かなかった。

 インド。ネパール。中央アジア共同。ブータン。モンゴル。中国。スリランカ。パキスタン。バングラデシュ。イラン。キューバ。メキシコ。国連。ドミニカ。アルゼンチン。アンデス共同。中米共同。スペイン。イタリア。リビア。クロアチア。ギリシャ。モロッコ。ヨルダン。チュニジア。ブルガリア。北欧共同。ベルギー。ロシア。

 展示のレベルは国によって異なるけれど、大まかに言えば大体はプロジェクターで何かを写せばいいだろうという感じがした。20世紀は映像の世紀でもあったけれど、その総括だという感じもなくはない。
 そんな中、ヨルダンとクロアチアの展示は現代アートに近く、趣向をこらしていることが伺える。

 日本館の360度全天球型映像システム「地球の部屋」は、基本的には良かったけれど、スクリーン自体の継ぎ目が見えてなんとなく仕事の粗さを感じないではいられなかった。
 「世界初の立体映像ジオスペース」に至っては、使っている技術の古さと映像レベルの低さに恥かしくなる。

 それだけ見ると時間が来て、僕とMはグローバルコモン4から企業パビリオンゾーンに、キッコロゴンドラで戻り、土産売り場を覗いて万博を後にした。
 夜の会場はとても平和な感じがしたし、とてもきれいだった。

 見てない物も多いし、暑さの弱まる夕方から何度か分けて遊びに来れればいいなと思った。
 とても楽しい一日だった。
 密なコミュニケーションがあった訳ではないけれど、こんなに色々な国の人に会ったのも初めてのことだった。色々な国に行きたくなると同時に、他国の国力の一端を知って、中には人口の6割が20歳以下だというフレッシュな国もあり、これから日本は高齢化が進んでますます国力を失うという危機感を強く持った。

夏の列車、東京へ。

2005-07-21 23:51:51 | Weblog
 大阪万博のDVDがずっと欲しかったのですが、6000円近くもするので、高いなあと思って躊躇っていました。でも、今日ドラッグストアに行くついでにケイブンシャによると目に付いたので買ってしまいました。
 3時間近くあるみたいですが、まだ中身はほとんど見ていません。

 それで、明日は新幹線に乗って愛知万博に行ってきます。

公式長編記録映画 日本万国博

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

リズム。

2005-07-20 06:21:48 | Weblog
 先日、友達と御飯を食べながら話していると、東欧やイスラムのダンスとダンスミュージックの話になり(といっても僕はほとんど聞いていただけですが)、それから「コサックダンスというのは、机に座って仕事としたままで、ばれないように足だけで踊っていたのがオリジンなのだ」ということを初めて知った(ちょっと確信はないらしいですが)。アイルランドのリバーダンスもそういったところから派生しているらしいです。
 
 上半身は動かさず、下半身のみでこっそりと踊る。
 人間というのはそこまでしても踊るものなんだな、と思う。

 踊りのない文化圏って存在してるんだろうか?
 世界中どこに住んでいる人も踊るような気がする。どこの文化圏にもダンスミュージックがあるような気がする。
 というか、鑑賞用の音楽がないところにも必ずダンスミュージックだけはあるように見える。
 音楽とダンスは一緒に生れたんだろうか?
 自分でもときどき打楽器を叩いたり、あるいはギターのバッキングをしたりしていると、単に音を出しているのか、それとも、体を動かして軽く踊っているついでに音が出ているのかよく分からなくなるときがある。

 海では波が打ち。
 僕たちは呼吸し、心臓が動く。

 月曜日は8時くらいから北白川のビバラムジカで飲んだり食べたりした。
 このお店は、ときどきライブをしたり、太鼓を教えたりしているところで、一時期、民族楽器にはまっていたM君と「今度行ってみよう」といいながらのびのびになっていたので、いい加減に重い腰を上げたのですが、パラパラと友達を誘うと、結局9人になって、このお店には9人も座れるテーブルがなかったのでなんとなくごちゃごちゃした感じになった。もちろん、狭いところには慣れっこだけど。
 他のお客さんが退けてくると、開いてるソファに座ってみたり、だんだん縦横無尽な感じになり、許可は取ったものの店内においてあった太鼓を激しく叩き過ぎてM君とKさんが怒られる。

 「エレクトロニカとテクノって一緒じゃないの?」

 「エレクトロニカは四つ打ちじゃないらしいですよ」

 Yちゃんが電車の時間で先に帰り、その後閉店近く迄いて店を出る。
 次の日O君はレポート、Sちゃんは教習所で帰り、残り6名は結局朝までカラオケに行った。

 カラオケにはとても久し振りにいった。
 他の人が歌っているとき、僕たちはタンバリンを叩いたり、一緒に歌ったり、手拍子を入れたり、それなりの方法で参加を果たす。でも、僕はこのとき本当にタンバリンの代わりにギターが欲しかった。知らない曲を聞いて、それに見合う音を出したりなんて僕にはできないけれど、でも、とてもギターを鳴らしたくてもどかしくて、僕は自分が思っているよりもギターという楽器が好きなのだろうかと思った。

 ギターは弦楽器ではなくて打楽器なのだ、と言った人がいる。
 そうとも言えると思う。

 それから、こんなことを言った人がいるのかどうか知らないけれど、キーボードも打楽器なのだ、と言いたくなるときがある。

 カラオケを出て、みんなで自転車に乗ってKさんを地下鉄の駅まで送る。「それじゃ、おやすみ」と彼女は階段を降り、僕らは手を振り見送る。それから、駅の前で何故か帰らないで話をしているとKさんが戻ってきた、「ごめん、お金貸して、帰れない」。

 コンビニエンスストアでチョコレートの付いたビスケットとミネラルウォーターを買って帰り、シャワーを浴びて6時半に眠る。

 13時半に起きて、またシャワーを浴びて、シャツにアイロンをかけて、アルバイトの用意。
 音楽をかけて、リズムに合わせてアイロンをかける、シャツを着る。
 コンポの電源を落とし、ヘッドホンを耳に当て、ギターポップサウンドで僕は真夏の炎天下、駅へと向かった。
 自転車は真っ赤で鞄も真っ赤だった。
 

 
 
 
 

ストラクチャー。

2005-07-17 02:42:37 | Weblog
 「美女と野獣」というとても有名な物語を知らない人は少ないと思う。たぶん、この日本語のテクストを読める人で、インターネットにアクセスできる、という環境を持つ人で「美女と野獣」を知らない人なんてそうはいない。

 僕の通っていた高校はとても変わった(どちらかというと悪い意味で)高校で、文化祭すらないという異常さを持っていた。文化祭の代わりに、なぜか僕らは男ばかりの集団(そう、なお悪いことに男子校だった)で劇団四季のミュージカルを見に行くという訳の分からないことをせねばならず、だから、僕は劇団四季の「オペラ座の怪人」と「美女と野獣」を見たことがある。

 この観劇のとき、美女と野獣を「人を見かけで判断してはいけない」というメッセージを持つ物語だと思っている人がそこそこ多いので吃驚した。

 あれはそんな当たり前のことを伝えるために作られた物語ではない。
 良く考えてみればすぐに分かることだが、そのメッセージを伝えるにはこの物語は構造的に破綻している。
 なぜなら、最後の最後で「野獣」はもとのかっこいい王子か何かに戻り、そしてハッピーエンドとなるから。
 つまり、結局最後の最後で、「かっこいいもとの姿」=「ハッピー」と断言して物語は終わる。

 これでは「人を見かけで判断しないように」というメッセージは収まらない。
 
 今日はholidayloverさんのブログで知った川端丸太町の洋書店green e booksへ行ってみた。
 良いお店でした。店員さんも気さくだし、DVDのレンタルもあります。

 エトワやメトロのすぐ近くなのに、僕はこのお店の存在を全然知らなかった。京都だって、まだまだ知らないところばかりだ。
 それにしても、インターネットは本当に便利だと思う。僕は随分な恩恵を受けている。

 夕方には、久しぶりにM先生のところへ遊びに行った。
 四国とか山口とか行ってみようかと思うんですけれど、というといくつか面白そうなポイントを紹介して下さった。
 いくらかデザインや思想周りの話をする。本当に色々な話が次から次に出てきて、やっぱりプロの学者というのはすごいなと改めて思う。

コンクリート。

2005-07-17 02:10:10 | Weblog
 オリーブオイルに漬け込んだブルーチーズを、オイルごとスプーンですくってフライパンに入れ、トマト炒めご飯はできあがった。本当はマッシュルームが欲しかったけれど、冷蔵庫にはニンジン(しかもあまりおいしくない)とレタス(これはとてもおいしい)しか入っていなかったので断念する。
 僕はラジオを止めて、テレビを点ける。
 料理をするときは音楽を聞き、食べるときにはテレビを見るか本を読む。

 テレビには京極夏彦が出ていて、とても的確に妖怪とは何かを語っていた。それは僕が昔誰かに伝えたかったけれどうまく言葉にできなかったことそのままだった。

 「だってほら、なんか怖いというよりも、なんか懐かしい感じしない? 妖怪って」

 当時、僕に言えたのはそれだけで、他にはなんの説明もできなかった。

 「そりゃあ、妖怪なんていないし、だから君も妖怪のことなんて良く知らないだろうから、説明なんてできなくてもしかたないよ」」

 そういったフォローだってあるかもしれない。
 だけど、妖怪というのは実在する。メタファー抜きに。

 妖怪というのはキャラクター化された現象が形成する集合のことだ。
 しかも、新しくてはならない。どちらかというと古いものが妖怪になり得る。ちょっと古くて不可解なもの。

 すこし話は逸れるけれど、ここで僕ら人類の外界認識に触れておきたい。

 人類の偉大さというのは、その外界認識において「これは不明である」というエリアを確保できた点にある。「これは不明である」つまり、我々の現段階での理解を超えている。もしくは想像力を超えている。我々の想像すらできないことがこの世界には存在しているのだ、という認識。
 たぶん、この認識を持っているのは人類だけなんじゃないかと思う(もっとも他の生き物たちがどういった気持ちで暮らしているのかはわからないけれど)。 

 僕たちは、解明したい、という意思は持つものの「不明」というゾーンを作ることに成功し、その他の動物は「~である:~でない」の2進法的な感覚しか持たない。
 たとえば、「これはエサである:これはエサではない」、「これは敵である:敵ではない」。
 といったように。
 その場その場に応じて、自分の頭の中にある概念を引っ張り出し、それに当てはめ、うまく当てはまるかそうでないかを判断して白黒を決める。ときには同時にいくつかの概念を引っ張り出してきて、当てはめる。迷う事だってあるだろう。でも、迷いをそのまま維持することはできない。
 答えはいつだってイエスかノーなのだ。

 対して、人類は自分たちの概念では裁ききれない、つまり僕たちの概念は全然足りていない、という可能性を保持することができる。訳の分からない状態に耐えることができる。

 この訳の分からないものを「訳が分からない」という状態のまま保持するための機構の一つが「妖怪」だと僕は思う。
 まさしくキャラクタライズして、「妖怪」エリアに放り込んでおく。これは本当は実に知的な作業からうまれた手法なのだ。

ゼリービーンズ。

2005-07-16 14:34:17 | Weblog
 昨日はレポートを3本も提出して、その後、御飯を食べに行き、その後、自転車で夜中の山中越を越えて琵琶湖に行った。

 大学ですべきことをなんとか終えたとき、時刻は既に6時で、僕はそれまでアイスクリーム以外何も口にしていなかったので、御飯を食べに食堂へ行こうとすると携帯が鳴ってメールが来た。メールはBからで、今夜御飯でも食べないか、少し遅くなるけれど、というものだったので、僕はオーケーと返事して食堂に行くのをやめ、代わりにおにぎりとパンを買った。
 アパートに戻り、おにぎりとパンを食べて、それからオレンジジュースを飲むと、とたんに僕は抗うことのできない眠気に襲われて眠り込んでしまった。

 9時にBからの電話で起こされる。
 シャワーを浴びて、9時半に百万遍で落ち合う。
 
 「昨日、とってもいいお店見付けたのよ」

 ということで彼女に付き従ってそのお店に行くと、そこは本当に素晴らしい店だった。なんという名前かは分からないけれど、適当に自作したような木のカウンターと、おまけのような小さなテーブルが一つあるだけの小さなお店で、とても健康的でおいしい御飯が食べられる、定食は700円だけど、普通の定食屋で出てくる油の多く野菜の少ないメニューとは大違いで、食べていて体が喜ぶのが分かる。

 でも、僕はやっぱり随分と消耗していたので12時で切り上げる。
 ビールや焼酎の代わりに自家製すもも酒を選んだあたり、自分でも疲れてるんだなと実感した。

 Bと別れて自転車に乗っていると、体はとても重いし、それにとても眠いのに、なぜか意識だけはとても元気なことに気が付いた。このまま自分の部屋に戻って眠るなんてことはできそうになかった。多分、夏で、それからこの日はやるべきことをすべてこなしたからだと思う

 そこで僕はI君に電話を掛けて、ちょうど彼は暇にしていたので2人で自転車に乗って山中越を越えることにした。
 でも、疲れていて眠いことも確かだったので、もう出発するには夜も遅いし、とりあえず1時間だけ様子を見る感じで走ってみよう、と12時50分に白川から山中越えに入った。

 意外なことに、1時間で山中越は越えることができた。
 京都から、琵琶湖まで自転車でたったの1時間で行けるというのは、今まで全く気が付かなかったことだ。琵琶湖ってやっぱり近いんですね。

 実はI君の自転車にはライトが付いていないし、僕のも発電式なので、急な坂道で自転車を押して歩くときは何の役にも立たない。
 山の中は、ときどきほとんど真っ暗で、その中を僕らはいつももち歩いている小さなLEDのライトと、携帯電話の灯りだけを頼りに進むはめになった。車のライトというのは本当にとても明るいのだなと実感する。

 峠を越えれば、大体は下りで、これはもう飛ばすしかない。
 幸い、僕のライトは飛ばせば飛ばすほど明るく付くので、なんとか視界も確保できる。
 大津市街の灯りを見下ろしながら、それでも暗い曲がりくねった山道を、自転車のブレーキがキーキーとやたらうるさいのが面白くて、大笑いしながら駆け抜ける。

 I君は一度こけそうになり、「ちょうど走り屋の対向車来てたし、あそこでこけてたら確実に死んでたよほんと。真っ青になった」と言っていた。
 バイクと違って、自転車は制動性が低いし、タイヤもちゃちで、スピードが出ているとコーナーで小さなバンクや石を踏んでもこけてしまうので危ないことは危ない。しかも暗くて地面の様子が見えない。
 それから、サスペンションがないので、スピードの出し過ぎ防止だかなんだかの為に道路をわざと凸凹にしてあるところでは、その凹凸がダイレクトに伝わってきて、カゴに放り込んであったペットボトルのジュースが飛び出しそうになって大変だった。

 でも、つつがなく無事に琵琶湖。

 帰りは1号で帰ろうと話していたのだけど、I君はもう自転車で帰るのは嫌だと言い、結局T君に車で迎えに来てもらい、自転車も積んで車で京都に帰る。このあいだ、冗談でそんな話をしていたけれど、まさか本当にこうなるとは思わなかった。T君ありがとう。

 大学のところまで、つまり僕やI君やT君のアパート付近まで戻り、車から自転車を降ろして、外で少しだけ話し込む。空はゆっくりと白む。

 僕は海辺でゆっくりとしたかったので、18切符の一人旅を計画していたのだけど、I君とT君も一緒に行くことになった。

「これは本当に、遊ぶ旅行じゃなくて、単に海の近くでゆっくりするという鄙びた旅行で、たとえばビーチではしゃぐとか観光するとか、そういうことじゃなくて、夕暮れの海岸でビールを飲みながら本を読んだりというような、特になんにもない旅行にしたいのだけど、ほんとにそんなのでもいいの?」
 と念を押す。

 「オーケー。問題ない」

 それでは、旅の計画でも立てなくては。
 なんといっても夏なのだ。