sun.

2006-11-20 19:22:39 | Weblog
 学歴による偏見みたいなものを無くそう、という主旨で発足した会の話を昔読んだことがある。
 その会には、様々な学歴の持ち主が参加していて、「学歴社会を壊して、偏見のない社会をどのようにして作るのか」ということが真剣に話し合われるわけだけど、そもそもそのメンバー達は各々がどのような仕方で”偏見”を体験したのかを語る必要があるので、自分の最終学歴、出身大学を名札に書かねばならなかった。学歴を気にしない世界を作ろうとしている人々が、学歴を自分の名札に書くとはおかしな話だ。

 ということが、その本には書かれていたのですが、僕はそれを最初に読んだとき、「なるほど本末転倒とはこのことだ、これはおかしな会だ」と思った。だけど、考えてみれば、これはおかしな会でもなんでもない。これから学歴による偏見のない社会を作りたいけれど、とりあえずその出発時点においてはそれぞれが学歴を名乗る、というのは別に全然おかしなことではない。現状を把握して、それから物事を推進していこうということだ。学歴排除といいながら学歴を名乗るとは笑止千万、という解釈はそのほうがおかしい。
 だけど、僕は最初、著者の「笑止千万」という意見に与した。それは多分、その方が話としては面白いからだ。
 著者がどうしてこのような文章を書いたのか、ということも同じ理由で説明できるように思う。「学歴廃止を謳う人々が学歴を名乗ることのおかしさ」ということを書くのは、たぶん「学歴廃止を謳う人々が学歴を名乗っても別におかしなことではない」ということを書くよりもずっと面白いのだ。

 書き手というのは常に「こう書くと面白い」という欲望を抱えていて、読み手というのは「こう読むと面白い」という欲望を抱えている。そしてときどきその欲望は、テクストの論理性を無視すること、真実から目を逸らすことに繋がる。だから僕たちは何かを書いたり読んだりするとき、ある程度注意して物事を考えなくてはならない。面白いかどうか、ということは勘定に入れても中心にしてはならないと思う。


2006年11月18日土曜日

 雨。
 怠惰な一日にしてしまう。
 夜、今日は気分がそうではないな、と思いながら、さらにトマトソースが異常においしかったせいでパスタを詰め込みすぎたお腹で夜12時くらいからエトワまでgreen e booksのパーティーに出かけるも、エントランスがPとYちゃんだったので、特に会場内に入る必要もないか、今日は元気ないし、ということで、中から出てきたNさんも含めてエレベーターの前で少し話をして帰ることにする。
 1階のショップ99でお菓子を買って出てくると、メトロへ行く寸前のMちゃんに会い、しばらく話をしてから帰る。Sちゃんがフランスへ行ってしまったということでびっくりする。
 3時半就寝。


2006年11月19日日曜日

 7時半起床。
 8時半にT君の車で松ヶ崎を出て、Mちゃん達を拾って、
 10時に万博公園。すぐにSちゃんから電話がかかってきて、「どこか?」と聞くので、今駐車場に車をとめたところだ、と言っていると、「Hが電話するって」と言ってすぐに電話が切れ、ついでHさんから電話がかかってきて太陽の塔の下で落ち合うことにする。はやくも50人オーバーの団体行動を乱す僕ら。
 11時頃から太陽の塔内部観覧。係りのおじさんの説明中に誰かの携帯が鳴り、誰だよ、というムードが流れたときに係りのおじさんが携帯をポケットから出してそのコールを切ったので、おじさんなのかよ、と一同大爆笑。
 12時頃に変なレストランで昼食。
 後、民芸館、ミンパク。
 5時半ごろ松ヶ崎に戻る。
 部屋で眠りそうになりながら、研究室へ行ったほうがいいかと考えていたのに、K亭でキムチ鍋+映画鑑賞会になる。
 
2006年11月21日火曜日

 量子情報技術研究会1日目。

2006年11月22日水曜日

 量子情報技術研究会2日目、を風邪で休む。

take!

2006-11-17 11:43:38 | Weblog
 毎年、まあいいや面倒だし、と思っていたのですが、この冬は遂にお風呂を作りました。
 僕のアパートにはお風呂がなくて、5分くらいしか出ない21世紀とはとても思えないようなちっぽけなシャワーがあるばかりなのですが、それでは到底冬のシャワータイムを快適に過ごすということは叶わず。快適どころか恐怖のシャワータイムになってしまうのですが、この冬は快適な(もちろん比較的という意味合いでですが)バスタイムを過ごすことができると思います。
 まだ、断熱とタイマー、温度調節について幾分付け加える必要はありますが、今朝ものぼせるまで入っていました。
 僕の計算では一日のお風呂に必要なコストは大体80円といったところで、仮に20パーセントの誤差を考えてみても100円は切っているはずです。まあこれなら全く問題ありません。
 入浴剤を買いに行こうと思う。

 ただ、今日は朝方にお化けが出たので、部屋がそうも快適だという気分ではありません。僕はときどきお化けを見るのですが、まず大抵は寝ぼけていてなんらかのゲシュタルト的幻覚を見たのだろうという仮定で説明できそうであり、まれに、これはどうやら本当にお化けのようだな、というときがあります。
 今朝の場合は、今までのお化けとは違って、とてもリアルで、ある程度はお化け慣れしている僕にもそれがお化けだとは分かりませんでした。
 僕はその男の人を、本当の人間で部屋に侵入してきた敵だ、と認識したのです。しかも若くて結構おしゃれで、なぜそんな人が部屋の中にいるのか分からなくて僕は混乱し恐怖を覚えた。だから、びっくりして「わー」と声を上げるのではなく、「とりゃー」というような声を思わず出してしまい、まずは被っていた布団を彼に向かって蹴り上げ、続いて立ち上がり蹴りを食らわしてやろうとするともうそれはいなくなっていた。何もいないし、何の気配もなかった。

 その後、しばらく眠ることができなかった。
 お化けならとにかく、最初に感じた「これは泥棒か何かだ」という非常事態に対して、僕の脳は大量のドーパミンやなにかを出したに違いない。
 空が白み、気が付くと僕は再び眠りに落ちていて、悪い夢のせいで目を覚まし、お風呂に入って出かけた。


2006年11月13日月曜日

 学校。計算がどうしても負になると言っていると、先生の勘違いで僕のであっていることが分かった。
 夜、ネバーエンディングストーリー。

2006年11月14日火曜日

 朝、Y亭留守番、のち学校。
 夜にNがバイクを修理して欲しいと持ってくる。単にチェーンが伸びているだけだけど、アジャスタの限界を超えていて、僕はチェーンカッターを持っていないので悔しいけれど断念。

2006年11月15日水曜日

 映画鑑賞会が中止になったので、電熱線を取りに、それから所用もあったので実家へ行って晩御飯を食べて来た。
 窓辺に変な物体があるので「何あれ?」と母親に聞くと、「ああ、あれ、バナナのケースだって、またお父さんが買ってきたのよ」と、驚くべき答えが返ってきた。テレビか何かでみて、こんなの誰が買うんだろう、と思っていたものを父親が買っていたとは。
 仕事から帰ってきた父親に、「バナナケース、良太がバカにしてるわよ。あんなものどうして買ったの?」と母親が尋ねると、父親は「前から欲しかったから」とあまり理由になっていない答えを述べ、「欲しかったと言うけれど、でもあなたは買ってきてから、これをずっとここに置いたままで、一度も使ったことがないじゃないの」と母親に切り返され、「いや、アングロサクソンは変なことを考えるなと思って」と訳の分からないことを言った。
 そのあと父親は、「これ欲しかったら持って帰れ」と、畳み掛けるようにパスタ茹で器を取り出した。それは火を使わずともパスタとお湯を入れておくと普通の茹で時間の1.5倍程度の時間でパスタが茹で上がるという、これも「なんてバカな商品だろう」と僕が思っていたもので、火を使う必要がない、というのがウリみたいだけど、どうせお湯は沸かさなくてはならないし、そもそも鍋にお湯を沸かしてパスタを入れて、それから火を消すのと何が違うのか分からない、と批判していると、「お父さんがいいと思って買ってきたのだから、そんなにケチョンケチョンに言わない」と母親に窘められる。
 ご飯を食べてしばらくすると、父親が今度は「あくまでただの娯楽としてだけど」というエクスキューズ付きで、「今これを読んでる」と一冊の登山家が書いた本を鞄から出してきた。その本はちょうどこの間僕が立ち読みをしていた本だったので貸して欲しいと言うと、読んでる途中だけどいい、というので読んでる途中ならいい、と辞退して帰ってきた。

2006年11月16日木曜日

 朝11時頃、お腹が空いて仕方ないので昼ごはんを食べようかと考えているとAさんから連絡があり1時にランチの約束をし、空腹を我慢する。
 Aさんは物理で学士、建築で学士と修士を持っていてさらに今建築の博士課程で学んでいて、韓国人なのに日本語も英語もぺらぺらという才女なのですが、「最近は建築とかあまり好きじゃない、家でも、計算されたものよりもっと適当なものが好きだ」ということを僕が言うと、「それは最近の建築界の流れでもある。ミニマリズムが長かったけれど、そろそろ終わって次はそういうカオスになる」との返事をくれた。つまり、僕はすっかり時代の流れに飲まれているだけということだ。がっかり。

ファルコン。

2006-11-10 14:07:25 | Weblog
 先日から小沢健二のことを書いていますが、そういえば彼の「うさぎ!」という子供向けに書いた物語の冒頭をここで読むことができます。僕は昨日読んだのですが、大人になると結局のところ資本主義に嫌気がさすものなんだなと思いました。
 僕ごときがこんなことをいうのもなんですが、彼とはほとんど全く同じ思想を共有しているのではないかと思います。


2006年11月9日木曜日

 不動産屋さんから「多めに見てるんだけど、はやく除けてください」と言われている、アパートのガレージにおいている変な椅子をKちゃんがばらして照明の部品に使ってくれるというので、彼女をその下見に案内する。それから、今日はいい天気だね、とのんきな会話を交わしているうちに、僕はパン屋へ行ってパンを買って川へ行って食べよう、と思い始め、そう考えているとKちゃんが「パンを買って川へ行こう」と言うのでびっくりする。誰しも同じようなことを考えるものなのだ。
 天気がいいからみんな川へ行くせいなのか、やけに混雑したパン屋さんでパンを買って、川沿いのベンチに陣取って牛乳でパンを食べて、川の鳥や空の雲などを眺めていると、隣のベンチに変な男2人組が座って、一人は白昼堂々と中国拳法の真似事をするのでびっくりする。
 そうこうするうちに、飛び石を渡り、川の向こう側から白いウサギのような犬が現れた。27歳になって、犬がかわいい、なんてあまり言いたくはないけれど、それはもう奇跡のようにかわいい犬だった。間違いなく僕の今まで見た中でダントツ1番かわいい犬だ。今まで、犬は汚くて弱ってるようなのがかわいい、と言っていたけれど、この犬は元気できれいでかわいかった。犬というよりもウサギだった。耳がウサギの耳なのだ。ウサギ犬。
 それはどことなく「ネバーエンディングストーリー」のファルコンに似ていたので、僕たちは勝手にその犬をファルコンと呼び、その後しばらく飼い主のおじさんを放ったままそこらを走り回るファルコンを眺める。ファルコンが遠くまで走っていっても、飼い主のおじさんはベンチに座ったままで追いかけないので、お互いに放任なんだね、と言っていると、おじさんはカバンから双眼鏡を取り出してファルコンの行くへを追い始めた。なんだ、やっぱり気になるんじゃないか。
 大学へ戻り、研究室で話をしていると夕方になる。Kちゃんは実験へ戻り、僕は計算を少しだけする。
 「自炊完全廃止」宣言をしている僕は、夜ご飯を食べにいつものように食堂へ行くもものの、いつも通りのメニューに嫌気がさしてスーパーマーケットへ行ってしまう。
 夜中は特に行きたいと言う訳でもないけれど、どのようなことをしているのか気になっていたイベントを見にメトロへ行く。エントランスで久しぶりにTさんに会うと、「ロックの子が今日はまた」と言われる。僕だってちゃんとおしゃれなイベントに行ってたのに、と反論。イベントは思ったとおりの音楽と映像。ナイトクラブってもう飽和してるな、と思う。というか、多分僕がそれほど音楽を好きだとは思っていないからかもしれない。実は、僕は別に音楽が好きだと言うわけでもないし、映画が好きだというわけでもないし、取り立てて好きなものは思いつかない。物理学だって、好きというのとはちょっと違って、それは現に僕の生活を見ている人ならばすぐに分かることだけど、力の限り勉強から逃げていて好きだなんて到底言えない。僕が物理学で食べて生きたいと思うのは、それが好きだからというのではなく、それがなんとなくしっくりくるからにすぎない。そんなに仕事に没頭しなくても、なるべく暢気に仕事をして、夜には仲のいい人々でおいしいご飯を食べることができればいいと思う。

翻訳文学。

2006-11-09 16:32:54 | Weblog
 1989年に発表されたフリッパーズギターのファーストアルバム「Three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」の全作詞を小沢健二が担当したことは知っていた。以降のフリッパーズギター作品も、その文学性においては小沢健二という人に大きく依存している。それは1991年にフリッパーズが解散し、小山田圭吾と小沢健二がそれぞれソロで活動するようになれば明白に分かる。小山田圭吾のコーネリアスは「音」であり、小沢健二は「詩」だということが随分とくっきりしている。

 僕は世界で一番好きなバンドがフリッパーズで、もちろんコーネリアスも小沢健二も聞くわけだけど、言葉使いにおいて小沢健二の影響を随分受けていることは自覚している。

 例にフリッパーズのファーストアルバム収録曲のタイトルを並べると、

1、Hello/ハロー:いとこの来る日曜日
2、Boys Fire the Tricot/ボーイズ,トリコに火を放つ
3、Joyride/すてきなジョイライド
4、Coffee-Milk Crazy/コーヒーミルク・クレイジー
5、My Red Shoes Story/僕のレッド・シューズ物語
6、Exotic Lollipop (and other red roses)/奇妙なロリポップ
7、Happy Like a Honeybee/ピクニックには早すぎる
8、Samba Parade/サンバ・パレードの華麗な噂が
9、Sending to your Heart/恋してるとか好きだとか
10、Goodbye, our Pastels Badges/さようならパステルズ・バッヂ
11、The Chime will Ring/やがて鐘が鳴る
12、Red Flag on the Gondola/レッド・フラッグ

 音楽を聴くまでもなく、すでに一曲目のタイトルを見ただけで何を表現したいのかが正確に伝わってくる。
 「Hello/ハロー:いとこの来る日曜日」、完璧な表現。
 昨日の僕の投稿のタイトル『 a doughnut girl in the pool(プールサイドで飛び跳ねろ)』はこれらの単なる真似にすぎない。

 昔付き合っていた恋人が、僕の音楽の好みは明らかに渋谷系なのに、でも「フリッパーズギターはちゃんと聞いたことがない」というのを聞いて不憫に思い、フリッパーズのCDをかけてくれたとき、はっきりいって僕の人生は変わった。人生が変わったなんてオーバーな表現だけど、でもど真ん中だった。日本の音楽史を語るとき、ときどきフリッパーズ以前以後という区分が用いられる。僕の人生においてもフリッパーズ以前以後という区分は有効だ。

 小沢健二が東大を出ていることも勿論知っていた。
 だけど、これは知らなかった。小沢健二はなんと柴田元幸ゼミだったのだ。
 そういうことなのか。なんだ。
 僕の中で色々なものが繋がった。
 初めて柴田元幸さんの文章を読んだとき、僕は「これは村上春樹じゃないか」とびっくりした。あとで知ったのだけど、それもそのはず、柴田さんと村上さんはとても仲が良くて、柴田さんは村上さんの翻訳にチェックを入れていて、その中で村上春樹の日本語運用というものを学んだと本人が言ってらしゃる。曰く、「村上さんは日本語はとても上手だけど、英語の細かいところがときどき怪しいから、そこを僕が直して、逆に村上さんの翻訳から日本語の使い方を学んだ」

 僕は子供の頃まあまあたくさん本を読んだ。だから、たくさんの人から影響を受けているのは受けているはずだ。でも、自覚できる人となると限られてくる。はっきりと自覚しているのは、太宰治、村上春樹、小沢健二の3人で、そのうち同時代に生きる村上春樹、小沢健二の2人は「柴田元幸」というハブに連結している。

 そうか、柴田元幸さんだったのか。


2006年11月7日火曜日

 プログラムが10の159乗という、もはや意味のない異常な数字(たとえば10の79乗が宇宙に存在する全原子数だと言われています)しかはじき出さないので、あちこちデバッグをするも、一向に変化の気配がなく、疲れて困り果てていると、なんとコンパイルにかけているファイルの名前を間違えていた。ファイル名中のnとmをタイプミスして打っていたため、僕はあちこち修正しているのとは別のファイルを何度も何度もコンパイルして実行していて、結果がずっと10の159乗のままだったというわけだ。nをmに変えてコンパイルすると全てがうまく行った。こんなことに半日も費やした自分を嘆く。
 Kちゃんに成り行きで金槌とノコギリを貸すと、彼女はそれをいつものカバンに納めて、それは日常と非日常に関する何かを象徴する仕草だと思ったけれど、どういうことなのか自分でも良くわからない。
 お腹が空いて仕方がないので、夜ご飯はお弁当1個とポテトチップ1袋、オーザック1袋。冬は油物ばかり食べてしまうけれど、寒さ対策に必要なのだろう。

2006年11月8日水曜日

 昼にコープでお弁当とパンを買っているとOにばったり会う。「最近お腹が空いて仕方がないんだ」というと、「君の最近のお昼ご飯の量には着目していた」と言われる。
 国際企画課を、宿舎のことで訪ねる。
 I君と、Iが日本に残していった自転車を取りに行く。
 Oと夜ご飯を食べに食堂へ行くと、思ったよりも人が多い。出口でMさんに会い、今週末もトレイルはどうかという話になる。
 正にならないとおかしいのに、計算の結果がマイナスで出てげんなりして帰る。

翻訳教室
クリエーター情報なし
新書館


three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった
クリエーター情報なし
ポリスター

ベスパ。

2006-11-06 13:22:02 | Weblog
2006年11月3日金曜日

 フィルムを現像へ出した後、昼に大学へ行くと、コープが閉まっていて、さらに人がとても少ないので、変だなと思ってよく考えてみると11月3日というのは何かの祝日だった。Kちゃんと電話をして、今日って祝日なんだね、というと、そうよ世間は3連休なのよ、私はこの連休、本当はキャンプへ行きたかったの、と言うので、じゃあ今から行こう、と急遽キャンプへ行くことにする。
 電話をしていたのが、もう3時頃で、そのあとI君を誘ってキャンプの準備をしていると、出発は夕方の5時くらいになり、目的地に着いたのは夜の7時で当たりは真っ暗。暗闇の中、薪を拾い、火を起こし、テントを張り、うどんを食べ、焼き芋を食べ、ワインを飲み、ひとしきりのことをしてみたけれど、まだ時間は9時だったので、暗い山の中へ入ってみると少し迷いそうになる。Kちゃんがタフな女の子で良かった。
 2時頃就寝。

2006年11月4日土曜日

 9時起床。
 火を起こすも、食べ物を昨日の夜に食べつくしてしまったので、口にするものがスープとお茶と紅茶しかない。昼頃にキャンプを畳んで引き上げる。
 昼下がりに大学へ帰り着き、正門でバイバイをして、僕はパン屋へ寄ってから部屋へ戻り、パンを食べてシャワーを浴び、そのまま眠ってしまう。
 夜にNから電話があって目が覚める。月がきれいだから月見をしたい、とのことで、団子とお茶を買って月見をして、夜ご飯を食べる。

2006年11月5日日曜日

 9時起床。
 10時にYちゃんと家のすぐそばで落ち合い、コンビニとパン屋へよってから出町柳へ、T君、Mちゃん、I君、Mさんの順に集合し、連絡がないのでOに電話をするとまだベッドの中で、今日はもう行かないとのこと。
 6人で京阪に乗り伏見稲荷駅でT君に合流。T君がなぜか次回のgreen e booksのパーティーのフライヤーを持っているので、どうしてかと思えばさっきgreen e booksのNさんに偶然会ったと言う。Nさんにはその後伏見稲荷見物中に出くわす。
 伏見稲荷から京都一週トレイル開始。
 山中、色々な人に出くわす。屏風職人だという矢鱈元気なおじいさんと将軍塚までしばらく一緒に歩く。
 夕方蹴上に到着し、大文字までは今日は断念しようか、という意見もでるが、そのままトレイルを続行し、7時頃に大文字山頂へ着く。伏見からの山並みを見下ろす。この山の中を僕たちはずっと歩いてきたのだ。京都タワーを最初は北西に望んでいたのに、今はそれが南西にある。
 京都市街地の夜景を眺めて、後下山、銀閣寺前を抜け、今出川を通り出町柳でご飯を食べて解散。伏見稲荷から大文字までだいたい7、8時間かかったことになる。

Russian.

2006-11-03 06:58:37 | Weblog
 間抜けな言葉で僕を取り囲む
 得意げなうすら笑いに腹が立つのさ
 (by "double knockout corporation")

 昔、ある女の子と御飯を食べていると、彼女は今経済学部だけど、実はその前に芸大生をしていたということが分かった。僕がどうして芸大をやめて経済に転向したのか聞くと、彼女は「いかにも芸大生ですって個性くん個性さんが多くて腹が立つから」と答えた。そのとき僕には彼女の言っていることがあまりよく分からなかった。でも、今では少しだけそれが分かるような気もする。
 この春から服飾の学校に通い始めたEも、先日「がんばって変な服着てる人ばかりで気持ち悪い。卒業まで我慢するけれど」と僕に溢した。

 何か楽しいことをしようとした結果、それが「変な」ことだった、というのが本当だと思うけれど、何か「変な」ことをすればそれで楽しいだろうという本末転倒した考え方が広がっているように思う。それで、面白くもなんともない自己満足な「どう私って変でしょ」というアピールがそこらここらに蔓延していて、彼ら彼女らの得意げなうすら笑いに腹が立つ。それは「変」ではあっても「楽しく」はないのに、引きずられた周囲の人々まで、「何か変なことが起こっているんだから、これは楽しいに違いないのだ」と自分に無理矢理言い聞かせて、結局はうすら笑いを浮かべて楽しい振りをして、家に帰ると「なんだか知らないけれど疲れたな、心が、どうしたんだろ楽しく遊んできた筈なのに」と腑に落ちない様子で眠りに就く。

 僕たちをドライブしようとするこれらのゴミみたいなプロパガンダを、いい加減にノックアウトして平和な世界を取り戻したい。誰かが作った、いかにも本当らしい言葉の数々を、切り裂いて闇の中から気楽な言葉を捜しに、ラジオのチューニングをマニュアルで。「何かに一生懸命な人が良い」とか「好きだけじゃ駄目だ」とか、本当だって? 熱心にそれを語る彼を、熱心に欲望を語る彼を、僕は単に気持ち悪いと思うし、好きだけど赫々然々の理由でって別れる彼らを理解して同情して涙を流せなんてお笑い種でしかない。テレビの馬鹿が喋ってる。ポイントはそこじゃない。

 組み立てられたレディメイド感動装置の中でしか作動しない感情に、ゴミ屑プロパガンダを指針に物事を決めて泣き笑いして、僕は君をヒューマノイドと永劫呼ぶだろう。語れよ欲望、資本主義に裏打ちされた、カネの話だろ、人数を集めて楽しいふりしたいんだろ、帰着する場所はいつも二日酔いだろ。人間には意志があるって知ってた? 今がポストモダンだって知ってた? 神は死んだんだよ、とっくに。主は自らが作り給うた人間によって殺された。そんなことがなぜ可能だったかというと、実は主が人間を作ったのではなくて人間が主を作り金儲けに利用していただけだということが1人の天才によって喝破されたから。僕たちは何かを経験するとき、それを経験していることを認識する。そのとき当然、認識しているという経験を認識している。つまり、何かを経験しているということを認識している自分を経験していることを認識していることを経験していることを認識していることを経験していることを認識していることを経験していることを認識していることを経験していることを認識していることを…、この永遠に続く認識の構造はどこへ収斂するのか? 彼はそれを思い、晩年発狂して死んだ。


2006年11月1日水曜日

 東京からMが戻っているので、夜にいつもの店でピザを齧ったりお酒を飲んだりする。
 このお店のフライドポテトは僕の知る限りもっともおいしい。


2006年11月2日木曜日

 夕方、ミシガン大学の発表した実験結果がどうしてもシミュレートできないのは測定方法を正確にトレースしていないせいだと先生に教わり、積分をもう一重プログラムに付け加えているとNから連絡があったので、切り上げて出掛ける。
 テレビで「町名復活」を唱える人が喋っていて、合理化の為に町名を番号に変えたりしてしまったけれど、それでは自分の町に愛着が湧かないし誇りも持てない、元の名前らしい名前に戻すべきだ、そこには鷹匠が多かったから鷹匠町といったような歴史も含まれていることだし、というようなことを主張していたけれど、僕は小学生のとき6年1組で、6-1という番号に愛着を持っていたし、第1とか第2とか、町名にも愛着を持っていた。単純に、番号には個性みたいなものが欠けているという主張に僕は与することができない。

1000.0d0 double precision.

2006-11-01 19:50:30 | Weblog
2006年10月31日火曜日

 眼下に広がる京都盆地の夜灯りを眺めながら、寒さに半分凍えて話をした。草叢へ魔法のように大切なピアスを片一方投げ込み、その長い行方を想う。たとえば1000年後まで、それはここにあり1000年間の変遷を見続けるのだろう。街灯りに目を戻し、1200年前を見る。この光の粒を、昼間には僕は自転車であそこからここまで、こんなに遠く走るのだ。4年前に住んでいた場所も、8年前に住んでいた場所も、長いありとあらゆる時間と場所がここには含まれている。僕はこの街に随分長く暮らしている。
 山を下り、僕らはコンビニエンスストアでおでんを買って食べた。今は21世紀の初頭なのだ。レモンドロップだって、いくらでも舐めるのだ。膨らみすぎた上弦の月は低くなり、ススキの背は高くなりすぎて、僕たちの足元はいささか不安定で、だけど、肌触りの悪いマフラーとバスローブとウィンドブレーカーは守るだろう。手にした灯りは導くだろう。
 暗闇に目の慣れた僕たちのタフネス。
 朝の日差しが上り、これのことかと全ては説明されて、ポップコーンのポップさに照れ返って鳥の足と爪を眺める。