流動性という希望

2010-09-23 07:26:56 | Weblog
 ちきりんさんがブログの新しいエントリで赤木智弘さんのことを書いている。
 赤木さんは、著書「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」と、その元になった論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」を2007年に出された方です。
 この論文が出たとき、「フリーターが絶望して、ついに戦争が起こればいいのにとか言い出した。甘ったれてバカじゃないの」みたいな感じで、結構たくさんの人が嬉しそうに批判をしていたのを覚えている。
 「戦争」という単語が出てきたら世間的にはほとんど無条件に”叩きのめして良い”ことになっているので、ニートとか引きこもりとかパラサイトとか仕事を選び過ぎとか、”甘ったれる若者”叩きが流行っていた当時、赤木さんの論文は格好のターゲットだったのだと思う。

 僕は赤木さんの論文も著作も読んでいないから、ここではその内容に踏み込むことはできない。
 ただ、ちりきんさん流の「希望は、戦争」に対する解釈を読んで、少し思うところがあるのでそれを書いておきたい。

 ちきりんさんはブログ中に表を示して、日本の経済を、

「学歴、身分に関係なく誰でも成り上がれた戦後混乱期(経済ダメ:流動性高い)」

    ↓

「高度成長が続いて”学歴社会”などのシステムができた時期(経済イイ:流動性低い)」

    ↓

「バブル崩壊してから現在(経済ダメ:流動性低い」

 という時期に分けて説明し、その次のステップとして、これまでのように経済政策が効を成さず、”経済イイ”に戻れないんだったら、じゃあせめて流動性だけでも高めたいというのが赤木さんの言う「希望は、戦争」なのではないか、と書かれている。

 これは実にすっきりした説明に見えるし、他の要素は無視してとりあえずこの2次元のマトリクスで考えると、僕達は確かに”経済イイ”に戻れない以上「ここに留まる」か「流動性を高める」しかない。加えて、実は「経済の良し悪し」と「社会の流動性」は独立ではなく関連しあっているので、流動性を高めることと経済を良くすることはほとんど同義かもしれない。だから、本当は元々焦点は流動性だけなのかもしれない。

 流動性について人が語るとき、大体は「雇用」「既得権益」という文脈になる。雇用に関して、もう学歴社会は終わったとか言うけれど、実際のところ僕が修士課程を出た頃、少なくとも3、4年前までは学歴社会というのは明白に残っていたと思う。リクルートスーツなんて死んでも着ないと言いながら博士に進んだ僕とI君以外、大学の友達は全員たいした就職活動もせずに誰もが名を知る大企業の開発や研究所に就職した。既に学部で3年も留年していた(おまけに1年浪人もしてる)僕はともかく、完全ストレートでやってきたI君は、自分も就職という道を選んでいれば大企業に行けただろうにその権利をあっさり捨ててしまったのではないかと随分悔やんでいた。僕達は友人の就職という事象を見て、その就職先を見て、はじめて自分達がそれなりのレールに乗っていたこと(僕はとうに落ちていたけれど)、世の中には本当にレールが敷かれていることを知ったのだった。

 ただ、だからといって「社会に流動性がない」というのは変な言い方じゃないかと思う。こういう言い方の方がいいんじゃないだろうか。「私は流動性が嫌いです」

 流動性はあるとかないとかじゃなくて、作るか作らないかの問題だ。
 少し前の茂木健一郎さんのツイートだって早々忘れられているかもしれないけれど、新卒採用が変だと思ったら新卒採用に応じなければ良いだけの話だ。「けど、そんなこと言うけれど、そしたら新卒採用にのっかって正社員になった人だけがいい思いしてセコい」とか反撃されるかもしれないけれど、その意見の方がセコいと思う。既得権益だって、誰かが既に見つけて持っているものを「ずるい」と言って狙うのはずるいと思う。時代を変える為には時代を変えようと思う人が時代を変えようと行動しなくてはならない。「新卒採用って変です、やめてください」と”社会”に向かってつぶやくのもいいかもしれない。けれど、変だと、イヤだと思うのなら、それに応じないという現実の手だてだって本当はあるのだ。そうして新卒採用に応募する人の数が減っていけば企業の方だって採用方法を改めざるを得ない。

 僕達の”社会”が流動性を失っているということは僕達が流動性のない行動をとっているということに他ならない。流動性は”社会”の”システム”が提供してくれるものではなく、僕達がダイナミックに生きることで発生するものなのだから。

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孤独という言葉そのものみたいな

2010-09-20 23:11:49 | Weblog
 秋の始まりだか夏の終わりだか、まだ蒸し暑い夜。僕はコカコーラを久しぶりに買った。店の表へ出て蓋を開けて口を付ける。顔を上げた視線の先にあるのは一つのクモの巣だった。クモの世界に学校と教科書があるとすれば、そこにお手本として載っていそうなきれいな形のクモの巣。直径は30センチくらいで、中心に大人の指先程度の大きさのクモがいる。
 炭酸水が一口僕の喉を通り過ぎる間に、クモの巣に小さな虫が掛かった。糸の振動に素早く反応したクモは、急ぐこともなく、必死にもがく虫の元へ歩み寄ると、新たな糸を吐き出してクルクルと虫に巻き付けた。

 虫を巻いた糸の玉を運んで、巣の中心まで戻る彼に感情はあるのだろうか。あるのだとしたら、それは餌が手に入ったという安堵や喜びなのだろうか。
 じっと巣の真ん中で獲物が飛び込んで来るのを待つだけの生活はどんな気分なのだろう。
 それは果てしない孤独ではないのだろうか。

 店の中では、人々が遅い夕飯や飲み物やお菓子を買っている。談笑しながら通りを歩く人々。カフェから出てくる恋人達。

 このクモは一体何の為に生きているのだろう。
 群を成さない生き物達。
 繁殖期にだけパートナーを探して、さっと交尾を済ませる以外に他者とコンタクトのない生活。
 じっと何日間も壁にとまっている蛾。そこらじゅうを飛び回っている名前も分からない羽虫達。夜中に一人で歩く猫。何百年もじっと生えている木々。土の中一人蠢くミミズ。
 世界は孤独な生き物に溢れているように見える。それともこれは孤独とは別の何かなんだろうか。

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芸術について1

2010-09-18 14:00:12 | Weblog
 2000年、東京都現代美術館「三宅一生展」。空間デザインを任されたのは当時まだ三宅デザイン事務所にいた吉岡徳仁。
 悩む吉岡さんにイッセイミヤケからの言葉。

「子供が喜ぶようなものを作りなさい」

 吉岡さんは服がピョンピョン飛び跳ねるような演出をして展覧会は大盛況になる。プロダクトデザイナー吉岡徳人にとってこれはターニングポイントだったと何かで吉岡さんは言ってらした。

 芸術について書こうと思う。
 芸術について何かを明言するのはずっと避けてきた。避けてきたどころか、すべきではないと考えていた。丁度ウィトゲンシュタインが「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」と言って論理哲学論考を括ったように。哲学の問題は全部ただの言葉遊びに過ぎないわけだから、問題を本当に解決したいなら何も言わなきゃいいんだって言ったように、芸術に関しても言語を使いはじめると不毛な言語ゲームが始まるだけだと思っていた。

 一方、僕は言語ゲームのプレイヤーになる悦楽というものも知っている。もしかしたら言語ゲームの一番外側はウィトやゲーデル達によって指定されたかもしれない。ただ、一番外側までに無限の空間が広がっていて、さらにそれは無限個のレイヤーで構成されており、層を一つ飛び出すごとに巨大な楽しさが待ち受けているのだとしたら、僕達がそこで遊ばない理由はない。もしもこの宇宙の果てが分かったとして、僕達が銀河の探索をやめる理由はない。人生が80年で終わるからと言って、今すぐそれを終わらせるなんて絶対にしない。

 だから、もしも芸術について語ることが不毛な言葉遊びだというのであれば、別にそれでも構わないから僕はこの広い場所で遊ぼうと思う。
 臆面もなく芸術という単語も使って。

 実は「それについては何も語るべきではない」というのは最強だけど、一番知的付加のないセリフなので、そこには面白味が全くない。言葉はいつも多すぎるか少なすぎるか、絶対に物事の本質にイコールすることはなくて、「それは違う」はいつでも当たり前のように成立するからだ。「それは違うんだよ。言葉では説明できないことなんだから」としたり顔で言っていれば、その人はいつも正しい。ただいつも面白味がない。目玉焼きは両面焼きがいいとか片面がいいとか、そういう話で盛り上がっている人たちの所へいって、「そんなの人それぞれの好みだし」と言って終止符を打つようなものだ。

 僕の知るある美学研究者は、「絵画の持つ言語か不可能な要素」を言語で説明することに苦心されている。
 この不可能と矛盾に満ちたような研究から豊穣な世界が立ち上がるのを僕は知っている。

 無論、面倒な人々と面倒な会話をしているときは「それって人によるから」とか「言葉遊び」だと終止符を打ち込むのもいい。でも、自分で自分の思考にそうしたピリオドを打ち込むのは考え物だろう。
 僕は芸術に関しては自分で自分に轡をはませていた。
 とりあえず、それは取り除こうと思う。「正しくない」ことは意識しているものの、僕には僕なりの芸術観がある。それは複数の意味と視点がエンタングルメントした観測前の量子状態みたいなものだから、あくまでリニアな単語の羅列である文章で表現することは、近似的にでもそれを行うことはとても困難だ。だけど、やらない手はないな、と今日村上隆さんのツイートを見て思いました。

 文頭に吉岡さんのエピソードを挙げたのは、僕は近頃「子供が喜ぶもの」というのをかなり重視していたからです。だから芸術について書こうかと思ったときに最初にこのエピソードが浮かんだ。

 最近、ブログが長文になりがちなので、今回はこのエピソードが持つ含みに到達する前に一区切りします。

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形象という経験―絵画・意味・解釈
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大山日記2

2010-09-17 21:38:56 | Weblog
 (大山日記1の続きです)

 2日目の朝は7時起床。まさかこんなに早く起きることになるとは思ってもみなかった。
 身支度を整えて、足の裏の切り傷にテーピングをする。今日は投入堂という、観光地としてはかなり険しい山の中にある堂を見に行くので、もう一週間ばかり前になるとはいえ、なかなか思い切り良くガラス片の刺さった傷口はちゃんと保護しておかないと開いてしまうかもしれない。

 梨とパンと謎の果物のジャム、コーヒーなどで簡単な朝食を済ませ、別荘の掃除と戸締まりをした後、僕達は三徳山三佛寺、通称「投入堂」へ向けて出発した。

 大山から東へ向かい、海沿いの国道9号を走る。晴れ渡った午前中の太陽は夏の終わりだとは思えないくらいに明るく、白い風力発電の風車が青い空を背景にしっかりとしたコントラストで並んでいる。窓外の炎天下と、自動車のエアコンの微かなにおい。道の駅で買った野菜スナックとペットボトル入りのアメリカの水と、聞き慣れたいつかの音楽。僕達のカーナビとは全然違う経路で走るSちゃん達の車を追いかけて、途中で間に入ってきたそっくりな車と間違えそうになったりしながらケラケラと笑う。

 事前にネットからの情報で分かっていた通り、投入堂の受付では服装などのチェックが行われた。お寺というよりは、ライブハウスのスタッフみたいな男の人が、僕達の靴の裏を見たりしてダメ出しをする。7人中5人靴がアウトで500円のワラジを購入することになり、1人がショートパンツを普通のズボンに履き替えることになった。

「ここは行者さん達が命賭で修行していらっしゃる山なんです。だから観光気分で入山されても困りますし、実はこうしてたくさん観光気分で人が来ることに対して、ご住職はご立腹です」

 それなら山を閉ざしてしまえば良いのに。いや、住職は嫌でも奥さんが拝観料欲しいんだって「そんなので子供の授業料払えると思ってるの、あんた」とか言われて押し切られてるんだよ、きっと。などと勝手な空想の話をして僕達はクククと笑った。

 さらに、この受付のところには「日本でもっともキケンな出会い!」みたいなコピーのついた、投入堂で行われる商工会議場主催カップリングパーティーのピンク色したポスターが張られていて、ますます説得力がない。「いや、これも奥さんに押し切られて」「住職立場弱すぎだろ」などと冗談を言いながらポスターを見ていると、なんとそのカップリングパーティーは今日だった。予定時間を見ると、僕たちがそのカップリングパーティーに遭遇する率はかなり高そうだったので、一同テンションが上がる。特に女の子達はこの後もずっとカップリングパーティーのことで「ここで女子がこけそうになって男子が手を伸ばして恋が芽生える、キャー」みたいな勝手な話で盛り上がっていた。

 受付では結構な数の人が服装や靴のことで「次回改めて来てください」と入山を断られていた。
 靴はワラジがあるのでなんとでもなりますが、服はスカートだったり、足が露出し過ぎていたり、山登りにほど遠い格好だと本当に入れてもらえないので、行かれる方は注意された方が良いです。

 受付の人は「これは多分許して貰えないと思います」等のように、ここはプレチェックで、本番の検査が後でまだある、という感じの話し方だったから、僕はてっきり後にもう一度、行者っぽい人のチェックがあるのかと思っていたけれど、そのようなチェックはなかった。なるほど、そういう話術か。

 ワラジに履き替え、「六根清浄」のタスキを着け、入山届けを書いていよいよ山を上る。
 噂の通り、道は結構急斜面で、木の根に掴まって登らなければならないようなところも何カ所かある。やっぱり軍手はあった方がいいです。
 けど、まあ別になんてことありません。危険危険という程のものではないし、アスレチックな雰囲気が「大変な登山」を想起させるけれど、たぶん実際には大した移動距離ではなく、緩やかな登山道を長距離歩き続けるよりずっと楽だったと思う。実際に、ご年輩の方や小さな子供達も沢山いました。

 投入堂へ到達する前に二つ、山肌の急斜面に建てられた小さな堂があり、それぞれに狭い縁側が空中へ張り出している。柵は一切ない。結構な高さがあって、落ちたら大怪我は間違いないけれど、この縁側には入ることができる。現代日本にしては珍しく粋なはからいだし、この縁側はとても楽しかった。

 その後、岩の上に乗せられた鐘楼で一人づつ鐘を付き、岩の尾根を少し行くと、大きくせり出した岩の下に建てられた堂がある。堂はなんてことないけれど、この庇のように大きく迫り出した岩と、その下の湿気た暗い部分に生えているコケ等の植物ががなんだか美しい。

 堂の裏側、迫り出した岩の奥を抜けると、もうすぐに投入堂だ。

 崖というか岩肌の、微かな窪みに入るように建てられた堂。
 投入堂という名前の由来は、「こんな崖の真ん中に堂を作るなんて摩訶不思議。どうやって作ったのだろう。下で作ってから役小角が法力で投げ入れたに違いない」というレジェンドです。
 けど、別になんてことありません。不思議でもなんでもない。これくらい足場でも組んでちょっと頑張ったら普通に作れると思う。大工さん10人くらいで2、3ヶ月もあればできるんじゃないかと思う。
 僕は子供のときから、この手の胡散臭い伝説が好きだし、トイレの花子さんだって何度も探しに行った。大人になった今も豆塚だとか色々な伝説に興味があって、少しは調べたりもしている。けれど、この投入堂はちょっとあからさまに無理矢理なレジェンドだと思った。

 投入堂が見えたとき、僕は思わず「小さい」と呟いた。それを友達に「またそういうことを言うんだから」と咎められたけれど、後で本人がしみじみと「でもなんか小さいねえ」と呟いていた。

 とは言え、不可思議さだとか、大きさだとかに関係なく、投入堂は素敵なお堂でした。
堂を望む岩肌に腰を下ろし、僕達はしばらく話をしたり、水を飲んだり、写真を撮ったり、イチジクを食べたりした。

 一息ついて、堂の眺望にも満足して、一度来た道だから下山はますますスムーズだ。実際の移動距離が大したものでないことが下山で実感される。

 下山途中に、カップリングパーティーの団体にすれ違った。スタッフの方の話では、定員30名のところ、その倍の60名がやってきて、結局男子30人女子30人の60人でイベントを遂行しているとのこと。
 ポスターを見たとき、こんなのに一体誰が参加するのだろうと思っていたので、これにはとても驚いた。

 下山して記念撮影をして、それから足を洗ってスニーカーに履き替え、茶屋でソバを食べた後、三朝温泉のなんとかホテルまで車で移動してお風呂に入る。
 僕達がお風呂を上がって脱衣所で体を拭いているときに、さっきのカップリングパーティーの男子30名がお風呂にやってきて、脱衣所はもう大混乱になり、僕達は辟易として素早くそこを脱出した。

 そう、カップリングパーティーの人々は、投入堂までやや危険な登山を共にしたあと、汗をお風呂で流し、さらにお風呂の後、男子は「どうやったらモテるのか講座」、女子は「モテるメイク術講座」みたいなのをそれぞれに受けて、そのあとでいよいよお見合いパーティー本番という運びになっていたのです。さらにカップルが成立すると商品まで用意されているらしい。なんと身も蓋もない。

 お風呂の隣にある、マッサージ機などの置かれた休憩所で女の子達がお風呂を上がるのを待ち。そのままそこでお菓子やアイスクリームを食べて、車ごとに別れるバイバイをした。そうしてSちゃんの車組を見送り、僕達の方ではKが畳の上ですっかり熟睡していたので、彼が目を覚ますのを待ってから帰路に着く。

 京都には8時半頃に帰り着いた。沖縄居酒屋でご飯を食べてビールでも飲んでから帰ろうということになっていたけれど、僕の方でちょっとした事件が起こりキャンセルにしてもらう。
 部屋に荷物を置き、眠く気だるい体をしゃんとさせて、僕は随分とオンボロになってきたBMXに跨った。そして鴨川沿いを走りながら、数時間前まで鳥取にいたことをまるで夢のように思い出す。微かに雨の気配が漂う曇った空には、天の川どころか星もほとんど見えず、川と大気の湿度を肌に触れながら、京都へ帰ってきたのだなとしみじみ思った。

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「20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」を頂きました

2010-09-17 11:16:51 | Weblog
 新発売の書籍「20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」( http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=mp_s_a_1?qid=1284622469&a=4887598483&sr=8-1 )を著者の Hiroyuki Hal Shibata(twitter ID ; @HAL_J)さんに頂きました。

 僕は英語がそこそこは使えます。
 日本に住んでいるのに周囲の友達がほとんど外国人だった時期もあるし、それほど複雑な話でなければ、大勢で英語で話すのもなんとかなります。一対一ならもう少し複雑な話もできる。
 英語で書かれている物理学の論文も、英語の小説も、辞書を片手にだけど大したストレスなく読めます。

 ただ、正直なところ、僕の英語はまともに使えるレベルのものではありません。多少の誤解も許容される友達同士の会話は大丈夫でも、ちゃんとした商談なんかはできない。

 その人が自分の専門分野について話してくれたり、話がいよいよ面白くなる頃についていけなくなる。それで適当に誤魔化したり。
 自分が考えていることを上手に説明できない。本当はもっとちゃんと考えているのに、説明できなくてチープな一般論に落とし込んでしまったり。
 調子に乗って字幕なしで見る映画も、実は半分くらいしか分からない。
 強い訛りを持った人の発音が汲み取れるだけのキャパがない。「あー、あの人イタリア訛強いし英語も変だし、分からなくてもしょうがないよ」って慰めてもらったとしても、その友達はちゃんと理解していたわけだから、もう少し力があれば僕にも分かったはずなのに。

 そういう、もどかしくて仕方のない場面に時折遭遇する。先日も博士課程で哲学を学ぶロシア人と話していたら、彼の世界観が数ヶ月前までの僕の世界観にとても似ていることが分かった。ここぞとばかり、僕はどうしてその時の世界観から今の世界観に移行したのか話そうとしたけれど、結局は上手く話せなくて悔しい思いをした。彼はドイツから京都に来ていたので、「英語鍛えて次に会った時はもっと深い議論をする」と約束して別れた。こういう約束をしたのは彼一人とだけではありません。

 実は、もともと僕は英語は勉強しない、と決めていました。決めていたというか、面倒な勉強はしたくなかったというのが本音かもしれない。好きな映画、海外ドラマを見たり、本を読んだり、英語を話す友達と遊んだりして自然に身につけるのがなんかクールなんじゃないかと思っていて、勉強らしい勉強はしたことがない。

 だけど、こういったもどかしい場面、悔しい場面に遭遇すると、今までの「勉強なんてしないで自然に身に付ける」方式の限界を思い知らされます。
 このままでも、そのうち十分な英語の力は付くだろうけど、もしかしたらそれには10年、20年といったスパンで時間がかかるかもしれない。今は一年以内に「まともな」英語力を付けようと思っているので、もうあまり暢気なことは言ってられないわけです。

 そんな折り、幸運なことにHALさんより「20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」を頂きました。
 この本はHALさんのblogが元になっていて、僕は時々そのblogを読んでいました。blogには「自分がお金と時間を掛けて、失敗を重ねて得た英語学習のエッセンスを人に伝えたい」「英語を通じて知り合った素晴らしい人々のことを、あるいは彼らから学んだことを伝えたい」という明確なスタンスが打ち出されています。
 自然とtwitterでもfollowを始め、今回twitter経由で本を頂くことになった次第です。

 自分が読んでいたblogが書籍になったこと、その過程をtwitter経由で知っていたこと、それ自体が僕にとっては刺激的なことでした。
HALさんは英語の本の朗読が納められているAudio Bookを聞くことを英語学習の一つの方法として薦められています。本の中ではどのAudio Bookが英語学習に適しているかも述べられていますが、その推薦図書はカーネギーの「道は開ける」やコヴィーの「7つの習慣」などの超有名自己啓発書になっています。5つの自己啓発書の紹介に20ページくらいが割かれていて、HALさんがこれらの書籍から受けた影響の強さがうかがえる。
 そして、勝手なことを言うようだけど、多分この書籍「20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」の出版は、これらの書籍からHALさんが学ばれたことの結実だということもできると思います。
 本の執筆、出版だけではなく、もしかしたらHALさんが本の中で紹介されている学習方法を”実行”してちゃんと英語を身に付けられたのも、カーネギーやコヴィーの本によるサポートがあってのことかもしれません。

 つまり、この本は「英語学習法そのもの」と、さらにメタな「英語学習の実行、継続のモチベート」両面について書かれたものであり、かつ、本の存在自体がそれらの証明になっているという極めて現実的な構造を持っています。

 僕は比較的新しい技術が好きな人間なので、既にkindleで洋書を読んでいるし、TEDも見ているし、PodcastでBBCを聞いたり、Lang-8にアカウントもあります。それでも知らないガジェットを含め、「TOEICなんてアメリカ人は誰も知らない」などの英語にまつわる沢山のことをHALさんから学びました。
 副題に「20世紀の半分以下の時間と費用で学ぶ最新最短英語学習法」とある通り、21世紀のテクノロジーを駆使して学ぶ英語学習の良いガイドブックだと思います。

 最後に前書きの一部を引用して本の紹介を終わります。

「この書籍の内容を一番伝えたい相手を一人挙げるとしたら、それは「過去の自分」です。私は英語学習に多くの年月と数百万円の費用を使いました。その過程で本当にたくさんの失敗をしてきました。できれば過去の自分に、私が体験した経験・失敗を伝えたいと思います。もし過去の自分が今の自分が持つ英語学習のノウハウを知っていれば、時間も費用も半分以下にすることができたはずです。しかし、過去の自分には伝えられないので、せめて私に縁のある方々には同じ失敗をしてほしくないと思い、この本を出版することにしました。」

20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ
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ディスカヴァー・トゥエンティワン


日本人の英語 (岩波新書)
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岩波書店

大山日記(1)

2010-09-15 02:00:08 | Weblog
 つまり、これはダイレクトに宇宙空間を眺めているということなのだ。
 星の数が多すぎて、一番簡単に見つかる筈の北斗七星すら見つけることが難しい。
 天の川を自分の目で見るのは初めてのことだった。どら焼き型に潰れた僕達の銀河系。内側からそのシルエットを眺めること。
 この夜、地面に寝っころがって星空を眺める僕達は、7個か8個くらいの流星が空に長く短く、それぞれに尾引くのを見つけた。
 どこか遠くの空で蠢く雷の、光だけがこの空にも、時折薄ら青く届く。

 9月11日から一泊で大山へ行ってきました。京都を9時に出発し、米子自動車道、蒜山高原サービスエリアで昼頃に待ち合わせて、2台の車で大山にある友達の別荘へ。別荘はいかにも別荘という感じの所でした。高い天井と広いリビングに暖炉、古いレーザーディスクのカラオケセット、グラスとお酒の並んだ大きな作り付けの棚、古いレコードとオーディオシステム。到着してすぐにKは「コナン君がいたら確実に誰か死ぬね」と言った。然り。

 一息着いて、無計画な僕達はこの日の午後をどうしようかと話し合い、近所にある植田正治写真美術館へ行くことにした。ここへはかねてからKが行きたいと言っていたのだけど、まさか別荘が美術館の近くで本当に行くことになるとは思っていなかった。

 大山を臨む田舎に、忽然現れる写真美術館。ありがちと言えばありがちなコンクリート打ちっ放しの幾何学的な形で、ずいぶんな存在感がある。
 大山を眺める為の窓の配置といい、内部もきれいに設計されていた。誰かが「この建物って高松伸っぽいね」と言い出して、「そうなんじゃないの」と言っていたら本当にそうだった。そういえば僕たち7人のうち5人がデザイン、アート畑出身だ。流石。

 植田正治写真美術館の一番ニクいところは動画上映の部屋かもしれない。この部屋では写真の歴史と植田正治さんの作品を簡単に紹介する短い映画が流れるのだけど、一つ仕掛けがある。
 部屋には大山を望む方向に直径60センチだかの大きなレンズが付いていて、レンズからの光が壁に像を結ぶようになっている。動画上映の為、真っ暗になった部屋は、まさに巨大なカメラの内部だ。本当なら巨大なフィルムがあるべき場所、後方の壁に外の景色がアップサイドダウンで映し出される。この日は残念ながら曇り空だったので、それほど明るい像は得られなかった。晴れ渡った日にはさぞかし輝かしい景色が映るのだろう。僕はこの演出というかシステムにすっかり心を奪われた。

 植田正治さんの言葉で一番心に残ったのは、「撮られているということを意識させて、正面切って撮る」というものでした。
 自然な感じの写真を目指すのと対局の、この姿勢がなんかすごくカッコいい。そして「中身も外見も全部が老人にはなりたくないんです」って。

 写真美術館を出た後、そのまま夜ご飯の買い出しにジャスコへ。シネコンもくっついたもの凄く巨大なジャスコ。生鮮食品市場、産地直送!みたいな感じの店もあったけれど、そういうのはまあいいや普通のスーパーでって、やっぱり田舎の方へ旅行へ行くとジャスコのお世話になることになる。

 ジャスコで食品、飲料を買い込んだ後、夕暮れを眺めになんとか牧場へ。牧場からは境だかどこだかの街や海や山が見下ろせる。暮れ行く空に細い月が掛かり、背後にはすぐ大山が聳え、ちょっと遠くには暢気な牛たちも見えたりして、営業時間の終わって誰もいない牧場から一頻り景色を眺めた後、じゃあ帰ってご飯でも食べようなんて、僕たちは家路に着いた。

 女の子達が広いキッチンのカウンターに並んで夕飯の支度を始める。おしゃべりしながらテキパキと食材を切ったり洗ったりする彼女たちを、ものすごくありがとうと思いながら横目に眺め、烏合の衆になりそうなので僕は何も手伝わないまま薪ストーブの取り扱い説明書とカタログを読んでいた。それを読むまで僕は薪ストーブにサーモスタットが付いているなんて全然知らなかった。内部温度に応じて空気取り入れ口が開いたり閉じたりするらしい。燃焼方式も何個かあって、いろいろな知らない道具だとか、それぞれの製品にそれぞれの深い世界があるものだ。

 ビールで乾杯をして、野菜や肉やおにぎりやヤキソバを焼いて、マッコリやワインを飲んで食事をする。
 僕達はご飯を食べないと死んでしまう。それは時に悲劇的なことだし、時々めんどくさい。でも、逆に食事というイベントは命そのものに一番近いイベントで、食事には食事の時にしか発生しない雰囲気と会話というものがある。僕たちはご飯を一緒に食べる。

 夕飯の後、レーザーディスクのカラオケを引っ張り出したり、外で星を眺めたり。
 ギターがあったので、Kが少し歌ったりした。今から思えば僕も何か歌えば良かったけれど、なんとなく歌を歌う気分でもなかったので聞いてばかりいた。

 なんとなく、と書いたけれど、歌を歌う気分でなかった原因の半分は、たぶんこの夜に見た星空のせいだ。
 僕はこの夜、生まれてはじめて、天の川が分かるような、ぎっしりと星が埋め尽くす夜空を見た。
 それは結構な衝撃だった。
 もちろん、僕は街から見える星の数が実に限られていて、実際にはもっとたくさんの星が地球から見えることを知っていた。プラネタリウムにも何度も行ったことがあるし、写真家が撮った星空の写真だって、図鑑の夜空の写真だって何度も見たことがある。

 けれど、当然、見るというのはそういうことではないのだ。
 それが、たとえ遙か光年の彼方から到達した古い光であろうと、僕たちの視界が脳の組み立てた一つの現象に過ぎないと言われようと、「私」の「意識」がそれを体験することは、印刷やスクリーンに映った光点を眺めるのと全く違う次元のことだ。

 そして僕はこの体験にすっかりやられてしまった。
 地球の大気というフィルターがあるものの、ほぼダイレクトに宇宙へ向かって開かれた窓に。地球は本当に宇宙空間に浮かんでいる。今ならバックミンスター・フラーの発明した言葉「宇宙船地球号」に両手で賛成してもいい。僕が今見ているものは、宇宙船で地球の外に出て眺める宇宙と同じものだ。ただその宇宙船が地球という巨大なサイズだというにすぎない。僕は宇宙船の窓から外を眺めている。

 無数の星を見ていると、どうして自分がこの星にいるのか、という疑問が嫌でも頭をもたげてくる。それは、古くから多くの人々によって何度も問われた問題。どうして、あの星ではなくこの星に生まれたのか。

 この問いは、どうして私は私であり、あの人ではないのか、という問いにも似ている。哲学者の永井均さんは何かの本で、それが子供の頃から不思議で不思議で仕方なかったと書いていた。僕もときどきその不可思議に捕らわれることがある。

 その変な感覚は、はじめて人間の受精の仕組みを知ったときの感覚にも似ている。数億の精子の中から僕になる精子がうまく卵子に潜り込んだこと。隣にいた精子が受精していたら、僕は生まれないで、他の誰かが生まれていたって、本当に本当なんだろうか。遺伝子が違っても「僕」だったのではないか、とか色々考えた。この「僕」がそこに宿ることのはならないのだろうか、絶対に。
 もっと言えば、僕になる受精が行われたセックスではない、両親の別の回のセックスで受精が起こっていたら、やっぱり僕ではない誰かが生まれていたのだろうけれど、それが「僕」になることは本当になかったのだろうか。
 もっともっと言えば、両親がそれぞれ他のパートナーと結ばれていて、それぞれに子供を持っていた場合、その子供達は本当に「僕」ではあり得なかったのだろうか。
 もっともっともっと言えば、世界中のありとあらゆる時代のありとあらゆる場所のありとあらゆる人々のセックスが生み出す子供が「僕」ではないというのはどういうことなのだろう。それは誰なのだろう。他人とは誰なのだろう。僕は僕なのだけど、「僕」は誰なのだろう。

 銀河という圧倒的なスケール。さらにその銀河が無数に存在する宇宙の強烈なスケール。同時にそのスケールは僕たちの肉体を基準にしたものでしかないという事実。僕たちが銀河系100億個くらいの大きさの体を持つことがなかったとは誰にも断言できない。

 なんだろう、この世界というものは。
 この世界が何かというのは、本当は問い掛けが既に破綻しているのかもしれないけれど。だけど問わずにはいられない。

「私」の存在の比類なさ
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おいしい魚の見分け方

2010-09-05 13:04:38 | Weblog
 先日、ツイッターに友達の昔話を書きました。
 茶髪の若造デザイナーが漁師村に研修で行ったらひどい扱いを受けました。そんな中、ある人が魚を釣り上げた時、「ここだ!今しかない!」と、その魚を完璧に処理して捌いて見せたら扱いが一変したという話です。彼は実は魚屋さんの息子で、魚の扱いに関してはほぼプロな訳です。

 彼がもう一つ話してくれた魚の話がとても面白かったので、ここではそれを書きたいと思う。

 それは魚の味のこと。
「魚ってさ、段々、身を触ったら味が分かるようになって来るんだよ。手が舌みたいになってくるというか。切るときに身を触るじゃん。何度も触って食べる、というのを繰り返していると、触感と味がリンクされて触っただけで味が分かるようになってくる。
 それでさ、魚捌くのって、目で見てよりも手の感覚でやるわけ。魚を見て、捌く、というのを何度もやってると、魚の骨格とかが頭の中に叩き込まれてくる。魚を見たら、その体の中が想像できて、捌くときの手触りも想像できるようになってくる。捌くときの手触りが想像できるということは、触感と味覚が既にリンクされてるから味が分かるわけ。だから、魚を見ただけで味がわかるようになる」

 これはすごい話だ。
 僕達がネットやなんかで目にする豆知識的な「おいしい魚の見分け方」とは次元が違う。視覚と味覚が、繰り返された経験によって身体的にダイレクトに結びつけられている。身体に染み込んだ暗黙知。

 味に一番近い人間の感覚器は当然舌で、その舌が触覚とリンクされる。ついで触覚が視覚にリンクされ、三段論法的に味覚と視覚がリンクされる。
 これを空間的な言葉で書き直すと、その凄さというか便利さが引き立つんじゃないだろうか。空間的な言葉で書くと「接触から非接触へ」という表現ができる。触って分かる、から、触らなくても分かる、へ。

 中国の武術には聴勁という言葉があります。これは聴くと書いても、音を聴くわけではなく、相手の動き出しを触れた感じで読むものです。誰だかという名人は手のひらに鳥を乗せて、鳥が飛ぼうとするときに手を軽く動かして鳥のバランスを崩し飛べないようにしていたと。
 練習は相対する二人が手の甲を合わせて行う。手の甲にかかる力の方向、強さで相手の動きを読む。特に同じ流派の場合は攻撃の方法も限られているので、慣れてきたら目隠しをしていても攻撃を読んで対応することができる。

 そして、もっと慣れてきたら、実際には触れていないのに、触れているような気分で相手の動きを読むことができるようになる。らしい。

 もっともっと訓練を積むと、触れてないのに触れているような気分に相手になってもらい、こちらの動きを読んでもらって反応してもらう、つまり勝手に転んで頂く、とかそういう次元が待っている。たぶん最初は弟子とか同じ流派の人、次に誰でも、という風に拡張されるのだろう。
 そういうことが本当にできるのかどうか、僕は良く知らないけれど、武術の目指す方向の当然の帰結として、できるできないではなく、それができる方法を考えなくてはならない。

 十数年前、まだ二十歳前後だった僕達は「和合」という言葉を聞いて笑うばかりだった。じゃあ武道の究極はセックスだと言って、セックスのことをそう呼んだり(でもこれはたぶん大体正しい)。 
 ただ喧嘩に強くなりたかっただけの僕達は、型や約束稽古になんの意味があるのだろう、そんなの最低限にしてスパーリングだけしてりゃいいんじゃないの、と兄弟子や先生に生意気ばかりを言っていた。宇宙と一体になるとか、そういう訳の分からない宗教っぽい側面は無視して、戦闘技術だけを最短で身につけようとしていた。
 今は「宇宙と一体になる」というのが宗教的でも何でもない、ただの概念でもなく、かなりプラクティカルなことだと分かる。
 個人、個々、というノードが互いに都合の良いように、かつ、互いが快適であり最大パフォーマンスを発揮するようにコントロールし合い、さらに全体では最大のパフォーマンスが発揮されるように最適化されていること。各ノードの利己が全体の利益に調和すること。結果的にノード間の壁は「あるけれどない。ないけれどある」状態になること。
 もう道場を離れて長いけれど、気が付けば武術的な思考方向が自分のバックグランドになっているみたいだ。

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移民という言葉がある

2010-09-03 17:22:14 | Weblog
 移民、という言葉がある。
 どこか他の国からやって来た人のことを、僕達はそういう風に呼ぶみたいだ。
 最近の日本では、少子化のせいで労働力が減っているから、若い移民を受け入れて彼らに働いて貰おう、という意見もある。
 そして、そんな知らない外国人なんかが来たら怖いし気持ち悪いしマナーも悪いに違いないから嫌だ、という意見もある。

 僕にはずっと素朴な疑問がある。
 国ってなんだろう?
 どうして僕達は国境というものを意識しなくてはならないのか?
 国境、というものを無視して移動すると、誰がどのように困るのだろう?
 
 今日から、世界中の人が一斉に国境を無視して生活し始めたら、世界はどのようになるのだろう。過激派テロリストみたいな人がどんどんと東京とか大阪に住み着いて国会が吹っ飛ばされるとか、みんなそういうことを思っているのかな。アフリカからHIVキャリアがたくさんやってきて日本もHIV大国になってしまうんじゃないか、とか。
 一体なんだろう?

 砂漠の真ん中の水のないところに暮らす人々を見て、うわーなんて過酷な暮らしだ、よし井戸を掘るお金を集めて送ろう、とか思うのも立派かもしれない。
 けれど、僕はこう思ってしまう。
 もっと水のあるところに引っ越せば、と。 引っ越す労力とお金を援助したほうがいいんかないかと。

 ある地域が過酷で不幸だと、たいていの場合援助は「その地域に物資と労力を運び込む」形で行われる。じゃあ、うちの国のあの辺に引っ越しなよ、力貸すから、とはあまり言わない。

 もちろん、引っ越しの壁となる種々の問題があることは分かる。そこに住んでいる人だって、過酷でも愛着のある土地を離れたくはないかもしれない。大勢の人を移動させるには莫大なコストもかかる。
 いやいや、この国では毎年何万人もの移民を受け入れていますよ。とかいう人もいるだろう。

 移民から話を始めたのは大げさ過ぎた。
 僕が思うのは、もっと簡単に名古屋から大阪に引っ越すくらいの手軽さで世界中の好きなところに誰もが引っ越せたらいいのにな、というようなことです。
 飛行機ももっともっと速くなって、そして安くなって。毎日東京からパリに20分で出勤したり。ちょっとお茶でもなんてカイロと上海の友達が10分後にニューデリーで待ち合わせて小一時間お茶して帰る、みたいな。

 そんな時代には、それぞれのキャリアに熱心な恋人達もお別れを言わなくて済む。キャルテックで教鞭を取る夫とパリにレストランを出した妻の夫婦が京都から出勤して、さらにその子供達はハワイの小学校に通っている、というような世界。

 情報革命の次は交通革命だ。
 テレビ電話では圧倒的に物足りない。
 長旅で遠くへ行く楽しみは宇宙へ向ければいい。

 「僕らは歩くよ どこまでも行くよ
  なんだか知らないが 世界を抜けて」
 「僕らは歩くよ どこまでも行くよ
  なんだか知らないが 白髪になってね」
  (小沢健二”大人になれば”)

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刺青とヘルメット

2010-09-03 15:38:59 | Weblog
 僕にはずっと刺青を入れたいと思っていた時期があった。単純にそれがかっこいいなと思ったからだ。気に入った服を買ったりするのと同じように。
 結局は、何を入れても飽きるだろうし、一生物の模様は選ぶことができなかった。

 昔お世話になったKさんという人は、腕や上半身にものすごい刺青の入った人だった。半袖から覗く刺青の腕と長髪と髭とサングラス、さらに初めて会ったときは一言も言葉を交わさなかったので、2回目に会うとき僕は少し厄介だなと思っていた。
 予想に反して2回目からは僕たちはたくさん話をして結構仲良くなった。

 ある日、僕が「僕もタトゥー入れたいなと思うことがあるけれど、でも飽きそうだから、Kさんその入れ墨飽きないですか?」と聞くと、彼はこう答えた。

「飽きるかもしれないんだったら入れない方がいいんじゃないの。俺のこれは飽きるとか飽きないとかじゃなくて母親だから」

 少し話は変わるけれど、しばらく前に父親が会社の若い同僚と自転車のレースみたいなものに出場していた。一人が自転車用のヘルメットではなく、工事現場で使うようなヘルメットを持ってきたので、それを冗談だと思って父は彼をからかっていたらしい。
 あとで、彼がデジカメの写真をまとめて作ってくれたDVDには「父親の形見のヘルメットで参戦」とキャプションが入っていたということだ。

 世界には一見するだけでは分からない沢山の物語がある。

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スパイ達の軽やかな生活

2010-09-02 13:00:55 | Weblog
 さっき手に入れたばかりのメルセデスを、敵の車に躊躇いなくぶつける。それで目的地に付いたなら車はお役御免。そこへ乗り捨てて、あとは飛行機だか徒歩だか。グッバイ、メルセデス。

 三日前に引っ越してきたアパートメント。買い揃えたばかりのベッドやテーブルやソファ。夕飯ならデリでどっさりと買い込んできたし、軽いテーブルワインもある。バドワイザーってこんなに薄い色だったっけな。知らない、グラスに入れたことなんてないもの。バドワイザーはいつも缶のまま飲まれる。窓の外見たらさ、あいつらどうもここ見張ってるね、ばれたみたいだな。
 ここはもう危ない。
 食事もワインもビールも新品の家具もほっぽりだして、さて逃げ出すか。バイバイ新しい住処。たったの三日間だったけれどありがとう。
 ここへは二度と戻らない。

 スパイは物に執着しない。
 お気に入りのイスだから、とか言わない。要るときに好きなイスを買い、逃げるときには置いていく。新しい場所で、また新しいものを買えばいい。
 この時計は誰々の形見だから、とかも言わない。盗聴器を組み込んだ時計をあいつの車のシートの下に置いてくる。
 思い出は全て頭の中に。
 全ては自らの身体に。

 思い出。技術。知識。記憶。
 全ては自らの身体に。
 ユダヤ人の教えのように。
 世界のどこへでも、いつでも体一つで。

 スパイはどこででもサバイブする。
 大都市ででも、ジャングルででも。
 移動に車が必要なら車を買う。買えない状況なら悪いけれど人のを借りる。もしかしたら返せないかもしれないけれど。
 きちんとしたビジネスマンの振りをしなきゃならないなら、きちんとしたスーツを買う。用が済んだからスーツはゴミ箱に。

 用が済んだらスーツはゴミ箱に。
 それからサングラスはいつも高級なのを。

 スパイの友達同士なら、連絡先なんて交換しなくていい。世界のどこにいても、お互いにすぐ見つけることができるから。ローマにいるのか、あいつ。って飛行機にさっと乗って。あっ、パスポートなら偽物が何個でもあるし、許可証の類ならいくつでもいつでも入手できるから、細かいことは気にしない。許可証ならいつでもほらここに。IDならいつでもほらここに。

 スパイの友達同士はプライバシーなんて堅苦しいものは要らない。二日酔いの朝、ガールフレンドと眠っている枕元に、気が付けば彼は立っている。おはよう、寝てるとこ悪いけれど、ちょっと急ぎの用があるんだ、はいコーヒー飲むかい。もちろん、君は「どうやって入ったんだ?」なんて野暮なことを聞かない。鍵なんてスパイにはあってないようなものだ。コーヒーを受け取って、まだ眠っているガールフレンドを起こさないようにリビングへ行く。

 スパイの友達は世界のどこにいても繋がっていて、互いに隠せるものもなく、鍵も意味をなさない、完璧にオープンな関係。
 スパイは物にも場所にもお金にも執着しない。必要な時に手に入れ、用が済むとさっと離す。彼らが執着しない理由は明白だ。必要な時に必要なものを手に入れる方法を知っているから。その能力が自分にあることを知っているから。
 スパイは自由だ。国境。所有地。企業の建物。誰かの部屋。そういうふうに人類が世界に引きまくった分断線を彼らは気にせず易々と越える。
 スパイは自由だ。私の物。彼の物。国家の物。公共物。僕達が勝手に決めた所有という概念をあっさりと越える。目の前にある必要なものを使い、使い終わるとグッドバイ。

 風のように軽やかに。
 まるで仏教の教えのように。

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