サブマリン。

2006-02-26 12:49:47 | Weblog
 昨日は昼下がりからI君と物件探しに出掛けた。まず、北山の廃虚でゴミの不法投棄場所となりつつあるビルへ行き、隣りのお店で家主の電話番号を教えてもらう。同時に、このビルは店舗用でどうやらお風呂やなんかがない、ということも分かる。たぶん広いスペースになっていて区切られた部屋もない。それから家主はどうやらこの建物を貸さないらしい。

 北山にあるもう一つの空きビルは、きれいだけど病院跡で、中を覗くとそのままスリッパなんかも残っていて気持ち悪いのでパス。

 次に、叡電の線路沿いにI君が見付けてきたビルを見に行くと、実は空き家ではなくて会社がいくつか入っていた。
 引き返すときに、途中で見付けた空き家も当たったけれど、散髪屋さんで教えてもらったある家主の立派な家を訪ねると「それについて今分かる人がいない」とあしらわれた。
 なかなかいい物件を見付けるのは難しい。いいものにはさっさと不動産屋の息がかかっているし、放置されている物件の持ち主というのはそれなりの理由があって放置をしているのだろうから難しいのは当たり前だろうけど。

 夜はYちゃんと御飯を食べたり飲んだりする。話をしながらビートルズの映像作品を立て続けに見ていると、気が付けば朝の4時になっていて引き上げる。Yちゃんの文化的教養にはまるで歯が立たないので、僕は単にいろいろなことを教えてもらって、根拠もなしに思うところを好き放題ならべたてて、ウィスキーをごくりと流し込む。「音楽はマッチョ感のないのが好きなんだ。たとえばビートルズはマッチョ感0じゃん。だからいいけれど、プレスリーはマッチョ感あるから好きじゃない」ということを話していると、カウンターに座った僕らの背後に当たるテーブルから、酔っ払って声の大きなマッチョ男がマッチョ声で店内に流れるビートルズに合わせて歌っていてげんなりする。

 それで、僕らは日本語や外国語の話をして、僕は日頃なんとなく思っていたことを会話の過程でうまく話せるようになった。

 漢字とアルファベットのことですが、「漢字は表意文字、アルファベットは表音文字」というテーゼに僕はなんとなく疑問を感じるのです。
 アルファベットって本当に表音文字なのだろうか?

 たとえば、「dog」という単語を見たとき、もしもアルファベットが単なる音のみを表していて、英語というのは「音」の言葉なのだ、という説が正しければ、英語話者はこの「dog」を一度「ドッグ」と音に変換し、その音から「犬」という意味を汲み出すことになる。だけど、僕には彼らが本当にそんなことをしてるとは思えない。「dog」という文字列の形を見たときに、瞬時に「犬」という意味が分かるはずだ。それは別にネイティブじゃなくても、僕ら日本人にだって可能なことだ。「dog」は犬、「milk」は牛乳だって、音なんか介さなくても瞬時にわかる。ここで、それは日本人だから「dog」を音ではなくて、まるで漢字のように「形」で捉えることができるのではないか、という考え方もできるけれど、たぶんそれは違うと思う。もしもそうなら、英語話者の読書スピードって随分遅い筈ですよね。実際はどうなのか知りませんが。

 だから、僕は英語も表意文字に極めて近いと思うのです。
 もちろん、アルファベット単体が音のみを表現しているというのは本当だと思う。そこには意味は付随しない。だけど、文字と言うものはアルファベットの単体ではなくてその順列組み合わせをもって形成されるものだ。一つの英単語はアルファベットというパーツを組み合わせて作られる一種の表意文字なんじゃないだろうか。偏と造りを組み合わせて漢字を作るように、単語を一つの文字に似たものと捉えてもいいんじゃないだろうか。

 漢字は意味を表し、アルファベットは音を…、という議論の仕方はさっぱりとしていて明快ですが、でも、本当は事はもっと複雑なんだと思うのです。

ペイズリータワーに軽やかなアドバルーン。そして、僕らの街にラッパは鳴り響く。

2006-02-24 20:03:09 | Weblog
 昼下がりにI君とT君とairで軽くご飯を食べて、そのあとT君は研究室へ、僕とI君は鞍馬口のMの部屋まで冷蔵庫を取りに行った。

 途中で、僕が今朝見つけた空き家の前を通って自転車を止め、「いいんじゃないの」としばらく眺めた後、右隣の家の人に「この空き家はどうなっていますか? 住みたいのですが」というようなことを言うと、「反対の隣の人が何か知ってるよ」と言われて、今度は左隣の家の人に聞いてみると、その家はどこかの会社の社宅だかなんだかで借りることはできないとのこと。

 以前、人気のないアパートに「住めませんか?」と聞いたら、やっぱりそのときも、「ここは社宅だから駄目だ」と言われた。
 今日airに行く途中高野川沿いを歩いていると、やっぱりある会社の寮があって、そこはどうみてもがらがらで人気がないのですが、日本では社宅とか会社の寮というのは無駄な何かになっているんじゃないだろうか。

 パソコンを立ち上げるとアップルのITMSが10億曲のダウンロードを記録したとニュースが出ていた。
 僕は昨日はじめて、一曲だけアップルから音楽をダウンロードしたばかりだった。
 そして、もう二度とダウンロードなんてしないと思う。
 なぜかというと、アップルからダウンロードした音楽はプロテクトされていて、他の形式のファイルに変換できないからだ。なにか回りくどい手を使わない限り、基本的にはアップルからダウンロードした曲はi-tunesやi-podで聞くしかない。なんだか、アップルという会社に囲い込まれているような気分になる。
 だから、僕は最近アップルという会社が嫌いです。
 それに、僕の使っているDJソフトはMP3しか読めないし、アップルからダウンロードした曲をかけることはできない。

 アップルと言えば、ここのところテレビで流れているインテルの宣伝はどういう意味なんだろう?
 あのCMでは「今まで地味で単純な作業しかしない箱に閉じ込められていたインテルのチップが自由で活動的なマックに、ついに開放された」みたいなナレーションが入っていますが、従来の退屈な箱ってウィンドウズのマシンのことですよね? もしもそうならば、マイクロソフトは怒ってもいいんじゃないだろうか。

 それにしても、春が来た。
 大気はすこし汗ばんだみたいな生き物の匂いを含んでいて、僕はこの香りを嗅ぐと夏を連想する。春というよりも、やってきたのはまるで夏なのだ。冬が終わると夏が来る。そして、夏が終わると冬になる。春なんて本当はないし、秋なんてものも存在していない。
 僕は昨日、その匂いを感じ取って、それでもう夏が来たんだと嬉しくなる。

今日だって回るビンテージ・ターンテーブル。

2006-02-22 15:16:07 | Weblog
 このあいだMちゃんに聞いて驚いていると、昨日のAさんの日記にもそれが取り上げられていた。

 電気用品安全法(PSE法)。

 この4月から、PSEマークのついていない電化製品を販売することができなくなります。そして、PSEマークというのは2001年からつけることを義務付けられているもので、2001年以前に製造された製品にはもちろん着いていません。

 つまり、この4月から2001年以前に製造された電化製品の売買が実質禁止されるということです。

 冗談みたいな法律ですよね。これ。
 僕は未だに信じることができない。
 気が狂っているとしか思えない。イギリスのクリミナル・ジャスティス・アクトやアメリカの禁酒法なみに酷いと思う。

 建前ではこの法律は、電化製品の自然発火や漏電といった危険をなくすためとあります。
 でも、もしかすると落ち込んだ景気を回復するために政府が仕組んだ罠なんじゃないかとも思う。
 2001年というのはIT革命以後で、ネットオークションがすでに盛んになっている。それにここ数年はリサイクルに対する意識が人々の間で高い。結果的に、商品とお金は世間をぐるぐるとするものの、企業に収益があるわけではないし、ここのところ落ち込んだ日本企業の業績を回復させて、ひいてはGDPを上げる狙いがこの法律にはあるんじゃないだろうか。
 これに黙って従うわけにはいかない。
 これは生類哀れみの令なみの暴政だ。

 この法律の適応範囲はなんと楽器にも及んでいて、もう一昔の電子楽器は販売できなくなります。ビンテージのアンプはもう買えません。シンセサイザーを買おうという人が往年の名機、コルグ の『M1』やローランドの『D-50』なんかを欲しいと思っても、もうそれを販売しているお店はないわけです。

 これに対して坂本龍一さん達が署名運動をしています。

 http://www.jspa.gr.jp/pse/

 それから、もちろんリサイクルショップは大変なことになるはずだ。
 馴染みのお店にいってちょっとどうするのか聞いてみようと思う。

アボガドを切り刻むチョッパー・ベイビー。

2006-02-22 02:55:21 | Weblog
2月20日月曜日

 夕方に何故かOと第二次世界大戦、ひいてはアメリカの話になった。

 「日本は原爆落とされたのにアメリカ好きだけど、その辺りが僕には理解できない」

 僕は別に日本人がアメリカの文化を好んでもアメリカ政府を好んではいないこと、GHQが戦後に行った日本人に対する教育のこと、なんかを話したけれど、当然英語でうまくは言えない。日本人が屈折した心理をアメリカに対して抱いていることは事実だと思うけれど、その屈折について僕はうまく話せない。

 彼が日本の歴史についてかなり良く知っていることに驚いた。それも単に知っているというのではなくて、あまり歴史に興味がなくて、教科書の教える歴史しか知らない、というような日本人よりも遥かに複雑な知識を持っていた。僕も一冊くらいはOの国に関する本を読もうと思う。
 歴史についてはわからないことが多い。作る会の教科書や「教科書の教えない歴史」みたいな本が出てきたり、色々な人が色々なことを言って、結局何が本当なのか僕には分からない。

 結局、僕もOも、アメリカの文化や人々は受け入れられるけれど、政府は訳が分からない、ということで意見は一致した。
 どこの国だって同じことだけど、政府が気に入らないからと言って、その国の国民まで嫌いになることはない。本当は国なんてないのだ。どこの国ではみんな何々だ、といった文脈はとても気を付けて読まなくてはいけないとおもう。

 夜は風邪から回復したAちゃんと御飯を食べに行った。
 ちょっと御飯のつもりが、ちょっとしたコース料理になったけれど、とてもおいしかった。彼女は髪を切って、つい先日見た「さらば青春の光」に出てくるヒロインというか、単に主人公を振り回すだけの女の子みたいになっていた。


2月21日火曜日

 連絡が欲しい、と実家に電話があったようなので、バイトの前に高校の同級生のK君に8年ぶりくらいで電話をする。
 バイトのあと、夜の11時くらいから高校の同級生のMくんとご飯を食べに行く。電話で約束したときは、M君とも今日が8年ぶりくらいの再会になるはずだったけれど、その電話のあと、異常なことに先日Sちゃんのパーティーで偶然再会したので、今日は2週間ぶりにあっただけことになる。
 いろいろ話をしているとお店が閉って、僕らは追い出される形で帰った。
 今や遠い過去の人となった人々が、そのうちいつかどこかでまた繋がってくるみたいで、人生というのはへんてこなものだと思った。

マーブル・アイスクリームで口の周りがカラフルなジェミー・カーラル、鏡をのぞく。

2006-02-20 14:55:04 | Weblog
2月17日金曜日

 ここのところ生活の基盤を研究室に移しつつあって、しばらく使っていなかった大学の台所を充実させようと、夕方にカナートに行って買い物。いろいろI君と共有するものがあるので少し確認の電話を入れると、なんとI君もカナートにいたので一緒に買い物をした。
 研究室に戻って、御飯を食べて、しばらくしてからMと約束があったので出掛ける。


2月18日土曜日

 夜8:30頃にOが「パブに行ってくる」と言って帰ったので、僕も10時前に研究室を出て三条のパブに行くことにした。Yちゃんと、それからたまたま三条にいたI君(なぜか荷物は一冊のノートだけで、それを手に持って彼は現れた)とパブに行くと、OとIがいて僕たちはビールやウイスキーやリンゴジュースを飲んだ。普段でも僕の英語力ではOとの会話に不自由するのに、うるさいパブだと一層会話は困難になる。クラブで踊ってるなら適当な会話でいいけれど、飲みながら普通に話をするのに適当な相槌は打てない。中国人のIは中国語は勿論、日本語も英語も堪能で本当にすごいと思う。最近中国語の勉強をはじめて、漢詩もいくらか暗記している博覧強記のYちゃんはIに少しだけ中国語を教えてもらって、その途中でIが「僕は今北京語をしゃべってる」というようなことを言った。彼は四川省の出身で、自分の方言の他にちゃんと共通語も話すということだ。広い中国だから方言だということになるけれど、たとえばこれがスペインなら、スペイン人でイタリア語も話せる、というようなことに匹敵するので、Iの言語に関する能力はとても高いといわざるを得ない。まいった。

 ビールを買うときに、あまりイギリス人らしくない名前のMと知り合いになった。彼女は翌日の5時の便で関空からイギリスに帰るとのことで、この夜はささやかなお別れ会をしているところだった。
 春には僕の周りからも何人かの友人達が遠くへ引っ越して行く。来年はもっと多くの友達が引っ越していくはずだ。世界のあちこちでお別れ会と歓迎会がささやかににぎやかに開かれて、人々はミックスされる。僕らには旅に出る理由がある。


2月20日日曜日

 昼下がりからMちゃんとCDの交換をしたりパン屋巡りをして、それからぐったりするくらいに沢山話をした。パン屋でパンを買うと言う行為はとても平和で幸福なものだと思う。
 この間Sちゃんがパンを作っていて、それを何個か食べたらとてもおいしかった。パン屋にしても手作りパンにしても、人間はそうしたものを好む。誤解を恐れずに書けば味の問題じゃなしに、もっと根本的な問題として、僕らは新鮮な野菜やできたての料理を好み、コンビニのお弁当とビニルにパックされたパンを嫌う。
 夜はHに電話をするとご飯を作ってくれるということで、ご飯を食べに行く。ここのところ僕はすっかりパンモードで、毎日パンばかり食べていたけれど、やっぱりお米もいいなと思った。
 主食に関して、僕はお米ばかり食べたくなる時期と、パスタばかり食べたくなる時期、パンばかり食べたくなる時期が順番にやってくるのですが、できれば昼はパンで夜はパスタといったように色々使い分けたいと思う。

レッドチェアーのローラーコースター。

2006-02-18 18:45:38 | Weblog
 「K先生って、なんかプレハブみたいな家に住んでるらしいよ」

 と、昔先輩のTさんに聞いたことがある。Tさんはそのとき建築の大学院生で、K先生は世界的にも名前の通った建築家だ。

 「なんか、人のエゴが入った家に住むのが嫌らしい」

 何年か前に発売されたAUの携帯電話「タルビー」。デザイナーはマーク・ニューソンで、彼は僕の結構好きなデザイナーだった。でも、驚いたことに「タルビー」にはマーク・ニューソンのサインが入っていて、とてもがっかりした。

 日本は海外に比べてデザイナーの顔が見え難いと言われます。デザイナーの影が薄いと。でも、僕はそれは本当はいいことなんじゃないかと思うのです。
 僕はデザイナーのエゴが入ったものを持ちたくない。少なくとも見えないようにして欲しいと思う。

 だから、僕はどこかのブランドの服を着ることはないし、ここ何年も古着以外の服を買ったことはない。コム・デ・ギャルソンの川久保玲という人を僕はとても好きだけれど、でも彼女の服を着ようとは思わない。なんだか川久保玲という人に負けたような気がするからだ(もちろん負けてるんですが)。

 古着を着ることに関しては、デザイナーや販売者のエゴが見え難いというだけではなく、もう一つとても大きなメリットがある。それは陳列された商品が時間軸にも広がりを持っているということだ。
 サラ着ではブランドでもセレクトショップでも、扱う商品はほとんど「今の物」に限定される。去年や、一昨年、あるいは10年前の商品を売ったりはしない。だから、サラ着を買おうと思うと、買える物は2006年なら2006年のものだけになる。
 対して、古着屋には様々な年に様々な場所で発売された服が置いてある。だから僕達はそこで時間軸も越えた服を選ぶことができるのだ。

 しかも、それら様々な年代の服が、同列に扱われ並べられている。1980年のシャツの隣の1960年のパンツがあったりする。だから僕は1980年のシャツを着て1960年のパンツを穿くことができる。時間を越えて着るものをミックスすることができる。これはとてもすごいことだ。

 音楽でも、他の分野でも同じことが言える。
 1993年あたりから「渋谷系」という言葉が音楽界で用いられるようになった。渋谷系の代表は言うまでもなく「フリッパーズギター」や「ピチカートファイブ」であり、音楽的な特徴としては「過去のいろいろな音楽を自由にサンプリング、カットアップ、リミックスする」というのが大きい。
 永江朗『平らな時代』(原書房、2003年)の中に、雑誌「ロッキング・オン」の元編集長、宮嵜広司のこんな発言がある。

「若い世代は60年代や70年代のロックやブルースを、全く新しい物として聴いた。(中略)歴史を時系列による解釈ではなくて、すべてが等価な音楽的ソースとして並んでいて、そこにランダムアクセスして、シミュレーションしていったのが渋谷系だった」

 これは、物事が始まってからある程度時間が経過したあとの世代だけが持ちうる特権でもある。そして、古着も音楽も同じことだけど、僕達はその更に後の世代なのだ。

 もう一歩突っ込んだことを言うと、特に日本においては、過去の物事から何かを選択して取り出すときに、その文化的歴史的背景を置き去りにしてくる傾向がある。たとえば迷彩のTシャツは別に戦争に関するメッセージを載せているわけではない。でも、迷彩のTシャツを着て海外に行って空港で何かの運動家に間違えられて止められるということは起こる。日本ではそれはない。たんに「かっこいいから」「かわいいから」それを選択しただけのことだ。
 これは日本という国の「いい意味での」軽さを表していると思う。僕は星条旗柄の靴も80年代のオリンピックアメリカチームのウインドブレーカーも持っているけれど、これらを身につけてイラクに行けば何らかの被害に会うことは間違いないと思う。でも、日本国内では「彼はアメリカの何かなのだ」と思う人はいない。単に「そういう模様なのだ」と考える。

 もちろん、無知は怖い。でも、意味を知っていても物事態はそこから切り取ってしまう、という態度はとても自由だ。ブランド信仰があつくて日本人は馬鹿だ。みたいな発言が良くあるけれど、世界を見ても日本人ほどブランド物を自由に使いこなしている民族はいない。ニューヨークやパリでビトンの財布が破れたジーンズのポケットに入っていたり、シャネルの鞄にキティちゃんのマスコットがついていたりということはない(最近は日本文化の影響で見られるけれど)。海外では「ブランドを持つ人」というイメージと意味がブランド物に付きまとっていて、そこから彼らは出ることができない。日本人はそんなの簡単に破壊したのだ。

 このあいだ、あるバンドが世界の大都市をツアーで回るドキュメントを見たけれど、トウキョウは他の都市とは明らかに違ってぶっとんでいた。バンドのメンバーがガングロのコギャル(ちょっと昔の話なのです)とツーショットで写真をとりながら、「やっぱり進んだ国は違うなあ」といっていましたが、僕もこのドキュメントに映された日本像は、訳が分からないけれど、でも自由で進んだ国だと受けとった。本当にそうなのだと思う。

イエローな太陽にパーフェクトな紅茶。

2006-02-17 23:28:17 | Weblog
 葵橋を通り、鴨川を渡るとき、僕は橋の上から川面に浮かぶ鳥たちの姿を見た。
 今日は冬の冷え込みが力を盛り返して、お陰で僕はマフラーをクルクルと巻いて、手をポケットに突っ込んでいる。なのに、彼ら水鳥たちときたら、こんな冷た風の中、水に浸って生活しているのだ。

 この水鳥の生き方について、僕はもう随分長い間疑問を持っている。だから、もしかしたらこのブログにも一度書いているかもしれませんが、その疑問というのは「どうして彼らは死なないのか?」という至って単純なものです。

 いくら羽に覆われていて、それが油を分泌して水を弾く、なんて言われても、でも寒いには違いない。川の流水と、風が体温を刻一刻と奪うはずだ。それに対して、彼らはそんなに豊富な食べ物を手に入れているようには見えない。どうみても、消費するカロリーのほうが食べ物から得られるカロリーよりも多いように見える。

 これは水鳥に限ったことではない。
 たとえばそこここを飛んでいるハトですが、飛んで、ひょこひょこ歩いて、そうして漸くなんだか分からないゴミみたいな小さいエサを啄ばむ。その小さなエサを手に入れるために消費したカロリーは、そのエサに含まれるカロリーよりも多いように見える。

 彼らが平気で生きていると言うことは、もちろん、得るカロリーが消費カロリー以上であることを証明しているのだろうけれど、「飛ぶ」という移動方法がとてもエネルギー効率のいいものであることを考慮しても、感覚的にどうも腑に落ちません。


スコットランドの絵葉書。

2006-02-15 02:33:20 | Weblog
 先日のバレンタインデーでは、いくらかチョコレートと、あとなぜか絵をもらいました。ありがとう。

 それから今日はM君の修士論文発表を見に行った。
 全部終わっておめでとう。

 朝日新聞のコピー、

 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」

 をテレビで見たとき、変な気分になった。でも、何がどう変なのかよく分からなくて、その違和感を放置していたのですが、小田嶋隆さんがブログでこのコピーのとても明快な分析をされていらっしゃいました。
 引用させていただくと、

 ___________

 内容もちょっとおかしい。
「感情的で、残酷で、ときに無力」 なものを、簡単に信じて良いのか?
 という問題が残る。
 「それでも、信じる」ことを誰かに訴えるためには、その、信じようとする対象の良いところをきちんと列挙して、「こういう欠点があるのは承知しているけれども、一方、それにはこれこれこういった長所やこんなふうに素晴らしいところがあって、だからこそ私はそれを信じるのだよ」
 というふうに、丁寧に相手を説得しないといけない。
 「残酷だけど信じる」とか、「感情的だけど信じる」と、留保抜きの信頼感をただまっすぐに強調されても、聞かされる側は困惑するばかりだ。というよりも、
「それって、盲信じゃないのか?」
 という疑問が生じますね。当然ですが。

 「言葉」を誰かの名前に置き換えてみるとわかりやすくなるかもしれない。
「英寿さんは感情的で、残酷で、ときに無力です。それでも私は信じています、英寿さんのチカラを。駆け落ち宣言。みゆき」
 これ、マズいよね(笑)。
 明らかに悪い男にひっかかってる感じしませんか? 

 (中略)

 そう。言葉の残酷さを、言葉のせいにしてはいけない。
 オレの言葉が残酷なのは、オレの不徳。
 オレの包丁が他人を傷つけたら、それは100パーセントオレの責任。
 ま、包丁のチカラなんかを信じてどうするってことだよ。信じるべきは、オノレの目と頭とウデ。あとはハラを切る覚悟。それだけだろ?

______________

 これを読んで僕はいくらか考えることができるようになった。
 もしもこのコピーを朝日新聞が本気で採用したのなら、感情的で残酷で無力なのは「言葉」ではなくて「朝日新聞自身」だということをそれは示している。

 でも、まあこれはあくまで分析にすぎない。

 小田嶋さんは「言葉」を「言葉」と捕らえているけれど、自然に読めばこの「言葉」という単語は「言葉」ではなくて「言葉を私達が使うということ(とき)」を意味している。
 だから、

 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」

 というのは、普通に読めば、

 「言葉で人を傷つけることもあるし、何も伝えられないときもあるけれど、私達は言葉を使う新聞社ですし、がんばってちゃんとした報道をしてみようと思っています。言葉でうまくものごとを伝えたいです。できないことではないと思うのです。正しいジャーナリズムを考え直します。朝日新聞」

 という意味合いだと思う。
 そんなにひどいものでもない。

 それにしても、小田嶋さんのように、どこがどうへんてこなのかをうまく言葉で説明できる人はすごいと思う。僕は彼の文章を読むまで、「うーん」と思うことしかできなかった。

 僕は別にテニスというスポーツが好きだというわけではありませんが、しばらく前に行われた「ヒンギス-シャラポア」戦はテレビで見ました。といっても、偶然テレビをつけるとやっていただけで、それでもヒンギスの試合でなければ僕は即座にテレビを消していたに違いありません。
 (余談ですが、sportというのは、もともとdisport(気晴らしをする、はしゃぐ)で、それが変化した言葉です。でも、もうあまりスポーツが気晴らしには見えないことも多いですね)

 この試合は「新旧女王対決」という売り出し方でしたが、僕は単にヒンギスのテニスが見たくてこの試合を見た。実は僕はテニスは一度もやったことがないし、ルールすら良くは知らないのですが、でもヒンギスの試合は面白いと思う。対して、シャラポアのゲームを見ても別に何も感じるところはない。ただのパワーファイターだ。

 解説は松岡修造さんと伊達公子さんで、松岡さんは何度も「なんですかこのヒンギスのプレーは、ねえ、伊達さん、どうやったらあんなことができるんですか?」というようなことを興奮した口調で言っていた。「こんな選手は今のテニス界にいないんですよ」
 プロフェッショナルとしてテニスをしていた彼にはきっと、僕なんかには全然見えないヒンギスの凄みが見えているに違いない。小田嶋さんみたいに。僕はただ、漠然とした面白さを彼女のプレーから感じるだけだ。

 それから、最初に修士論文の発表会があったと書いたけれど、人の発表を聞いてすぐに質問ができるというのもすごいなと思う。
 僕は知識や学力がなさ過ぎて、発表の内容すらよく分からないし、質問なんてしようもない。

 もっと高いレベルで物事を見れるようになりたいと思う。

ジョーイ、サボテンにミルクをこぼす。

2006-02-14 02:04:57 | Weblog
 ユニバーサルデザインという言葉を始めて聞いたとき、僕は正直なところ「なにをいまさら」と思った。
 「万人が使い易い」。デザインはもともとそういうものを包含している。
 でも、実際にはこれはとても難しいことだ。たとえば身長180センチの大人と、身長130センチの子供の両方が使い易い、なんていうのは結構な難問に違いない。

 それから、使い易さとカッコ良さは両立しないことがある。
 ユニバーサルデザインという言葉の出始めた頃、まだバリアフリーという言葉の方が有名だった頃に、デザイン界では「英語表示を日本語表示に改める」というのが少しだけ流行りました。ラジカセとかの「PLAY」ボタンを「再生」とか「さいせい」とか、それも見易い大きなフォントで書く訳です。ところがこれはやっぱりなんかカッコ悪いのではないかということで、あっさりとそんなブームは終わってしまった。僕は終わってくれて良かったと思う。それに、ユニバーサルということを考えれば、はっきり言って日本語で書くよりも英語で書いてある方がよりユニバーサルですよね。

 今思い出したので書くと、先日のイベントで売られていたTシャツは「フリーサイズ」でした。
 巷でも良く見掛けるのですが、この「フリーサイズ」って何ですか?
 別にTシャツが着る人の体に合わせてサイズを変えてくれるわけじゃないですよね。もしくはアジャスターが付いていて大きさが変えられるとか。飽くまでサイズは固定なわけで、こんなものはフリーでもなんでもないと僕は思うのです。単にサイズが一個しかないだけだ。一個しかサイズがないのに、Lの人にもMの人にもSの人にも売る為に「フリーサイズ」なんてへんてこな言葉が生まれたのだと思う。インチキですよね。

 閑話休題。
 僕はユニバーサルデザインという言葉があまりピンとこなかったのですが、「ユニバーサルファッション」という言葉には少し共感しました。
 「ユニバーサルファッション」というのもなんだか胡散臭い言葉で、僕は図書館を歩いていてたまたま「ユニバーサルファッション」という本を見付けて、またいかがわしい本だなあ、と思いながらパラパラ捲って、そして共感しました。

 ファッションというのはデザインの中の一つだとも考えられるので、ユニバーサルファッションというと、まるでユニバーサルデザインの中の一つかのような錯覚がしますが、思想は全然違います。というか、ファッションというのは厳密には服のデザインのことではなくて「体のデザイン」のことなので、デザインとファッションというのは似ていても性格が全然違います。デザインは「人間が使うもの」についての考え方で、ファッションは「人間自身」についての考え方です。
 もっと言ってしまうと、服や化粧というのは体に着るものではなくて「体そのもの」です。

 ユニバーサルデザインというのは「細くて若いだけがきれいじゃない。いろいろなきれいがある」という基本的な姿勢を持っているのですが、コム・デ・ギャルソンの川久保玲のスタンスなんかはこれに近いと思います。ファッションデザイナーにも2種類の人間がいて、一つは「今ある美しさをさらに進化させる」デザイナー、もう一つは「新しい美しさを作るデザイナー」です。このユニバーサルファッションというのは後者のスタンスをとります。パリコレに出ている両足のないモデルやなんかがこの運動の象徴とも言えます。身長とかスタイルとか歩き方とか、もうそんなことはどうだっていい。それが美しいって誰が決めたのさ。その美しさって何。ニーチェは「道徳ってそもそも必要なのか? 何あれ?」ということを言いましたが、このユニバーサルファッションは人の容姿の美しさについてかなりラディカルな問いを発します。

 映画「スターウォーズ」をはじめて見たとき、僕はまだ子供で、そして感動しました。何に感動したのかというと、それはハン・ソロとルーク・スカイウォーカーの友情や彼らの成長ではなく、訳の分からない色々な形をした宇宙人が同じ酒場でお酒を飲んで、一つのチームを組んで戦っているという状況にです。すごく自由な感じがした。

 昔の日記にも書いたけれど、レイブに行ったとき、色々な勝手な格好をした人達が思い思いに踊っていて、僕はそれにとても感動した。
 やっぱり、とても自由な感じがした。

 服は僕らの体だから、それはただの「物」ではないから、そこに宿る社会性はとても強力です。
 日本では江戸時代、職業や身分によって格好が決まっていましたが、今もそれにほとんど同じです。ちょっと変った格好をして歩いていると後ろ指をさされて笑いの的になります。笑う人は大抵「自分がマジョリティーの中にいることを確信していて、それで安心してマイノリティーを攻撃する」という人です。ちょっと酷いですが、ニーチェの言葉を借りれば畜群です。

 昔、ブルーハーツの真島昌利はこんな歌詞を書いた。

 僕の着てる服が気にいらないんだろ?
 僕のやりたいことが気にいらないんだろ?
 僕のしゃべり方が気にいらないんだろ?
 ほんとは僕のことが羨ましいんだろ?

 仮装パーティーに行けば分かることだけど、本当はみんなもっと自由に色々な格好がしたいのだと思う。
 笑う人だって、本当は羨ましいんじゃないだろうか。
 もうこんなせこせこした世界はうんざりだ。

シンセサイザー。

2006-02-13 00:39:43 | Weblog
 9日木曜日;
 次の日に課題の締め切りがあって、研究室で貫徹。時間に追われているのに明日までに必要なものがあって、電車で一時間くらいのところまで取りに行かなきゃな、と思っていたらなんとY君がバイクで届けてくれてとても助かった。ありがとう。

 10日金曜日;
 朝、バイト先の生徒の入試応援があって、やや赤い目をしたままシャワーだけ浴びて自転車で某高校まで出向く。その後、研究室に戻って夕方までになんとか課題を仕上げる。
 ものすごく眠いけれど、ハイにもなっていて、OとIと少し話してからアパートに帰って眠る。Iは中国人なんだけど、英語が僕よりもずっとうまくて、OとIの会話にはあまりついていけない。僕は今まで何人かの中国人と知り合ったり話をしたりしたことがあるけれど、英語を上手に話す中国人ははじめてだ。
 夜はMと約束があったので、「寝てるから仕事が終わったら電話で起こして」とメールを送ってから眠る。
 10時頃にMから電話で起こされて出掛ける。

 11日土曜日;
 久し振りにAから電話があって、彼女がちょっとへんてこでシリアスな状況にあることを聞く。完全には状況が分からないのと、すこし僕とは離れた世界の話なので、自分のアドバイスにときどき自身を持てないまま話をして、結局なんと4時間近くも電話をしていた。
 夜は11時から難波のsaomaiでフリッパーズギターオールナイト。奈良からOさんもやってきて、彼女と会うのは久し振りだったので、かなり長い間、店を出て外で主にイベントやVJのことなんかを話し込む。かつてモッズとかパンクとかヒッピーとかサマー・オブ・ラブとか印象派とかキュビズムとかルネサンスとか、いろいろなものがあったけれど、そういう風にあとから呼ばれるものを作りたい。単に音楽かけて映像流してお酒飲んで踊ってっていうのは、もう何千年も人類がやってきたことだ。それはベースとしては大事だけど、でも新しいものも欲しい。
 このイベントでは僕は全然はしゃがなくて、どちらかというとDJに腹を立てていた。
 ここ一年間くらい顕著に見られるんだけど、僕はこういうのは客よりもやる方が断然好きだし、なんとなく気に食わないDJだとどんなにいい曲がかかっても踊る気にならない。
 それから、あるバンドが好きな人が集まってその音楽を掛けて踊るというのは、なんだかとても恥かしいことに見えた。こういう「このバンドが好きだ」という集まりは本人がいないと、なんとかごっこみたいになるんだなと思った。DJがイベントのTシャツをフロアに何度か投げて、僕とOさんのところには3回くらいTシャツが飛んできて、その気になれば僕らは全部とることができたけれど、別にいらないので2人とも拾わない。

 別にクラブイベントじゃなくても、ライブでも演劇でも映画でもなんでもいいけれど、なんだって当然「お客さん」よりも「作ったり演じたりする」ほうが楽しい。でも、誤解を恐れずに大袈裟な表現をすれば、演じる方がお客さんに愛情を持たないといいイベントにはならない。イベントをやってる僕らってなんかかっこいいでしょ、見て見て、では只の自己満足で、そのとき「客」という存在は「主催者の為の引き立て役」になる。僕は捻くれた性格だからか、そういうのを良く感じる。
 特に、最近ではDJブースの上からDJがDVやデジカメで会場を撮影することが多いけれど、僕はあれがとても嫌いだ。サイトにアップして後日みんなが見れるようにする、という主旨は理解できるけれど、ほとんど主催者の「僕らって昔こんなイベントして、こんなに客集めたんだ、すごいでしょ」というエゴの為に撮影が行われている気がしてしかたない。

 と基本的には敵意を持ってしまったイベントですが、シンセサイザーの素晴らしさやなんかも再認識して、色々と勉強になった。それに久し振りにOさんと話して刺激も受けた。 

 5時に始発があると思ったら、Oさんの始発は6時だったので、ロイヤルホストに入って朝御飯を食べてから帰った。
 京都に帰ってくると、思ったよりも寒さが和らいでいて、春は何気に近くにきているんだなと思った。