do you remember the fish school?

2007-12-20 17:00:31 | Weblog
 ニュースによれば、日本政府は2008年から魚を原料にしたバイオディーゼル燃料で航行する船を開発するそうです。魚は海でとれるので、いわば自給自足の船だ、というようなことが書かれていました。化石燃料を使わないのでクリーンなエネルギーだと。

 これが本当に環境に良いのかどうかも疑問ですが、加えて、僕としては生命の重みというものは一体どこへ行ってしまったのかと思います。高々魚じゃないか、と言われても、食べられるのでもなく、単に船の燃料にされるというのは、なんというかもう話がおかしいように思えて仕方がない。

 他のバイオ燃料だって同じです。サトウキビを育ててそれを燃料にするというのはなんとなく腑に落ちない。オッケー。カーボンニュートラルというのは確かに素敵なアイデアだ。燃料を使ってできた二酸化炭素は、その生き物が成長する過程で吸収してくれる。人がエネルギーとして使用している分は、換算すれば植物が行った光合成の結果で、つまり極端に表現すればバイオ燃料というのは太陽エネルギーの活用に他ならない。

 だけど、そのプロセスにはやっぱり問題があるように思います。
 太陽光のエネルギーを人間が利用する過程で、人為的な生物のコントロールが行われているというのは、一個の生命種として気持ちが悪い。もし仮に象の血液が良質のガソリンになるということが分かったとしても、じゃあ象を沢山育てて、殺して血を抜いて燃料にしましょう。この燃料を燃やして発生した二酸化炭素は、象が食べる餌の植物が吸収します。環境に優しいですね。なんてことにはまさかならないと思うけれど、魚の燃料というのはこれに随分近いと思います。植物や魚を燃料にするというのは理にかなっていても二酸化炭素を出さなくても、僕には地球に優しいようには全然見えない。これって普通の感覚で考えれば、悪の組織しかやらないような方法ではないでしょうか。植物はまだぎりぎり大丈夫な感じもしますが、魚はちょっと酷いなと思います。
 

time at tone, twelve midnight.

2007-12-18 20:17:40 | Weblog
 僕はつい2,3年前まで、色々なところを転々とするような人生がきっと楽しいのだろうと思っていました。極端に言えば、色々な国に1年ずつ住んでみたい、というようなことを平気で口にしていました。もう少し遡って、高校生の頃を省みれば、僕はアジアやヨーロッパを放浪するバックパッカーに憧れていて、その手の本ばかり読んでいました。

 だけど、その割りに僕は今まで28年に渡り海外に出たこともなければ、ここ10年間くらいは京都市内に住んでいて、日帰りであろうが泊まりであろうが、京都市内から出たことなんて本当に数えるほどではないかと思います。遠くに出掛けるとなんとなく寂しくなります。

 そして、先日引越しをしてかなり明確に分かったのですが、僕はどちらかというと変化を嫌う性格のようです。まるですっかり歳をとった人間のようなことを言うと、同じ人たちと、同じ場所で、同じような日々が死ぬまで繰り返されればいいと思います。特に進化も発展も望まない。

 この10年間の間に、ずっと京都市内にいると言っても、僕だって随分な数の変化を経験してきました。そのほとんどは自分で望んだものだった。だから、昔から変化が嫌いだったわけではなくて、こういうのはここ最近のことなのだとは思います。老人が大金を積まれても立ち退きをしないような状況を、昔は理解ができなかったけれど、今は心底理解することができると思う。40才で転職するなんてすごい、みたいな話も、僕はどこがすごいのか分からなかったけれど、今はそれが本当に大変なのだろうなということも分かります。僕はこの先、確実にもっともっと変化を嫌う人間になっていくだろう。こういう気持ちの変化が自分におこるなんて、全く予想しなかったことで、正直なところ戸惑いを隠しえない。僕は特に人生設計らしいものを持ちませんが、それでも、「ずっと自由自在に生活していく」という基本指針みたいなものは心の底にあって、だから人より長く学校に行こうが何をしようが、僕はこういう生き方なんだ、と思うことができた。だけど、今はもうそんなことを思いはしないわけです。今になって、祖父が昔言っていたことの意味が良く分かる。僕にとって一番大切なものというのは、その昔たぶん自由と欲望だった。でも、本当は一体何が大切なのか、今は全然違う答えを持っているし、そしてそれは100%正しいだろうという確信も持っています。
 きっと誰もが心の奥底で、時間よどうか止まれと願いながら日々を暮らしているのではないだろうか。

line a bookshelf.

2007-12-14 15:59:45 | Weblog
 どうして今までそんなことに気が付かなかったのか、と言われそうですが、僕は今日生まれて初めて電柱がテーパーを持った円錐台だということに気付きました。これまで只の円柱だと思っていた。28年間電柱を何度目にしたことか考えると恐ろしい限りです。それも、普通の電柱を見ていて気が付いた訳ではありません。信号待ちをしていたら目の前にトラックが停まり、その荷台に電柱が載せられていたので、僕は横に倒された電柱をまじまじと眺める機会を得たのです。それも、見て最初から分かったのではなく、電柱のような物を運んでいるな、でもテーパーになってるから電柱じゃないのかな、と暢気に思っていて、はっとして周囲の電柱を見てみると全部テーパーが付いていた、というわけです。本当に吃驚してしまいました。

 引越しの準備が、案の定思ったよりも大変です。「案の定」と「思ったより」は形容矛盾に見えますが、これは僕の個人的な特性なので僕としては矛盾でもなんでもありません。僕は物事を簡単に考えすぎる癖があるので、なんでも「すぐにできる」と思ってしまうのですが、どうやら世の中はそんなに甘くもないということが流石に分かってきて、しかし自分の感覚としては「すぐにできる」というのを消すこともできません。だから、「すぐにできる」と「そんなに簡単には行かない」が同居する形になってしまっています。
 これはなかなか奇妙なことです。僕は日曜日に引越しをするのですが、もう2、3日前から引越しの準備は始めています。心の中では「引越しの準備なんて1日あればできるから土曜日にすればいいじゃないか」と思いながら、「きっとそんなに簡単でもないはずだから、早めに始めたほうがいい。早く準備が終わっても困ることはないじゃないか」と言うもう一人の自分に説得されてしぶしぶ準備を始めました。

 実際に準備を始めると、押入れの中からは古いバイクのパーツだとか粘土だとかアクリル板だとか何かの電子回路だとか、それに2度と見ないようなノートの類、コラージュに使えるかもしれないと集めた大量のパンフレットやフライヤーが出てきて、それはもうゴミだらけだし、中には思い出の品もあって仕分けをしないわけにもいかないので、全部に目を通しているとあっというまに時間はなくなってしまいます。さらに引越しの常として、あまりに懐かしい物が出てきたときにはショックに打たれてしばらく身動きすることができません。僕が引越しの準備を今夜からはじめると言ったとき、Oが「あまりナイーブにならないように」と助言をくれたまさにそのとおり、引越しには肉体的にも精神的にもタフネスが要求されます。

 そして、「早め」を主張した僕は勝ち誇って言う「ほら、やっぱり大変だろ、早めに始めて良かったじゃないか」だけど、それを受けても尚もう一人の僕は思う「今日は大変だったけれど、もう1日あれば楽勝だよ」
 基本的に何かが完了するまで僕はこの問答を一人で延々と続けることになります。

 まだ部屋は滅茶苦茶だし、バイクもベランダに積み上げて見ない振りをしてきた古いエンジンなんかも洗濯機も捨てなくてはならないし、あちこちに何かを頼んだり作業をしたりお金を払ったり、することはたくさんあるけれど、とても楽しみな引越しなのでワクワクすることには変わりありません。 

 

helix stabilization.

2007-12-11 15:38:49 | Weblog
 もう何ヶ月も放ったままですが、そういえば僕は夏に豆塚という塚を探すといっていました。豆塚というのは京都北区にある深泥池にあったという塚です。昭和の初期までそれはそこにありましたが、やがて失われました。「豆塚探しはどうなったのか?」と昨日Sさんに言われて、地下数メートルまでを電磁波で見る機械のことを教えてもらった。また暖かくなったら探してみようかと思います。塚についてのもう少し詳しいことは僕の過去の日記、以下の4つに書かれています。よろしければ読んでみてください。

http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/42b89acbd230f859cda352c042332690

http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/78a59339f1fcb5a82a21b3c1939b60cc

http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/45e6687f6488ae28fdbfda9aa0edb6c2

http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/50c9ff2ba3629243e2136f1e4b51abe8

 どうしてまた豆塚のことを書いているのかというと、それはこのところ「元伊勢」に興味があってそのことを書きたいなと思ったからです。ずっと僕の日記を読んで下さっている人はきっと、「伊勢」もいいけれど「豆塚」はそれでどうなったんだ、と思うに違いないと思い、豆塚も忘れてはいませんという言い訳じみたことを書いている次第です。

 元伊勢に関する記述はインターネットに溢れています。僕はまだ調べはじめたところなので全然詳しくありません。つい先日はじめて耳にしたことで、驚いたことに伊勢神宮はもともと京都北部丹後にあったものが移動したというのです。伊勢神宮というのは日本で最高峰の神社だし、ずっと三重県にあったのだろうと勝手に思っていましたが、それが京都から移動したものだったなんて。
 さらに、この「レイラインハンティング」( http://www.ley-line.net/index.html )というサイトによれば平安京は元伊勢と伊勢を結ぶラインの上に作られたということです。同サイトには他にも興味深いことが沢山書かれています。
 少し引用させて頂くと

(以下引用)_____________

 大和武尊にまつわる聖地「伊吹山」、伊勢とまったく同じ構造を持ち、それより古い謎の聖地「元伊勢」、伊弉諾神(イザナギノミコト)がそこで眠る幽宮と伝えられる「伊弉諾神社」、神武東征神話にまつわる「熊野本宮」、天照大神を祭る「伊勢」。近畿に点在するこの五つの聖地は、一見したところ、遠く離れていて、無関係に見える。

 ところが、この五つの聖地を結ぶと、そこには、1辺が170kmの巨大な五芒星が現れる。日本には神社が無数にあるから、うまい位置にある神社を結べば、同じような形が描けると思うかもしれない。だが、この五芒星の内に隠されたものと、それぞれの聖地の関連性、ライン上のスポットを見れば、これが間違いなく人工的なレイラインで、明確な意図を持っていることがわかる。

 それぞれの聖地の創建年代から、およそ2000年前に形作られたと思われる五芒星。この五芒星に内接する五角形の頂点には平安京があり、底辺の真中には飛鳥京、そして中心には平城京がある。その平城京では、出雲大社と伊勢、富士山と伊弉諾神社を結ぶ長さ350kmのラインも交差している。すべての中心として、平城京は築かれ、他の古代から中世都市もこの五芒星を基準に創建されているわけだ。

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(引用終わり)

 もちろん、これが随分オカルト的な話であることは僕にも良く感じられます。結ぶポイントの選び方は作為的にも思えます。大体、そんなに精度の高い測量技術が昔にあったのかどうかも気になるところです。
 ただ、やっぱりストーリーとしてはとても面白いし、こういう話を聞いたら胸の高鳴りを覚えるのも確かではないでしょうか。基本的に僕は伝説のようなものがとても好きです。映画「ドラえもん のび太の魔界大冒険」で魔法の存在を笑い飛ばすみんなの話を受け「昔話には魔法がたくさん出てくるのに、じゃあ昔の人はみんな嘘吐きだったのか」と考え込むのび太の意見に僕は与する立場をとりたいと思う。魔法ではなくとも、鬼ではなくとも、そこにはきっと何かがあったはずだと思うのです。このレイラインの話は別に伝説でもないですけれど、簡単に無視するわけにもいかないなと思う。すくなくとも元伊勢は見に行くつもりです。

 それから、このサイトで鞍馬寺のウエサク祭のことを知りました。5月の満月の夜行われる神事で、かなり怪しげなので次の五月には行ってみようと思います。

Teddy dives gracefully into a pool.

2007-12-10 12:53:15 | Weblog
 土曜日、友達のファッションショーがあって、久しぶりにクラブへ行った。近頃「夜中」と「タバコ臭い」という組み合わせが本当に疎ましく思われて、全然クラブには行かなくなって、自分がどうしてあんなところに毎週のように通っていたのか分からない、という状況だったので、実は最初にデザイナーのHが誘ってくれたときも、その次にSちゃんが誘ってくれたときも行くことは断っていた。もともと土曜日には不確定な予定があったので、夜中で煙たいから、というだけの理由ではないけれど、でも夜中で煙たいのが嫌だというのは僕の中ではかなりの忌諱事項になっていた。土曜日の昼になって、その不確定な予定もどうやらなさそうだということが分かった頃にモデルのKからも誘われて、この3人に誘われて煙たいのが嫌だから行かないというのはなんとも忍びない話だな、と漸く僕は重い腰を上げた。

 そうして出掛けてみれば、やっぱり別にタバコの匂いくらいなんでもないわけです。Hのショーは想像していたよりずっとずっと良かったし、Kと会うのはとても久しぶりだったので、とてもノーマルな意味合いで文句無く出かけて良かったなと思うのですが、さらに個人的な事情に基づいたことを言うと、やっぱりタバコくらいなんでもない、というのが認識されただけでも良いことだった。
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 テレビのニュースで「不祥事」みたいなのが流れるたびに、当の本人は「覚えていない、記憶に無い」というけれど、時の責任者が「覚えていない」というのはそれ自体を犯罪として取り締まってもいいのではないだろうかと思います。記憶に無いと言った時点で即有罪となるような法律にすれば、覚えていないという言い訳は通用しなくなる。あの無能を演出する、名誉と引き換えの手法に吐き気を覚える人も沢山いるのではないだろうか。

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 以前にSさんのところで沖縄料理会をしたとき、偶然読みたいと思っていた中沢新一さんの「アースダイバー」があったので借りて、それから部屋にはジャグリングボールが置いてあったのでSさんがジャグリングもできるということが分かった。
 それで、僕は帰ってからアースダイバーを読み、ジャグリングの練習をしてみたら、本は面白いしジャグリングもできるようになりました。まさか自分がジャグリングなんてするようになるとは思っていませんでしたが、自分がどういう風になっていくのかなんて本当に分からないものだなと思います。

Maxwell's tartan ribbon.

2007-12-07 15:25:13 | Weblog
 この写真に写っている丸い物体は一体何でしょうか?
 昨日、Mちゃんの友人がやっているインスタントな感じのバーに、半分だけMちゃんのお別れ会みたいな感じで集まってお酒を飲んだり話をしたりしました。そこの本棚に「アメリカ人の撮った50年前の日本」という感じのタイトルをつけた写真集があって、僕は何気なくそれを眺めていたのですが、その中の一枚がこの写真です。場所は東京で、キャプションにはただ「東京、ナントカ橋周辺」と書かれているだけでした。この丸い物体にはまるで何の関心も払われていません。ここにアップしたものは僕が暗いバーの中で携帯のカメラで撮った写真の写真なので、いまいち細部が分かりにくいですが、実際の写真にはかなりくっきりと丸い輪郭があります。
 現像や印刷の過程で何かのミスがあったのだ、と考えるのが最も合理的な判断だと思いますが、でもできれば50年前の東京で何か異常なものが写り込んだというストーリーを支持したいと思う。

 そういえば、この写真集には別に大阪に作られた巨大キャバレー「メトロ」の写真も載っていました。収容人数は1000人で、写真からして実に壮大な空間となっています。50年前の写真なのに、まるで未来を見ているようでした。僕達は本当に進化しているのでしょうか。

 ここへ挙げた写真は白黒ですが、この写真集に掲載されている写真はほとんどがカラー写真です。50年前の日本を撮ったカラー写真なんて僕はほとんど見たことがないし、50年前というのは白黒が象徴するように薄暗い時代だったのではないかと思っていたけれど、当然50年前だって世界はカラフルだった。

 50年前でもカラー写真というのはいかにもアメリカっぽいなと思っていると、Oが世界で最初のカラー写真は誰が撮ったのか知っているか?と聞いてきたので、しばらく頭を探ってみた。僕はどこかでそれを聞いたことがあるし、絶対に知っているはずだけれど、思い出すことはできなくてOが答えを教えてくれた。世界で最初にカラー写真を撮った人はマクスウェルです。電磁気学に出てくるマクスウェル方程式のマクスウェル。マクスウェルの悪魔のマクスウェル。科学史上で最も偉大な科学者の一人に確実にカウントされる彼が、なんと1861年に光の三原色を利用してカラー写真を撮影している。1861年といえば今から150年も昔で、大政奉還が1867年だから、日本はまだ江戸時代だった。もうすこしマクスウェルが頑張って写真を広めていたら僕達は江戸の街を写したカラー写真だって見ることができたかもしれない。天才というのは本当に世界を変えるし、時代を超越しているものなのだなと改めて思う。

how many stars do you want?

2007-12-05 14:53:53 | Weblog
 昨日Wと話をしているとミシュランの話題が挙がった。W曰くミシュランはタイヤのミシュランのことだそうで、もともとは郊外の自動車に乗ってでもわざわざ出掛ける価値のあるレストランをリストアップして、結果的に自動車にたくさん乗ってもらいもっとたくさんのタイヤを売ろうという戦略が発端だということです。ミシュランの東京版が2,3週間前に随分話題に上がっていたから、もしかしたらこういうのはもう常識なのかもしれませんが、僕は全然知りませんでした。

 ミシュラン東京版ができて、蓋を開けてみれば東京はパリよりもニューヨークよりもたくさんの星を獲得しました。なんとめでたい。日本の文化の高さが世界に示されました。みたいな報道がいくつかあり、僕はそれを聞いて全く嬉しくないというわけではなくとも、やっぱり腑に落ちないというのが正直なところだった。

 これがせめて「東京」で良かったと思う。僕が京都に住んでいるからいうわけではないけれど、これが「京都」だったら日本という国は終わりだった。東京は世界で一番混乱を受け入れる事のできる街で、いわばなんでもありだということが一つの強みである都市だ。それは如実に現代日本を象徴している。東京のレストランが外国人に査定してもらって喜んでいるのは別にそれでいい。だけど、京都は違う。
僕には京都のレストランが外国人に「いい」とか「悪い」とか言われて一喜一憂しているところをうまく想像することができない。向こうの基準で何を言われても「だから何?」というのが京都の持つ一つの特色だと思う。もちろんそれがいいとか悪いとかいう話ではなしに。もしもミシュラン京都ができたら、それは平安神宮の中にマクドナルドができたような異常なものになるだろう。

 もしも自分がレストランのオーナーだとしたら、自分のレストランがミシュランで三ツ星を獲得するようにしたいと思うだろうか。僕ならミシュランなんかに誉めてもらっても嬉しくもなんともないと思う。当然だけど、掲載は断るだろう。査定するなんて何様のつもりだろうと思う。
 だけど、営業面を考えると自分の街にミシュランができたなら、そこに載せないということは客があまり来なくなることを意味する。ミシュランは権威という非情な力を持っているし、ほとんどの人はレストランに行くならミシュランをガイドにするだろうから。
 ミシュランというのは、平たくいうと権威という名の暴力のことだ。

phi number.

2007-12-03 20:19:12 | Weblog
1

10

101

10110

10110101

1011010110110

101101011011010110101

1011010110110101101011011010110110

1011010110110101101011011010110110101101011011010110101


 いきなり0と1を並べて一体なんだと思われるかもしれませんが、これは黄金数列と呼ばれる数列です。
 実はとても簡単な規則で作られていて、最初の1からスタートして
 ・1を10に
 ・0を1に
 書き換えるというだけの操作で次の数列が作られています。
 ところが、そんな単純に生成された数列も、良く眺めてみればn番目の数列とnー1番目のを並べればn+1番目の数列になっていることが分かります。
 さらに1の数を最初の数列から順に数えてみれば、それが
 1,1,2,3,5,8,13,........
 とフィボナッチ数列を成していることが分かります。
 ついでに0の数も2番目の数列から数えてみれば同じようにフィボナッチ数列になっている。フィボナッチ数列というのは最初1、1から初めて
(n項目)=(n-1項目)+(n-2項目)
 として生成される数列のことです。この数列の(n項目)/(n-1項目)を計算すると、n→∞のときの比が1.6180339887......なる値になります。この1.618なんとかというのは黄金比を表す数です。
 したがって、この黄金数列において、1と0の数の比をとると、数列が長くなればなるほどその比は黄金比に近くなる。

 ちなみにこの黄金比は有名な無限連分数

x=1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/(1+1/・・・

 の解でもあります。
 この連分数は無限の性質を利用して

x=1+1/x

 と等価だと気が付けば、あとは2次方程式なのですぐに解けます。

 全部、だからどうなのだ、というような話にみえるけれど、実際にこういうのが役に立ったり、あるいは何かを何かを繋げたりすることがあるので、そういうとき一体世界は何でできているのだろうかと思う。どうして数学という人間が勝手に作ったものがときどききれいに宇宙を説明できるのだろう。

12。

2007-12-03 19:42:57 | Weblog
 11月最後の日は、みんなで鍋をして、思いがけず懐かしいM君とかAとかもやって来て、気が付くと朝の5時になっていた。そうして、僕の2007年12月は始まった。年末の浮かれてざわついた空気のなか、今月僕は引越しをして新しい生活を始める。

 12月2日。
 大学の西門を入って少し歩くと、空に違和感を感じた。そうして見上げた空には一匹の鳥と、そのすぐ傍に謎の浮遊物体があった。僕は本当に一瞬それが何なのか分からなかったけれど、良く見てみればそれも鳥だった。ただ、その鳥は完全にホバリングしていたのだ。驚くほどくっきりと一点に。
 僕はもう長い間日本に住んでいるけれど、空に鳥がホバリングしているのを見た記憶がないし、ホバリングする鳥なんてハチドリくらいだろうと思っていた。でも、この日は灰色の鳥が空でホバリングをしていて、それはたまたま風がいい具合だったからできた、という種類のものではなくて本当にきれいで、完全にコントロールされたホバリングだった。
 気になって調べてみると、ヤマセミという鳥はホバリングするそうです。写真を見てみると僕が見た鳥にそっくりだから、たぶんヤマセミだったのだろうと思う。水辺の鳥みたいだけど、この辺りを良く飛んでいるのだろうか?

 寒いなと思いながら、背中を丸めて自転車に乗っていると、犬が鼻をつんと上に向けて、遠くの匂いを嗅ぎながら嬉しそうに歩いているのに遭遇した。犬は寒いくらい平気なのだろうな。僕はどうしてこんなに寒いのが嫌なのだろう。

 寒い、熱い、痛い。
 危険でネガティブな感覚は色々あるけれど、どうして僕達はそれを「嫌」だと感じるのか、いつも疑問で仕方がありません。怪我をして安静にしなくてはならないのに痛みを感じなければ動き回ってしまうから、というようなのは全然答えになっていないと思うのです。それならば「これはやばいから動いてはいけない」ということが分かる信号が来れば良いのであって、「嫌」がそこに伴う必要はないはずです。

 すこし古い日本のポップスをサンプリングして、簡単な音楽のようなものを作ろうと、いくつかの古いPVをネットで芋蔓式に見ていると、広末涼子のなんとかという曲のPVが出てきて、それが始まった瞬間に僕は軽い衝撃を覚えました。無理矢理なポップ感とニカニカ笑う中国の子供のような糸目の顔、黒髪のショートボブにややぎくしゃくしたガーリーな動き。そう、それは小沢健二そのものだった。
 だからなんだ、と言われれば、今はまだなんとも言えないのですが、僕の中では何かと何かが繋がって何かがちょっと分かったような感覚があります。