ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

ハンザ市場

2008-10-31 16:20:05 | Weblog

10月31日

友達が植木鉢を買いたいというので、ハンザ市場に行ってみた。

ここはバチャン焼きのお店が何軒も入っている。

品物は豊富だが、ずーっとついてきて売りつけようとするのでゆっくりみられず、つい行き渋ってしまう。

このハンザ市場はずいぶん前から、解体されて地上4階、地下2階のショッピングビルに建て替える計画がある。

仮店舗の用地まで用意しているが、テナント側との合意ができずに、壊される、壊されるという話だけで、いまだ営業を続けている。

あまり清潔でないし、安いし、こんなとこで経営がうまくいっているのかしら、きれいなビルにお店をもったほうがどれだけ得かとわたしは思う。

ベトナム人の知人の話によると、テナント料が安い、古い市場なので昔ながらの客が多い、バイクに乗ったまま買い物ができる便利さで集客率がよく、結構売り上げは高いそうだ。

この地域はお城の近くで、昔から、人の集る中心だったのか、1945年からの第1次インドシナ戦争では、フランス軍はすぐこの近くに砦を築いたし、ベトナム軍もハンザ市場の前の劇場に本拠地を置き戦を続けた。

この戦争は1954年フランス軍の降伏で終了したが、1800年代後半からずーっとフランスに統治されていた名残が、現在のベトナムの魅力となっているのはみなさんご存知のこと。

それはともあれ、のどが渇いたというので、近くのサトウキビジュース屋さんへ。

夏になると、街角でよく見かけるが、気にはなっても勇気がなかった。

友達が連れていってくれたのがきっかけでこの店にはいくようになった。

サトウキビを機械で絞るだけのシンプルなものだがこれが意外とあっさりして、冷たくておいしい。

わたしがカメラをだしていると、女の子がにっこり笑ってくる。

1杯4000ドン(28円)でいやしと元気がもらえたようだ。


果物

2008-10-29 09:56:16 | Weblog

10月29日

ホム市場は布地を買うのにわたしたちは、利用するが、1階部分は果物屋や、チェー屋が並んでいる。

久しぶりに歩いてみると、ベトナムもさすがに秋とよんでもよい気候になったためか、果物が豊富である。

アパートの朝食につく果物は、ドラゴンフルーツ、パパイヤ、スイカ、メロン、バナナと年中変わることはないので、その他の果物となるとあまり食べたことがなく、名まえも知らないようなものも多い。

これはカルタードアップル。日本名では、釈迦頭。

たしかにお釈迦様の頭を想像できるが、予想外に皮は柔らかく手でむくことができ、中は、白くて水分が多く、黒い種ごとに実がついている。

それをてきとうに切って口に入れると、カスタードの由来どうり、濃厚でクリーミーな感じである。

しかし、口の中の種と糟をもごもごとださなければならないので、どうも食べにくく、私の友人は大好きというが、いまいち好きになれない。

奥に並ぶのは、青いマンゴーとザボン。ザボンは、ベトナムでブオーイとよばれる。

一年中あるが、ハノイ産は秋に出回るようである。

酸っぱくもなく。個性的な味はしないが、みずみずしいのでわたしは、大好き。

ブオーイのサラダは、普段、家でも簡単に作れ結構おいしい。

手前のオレンジ色のものは、柿らしい。

熟した柿のような味といわれるが、渋いものがあるとかきくので、まだ食べたことがない。

隣はぶどう、ピンクのドラゴンフルーツ、後ろはマンゴーかな。ズウッーと後ろには、竜眼とかライチの親戚みたいな果物があるが、これらの季節は終わったので、なんの果物かわからない。

これはしらないけど、サボジラと本にある。

うす茶色のおおきめの卵のようなものとあるのでそうかなと。

ベトナム名でクアホング、柿の仲間で、実は茶色っぽくて柔らかく、柿に黒砂糖を加えたようなこってりとした味とある。

しずく型で皮はなしのよう、興味があったが、結局買わずじまい。

その後ろは、ザボン、みかんも並びだした。

みかんは種類がいくつかあるが、期待を裏切られずどれもおいしくいただける。

二人暮らしでしかもオットは留守がちとなると、買い物に行く必要もなく、買っても量が多すぎて食べきれないことが多いので、新鮮さが命の果物は特になかなか手がでない。

とはいっても、果物や野菜の並ぶ店先は、季節や住む土地のにおいが感じられ、見るだけでも楽しい時が過ごせるので、買うものがなくてもふらりと回ってみるのが楽しみともなっている。


再びホム市場

2008-10-28 22:27:56 | Weblog

10月28日

12月に一時帰国の予定があり、そろそろ準備をと思ったとき、アーッ、夏に息子が来たとき、友達からブラウスを託され、コピーでオーダーするようにといわれていたのがあったと思い出した。

取り出してみると、薄い夏用のブラウスであった。

ホム市場に行かなくては、でも、先日自分用に布地を買いにいった時、秋物ばかりがめについたけど、アレッ、薄い生地があったっけ、と心配になった。

たまたま、服飾関係の仕事をしていた友達と一緒の時、彼女に同行を御願いした。

いつもの市場の2階で生地を選ぶのだろうと思っていたら、あそこは暗いのでよく選べないからと、オーダーを御願いするテーラーさんのある通りに連れていかれた。

ホム市場でというと、わたしは、市場の狭い通路を右往左往しながら、大量の生地に辟易して、買い物もついなげやりになってしまうのだが、さすがに彼女はよく心得ていて、絹ものはこのお店、チェックはあそこ、と教えてくれながら、デザインにあった、生地を物色してくれた。

薄物なので、絹地も面白いとおもったけれど、布地代だけでメートル1000円をこし、これではここでオーダーする価値がないということに。

ついに、この店のものがよいということで、真剣に生地選びが始まった。

3種類の布地で、同じ形を3枚つくることにした。

次に、値段交渉が始まるわけだが、このあたりはわたしの不得意分野なので、いつもそこそこで切り上げてしまう。

彼女の場合、知識もあるものだから、交渉もまとを得て早いし、お店の人も圧倒されるのか、こちらのペースで即決してしまう。

前回一人で来て、自分用にと買ったとき、メートル9万ドン(630円)とかをやっと8万ドン(560円)まで下げ、冬用だから高くなったんだと、自分にいいきかせたものだけど、今回は薄物とはいえ、平均でメートル4万ドン(280円)くらいで買い物ができ、わたしの交渉のまずさがあらわになった感で、ちょっと反省した。

通りは生地屋がずらりと並び、圧倒されそうだが、少し目線を上にしてみると、やさしげな木がめにはいってくる。

これがハノイのいいところで、すごい喧騒には疲れてしまうが、どこででも深い緑と花に癒される。

いつも御願いしているテーラーさんは、このごろ忙しくて仕上がりまで、3週間もかかるようになった。

さーて、やり直しもできない過密スケジュールなので、気にいったものに仕上がってくれたらと、願っている。


郊外で感じたこと

2008-10-24 00:58:03 | Weblog

11月23日

ニンビンは、稲刈りの最中であった。

刈った稲は道端で脱穀し、家のまえから道路にかけて籾殻を干している。

わらの乾燥場所は道路である。

車もそれを避けきれず、踏みつけて走る。

家畜は家族の一員で、ニワトリ、ヤギ、ウシ、イヌ、ネコがゆうゆうとその上を歩いてゆく。

ニワトリにいたっては、籾殻を食べている。

ハノイの郊外も稲刈りのあわただしさが終わり、農閑期がくるのかと思っていたら、家族総出であらたな畑仕事が始まっている。

どうも作物を植えているようだ。

この前まで田んぼだったはずだけれど、どうして作物の苗が植えてあるの、と友達に聞いてみた。

この辺りは、一面とうもろこし畑が普通の状態で、田んぼとして使われたのが、特別のことだった。今回、田んぼから従来の畑に戻ったのだろうという。

ベトナムは米作りがさかんである。

今年は寒波で、米の出来が悪く、南の穀倉地帯の米は外国への輸出用のため回ってこず、北の地方は米が不足した。

米の不足は、最下層の人達の死活問題となり、暴動の起こる原因ともなるので、政府の農業政策のもと、生産調整がおこなわれ、畑が田んぼになったり、その逆もありうるらしい。

とりあえず、落ち着いたので、従来のとうもろこし畑に戻ったのであろうと、これも友達の話。

一年に米を2回作り、さらに、作物も育てている田んぼは、赤い土で豊かな土壌には見えない。

一年に1回だけしか米を作らない日本の田んぼで出来る、お米の美味しさの違いはここにあるのだろうか。


ニンビン 舟編

2008-10-19 21:12:18 | Weblog

11月19日

ハノイは大昔、海であったからか、このあたりは、どこにいっても湿地帯が広がる。

池や湖とともに暮らすための必需品、交通手段としても、小舟が必要になるのは想像できる。

海に出ることはないので、手軽、簡便なものでよいからか、身近な素材で小舟を作るため、地域によって形が違うようである。

このあたりは、岩山なので、木は思うように育たないので、竹を使うようになったのであろう。

ニンビンの観光の目玉は、この竹舟にのる舟遊びだ。

竹舟の製作日数は、およそ2週間、一艘の舟に約15本の竹を使い、舟の寿命は1年半位といわれる。

しかし、チャンアンで洞窟めぐりに使われる舟は、鉄舟であった。

こぎ手は後部にのり、これでは舟を進ませるのに力が必要だろうと、オットは心配したが、客にとっては、漕ぎ手と顔を合わせることもなく、見晴らしがよく好都合であった。チャンアンでも竹舟を見つけた。

漆喰のようなものを塗っていて、こんな舟は、はじめて。

おそらく、防水とか、腐食防止とかのためであろう。

南のニャチャンでみた、竹のざるを大きくしたような舟も印象に残っている。

生活のかたわらに水辺があり、そこに生きる人たちの知恵とたくましさを感じる。

手入れが簡単で長持ちする材料が手に入るこの時代に、まだまだ残っている自然素材のやさしいものに出会えることに、わたしはひかれてしまう。


バイディン寺

2008-10-18 23:09:03 | Weblog

10月18日

前回お話した、チャンアンから4㎞程の距離にある、バイディン寺まで足を伸ばした。

そもそも、チャンアンを知る理由は、知り合いが、大きなお寺とトラック50台の取引した時、その取引先から、ぜひチャンアンに行ってみなさいと進められたためである。

 お寺の参道に大きな仏像を運んで設置するため、50台ものトラックが必要となったらしい。

なんのために50台ものトラックが必要性なんだろうと興味を持ち、お寺を訪ねてみた。

チャンアンへの途中、大きな狛犬をのせた道幅いっぱいのトレーラーが交通渋滞を起こし進めない。

この狛犬が電線に引っかかるので、同乗者が電線を棒で押し上げながら通行していた。

この辺りは石灰石が多いので、石像造りがさかんといっても、この狛犬は多き過ぎ、いったいどうするんだろう、なんて話していたら、ちゃんと、このトレーラーがバイディン寺に駐車していた。

 バイディン寺の駐車場から本殿までバイクタクシーを使う、なんて説明があるので心配したが、車は目的地まで進入することができ、バイクタクシーに乗るチャンスはなかった。

山を崩した広い敷地に大きな伽藍が点在している。

本殿と思われる建物の中には、大きな阿弥陀様が3体置かれている。

大きいね、奈良の大仏さんみたいな感じだけど、なんで3体もあるのだろう。

奈良の東大寺の大仏は、1000年以上も昔の話で、仏教を広めるためと、民衆に畏怖の気持を持たせるために造られたと記憶しているが、この現代になんのため、こんな大仰なものを立てる必要があるのだろう。

ベトナムの大金持ちが、奈良の大仏のようなもの、それも3体も造って人目を引き、チャンアンとこの寺を組み合わせ、一大観光地にして人を呼びたいという目的で建設しているらしい。

まだまだ、建設途中でほこりっぽくて、なにもかもがピカピカでご利益はなさそうだけれど、これが数十年後、建物が落ち着いてそこそこ時代を感じさせるようになった時、当初の目的である、奈良のような歴史と賑わいをもつ史跡にとなることを、祈っている。


ニンビン省チャンアン

2008-10-15 10:45:42 | Weblog

10月15日

この週末、ハノイの南、およそ150㎞、車で約2時間のニンビン省(人口90万人)の省都、ニンビンに行ってきた。

ハノイに都がおかれる以前、ここのホアルーという場所に都がおかれていたところでもある。

ハノイに都が移されて、もうすぐ1000年になるので、かなり、昔のことであるが。

なぜ、ハノイに都を移したかというと、このホアルーは石灰岩の石の上に都を作っていたため、夏は石の上が焦げて暑くてたまらない、冬は石が冷たくなって寒くて我慢が出来ないというので、都を移そうということになった、と歴史の先生はいっていた。

たしかに、ここは、岩山と沼ばかりで、すむところは限られそうだ。

 もう一つの名前は、陸のハロン湾、石灰岩の奇岩奇鋒が連なる風光明媚なところといわれている。

友人にすすめられた、チャンアンというところに行ってきた。

このチャンアン、将来観光地としての大きな構想があるらしいが、現在は構想半ばで、道路は施工中のでこぼこ道であったり、途中で切れていたり、かなり、秘境に近く、ベトナム語しか通じず、トイレもレストランもなくて、なかなか苦労した。

9つの洞窟を、手漕ぎのボートでくぐりぬけて回る2時間30分コースは、乗船料6万ドン(420円)。

 日本には、世界にほこる山口県、秋吉台の秋芳洞があり、北九州で育った私には、大変身近な場所なので、鍾乳洞ときいても、そう驚かない。

ただ、ここのは、小船に乗ってゆくもので、どんなものかと思っていた。背をかがめなければ、通れない、しかも、暗いし、バランスをくずすと下は水だし、で結構緊張する。

それで、出口が見えるとほっとしたりして、ゆったり広がる空を見上げたり、ハノイの喧騒なんか忘れてしまいそう。

水辺に建つ家の雰囲気もいいでしょう。

観光地として売り出したいのも理解できるけど、このままにしておきたい。

しかし、ここに住む人達の現金収入を得る道でもある。矛盾を感じながら、帰途についた。


香港旅行 樹木編

2008-10-08 08:23:59 | Weblog

10月8日

香港編、最後になります。

前回もお話した、夜景のきれいな丘に登ったときのこと。

山の上に、道路を作ったり、高層の建物を建てたりしているため、残った部分は、山の土が流れないように、コンクリートで土留めがしてある。

というか、木の根の周りだけ残して、あとは、山全体をコンクリートでおおっている。

ここは、亜熱帯気候の土地柄である。

この気候に生きる樹木は、旺盛な生命力を持っているため、コンクリートから、根がはみだして、逆にコンクリートをおおってしまうかたちとなっている。

香港を歩く間、土を見かけなかった気がする。

ぎりぎりまで、コンクリートで土をおおっているのは、自然災害から、生活環境を守るために必要なことだったのであろう。

熱帯地方の木の生命力は特別に旺盛なので、この地方特有の厚くて濃い葉っぱにおおわれたどっしりした木が、したたかに根っこをはって、コンクリートや岩をおおっている姿は、わたしのほうが、昔からここにいるのだから、と主張しているようで、壮観であった。

 ハノイから、同じような木にな慣れたわたしが、香港で特に、ひかれた木がある。

公園を散歩した時、その木に名前がぶら下がっていた。

ホーステールツリーとある。

細長い、針のような葉っぱから高い空が透かして見える。

わたしが、松の木の親戚かしら、松ぼっくりのようなものが着いている、というと、オットは、葉っぱの感じが違うので、親戚でないだろうという。

わたしの好みは、全体的に、すっきり、ふわふわ、シンプルであること。

このところ、熱帯環境に生活しているため、なかなか、これ好きっていうものがなく、今回この木に会い、なんだか嬉しくなりました。


香港旅行 建物編

2008-10-07 00:43:16 | Weblog

10月6日

 香港は高層ビルの立ち並ぶ都会、ということは常識ですよね。

世界の高層ビルの5本にはいる、86階とかを誇るビルがあるらしい。

ヴィクトリアピークから見下ろした、摩天楼はこれぞ香港という感じ。

夜に訪れたら、また違った風景が広がり、素晴らしいと聞いている。

我がオットは、高いところが苦手なので、ビルをみるたびに、ため息をついていたし、僕には住めないとしり込みをしていた。

山の中腹に60階立てとかのアパートがあった。

このビルに住むとしたら、まず、山の上にあるので、足元がすでに空中である。

そこからは、地面は見えないし、外に広がるのは空しかないだろう。

窓は開けられないし、空調のなかで、風のささやきも、木々のそよぐ姿も見られない。

昆虫も、鳥すらも飛んでこないだろうし、窓の外に見えるものが無いというのは、不安になってしまいそう。

そんな生活は、人間的でないように思える。

この空間での生活では、人間的になにか欠落したものがでてくるのではないかと、心配になったりもした。

まあ、こんなことは住んでみないとわからないので、余計なことではあるけれど。

で、グラウンドレベルに戻り、ほっとした時、なんだかミスマッチに思えたのは、ビルのメンテナンスの足場の組み立てに、竹を使っていること。

たしかに、中国は竹が豊富ではあるけれど、こんな大都会のそれも高層ビルの足場に竹を使うなんて、大丈夫なのかしらと少し驚いてしまった。


香港旅行 帽子編

2008-10-05 23:56:18 | Weblog

10月5日

香港の気候は、ハノイ同様亜熱帯気候で、緯度もほとんど変わらない。

したがって、夏の暑さはハノイ同様かなり暑いと考えられる。

昨日も、ハノイの気温は33℃だったが、それと同様な蒸し暑さがずっと続く気候であろう。

ベトナムのイメージといえば、ノン笠をかぶったアオザイ娘に代表される位、この国の帽子は有名である。

私はかぶったことがないが、風通しがよく、日よけには最適で、日常生活にかかせない、すぐれもののようである。

 で、同じ気候に属す香港はどんな日よけ対策があるのだろうと、興味があった。

 さすがに、街中では見かけなかったけど、水上生活者の多い地域で見かけたのが、この帽子。

ベトナムのは、草で編んでいるので、見た目も感触もやわらかい感じがするが、香港のは竹のようなもので編んでいて、かっちりしていて硬い感じ。

かぶるとずれるのではないかと心配したけど、そうでもないらしい。

この帽子もおそらく、身近な材料を使い、生活環境にあわせて作られたものであろう。

早朝の公園の清掃作業の人たちのスタイル。

強い日差しをさけるためには、こんな、つばの広い麦わら帽子が必要なのであろう。

この生活必需品、身近な材料で、気候にあわせて作られるものといえ、ご当地らしさがでていて、興味深かった。