ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

ベトナム陶器について

2010-06-25 12:27:31 | Weblog

6月25日

 ヘリテージのツアーガイドの予習で、ベトナムの陶器について少し調べてみた。

 ベトナムの焼き物が安南焼と呼ばれているのは、中国からみて暑いところ(つまりベトナム)から渡来した焼き物ということからきているそうだ。

 ベトナム北部では質のよい陶土が多く採土されていたようで、日本ではベトナムの焼き物は主に茶陶としてこの名称で親しまれている。

 1630年から1635年の短い期間にたくさんの御朱印船との交易があった。

ベトナムでは16世紀頃までは焼き物の素晴らしい技術があったが、17世紀にはいるとこれまでの隆盛はなくなり、粗略な作品となってしまったが、この時期に日本に輸入された多くの作品は粗略ゆえに茶人が尊ぶところとなった。

 それは、わび、さびの心をもつ日本の茶人たちからは、釉薬がみだれていても、多少ゆがんでいても独特の美意識があったため、かえってもてはやされたのではないかといわれている。

 安南焼には、安南染付けと、安南青磁があり、染付けは白磁の釉下にコバルトで絵付けをした磁器のことで、青花(ホアラム)とよばれ、おもに中部のもので、フエの青とよばれている。 

 日本では「絞り手」と呼ばれているもので、灰分の多い釉薬う使っているので、流れやすく、釉薬とともに呉須の文様も流れてぼやけたものが多いのが特徴となっている。

 トンボのような模様の絞り手は日本でしかみられないことから、当時の日本の茶人がベトナムに注文していたのではないかといわれている。

 安南青磁は1400年頃、中国の陶工がベトナムに移住してきて窯を築き、本国から持ってきた釉薬を使って焼いた青磁のことで、バチャンあたりで作られ、細かい割れ目が入っているのが特徴となっている。 

 福岡近辺は焼き物が有名で、焼き物を焼く友達の影響で有田や伊万里、その他色々な焼き物の里を訪れていた。

 ベトナムでも興味があるが、日本ではバチャンの焼き物は100円ショップにおかれているので、価値としては寂しいが、ベトナムの陶器の歴史は深く興味深いものがある。

ベトナムは昔から中国や近隣の国との戦いが続いたし、フランスの占領時代、独立戦争、その後のベトナム戦争と、ついこの間まで戦争があった国で、文化財は壊されたり、国外に持ち出されたりしているのは残念なことだ。

 しかも、現在も研究、保存までの国家的なゆとりもないようだが、これからに期待するとしよう。


高温情報

2010-06-21 17:59:33 | Weblog
6月21日

ベトナム語の先生がインターネットからとってきたという、天気の危険情報をもってきた。

先週の一週間は、北部と中部の海岸地域の広域にわたって、危険なほどの暑さだったらしい。

6月19日、北部のハノイは40.4℃、ホアビンは41.8℃、バービーは40.8℃、中部地域は軒並み、42℃を記録している。

しかし、寒冷前線が南下してきて、6月20日の夜にかけて豪雨が降り、先週からの暑さはやわらいでくるということであるが、先生はこの暑さは50年ぶりといわれているという。

これで暑さもおわりかしらと聞くと、7月にまた暑くなるけど、今月は一応峠を越したそうである。

発表された温度は日本でいう百葉箱みたいなところで計られたものなので、日盛りはこれ以上で、お日様のあたるベランダに置いておいたら、45℃をこえていて恐ろしくなったと、友達もいっていた。

いま街中は停電が多い。

停電はあらかじめ連絡がある計画停電と、突然のものがある。

友達もご主人は計画停電で会社が休み、アパートは朝から突然の停電で家の中は暑いし、街をふらふらしていたといっていた。

先週の火曜日、ゴルフ場が混んでいたのは、工業団地が停電で、仕事ができないので、ゴルフ場にきている人が多いからとキャディーさんがいっていた。

マッサージも停電で暑いので、予約をキャンセルさせてと連絡がはいった。

なにはともあれ、暑さは小休止のようである。

とにかく毎日暑いです

2010-06-20 18:52:29 | Weblog

6月20日

この一週間、毎日気温が40℃を超す日が続いている。

 体温以上の気温はけっこうしんどくて、家のドアを開けたとたん、針のような熱気が体を刺しにくる感じである。

 暑いからといって、私達の毎日の生活がかわるわけでなく、日々の予定をこなしている。

ゴルフももちろん行っているが、この暑さでばてるわけにはいかないと、プライベートのときはカートを使うようにしているけど、それでもけっこうへばってしまう。

 今月のヘリテージのツアーは「歴史博物館」、今回はツアーガイドのため、水曜日に下見に行ってきた。

この日も、外は炎暑、この暑さを写真に入れたいとかいいながらオペラハウスを写してみた。

さすがに、道ゆく人も、バイクも日中はすくない。

タクシーをひろうため、ソフィテルメトロポールまで歩いた。

 せっかくなので、デリカテッセンでお買い物をしようと中にはいると、別世界である。

 薄暗いロビーのなかでひっそり存在感があるのは、旬のはすの花。

このホテルのアレンジは最高に好きなもののひとつで、清涼感があり、しばらく暑さを忘れさせてくれた。  

ハノイの生活は、嫌なこともあるけど、素敵なものもあって、暑いのが嫌だとかいわないで、お気に入りにであえると、嬉しくなってしまう。


坂田雅子さんとフイルムについて

2010-06-13 17:45:00 | Weblog

6月13日

坂田雅子さんのドキュメンタリー映画「花はどこへいった」を見てきた。

 このフイルムを見る前に、ご本人とお話させていただく機会があり、とても素敵なかたで、この人がなにかするとき、ぜひお手伝いをさせていただきたいとは思ったが、まずはフイルムをみて、それから考えようと思った。

 70分のフイルムはいきつく間もなくあっという間に終了し、見る前に思っていたことが切実となった。

 ご主人が肝臓がんで亡くなり、べトナム戦争で浴びた枯葉剤が原因でないかと指摘した友人のことばから、枯葉剤について調べはじめたということである。

それまで、彼女は結婚する時、枯葉剤を浴びているので子供は作れないとはいわれたが、結婚後、枯葉剤について彼の口にのぼったことはなかったし、思いだしたこともなかったらしい。

その時、原爆被爆者の方達が語り部になるのに大変な決心をして、自分が話さなければ原爆の苦しみは忘れられてしまうということではじめたという記事を思い出し、ご主人の苦しみと重ねあわせると、重い苦しみは人に話すには耐えられないことなんだと思った。

 「知ることで世界が見えてくる」みたいなことばがあり、まさしく、このフイルムをみることで、今私達が住んでいるこの国の35年前に終結したはずの戦争のその後が、まだ続いているということがわかった。

アメリカを対戦相手にした日本は、たった2発の原爆で65年たってもいまだ苦しんでいる人たちがいる、35年たったベトナムの苦しみはまだ若いし、これからも続くことであろう。

坂田さんは、アメリカ人でなく、ベトナム人でなく、なぜ日本人がこれをやるかというと、当事者にはあまりにも現実すぎて現実から目をそらしていたいから、だからこそ彼女が発信しなければならないとおっしゃる。

 この国で暮らしていて、お金を稼いで幸せになりたいというすごいエネルギーに圧倒されたり、こずるさにだまされたり、したたかさにいやになることがある。

 それはそうとして、この国にご縁ができ、ここで生活させていただいているうえ、戦後世代でありながら、戦争の残したものを学習している私たちに、どんなお手伝いができるのか……

ご本人が何を望んでいるのか、何を期待するか、時間をかけてお話を伺いながらあせらず、自分のできることでお手伝いさせていただきたいと思っている。


昼からカラオケ

2010-06-10 23:21:32 | Weblog

6月10日

 昨日、イベント抜きで、ただカラオケに行ってきた。

 ハノイのカラオケは男性天国だが、最近昼間の時間の有効利用として、時間貸しをするお店がでてきた。

今回のお店はクラブプリンセス、友達がここのママから営業をかけられた。

利用料金は1人、1時間、5ドル。

 すべて持ち込み可なので、隣のレストランからお弁当をとり、飲み物は各自持参とする。

 カラオケルームはマダム達にはなにかとお騒がせだが、今回のお部屋はテラスルームを指定され、なんとも健全であった。

 ハノイではお若い方とのお付き合いが多く、わたしは浮いてしまうかと思ったけど、歌われる歌はあまり世代間ギャップがなく安心した。

 歌詞を追いながらじっくり歌をきいていると、日々の生活に追われて忘れてしまっていた昔のことや、ピュアな気持をもてていたときのこととかを思い出し、胸の中でしばらく昔のわたしと語りあってしまった。

いつもはみんないいお母さんやいい大人の顔の役割時間帯で、学校やご近所とのお付き合いをじょうずに折り合いよくこなしていっているが、日常から離れたこの時間帯では、一人ひとりに青春があり、思い出があり、そこからいままで知らなかった人柄がみえてきたりして、素敵だなと思った。

 歌うことってもしかしていいものかも…と、思える時間を過ごさせてもらった。


チャリティーコンサート

2010-06-08 22:34:36 | Weblog

6月8日39℃

先週の土曜日、ソフィテルメトロポールで眼科医の服部先生を支援するチャリティーコンサートが行われた。

 チケットの売り上げから実費を引いた金額、協賛企業、個人からの寄付を先生の活動資金として寄付することになっている。

 カジュアルな服装、子供同伴はだめというソーシャルなものでもあった。

 服部先生は、2002年から、ベトナム国立眼科病院で内視鏡を使って、網膜剥離や糖尿病網膜症などの最先端の治療、指導を行っているが、ベトナムでは報酬をいっさい受け取らない。

ではその活動費用はどうやってまかなっているかというと、先生のもつ高い技術での治療を待っている日本の患者さんのために日本中を回って手術をし、その報酬をベトナムでの旅費、滞在費、治療費などに当てている。

そのためベトナムの「赤ひげ先生」とも呼ばれている人である。

 先生の活動はテレビで報道されたり、いろいろな賞を受賞したりして広く知られるようになった。

以前先生のお話を聞きに行った時、ベトナムの貧しい人たちは100ドルの手術費で目がみえるようになるのに、その100ドルが工面できないため、暗闇の世界で暮らしている人たちが非常に多い。

先生のうわさを聞きつけ、遠くから手術を受けさせてとやってくる人たちを見捨てるわけにいかず、この活動を続けているということだった。

 今回のようにベトナムに住む外国人も応援してくれるようになったが、早くベトナム人医師が育って、先生のかわりに手術ができるようになってくれたらいいのにと思う。

 このようなチャリティーコンサートは今年で2回目で、今年はチャリティーオークションなどもあり活発だったが、ちょっと流れについてゆけなかったわたしには、まだまだ社交は縁どおいもののようである。


テニスレッスン

2010-06-06 12:30:50 | Weblog

6月6日

先週は、テニスのレッスンを2回も受けてしまった。

 体力的にしんどいので、このところ、テニスは、敷地内のコートで水曜日のみとしている。

その水曜テニスで、夏休みを前に、本帰国する人と、一時帰国をするひとが多くなり、どうやって活動を続けていこうかということになった。

テニスのレッスンをいれたら時間がつぶれるし、人数のことも心配しなくていいし、コーチも夏休みにはいりレッスンのお休みが増えるだろうから、忙しい人だけどとりあえず聞いてみようということになった。

 返事は、定期的には無理だけどOK。

 ベトナム人のコーチはビエット、彼のレッスンは走らされるので、少し辛い。

 で、翌日は、バンコクから1年に何回か、ハノイのテニス向上のため有志の人が招待してくださる、澤田コーチのレッスン。

 暑いので、わたしは最後の時間帯のレッスン。

 嫌だ嫌だといいながら、ワイパーのストロークや、ストロークボレーの練習など、新しいテニスに挑戦したが、先輩はよく我慢して、やってくれたとコーチからはなぐさめの言葉をいただいた。

前日レッスンを受けたビエットがアシスタントで、玉だしをしてくれる。

 ビエットは澤田コーチからコーチ術を学んでいるので、引き続きワイパーとストロークボレーのレッスンになるんだろうなあ。

 この澤田コーチ、以前からすごく黒いなあとは思っていたけど、今回黒さがまして、お話をきいている時、お顔のなかに目をさがすのが大変で、まず目を探してと思うとなかなか集中してお話を聞けなくて苦労した。

 バンコクの日本人学校の生徒は、2000人、ハノイは200人ちょっと、バンコクくらいの人数がいれば日本人社会が確立して、文化的なものも日本に遅れることなく伝わるのだろうが、ハノイにはそれがない。

 ベトナム人コーチでもそんなに不足はないが、日本語で新しいテニスとか、ニュースがはいってきて楽しく、このレッスンを企画してくださったかた達に、感謝している。


我が家で送別会

2010-06-05 09:27:08 | Weblog

6月5日

もう一週間も前のことになる。

 会社の若いカップルが2年間のハノイでの新婚生活を終え、今週末に帰国する。

 旦那さんが我が家の息子と中高が同じ学校でしかも部活で2年先輩という、非常に気持ち的に近しい存在なので、息子と離れている分、勝手にハノイのお母さんを自称している。

 そこで会社の近しい人に声をかけ、食事会をおこなった。

 メニューは若者むけに、お肉中心、前菜、刺身、サラダ、串カツ、スペアリブ、エビのマヨネーズ和え、ユーリンチー、などなどで、最後にカレーをお出しする。

 デザートはもう久しくたべられないだろうと、旬のフルーツと、No2のカラメル。

お花は、いま出盛りのはすの花を用意した。

 わたしがハノイにきてからの2年半、月1ペースくらいで食事会をひらいているが、材料調達がだんだん便利に楽になったように思える。

 週一のメイドさんには主に買い物を御願いしているので、市場にいくこともないし、近所に日本人の経営するお魚屋さんができたので、そこでお魚を選んでお刺身にしてもらえるし、あさりもあるので、お味噌汁などを作って喜んでいただける。

 最初のころ、遠くのスーパーや韓国グロッサリーでお肉とか野菜を買いに行き、お魚は出入りの魚屋さんに注文してあるもので揃えて届けてもらったりしていた。

そうはいっても今回も調味料が探し出せなくて、やっぱり遠くのスーパーまで買いに走ったり、まだまだ不便に感じることがあるが、以前に比べるとと思って納得するようにしている。

 新婚生活をハノイで送ると、帰ったときの生活を便利とかんじるか、不便とかんじるか。

 ハウスキーピングがはいるので、タオル、シーツの交換、ペーパー類の補充とうは気にする必要がない。

 家具家電も最低限揃っているのですぐに生活できたが、今度は社宅にはいり、布団、家電、生活雑貨から揃えてゆくのは大変。

でも2年の準備期間があったので、あれもこれもわからないままに揃えるのでなく、取捨選択ができるだけの学習はしている。

 大変だろうな、と思う反面、賢いカップルなのでうまくやってゆけるだろうとか、ハノイから送りだす寂しさがせまってき始めた。

 そうぞお元気で、楽しい第2の新婚生活をスタートしてください。