6月25日
ヘリテージのツアーガイドの予習で、ベトナムの陶器について少し調べてみた。
ベトナムの焼き物が安南焼と呼ばれているのは、中国からみて暑いところ(つまりベトナム)から渡来した焼き物ということからきているそうだ。
ベトナム北部では質のよい陶土が多く採土されていたようで、日本ではベトナムの焼き物は主に茶陶としてこの名称で親しまれている。
1630年から1635年の短い期間にたくさんの御朱印船との交易があった。
ベトナムでは16世紀頃までは焼き物の素晴らしい技術があったが、17世紀にはいるとこれまでの隆盛はなくなり、粗略な作品となってしまったが、この時期に日本に輸入された多くの作品は粗略ゆえに茶人が尊ぶところとなった。
それは、わび、さびの心をもつ日本の茶人たちからは、釉薬がみだれていても、多少ゆがんでいても独特の美意識があったため、かえってもてはやされたのではないかといわれている。
安南焼には、安南染付けと、安南青磁があり、染付けは白磁の釉下にコバルトで絵付けをした磁器のことで、青花(ホアラム)とよばれ、おもに中部のもので、フエの青とよばれている。
日本では「絞り手」と呼ばれているもので、灰分の多い釉薬う使っているので、流れやすく、釉薬とともに呉須の文様も流れてぼやけたものが多いのが特徴となっている。
トンボのような模様の絞り手は日本でしかみられないことから、当時の日本の茶人がベトナムに注文していたのではないかといわれている。
安南青磁は1400年頃、中国の陶工がベトナムに移住してきて窯を築き、本国から持ってきた釉薬を使って焼いた青磁のことで、バチャンあたりで作られ、細かい割れ目が入っているのが特徴となっている。
福岡近辺は焼き物が有名で、焼き物を焼く友達の影響で有田や伊万里、その他色々な焼き物の里を訪れていた。
ベトナムでも興味があるが、日本ではバチャンの焼き物は100円ショップにおかれているので、価値としては寂しいが、ベトナムの陶器の歴史は深く興味深いものがある。
ベトナムは昔から中国や近隣の国との戦いが続いたし、フランスの占領時代、独立戦争、その後のベトナム戦争と、ついこの間まで戦争があった国で、文化財は壊されたり、国外に持ち出されたりしているのは残念なことだ。
しかも、現在も研究、保存までの国家的なゆとりもないようだが、これからに期待するとしよう。