ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

タムダオでさようなら

2011-03-30 21:28:23 | Weblog

3月29日 くもり 20℃

タムダオゴルフコースは水曜日はレディースデー、ラウンドとソフトドリンク、食事がついて、40ドルとお得な日。

わたしには、レギュラーでゴルフをする友達のほかに、4月に日本に帰ってしまう、月に1,2度のペースでいっしょにラウンドをする友達がいて、ここのゴルフ場が彼女のお気に入り。

ハノイに暮らし始めて早々、最初にテニスコートで会い、次に、婦人会のウェルカムの席にいたので、どうしてあなたがここにいるの?ときくと、わたしが婦人会の会長なのよ、という答え、あらッごめんなさい、よろしくね、ということからお付き合いが始まった。

彼女は結婚生活の20年以上をアジアの諸国で暮らし、ハノイは2度目で通算8年暮らしていて、ベトナム語と食べ物にとてもくわしい。

尊敬しているし、いろんなことを教えてもらったし、楽しい時間をいっしょにすごした。

タムダオはほとんど彼女と一緒だったので、たくさんの思い出がある。

ボールは必ずゴルフ場近くの店で補充する、はじめてのお買い物の子は、真剣にボールを選ぶ。

高原に向かっていく途中はすごくのどかで、車の数も少ないので、牛ものんびりお散歩できる、そして、夏の飲み物、サトウキビが売られるようになり、季節は確実にうつろっている。 

このグループで廻るゴルフは、じょうだんや軽いけなしあいがずっと続き、いつも笑いがたえない。

ラウンドが終わると、いつもはそそくさと帰ってしまうのだが、今日はテラスですこしゆっくりして山の緑を楽しもうよと、ビールで乾杯。

一緒にいろんなことをしたことが思い出されて、一人になると涙がでてしまいそう。

きっとまた会えるよね、高知まで遊びにいくからね、とりあえず、さようなら…

 


自転車

2011-03-28 17:55:03 | Weblog

3月28日 くもり 18℃

東京に桜が開花したそうで、春本番。

ハノイはまだ肌寒く、もう何ヶ月お日様の顔をみていないだろう…

ドンアイン村の自転車、すごく錆びているけれど、現役です。

荷台の横の籠は、野菜を入れて運ぶため。

両側の籠にぎっしりキャベツや野菜を詰めて、バランスをとるのも難しそうだけど、みなさん力いっぱいペダルを踏んでいっています。


ちょっといい話

2011-03-26 20:05:49 | Weblog

3月26日くもり16℃

友達のブログで桜の花がひとひら、ふたひら咲いたとあったけど、どうしちゃったのか、ハノイはまだまだ涼しい。

これはオットが仕事先で聞いてきた話だけど…

取引先であるベトナムの国営工場に行った時、今回の日本の状況についてのお悔やみをもらった、そしてこの工場はホンダとかトヨタとかの部品を作っているので、ここの社長はすぐにホンダやトヨタの会社にお悔やみをいいに行き、その後社員による義援金を集め総額5万ドル(500万円弱)のお金を大使館に持っていってくれたそうだ。

また、日本人がよく使っているゴルフ場のオーナーは100万ドル(1億円弱)の義援金を大使館に持っていってくれたそうである。

いまだに最低賃金が月1万円にもいかない国の人たちが提供してくれて集められたこの金額には驚くし、頭が下がる。

ベトナム人は自分の国のことにしか関心をもっていないと思っていたけど、今回の自然災害は世界の人が悲しみを共有するに値するほどすさまじいものであったし、新たな原発の事故の惨事も心配してくれているのがわかる。

まして、私達の先輩が長い歴史のなかでつちかってくれためげない強い日本への賛辞があるのでは…きっと立ち直る…と、先輩方に感謝である。

先日行ったドンアイン村の子供たち、素朴さと、笑顔がまぶしい。

 


鳥バイク

2011-03-24 19:18:09 | Weblog

3月24日 曇り 18℃

ハノイの物品運送手段はほとんどがバイクである。

だから、どこまでどうやって積むか、積載量とバランスの戦いである。

積む、ぶら下げる、重ねる、人の手でもつ、バイクで引く、等なんでもあり。

結構アレッと思うことが多いが、カメラがなかったり、車の速度とうまくいかなかったりで、なかなかタイミングが取れない。

晴れているから、これは去年の秋くらい。

 

車の窓から何気なくそとを見ると…

鳥がぎっしり籠につめられて、後ろもぎっしりだけどとりあえずおおいはしている。

ずーっと車の横を走っているので、鳥と目があってしまった。


ブタバイク

2011-03-21 21:17:50 | Weblog

3月21日 くもり 18℃

地震の被害、被災者の現状、そして原子力発電所の不安な状況、毎日報道されるニュースに、心を痛めています。

こんなとき、私に何ができるだろうかと考えたら、ベトナムのハノイの元気を送って、くすっとでも笑っていただけたらと、ありえないを掲載してみようと思い立ちました。

今日の面白は、ブタバイク 

朝と夕方の市場で売られる豚肉は冷蔵ができないので、バイクの後ろにこんな感じでのせられて運ばれます。

いつもはブタだけなのに、今日のは、ブタの上に女性が腰掛けています。

運搬の手伝いなのか、用事があってちょっと乗せてよ、というのか、女性の勇気に感服。

 


アオババパーティー

2011-03-20 20:19:53 | Weblog

3月20日 くもり 18℃

ハノイに来た友達は、ハノイは病気の人が多いの?とか、朝の散歩はパジャマでするの?とか、昼間もパジャマで歩くの?と必ず聞いてくる。

違います、これはれっきとした外出着です。

通称アオババ、上着とパンツがおそろいの布地で作られた洋服で、アオは上着、ババがどういう意味なのか、おばあさんのバーか、数字の3(バー)でもとは3ピースだった、ではあとのひとつは上着?とか…アオババの由縁はわからない。

ジャージーのようなやわらかい布地で作っているので一見パジャマにしかみえないが、ベトナム人は寝る時はちゃんと寝巻きに着替えるそうだ……寝巻きにどんなもの着るの?

アオババを着るのだけは絶対にやめよう、ベトナム人になってっしまうからと思ってはいたが、シャワーの後用に買ってみたら、妙に着心地がよいので、気づくといつも着ていて、何気に家で枚数が増えている、絶対お勧め、と友達がいう。

でもひとりで買う勇気はないので、アオババを着てパジャマパーティーならぬ、アオババパーティーをしようということになった。

子供の受験で日本に帰ってしまった友達が、たまたまハノイ日本人学校の卒業式に短期でもどってきたので、この際やっちゃおう、と急きょ、代表2人でシルク村にみんなの分を買出しに行ってきた。

10枚必要、最初は無難におとなしめのものを選んで20万ドン(800円)、いろいろ見て歩くうちに、これもありだよね、とベトナム人が普通に着ている柄は10万ドン(400円)。

さて、家に帰って着てみると、ジャストフィットで以外にきれいなシルエットがでるし、どれも100㌫シルク?でやわらかく着心地がよい。

夜が涼しかったので、この日は下にティーシャツを着てこれもいけるかも、下をジーパンにしたら朝の食事もOK、とみんないたく満足。

集合写真はブログにのるかも、目だけ隠そ、といったのに、誰かピースマークをやちゃった人がいる。

これはOK  

明日の朝食会場に、本当にみんなきてくるのかなあ…


送別ゴルフ

2011-03-15 18:49:08 | Weblog

3月15日 雨 20℃

この春、移動が半端なく多く、私達年代がごっそり日本に帰ってしまうので、今日も送別ゴルフ。

日本が大変な時にこんなことしていいのかと、心が重いのだけど、今すべきことがわからないので、予定はこなしてゆくしかない。

ハノイの季節はまさに春、田植えもすみ、近隣のお寺はお祭りなのか旗が並んでいて、華やかだし、一仕事終えたのんびり感も伝わってくるような…

しかし、春は雨の季節でもある、突然の雨に、ビニール袋をかぶり頭だけはカバーするというスタイルはほほえましい。

ゴルフ場は、平日なのに、男子がコンペをやっている。

工場が計画停電で稼動できないので、ゴルフにきているらしいが、のんびりで時間がかかってしかたがない。

ベトナムの計画停電は普通、逆に日本の計画停電の几帳面さに驚くし、テレビに移る整然と並んで順番を待つ被災者の姿をみて、この国の人は度肝をぬかれるらしい、ここには順番を守るとかいうきまりはないからなあ…。

日本の原子力発電所の爆発の影響で、午後4時に、放射能が飛散してきてフイリピンに到達するとか、チェーンメールだとは思うけど、そんな情報が携帯にはいり、また、心がふさいでしまう。

はじめ穏やかだった天気も最終には大荒れになり、天も怒っているようだ。

送別会の席で、わたしたちができることをなにかやろうと……、日本に帰る人の荷物や供出していただくもので、4月13日にチャリティーバザーを行い義援金を集めることにした。

お手伝いできることがもっとあるかもしれないけれど、まずはできることをやるしかない。


大変なことが起こった

2011-03-13 06:21:27 | Weblog

3月13日 くもり 24℃

金曜日、会社のランチ会。

2時過ぎのころ、お子さんの病気で欠席した人や職場の主人たちから「日本で地震があり、家族に連絡したほうがよい」という連絡がはいり、それぞれの家族に連絡を入れるが通じない。

みんな不安になり、すぐ帰宅し、テレビをつけると、すごい映像が流れている。

私も子供に連絡をとってみるが、通じない。

山口にいる子と深夜連絡がとれ、連絡があったということでまずは一安心。

しかし、胸がわやわやして、落ち着かないし、寝ていてもずーっと夢のなかで地震の映像が流れていて、不安でしかたがない。

翌朝、オットから東京に暮らす親戚と子供たちと連絡がとれたとあり、安心したけど、ほんとうに大変なことが起きた。

土曜の夜、一日半遅れの新聞が届き、広げただけで、また心がふさぐ。

なんといってよいかわからない。


3回目のハノイガイドカバーつくり

2011-03-11 08:10:20 | Weblog

3月11日くもり20℃

一年はあっという間、ハノイは、学校の休みのたびごとに、一時帰国をする人が多いので、年間計画ははやめにやっておかないとあわててしまう。

昨日は11月のバザーにむけてのハノイガイドカバーを作る日。

総勢28名、30部準備した。

事前の準備が大変。

紙、のり、布地の買い物からはじまるが、だまってそれをやってくれる人。

そして、厚紙をサイズに切ってくれる人。

布地を裁断してくれる人、そこに刺繍をしてくれる人。

仕上がったカバーは整然ときれいだが、作業中はなんともこのとうり、はさみ、のり、が乱雑におかれている。

わたしは、仕上がったものに絵をいれさせていただく。

参加してくださる人、全体のながれをみながらスムーズにいくように気を配ってくださる人、誰かがいやだといえばできないことである。

わたしはといえば、今回なにもしなかったなあ、赤ちゃんと遊んでいただけ、一冊つくればよかったと反省している。

今回3回目、だんだんみんなの経験が知恵を生み出して作品も一段とバージョンアップしたような…。

ハノイガイドはハノイでの生活必需品、カバーがハンドクラフトの定番となり、みんながバザーで購入するのをまっていてくださるようになるといいな…、と思っている。

製作に協力してくださったかた、ありがとうございます。

 

 

 


国際婦人デー

2011-03-08 17:26:37 | Weblog

3月8日くもり20℃

数日前から路上に花束がたくさん並んでいると思ったら、今日は、国際婦人デー。

私達にはあまり身近でないので、なんのことか調べてみると、

1904年3月8日にニューヨークで、女性労働者が婦人参政権の運動を起こしたことに始まり、1910年の国際社会主義者会議でこの日を国際婦人デーとすると決議され、女性の解放と生活擁護権の実現、さらに、平和で幸福な社会の建設をめざす国際的な記念日となった。

国際婦人デーにちなむ最大の事件は、1917年のこの日にロシアで行われた女性労働者を中心としたデモが、男性労働者、兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となって、最終的には帝政を崩壊に追い込むことになり、1966年から、国際婦人デーはソ連で祝日となっている。

ベトナムは旧ソ連の影響が強かった時代の影響か、社会主義体制をとっているからか、この日は特別な日で、男性が女性に花束を贈る習慣がある。

今日は、ハノイ婦人会の総会の日、オットは週末から出張にでている。

総会の帰り、我が家でお茶をしていると、オットの運転手がオットからたのまれたからと花束を抱えてきてくれた。 

友達もいるなかでのこういうシチュエーションは、少し気恥ずかしいが、嬉しくもある。

しかし、ベトナムの花束は私にとって少し苦手、かさばかり大きくて、余計なものがたくさんついているので、シンプルな花にもどすための手間がかかる。

ゴミ袋を片手に解体作業をはじめる。

たてておけるように竹の足がついているし、セロテープでぐりぐり巻きなのをハサミを使ってパズルのように解体してゆく。

余計なものを順番に取り除いてゆくと、今回はラッキー、オアシスに活けてあるのがでてきて、なんだ普通のアレンジメントじゃん。

最初からこれでいいのに、余計なゴミが増えるだけ、と小言をいいながら、いそいそと花器に移しいれて、にんまりする。

思ってもみないときのプレゼントはサプライズで、驚ろくし、嬉しくもある。