4月27日 雨
「箱根の関を越えると、異文化圏、そこは外国みたようなもの」、と関東で生まれ育った友達はいう。
それほど大げさでなくとも、今回、関東と関西の文化の違いはいまだに残っていると、納得した今回の結納であった。
3月、法事で福岡に帰ったとき、オットとデパートの結納コーナーに行き、結納品とおおまかな流れの説明を受け、ふたりでイメージつくりをした。
こちらに帰ってきて、3週間の事前準備が必要といわれていたし、シュミレーションもばっちりと、日本橋三越に張り切ってでかけた。
今日お持ち帰りできますよ、関東の標準はこれです。
エッ、福岡はこんなでなく、塗りのお盆のお準備もしないといけないし、指輪の台とか、屏風とかお人形とかあったけれどこれですか?
そんなものは必要ありませんとの言葉に、ちょっとパニックになりとまどったけど、郷にいれば郷に従えで、関東式で執り行うことにする。
次男の時は自宅に送りつけた結納品を、「お祝い事の大事なものはそんなことはできません」と三越の人にいわれるがまま、電車を乗り継ぎ、山梨まで手にもっていった。
でもね、いい結納式でした、感激しました。
式の後の食事は、むこうのお父様が、知人の経営するレストランを貸しきってくださった。
ここのオーナーは声楽家で、公演がないときだけお店をオープンするというなんとも優雅で、ピアノがあってコンサートも開けるという素敵なレストラン。
まず息子のパートナーとお父様との連弾からはじまった。
きっとお父様相当練習なさったのだろうな、妹さんから、早すぎ、とか注意をうけていた様子がとてもほほえましかった。
大事に育てた娘を嫁がせるお父様のお気持は想像しかできないが、暖かさと、寂しさが伝わり涙がでてきた。
食後はオーナーのミニコンサート、目の前で声楽家の歌を聞くというのははじめての体験で、迫力があり、体が楽器というのはこういうことかと、また感激。
調理場担当は奥様で、きれいでおいしいフランス料理とワインを堪能させていただき暖かいおもてなしはとても嬉しかった。
結納は必要、必要でない?
白木の上に置いた紙の結納品を見たとき、関東は合理的だなあ、こんなだったらこのごろの人達は、結納なんて必要がないというのにうなずけないこともないと思った。
しかし、手順を踏んで、お互いの家族と当人が結婚式までの時間を大事にしながら、心の準備してゆく、そんな時間をもってもいいかもしれないとも思いなおした。
そうでもないとぼんやりの私は、相手のご両親がどれだけ愛情深くお嬢さんを育ててくださったか理解できないし、そのお嬢さんが家族の一員になってくれることに対して、感謝の気持を持つこともできないかもしれない。
結納が必要かそうでないかは、今の時代、個々人が考えて、自分達にあったことをすればよいし、強制することもない。
が、私達夫婦はご家族に会えて心からよかったと思い、こんな機会を作ってくれた息子達に感謝している。