ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

結納式

2012-04-27 17:25:56 | Weblog

4月27日 雨

「箱根の関を越えると、異文化圏、そこは外国みたようなもの」、と関東で生まれ育った友達はいう。

それほど大げさでなくとも、今回、関東と関西の文化の違いはいまだに残っていると、納得した今回の結納であった。

3月、法事で福岡に帰ったとき、オットとデパートの結納コーナーに行き、結納品とおおまかな流れの説明を受け、ふたりでイメージつくりをした。

こちらに帰ってきて、3週間の事前準備が必要といわれていたし、シュミレーションもばっちりと、日本橋三越に張り切ってでかけた。

今日お持ち帰りできますよ、関東の標準はこれです。

        

エッ、福岡はこんなでなく、塗りのお盆のお準備もしないといけないし、指輪の台とか、屏風とかお人形とかあったけれどこれですか?

そんなものは必要ありませんとの言葉に、ちょっとパニックになりとまどったけど、郷にいれば郷に従えで、関東式で執り行うことにする。

次男の時は自宅に送りつけた結納品を、「お祝い事の大事なものはそんなことはできません」と三越の人にいわれるがまま、電車を乗り継ぎ、山梨まで手にもっていった。

でもね、いい結納式でした、感激しました。

式の後の食事は、むこうのお父様が、知人の経営するレストランを貸しきってくださった。

ここのオーナーは声楽家で、公演がないときだけお店をオープンするというなんとも優雅で、ピアノがあってコンサートも開けるという素敵なレストラン。

まず息子のパートナーとお父様との連弾からはじまった。

きっとお父様相当練習なさったのだろうな、妹さんから、早すぎ、とか注意をうけていた様子がとてもほほえましかった。

       

大事に育てた娘を嫁がせるお父様のお気持は想像しかできないが、暖かさと、寂しさが伝わり涙がでてきた。

食後はオーナーのミニコンサート、目の前で声楽家の歌を聞くというのははじめての体験で、迫力があり、体が楽器というのはこういうことかと、また感激。

      

調理場担当は奥様で、きれいでおいしいフランス料理とワインを堪能させていただき暖かいおもてなしはとても嬉しかった。

      

結納は必要、必要でない?

白木の上に置いた紙の結納品を見たとき、関東は合理的だなあ、こんなだったらこのごろの人達は、結納なんて必要がないというのにうなずけないこともないと思った。

しかし、手順を踏んで、お互いの家族と当人が結婚式までの時間を大事にしながら、心の準備してゆく、そんな時間をもってもいいかもしれないとも思いなおした。

そうでもないとぼんやりの私は、相手のご両親がどれだけ愛情深くお嬢さんを育ててくださったか理解できないし、そのお嬢さんが家族の一員になってくれることに対して、感謝の気持を持つこともできないかもしれない。

結納が必要かそうでないかは、今の時代、個々人が考えて、自分達にあったことをすればよいし、強制することもない。

が、私達夫婦はご家族に会えて心からよかったと思い、こんな機会を作ってくれた息子達に感謝している。

 


山梨、桃源郷

2012-04-25 17:16:23 | Weblog

4月25日 はれ

花、花、花、桃源郷とよばれる所以に納得。

週末、どんより重い曇り空の東京を特急「かいじ」で出発、大月を過ぎ、トンネルをぬけるとそこは青空と車両の両側にピンクのカーペットが広がる別世界に、車両のなかで歓声があがる。

石和温泉でおり、タクシーで扇状地を見下ろせる丘の上に連れていってもらう。

桃の開花は下から順次高いところに上ってゆくので、山の上はまだつぼみが残っているが、遠くの桃園がみわたせるし、桜もまだ咲いている。

         

少し前に終わったというスモモの花は、白に薄い緑がかかる色で、丘の上に残っている。

         

桃の花の記憶はたくさんあるが、ここの桃は一緒に行った三男が「根性桃」と呼んだが、枝にみっしりすきまなく花をつけているので、近くで見ると可憐という雰囲気ではないが、そのお蔭で遠くまでピンクの花の存在感は抜群にひろがっている。

運転手さんが最後につれていってくれた桃園の花があまりに色とりどりで、花の様子も違うので不思議に思っていたら、観賞用の「花桃」とよばれるものであった。

         

果樹園の根性桃と違い、華やか、可憐ではあるが、おいしい実を育ててくれるしっかり者の桃にわたしはひかれる。

フルーツ王国の名まえのとおり、道路脇には梨の花も咲いているし、さくらんぼはハウスの中で満開、花が散るとハウスを閉じて鳥や虫の襲来からまもられるそう。

        

翌日、長男がここの風景が好きと連れていってくれた山あいの果樹園は、段々畑にひろがり、おだやかでやさしい心にのこるものであった。

       

実は観光ではなく息子の結納のための訪問であったが、「御願いだから結納は桃の花の盛りのときにしてください」と私の我がままを通してもらった。

願いがかない、ありがとうと桃の花たちに感謝した。


今日この頃

2012-04-19 19:29:38 | Weblog

4月19日 くもり

5月8日、浦安ブライトンホテルでの、「手作り品・雑貨・チャリティーマーケット展」に参加させていただく。

昨年12月にチャリティーバザーをやったばかりで、この時期には作品なんてないのが普通、しかもトールペイントはクリスマスが一番はえるのに、どうして…?

個人で行うイベントには限りがあるけれど、団体でのしかも会場がホテルというのは、集客の意味で効率がいいしみんなでやると一人の責任が少なくなって楽。

毎年秋、ブライトンホテルで開催しているのを知り、今年は是非参加させていただきたいと思っていたが、コミュニティー誌で、春もやるということを知り、これからのことを思うと早くに参加させていただき、秋につないでゆきたいというのが私の希望。

しかし、作品がない、困った。

一緒にやるともだちに状況をきいてみたら、テニスとトールでもがいているとの返事、まさに私も同じ、テニス、水泳、ウクレレと時間のやりくりに四苦八苦。

描く時間は無いくせに、何をしていても作品のことが頭から離れず、材料をみては考え込んでしまう。

あるとき、友達にいただいた中身を食べてしまったお菓子の空き箱をながめて、母の日のプレゼント用に、丸箱だし裁縫箱にしたいなあ、でもどうしたらいいだろう。

とりあえず、ふたの字を消して…とか思いながら絵の具をのせていっているとき、フッと、ひらめいて、仕上げた作品。

       

トールペイントは材料とにらめっこして(何年もそういう状態が続くことが多々あります)、熟成させて(と私はいいます)あるとき、ふっとひらめいてそれが作品になったときの喜びが捨てがたいということが、続けてゆける理由だと思う。

連休明けの当日まで、終わったときの開放感を想像しながら、もがきながら時間を作ってゆこう。


今年の桜もおわり

2012-04-16 16:11:34 | Weblog

4月16日  はれ

週末の風雨で今年の桜も見納めとなりそうだが、最後の最後まで美しいと思える光景をつくってくれる。

水たまりの花びらたちはゆらりゆらり、集ったり離れたりただよい見飽きることがない。

         

一面の桃色の絨毯は翌日の桜。  

木に残るさくらは、葉の若草色とまじりやさしくはかなげな色合いに変わっているが、目を落とすと地面は桜色になり、甘くやさしい空気に包まれるような幸せ感をもたらしてくれる。

肌寒い雨の土曜日、花もおしまいと寂しく思っていたら、団地の植え込みのつつじのつぼみが色づいている。    

                

そうだ次はつつじの季節、さわやかな風と若葉の香るわたしの大好きな5月がやってくる、次から次にわくわくさせてくれる日本の美しさに感謝。

日曜日はオットの希望の自転車用品屋さんにいくが、自転車はブームなんですねえ。

すごく大きな売り場に、自転車に関係するいろいろなものがおいていて、大勢の男子が真剣に商品と向き合っている。

オットは、専用の空気入れ,ヘルメット,走行距離やスピードをチェックする道具、どうしてももこパンツがないと長距離は無理と、手袋まで含めたウエアー類を揃え、準備万端。

      

これで準備は揃った、風薫る5月、ただいま、自転車同好会会員募集中。


大東京桜めぐり後半

2012-04-12 04:40:44 | Weblog

4月12日 はれ

飛鳥山からふたたび都電荒川線に乗った我々は、終点早稲田で降り、神田川沿いを歩く。

東京を基盤の生活も30年を超え、しかも息子が早稲田大学を卒業しているとはいえ、入学式に一度いったっきり、息子のアパートすら行ったことのないわたしには、この辺りの地理は無知に等しく、南こうせつの歌でしか神田川を知らない。

聞いたことのあるいくつかの大学や、松尾芭蕉の家や椿山荘の脇を流れる神田川の両岸をおおいつくす桜に目をうばわれ、ここまで手入れをしてきた方達に感謝する。

       

終点で高校生たちが写真をとりあっていたが、美しいものは一様に美しいと思える素直な美意識に嬉しいと思い、古代から繋がっているものを感じる。

        

地下鉄を飯田橋でおり、最終目的地靖国神社に行くため、だらだら坂を上ってゆくが、昼間のお酒も消え寒いし、足が棒のようになり、歩くのすらおっくうになる。

〆は靖国でね、これを見なければ今日のかいがない、と開花宣言の基準木に会いにゆく。

400本もあるという桜のどの木だろうと心配したが、みんなの注目を浴びているのでわかりやすい。

         

かなりの老木で痛々しいが、春の訪れを一番に知らせてくれるとおもうと、敬意を表したくなる。

この途端にわれわれは力つき、冷えた体を熱燗で暖めるためタクシーを拾い一路日本橋へ。

運転手さんの話によるとこの日だけで靖国神社の人出は30万人という。

では、隅田川、飛鳥山のあの人ごみは…この日、桜をめでるためにでかけた人の数はと、思っただけで恐ろしくなる。

いつもの居酒屋さんは、この日はがらがら、みんな外に繰り出し花見という宴会をやっているのねといいながら、ほっと一息。

ここで終わればおりこうなんだけど、我々はもれなくカラオケで宴会の〆とした。

おおきな声ではいえないけど、前日の金曜日…

朝からテニスの試合で、お昼は近所の公園でお花見という宴会、暗くなるまでねばり、そのあともれなくカラオケがついてきた。

オットには黙っていたけど、声が枯れているのですぐにわかったですって、わたしもよっぽどと、あきれてしまう。

 

 


大東京桜めぐり

2012-04-11 04:20:20 | Weblog

4月11日 雨

天気予報はあたり、今朝は早朝から雨、これで今年の桜もおしまい。

どうして桜に恋するようにみんなが待ち望み、開花と同時に桜のもとにひかれてゆくのだろう。

お花見は奈良時代の貴族の行事が起源といわれているらしいが、古代から、農村では春の訪れと農耕の開始期を知る手段であり、農繁期で忙しくなる前のひとときの憩いと、今年の豊作を祝う前夜祭であったともいわれている。

東京では5代将軍徳川綱吉が、隅田川の堤と飛鳥山、小金井堤に桜を積極的に植えさせ、お花見を奨励したことで、今のお花見のスタイルが確立したそうだ。

江戸の庶民がこぞって花見に出かける習慣が生まれ、特に女性は小袖を新調して着飾ってでかけたので、一年を通して一番華やかで、流行の最前線にもなっていたという。

桜は一斉に咲き、2週間足らずという短い期間で散るため人々に強い印象を残し、日本人の春に対する季節感を形成していることが理解できる。

歴史からみても、お花見は私達の体に刷り込まれているんですねえ。

我が家のお花見は、友達数人との待ち合わせ場所、浅草吾妻橋のたもとからはじまる。

さすが浅草、着物姿でそぞろ歩きする男性、女性が大勢みかけるが、人の流れはすさまじくせっかくの姿も人ごみにかくれてしまい残念。

水上ボートには長い列ができ、待ち時間は2時間と放送されていた。

隅田川の川面には、ボート、カヌー、屋形船、水上オートバイまで繰り出し、波がたっていて落ち着かないが、対岸の桜の上にそびえるスカイツリー。 

       

手前の桜のむこうにみえる、スカイツリー。   

浅草寺、仲見世、どこも人であふれているが、そのなかに結婚式を挙げるお二人が人力車で練り歩いているのも浅草らしい。  

         

午後、都電荒川線にのって飛鳥山にいってみる。 

         

ブルーシートの上でお弁当を広げて楽しむ人たちや舞台で踊る人たちで、花見のルーツそのもの。

飛鳥山の入り口には救急車がひっきりなしに出入りしていたが、翌日のニュースでもアルコール関係でたくさんの要請があったといっていた。

ベトナムにいる時、歩道で食事をしている人たちをみて、人に見られながら食事をするのは嫌だと思っていたけど、結局はおなじこと、みんな一緒で安心、安全、楽しいね。

5年ぶりの桜に嬉しげに歓声を挙げているオットとともに、花めぐり後半次回へ続きます。

 

 

 


楽団人形

2012-04-06 03:44:52 | Weblog

4月6日 はれ

先週の土曜日、お別れパーティーに伺ったお宅は我が家の隣にある分譲マンションの15階。

このお宅は浦安の埋立地の最奥部にあるので、窓のそとに広がる景色は壮大で房総半島、富士山、スカイツリーまでも見ることができるらしい。

伺ったのは夕方、東京方面の夜景の上に広がる空は昼間の春の大嵐の余韻で雲がおどろおどろしく、そんな様子もみていてあきない。

       

このお宅には3体のハノイから持ち帰った楽団人形が飾っている。

2010年、浦安訪問団としてハノイに住む私達を訪ねてきてくださった。

バチャン村にご案内した時、興味をもたれたのがこの人形、8体で90ドルくらいだった。

ベトナム中部で石を削った楽器を持つ人形がたくさんつくられているが、これは漆製で、はじめてみるものだった。

ハノイ市内でみたことがないし、大きいし、わたしはあまりお勧めしなかったが、悩まれた末3体を選び持ち帰った。

このお宅でそれは存在感があり、とても素敵でご主人のお気に入りとなり、全部買ってくればよかったと後悔。

4月にホーチミンに遊びに行き、探したけど無いとおっしゃるので、明日から、オットがハノイなので、買ってきてもらおうか?ということになった。

オットから、メトロポールにあったけど、1対48ドルもすると電話、合計344ドル、高い、でも買ってきてとお願いした。

       

昨日その大きな荷物を持ってお宅に伺い、開けてみたら少し雰囲気が違い残念。

2年前の人形とお顔の雰囲気も含めて、全体が暗いのとふっくらし温かみがない。

ハノイに暮らしていたとき、いつも残念と思うことは、ものが売れると、すぐみんなが同じようなものをつくり、しかもだんだん粗悪品になり、それを高値で売るようになる。

日本人の気質と違っていつも違和感を感じていた。

 

 


マトリューシカ

2012-04-04 04:51:18 | Weblog

4月4日 はれ

昨日の春の大嵐は、午後2時までのテニスのレッスンは普通に受けることができ、冷静に準備ができたけど、瞬間的にすごかった。

しかもJALの6時発ハノイ行きは欠航、当然帰りの便も欠航となり、オットはハノイで延泊となったことが我が家のニュース。

こんな日は、私は家にこもって作品の製作にあてる。

5月8日、ブライトンホテルでの「手づくり品・雑貨・チャリティーマーケット展1st.」に参加することが決まり、残りひと月、少し集中する時間が必要となっていることもある。

今のわたしのマイブームはマトリューシカ、このごろ、北欧やロシアの雑貨が目に付き、可愛いなあと思っているので。

 先日、実家で私の不用品としておいてある、オットがロシアからおみやげに買って帰ったマトリューシカ                    

持ち帰り参考にして、手持ちの卵型の材料を使い、本当は入れ子にしないといけないけどそれは無理、みんな同じサイズで我慢することにする。

       

その最中、週末友達のお別れパーティーで伺ったお宅に飾られたマトリューシカに目が点になる。

      

サンクトペテルブルグで買ってきたという、体に描かれた絵はストーリーになっていて、緻密、豪華、お顔の格調の高さ等、イメージとかけ離れた工芸品である。

目に焼きついたイメージがあっても、仕上がったわたしのマトリューシカは素朴なものにしかならなかった。

「ロシアの貴族の婦人が持ってきた日本のこけしをモチーフにして、19世紀の終わりごろに最初のマトリューシカが生まれた」と雑貨の本に書いてあった。

なんか惹かれるものがあると感じていたのは、ルーツが日本にあるから。

しかし、素朴な日本のこけしが、サンクトペテルブルクではこんなになっちゃうのね。

日本文化が世界でブームになっていて、文化の違いから私達は使い方に首をひねることが多々あるが、それでもなんだか嬉しい気持になれ、誇りたくなる。