ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

レクリエーション

2011-04-27 18:55:58 | Weblog

4月27日曇り30℃

ベトナムの朝は早い、早朝散歩で浜辺に行ってみると、日曜日とあって人がいっぱい、まだ6時前なのに…

どこの国も一緒で、小さな子供には父親が付き添うし、若者は水に浸かり、年配者は浜辺をウオーキング。

昼ねの習慣があるベトナム人は、日中の暑いときは家で寝ているので、泳ぐのは早朝か夕方、暑さをさけたアウトドアライフを楽しむ。

レスキュー隊はサーフボードの代わりに編み舟を使い、巧みな櫓のさばきで、危険区域の遊泳者を安全区域に追い込む。

浜辺はバレーボールコートが並び、普通のバレーボールを楽しむ人、もっと若い人は、足と頭だけのサッカーバレーみたいなのをやっているが、これは難しそう。

若者の多い、元気な国の普通の生活に安心する。

 

 


ダナンの漁

2011-04-26 17:55:41 | Weblog

4月26日晴れ31℃

前回のダナン旅行でも驚いたが、ダナンの近海漁は、丸い編み舟を使う。

ダナンには浦島太郎伝説があるが(海流の関係で浦島太郎は南の国にたどり着き、竜宮城はダナンにあったという説)、一寸法師伝説もありうるような、お椀を大きくしたような舟である。

朝6時、海岸を散歩すると沖合いにたくさんの葦舟が浮かんで、海に仕掛けた網を手繰っている。

おそらく夜に浜をでてゆき、一晩中沖に浮かんで漁をしているのだと思うが、こんな櫂で漕いでいるけど、船足は以外と速い。

浜辺には家族が待ちうけ、岸に漕ぎついた舟をおかに引き上げるが、舟は意外と大きくて重そうで、おとな4人かかりで運んでゆく。

そこに漁師のおかみさんが、たらいと量りをおいて待ち受けると、網からはずされた魚をいれる。

今日の漁は雑魚とちいさなかにが一匹。

浜辺で待っていた客が魚を選び量りにのせる、漁師さんは仕事が終わり満足げ。

こんな漁で家族が食べてゆけているのか心配だが、南の生活はこれだけで充分なのだろう。

しかし、ゴルフ場付き別荘や大規模リゾートホテルに集る人を横目で見ながらの生活には、これまでどおりに満足できないかもしれない。

こんなことにも、伸びようとするベトナムと取り残された人々の格差を感じる。


ダナン、ゴルフ決戦

2011-04-25 18:31:39 | Weblog

4月25日 曇り 29℃

5月14日日本に帰任が決まり、後任が来越し引継ぎでばたばたする前に、最後にダナンでゴルフをしようということになった。

ダナンでのゴルフは、朝8時の飛行機に乗り、9時着、10時過ぎのゴルフ場を予約して、夕方ホテルに入る。

翌日はホテルでゆっくり朝食を取ってゴルフ場に行き、プレー終了後、夕食を取ってハノイにもどる、1泊2ラウンドはお得な気分になれる。

ふたりで、ハノイのゴルフの総まとめと勢い込んではみたものの、空回りで、結局はうちのめされて帰ってきた。

リゾート地として売り出し中のダナンの空は青い、ホテルの裏の海岸線はきれいに整備されている。

ゴルフ場はできたばかりで、キャディーは、ベトナム語しか話せない、少し英語も教えられているがベトナム英語の発音が、80がアイティ、ホールがフォー、慣れるとそれもご愛嬌になるのだが、観光客にはなかなかわかりずらい。

どちらのゴルフ場もクラブハウスがゴージャスで贅沢なつくりで、ベトナムとかけ離れた別世界ですごすことができる。

ダナンゴルフ  

モンゴメリーリンクスゴルフコース

リンクスコース特有のバンカー地獄に泣かされる。

その周りに会員権付き別荘が、1軒6000万円くらいで売り出されている。

ダナンの海岸沿いは、ホテルや別荘の建設ラッシュだが、家や土地は外国人には買えないので、こんな豪華な家を買えるベトナム人がでてきたのだ。

急速な発展を続けるベトナム経済、その裏で物乞いの姿があったりもして、光と影、貧富の差がどんどんひろがりつつあるようだ。


坂田雅子さんの作品上映会無事終了

2011-04-22 17:17:16 | Weblog

4月22日 くもり

「枯葉剤の傷跡を見つめて~アメリカ・ベトナム次世代からの問いかけ~」…坂田雅子さんの「花はどこへいった」の続編で、今年1月30日、NHKで放送された作品の上映会を企画した。

今回の坂田さんの来越が、地震の影響でなかなか決まらず、GOがでてからばたばたと会場探し、手はずに奔走したが、ハノイボランティアネットの仲間や、歴史研究会の協力で、なんとか無事に終えることができた。

「花はどこへいった」の続編をNHKが放映したことに、この作品の重さが理解できる。

今回は、アメリカ人の枯葉剤被害者がベトナムの被害者に会う、というかたちで番組がすすんでゆく。

散布されたベトナムの被害者の、アメリカを憎むことなく、「同じ苦しみを抱える人々に国の違いはない」ということばに涙を誘われる。

被害者の働きたいとか、未来への希望とか、一人の人間として普通にやりたいことがやれない悲しさに胸がいたむ。

戦争被害で苦しんでいる人たちをたくさん抱えながらも、ベトナムはいま爆発的な飛躍をしようと頑張っているし、インドシナを牽引していこうとする、前しか見ていない国なのだ。

しかも、社会主義の国なので規制が厳しく、ベトナム戦争は解決した、思い出したくない過去の歴史なのだから、そこのところをわきまえてベトナム人の気持を逆なでするようなことはひかえてほしいと上映会場からは釘をさされる。

坂田さんは、ベトナム人でもアメリカ人でもないご自分だからこそ、冷静に事実をみつめることができるのではないかとおっしゃったことがある。

実際に「希望の種」という奨学金制度を設立した。

被害者を抱える多くの家族は大変貧しい生活を強いられていて、子供たちを学校にやることができない。

貧困と障害に苦しむ枯葉剤被害者の子供たちにも、大きな可能性がひめられている。

この奨学金制度によって希望の種が芽生え、苦悩の生活のなかにも光をもたらすことができるかもしれない。

この制度の対象は、高校を卒業して、大学、あるいは専門学校にいきたいが資金がない子供たち。

一人ひと月25㌦あれば彼らの望みがかなえられる。

約20人の生徒に計月500㌦を3年間保障するというもの。

走り始めたこの運動はもうやめることはできない、子供たちの夢をつむぐお手伝いなのだから、継続的に支援が必要になる。

彼らの自立を助けることにより、家族の負担も軽減される。

大勢の人に知ってもらうこと、理解してもらうことで広がる支援の形があるとの気持に賛同してくださり、この上映会に参加してくださった方達に感謝している。

 

 


ルアンパバーンへの旅

2011-04-18 21:46:14 | Weblog

4月18日 くもり 27℃

急にチケットがとれたので、週末を利用して、ラオスのルアンパバーンに行ってきた。

山を越えただけで、青空の広がる、気温35℃の高原のからりとした空気に満ちた国は、ハノイから飛行機でたったの50分、世界がまるで違っている。

昔王様が住んでいて、1995年に街全体が世界遺産に登録されたルアンパバーンは、人口6万人、80もの寺院がある、早朝にある僧侶の托鉢で有名な街である。

メインストリートには、バイクが少ない、車が少ない、クラクションがない、静かな街並みが続く。

知らないでいったのだが、この週末がラオスのお正月で水かけ祭りにあたった。

大人は、通りに置いた桶から水を汲んでかけあうと思うが、子供たちはウォータータンクをしょって水鉄砲で歩く人に水をかけてくる。

水をかけることにより、新年を祝い、悪いものを追い払い、幸運を呼び込むという意味合いがあるらしい。

ラオスを地図でみると、中国、タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナムに囲まれた山がちの国土で、中国に源をもつメコン河が街の中を流れ、タイとの国境を接しながらカンボジアを縦断し、最後にベトナムの南部から海に流れ込む。

人々の移動はこの河を使うことが多いらしく、首都のビエンチャンまで、丸2日、すべてが河と同様にゆったりと時間が流れているようだ。

米は年に1回、これといった産業もないこの街には、大学もなく、日本語を話すガイドさんによると、小学校は5年まで、その後は家計を助けるために物売りをしたりしているようだ。

ナイトマーケットで買い物をして、同じものを6個買うと、もう計算ができない、ドルにも換算できない。

ベトナムの人の計算能力や識字率の高さと比べると、もしかしたら格段の格差があるのかもしれない。

なにもなくても穏やかな人々の生活、河とともに流れゆく時を過ごす人々の暮らしに、切り捨てていったものへの郷愁を求めて、人々がこの街に集ってきているのではないだろうか。

 


木霊・言霊・ことだま

2011-04-15 16:55:33 | Weblog

4月15日 くもり 30℃

夜、ハノイで写真をとると、不思議な現象がカメラに写る、おそらく雨が降っていたと勘違いしがちだが……

雨は降っていない、目にはみえない、だけど、カメラには写っている。

以前友達に指摘され、注意してみるとたまにだけどこんな現象がおこる。

これは、タイ湖の夜景。

空中にふわふわ浮いているものは、木霊、言霊に相当するもので、宮崎駿の「もののけ姫」にでてくる木霊そっくりの顔がみえる。

実際、屋久島で撮影されたものがネットにのっていて、雨上がりの湿度の高い時に見え、ためしにカメラに写してみると写ったとあり、わたしがみているものと一緒だった。

とすると、自然環境が条件を満たせばどこでもみられる現象で、ハノイの湿度は半端なく高いし、湖の近くであるし、屋久島同様にこれがみえる機会はたくさんあるといえる。

おそらく、昔の人にはこのような自然現象が普通にみえていて、木には霊が宿り、言葉にも霊力が宿ると考えられ、言霊を宿した言葉が、木霊=精霊となり、そうじて「木の精霊が」というふうに考えるようになり、信仰の対象になったのではないか。

自然環境の残っていた時代にはきっとこのような現象を普通にいくつも経験していたはず。

現在ではこのような自然をみることができなくなり、感動することがなくなってしまったことから、一部の人による、昨今のスピリチュアルブームがはじまったのではないか?

このような日本でなかなかみられなくなった自然現象がハノイにはまだ残っているということから、「自然がいっぱいのベトナム」、とベトナムの教科書にあるのは、真実といえるのかな。


素敵な仲間達に感謝

2011-04-13 19:31:21 | Weblog

4月13日 晴れ 29℃

震災のための義援金を集めるチャリティーバザーが無事終了。

今回の震災について、なにかお手伝いをしたいと思っている人たちが大勢いてくれたことに感謝、物を供出してくれる人、買ってくれる人、それぞれのかたちがある。

日本に帰ってしまう人がたくさんのものを残していってくださった。

近く帰る人も家の整理をして持ってきてくださったし、販売の手伝いまでしてくださる。

会場の警備や販売、会計をやってくれる大勢の仲間達。

 

食べ物研究会の有志の人たちは圧巻。

おはぎ、おまんじゅう、ケーキにクッキー、いつもながらの大盛況で完売。

私たちの赤飯研究会もはじめての経験ながら健闘した。

どうってゆうことはないけど、飲み会の時、北海道の人たちのお赤飯はなかのお豆が甘納豆なんだって、食べてみたーい、でも普通のお赤飯も食べたーいという単純な発想。

わたしは九州出身だから、塩味派、でも甘いお赤飯はなかなかの人気でおいしいという評判、北海道派の株がぐーんとあがった。

バザーの供出品は、当日になるまでどのくらいのものが集るか把握できなかったけれど、当日きちんと値段をつけてもってきてくださる方が多く、たくさんの量が集った。

はじめの日本人優先タイムの売れ筋と後半のベトナム人タイムの売れ筋が全然違うのもなかなか面白く、かなりの量が売れ、募金も含めて、総額2000USドルを越えるお金が集った。

集ったお金は日本大使館を通して日本に送ることにしている。

私がやりたいというと、すぐに動いてくれる仲間たちがいる。

ひとりではなかなかできないことが、仲間がいればできることがある。

それが今回、こんなかたちで成功して、本当に嬉しい、ありがとう。

バザーが終わりホットして、家に帰ると、運び出すのを忘れられた古着の箱が2箱も…残っていて、真っ青…これはまた、違った形で使わせてもらうことにするが…

これが本来のわたし、あーあ。

 

 

 


花の季節到来

2011-04-04 08:04:21 | Weblog

4月4日曇り26℃

このところハノイの気候は安定していて、暑くも寒くもなく、半そででも安心して外に出られる。

今しかできないと日曜日、第2回タイ湖一周にトライ、30分の休憩を抜いて2時間30分、結構足にくる。

先週の週末アパートのバスで会社に行ったオットに、ホーチミン廟の歩道に咲いている花はバンラン?と聞かれて、まだ早いと思うよ、もしかして葉っぱがなくて花だけの薄紫色の花が咲いている木?

あの花の時期になったんだ、そしたら、これからハノイで次々に花が咲くのがみられるねと会話した。

去年の春、ホーチミン廟のところで、葉っぱがなく薄紫色の花だけが咲いている木に気づき、日本の春みたいに春先の花は花から咲いてゆくんだ、と思ったが、車の中だったので、ゆっくり見ることができなかった。

可憐な薄い色の花を見るのはハノイでめずらしい…なんて、また会えると、次にそこを通った時はすでに葉っぱだけになっていてがっかりした。

昨日、記憶の花を西湖府前の遊歩道で見つけた。

美しい花だが、、高い木の枝先に咲いているし、ハノイ特有の白い空が背景なので、すべてが薄ぼんやりしていて存在感がなく、日本の美しい空を背景にこれ見よがしに咲く花々に比べるとせっかくの花がもったいなくて、残念。

花はこんな感じ。

名まえも知らない花だが、これから気温がぐんぐん上がり、5月になるとバンランが咲き始め、タイ湖の蓮、火炎樹と矢継ぎ早に花に会える、そんな季節が始まった。

 

 


チャリティーパーティー

2011-04-01 17:29:14 | Weblog

4月1日 晴れ 24℃

若い子たちのエネルギーに感服、おみごと。

告知から数日後の昨日、日本への義援金募集目的のチャリティーパーテイーがアパートを使って行われた。

発起人はインターナショナルスクールに通う子供を持つお母様がたで、大使館やレストランから協賛をとり、入場料とオークション、ドリンク代を義援金に当てる。

走り回る子供たちの笑顔、お祭りモードのフラッグがはためく屋外と建物の中をいったりきたり、国籍を問わず大勢の人が集ってきて、世界中の人が日本のことを心配してくれているのを肌で感じる。

イベントがあると各所から人が集ってきて顔見知りが大勢出来たこのごろは挨拶に時間がかかり食べ物を口にする時間もないくらい。

その合間にたこ焼きを見つけ、懐かしい、でもマヨネーズいれはペットボトルの改良版、なんか笑えるね。

 

お知らせをいただいたとき、短時間でどんなことがやれるのか、せめて参加することで協力させてもらおうと思った。

企画の大きさ、各方面からのドネーションつのり、彼女達がどれだけ努力をしてきたのか、行動力に賞賛をおしまない。

食べて、聴いて、飲んで、知り合いと楽しくお話ができる、こんな楽しい時間を共有することでお役に立てるなんて素敵なこと。

お花見の自粛のお達しに対し、、新聞のコラムにでドンチャン騒ぎは別として花に酔ういつもの春はあってもいい、日常が人々を勇気づけることもあるというのに、共感する。

だからこそ、こんな楽しいイベントを作ってくださった、若いエネルギーに感謝、ご苦労様でした、ありがとう。