ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

タンロン大橋大渋滞

2009-10-27 22:19:09 | Weblog
10月27日

先週金曜日23日から、タンロン大橋の改修工事が来年1月までの予定で始まった。

タンロン大橋は、ハノイの街にかかわりの深い紅河にかかる橋で、我が家からも、空港、ゴルフ場、工業団地をつなぐ、これが無くては生活できないともいえる橋である。

片道2車線の橋を車線を交互につぶしての工事の予定らしい。

たまたま初日に通りかかり、聞いてみると、バイクは橋の下を通し、大型バスは他の橋に迂回してもらうことになっているらしい。

初日は大型バスは走っていたし、もちろん、バイクも走っていたし、交通の係りは見当たらなかった。

それから数日後の今日、再度橋を通ることになった。

混みそうだと少しはやめにでたけど、案の状、橋の入り口2車線のところを車が4列になっている。

これはベトナムでは普通のことで、私の運転手も負けていない人なので、ガンガンせめてゆくが、サイドミラーが何度もこつこつとあたっては倒される。

倒れては直し、倒れては直しを繰り返しながら、4列が3列になり、2列になり、やっと橋の上にきて1列となってくる。

工事従事者は、交通渋滞を面白半分に眺めているし、工事をしているそぶりもないし、こんなことでは予定どうりにyきそうにない。

ベトナムの交通渋滞の様子は日本でも報道されたりしているので、ご存知の方も多いと思う。

勤勉でまじめというイメージのあるベトナム人について、ハノイが長い友達の話では、ひとりで物事を進めてゆくときは、予定をたてたりきちんとものごとをすすめてゆくけど、全体になってくると、われもわれもがでてきて、総括的に物事をみることができないのか、ルールを守るとか、この先のことを考えて、こうしたらいいとかそういうことができないのだろうという結論である。

このところ、わたしが来てから2年のあいだに、車がものすごい勢いで増えてきて、もともとバイクで渋滞していた道路が車に占領されてにっちもさっちもゆかなくなってしまっているのがこの国の現状である。

交通ルールとか、マナーとかできていないのに、新幹線ができるとかの話でもりあがっているけど、そんなことよりも目先のことをもっと、重大なことと考えてほしいとわたしは思う。

貸衣装

2009-10-26 21:04:52 | Weblog
10月26日

来年3月21日、次男が東京ディズニーランド、ミラコスタで挙式を挙げる予定になっている。

山口県在住の二人がこんなところで結婚式を挙げることになったのは、ご想像にたがわず、ディズニーランドが大好きだからである(わたしではありませんよ)

最初は驚いたけど、私の世界にこんなことは入っていないので、子供からの思わぬプレゼントと思い、私達夫婦も楽しもうということになった。

9月に帰ったとき、ミッキー、ミニー、そのほかのキャラクター総出演の結婚式のカタログをみせてもらい、お祝いにかけつけてくださるかたも楽しんでくださることと思った。

しかし、遠い、ましてや、親はハノイ在住である。

子供たちは、結婚式の予約も、今回の衣装合わせも、飛行機を使って行かなければならない。


昨日、息子から電話があり、いま、会場に衣装合わせにきているけど、お父さんとお母さんの衣装は予約しておくといってくれた。

わたしとしては、結婚式の前日に会場のホテルに泊まるので、とりあえず、仮予約さえしておけば、あるもののなかからそれなりのものを選べばよいと思っていたけど、そうもいかないらしい。

「金額がまちまちだけど、どうする?」「そりゃあ、金額が高いほうが見栄えもするでしょう?」

「花柄と鳳凰がお勧めだそうです。」と写メールを送ってきた。

ああ、これをきるのかな?と思っていたら、次に、「金がはいったほうが良いってことで、こっちになりそう。僕もこれが良いと思う」、とまた写メールが送られ、この留袖にきまったようだ。

オットについてはなんの質問も無かったが、それなりで、予約することができたのだろう。

息子の大事な結婚式に、写メールで送られてきた写真を見て、適当にきめた留袖を着るなんてとは思うが、これが私達、バタバタとハノイから駆けつけて、アッという間に、結婚式が終わってしまうということになるのだろうな。

これが私達のスタイルということになるのだろう。


ホアンキエム湖 ヘリテージツアー

2009-10-21 22:50:57 | Weblog

10月21日

このところ気温も落ち着き、街歩きには最適な気候となりつつある。

来週のヘリテージツアー、「ホアンキエム湖周辺」のリハーサルに参加してきた。

ホアンキエム湖はハノイの街の中心にあり、歴史的な建物や、伝説に恵まれた緑の美しい湖で、観光の中心となっている。

この湖が、ホアンキエム(還剣)湖とよばれるのには伝説がある。

中国、明の属領とされていた時代(1407-1427)、黎朝の始祖レロイは、湖で拾われた宝剣で明軍を駆逐し、明からの独立を勝ち取ることができた。

レロイが王位について後、ホアンキエム湖を遊覧していると、亀がでてきて王の剣をくわえて水の中に消えてしまった。王は「、あれはやはり国を救うために神が授けてくださった神剣で、神の使いの亀がそれを取り戻しにきたのだ」と納得したというお話が、「剣を還した湖」という名まえの由来となったといわれている。

湖に浮かぶ赤い橋を渡ると、玉山寺に行ける。

2年前の2000ドン(12円)から入場料が10000ドンに値上がりしているのには驚いた。

このお寺には、三国志に出てくる関羽や、文学の神様や、戦いの神様のチャンフンダオが一緒に祀られている。

日本的には、信仰の対象はひとつでないとわかりづらいところがあるが、いろいろな神様を同時に祀っていると、神様の力がいっしょになって、いっそう大きな力になるというのがベトナムの信仰にあるらしく、どこのお寺でもごちゃごちゃいろいろな神様が祀られている。

これは「亀の塔」 

その昔、この小島は、名まえのとおり、湖の亀が日向ぼっこをしたり産卵をしにきていたそうだが、修復した時にコンクリートで護岸を固めてしまったので、亀があがってくることができなくなったことと、水質汚染が原因で、めっきり亀の生息が少なくなったらしい。

しかし、この塔は各種ガイドブックで紹介されるに値する、とても風情のある景色を提供してくれる。

残念ながら、今日は途中から雨になり、傘を用意してこなかった私達は、「こんなに木が繁っているのに、木は雨よけにはならないねえ」、「いったいなんのためにこんなに植えているんだろう?」、「日よけなんじゃない?」なんてのんびり話しながら、リハーサルを楽しむことができた。

 


久しぶりのバッチャン村

2009-10-19 22:02:52 | Weblog

10月19日

久しぶりにバチャンにいってきた。

この週末、お客様のおもてなしをすることになったので、婦人画報に掲載されているお料理と食器の美しい写真をめくりなが、せめて食器を変えてリフレッシュしたいと思ったから。

 今回のお目当ては、バッチャン市場とニューバチャン。 バチャン市場は、従来の観光客用の場所から少し離れていて、格安商品に出会えるチャンスがあるらしいが、店や商品の数が多いし、どこに行っても同じものが並んでいるので、選ぶのに根気が必要となる。 

 1個、3000ドン(18円)の野菜のマグネットが可愛かった。

 お皿を持つたび、オットが、掛け声を出さないと腱鞘炎になりそうとこぼすくらい、重いのがバチャン焼きの難点になっているが、通称ニューバッチャンは、バチャン村にありながら、従来のバッチャンと違いうす手で、軽く、デザインが新しく、色がきれい、ハノイのお土産屋さんでも買える、外国人向けか輸出用に作られているものだと思う。

 今回、お気に入りのマグカップの補充と、

婦人画報でみた、エルメスの食器に似たものがあったらと思ったけどそれはあきらめて、ベトナムではしあわせを運んでくれるという可愛いトンボ柄の手書きのお皿を購入した。

帰りに、ソフィテルメトロポールのエルメスショップに行き、食器をチェックしたらお目当てのものはないし、ディスプレイされているお皿は、一枚ン万円もする。

 わたしの今日のお買い物は、しめて82ドル。

 運転手さんが、ふらふらしているこんな私達をみてどう思うだろうという話になったが、仕事をすることが出来ないし、お買い物をして時間をつぶすのが一番簡単というのが私達の結論で、これはいいわけにしかならないが、まあここだけの生活と思っている。


ハノイ 福岡 直行便が就航

2009-10-14 09:38:25 | Weblog
10月14日

話題になっていた、ハノイ福岡直行便が10月10日から運行された。


会社の派遣員のご両親が、就航記念便を使って遊びにみえられたそうだが、記念価格なのか、運賃が5万円という格安価格だったそうだ。

土曜のお昼にハノイ着、土、日とホテルに宿泊、火曜日2時半am、出発となるが、実際は月曜日の夜中に空港に行くので、3日間はハノイ観光には充分な滞在日程だと思う。

福岡着は、朝8時半、時差の2時間を考慮すると、4時間くらいのフライト時間は楽で、福岡が近くなって嬉しい。

これまで、福岡に帰るのはどうしようかといつも迷っていた。

香港、タイペイ経由が昼時間を使うので楽なのだが、費用が高い。

バンコク乗換えは、バンコクの空港で夜中の1時ごろ、一人で待つのが寂しいので嫌だ。

結果として、関西空港に朝5時半到着の便にするが、福岡乗り継ぎ便の9時まで、延々、人気の無い、早朝の空港ロビーで眠気のためぼーっとしながら時間をすごして、10時にやっと福岡に到着ということになる。

私達の12月の健康診断の帰国に、福岡便はベトナム航空の単独運航なので、機体やサービスはあきらめても直行便を使うことにしていた。

しかし、オットからの情報で、月末あたりからJALとの共同運航に切り替わるそうで、これだったらもう問題はない。

ハノイ関空便が運行中止の可能性があるので、関西在住の人には申し訳ないとは思っているが、福岡県民として、直行便ができたことは大歓迎である。

送別会

2009-10-09 23:02:04 | Weblog

10月9日

 駐在生活でいつまでも慣れないのは、親しくなった人とのお別れである。

今週もテニスの関係で二つの送別会があった。

送別会は、ゲームの獲得ポイントで順位を決めてゆくので、みんなコチコチの生真面目なゲームをやることになり、その後のランチで緊張をほぐすのが恒例になっている。

水曜日のごきげんよう会の主賓はM香さん。

テニスに関する雑用をいってに引き受けてくれていたので、なにも心配せずにテニスコートにいってゲームができていたのは、彼女のお陰である。本当にありがとう。

それなのに、花束をレストランに忘れてきたりしてごめんね。

ランチは、アパートから歩いていける、フォレストというベトナム料理のお店。

トロピカルな植物の生い茂った入り口を抜けると、広々としたオープンスペースになっていて、民芸品が飾っているエキゾチックな雰囲気の気持のよいお店だった。

今日は、婦人会のテニス愛好会、バーサウの送別会。

ごきげんようとかぶっているM香さん、クアラルンプールにスライドのその子さん、東京に帰るH野さん。ランチは、窓から見える湖の景色が心地よい、私達のお好みのカレー屋さんの、フードショップ45。

午前中のゲームに参加できなかった人たちも集り、楽しい時間を過ごすことができた。

ハノイではお別れすることになるけど、一緒に過ごした楽しかった時間をラケットを握った時に、思いだしてくださったら嬉しいな。

みんな、いつか、どこかで、またお会いしましょうね。


下校風景

2009-10-08 21:04:51 | Weblog

10月8日

このところ、よく晴れ、それも湿度が低めでカラッとした天気が続き、まだ30℃はこえていて暑いけど、過ごしやすいかなという感じである。

我が家の近所に中学校がある。

 この中学はかなり歴史があるらしく、50歳くらいの人が、子供のころハンザ市場周辺の家から自転車で通学していたが、当時、このあたりはすごい田舎で、通学路にある家の庭先のフルーツを自転車の荷台に乗ってちぎって食べていたと昔ばなしを語ってくれたことがある。

 最近の校区はわからないが、自転車通学の子供も多い。

 それと、ベトナムの人は教育熱心で家計費のかなりの額を教育費、特に英語にかけるらしく、放課後塾に通わせるための親のお迎えも普通である。

 学校が終われば、ホッとして小腹が空くのはだれも一緒。

この国にはコンビニがないので、校門わきに時間にあわせてお菓子屋さんやアイスクリーム屋さんが店開きする。

 近所の家も玄関先にお菓子や油で揚げたベトナム風スナックなどの屋台をだしている。

 買い食いをしてはいけませんとか、立ち食いをしてはいけませんとかいう日本の常識はここでは通用しない。

生きるためにしたたかな大人たちは、こんなことは教育上に悪いとか、衛生上よくないとかいう考えはなく、日本的な道徳はこの国では通用しない。

 でも、子供たちの楽しそうな笑顔はどこの国も一緒でほほえましく、私をしあわせな気分にしてくれる。


このごろ気がついたこと

2009-10-07 21:24:04 | Weblog

10月7日

 いつもいうようにこの街は、急に変わることが多い。

 路上にごみ箱が置かれるようになった。

 この国はは職業の差別化があり、人の仕事はとらないようになっているらしい。

 ごみ収集はそれ専門の人しかやらない。

 各家のごみはビニール袋にいれて家の前に捨てるし、ひどい人は2階の窓からごみ袋を投げ捨てたりする。

 食べ物屋さんとかで、使用済みの紙とかごみとか平気でテーブルのしたに捨てるのは、お掃除の人の仕事をとってはいけないという理由かららしく、きれいにするという習慣はないようだ。

 そういうわけで、路上はいつもごみが散らばっているし、排水も悪く、不潔で悪臭がし、道をあるくのはひと苦労である。

このごみ箱にはあまりごみがはいっている様子はない。

 使い方を知っているのか心配であるが、置くとなると、やらた並んでいるので、もう少し計画的に設置したらいいのにと思っている。 

 以前ブログで話題にしたことのある路上の家が壊され、歩道がきれいになった。

 ではここに住んでいた人はどこにいったのかと思えば、すぐ横の道にれんが塀によりそうように小屋を建てている。

 道路側は地味だが、裏側からだと結構なお宅に見える。

 焚き火の炎が見えていたので、ガスは無いのだろう、電気はみんな勝手に電線から引っ張って使っているが、これって盗電になるのかなあ。

先週はなかった水上ハウスが突然、しかも3軒も現れた。

湖のどこかからひかれてきたかつての水上レストランなのか、くたびれたテーブルと椅子、しおれてはいるが植木まで備えている。

 これがどういう目的のためにここに引かれてきたのか、今後様子を見守ってゆきたい。

 路上の家が壊されたり、ゴミ箱が置かれたりしたのは、来年のハノイ遷都1000年の記念行事のため、歩道をきれいにするとかいう事業目的によるものだとわたしは勝手に想像している。

 去年、遷都1000年の行事のため水上生活者を失くすということと、湖の水質保全のためという理由で、水上レストランの営業や遊覧船を、すべて中止するというお達しがあり、湖から消えていた。

 しかし、このごろ湖には遊覧船が浮かんでいるし、メンテナンスをはじめた水上レストランが出現しはじめているので、いったいどうなっているんだろうと思っていた。

そんなことが、我が家の裏の湖にまでおよんでくると、この国には決まりごとを継続するとか守るとか、努力するとかいうことはないのだろうかと不思議な気持になってしまう。