ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

歴史博物館ツアー

2009-09-30 13:27:50 | Weblog

9月30日

ヘリテージ日本人グループによる歴史博物館2階部分のツアーのお手伝いに行ってきた。

歴史博物館はレッドリバー沿いのフランス租界の一角に、1932年、フランス人によって建てられた。

 この建物は、ヨーロッパとアジアの建築様式が組み合わされている特別なものである。

 たとえば、八角形の窓は、東洋の宇宙観にある、「八卦」をあらわしているといわれている。

軒のとことに梁がでているのは、日本の五重の塔にもみられるものである。

 屋根のひさしと天井を二重にして空気孔をつくり、熱をさえぎるようにしているとかはアジア式である。

1階は原始時代から1399年くらいまで、2階は1400年から1945年までのものが展示されている。

今回のツアーは2階部分である。

来年ハノイに都が移って1000年になるといわれているが、その昔、ここいらは湿地帯で旧市街以外はぐじゅぐじゅだったことを想像させる地図がある。

 日本とベトナムは意外と関係が深かったことがわかる。

 季節風をつかって日本との貿易がさかんで、ホイアンには日本人街もあり、バチャン焼きは茶道に使われるため、日本からのオーダーで作品の質が上がっていった。

 焼き物は、ベトナム、バッチャン焼きと連想するが、コバルトを使ったフエの青の染付けと青磁のバチャンと作風が違っていたようだ。

その後、七宝焼きのカラフルな作品もできたりして、焼き物ひとつとっても興味がわく。

 残念なことにこの博物館の展示品の説明が、ベトナム語だけなので、私達が個人で訪れても説明書が読めないので展示品をながめるだけで理解するのが難しい。

今回のガイドさんたちはよく勉強していて分かりやすく説明してくれたので参加してくださったかたたちも楽しかったと思う。

隣国が陸続きにある国は、侵略したりされたりするということ。

この国はそれが中国であったが、その後フランスに占領されたり、ずっと戦いと支配の歴史であったため、残念なことに文化の定着と育成ができていない。

 日本は島国ということがとても幸いして、文化が育つ環境にあった、日本に生まれてよかったと、ベトナムの歴史に触れるたびに感謝している。


湯布院

2009-09-28 19:58:05 | Weblog

9月28日

今回の帰国はシルバーウィークと名づけられた5連休があり、銀行はお休み、注文した商品が届かないなど、動きがストップしてしまい、想定外のことだったので困ってしまった。

 高速道路の渋滞も同様である。

この連休中に友達と湯布院に行く約束をしていた。

湯布院は高速を使って2時間位なので、ちょっとお茶しにいこうという感覚で遊びに行く。

 ところがそれぞれの用事で高速を使ってみると、思いもかけないところで完全に車が止まってしまう。

高速道路で 前後にまったく車が無くて寂しいなんて思うことはしょっちゅうあったけど、福岡で暮らして10年、こんな経験はしたことがない。

 それで、湯布院は無理だね、という結論になったが、やっぱり行きたいなあと、連休の終盤に、渋滞情報をチェックすると赤くなっていない、今日行こうと速攻ででかけた。

 高速は混んでなかったが、湯布院出口から渋滞が始まり、街中まで車がぎっしり、人もいっぱい、みんな湯布院が好きなんだねえなんていいながら駐車場の空くのをまった。

 どうしてそんなに湯布院にこだわるかというと、私達が追っかけをしているケーキ屋さんがこんど湯布院にもお店をだしたと友達が見つけてきたからである。

 それと天井桟敷という喫茶店でお茶すること。

 ある時期、毎年九重高原に絵を描きにいっていたことがある。

途中の瀬の本高原で、値段もお手ごろでおいしいロールケーキやトマトのジャムなどが置いてあるかわいいケーキ屋さんをみつけた。

 その後、浦安の友達の家で、近所にできた新しいケーキ屋さんが、建物がかわいいしおいしいと買っておいてくれた。

このケーキ屋さんしっているよ、熊本のお店だよ、浦安にもお店をだしたんだ,すごいね。

 熊本の友達のところに遊びにいった時は、本店まで行ってきた。

 お店の外観は多少違っていても雰囲気は童話にでてくるおうちみたいで、コロッとしていてなんともいえずにかわいらしいのが特徴となっている。

そういうわけで、湯布院のお店にもいかなくてはならないのである。

 しかし、町なかの喧騒に辟易して、金鱗湖まで散歩してみた。

ほんのすこし歩くとあたりはのんびりとした田園風景が広がる。

 どうしても見たかった、彼岸花も咲いている。

 コスモスが由布岳を背景に風にゆれている。

刈り取った稲を干すのはこのところあまりみかけないが、その風習も残っていた。

 天井桟敷は、古民家のどっしりした落ち着きと窓のそとに広がる楓が美しい。

 私は窓からみえる緑が大好きでこんな景色のなかで暮らしたいと、いつも思っている。

 そんな至福のときをすごせたが、さて、帰路はというと、30㌔の渋滞というありえないことにであってしまい、予定外に時間がかかってしまった。

 今回、車をだしてくれてずっと運転してくれた友達に感謝している。

 わたしは決して特別でなくみんなと同じ感覚だった、同じような考えを持った人で九州の高速道路はいっぱいだったということになる。


ハノイにもどってきました

2009-09-27 10:21:36 | Weblog

9月28日

関空からの飛行機はベトナム航空との共同運航便なので、わたしの周りはベトナム人が多かった。

 帰る前は荷物の重量制限との戦いがはじまる。

 トランクを何回も体重計にのせては荷物の取捨選択をする時間がつらい。

機内持ち込み荷物も同様に大きさと重さに制限があるので、とりあえず小さくて重いものを手荷物にするが、私の場合は本がほとんどなので重いことこのうえない。

 なのにベトナム人はものすごい量の手荷物を持ち込む。

 肩にリュックを3個かけ、左右の手に紙袋が三つづつ、そのほかにパソコンの箱ももっている。

 わたしのお隣の人も同様、男性なのに棚に荷物をのせられなくて困っていたので、仕方なく通路側にすわっているわたしがのせてあげたけど、前の人の棚のところまで占領してしまう手荷物の量に驚いてしまった。

 空港にお迎えにくる人も多い。

 同席していたベトナム人のお迎えの人数は13人、車が来なくて暇だったのでつい数えてしまった。

 これだからおみやげが山ほど必要になるのだろうとか、国民性の違い、これがベトナムなんだという落ちになってしまう。

福岡では、友達とよく遊んでもらい、そこにはもれなく食事がついてくる。

なつかしいけいちゃん、オーコさん。

 お豆腐料理の有名なお店での食事では時間がたりず、喫茶店でおしゃべりの続きをした。

 おなかがいっぱいといいながら、きれいでおいしそうなケーキがめについてしまう。

 迷ったあげく違うものをオーダーして味見をしたが、「百地浜ストア」という番組で2位だったというモンブランが最高だった。

 ふたりとも元気そう、毎日が忙しいとこぼしているので、どっぷり日本の生活をしているのかと思いきや、周りが秋の装いの中で、いまだサンダル履き、ハノイの今夏大人気のバッグを持っていたりして、まだまだハノイが抜けきれていない様子だった。

 福岡のいいところは街がコンパクトに集中しているのでどこでも歩いて行ける。

その後、わたしは川沿いを歩いてキャナルシティーでお買い物。

 ここが中洲で、川沿いの歩道が夜になると有名な屋台街に変身するが昼間は清潔で静かである。

 福岡の友達とは、松茸会席を食べたり、

居酒屋さんで「明太子天ぷら」なるものをたべたり、

古民家でのランチとかを、

秋色に染まりゆく風景とか、カラッとした空気と青空がいろどりをそえてくれて、いっそう楽しむことができた。

とにかく美しく楽しい時がすごせたのはみんなのおかげ、みんなありがとう。

昨日は38度、今日も同様、暑さと湿気の混沌とした空気のこの街で過ごす元気をもらって帰りました。


今から日本にかえります

2009-09-07 21:37:56 | Weblog
9月7日

今日の夜行便で日本に帰国する。

といっても、夜8時30分に運転手に迎えに来てもらうまで、今朝5時15分にお泊り出張のオットを送りだしてからの、ながーい手持ち無沙汰の一日の過ごし方は難しい。

通常、月曜日は9時からヨガ、1時半からベトナム語、4時から人数が足りない時のテニスレッスンの助っ人と結構忙しいのだけど、今日はゴルフに行ってしまった。

3ヶ月ぶりくらいで日本から戻ってきたゴルフ友達と入れ替わりにわたしの帰国、会いたいけど時間ないねえ、電話で話しはじめると、ゴルフ談義はとまらない。

このところすごく調子が悪いのでちょっとみてよ、ぐちゃぐちゃ話していてもらちがあかないし、車あるからゴルフ場で話そうよ、ということになってしまった。

今日の気温はゴルフ場は36℃くらい、夕方のハノイは38℃になっていた。

街中よりも涼しかったんだとは思ったけど、久しぶりのハノイの友人はプレー中、足がつったと痛そうだった。

わたしはというと、スコアーは悪いけど、おかげさまで気温には負けなかった。

月曜日の日程を、帰国するからとすべてキャンセルしてみたものの、朝食のレストランでしっかりみんなに会い、ばればれ。

みんなは気持よくいってらっしゃいといってくれたけど、ごめんね。

今朝、マスクをもってゆくようにと釘をさされ、バッグにしっかり往復分入れているし、3週間の日本滞在予定はきっとあっという間に過ぎてしまうんだろとは思うものの、楽しい思い出づくりをしてくるつもりだ。

松茸づくし

2009-09-06 08:44:18 | Weblog

9月6日

ハノイの松茸は中国の雲南省から入ってくるらしい。

 南の国で日本より早くに松茸が食べられるのは、高い山が連なる雲南省は秋がもう始まっていて、そこの季節が山を越えてまだ暑いハノイに運んできてくれるからだろう。

ランチの「松茸玉〆丼」の松茸は、あわせていた鶏肉と同じ大きさで、口に入れて「アレッ鶏肉だった」なんていう勘違をしながらいただいた。

 その時メニューに松茸会席があるをみつけ、最初から最後まで松茸ずくしなんて、飽きちゃわないかしらとか、とても興味をもちながらも、前日までの予約が必要だし、夜しかないので無理かなあとあきらめていた。

 香港の出張先から、「紀伊の松茸会席を予約したので土曜日に行こう」というオットからのメールはとても嬉しかった。

 松茸の和え物、

土瓶蒸し、 (スープは飲んでしまってごめんなさい)

松茸にぎり

宝楽焼き、

松茸と鶏肉の炊き合わせ、焼き松茸、 (ちゃんと焼いてくれます)

松茸ご飯などなど、まるで飽きることなく最後までいただくことができた。

以前、カナダのカルガリーというロッキー山脈のなかにある町に赴任していた時、 パインの木がたくさんあるので、日本とは少し種類が違うが、松茸がここでもとれ、日系人の方にビニール袋いっぱい頂いたことがある。

かさの開いた白いしいたけのようなものであったが、ほのかに松茸の香りがして、その時も、ご飯にいれたり、炭焼きにしたりしたことなどを思い出して、会話がはずんだ。

 今回の松茸はわたしのイメージどおりだけど、日本の八百屋さんの店先でみかけるものより数段大きく、りっぱで、オットに感謝、感謝である。


食事会

2009-09-05 16:10:45 | Weblog

9月5日

今日はまた特別に暑く戸外は38℃をさしているが、家の中では快適に過ごしてはいる。

 祝日明けの週末、オットは昨日から1泊2日で香港出張、暇にまませて写真の整理をしている。

うちの会社は派遣員がずいぶん多く、全体を把握することは私達に無理でせいぜい帯同のかたとのご縁があるだけである。

 2日の祝日は会社の歓送迎ゴルフがあり、同じレジデンスに住むものどうしの打ち上げを我が家でおこなった。

 すごく私が頼りにしていたご家族が先に帰られ、本番まで練習会と称して一緒にコースを回っていただいたご主人も帰られてしまうのはとても寂しいが、今回新たにお子さんが3人というかたが同じところに住んでくださるようになり頼もしくも思える。

 ハノイはとにかく人の移動が激しいので、お別れ会、歓迎会はしょっちゅうであるが、ここでの出会いを大切に、楽しい思い出となる生活を送ってゆきたいと思っている。

 我が家はお客様といっても、出し巻き卵、ぬた、野菜の煮浸し、生野菜とかを前菜とし、メインは串かつ、海老のチリソース、餃子、カレーとか普通におうちでいただくものしかおだししない。

このところ料理専門のメイドさんに来てもらっているので、買い物は彼女に御願いできるし、料理メニューにある焼き鳥とかをつくり置きしてもらっていると、わたしが前日ゴルフにいっても買い物に走る必要がなくとてもラッキーだった。

ハノイの生活は楽だろうと想像される方が多いと思うが、食べ物はローカルの市場にはなかなか行けないし、ぼられたりもするのでので、必要なものは特別なところまで行って買い物するという膨大なエネルギーが必要となる。

そんなことから、今回のようにメイドさんに買い物をしてきてもらえるのは、経費、時間の節約になってすごく楽ということがわかった。

 逆に、ハウスキーパー、メイド、エンジニア、その他諸々、合鍵で勝手に家に入り込んでくるのでプライバシーはない。

 今日も昨日料理をしていないだろうと、ハウスキーパーに指摘され、返答に四苦八苦したばかりである。

 我が家だからとのんびりもかまえていられない不便さとどちらを優先するかという大きな問題を抱えながらの、いまの生活ではある。


新学期

2009-09-04 23:11:57 | Weblog
9月4日

9月2日は、ベトナムに数日しかない祝日の一つ、建国記念日で会社もお休みだった。

長い間、フランスに、その後、日本とフランスに二重統治をされていたベトナムが、1945年日本の敗戦を機に、同年9月2日、ホーチミン執筆による独立宣言が、バーディン広場でホーチミン本人によって読み上げられた日を記念したのがこの日である。

しかしこの後ベトナムは、フランスとの独立戦争、アメリカとのベトナム戦争と続く30年戦争を経験して、やっと独立をすることができたのではあるが…。

9月3日は、「盆、VuLan」、ハノイのフリーペーパーによると、この日、紙製の供え物「冥器、Hang Ma」などを燃やす光景が、街のあちこちでみられると書かれている。

いつも登場する我が家のハウスキーパーが2日と3日に休暇をとったのも、故郷に帰ってお墓参りをするのが理由らしい。

昨日3日が日本人学校の新学期、9月5日がベトナムの新学期ときいているが、今日4日、我が家の下にあるプライベートスクールが新学期のセレモニーをしていた。

午後所要で近所をあるくと、幼稚園とかもきれいな飾りつけをしていて、今日が新学期のセレモニーであったと想像される。

実際学校は8月後半からはじまっていて、補習とか新入生のならしとかしているようではあったが、9月が日本の4月と同様、新しい学年がはじまる季節である。

これから、よい一年が送れますように、そしてわたしも、涼しくなることではあるし、つつがなくよい時間が過ごせますようにと、思いも新たに新しい季節をむかえる気分になってきた。