ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

はすの花の行方

2008-05-30 19:50:46 | Weblog

5月30日

 暑い、とにかく暑い

家のドアを開けると、熱風がどっと入りこんでくるので、つい外に出るのが億劫になります。

夏休みは小学校は5月から、高校は6月から、8月いっぱいまであり、5月、6月が一番暑くって、9月になると、暑さも和らぐとベトナム語の先生はいいます。

気温38℃の中ゴルフをしたといったら、その日空港に行く途中の温度計が39℃になっていたと、オットもいいます。

一面のはすの花のお知らせをしようと思っていたら、できないことがわかりました。

早朝、はすの花摘みが行われています。

自然素材で編んだ籠のようなボートを浮かべて一輪づつ摘んでいきます。

花だけを摘むのは、はす茶のためのようです。

わたしは、まだのんだことがないのですが、はす茶はハノイの特産で、世界に定評のある品質の高さをもっているようです。

緑茶の葉に、はすのおしべを混ぜ、花びらや葉で包んで暖かいところで半発酵させ、茶葉にはすの花の香りを移したものだそうです。

この製法で作っているのはハノイの2軒の老舗茶屋のみだそうで、めしべとおしべを分ける細かい作業など見学できるので行ってみてはと友達からいわれています。

このお茶、美容にいいとか健康にいいとかも聞きました。

はすの実は漢方薬にも、おやつにも、料理にも使われる大切な食材でもあるようです。

美しい花が、人々に活気をあたえる花でもあったことがわかって、得をした気分さえも味わっています。


花いっぱいのハノイ

2008-05-28 11:00:07 | Weblog

5月28日

このところ、暑くなり、挨拶に暑いね、がつくようになりました。

この挨拶はこれから先、延々と続くらしいので、恐怖です。

そしていつになく太陽が顔をのぞかせているので、いっそうヒートアップしているわけです。

その効用か、木々が美しい。

ハノイの街路樹は国の所有で、かってに切ったり、いじったりすることができないので、のびのびと大きく育っています。

その高いこずえからの木漏れ日が路上で踊っていて、見る分には、非常に美しいです。

その上、とくに目につくのが、バンランとよばれる紫色の花、白いのもあるようです。 バンランの花

この花は、さるすべりの仲間らしいけど、葉っぱが青々としていて、とても仲間とは思えません。

こちらに長くすんでいる友達の話によると、今年は特にこの花が美しいらしいです。

冬の寒さで葉を落としてしまい、その後もう一度葉を出し、それから花をつけたので、葉が生き生きしていてきれいだけど、その分花の時期がおくれてしまった。

いつもなら、もう少し早い時期に咲いて、ああ、春が来たね、という時候の挨拶となるらしいです。

それから赤い火炎樹が咲いて、夏がくるのが普通だけど、今年は両方一度に咲いてしまった。 火炎樹と湖

この赤い花、鳳凰木とかも呼ばれているようだし、ベトナムの人に聞くと、ホアフーンとも、これはちょっと発音が難しいんですが。

この木は街路樹にもなっているし、庭木にもなっていて、背がとても高く、花が、我が家の4階の窓からの目線で、咲いているのが見えます。

ほかにも、ホアスーとかいう白い花や、知らない黄色い花とかたくさんの花がさいています。

花の名前を知りたいと思い本屋に行ってもそんな本は見つからず、日本だったら、とか思ったりして、ちょっと残念な気持を味わってもいます。


はすの花

2008-05-25 21:30:22 | Weblog

5月25日

 散歩にでると、さすがの私たちも汗をかいてしまいますが、日曜の朝はやっぱり、外にでてみたい。

今朝はこずえからこぼれる日差しが美しくうっとりして暑さもわすれてしまいそうです。

裏の湖のはす畑にいよいよつぼみが目立ち始め、葉っぱもぐんぐん、この前まで池に浮いているとしか見えなかったのに、湖面にぐんとくびをのばしています。

先日、花市場ではすの花をみつけて思わず買ってしまいました。

はすの花のとき、美しいので必ずみておくようにと、友達からもいわれていたからこの時期を、とっても楽しみに待っていました。

花市場のはすは、葉っぱに包まれ、かたくしばられています。

一度とくと、花がどんどんふくらみはじめこぼれそうになったのでそのまま花瓶にさしておきました。

どうも、この買い方はよくなかったみたい。

ばらもそうだけど、一つ一つの花をラップでくるんでいて、ラップをとると、縛りがとれて自由になったとき、いっきに花をひらくのです。

やられたッと、リビングでは散らかりそうなので、ラップをといたはすの花瓶をオットのベッドサイドにおいておきました。

朝、なんか音がして、夜中に何度も目をさましたとオットがいいます。

そうか、はなしにきいていた、はすの花が咲く時パチンと音がするというのは、本当だったんだ。

あなたはその音をきくことができて、ラッキーだったね。

この音を日本で聞こう思ったら、夜中、はす畑のよこで一晩中おきていなくてはならないのにね。

どうしてわたしのベッドサイドでないかって、それは、咲くのはいいけど、そのたび花びらがぱらぱらと落ちてうるさそうだったからです。

もう少ししたら、はすの花の浮かぶ湖面の様子をお知らせできそうです。


鹿島アントラーズ2次リーグへ

2008-05-23 01:04:20 | Weblog

5月22日

アジアクラブカップの対戦チームがナムディンなので鹿島アントラーズが、ナムディンで試合をするらしい、と、ニュースがはいってきた。

ナムディンは車で3時間もかかるので、応援は無理だね、といっていたら、ハノイのミーディンスタジアムに変更になり、ラッキー。

たまたま、アントラーズの社長が福岡時代の知り合いなので、試合の前日食事をご一緒させていただくことになった。

その席で、

会場がナムディンでは国際試合の基準に満たないので、こちらになったとこと。

今回はホームといっても、ナムディンはハノイから遠いので、観客は、200~1000人位しか集らないだろうといわれていること。

1-0でもとりあえず、かてば2次リーグに進めること。

日本からの応援もくること。

日本でのテレビ中継があること。

鹿島はガラスばりで食べ物、飲み物が充分用意されているのと比べると、こちらのはどんなかわからないけど、VIP席を用意しましょうということになった。

案の定、期待はしていなかったけど、VIP席は赤いロープで仕切られているだけ、冷房はなく、無愛想な案内係りがいる普通席という感じ。

しかし、思った以上の観客もはいり、結果は4-0で、2次リーグ進出がきまりました。

 試合の中で、ベトナムらしくて思わずわらえたことがあります。

ボールボーイの椅子が路上と同じ、お風呂椅子をつかっている。

負けが決まる前にベトナム人は早々と帰り、気づいたら観客席は空席だらけになっている。

試合終了後すぐに、VIP席でも、係りの人からは、早く帰れとせきたてられる。

応援団に選手が挨拶をしている最中に、電気がどんどん消されて、あたりは暗闇になる。

アントラーズ関係者は、電気が消え始めると、まだテレビ中継やっているんだぞ、と怒り出します。

電気が足りなくて、計画停電をするような国柄なので、私たちはなにがあっても、これがベトナムだと平気でいられるけど、日本からきた人達は、サービスの悪さにあきれていたようでした。

試合終了がこちらの、午後7時、急いで空港に行き、深夜便で帰国するということでした。

機会があれば、またここハノイで応援したいものです。


ベトナムづくしの昨日、今日

2008-05-17 01:05:09 | Weblog
5月16日
昨日は、小松みゆきさんの講演会、今日は歴史博物館でのツアーでした。
小松みゆきさんは、日本語教師をすることによって知った、ハノイに残されたベトナム人妻についての話でした。
このことについては、2005年8月にNHKで「引き裂かれた家族~ベトナム残留元日本兵の家族」として放送もされたそうです。
1945年、日本が無条件降伏をしてから1954年まで、ベトナムに残留しホーチミン軍の一員として、ベトナムのフランスからの独立を助けた日本残留兵には家族がありました。
1954年からの帰国に際し、共産圏からの帰国は日本では差別される心配があったため、夫のみの帰国となってしまったようです。
妻は帰らない夫を待ちながら、一人で子供を育てていかなければなりませんでした。
その後の、日本がアメリカ軍に基地を提供していたベトナム戦争中は、社会主義の国で、子供達は日本人との合いの子と差別され、義務教育のみで、高等教育は受けさせてもらえなかったため、親子とも生活は苦しかったようです。
現在、残された妻達も年を重ね、おだやかな老後を迎えているとはいえ、こんな家族がいたことは、「私が死んでしまったら、すべては忘れ去られてしまう」という人がいるように、歴史と政治に翻弄された家族のことを、私たちは忘れてはいけないのではないか、というお話でした。
歴史博物館では、1945年までのベトナムの歴史の説明を受け、他国の侵略を受け続けた国から日本をみてみることができました。
昨日、今日と珍しく晴れあがった青空と、さわやかな空気に恵まれましたが、ほろ苦い気持を抱えた日でもありました。



ココナッツ

2008-05-13 22:29:12 | Weblog

5月13日

このところ、30℃は超えるけど、まだ、暑さは本格的でないらしいです。

カントーに行く途中、突然、ミトーに寄ってメコンクルーズをしたいというオットの発案で、寄り道をしました。

ミトーは、ホーチミンから南へ、車で2時間のところにあるメコンデルタ入り口の町です。

ここから船で川を渡って島に行く、ツアーがあります。

といわれても、川が広すぎて、島か陸地か見分けがつきませんが。

南国のイメージがいっぱいのココナッツは、メコン周辺が産地らしく、ココナッツを満載した船にであいます。

ココナッツジュースは、ハノイの路上でも見かけるけど、飲むのは、初体験です。

味は、ココナッツミルクそのもので、まずくはないけど、ぬるいし、お腹いっぱいになるしで、いまいち。

でも、冷たくしたり、器、飾りなどでおしゃれにすると、ヒットするかも。

ココナッツキャンディーの家内工場も島にあります。工場といっても、民家が仕事場で、小規模です。

ココナッツの汁を煮詰めて冷まし、カットして、ラッピングするという単純な手作業でつくられます。

家族総出での仕事ぶりに、とくに子供が大好きなオットは気持が動くのか、ついたくさん買ってしまいました。

素朴な素材そのものの味は、昔懐かしい、日本の飴を思いだしました。

ココナッツ教団のお寺とかもありました。

ココナッツの実だけを食べて生活していた新興教団のお寺だそうですが、政府の弾圧にあい、解散させられたそうです。

海辺で拾った、椰子の実ひとつから、歌が生まれるような日本からでは想像もつかないほど、生活に密着しているココナッツは、それまで、感じもしなかった日本との距離を思いださせるものとなりました。


水と共に生きる人たち

2008-05-11 18:40:39 | Weblog

5月11日

ハノイにいても、湖で小船をたくみに操つる人たちを見かけます。

とくに、アルミみたいな小船に30センチくらいの棒を櫂として船を操っているのを始めてみたときは、ちょっと驚きました。

メコンの人々は、この河と共に生活しているので、船が重要な交通手段となっています。

泥色をして深そうな河ですが、洗濯もするし、台所も河にむかっていて、炊事をする様子がみられます。

カイラン水上マーケットでもそうだったけど、ごみは河に投げ捨てています。

水にながすという言葉は日本でもあるけど、昨今の環境問題を考えれば、これでいいのか?、と思ってしまいます。

そんな河で、子供達は気軽に飛びこんだり、泳いだりして遊んでいました。

足を使って船をこぐのが普通なのか、ここでも、小船を操るのに足を使っていました。

漁をしているようです。

交差した櫂を操るのは、どんな理由からかわからないけど、日本では見かけたことがないなー。

ノンというベトナム独特の帽子は、雨も、日差しもよけて、おまけに涼しいとの利点があり、まだまだ街中でも、重宝されています。


カイラン水上マーケット

2008-05-10 17:14:40 | Weblog

5月10日

カントーで泊まったホテルの桟橋から、早朝、遊覧船で1時間程南へ下ってさらに小船に乗り換え、カイラン水上マーケットの見学に行ってきました。

夜中、川のほうから聞こえる音が耳につき眠れなかったけど、ああ、船のエンジンの音なんだとわかると、安心し落ち着いて眠入ることができました。

カントー周辺の支流を通って、果物や野菜を山積みにした船が続々と集まり、マーケットを形成します。

大小の船が接触し、ちょっとした交通渋滞となる中、船頭さんは両手、両足を使ってたくみに船が接触するのをよけ、舵をとります。

小型船は大型船のそばにつけ、交渉したり、売り買いをしているようです。

大型船は卸の商人の船で、小型船は農家の人々のようです。

農家から買い取った卸商は近隣の都市に船で商品を運んでいくそうです。

小さい船同士での売り買いも見かけます。

大きい船にはサオのような棒がたっていて、先端にイモやキャベツなどの野菜がぶら下がっています。

どうもこれが、ここのマーケットの看板のようで、この船で商っている商品をあらわしている目印としているようです。

同業者同士は大体固まって停泊し、エリアをつくり、その売り買いの間をすり抜けるように、フォーや、チェーを売ったり、エンジンの冷却水の販売船があったりして、活気があります。

中型船以上は、洗濯物を干したり、台所道具、鉢植えの植物、犬や鳥のペットまで同船し家も兼ねています。

ここでも、手漕ぎボートをたくみに操り、縦横無人に川をゆく女性の姿が目立ちました。

子供達が生き生きしていて、特に女の子が可愛いねという話から、ベトナムで職員の採用に苦労をしているオットは、女性の目は輝いているけれど、男性の目は死んでいるのが多い、どうしてだろうとこぼしていました。

わたしもベトナムの女性にあやかりたいものです。


カントー大橋

2008-05-07 00:25:06 | Weblog

5月6日

今回の南への旅の目的は、メコンデルタを感じること。

メコン河は、中国青海省に発し、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを流れて、南シナ海に達する、延長4000kmの東南アジア最長の河です。

この東シナ海に流入している、主な河口が9つあることから、ベトナムではクウロン(九龍)河とよばれているらしいです。

すべての生活に、船ありきのようです。

鉄道はホーチミンまでしか繋がっていないので、この先南に行くためには、船か車を使うしかありません。

たとえば車を使うとして道は、9つの河口に架かる橋で繋がっている国道が一本しかありません。

そして、メコンデルタ最大の都市カントーへは、遠回りとなるので、フェリーで渡ります。

このフェリー、平常でもラッシュアワーは、1時間待ちはざらのようですし、お正月とかには、何時間もの長い渋滞が続くそうです。

この問題を解消するため、日本のODAの協力による、カントー大橋が建設中でした。

この橋が繋がると周辺の住人の生活は格段に便利になると思われます。

ホテルの窓からも、緑豊かな景色の中に、無粋な直線がはっきりとみられました。

自然のままでいて欲しいというのは旅人の感傷で、この土地で生活している人には、そんなこといっている場合ではないでしょうといわれそうです。


南下して思ったこと

2008-05-06 02:05:19 | Weblog

5月5日

4月30日解放記念日、5月1日メーデーとベトナムも連休なので、この機会に、ホーチミンを基点に4泊5日で南を回ってきました。

ホーチミンまでは飛行機で2時間。中2日は160km南、車で5時間かかる、南で2番目に大きい都市、カントーを訪ねてきました。

飛行場に降り立った時からハノイとは雰囲気が違います。今年に入って数えるほどしか太陽をみていないハノイと比べると、カラッと明るい感じですが、今はもう、毎日午後スコールに見舞われる、雨季に入っているようです。

私がアレッと、感じたこと。

その1、やたらとハンモックを見かける。 どこにでもあり、そこでのんびりしている人の姿が目立ちます。

カフェ(喫茶店)のテーブルの横にもハンモックが付いています。ドライバーが一休みする時、この上で飲み物を飲んだり、昼ねをしたりするらしいです。

こちらでドライバーとはバイクの乗り手のことなので、休憩をとるのももちろんだけど、雨季が半年も続く土地柄では、スコールを避けて時間を過ごすためにも、必需品となっているのかもしれません。

その2、女子高校生の制服が真っ白なアオザイである。

うわさにはきいていたけど、本当でした。

ハノイはジャージーみたいで地味なものです。

高校は2部制で、生徒数に対して学校数が足りないので、午前と午後で生徒の入れ替えをするらしく、偶然にこの時間帯にいきあわせたようです。

その3、メコンの河口、この国の南のはずれにあるカントーにベスト電器をみつけた。

 ベトナム全土で2店舗目がここらしい。

北部でみたことがなく、山田でもコジマでもなくベスト電器だなんて、ちょっと驚きでした。

駆け足で、とりあえずベトナムの南の町をみてみようとでかけた、今回のたび。

気温は高いけど日陰は涼しく、きらきらした太陽、青空にもくもく上る積乱雲。

米は年3回とれ、果物は豊かに実り、あくせくしなくても生活できるためか、のんびりとした雰囲気を感じます。

昔、違う国だったからか、南の人は北の人が嫌いらしく、北は寒い、米ができない、今年は寒さのため牛が死んだ、学校も休みになった、犬を食べる、役人が威張っているとか、ガイドさんはいいます。

私自身、夏型だしやっぱり南が好きだな、とは思ったけど、住めば都、ハノイの我が家に帰ってきてホッとしました。