ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

モンゴメリーゴルフリンクスとダナンゴルフクラブ

2013-03-27 19:47:45 | Weblog

3月27日 くもり 26℃ 2013

ダナンツアーの続きになるが…

空港からモンゴメリーリンクスゴルフ場に直行して、10時半のスタートに備える。

このゴルフ場が作られたのは、2007年に私がハノイに行ってから数年後のことで、バンカーだらけのすごいゴルフ場ができたとの評判だった。

行って納得、バンカーだけでなく、できたてのラフはほとんど砂地で、はじめてのわたしはびっくりした。

2012年に、「アジアのゴルフ場ベスト10」の第3位に選ばれたらしく、たくさんの池とバンカーの組み合わせの景観が美しいと評価されている。

特に、14のバンカーに囲まれたグリーンがあるホールのティーグランドに立つと、圧倒されてしまう。

             

キャディーさんは、以前は英語が話せない、距離もクラブも相談しても無駄、カートにのって、クラブをわたしてくれるのが唯一の仕事だった。

いまは、とりあえず英語の単語がでるし、日本語の単語もでるようになって、ずいぶん成長したなあという感想。

ダナンゴルフは、設計者はグレッグ・ノーマン。

米国のゴルフ誌で、2010年「世界ベストゴルフ15選」に選ばれ、2011年、「アジア太平洋のベストゴルフ場」に選ばれている。

16番のショートホールは、グリーンの向こうに白い砂浜と波で遊ぶ人が見え、なんだか自分がテレビの世界にいるような高揚した気持ちにさせてくれる。

             

全体に荒々しさと、池は少ないがたくさんのバンカー、コース、グリーンともにポテトチップで、グリーンは速く転がりも速いという評価。

どちらのコースもラフは雑草が生えたでこぼこの砂地で、フェアウエーにボールを落とさないとスコアーがでないらしいが、それは無理。

評価として、ダナンゴルフは上級者が好み、モンゴメリーはアベレージゴルファーが好むとあるが、それはどうだろう?

見かけはきれいだが、見せかけが多いのがベトナム流、まだ新しいと思っていたダナンゴルフもシャワーやトイレにもう不備がでていたが、美しいコースをみればそんなことは許すことができる。

ハノイのゴルフ場はまだ茶色っぽく、グリーンもあまり美しくない。

ダナンの二つのゴルフ場は、さすがリゾート地、美しく、楽しませてくれ、おそらくみんなが満足できるところではないかと思う。

 


ダナンツアー

2013-03-25 16:45:33 | Weblog

3月25日 くもり 29℃ 2013

週末、会社の人の送別ゴルフと称する、ダナン1泊2日、2ラウンドのゴルフツアーに参加してきた。

ダナンはベトナム中部の街で、ハノイから飛行機で1時間ちょっと、ここからホイアン、フエ、ミーソン遺跡の世界遺産をめぐることができる。

アレッ、空港がきれいになったとオットがいうとおり、ダナン国際空港となり、日本からの直行便がもうすぐ飛ぶようになるそうで、成田、ダナン、シェムリアップ(カンボジア)のルートを飛ばして、日本からの観光客を呼び寄せる準備をしているそうだ。

そのためとはいわないが、道路の整備、橋の建設工事が盛んだった。

人口100万人、中部最大の商業都市で、古くから東西貿易の中継地で、国際貿易港として栄えている。

ハノイから行くと、バイクの数が少ないためか空気がきれい、空が澄んでいる、そのため、夜景もきれいとよいことばかり。

ベトナム戦争中にアメリカ最大の基地がおかれ、1968年の南ベトナム解放戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢は、ベトナム戦争の激戦のひとつとなっている悲しい記憶がある。。

いまは、ベトナムリゾートの先駆けと頑張っていて、昔からのホテルに加えインターコンチホテルやハイアットホテルが海岸線にならび、真っ白な砂浜と蒼い空がずっと続いていて、砂浜には、丸い編み船が並んでいる。

今回のダナンいきはゴルフと、かつてオットの部下だった女性が、親の稼業を継ぐためダナンにもどり、結婚して子供もできた家庭を訪問すること。

ダナンの昔ながらの街筋にある家は、幅は狭いけど、奥行きがあるベトナムスタイルで、1階はバイク置き場と物置、2階がファミリールームで3回がプライベートルーム、家の表はしっかり門扉で囲われ、出入りのたびに頑丈な南京錠を開け閉めする。

過去の歴史からこういうふうなつくりになったのだろうが、戦争が多かったお国柄なのかなあと、想像する。

いまは3世代でにぎやかにくらして楽しそうだが、親御さんは子供たちを大学に出して夫婦ふたりの寂しい生活のときもあったという。

          

幸せそうなご家族にあえて、気持ちがほっこりした。

 

 


作業服

2013-03-19 20:40:01 | Weblog

3月19日 晴れ 31℃ 2013

ハノイに到着したとき、出迎えのオットの姿に笑ってしまった。

まず、仕事の都合上背広しかきたことのなかったオットが作業服をきている、しかも袖が短くて下のワイシャツがすごく目立ってアンバランス。

今度の仕事は工場勤務なので、工場では作業服を着ることが多いらしい。

それどこでつくったの?ときくとベトナム。

どうしてそんなにちんちゅくりんなの?ときくと洗ったら縮んだ。

しかもズボンは細すぎてももから上にいかないのではけないらしい、ベトナムサイズだからという。

日本から取り寄せればいいじゃない、というと、ワーカーさんの分もあるので高くつくという。

昨日洗濯した作業服にアイロンをかけると、袖は短いうえに左右の長さが違っていて、わたしが着ても短い、XXLなのに。

他の人は、細くてはけないズボンはあきらめ、自分のズボンをテーラさんに持って行き、仕立ててもらったとかも聞いた。

みんな状況を愚痴ることなく、なんだかサバイバルを楽しんでいるようにも思えるし、努力もしているのね。

私だって、クッションの中身はアパートの受付の人に聞いて、買いに行くことができた。

マグカップも取り替えてもらえた。

ところが、クッションカバーのファースナが壊れて口がしまらない、また取り替えに行くのかー…

あーあと嘆くと、オットは縫っちゃえばいいじゃないというが、そんな問題じゃあないんだよね。

だけど、これがベトナム…

もう取り替えにいく気力もないので、縫い付けてつかうことにした。

 


チョ ドンスアン (ドンスアン市場)

2013-03-18 06:59:33 | Weblog

3月18日 くもり 28℃ 2013

日本に帰ったとき、ハノイで買っておけばよかったと思うものがあった。

少数民族の特定の刺繍が好きだったが、どうしても日本の家のイメージに合わないので買わなかった。

ハノイのアパートのソファーにクッションがないのがなにかと不便で、そうだ、あの刺繍のクッションを買おうと街にでかけた。

3枚で75ドル、この頃のわたしは値切り交渉は無理とさとっているが、75ドルだったら少しは安くしてくれるかと交渉するも、「 we are  worker 」とかいって相手にしてくれない。

それでいい値で買ってしまうのがわたし。

で、中のクッションがほしいんだけどどこで買える?…ときいたら、ドンスアン、と答える。

前はよく通るが中にはあまり入ったことがないドンスアン市場、本当に売ってるのかな? なんて思いながらその足で行ってみた。

     

土曜日の昼過ぎのものすごい熱気と喧騒にたじろぎながら市場じゅうを歩くというか、商品の山と人をかき分けながら探してみてもみつけられずに引き揚げた。        

この市場は川のほとりに建てられ(現在川は埋め立てられ面影はないが…)、ベトナム中から鉄道と船とで運ばれてきた物資の集積場で、ここからまた物が流れていくという重要な拠点だったと記憶している。

いまもそれは続いているのか、仲買みたいな人による大量な売り買いがされているようで、伝票を片手に大きな荷物がどんどん運ばれてゆく。

市場中にあふれかえった物と人の活気と喧騒に圧倒されるが、このエネルギーと生活感は、こちらも元気をもらえそう。

同じ日、ニューバチャンのお店で新鮮な色合いのマグカップをみつけ、自宅用に買ったがクラックが入っていて中身が漏れてくる。

5ドル50のものだがくやしいので、返品に行くというと、オットは笑って「がんばれー」という。

日本だったら返品は当然のことだけど、安かろう悪かろうの売買では、粗悪品を選んだあなたが悪いといわれそうな心配がオットの表情から察せられる。

日本の常識はベトナムの非常識、かもしれないが、返品と見つけられないクッションの中身探し、がんぱるぞーと気合がはいる。


チョホム(ホム市場)

2013-03-15 09:26:38 | Weblog

3月15日 くもり 24℃ 2013

チョホムの山積の布地は健在だったけど、ドリアンのにおいはそんなにしなかった。

ハノイにきて早々「MOMIJI」というサービスアパートのオーナーさんに挨拶に連れてゆかれた。

今住むアパートの近所にあり、オットの会社の独身男性が数人世話になっているからというので…

オーナーはわたしと同年輩のベトナム女性で、「MOMIJI」と命名した理由を聞くと、すごく日本が好きだからという。

住人は日本人のみ、若い子たちのお母さん代わりでよく面倒をみてくれるらしい。

そこで、わたしの面倒もみてというオットの希望もあるのか…

生活全般の話をざっとしたとき、市場は大きいのが近くにあるから今度つれてゆくといってくれた。

その市場がいったいどこにあるのかと、地図をみると、なんだ、チョホムじゃない、それならわたしはひとりでゆけると、さっそくいってみた。

相変わらずの商品の山のうえで店員はくつろいでいて、商売っ気は感じない…が…

布地の値段をきいてびっくり、メートル、100000ドン(400円)、タカッというと、布幅が広いからと答える。

他の店で90㎝幅の生地がメートル、80000ドン(320円)

以前は40000ドンくらいで、それをどうやって値切るかと頑張る元気があったが、昨日は仕方ないといい値で買ってきた。

わたしがしっている店員さんの暇つぶしは、新聞や雑誌を読んだり、携帯で遊ぶことだったけど、今は、アイパットとかスマートフォンとかを手にしている。

たった短いあいだのこの変化…はちょっとびっくり。

夕方に近づいた道路はバイクがびっしり、この光景は全く変わっていないし、むしろ車が増えた分、ひどくなっているようにに感じる。

こっちが爆発的に変わってくれれば、暮らしやすいのにとは、願っても仕方のないこと。

布地は買ってかえったけど、荷物が届いていないことを忘れていた。

針もはさみも糸もない、さあてこれでどうやって遊ぼう…


ゴルフデビュー

2013-03-13 08:22:00 | Weblog

3月13日 くもり 29℃ 2013

いまだ航空便の荷物さえ届いていない状態で、トランクにいれて持ってきた物だけの不自由な生活をしている。

荷物制限があるのに、他のものよりなによりゴルフバッグを手荷物で運んできたのは、不思議…

今回ゴルフクラブとバッグを新調し、新しい気持ちでハノイのゴルフをやりたいと思ったこともある。

あんまりすることがないので、月曜日、クラブの梱包をほどき、練習場にいってみた。

100球(150000ドン、600円)も打てば充分と思いながら球をもらうと、午前中は100球サービスといって200球も入った思い籠を渡される。

そんなにいらないのにとかぶつぶついいながら、誰もいないいつも使っていた場所でのびのびと打っていたら、湖の中からひょっこり顔をのぞかせる人がいる。          

魚を捕る近所の人だが、あたると悪いので打つのをやめると、大丈夫続けろというサインをおくってくる。

なんだかおちょくられているようであるが、ええい、と思いっきり打つがどうも集中できない。

そうこうするうちに、とても無理とおもっていた200球を打ち終わっていた。

少し自信をもち、明日、ゴルフの会に参加させてもらおうと、連絡すると、OK,場所はヘロンレイク。

このゴルフコースは帰る前に一度だけいったことがあり、湖とバンカーで苦労した思い出がある。

最初がここと思うと気持ちがひいてすぐには返事が返せなかったが、やっぱり行くことに決めた。

終日霧雨の降る蒸し蒸しした天候のなか、結果は無視するとして、2個のロストボールで、なんとか18ホール無事に終えることができた。

プレー費は火曜、木曜のレディースデーで、770000ドン(3000円)、昼食もいれて、1000000ドンでおつりがくるコースはここだけだそうだ。

さすがに前日の練習と当日のコースで体中が痛く、ベッドで苦しんだのは、自業自得というものか。

 

 


チャンティエンプラザが変わった

2013-03-11 09:05:27 | Weblog

3月11日 2013 くもり 26℃

オットの休みは日曜日しかない。

なので、この日になにをするか、ゴルフ、マッサージ、洗濯、一週間分の買い物…

昨日の休日はホアンキエム湖の周辺の散歩からはじまる。

午後再度探索開始、メトロポールホテルの周りがかわったことは報告したが、ずーっとシートをかぶっていた、チャンチエンプラザがオープンしていた。

わたしがいるときに改装が始まるらしいという噂で、品物をおいていないという評判だった。

入口はドアマンがたっていて、タイル敷きのホールにベルボーイ、エスカレーターを含む全体が黄金色にしつらえられきらびやかな変貌。

     

テナントは有名ブランドがずらりと並ぶらしいが、まだ商品がはいっていない空店舗の状態。

ディオールにビトンにフェラガモ、フロアーを上がるとブランドの洋服、豪華絢爛さに驚く。

買い物はできないが、せめて写真をと一眼レフのカメラで記念撮影の光景もはじめてみる。

子供はわくわくするのか、きれいなタイルで跳ね回っている。

だけど、エスカレーターはかならずフロアーをまわるようになっているのは昔からで不便さはかわらない。

ハノイに来たてのころ、ここが国営デパートと教えられ、暗い売り場とやる気のない店員に驚き、そこで買った鍋が使い物にならず、国営デパートでこれだったら、もうハノイで買い物しないぞ、と思ったことは忘れない。

それが、このように変わるべくしてかわったことで、この国の変貌を語ることになる。

しかし、下りのエスカレーターは故障か止めているのか、止まったエスカレーターほど歩きにくいものはない。

これがハノイと言い聞かせながら歩いてくだった。

 

 


ハノイ到着 

2013-03-08 13:57:06 | Weblog

3月8日 くもり

昨日、飛行時間6時間、時差が2時間で、朝10時に成田をたち、午後2時、無事ハノイに到着することができました。

気温26℃、覚悟していたのでそんなに暑くもなく、まあこんなものかなあという感じ。

手荷物の整理をして、夕方少し歩いてみる。

市場というか、路上のやおやさん、魚屋さん、肉やさんが雑然と並んでいる。

冷蔵庫がないテーブルに並んだ肉や魚は買う勇気がなかったが…

パパイアが5個50000ドン(200円)、たまご10個25000ドン(100円)を買ってみる。

今度のアパートは街中にあるので、暮らし向きは便利かもしれない。

         リビングルーム     ベランダから 

夕食はベトナム料理の定番店Cay Cau(カイカウ)に行き、生春巻きと揚げ春巻き、豆腐の揚げたの、野菜の炒め物、炒め麺、生ビール4本とグラスのワインで、800000ドン(3200円)。

このカイカウは歩いてすぐのところにあり、ほかに、オーラックハウス、ナムフーンにも歩いて行ける。

今日は荷物の整理をして一日がおわりそうなので、歩いてオペラハウスまでいってみようかと思っている。

写真もいっしょにと思ったが、新しいPCで取り込み方がわからない、困った。

ここはじっくり時間をかけて学習することにする。


実家でみつけた春

2013-03-03 19:17:34 | Weblog

3月3日 くもり 2013 ひなまつり

先週、引越し準備の合間をぬって、実家に墓参りを兼ねて行ってきた。

北九州の片田舎に一人で住むわたしの母は、梅の花が好きで、庭に何本か植えている。

2月の末、春先の陽射しを浴びに庭にでてみると、枝いっぱいに花をつけていると思った紅梅は、すでに花びらを地面の上に散らしはじめていた。

        

白梅は固いつぼみのつく枝先に少しずつ花をつけ始めている。

        

寒くて暗い冬から一番に春を告げてくれる梅の花。

一人で古い家に暮らす母にとって、梅の花は待ちにまった春到来の使者であり、暖かいそとにでかけることができる希望の花となるのだろう。

梅に誘われて庭に出たものの、他にも春のおとずれを探してみる。

ふきが陽射しをいっぱいにあびているし、水仙もさいている。

       

父の墓は、いっぱいに咲く白い水仙のやさしいかおりに包まれていた。

春の訪れは確実で、あとすこし待てば桜の季節もやってくる。

日本はなんて美しい国なんだろう、季節がめぐるたびにあきずに思ってしまう。