ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

いよいよ結婚式

2010-03-19 10:40:04 | Weblog

3月19日

去年の2月から一年かけて準備してきた結婚式に出席するため今晩日本に帰る。

といっても 準備したのは息子達で、私がすることは何もなく、せめてこれくらいは手伝わせてと用意したのが、披露宴の会場入り口に飾るウエルカムボード。

小ぶり、上品、清楚なこの作品は本からとったもの。

もっと夢のある楽しいものをと願って作ったのがオリジナルのこれ。

 会場がどんな雰囲気かわからないが、このボードをみたみんなが幸せな気持になってくれたらいいなあ、そして私がこれを描いている時すごく楽しくて、この気持が伝わってくれたらいいなあとも思っている。

 もともとキャラクターものとか、テーマパークとか私はあんまり好きでないので、息子から式場の希望を聞いたとき、すごく驚いた。

帰国中のことで、すぐにハノイのオットに電話をしたら、僕達の生活にありえないことをやってくれるということは、この結婚式を子供たちからのプレゼントと思いおおいに楽しもう、という返事が返ってきた。

二人の日程が非常にタイトで式の予定はこの日のみ、それが春休み、3連休の中日で、まずは予約を取ることから準備がはじまり大騒ぎをした。

 最高に混雑する時期のディズニーランドで、たった一日2組しか予約が取れないシーのゴンドラに乗りたいというお嫁さんの希望をかなえてくれたのはわたしの友人。

 明日の晩は、浦安のテニスクラブの友人たちが、久しぶりに会えるからと飲み会をひらいてくれる。

 結婚式当日、ハノイで知り合った友人家族や、株主になったから優待券が使えると浦安の友人達がディスニーシーまで来てくれて、ゴンドラに乗っている息子達をお祝いしてくれるという。

 別の友人はたまたま実家のお母様をつれてわたしと同じ日に同じホテルに宿泊しているという。

 この結婚式にわざわざがあったり、偶然があったりとはいえみんながわたしの家族のことを気にしてくれ連絡してくれることが嬉しくてありがたいなあと感謝している。

 当のご本人たちは、またお母さんの友達のにぎやかなおばさんたちが集ってきてと思うかもしれないが、これもお祝い事なので我慢してもらうことにする。

 両親が海外にいて、わからないこと戸惑ったことなど、PCや携帯電話で連絡をとりながらなんとかクリアーしてきたが、そばにいて手伝えなかったことが少し残念。

忙しいのに、二人でよおくやってきたなあ、そしてわたしたちにこんな嬉しいことをプレゼントしてくれて本当にありがとう。


バーサウ送別会

2010-03-16 22:11:11 | Weblog

3月16日

 このところどんよりしたお天気が続き、いままで雨が降らなかったのでなんとか我慢ができていたけど、夕方の霧雨が朝方まで続き、湿度がものすごく高くて、どうにもこうにも気分がすっきりしない。

 ハノイの人によると、これは雨でなくて霧と呼び、この雨か霧が植物が生長するのに大きな力のもととなるらしい。

 今は短い春のさかり、空をあおげば木々の若葉が美しい。

 先日のヘリテージツアーの時、高い梢を赤い花で染めている木の説明があった。

 この花の名は「ホアガオ」といい、おしべが米のかたちににていることからベトナムでは「米の花」と呼ばれている。

 ハノイの別れの季節は6月でこの時期に重なる思い出の花が「バンラン」という薄紫の花だが、我々にとっては3月が別れの季節で、この「ホアガオ」の花が忘れがたいものになるかもしれない。

今日、明日とバーサウ、ごきげんよう会の送別会。

 バーサオには私はこのところほとんどご無沙汰だが、今日はとても親しくしてくださった方を含め、3名の送別会だったので出席させていただいた。

バーサウのゆわれは、火曜日(ツーバー)と金曜日(ツーサウ)にテニスをしましょうということからときいている。

 少し前まではどちらもバランスがよく、独立して行事ができたが、最近特に金曜日の出席者が少なく、うまくまとまらないので、今回は合同の送別会にしたとお世話役の説明があった。

先輩方が作り、育ててきたこの会を今閉じるわけにはいかず、細々とでも続けて、次につないでゆくのが私達の使命でもある。

ゲームの待ち時間に、横浜支部とか、千葉支部とかいう声が聞こえてきたので、第1回温泉テニスの紹介をした。

 以前、「日本に帰ったら温泉に泊まってテニスをしようね」、という話で盛り上がっていたが、今月末、福岡在住の人が音頭をとってくれてこの話が実現し、たまたまわたしの帰国も重なったので参加させていただくことにしている。

 これを機会に、日本各地に散らばってゆくハノイのテニス愛好者がハノイでの思い出をあたためてゆく会が各地で芽生えたらすごく楽しいのでないかと思う。

 日本に帰っている皆様、それからこれから帰ることになる皆様、前にも書いたけど、ハノイでのお付き合いがきれることなく、一緒によい思い出を育ててゆけたらすごく素敵なことだと思いませんか?


送別会ふたたび

2010-03-11 21:39:27 | Weblog

3月11日

 いつものことなので慣れればいいのだけど、こればかりは慣れることがないまま、また送別会のシーズンがやってきた。

 昨日は、わたしが所属しているヘリテージの街歩きツアーのリハーサルと送別会があった。

今回本帰国する人は3名、中心となって活発な活動をしてくださっていた方達なので、とても寂しく、今後のことを考えると少し不安になってくる。

 今回のツアーで紹介するホーチミンさん関連の建物で、展示されている写真のホーチミンさんと同じ立ち位地で撮ろうというのが、この写真、みんないい笑顔をしています。

そして今日は、KIMIAKA杯送別コンペ。

わたしの友達はたいがいどこかでかぶっている人が多いので、今回も昨日に続き同じ人の送別もかぶっている。

今回のコンペは団体戦で、チームの平均スコアーの結果をだしての現金争奪戦。

ウエアーに色縛りがあって、KIMIAKA杯にちなみ、黄色、緑、赤を身につけるが、強制はないので、、スカーフや赤いばらの花をつけたりする工夫もOK。

 送る側の寂しさをカラフルなウエアーで覆い、そとめははなやかなゴルフ場になっている。

わたしは進行係りなので、結構前で目だつけど、裏で細かい作業をしてくださるかた、会を盛り上げようと気配りしてくださるかた、いろんな人の協力で作り出された時間がみんなの楽しい思い出のひとつとなりますように。

 そしてこのごろは、ハノイでのお付き合いを日本に帰っても続けようという芽が育ちつつあるようで、これは楽しみなことである。

 いつかどこかで、というお別れの言葉でなく、また日本でお会いしましょうという前向きなお別れの言葉をだすことができるようになり、とても嬉しく思う。


おもてなし ありがとうございます

2010-03-09 20:23:48 | Weblog

3月9日

日曜日から気温が下がって、今日も16℃、いつものことながら暑かったり、寒かったり、体調管理が大変。

 日本も雪が降って寒いようですね。

 土曜日、会社の新婚さん(といってももう2年くらいになるかなあ)からのディナーの招待を受けた。

 この夫婦の年齢は、我が家の長男と同じ位の年頃で、私は勝手にこの子たちのハノイのお母さんを自称している。

 結婚式を終えてそのまま、ハノイで暮らすことになり、たしか、お嫁さんの荷物がダンボール2箱とか3箱とかから、生活がスタートしている。

 ハノイの住居はサービスアパートで、家具と食器は最低限完備されているのですぐに生活を送ることができる。

 しかし、こまごまとした生活用品はそのつどそろえていかなくてはならないのがやっかいで、どこで何を売っているのか買ったらいいのか慣れるのに時間がかかる。

 この食卓も、ひとつひとつハノイで揃えていったもので、わたしも一緒に買い物をしたものとかがあり、思い出がここにつまっている。

プレイスマットとナプキンは、ベトナムのウエディングセレモニーが刺繍されていて、かわいくてわたしも一緒に買ったもの。

 ディナー皿は、ベトナムのミンロン社製、同じくウエディングセレモニーがモチーフで、わたしもこれを買うつもりというと、オットも可愛いのでぜひ我が家にも欲しいといっている。

 バチャンのお皿も、どこでどういう時に買ったものとか、わたしの思い出にもかさなってくる。

 わたしの年代は海外駐在といえば家庭でおもてなしをするとういのが普通で、なれないながらやってきたものだが、このごろは会社もレストランですませるようにとかいうことになって、そういうことをする必要がなくなってしまったのは楽。

 だけど、おもてなしをすることによって、料理の選択や、食卓のものを買い揃えたり、飲み物の選択やうんちくが必要であったりとか夫婦ではなしながらすすめてゆくことが必要になり、家庭の歴史が深まってゆくようにおもえる。

新米さんが、ご主人とはなしながらこのプロジェクトを完成しようとしている姿を想像すると、はほほえましくて、すごく素敵なことに思える。

 私達を招待してくださってありがとう、また我が家にも遊びにきてくださいね。


キュランダ(ケアンズ最後編)

2010-03-04 00:32:58 | Weblog

3月3日

 旅行誌で絶対はずせないケアンズの楽しみ方NO1はキュランダ観光とある。

 1988年に世界遺産に登録された、世界で最も美しいといわれている世界最古の熱帯雨林で、そこではコアラを抱いて写真が撮れる。

 オーストラリアでは国ぐるみでコアラを保護しているので限られた州以外はコアラを抱っこできないらしいが、ケアンズは大丈夫。

行きは列車、帰りはスカイレールにのるというツアーに参加した。

 こんな山の中にどうして鉄道ができたかというと、山奥に木材の伐採で入植していた人たちがいたが、大雨で道路が寸断され、食料の供給をたたれた鉱夫たちが一日も早い物資の輸送手段が必要だと建設したものらしい。

 もっも高いところで海抜300mくらいだが、重機などのない時代にこんな山肌に鉄道を走らせるなんて大変な仕事をしたものだとほとほと感心してしまう。

 滝をみるために途中下車をしたりしながら、

徐々に下界から隔絶された世界にむけて列車は走り続ける。

 キュランダ村のコアラのいる小動物園には懐かしいエリマキトカゲやカンガルーにもであったけど、みんな暑いのでぐったりしている。

 コアラの体重は6㌔、結構抱き重りがしたが、起きているのか寝ているのかおとなしく、ぼんやりとされるがままになっている。

帰りのスカイレールは7.5㌔もあり、木をいためないように熱帯雨林の上をつないでいる。

かなり上空をわたしているので緑の絨毯と空の間の空中散歩は、まるで違う世界にいるように思える。

毎日びっしりつまった日程のあわただしいケアンズ滞在は、あっという間に終わってしまった。

さあ、またハノイでの現実を乗り越えようと、元気をもらったテト休暇に感謝している。