ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

連休です、バンコクに行ってきます

2009-04-28 23:34:58 | Weblog
4月28日

先週木曜日から、福岡の友達がお母さまと一緒にハノイに遊びにきてくれた。

木曜ゴルフを終えてから、急いで空港にかけつけ、それから昨日の深夜便まで、ハノイを案内させてもらい、わたしも久しぶりに街歩きを楽しむことができた。

今日は、火曜定例ゴルフ、迷ったけど、とりあえず気分転換のつもりでいってきたが、結果はグッド、気持ちよく楽しい時間を過ごすことができた。

そして明日から、30日と1日がこちらの祝日で連休になるのを利用して、バンコクに行ってきます。

バンコクは、10年ぶりくらいかな、まだ、モノレールが建設中のときだったので、ずいぶん変わっているだろうな、楽しみです。

帰ってきたら、バンコクのお話をきいてください。

とりあえず、行ってきまーす。

ちょっと、ショック

2009-04-18 22:06:05 | Weblog

4月18日

ベトナムは親と同居のケースが多い。我が家のハウスキーパーの話の中にも、マザーインロウということばがよくでてくる。

彼女は、家を持ちたいという希望があり、家計も切り詰めて働いているため、義母さんは、家で孫の面倒を終日みて協力してくれているそうだ。

これが普通の生活スタイルらしいが、 ある時、大変そうだなと思い、いったい義母さんは、何歳?と聞いたらわたしより2歳年上だった。

そうだよね、わたしにはまだ、嫁もいないし、孫なんてとんでもない年齢だからと思ったが、ベトナムの年齢の数えかたは、昔の日本と同じということを思いだし、西暦で何年生まれ?ときいたら、私より2年若くて、ちょっと、ショック。

  わたしはといえば、テニスだゴルフだランチだと終日遊んでばかりいる。ハウスキーパーのフンさんはこんな私をなんと思っているのだろう。

先日の日経のコラムに天皇の金婚式に重ねて、50年前の日本を描いていた。

 池田隼人首相のもと、所得倍増計画で、日本がしゃにむに成長していった、「3丁目の夕日」の時代のことである。

ベトナムは戦争が終わって30年、今がまさにその時代といえるかもしれない。

 わたしたちの母は、戦争を経験し、結婚、出産、子育と家族のことで一生懸命でそんなに遊ぶゆとりはなかったはずだ。 だけど、家族はしっかりつながっていた。

私の時代、子供たちは結婚しない、バラバラの都市で生活している、しかも海外に住むことになってしまい、生活実感がなく、時間をどうやってつぶすかにいつも頭を悩ませている。

ベトナムもあと20年、30年後はわたしたちみたいな戦争を知らない世代が歳を重ね、人生の後半生に向き合うようになると思うが、私達をみてあとに続きたいと思うのか、別の人生を歩みたいと思うのか、聞いてみたい気がする。


ゴルフ マスターズ

2009-04-14 23:13:57 | Weblog

4月14日

昨日、一昨日と3時とか4時に起きてテレビのマスターズの中継に夢中になった。

片山選手頑張りましたね。残念ながら、こちらの画面に登場する機会が少なく、順位を見て、一喜一憂する始末。

日本だったら、遼君、今田選手ともどもずーっと見られるのに残念だね、とオットとはなしたが、プレーオフでケニー・ペリーに勝ってもらいたくて、どきどきした。

それにしてもマスターズのコースの美しいこと。我が家の映りの悪いテレビでもそれを感じることができた。

ハノイと違うのは、空の青さ、あの美しい青空がすべてを輝やかせている。

わたしは、「風の大地」を傍らにおいて観戦していたので、マスターズのコースは攻略済み。

本屋で探しても見つけられず、とうとうアマゾンで買い足してこちらにもってきている。

この漫画は37巻からマスターズ編で、手持ちの47巻目は18ホールの戦い中、雑誌ではプレーオフ中で話はまだ継続中であるらしい。

今日のゴルフの定例会はマスターズの話で持ちきり。選手のウエアーがコースに映えて美しかったので、いつもは黒っぽいものばかりの私も、赤のポロシャツを着てみたが、そんな人が多かったかな。

今朝未明、すごい雨と雷の音で目を覚ましたが、その後、空には朝焼けが広がり、朝から久しぶりの晴れとなった。

この数ヶ月お日様を見ることがなく、湿気が多くて体調を崩す人が多かったが、気温はそれほど高くはなかった。 

今日は気温も上がり30度は越えたと思う。いよいよ暑くなるのだろう。

プレー中、顔が赤いねといわれたが、家に帰ってもほてりは取れないし頭痛もあって、軽い熱中症にかかったみたいである。

 先週、今シーズン初の3日連続ゴルフに挑戦したが、2日でダウン、3日目はキャンセルにしてもらった。

これから続く長くて暑い夏にむけて体力温存が必要、テレビをみたからといって、成りきるのはやめよう、ボツボツと長く楽しめるゴルフを目指そうと思うことにした。


さくら祭り

2009-04-12 17:48:25 | Weblog

4月12日

 4月10日から12日まで、「日本さくら祭り」があるというので、会場をのぞいてみた。

 2010年、ハノイ建都1000年をお祝いするイベントとして「さくら」をシンボルに日本文化とベトナム文化の交流でハノイ市民と共にお祝いし、両国相互の友好関係を更に深めるため、記念文化講演会、芸術展覧会、企業、大学、学校紹介、日越各種パフォーマンスなど盛りだくさんなプログラムで開催されるとある。

 去年はハノイにいなかったので、友達から会場のすごい人出とさくらに群がる人の様子をきいていたが、今年はスタジアムを使っていたので、かなりゆったりした感じがした。

 会場には、こいのぼりが泳ぎ、フェイクの桜の木が飾られ、そうそうこの季節、日本のあちらこちらでこんな様子が見られると懐かしく思いだされた。

 空輸したさくらが見られると楽しみだったが、見つけられず残念。

去年、ゆかたを体験してもらうという企画の手伝いをした友達が、着せても着せてもズルズルと着崩して悲しかったといっていたが、今年もその様子は変わっていない。

 しかし、造花ではあっても桜の前で、記念写真を撮る人たちの楽しげな顔つきはみているわたしも嬉しくなってしまう。 

日本料理屋さんの出店もおおく、各種趣向を凝らしたお祭り屋台が並んでいた。

 「萌え」というメイドカフェがハノイにもできたと、新し物好きのオットが昼休みに行ってきて、ちょっとがっかりした様子であったが、これがあった。

オットはその屋台の前から動かず、とうとう店の売りのクレープを25000ドン(150円)で買ってきた。

お味はゴムを食べているようで、まだまだという感じ。

 異国での、文化の交流は時間がかかると思うけど、こういう歩み寄りがお互いを知る大切なこととなるのであろう。


最後の晩餐

2009-04-09 21:51:41 | Weblog

4月9日

親しくしていた友達の本帰国直前、彼女と濃密な時間を過ごすことができた。

ベトナムで心残りのないように、食べたいものの希望をききながら数日を過ごしたが、いよいよ今日の深夜便で帰国という日、彼女の希望のランチは、1人鍋であった。

チュクバック湖の湖畔には、歩道にござを敷いて鍋を食べさせる店が夕方からオープンするが、そんな鍋屋にはいけず、近所の屋内の鍋屋にいった。

ベトナムでは、1人鍋を「シャブシャブ」と呼び、日本発祥だと信じている人が多いが、実はこの形は台湾から伝わってきたもので、台湾で最初に「シャブシャブ」を流行させた店が、1人鍋の形式をとっていたため、台湾の人もこれがしゃぶしゃぶと誤解しているらしいと雑誌にかいてあった。

この店は1人用鍋用コンロがあらかじめテーブルに埋め込まれていて、材料も1人分ずつ、シーフードや肉や野菜、えびなんかは生きていて足をもぞもぞさせているのが皿にのせられて運ばれてくる。

みんな新鮮でおいしいためか、ランチというのに満席で、酒をのんでいるひとが多い。

白鹿の4合びんをテーブルにのせていたり、月桂冠の1合びんを燗をつけて飲んでいるのは、この料理が日本料理だと信じているからなのだろうか。

 ディナーはモロッコ料理の店に行こうと連絡があった。

まだ知られていないが、ハノイで初めてのモロッコ料理屋さんがオープンしたばかりで、別の友人が、自分のトラウマの「クスクス」にチャレンジしたいからと。

彼女が昔フランスで、おいしいからと勧められた「クスクス」が体調不良のため食べられず、逆につらかった思い出しかなくそれ以来食べてないので、食べられるかどうかためしてみたいからという理由である。

結果は彼女にとっては○、おいしいじゃないという感想。

わたしにとっては、「クスクス」とはなんぞや、に始まる。

鳥になったみたいというのが最初の印象、だって鳥のえさみたいに小さくて丸くて、口に入れるぼそぼそしているから、ひえか粟をたべているのかと思ってしまった。

「クスクス」を調べてみた。

硬質小麦であるデュラム小麦を粉にし、水分を含ませ、そして粉状にしてから蒸して乾燥したもの。

このデュラム小麦は乾燥パスタの材料でもあり、同じ仲間どうしで、クスクスはもっとも小さな乾燥パスタともいえるとある。

モロッコ料理ははじめての味覚だったけど、やさしい味付けでこれといったインパクトはなかった。

最後の晩餐が、思い出のベトナム料理でなくアフリカ料理だったなんて、わたしの友達らしくて素敵なお話だと思いませんか?