ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

ホーローの食器

2015-01-22 10:22:45 | Weblog

1月23日 くもり 24℃

キッチュなホーロー食器がいま友達の間で話題になっている。

実は私は、3月7日に本帰国の予定であり、そのためか、日本からのお客様が数組来越予定、彼女たちに楽しんでいただけるハノイを探索中である

    ホーローの食器もいいかも…ということで、行ってみた  

ガイドブックにも載っているお店、店先にディスプレイされたホーロー食器に気持ちがそそられる、かわいい…

ちょっと分かりずらい問屋街にある食器やさん   こちらのホーローは前のお店の半額くらいでお安い

しかし、台所道具、メラミンの食器の中に埋もれている中から探さなければならないし、数が少ないのでお目当てのものは見つかりにくいかも

   写真を撮っていると奥の方でおばさんがピースしているとの友達の言葉に  

再度挑戦、いい笑顔、ベトナムの人には珍しい笑顔と人懐っこさに心があたたまる、こんな光景にはめったに遭遇しないもの、うれしい

       マグが8万ドン(400円)くらい、お皿が小さいので7万5000ドン(350円)くらい

引っ越し荷物はできるだけ少なく、生活はシンプルに、物は置かないを目指しているわたし、こんなもの買っていいのかなあ、何に使おう…

子供のころのイメージと違う使い方があるはず、考えてみるのも楽しい、そしてきっと、帰る前に買い足してゆくのだろうな…荷物、増えちゃうな…

お昼を食べ損ねた私に付き合いカフェでひと休み 真ん中のココナッツアイスクリームがわたしの

カラメル、カラメルタップカムはプリンだけとプリンにいろいろ混ぜたもの、みんなあっという間にたいらげてしまった

カフェや街中であんまり物を食べないわたしにとって、これは久しぶりの経験で、こんなハノイもあったといまさらながら、新発見に心がおどった

 


ハンザ市場

2015-01-21 08:23:35 | Weblog

1月21日 くもり 23℃

ハノイに住んで2年たって、はじめて新しくなったハンザ市場にいってきた  

以前住んでいた時、ヘリテージのガイド初体験がここで、資料を読んだり、調査したり、原稿を作ったり、思いっきり歩き回った記憶がある。

日本からの友達を案内したとき、頭が痛いといって中に入らなかったのは、霊感の強い子なのでさもありなんと納得したのだが…

ハンザ市場のある地域はハノイ城下の東のはずれに位置し、近くに河が名が流れているので昔は革製品の問屋市場として栄えていたが、その後いろいろなものを売るようになり、ますます人が集まる場所になった

そんな人の波に隠れて、反政府グループの地下活動の拠点となったのもこのあたり

印刷所の地下でチラシを印刷して発送したり、放送局や新聞社もまわりにあった

1945年から1954年までのベトナムがフランスからの独立を勝ち取る戦争の時、フランス軍はこの近くに砦を築いて拠点として戦った

ベトナム軍もハンザ市場の前のホンハー劇場に本拠地を置き戦を続けたということで、この市場の周りには多くの人の血が流れることになり、霊感の強い人は苦しくなるのだと思う

2010年ごろハンザ市場は壊され、地上4階地下2階建ての新しいビルに建て直されたことで、ハノイらしい風景が消え、足が遠のいてしまった

友達から、ハンザの2階がおみやげやさんっぽくなって、面白くなったとの情報を聞き、いってみることに

地下は古着屋さん、洋服屋さん、食品など以前あったお店が戻ってきたようだが、以前よりきれいに区画が整理されつるされるようになり少し清潔っぽい

バチャン焼き屋さんも健在で並んでいる、B級品だけど安いと聞いていたけど、たしかにバチャン村や2階にあるお店よりお安いようだ

2階が一番充実していて、3階は改装中というところか…  区画わけやディスプレイが今風で楽しい

  

残念なのは、売り物と思うけど値段がついていないこと、値段を聞いて買わないと、いくらだったら買うのかと交渉してくる、これは今も昔も変わらない

旧市街にない展示のやりかた   

いまのハノイはスクラップアンドビルドで、空気が悪いのに加えてものすごく埃っぽい、そして新しいビルが建ち、道ができ、どんどん変わっていっている

そうなると、便利できれいになるけれど、昔風の暮らしがなくなり、ハノイのお寺のようにどこもまるで同じもの、同じ景色に変わってゆきつまらない

私の好きなハノイの景色は、木立ちとともに暮らしている人々の生活、木立ちにおおわれた道路、緑に覆われた街並み

壊れかけたレンガ塀に移る影、きりなく並べられるので、ここでやめることにしよう

 

 


かもめの玉子とふじたま

2015-01-16 21:55:27 | Weblog

1月16日 はれ 17℃

日本ねたが続きます

年末乳頭温泉にいった長男夫婦のおみやげの、「かもめの玉子」

山梨石和温泉でかってきた 「ふじたま」 

「かもめの玉子」は、1952年、二町五村が合併し、大船渡市が誕生したことを記念して生まれたお菓子

「ふじたま」は、おそらく、富士山が世界遺産に登録されたことを記念してあやかり商品かとおもわれる、値段はどちらも忘れた

どちらも黄味餡をカステラ生地で包み、ホワイトチョコレートでまわりをコーティングした、まるで同じもの、これでは「かもめの玉子」はあせっただろうな

でも軍配は、「かもめの玉子」にあがった

カステラ生地のしっとり感がまるで違う、口あたりもやさしい、まねっこするなら、元祖を超えるものでなくては…と思う

コピー大好きなお国柄のベトナムに暮らしていて、そのことを非難していたが、日本にもコピー商品があったことは少し残念

そういえば、今日、「ごまたまご」をいただいた、これも同じようなお菓子だが、このお菓子が出たときから、私は好き

まっ、おいしければいいか、ご当地のものだから……でも少し、個性がほしいかな、名前だけでなくて…

 

 

 


新年 新しものづくし

2015-01-14 19:56:49 | Weblog

1月14日 はれ 16℃

ハノイにもどってきて、一週間も過ぎると、日本での事、ハノイに戻って来たときの気持ちなど吹き飛んでしまうくらい、毎日が刺激的なのではあるが

1月4日、ノイバイ国際空港ターミナル、ニャッタン橋(日越友好橋)、空港と市街を結ぶ連絡道路がオープンした

翌5日、私は日本から戻ってきたわけで、できたての空港は、建設途中から美しいと思っていたが、明かりのともった美しさは最高、飛行機から見たとき、わくわくした

        ターミナルもぴかぴか

空港から帰り道、夜道を何気なく見ていたわたしは、なんか変、これって新しい道路?…と聞くと、昨日オープンしたと運転手…そうなんだできたんだ…

夜間にもかかわらず、見物する人で橋の上は歩行者あり、バイクあり、止まった車あり、記念撮影者あり、逆走する車あり、しかも車は80㌔で走っている

後日の写真     ベトナムで一番大きいつり橋

空港、橋、道路の建設費は、合計1831億円(うち、円借款1316億円)日本のODAの援助によるもので、日本はすごいことしている

2007年、ベトナムの南で日本の協力による橋が建設途中に崩落したことが原因で、ハノイの工事が1年延期になり、その後再会するものの遅々として工事が進まず、開通式が延期となっていた

建設計画からおよそ10年の年月をかけてここまでこられたことに、建設に携わった人たちは感慨深いことと思う、大変大きな仕事をやてのけた

これで、空港までの時間が10分から15分短縮になるというが、わたしの運転手は5分しか短縮にならないといいながら、いつもこの道路と橋を使う

それも理解できる…道路が新しくきれい、片道4車線、側道を走るバイクとの距離が大きくて圧迫感を感じない、まっすぐな道はとても気持ちがよい

ところが新し物好きのベトナム人、とはいいながら誰しもと思うが、見てみたい、行ってみたい、ということで、物見遊山で橋を上ってくる

感覚は通常の道路と同様、橋を歩行者が横断したり、バイクの走行車線に車が止まるのでバイクが車道にはみだしたり、交通ルールはなく、危険

橋の上に綿菓子売りがでていたという情報もあったりして、まるで観光地

この橋の通行量は無料、メンテナンスの得意でないベトナム人がいつまで安全、清潔を保ってくれるのか、とにかく美しいままでいてほしいと願っている

日本はすごいことをやっていると、みんなにいってまわりたい気分である

 

 

 

 

 


謹賀新年 怒涛の日本滞在

2015-01-07 17:04:09 | Weblog

1月7日 くもり 18度

1月5日、寒い日本から帰ってきて、意外とハノイが暖かいのに安心していたら、今日から寒くなるという予報

私の運転手は運転中もコートを脱がない……ベトナム人にとってはそれくらいの寒さのようである

新年あけましておめでとうございます、

年末年始をあわただしく過ごしたわたしにとって、ハノイに帰ってきてやっと普段の生活がはじまりほっとしている

年末28日羽田着、29日と30日で、新年早々台湾に赴任する長男夫婦とお嫁さんのご両親とで石和温泉(山梨県)で過せたのが唯一のご褒美かな?

わが家の旅の定番、ワイナリー巡りで、うっすら雪景色の河口湖、山中湖近辺をドライブ  

富士山が大きすぎて、カメラに入らない、と叫びながら、空の青さ、白くて大きなお山、きれいな空気にひたりながらも

ワインの試飲、また試飲、買い物と続き、ワインの詰まった袋を引きずるようにあわただしく家に戻り、お正月の買い物をしている最中、三男の帰宅

彼の何を食べさせてもらえるのかわくわくする…という嬉しい言葉をきいて舞い上がって料理したが、なにを作ったのかは忘れてしまう始末

31日は、実家の前の海で獲れる牡蠣をお取り寄せし、友達を呼んでのパーティー、ここであらかた買ってきたワインはなくなってしまう

今秋結婚する友達のお嬢さんと一緒に台所に立ち生春巻きを作りながら、この子が小さい時もこうして一緒に台所に立ったことがあることを思い出し、

こんなこと前にもあったねと話ながらなんだか胸がいっぱいになる私、 様々なかたちはご愛嬌

年末価格か生春巻に入れるエビがあまりにもお高くて買えず、サーモンやマグロで代用するが、いろんな人がいろんな大きさに巻き、それを比べて、わいわい騒ぐのも楽しいひと時だった

お元旦は、時間切れで調理できなかったものをちょこちょこ作ったり、買ったもの、残り物で、とりあえずおせち風にとりつくってみる

今年の試作品は味付けたまご、友達に教わったのを何度も作って、まあまあといえるほどになった時、40個の卵を使いきってしまっていたのも思い出      

                       

家族三人遅いおせちを頂いているとき、雪が降りそうなのではやめに東京にでてくると、山梨から長男夫婦がいきなり戻ってきておおあわて

そこから大人5人家族になってみると、老後のためにリフォームした、2部屋しかない我が家

私の部屋を長男夫婦に明け渡すとベッドの足元には息子のチェロが2台おかれている、布団難民のわたしはオットの部屋に間借りすることに…

チェロは台湾に持って行くつもりだったが、手荷物が多すぎ、湿気も気になると、結局これを断念したため、これからずーっと私の部屋に居候となることに

海外出張の多い長男でも赴任となると勝手が違うようで、少し緊張気味、お嫁さんは疲れでダウン、わたしも緊張が移った気分で落ち着かなかったが

1月5日、長男は6時45分のバスで羽田空港から台湾へ、私たちは1時30分のバスで羽田空港からハノイへと戻ってきた

年末年始、掃除、買い物、料理、洗濯、と毎日があわただしく過ぎ、これが日本の生活と実感したが、ばらばら家族の我が家にとって

次にこんなことができるのはいつのことか、一期一会を実感しながら、今年がはじまった

今年はどんな年になるのか…皆様、今年もよろしくお願いいたします