ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

テト(旧正月)前

2011-01-31 17:06:34 | Weblog

1月31日曇り

ベトナムの元旦(テト)は2月3日、新年を迎えるため、みんながあいさつ回り、買い物等、わさわさと忙しく動きまわっていて、ものの値段は上がるし、あわただしくて、日本の師走と変わらない光景が繰り広げられている。

日本はすでに卯年になっているが、来年のベトナムの干支は、「ねこ」。

日本と同じ中国文化圏のベトナムなのに、どうして…?

ベトナム語のウサギの発音がMAO(マ~オ)、ねこがMEO(メーオ)で、発音がよく似ているので間違いやすいのと、ねこは農業国のベトナムでは作物を荒らすネズミの天敵でよく飼われている身近な動物だが、ウサギはあまりいなかったようで、身近なねこが干支にはいったという説があるらしい。

これはホーチミン、ドンコイ通りの豪華な干支飾りのねこ。

ハノイでは、郊外に向かって、田舎で新年を迎えるためお土産をたくさん抱えて家族のところに帰るバイクが道路いっぱい連なっている。

工場で働いている工員さんたちが故郷に帰るためバス停に列を作っていて、休暇前の浮き立つ気分が足元の荷物から伝わってくる。

田舎に帰れる、とわくわくしている人たちの中に、親元に帰ってみると、工場の仕事が嫌になって休暇が明けても工場にもどってこない人が数パーセントにもなり、工場経営者にとっては頭の痛い問題だそうであるが、気持は分からないでもない。

ハノイでお正月を迎える人も忙しい。

女性は家の清掃、お正月料理の準備、正月飾りのきんかんバイクや桃バイクが街を走りまわっている。

花市場やきんかん畑、桃畑が近くにあるわたしのアパートのまわりは、売り手と買い物客の車とバイクの渋滞でおちおち道路を歩いていられない状態になってきた。

メインの道路から一歩入った住宅街は、路上のゴミはどこかにやられ掃き清められていて、清潔で、空気もきれいで、やればできるじゃん、という感じ。

日本企業の工場も日曜日(29日)ごろから休業になり、単身者は日本の家族のもとに帰り、家族持ちの人は暖かいところで休暇を過ごすためでかけてしまったので、アパートが静かになり、わたしはのんびりと時間を過ごしている。

 


友達と一緒 IN ホーチミン

2011-01-29 19:54:17 | Weblog

1月29日 くもり 今日は少し暖かくなってホットしている。

ハノイはもういい、ホーチミンなら行ってもいいかな?…という友達に、声をかけてみると、OK……ということで、いっしょに遊んできた。

おみやげは友達のネイリストがデコレーションしてくれたゴルフのマーカー、きれい過ぎて絶対キャディーさんたちが欲しがるので、すこし心配になるくらい。

東京に行くと青山のサロンで髪を切り、ネイルをやってもらうのが楽しみの一つだが、このネイリストによるホーチミン仕様がこれ。

赤にハートのバレンタイン模様、グラデーション、すべてのネイルが違っていても、ハーモニーがあって下品でない。

子育て仲間の30年来の付き合いは、みんなおばさんになったけど、おしゃべりは昔と変わらない。

バリバリのキャリアウーマンで、大きな会社の長がつく役職についている子も、わたしたちと一緒だと、なにやっているのと頭ごなしにおこられても、欲しい洋服をダメだしされても、にこにこついてくる。

観光はしたくない、買い物だけでいいというので、ドンコイ通りとベンタイン市場を行ったりきたり、もうドンコイの達人になったといってたっけ?

慣れないと買い物は、ベトナムドンと、USドルと、日本円が頭の中でぐちゃぐちゃしてしまい、しかも、ドンのお札のマルが多すぎるので、とんちんかんなことをやってしまいがちで、わたしは目を離せなかった…とは、ベトナムでのこと。

それぞれの人生を歩いてきて、みんな素敵になった。

ただ、写真を撮るとき、どうしていつもドレミファでならぶの?とオットがいうが、どうしてかこんなになってしまうのよね。

楽しかったね、みんなあそびにきてくれて、ありがとう。

 

 


ファーストゴルフ AT ホーチミン

2011-01-28 10:08:52 | Weblog

1月28日くもり

パーティーの翌日は、早朝4時25分ホテル発、ロンタンゴルフクラブ、6時7分スタートでゴルフ。

はじめてのコース、しかもオットは別のコースに行くことになっていて、一、二度会っただけの方とのゴルフは少し緊張する。

テト(旧正月)前はどこの会社もあいさつ廻りや忘年会で忙しい、なので、ちゃちゃっとゴルフをすませて、日常生活に戻るため朝が早いが、この季節、6時を過ぎないと明るくならない。

車の外は真っ暗で、ゴルフ場も電気がついていなくて薄暗いが、私達よりも早く来ている人がいる。

心配げな私に、大丈夫すぐ明るくなるから…と、朝食をとっているうちに、外がほのかに明るくなってきた。

ハノイでカイロを越しにはってのゴルフと違い、寒くないので、体がゆったりのびのび、クルーンと回ってくれて、気持がよいが、薄闇のなか、ゴルフ場の全容はみられない。

やっと5ホール目、14番ショートホールがこのゴルフ場の名物ホールと聞きながら、池に浮かぶ島の正面からあがるお日様にむかってまっすぐにボールを打つ爽快さ。 

ホーチミンは人口に比べてゴルフ場の数が少ないらしく、週末はメンバーでも予約をとるのが大変らしいのに、ホーチミンでゴルフをしたいというわたしの希望をかなえてくださった方に感謝。

この日、日中の気温は34℃、ハノイの枯れた芝生のゴルフから、どこもここも緑いっぱい、鳥の鳴き声に囲まれた暖かいところにいる幸せを感じた。

 

 


ホーチミン Year end party

2011-01-26 18:29:29 | Weblog

1月26日 くもり

ホーチミン事務所のイヤーエンドパーティーは、マジェスティックホテルの屋上バーを借り切り、生バンドを入れて、南国らしい、賑やかで明るいパーティー。

このホテルは、ベトナム戦争中、大勢のジャーナリストが滞在し世界中にニュースが発信されたところで、亡くなった開口健も滞在していたらしい、とか、20代の日本人スタッフにはなすと、なんのこと?…という反応で少し滑ってしまい、世代間ギャップを感じてしまった。

昔は目の前に流れるサイゴン川は暗闇だっただろうが、、、今は遠くに広がる夜景とディナークルーズ船の美しい明かりが広がっていて、薄暗いハノイと対象的に豊かな街を感じさせる。

北と南のスタッフの印象は少し違っていて、北はおすましで固い印象、南は暖かいからか、ラフで明るいかな…?

今の日本になくなった家族ぐるみのイベントは、子供たちのいきいきした笑顔に楽しさがあふれていて、私も自然に笑顔になってきた。

 暖かいって、体も心もほやほやしてきていいもんだなあ……という印象。

 

 

 


ヘリテージバーディンツアー終了

2011-01-20 17:27:09 | Weblog

1月20日 くもり

バーディンツアーのガイド、無事終了。

バーディン広場の前は、街に行くのにいつも通る道で、美しい並木道のなかにフランス統治時代の建物が並んでいて、ゆったりとした見飽きない風景である。

これは外務省庁舎 

越仏折衷の熱帯使用の建て方で、窓の上に二重のひさしを作って通気をよくしたり、強い日差しを避ける工夫をしている。

外務省庁舎の前にあるホーチミン廟を見学したら、裏の大統領官邸やホーチミンの家に繋がっていて、そこも見学できるようになっている。

ホーチミンが亡くなる前の数年間、暮らしていた家

下が会議をする場所、上が寝室と書斎のみ、吹き抜けのバスルームも食堂も無い簡素な家だが、清潔感漂う静謐な空間が、ホーチミンの人柄を想像させる。

このあたりは、バイクの騒音も聞こえない、自然がいっぱいの気持のよい空間であるが、あちらこちらに立っている衛兵が無粋で、いつも行動をみられているようで落ち着かない。

今日も寒くて、朝は霧雨も降っていて心配したが、キャンセルもなく一安心。

みなさんには、暖かい服装でいらしていただくように事前に御願いしていたし、私は腰にカイロをいれての奮戦だったが、逆に暑いより街歩きはしやすいという声もあって、みなさんの熱心さに感謝。

さーて、私は明日から、暖かいホーチミン、楽しみです。

土曜日の夜、日本から来る友達と合流して、まったり街歩きをしてきます。

うるさくて、お酒飲みの、子育て仲間達との旅は、どんなものになるやら恐ろしいものがあるけど、結果は後日のお楽しみ。

それでは、行ってまいりまーす。

 

 


ダイライゴルフ場

2011-01-18 20:50:28 | Weblog

1月18日 曇り、雨

年末にオープンしたゴルフ場にみんなについていってきた。

お水ばかりで大変だからボールはたくさん持っていくようにといわれ、20個ほどバッグにいれて備えた。

クラブハウスが池に向かって開放的と見ると、練習場もここにある。

飛行機から見下ろすと、空港の周りはため池ばかりが目立ってこんなに?と思っても、普段の生活で感じることはないが、この景色、ハノイが紅河デルタの湿地帯に広がっているということがわかる。

どのホールも水にからんでいて、ナイスショットでも水に吸い込まれて、ストレスの溜まるゴルフだった。

まだ整備されていないので、垂れ下がった電線を目の前にしながらのティーッショットや、立ち退きをしないで残っている民家越えのティーッショットがあったり。

その家の敷地に打ち込むと、焚き火をしながら待っている住人がボールを拾っても還してくれないのは、庭先でボールを売るため…、こんなボール絶対買わないといったけど…

このホール、家に打ち込むは、その後の池越えで4つも水にいれてしまい、結局5個も失くしてしまった。

こんなに寒くてもゴルフに行くんだ、といわれると、わたしたちは暑いのは平気だけど寒さに弱いと冗談が口にでるが…

水辺だし、寒さに備え、カイロを入れ、気がつけば6枚も着込んで、これでは腕が上がらないと1枚脱いだけど、あとは脱ぐなんてとんでもない寒さ、はく息は白くなってみえるし、雨は降り出すし、水を渡る風は冷たいし、からだがこちこちになって、本気に寒い。

ホーチミンには人口に比べてゴルフ場が少ないという、そうするとハノイのゴルフ環境はよいわけで、わたしたちも、選んでいけるというメリットがある。

このゴルフ場、スリルを味いたくなったら、ここにくればよいということになった。

 


ホーチミン廟

2011-01-16 11:09:24 | Weblog

1月16日くもり

ハノイは旅行雑誌などで、プチパリと呼ばれ、フランス当時時代の瀟洒なたてものが残っていて素敵と、観光客の気持をくすぐるものがある。

しかし、ハノイの官庁地区の中心エリアにはフランス風と異質な建物がある。

バーディン広場にあるホーチミン廟はそのひとつ。

ここにはホーチミンの遺体が安置されていて、一般公開されている。

ベトナムでは祖先の霊をまつるのは昔からの風習だが、個人の体をそのまま保存するという伝統はなく、しかもホーチミンの残したメッセージには、

遺体は火葬にして、灰を南部、中部、北部の人たちのために丘に埋葬してほしい。

そして、石碑や銅像など建てずに訪れた人が休めるよう、簡素で涼しい建物を立て植樹を植えて欲しい。

訪れた人も記念に木を植える、日がたてば森林となり景色もよくなり農業にも役にたつであろう、と残してあるそうだ。

しかし、ホーチミン没後のベトナム共産党の指導者はレーニンにならい、遺体を保存し、モスクワにあるレーニン廟のような霊廟をたてることを希望した。

おそらく、そうすることで、国民の意識をひとつにして国をまとめていく必要があったのであろう。

フランスから独立した1954年から1985年のあいだ、ベトナムは旧ソ連と東ヨーロッパの影響を受けながら社会主義の形を発展させていった。

建築物にもその影響が与えられ、当然建設費用もソビエトからの助成金でまかなわれたこともあって、このようなソビエト式の、左右対称のコンクリートで建てられた無骨でがっちりした建物が建てられた。

ホーチミン博物館も

同様に、ソビエトの現実主義の建築の影響を受けた建て方になっている。

バーディン広場がちょっと素敵なのは、フランス建築風な建物と、ソビエト風な建物、そして、2010年に世界遺産に登録された、タンロン遺跡もあって、ベトナムの歩んできた歴史が凝縮されていること。

いつも車で通り過ぎるだけだが、そんなことを思いながら並木道をながめるのも楽しいひと時となってくる。

 


寒い

2011-01-13 20:05:46 | Weblog

1月13日曇り

このところ、ハノイは寒い、みんなで震えている。

新聞には、北部で牛が死んだとか、体調をこわして大勢が病院に駆け込み大変だとか、昨日は学校が休みになったとかかれている。

とはいえ、最高気温が10℃前後くらいでなにをいっているといわれそうだが、エアコンの温風がきかないし、床はタイルで冷たいし、隙間風邪は冷たいし…体の中が温まらない。

2008年の冬がすごく寒くて、色々な種類のカイロをバイク通勤をしている会社のスタッフに頼まれてたくさん買ってきたが、それ以来使うことがなかった。

ゴルフに、その時の残りのカイロを両方のポケットにいれていったけど、古いのかあんまり暖かくない。

こんなことなら、日本でヒートテックとかカイロとか、防寒グッズを買ってくればよかった、去年必要なかったので、今年は油断をしていたし、なによりも、日本も寒くて外に出かける気にもならなかったのだが…

この寒さがあとどれだけ続くことやらと話していると、冬がこれだけ寒いと、今年の夏は暑くなるだろうという予測する人もいる。

ずーっと昔、カナダの山の上で生活していた時の冬はマイナス30℃前後が毎日続いていたけど、こんなに寒かったかなあ?…体のつくりが変わってきたのかなあ?…

ランチにいってコートとマフラーをつけたままで暖かいお茶をすすっている姿は、外からみると少しこっけいだろう。

そうはいっても南の国のことなので、この寒さももうすぐ終わることを祈って…

日本の皆さま、わがままでごめんなさい。

 


あけましておめでとうございます

2011-01-09 17:04:54 | Weblog

1月9日

明けましておめでとうございます、そして今年もよろしく御願いいたします。

昨日ハノイにもどってきました。

今日、ハノイでの生活にシフトをチェンジするため、オットと今年はじめてのゴルフに行ってきたが、雨が降り、吐く息は白く、キャディーが気温9℃というなか、なんとかこなしたけど寒くて、帰ってきてもからからだが温まらず少し困っている。

福岡も寒かった。

空港に着いたときから帰る日まで、毎日雪が舞うか雨で結局お日様には会わずじまい。

昨日やっと、朝の気温2℃、水溜りに氷がはり、屋根や道路脇は霜で真っ白だったが、快晴の青空をみることができ、気持がすっきりした。

しかしこの寒さのため、初詣にも出かける気にもならず不精を決め込んでしまった。

家族全員が元気に顔を合わせることができ、今年も幸せ。

このところ、いつも家族が揃って新年を迎えられるのは今年が最後かもしれないと、全員が思っていて、食べたいものリストを出されたり、行き着けの魚屋さんにブリを買いに行ったり、知り合いの漁師さんが養殖している牡蠣を買ってきたりと、恒例の年末行事にこだわって、息子たちの短い滞在期間中に、なんとか頑張って台所で奮闘してきた。

4年目にはいったハノイでの生活、新鮮な気持をとりもどして、いま一度生活を見直して、どんなことが待っているのか、わくわくした気持で過ごしたいものと思っています。