ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

夏休み

2010-05-28 22:35:38 | Weblog
5月28日37℃

昨日の午後、ゴルフレッスンの後のハーフラウンドプレー中、雨がボトボトと落ちてきて、イタイイタイと叫びながら、クラブハウスに駆け込んだ。

その雨で、いろいろ浄化されたのか、今日はピーカンの青空がひろがり、気温もぐんぐん上がっていった。

我が家から見える、ベトナム人の通うプライベートスクールがこのところ静かで不思議だったが、よく考えてみると、すでに夏休みにはいっているのだ。

インターナショナルスクールも6月11日で学期が終わり、長い夏休みにはいる。

その日に大多数の家族が母国に一時帰国してしまうので、わたしの周りも人がすくなくなり、寂しくなる。

日本人学校は、日本と同じなので、まだ残っている人はいるのだが…

そういえば昨夜、レストランでお客様と食事中、わたしは、はじめての経験だが、急に停電になって真っ暗になってしまった。

店員さんも知らん顔をして、でてこない。

で、どうだったかというと、居合わせたみんなはいつものことと平気で暗闇のなかでおしゃべりをしているうちに電気がついた。

ハノイは恒常的に電力不足で、突然もしくは計画停電はしょっちゅうで、(わたしのアパートが、自家発電があるのであまり不自由は感じていないが)、みんな慣れている。

今年は特別に水不足で、電力も不足がち、加えて、家電製品(冷蔵庫、エアコン等)の売れ行きがすさまじいので、ますます電力不足に拍車をかけているようなものだ。

この暑さに耐えるため、内にこもってじっと耐えしのぶ季節がやってきた。

カルトナージュで写真たてとハノイガイドカバー

2010-05-25 21:22:45 | Weblog

5月25日33℃

カルトナージュとは、フランスからきた、厚紙を立体的に組み立てて、紙や布でおおって美しい生活小物をつくる手工芸である。

 それを応用して、わたしが参加している「ちくちくの会」で11月のバザーのために、写真立てとハノイガイドカバーを、ちくちく、トールの合同で製作した。 

 去年、福岡の友達にカルトナージュの先生を紹介していただき、一時帰国中少しお教室に通ってきた。

 ハノイにもどって、自分でハノイガイドカバーのアイデアをだして仲間と作ってみた。

ハノイガイドとは、ハノイで生活するのに必要なお店や学校、病院などの情報がまとめられている冊子で、バッグには必ず入れてでかけるので、表紙がすぐボロボロになってしまうから、カバーがあったらいいな、と思ったので…

 今年はもうひとつ新しいものをと、春福岡に帰ったとき、友達にバタバタと教わってきたのが写真立てである。

すごい…と思われがちだが、いつもバタバタでアイデアだけはあるが実践が伴わないのがわたし的…

それのデモ作品を作り、平面に展開して組み立て説明書まで書いてくれ、その上、下準備の厚紙のカットと布地のカットまでやってくれる仲間がいる。

 ハノイの不便なところは、商品がなくなっても補充しないので、あると思って買いにいっても、同じおばさんが店番しているのに、以前あったものがない…聞いてもわからない…というのはしょっちゅうである。

 そうはいっても、材料はできるだけハノイで手に入るものを使おうと、材料の紙探しや、布地探しに奔走してくれる仲間がいる。

みんなに教えるために、事前に作ってみて腕ならしをしてくれる仲間がいる。

 わたしはというと…、全体の流れをみていたり、最後の仕上げに絵を描いたり、刺繍を少ししてみたりのお手伝いをさせてもらう。

いよいよ合同製作にはいると、去年の経験のある人たちが、新しい人たちに教えてくれたりして、予定時間で終了することができた。

 この日の気温は40℃を越えていて、暑いのでランチはカレーと決めたら、考えることはみんな同じなのか、お店はいっぱいの人。

 このお店の、季節限定商品のライチラッシーはさっぱりしてさわやかでおいしい、が実を言うとわたしは生ビールを飲んで、ホット一息。

何かやりたいなと思っても、わたし一人では到底できないが、わたしには福岡に気持ちよく自分の技術を教えてくれる友達がいて、それをきちんと作品として作り上げてくれるハノイの仲間達がいるのはとても幸せなこと、みんなありがとう、ことしのバザーもうまくいくといいね、楽しもうね。


タイ湖始動開始

2010-05-23 19:39:19 | Weblog

5月23日

このところ、タイ湖の様子が夏スタイルにかわりつつある。

 はすの花が咲きはじめた。

 エビ漁がはじまった。

 朝の散歩や体操をしながらえび舟が岸に到着するのを待つ人たちで、湖畔がにぎわう。

 たにし獲りも始動開始。

 長時間肩まで水に浸かって、たにしを探すので、ウェットスーツの代用に、ビニールを体にまく、これは体温管理の知恵と思われる。

エビもたにしも、タイ湖名物でいつでもお店に並んでいるが、これからの季節にしかこんな光景はみられないので、他の季節はどこかから運んでくるのかしら。

 はすの見張り小屋がリニューアル。

 先日まで、こんなに傾いても人は生活できるのかしら、というほど、浮き輪の片方が沈んでいたのに、新しい浮き輪の上できちんと浮いている。

そして、ビニールのおおいが取り払われ、なんとなく家具調度もふえ、洗濯物など干していて、こぎれいな生活空間に様変わりした。

 小屋の外には、はすの花集荷用の編み舟も運びこまれ、シーズンにむけてスタンバイ。

日本のようにはっきりした四季があるわけではないので、散歩で見かける光景はそんなに代わり映えがしないと思っていたけど、ハノイの季節には、ハノイ時間がながれていると確実に感じる。


40℃ゴルフふたたび

2010-05-22 16:37:56 | Weblog
5月22日40℃

先週末から気温がぐんぐんあがりはじめ、はすの葉がぐんぐん成長し、みるたび湖をおおっていて、いよいよ本格的な夏がはじまった。

今年は体力温存の年と決めている。

しかし、今週は火曜日ラウンドレッスン、金曜日はちょっと足をのばして通称陸のハロンと呼ばれるフェニックスゴルフリゾート、土曜日はメンバーコースのドンモーと週3ゴルフになってしまった。

昨日のフェニックスは暑かった。

キャディーは42℃とかいってバテバテで動かない。

このゴルフ場、夏場はハロン湾のような岩山に囲まれているので、風通しが悪いうえに岩が太陽を反射してますます温度をあげてゆくという危険なコース。

しかし、ここでなんとわたしは、93のベストスコアーをだしてしまい、暑さにもまけないストロングぶりを発揮してしまった。

こんなことは夢のようなことなので忘れたつもりが、やっぱり今日はすこし力がはいったのかいつものわたしになってしまっていた。

今日も暑かったとは思っていたが、帰りの車に温度表示が40℃となっていたので、やっぱり暑かったんだと納得してしまう。

今週末はホーチミンで2日連続ゴルフをしにいったオットから、ホーチミンも暑いらしく、40℃越えでのゴルフは暑いし危険とかいうへたったメールがはいってきた。

いまから6月、7月とこんな気候が続いてゆくが、一度経験すると少しずつからだが慣れてきてこんなものとこなせるようになるので、いまは我慢の時、しかし、今年は体力温存といっているのに、このままではいままでと同じ夏になってしまいそうな予感がしてきた。

稲刈り

2010-05-19 22:37:32 | Weblog

5月19日35℃

このところ暑い日が続いていて、ドアを開けるたびに、そとの熱気が顔に突き刺さってくるように感じる。

 ゴルフの行き帰りの風景で、田んぼがいつの間にか黄色くなったな、と思うと次に通ったときは、もう稲刈りが始まっていた。

2月に植えた稲の収穫である。

 いつもは静かな田んぼもこの時ばかりは、、すべての作業を手仕事でこなすため大勢の人が働いている。

 稲は鎌を使い根元から切ってゆく。

それを小さな束にして、あぜ道に集めて牛やリヤカーで運びだす。

 

すぐに脱穀して、わらともみを干す。

 この時道路いっぱいに広げるので、車やバイクはその上を走るが、そんなことはお構いなしである。

 干したもみも、ニワトリがつついたり、家畜は家族なので、これもお構いなし。

 干したわらは、家畜が食べるのでしょう?というと、ベトナム語の先生は、家の煮炊きの燃料としても使うという。

 稲刈りがおわるとすぐまた、田植えの準備が始まる。

暑い中、農家の忙しい季節を迎えている。


ふたたびバチャン村

2010-05-17 13:23:30 | Weblog

5月17日35℃

またやられちゃったっていう感じ。

今月末、我が家での食事会に、真っ白な四角いお皿に前菜をもりつけようとひらめいた。

そうだバチャンにいけばあるかもと、土曜日に行ってみた。

 バチャンでは、最初に通称ニューバチャンと呼ばれる、少し薄手で新しいデザインをおいているお店に行く。

 おめあてのお皿をみつけたので、6枚ありますか?と聞いたらあるというし、みたら6枚きちんと重ねて置いておいてくれた。

 他の商品が気になっていたので梱包はおまかせして、家に帰ってみると、なんと5枚が白いのであと1枚はトンボの柄。 

微妙に白の色が違うので地味になるからと、この柄はよけたのに……

 また、こんなことをして……、すごく迷ってこのお皿にしたのに…、6枚揃わないとその場でいってくれたら、それなりのそろえ方をして納得のいくようにしたのに…、知らん顔して、しかも中の見えないところに入れ込んで渡されたのが、どうにもくやしい。

ずるいというか、ベトナム人のこんなところがどうしても許せない。

きちんと確認しなかったわたしも悪いとは反省しているが……。

まあ、それは後で気がついたことなので、その後はバチャン市場にもいってみた。

 午前中の市場の周りは、商売の準備におわれている。

市場の中が、いままでは赤やブルーの伝統柄のバチャン焼き一色だったのが、白い食器に変わっている。

 絵柄が花柄とか洋風なのもになり、ミンロンというベトナムの洋食器メーカーの柄に対抗しているように思える。

バチャン焼きは厚いし、重いし、欠けやすいし、100円ショップで売られているし、と人気がないので、もう少し学習して商品開発をしたらいいのにとは思っていたが、それがミンロンのコピーに走ったか……。

社会主義ということを忘れてしまいがちになったこの国は、出る釘は打たれるとか、自分で考えないとか、みんなと一緒がいいとか、あるかもしれないが、これほど、ベトナムが注目されるようになってきたら、もう少し世界対応の気持を持つとか、商品の開発とかに目覚めてもらわないと、ずるいとか信用できないとかそんなことで足をひっぱられたら、悲しいことになってしまう気がする。


花もだけど果物もいっぱい

2010-05-13 22:09:54 | Weblog

5月13日34℃

 果物屋の店先でライチをみかけるようになったがまだはしり。

 ハノイ特産の果物で一番有名なのが、ライチである。

旬になると、ライチ農家が運んでくる軽トラックの荷台に山ほど詰まれたライチが路上で売られるようになる。

 わたしが、ここでいただく果物で一番すきなのはライチ。

 これから生ライチがふんだんに食べられるし、この季節限定のフレッシュジュースも飲むことができる。

 しかしいまの季節、ほかの果物も豊富である。

 自転車で売り歩いているので一番多いのはマンゴスチンとドリアン。

 マンゴスチンはコロっとしていて着いているヘタのかたちがなんともいえずかわいらしい。

 皮の周りに切り込みをいれパカッとはがすとクリーム色の実がこれまたかわいらしく、すこしミルクっぽくておいしい。

ご存知ドリアン、これはカンボジアで買ったもの。

 さんざんいただいて残りひとつになったのをパチリ。

ドリアンを食べたいと買ったオットが、お土産を物色しているわたしに付き合ってくれてはいたものの、だんだん機嫌が悪くなったのは、ドリアンが匂いだしたのではやくお腹のなかに入れて、匂いから解放されたかったかららしい。

 信憑性があるようなないような話が、ドリアンを食べてお酒を飲むと、お腹のなかでガスがたまり苦しくなって病院のお世話になることがあるということ。

 どのくらい時間をあけたら大丈夫とかわからないので、アルコールのほうが大切な我が家はどうも敬遠してしまう。

これはジャックフルーツ。 

 外見はラグビーボールのような形で、茶色の美しくない色をしているので、なんだこれっていうかんじだが、ナイフを入れると中には皮なしバナナのような実がお行儀よく並んでいる。

ドリアンとバナナをミックスしたようなかなり濃厚なお味で、ドリアンほどではないがそれに似たけっこう強烈な匂いがする。

 わたしの行くゴルフ場の近所は産地みたいでよく道路際の台にのせられて売られている。

 以前、車にジャックフルーツの匂いがプンプン残っていたので、運転手に食べたでしょう?と聞いたことがあり、我慢できずしばらく窓を開けていた。

今日、ゴルフ場でボールを打とうとかまえたらドタッと音がしてびっくりしたが、ジャックフルーツの小さいのが風にあおられて落ちた音だった。

見上げると、あちらこちらにおおきな実が何個もぶら下がっているが、しばらくすると影も形もなくなるので、キャディーさんたちがとってしまうのだろう。

日本の繊細な果物のお味にはかなわないが、その季節のものをとれた土地でいただくのはおいしくて、そんなに劇的にかわる気候ではないがああ今年もこの季節がめぐってきたと、食卓の話題になり会話も弾んでくる。


燃料について

2010-05-10 21:27:31 | Weblog

5月10日

またまたアンコールワット編……

 ハノイの台所用燃料は練炭であるということを、わたしが来たころに報告したことがあるが、カンボジアの家庭用燃料は木炭だった。

 郊外で、バイクに積まれて運ばれている大きな包みが家々の軒先にも置かれているし、トンレサップ湖のボートにもたくさん積まれて売られていた。

 郊外だけかな?と思っていたら、観光地のオールドマーケットの通路でも木炭でお湯をわかしていた。

 ハノイは練炭なのにここはなぜ木炭?

 ハノイはハロン湾の近くで石炭が採れるので、練炭や豆炭ができるが、カンボジアは石炭が採れないので、木炭になったんじゃないかとオットはいう。

 しかもハノイ同様に戸外で煮炊きをするのは、一酸化炭素中毒予防?もしくは屋内に台所がないのか?

 もうひとつ気になったのは、リヤカーの上のアルミの台の上に広げられているもの。

 それは貝で、こうやって広げておくと熱で自然に口を開け、食べごろになったら塩をつけておやつにするという。

 だから街中に散らばっているゴミにシジミのような貝殻をたくさんをみかけたのだ。

 ちゃんとボイルして口を空けたのを食べないとお腹こわしちゃう、と思うのは私だが、これで問題ないという。

オットはこれだけ太陽が暑いのだから、想像以上にアルミの上は温度が高く火は必要ないのだろうという。

 気温の下がる季節は、お湯でボイルして口を開けた貝を食べるというから、夏場の太陽光線の強烈なときだけの調理方なのだろうが、なんともこれって、究極のエコ?

 日本でガスやIHが普通の生活をしてきて、ハノイで練炭、カンボジアで木炭の生活をみると、日本の生活の快適さがいまさらながらありがたいと思える。


花の季節がはじまります

2010-05-09 17:24:23 | Weblog

5月9日

ハノイの街中は薄紫のバンランの花の盛りである。

 「バンラン」は別名「友情の木」とも呼ばれる。

 ベトナムでは、紫色は終始変わらない堅固な心の象徴、そしてバンランのバンは「朋友」という意味があり、変わらぬ心であたなを思っていますというような意味になるのかしら。

 そしてそろそろ咲き始めるのが、真っ赤な花を咲かせる「火炎樹」。

 この花が満開になる5月6月のころ、学校の学年末の時期に重なり、子供たちは火炎樹の花が咲き始めると、もうすぐ夏休みとうきうきしてくる。

日本人が桜を思う時、春めいた浮き立つような気持にさせてくれるのと同様に、火炎樹がそんな季節の郷愁を呼ぶ木であり、また、日本の桜同様、新しい出発の花、別れの花というイメージがあるらしい。

昨日のゴルフは暑かった。

 ゴルフ場のシャトルバスのラジオで40℃とかいうのが聞こえ、運転手に確認したら、ここは36℃という、いよいよ本格的な夏到来である。

 先月末のアンコールワットは、ひと月以上も季節のさきをいっていて、最後の火炎樹が少しばかり残っていて、

はすの花もそろそろ終わりで、かろうじてホテルの池に一輪だけ咲いていた。

 ハノイのはす池にはやっと水がはられ、若草が水面にすこしだけ顔をのぞかせている状態。

 バンランが終わり、火炎樹が咲き、6月になると街中がはすの花でいっぱいになり、我が家の前の湖は早朝のはな摘み舟が忙しく水面を動き回る季節がもうすぐはじまる。

 この季節を迎えるのは今年で三度目になるが、なんどたってもはなの季節の到来はわくわくと楽しい気分にさせてくれる。


南の生活をみて

2010-05-07 12:20:09 | Weblog

5月7日

 アンコールワットからハノイにもどり、なんだか文明圏に戻ってきたような気がした。

 熱帯モンスーン気候の乾季はどこもからからに乾いている。

 水不足のため米は年に一度しか作れないらしいが、この原因は話題になっている中国が源流のメコン河でおこっている水不足の影響もあるのかしら。

 車で通りすぎる村は高床式の家で、壁も屋根も木の皮や葉でできていて、そのなかでお昼寝をしている姿がめだったが、暑いからこうなってしまうよね。  

今は乾季で畑は耕せないが、庭先にある椰子の木の樹液から砂糖を作ったり、 (このつんつんとがったところからとれる樹液を煮詰めてゆく)

実を食べたりとあくせくはたらかなくても食べてゆけるようだ。 (ほの甘くて水分がたっぷりの椰子の実)

 雨季になり池や川に水が溜まったとき、魚を獲って食べたり、売ったりの生活がはじまる。

 のんびりとした南の国の生活らしいが、ここの深刻な問題は、若者に仕事がないこと。

 私達のガイドは23歳の男の子で、日本語の能力と、観光ガイドの知識がしっかりしていて感心したが、ほとんど独学のようである。

 現在コンピューターの勉強もはじめ、分からないこと、知りたいことがネットで調べられるのですごく楽しいという。

シュムリアップには本屋や図書館はなく、学校もたいしてあてにならないらしい。

戦争が終わって新しい国ができたのが1993年、いまからたった十数年前のことで、戦争とか地雷とかいう言葉が普通に会話のなかにでてくる。

はなしは違うが、4月30日はベトナムの「戦勝記念日」、今年はベトナム戦争終結35周年ということで、ホーチミンでパレードが行われたり、ハノイで花火を打ち上げたりと盛大に祝った。

 日本からベトナムに来て、教科書の中でしかしらなかった戦争の影をみたが、カンボジアにおいては終戦からまだたった10年ちょっとなので、若い子たちが背負うものは大きい。

 日本、ベトナム、カンボジア……、戦争が終わってからの時間の違いが、文化の発達に影響してくるのかなあとか、平和と教育について少し考えさせられた。