ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

婦人会手作りバザー

2008-11-30 08:51:32 | Weblog

11月30日

 27日木曜日、第2回婦人会の手作りバザーが開催された。

この日は晴天で気持もわくわくしてくるような素敵な日であった。

インドネシアの駐在からそのままハノイに赴任してきた人が、前の国でもやっていたからと発起人になり、1年前にこの会がつくられたのと、わたしがハノイに来たのとが同時であった。

さっそく、トールペイントでお手伝いを申しでた。会の目的は、この国で暮らさせていただいているご縁もあり、みんなで作った作品を販売した収益金を、婦人会を通してベトナムに寄付しようということ。

したがって、すべてボランティアである。今回は春につづき2回目である。

認知されてきたのか、大勢の手伝いとお客さまで大賑わいで、寄付金は材料費を除いて、4000000ドン(28万円くらい)となるそうだ。

トールグループも完売状態で、縫い物、刺繍、ビーズなどの作品をみて回る時間がとれた。かまぼこ板のサンタさん

別のグループの卵の作品、手間がかかっています。

ところが、問題発生、わたしが大ボスとよんでいる発起人が日本に帰ってしまうことになった。

彼女は、自分の勝手で立ち上げた会なので、引き継ぐ人がいなくて、これでおしまいになっても仕方がないという。

だけど、これだけの人たちの楽しみとなっているのなら、なんとか続けていきたいと私は思う。

グループが小さくなっても、続けていくことが大事で、工夫すればかかわる時間も、大変さも、少なくてすむかもしれない。

ということで、なんとか来年の11月第3週の木曜日に開催できるように、各グループでの活動を続けていこうということになった。

日本のいろいろなところから集ってきた人がなかよく、楽しく、一期一会の、思い出作りの一つになればいいと思っている。


大教会周辺…ヘリテージツアー

2008-11-26 19:03:07 | Weblog

11月26日

ヘリテージツアーのリハーサルは「大教会周辺」、この時期がハノイの最高の気候で、好天に恵まれ、街歩きには絶好の日で気持がよかった。

ハノイの観光案内はまず、この大教会からはじまる。

この地域をニャートーと呼び、お土産通りでもある。

この教会は、1882年、フランスがハノイを占領した年に建設が始まり、1886年に完成したカトリックの教会である。

外見はパリのノートルダム寺院を連想するといわれている。

外壁は、白と黒の石材を使用しているそうだが、高温多湿の気候で風雨にさらされ、カビとほこりでかなり汚れて黒ずんでいるのも、120年の歳月のあかしでもある。

いつも、そとからしかみないが、今日は中に入っての説明をうけた。

ステンドグラスが美しい。これは、正面のドア。

とくに今日は窓からの光があふれ、逆サイドの窓の反射が白壁にうつり、光をとおしたステンドグラスと、反射した光との饗宴で午前のすがすがしい空気とともに、神々しいという気持にもさせられた。

ベトナム人がこれを始めてみた時の顔とわたしの顔がさもありなんと、ラップするようであった。

このステンドグラスはイタリアのベネチアから運ばれてきたそうである。煉瓦やタイルは、ハノイで焼かれ、祭壇の壁の装飾は漆である。

そうしてみると、ベトナムを代表する手工芸品である、漆と焼き物と西洋のステンドグラスで美しさを盛り上げているというのは、文化の融合といわれるもの?

この教会は、11世紀、李朝期に建てられたお寺を壊して、フランスが建てた。ベトナム人の信仰を破壊して、フランスが自国の宗教寺院を建てたということに、占領者フランスの横暴を感じさせられるともいえる。

しかし、120年の歳月は、フランス植民地時代の遺産から、ベトナムの文化的価値をもつ財産と変化し、ハノイのランドマークとしての存在価値はとても大きいものとなっている。


時間の使いかた

2008-11-24 13:30:32 | Weblog

11月24日

昨日、オットが日本出張から帰ってきた。

木曜の深夜便で東京に入り、金、土、そして日曜の午後にはハノイに着いた。

金曜と、土曜の午前中会議で午後から長男と合流、夜は私の弟家族や友達と食事。

その合間に買い物をしたり、他の息子達にも連絡をとったりと忙しかったようである。

で、わたしはハノイで何をしていたかというと、金曜はテニスやランチにいったけど、その午後から、土、日と一歩も家からでていない。

日曜にいたっては、午後までパジャマで過ごし、オットが帰ったときは、かろうじて着替えていたのでなんとかセーフだったけど。

私は、テープお越しを期限までに終わらせようとずーっとPCの前に座っていたので、この数日、数えられる程しか歩いていないと思う。

その間、オットは仕事とはいえ、日本を往復し、しかも人に会い買い物までもしている。

そこで長男にいま流行っているからと進められて買ってきたのが、このデジタルフォトフレーム。

アナログ人間のわたしには、別に必要でもないし、物を増やしたくないし、なにより使いこなせないなあ、と少し不安。

こんなことから、時間空間について考えさせられた。

ベトナムの人達はバイクの普及で行動半径が広がったとおもう。

日本は今は車社会、飛行機も特別でなくなり、昔と比べると移動の距離はものすごく広がった。

それこそ、時空をとび回ることもできる。

それを享受するのが幸せか、仕方なくという人もいるだろうし、それに逆行する人もいる。

わたしは家から一歩も出なくても、退屈でもなく、楽しく過ごすことができる。

しかし、私を取り巻く世界はどんどん動いている。現実に、PCのおかげで、日本と離れていても、そんなに寂しさを感じなくてすむし、テレビも新聞も日本のものが入ってくる。

これは時間を享受していると思わされることである。

時代に取り残されるのも不安だけど、家で好きなことをして時間を過ごすのも幸せかなあ、なにが幸せで何が不幸せなのか、いつもこのことと向き合っているような気がする。

さて、頭が痛いけど、このフォトフレームの使用説明書をよんで使いこなせるようにならなくては。


停電

2008-11-15 15:49:56 | Weblog

11月15日

このところ、ゴルフ関係でお金を使うので、その他はご無沙汰が続いている。

特に、ネイルは値上がりが激しいし、安いところだと、爪の状態が悪くなるので、あまり行かなくなった。

しかし、友達のきれいな指先をみていると、わたしも、せめて爪の手入れをしてもらいたくなり、帰り道、暗くなってきたけど、ネイル屋さんによってみた。

以前見習いだった女の子が片言の英語を話すようになり、仕事を任されているのをみると、ずいぶん来ていなかったんだなあ、とか思いながら、彼女の作業の様子をみていた。

甘皮の手入れではさみの作業中、電気が消えた。

困ったなあ、途中だけど帰っちゃおうかな、なんて内心思ったりしているうち、スタッフがろうそくを持ってきた。

原因究明をしたり、電気会社に電話するとか、騒がずに自然体である。

しばらく様子をみるため、マッサージに切り替えたりしたが、状況が変わりそうもないと判断したのか、ろうそくを1本増やして作業に入った。

暗闇ではさみを使い、マニュキア選びをし、塗りの作業を終えた。

自分の爪がどうなっているか心配だったが、普通に仕上がっていた。

ここはよく停電する。

私の住むアパートは、自家発電があるので、停電になってもすぐに普通になるが、街中はそうでもないみたいだ。

この国は、恒常的に電力不足が続いている。

工場建設による電力消費や、急激な家電製品の普及に、追いついていけず、対策として、計画停電とかを行うが、焼け石に水の状態のようだ。

後追いの作業に継ぐ作業のたまものか、電線が街中を覆い、クモの巣のようになっている。

切れた電線がぶら下がっていたり、火花を散らせている電線をみたこともある。

先日の大雨でも、漏電による感電死があったと聞いている。

切れた電線から、電気が水の中を走ったのだろう。

交通渋滞、大気汚染、電力不足、などなど、たくさんの問題を抱えながらも、この国は大きく発展しようとしている。


大雨、まだ続いています

2008-11-04 12:09:15 | Weblog

11月4日

 今日はもう大丈夫とゴルフの約束もし、朝の散歩もでかけた。

いつもの小道が冠水して通れないので回り道をしたが、途中で雨が本格的に降ってきた。湖も満杯状態なので道路の水は行き場所がないのだろう。

 金曜日からこれでで5日目。

この大雨は、NHKのニュースや、日経新聞にも小さい記事ながら、報道されているようだ。

35年ぶりとかで、こちらの昨日の新聞には、ベトナム中で49名、ハノイでは、19名の死者がでているとあった。

この死ぼうの内訳のなかには、漏電による感電死と冠水のため、道路と湖や田んぼとの境がわからず、はまってしまった人とがいるらしい。

そんなに危険な状態であるのに、湖沿いは、釣り人が大勢並んでいて、大水をのんびりと楽しんでいるように見える。

そんなことやっている場合ではないでしょうと思うが、別に土嚢をもるわけでもなし、パトロールがあるわけでなし。

つかの間の晴れ間に、いつも行く西湖府に行ってみた。

あんのじょう冠水して、お寺にはいることができない。

友達が、有名な鎮国寺も水に浸かってしまったけど、行き場のない観光客がバスを止めて、水のなかをばしゃばしゃ歩いていっていたという。

見れないし、危ないでしょう、大丈夫なのかしらか。

観光の人たちは、本当にお気の毒、どこにもいけないのだから。

これは水があふれている、ホアンキエム湖。

金曜日、日本人ですら、タクシーも拾えず、腰まで浸かって2時間かけて自宅まで歩いて帰ったという人もいたらしい。

ハノイの水は汚いので、怪我でもしたら、傷口からばい菌が入り、感染症にかかる危険があるし、電線が水につかったら感電しちゃうし、これはたいへんなことなんだと改めて認識した。

それはさておき、金曜、土曜、日曜、そして今日と、ゴルフは予約してはキャンセル状態なので、毎日家にいる私にハウスキーパーは、雨だとどこにも出かけないねと笑っている。

友達から、何もすることがない、打ちっぱにでも行こうと誘われ行くことに。

しかし、この練習場も、以前スコールのあと、橋の入り口が水浸しで、バイクが立ち往生していたのを思い出し、無理なのでは、というと、大丈夫、あの大雨の日曜日も行けたからとの返事。

行き場所がない暇な人たちで、あろうことか2階席までいっぱいだったらしい。

その後カラオケにも誘われたけど、これはお断りした。

ほんとにここはすることが限られているとつくづく思ってしまう。


ハロウイーン

2008-11-01 19:19:07 | Weblog

11月1日

ハロウイーンの日とはいっても、夜だし、大丈夫とゴルフの約束をしていたのに、夜半ドッカーンという感じで雨が降り始め、稲妻もひっきりなしに光っている。

たいていどんなに雨が降っても、ゴルフには行くのだが、白いカーテンをかけたような戸外をみると、気持がひいてしまい、結局、とりやめに。

朝の6時台にもかかわらず、友達からは、前の道が洪水のため通行止めになっているとのメールも受け、中止にしてよかったと思った。

しかし、この滝のような雨は終日続き、日本人学校も早々に下校させたようだ。

今朝の新聞には、35年ぶりとかの、街の洪水の様子が一面にでていた。

ハウスキーパーさんも、腰まで水につかったとかいうし、行方不明の方も数人いるようで、心配だ。

ハノイは雨が降ると、街がすぐ冠水してしまうので、午後、用事で出かけようしたら、道路は水びたしで危ないので出かけたらいけないとハウスキーパーさんにいわれ、それならと、早々に、運転手にも帰宅するように手配した。

この豪雨、2日かかって、やっと、今日の夕方、あがったが、街の様子はわからない。

そんな大雨のなかでも、子供たちのハロウイーンのお祭りは予定どおりはじまった。

かれこれ15年以上も昔、子育てをしていたころ、頑張って衣装を作ったものだ。

今年は、大人のハロウイーンとかいって、2ヶ月も前から、みんなで衣装をオーダーし、それを着て友達の家で子供たちを待ちうけることに。

子供たちの写真を撮るつもりが、逆に被写体にされたり、これは結構はまりそう。

来年はどんな衣装にするかと、そんな話で盛り上がりながら、あとは恒例の飲み会。

本帰国した友達とスカイプで、「こっちで作った衣装きていないじゃん」、「寒いから着れない」とか、わいわいがやがや、うるさいこと。

子育て中は、カナダだったので、ハロウイーン当日はもう戸外は凍っていて、マイナス30℃とかだったのが、今回は亜熱帯でプラス30℃、温度差60℃。

こんな生活が待っていようとは思ってもみなかったとしみじみ思ってしまう。