鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その11

2011-12-30 06:41:23 | Weblog
ハリス一行(ヒュースケンを含む)が下田を出発して、目的地である江戸に入るのは1857年11月30日(安政4年10月14日)のこと。この日の行路は、川崎「万年屋」→六郷川(渡し船)→梅園(北蒲田村梅林久三郎)→鈴が森刑場前→品川宿本陣→品川海晏寺門前→高輪通り→芝車町→芝田町→本芝町通り→金杉橋→芝浜松町→芝口通り→芝口橋→尾張町通り→京橋→南伝馬町通り→日本橋→室町→本町三丁目を左折→本町二丁目→お堀端通り→鎌倉河岸→三河町→小川町通り→蕃所調所(九段坂下牛ヶ淵)というものでした。ヒュースケンはその日記で、その沿道の見物人の様子などを細かく記していますが、この金杉橋から鎌倉河岸までの範囲(多くは東海道沿道)は、フェリーチェ・ベアトが愛宕山から撮影したパノラマ写真の風景の中におさまっています。ベアトがこれを撮影したのは1863年8月下旬(文久3年7月初旬)であり、ハリス一行が東海道を蕃所調所に向かって進んでいったのはその6年近く前のことになる。ほとんどその風景は変化していないはずだから、ハリスやヒュースケンは、このような江戸の街の中を移動し、そしてこのような江戸の街を見ていたことになります。ベアトのこの写真には、見事なまでに人の姿は写っていませんが、これらの武家屋敷や町家の屋根の下には、老若男女、大勢の人々が、この日の生活(午前9時半頃の)を営んでいるのです。 . . . 本文を読む