鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その4

2011-12-18 06:05:21 | Weblog
成田の場合はどうか。成田鉄道(初代)の佐倉駅~成田駅間が開通したのは明治30年(1897年)。総武鉄道の本所~市川~佐倉間が開通したのが明治27年(1894年)。本所駅は現在の錦糸町駅だから、東京と新勝寺がある成田とが鉄道で結ばれたのは明治30年(1897年)ということになる。京成成田駅が現在地に設置されたのは昭和5年(1930年)になってから。JR成田駅と京成成田駅は、両者とも成田市花咲町にあり、この2駅周辺の街区は鉄道開通、すなわち駅開業とともに発展してきた新興地であると思われます。両者の駅を出ると「成田山表参道」に続く通りへと出ますが、これが「成田道」であり、駅前から「成田道」へ入って「表参道」を歩けば、成田山新勝寺の「総門」の前に出て、その総門前を通過してさらに道を進んで行けば佐原へと至ることになります(「佐原道」あるいは「佐原街道」となる)。駅前から薬師堂前で道が二股に分かれるところまでを上町(かみちょう)と言いますが、ここまでの表参道両側の商店街(上町商店街)は成田駅が開業して以後発展した「新興」の商店街であり、江戸時代以来の古くからの参道商店街は、薬師堂前から延びるゆるやかな下り道沿いの商店街であると思われます。つまり丘陵上の台地に成田の新しい町(鉄道駅を中心とした)が形成され、古くからの新勝寺の門前町としての成田の町は、「成田道」(下り道や総門前の参道)沿いに形成されていたということになります。明治後半の成田鉄道や成田駅の開業により、その成田の町は大きく変化し、また昭和になってからの京成線の開業によりその変化は加速。さらに戦後の高度経済成長期や成田空港の開業などによってさらに大きな変貌を遂げていったようであることがわかってきます。 . . . 本文を読む