鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その9

2011-12-28 07:23:11 | Weblog
アメリカ合衆国の初代駐日総領事はタウンゼント・ハリス。下田に駐在していたハリスは、幕府に対して江戸出府を強く要求しますが、その最大の目的は、アメリカ大統領の親書(公文書)を将軍に直接手渡すことでした。ハリスが江戸に出て登城謁見を果たしたのは安政4年(1857年)10月21日(旧暦)のことでしたが、その5日後の26日、ハリスは老中堀田正睦邸を訪れ、正睦や幕府の接待委員らを前に2時間以上におよぶ演説を行いました。ハリスはその演説で、蒸気機関が発明されて世界は狭くなり、世界情勢は急変しており、まもなく西洋列強が日本にも強い姿勢で開国を迫ってくるであろうこと、その西洋列強に対抗するためには海軍が必要であり、その海防に必要な経費は交易の利益によって賄えること、まずはアメリカと通商条約を結ぶべきことが肝要であることなどを勧め、そして外国公使の江戸居住と自由交易、開港場の増設を要求します。このハリスの演説が行われた堀田正睦邸とは、大名小路の佐倉藩上屋敷のことであり、現在は皇居外苑の広大な広場となっているところ(の一部)。佐倉藩主がこの江戸と佐倉城の間を往復する際の参勤交代路が「佐倉道」(「成田道」)であり、文政8年(1825年)に16歳で藩主となった堀田正睦も、この「佐倉道」を晩年まで(亡くなったのは佐倉城内)しばしば往復しているはずです。 . . . 本文を読む