鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その10

2011-12-29 07:14:38 | Weblog
以前にも触れたことのある『ヒュースケン日本日記』には、老中堀田正睦の姿が登場します。堀田正睦は「外国事務宰相」という肩書きで現れ、その堀田邸(大名小路の佐倉藩上屋敷)に、ハリスとヒュースケンが初めて訪れるのは、安政4年(1857年)10月18日(旧暦)の午後。ハリスとヒュースケンは、その上屋敷内の「四十五畳敷きの大広間」で正睦と対面します。正睦は「向こうの端の床几に腰をおろし」、ハリスとヒュースケンは、それと向かい合う二つの椅子に腰掛ける。下田奉行の井上信濃守(清直)のそばには通訳の森山多吉郎がひざまづき、ハリスと正睦の会話は、通訳の森山多吉郎と井上信濃守を介して行われます。これが「皇帝治下の大日本の最高位者と、合衆国の代表との第一回会見」でした。ヒュースケンは、堀田正睦について次のように記しています。「宰相堀田備中守は、たいへん好もしい挙措の持ち主である。いたって温雅な容貌に、魅力的な微笑をたたえている。齢四十五歳。物を言うのに少し吃る。彼は内心では、まったく不安だったにちがいない。すくなくとも、そのはずである。…彼と対等の席についたまま、慣例の表敬を行わない外国人に、はじめて謁見を許したのだから。」この日の日記には、蕃書調所から大名小路へのルート、大名小路や佐倉藩上屋敷の様子、上屋敷の人々の接待の様子、会見場所(大広間)や会見の様子などが細かく記されていて、興味深い部分です。 . . . 本文を読む