鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その5

2011-12-19 05:32:18 | Weblog
成田山新勝寺と宗吾霊堂を結んでいた電車鉄道の名前は、「成宗(せいそう)電気鉄道」。「成宗(せいそう)」の「成」は「成田山新勝寺」で、「宗」は「宗吾霊堂」。この「成宗電気鉄道」は、明治43年(1910年)に一部区間開通し、その翌年(明治44年〔1911年〕)に全線開通しています。「宗吾霊堂」というのは、佐倉宗吾郎(本名木内惣五郎)の菩提寺である鳴鐘山東勝寺(真言宗豊山派)のことで、地元の人々は「宗吾様」と呼ぶ。この電車は「千葉県唯一の路面電車」でしたが、昭和19年(1944年)に、戦時中のため「不要不急線」として廃線となりました。電車路線を敷設するにあたっては、参道沿いの門前町の衰退を招くものとして門前町商店街の人々の猛反対を受け、参道を大きく迂回するように鉄道が敷設されたという。「成田市観光循環バス レトロバス」のパンフレットには、「電車道」の説明として、次のように記されています。「成田山門前から宗吾霊堂の門前までの約6kmを、千葉県で最初に電車が走りました。この電車を『成宗電車』と言い、『ちんちん電車』の愛称で呼んでいました。現在、この電車が走っていた通りには当時のレンガ造りのトンネルが残り『電車道』と呼んでいます。」 . . . 本文を読む