鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その6

2011-12-21 06:03:54 | Weblog
崋山は「四州真景」の旅の「路程図」で、「タコ─カモ─ナリタ・テンダイ─サカイ─サクラ」と書いている。『渡辺崋山集』第1巻の「後注」によれば、「タコ」は「下総国香取郡多古村」(多古町多古)、「カモ」は「上総国武射郡賀茂村」(山武郡芝山町大里)のこと。多古→大里→成田→佐倉と帰路をとっているのがわかります。疑問となるのは「テンダイ」という地名と「サカイ」という地名。「サカイ」は、「後注」に指摘されているように、これは「酒々井」(しすい)のことであり、崋山は「酒々井」をその漢字から「サカイ」と読み間違ったものと思われる。では「テンダイ」とはどこか。成田の近くにある似通った地名は「寺台」。多古→大里と進んできた崋山は、この「寺台」で「成田道」(「佐原道」)に入り、左折して成田へと向かったのではないか。とすると「テンダイ」は「寺台」のことと思われますが、確証はありません。しかし崋山が道沿いに宿屋や茶屋が並ぶ成田新勝寺の前を通り、ゆるやかな坂道を上がって、城下町佐倉へと進んでいった(江戸へと帰路を急いでいた)のは確実です。 . . . 本文を読む