鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その2

2011-12-12 06:15:03 | Weblog
東京からのJR総武本線の沿線は、ビルやマンションや人家が密集しており、かつては広がっていたであろう田んぼや畑は全くといっていいほど見かけることはありません。千葉駅を過ぎても、しばらくはビルやマンションの密集地帯が続き、ようやく四街道(よつかいどう)あたりから新興住宅街となってビルが少なくなり、そして物井駅の手前あたりから電車は丘陵地の雑木林や田んぼの間を走るようになり、物井駅を過ぎると両側に田んぼが広がってきます。それからの沿線風景は、大きな駅の周辺ではビルやマンション、人家の密集地が見られるものの、その多くは田んぼの広がりであり、また丘陵地の雑木林であったりします。丘陵地を抜けると田んぼが広がり、しばらく丘陵の間を走って、また田んぼの広がりに出るということを繰り返し、成田駅を過ぎてJR成田線に入るとその田んぼの広がりはぐんぐんと大きくなっていきます。田んぼの広がりの向こうに樹木の繁った丘陵が散在し、その丘陵の裾の日当たりのよいところに人家があって、それぞれの人家を、丘陵の下を走る曲がりくねった細い道が結んでいます。丘陵の中にも、ちょっとした平地の奥にまで田んぼがつくられており、長い歴史の経過の中で造られてきた景観であることがわかります。先祖代々、水田が切り拓かれ、営々と維持されてきたことがわかる景観。新しい道路や鉄道は、その水田の中を突っ切っていますが、それでも、極力水田をつぶさずにそれを守っていこうという強い意志が、全体の景観から見えてきます。千葉駅近郊の新興住宅が密集する地帯から、水田地帯への変化が著しいだけに、その景観の変化は感動的です。神奈川県では、小田急線沿線でも相鉄線沿線でも、そしてJR東海道線や横浜線、また相模線などにおいても、こういう景観は車窓からはほとんど見られない。ところが成田や銚子行きの電車の車窓からは、懐かしくなるほどの車窓風景を眺めることができるのです。私にとって懐かしさをともなって蘇ってくる車窓風景とは、福井駅から京福電鉄に乗って三国へと向かう時、沿線に広がっていた福井平野の水田。運転室のほんの後ろに立ち続けて、水田の中をまっすぐに延びる線路の先や、その沿線の農村風景を眺め続けた少年時代の記憶が、脳裡に蘇ってくるのです。 . . . 本文を読む