鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.12月取材旅行「成田および佐倉」 その9

2011-12-28 07:23:11 | Weblog
 国立民俗歴史博物館に入館したのは11:35。

 一つ一つの展示会場を順に見て回りましたが、膨大な展示品があって、時間の関係上、各展示品などの細かい説明は目を通すことはしませんでした。

 前回、妻と訪れた時もそうでしたが、1日や半日で丁寧に見学することは不可能で、どこかに焦点を絞って見学するのが肝要だと思いました。

 私の場合は、特に江戸後半の物流や人の交流がポイントとなり、「国際社会のなかの近世日本」のコーナーが興味深いものでした。

 「江戸時代後半の貿易品」の展示や、「旅への誘い」、「商品と技術と風雅の交流」などの展示や解説は、特に参考になりました。

 この博物館で特筆すべきことの一つは、模型が充実していること。

 東国の豪族居館、越前一乗谷、御朱印船、北前船などの模型があちこちにあり、特に圧巻だったのは「江戸橋広小路模型」。日本橋から江戸橋にかけての日本橋川の南側、江戸橋広小路あたりを中心に模型として再現されています。木更津河岸や高原河岸など、日本橋川沿いの河岸の様子がよくわかります。各種の川舟が河岸に並び、荷物を満載した川舟が日本橋川を往き来しています。通りには多くの人々が往き来しており、町並みの様子もよくわかります。

 河岸を中心とした江戸の町並みの様子が、この模型からわかってきます。

 「旅への誘い」では、「東海道写真五十三次勝景」という東海道を描いた鳥瞰図がありましたが、これはあの「空飛ぶ絵師」、五雲亭貞秀(ごうんていさだひで)が描いたもので、その代表作の一つであるという。

 「北前船の年間運航・売買例 1839(天保10)年 伊栄丸(越後国頸城郡鬼舞村伊藤助右衛門持船)」の展示も興味深いものでした。

 「風雅の交流」では、蚕卵紙の行商の旅(上塩尻村の蚕種商農民たち)のことについて触れられ、その数百kmにおよぶ得意先を回る行商の旅において、養蚕の技術交流ばかりか、俳句や和歌などの「風雅の交流」が行われていることが指摘されていました。

 観覧中にアナウンスがあって、「企画展示の『風景の記憶』」のトーキングギャラリーが13:00から行われるとのこと。

 ということで観覧を急いで、13:00前に企画展示室の入口のところに行くと、すでにトーキングギャラリーに参加する人たちが10数名ほど集まっていました。担当されるのは、研究部研究員の青山宏夫さんで、この方がこの企画展示プロジェクト委員の中心メンバーの一人であるようです。

 この入口のところには、たくさんの写真が印刷されているアーチのようなものがありましたが、これらは石井實さんという方が戦後60年間にわたって各地の風景などを撮影したもののほんの一部。

 今回のこの企画展示は、2008年度にその石井家からの写真の寄贈を受け、それをきっかけとして開かれたものであるとのこと。

 その「石井實フォトライブラリー」は、35ミリネガフィルム約9000本、コマ数にして30万枚以上の写真を中心とした資料群である、とのことで、今回展示されている写真は、そのほんの一部に過ぎません。

 「写真のもつ歴史資料としての可能性について考えたもの」ということで、私の従来からの関心や問題意識につながるものであり、わくわくしてトーキングギャラリーが始まるのを待ちました。


 続く


○参考文献
・『ペリーとハリス~泰平の眠りを覚ました男たち~』(江戸東京博物館)
・『タウンゼント・ハリス』中西道子(有隣新書)
・『風景の記録─写真資料を考える─』(国立歴史民俗博物館)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿